「……もう一度聞きます。何を、しているんですか」
言葉の節々から怒りの感情が溢れ出ている。表情だけでない、全身から怒りが滲み出ている。
それは、何に対しての怒りなのか。
聞こうとしたところで、正面から押されてしりもちをつく。
「ようこそ姫! 来てくれたんだね」
この光景を何とも思ってない唯一の存在が、陽気に彼女に話しかける。
それは悪手だと、想像もできないで。
「さっき、倒れてたリヴェンを見ました」
「うん、そうだね」
「あなたがやりましたか? セイラム」
「そうだよ、私がやった」
「……そうですか」
長く、長く息を吐く。
セイラムは気が付いていない。目的に近づいた喜びで盲目になっている。
普段纏っている空気とは違う。このシャーロットちゃんは、怖い時の彼女だ。
「一応聞きます。なぜ、あんなわざと傷つけるような真似をしたんですか」
「ん? それは……散々無茶苦茶をやってくれたからだね。聞いてよ姫! あいつ、この町の秩序を台無しにするだなんて脅しをかけてきたんだよ!」
空気が重い。セイラムは気が付いていない。言葉を放つたび、どんどんと重くなっていく気配が。
なんだこれ。シャーロットちゃんってこんなに威圧感を放てる人だっけ?
不意に、彼女の顔がこちらへ向けられた。とても悔やんでいるような、悲しそうな、怒っているような、なんとも言えないような表情で。
「言ったじゃないですか。私が何とかします、って」
「あはは。ごめん」
「――生きてたので、許してあげます」
ただ、それだけのやり取り。
でも、不思議と安心感がある。
幸運の女神だとか、そう言うのではなく。やっぱり彼女は、象徴なんだな、って。
「セイラム、そこを退きなさい。そして、リヴェンの目と耳を治しなさい」
「はい、我らが姫。……と言いたいところですが、それは流石にできません」
「なぜ」
「そいつが私たちの怨敵である、黒の一族だからです」
シャーロットちゃんの顔に、影が差す。
それに気づかずにセイラムはいい気持ちになって言葉を続ける。
語れば語るほど、自分の目標が遠ざかることを理解できていない。
「必要ならば、幾らでも語りましょう。あいつらの悪行を、あいつらとの因縁を」
「……そうですか。わかりました」
「わかっていただけ――」
シャーロットちゃんがそっと、左の袖を巻くって、腕を見せた。
何だろうかと思ってみて……背筋が凍る。
セイラムも、慄き、一歩、二歩その場から下がった。
彼女の腕には、私程度では知識でしか知らない、けれどもこの上なく特徴的な紅の呪印が刻まれていた。
信じられない。この数日間目立った動きがないと思っていたけれど。
まさか、それを自分の体に刻むために?
だとすれば、一体どんな思いで、どんな考えで、その結論にたどり着いたのか。
「ああ、その反応、これが何なのかわかるんですね」
「ひ、姫。冗談ですよね?」
「冗談に見えますか?」
「だって、それは、失血呪《しっけつじゅ》ですよね!?」
失血呪。それは、古に使われていた奴隷を強制的に従わせるための呪印。
効果を成すとき、鮮血と同じ赤色が暗く色褪せるから、失血の呪いと言われるようになった。
効果は――呪印保持者の死。発動すれば最後、確実に刻まれたものを殺す。その呪印が刻まれた人物で、呪印以外の死因を迎えた人物は記録上一人もいない。
単純明快。だからこそ禁じられた。あまりにも悪用されすぎたから。
「私ね、あんまり賢くないんですよ」
纏っている圧が違う。
セイラムがまた一歩たじろいだ。
「でもね、わかることはあるんです。馬鹿でもね」
シャーロットちゃんがまた一歩前に出る。
セイラムは一歩下がる。
「私に死なれたら困るんでしょう? ほら、言うことに従ってください」
虚ろな目。光の薄い暗闇の中だからじゃない、彼女の目に、生気がない。
これが、シャーロットちゃん?
私はこんな彼女は知らない。この町に来た時には、もう少し丸くなっていたから。
でも、きっとこうやって自分の身を売らないとやっていけない時代があったのだと思う。
だって……あまりにも、当然という顔をし過ぎている。
普通、自分の命がかかっているってタイミングでは、慣れていない人は震えが出てしまう。訓練された兵士でも、実際に死が見えると死にたくないと命乞いをしてしまうぐらいなのだから、どれだけ死の恐怖を乗り越えるのが大変かよくわかると思う。
でも、彼女はどこにも恐怖しているようには見えない。
自分は殺されないと確信している。だとしても、だとしても!
それを実行できる胆力は、常人にはない。
「どうかしましたか? 返事をお母さんのお腹の中にでも忘れてきてしまいました?」
「で、ですが……」
「ですが?」
普段の彼女からは絶対に想像できない、上から押しつぶすような語気の強さ。
セイラムは驚きのあまり、更に後ろへ一歩踏み出していた。
シャーロットちゃんが大きく溜息を吐く。
「わからないことだらけでしたね。どうしてトリシェルは私に言えないことが多いのか。どうしてあなたは強引に迫ってこないのか。どうしてリヴェンを一度は見逃したのか」
逃げ場はないとばかりに、言葉を畳む。
この場の主導権は彼女が握っている。
だって、誰もが欲しがっている勝利条件を、完全に手中に収めてしまったのだから。
「こう考えればすっきりしたんです。私に何かしらの秘密があって、あなたたちはそれを欲している、と。全部、それが原因だと考えれば納得ができたんですよ」
あまりにも鋭い眼光。戦いなれた兵士でも、ここまで憎しみ籠った視線を人に向けられるだろうか?
それだけ、彼女の中で思うことがあったのだと思う。きっと、耐えられない何かが。
「失血呪の主設定は、私にしてあります。なので、私は私自身の意思でいつでもこの命を枯らせますよ、セイラム」
ああ、わかった。理解できてしまった。
物理的な仕組みでは、力ずくで止められてしまう。シャーロットちゃんでは、それを防げない。
魔術的な仕組みでは、妨害されてしまうかもしれない。彼女は練度の高い魔法使いがそういうことをできることを知っている。
でも、体に直接刻まれた呪印ならば。事前に契約という縛りを貸した強い呪いならば、外部からの介入は不可能に近い。
邪魔をされず、確実に死ねる。その決定権を得るために、彼女は時間を使ったのだ。
天秤の重りを、すり替えられないように。
相手の目的を達成する身代わりでは確実性がないから、より確実な方へと。
どうせ自死なんて選べるわけがないと高をくくるのは簡単だ。
でも、今の彼女を見て、一体どこの誰が己の首を断ち切らないと言い切れるだろうか。私には心当たりがない。
間違いなく彼女はやる。それだけの迫力と、覚悟を持ってここにいる。
セイラムはやりすぎたのだ。追い詰めすぎてしまった。シャーロットちゃんの性格を、理解しきれていなかった。
……いいや、それは私も同じか。私もセイラムを笑えない。
これはちょっと、想定外だから。
「従いなさい。もしくは、私を殺す覚悟を決めなさい。これはそういう二者択一です」
有無をうわさぬ強制二択。折衷案など用意させない。
やるか、やらないか。極限まで単純化されている。
実質一択だ。だって、私たちは彼女を失うわけにはいかないんだから。
「で、でも。黒の一族は……」
「選びなさい! 従うか、反るか! 選べ、この場で!」
「……っ!」
リヴェンがやろうとした交渉と、やり方的には変わらない。
相手の譲れなさそうなところを見つけて、そこを天秤に乗せる。
二人の成否を分けたのは、相手が妥協できるかどうか。
彼の提案は被害の妥協が可能で、彼女の提案は被害の妥協を許さない。
もう、結果は出た。どんだけ足掻こうが、彼女が天秤に乗った以上、私たちはそちらを取るしかない。
私は、もう終わったと思って安心していた。
――その時までは。
「……違う」
「え?」
「違う、私は認めない!」
驚きのあまり閉じかけていた目を見開いてしまう。
こいつ、この期に及んでまだ言葉を続けるつもりなの?
何をどうやっても、力尽くで抑えても意味がないのに。どうやってこの場を切り抜けるつもり?
セイラムの顔が僅かに動き、おそらくシャーロットちゃんの背後の方へ視線を向けたのだとわかった。
その方向には――まずい!
「シャーロッ――」
「動くな!」
流石に、動くのは向こうの方が遥かに早い。
クソ、まさかそんな手を取るだなんて。
本当に観念しない奴だなぁ! だから今も生きてるんだろうけれど!
「動かないで。姫、君のお気に入りの命と交換しよう」
「…………」
今の私の位置だと、上手く暗闇に阻まれて見えない。
何かあったら動けるように、立ち上がり、シャーロットちゃんの隣まで移動する。
この少しの間で、大分体は回復させられた。
そして動いてみると、ああ、やはりというべきか。想像通り、リヴェンの首元に槍の矛先を突き付けて、セイラムが決死の表情で立っていた。
「お願いだよ、姫。あなたが死ねば、こいつを殺す。その後、トリシェルも殺す」
「……そこまで、しますか」
この限界の状態で、シャーロットちゃんの行動理由を利用して人質を取るか。
確かに、受け入れない場合の最善手はそうなるだろう。
でも、それは悪手だ。悪手なんだよ、セイラム。
あなたの最終目標からは、どんどん遠ざかって行っている。
そのことに、もう気づけないのか。
「セイラム。そこまでして、何が残りますか」
「残る? もう何も私の手元には残ってないよ。あの日、あの方を目の前で失ってから、私はそのためだけに生きてきた。ならなんだってするさ」
「その何だっての間に、どうして――」
「あの戦争を体験してない奴に! 奴が! わかってたまるものか!」
それはもはや慟哭だ。
受け入れられない現実から逃げ続けて、ここまで来てしまったのだと。
……ああ、私はこいつが嫌いだ。嫌いだったけれど、初めてここで理解しきれた気がする。
過去に囚われている。リヴェンがそれを思い起こさせてしまったのだろう。
だから、もう戻れない。
こうなったら、私が隙を見てリヴェンを取り返すしかない。
正気を失ってるとはいえ、セイラム相手に通じるか……。でも、やるしかない。
そう、覚悟を決めた時だった。
「……どうやら、俺が邪魔なようだな」
赤が、飛び散った。
リヴェンの口元は笑っていた。
「……え?」
何が起きたのか理解はできた。
でも、どうしてそうなったのかは理解が遅れた。
私は訓練しているが、リヴェンに比べれば頭がいいわけじゃない。
何をどう考えて、何を認識して、その結論に至ったのか。
ともかく、結論だけ言えば、リヴェンは己の首先に突きつけてある矛に自ら突き刺さりに行った。
次の瞬間、私は変貌していった雰囲気に、呼吸を忘れさせられた。
一気に地の底に沈められたかのような、人の身には余る重圧。
「ひっ。ち、ちがっ、これは、この男が勝手に……」
慌ててその場にリヴェンを落とし、セイラムは後ろへと数歩下がった。
私も、隣の彼女から遠ざかりたかった。逃げたかった。
「ひ、姫。お願いだから……」
「……うるさい」
重い。一言が、あまりにも、重い。
抑揚のない声で、感情も籠っていなかった。ただ、返答を許さぬ強さがあった。
ぽわり。光が舞う。
それが視界に入ったのは、彼女が前へ進んだから。私の隣から、前へと動いたから。
それは不思議な光景だった。
染められていたはずの彼女の髪色が白く変わり、仄かに光を放っている。
光はまるで光虫のように彼女の周囲を漂い、周囲へと知らせを届けるように散っていく。
後ろ姿ながらに、美しいと思ってしまった。神々しいと。
それまで感じていた恐怖や圧すらも、忘れてしまうほどに。
「セイラム、あなたは許しません」
白の姫が、今目覚めた。