俺はマスターに視線で確認を取り、男を店の席の一つへ招く。
少し意外なことに、彼は素直に応じ、席へ勢いよく腰かけた。
男の向かいの席に座り、俺は改めて彼の様子を窺う。
不機嫌な様子を隠しもしない。だが、許さないとかいうよりかは単純に怒っているだけのように見える。
話し合う余地は残されている、と思う。思いたい。
正直、怖い。内股を机の下で擦りつける。
「えと、まずはありがとうございます」
「いきなりだな。それは何に対する礼だ」
「昨日助けてくださったお礼と、先ほども助けてくださって……」
「それなら気にするな。俺の利益のためだ」
自分の利益のためにやったことだから気にするなって?
きざったらしい奴め。素直に受け取ってくれればいいのに。
なら、次に俺が言うべきは弁明か。
「仕方がなかったんですよ。荷物が多くて、早く換金しないと奪われるところだったんですから」
「そんなこともどうでもいい。よくも無視したな」
「無視……?」
無視していただろうか。思い出せない。
ひょっとして、何か呼び止められてた? 先の事に夢中で何も聞こえていなかった。
黒髪の剣士は眉間に寄せた皺を深くした。
「……連絡先を寄こせと言ったんだ。約束を果たしてもらうためにな」
「えと、ごめんなさい。その時には聞こえてなかったです。――約束?」
大きく溜息を吐かれた。露骨に呆れた雰囲気が出ている。
「『なんでもする』と言ったのはお前だろうが」
彼の一言で店内が一気に騒めいた。
店内で飲み食いしていた人々の注意が、この席へ一斉に寄せられるのを感じる。
「まさか、吐いた言葉をなかったことにする腹積もりだったのか?」
彼の剣がちゃきりと音を鳴らす。
俺は慌てて両手を前に突き出し、否定のポーズをとった。
「いえいえいえいえ、そんなつもりはありません! ないですから!」
「言葉を違えるつもりはないと?」
「ないです、ないですけど……助けてもらったわけですし。あの、何をすればいいですか?」
思わず体を庇いながら問いかけると、露骨に嫌な顔をされた。
思いのほか表情がコロコロ変わるあたり、意外と感情豊かな人なのかも?
今のところ全部不機嫌な顔だけれど。
「気色悪い真似をするな。誰もお前の体なんぞに興味はない」
「なっ!?」
思わず絶句してしまう。
いや、自意識過剰と言われればそれまでなのだけれど。面と向かってお前にはそそられないと言われると、それはそれでプライドが傷つく。
こんな美少女を捕まえて言うことがそれか? みたいな感じだ。
不能か? 不能なのか?
周りの客も本気かこいつみたいな視線を向けている人が何人かいる。
奴はそんな視線を意にも介さず言葉を続ける。
「……俺はあまりにこの町に、ダンジョンに無知だ」
それは、昨日一緒にダンジョンに潜ったから知っている。
無知無謀。このままいけば間違いなく長生きできないだろう。
実力があるだけで生き残れるほど、ダンジョンはぬるい場所ではない。
「だが、俺には目的がある。ダンジョンに潜ることを諦めるわけにはいかん」
黒髪の剣士の狩人のような鋭い瞳が細められた。
狩られる側である俺は、思わず身を固くする。
「俺がこの町で活動する間、補佐をしろ。それが、昨日助けたことの対価だ」
「具体的には」
「ダンジョン関連の情報、必要なやり取り、後は思いつかんがなんかしら任せることもあるだろう」
「……それだけでいいんですか?」
一拍おいて、思わず確認の言葉が出た。
男が一息つく。威圧する感じではない。むしろ、少し安心させるような、間をくれるような感じだった。
「不服か? 命一つ分に比べれば安い対価だろう」
「いえ、そうではなくて!」
あまりにも安すぎる。
なんかこう、もっとやばい要求をされるんじゃないかと身構えていた身からすると拍子抜けもいいところだ。殺しの片棒を担げとか、人を切りたいから試し切りの相手を用意しろだとか……。
何か裏があるんじゃないか勘ぐりたくなる。そのぐらいには穏便な提案だった。
いや、この男からしたら結構重要な事なのかもしれない。この態度の大きさ、まともに人と交渉事なんてできやしないだろう。
一般的なお世話とかもやらされるかも……。店での買い物とか。
そんな俺の不安を感じ取ったのか、彼は一息ついて話始める。
「安心しろ。俺もただの小娘にそこまで期待はしていない。ただ、こんな場所で働いていれば、いくらか有用な情報を耳にしているだろうと思っただけだ」
「いえ、まあ、その、詳しいかと言われれば詳しいですけれど……」
「なんだ、言いたいことがあるならば言え」
「ナンデモナイデス」
俺自体はどこかの組織に属していない中では、情報はかなり握っている方だと思っている。
それでも色んな相手に見逃されていたのは、あくまでも俺だからという認識だった。
俺が持っていても何の役にも立たない、何もできないから放置されているのだと。
それが、この男の手に渡ったら? 一気に各団体から注視されてしまうかもしれない。
自己保身の事を考えるのなら、当たり障りのない程度の情報を渡してしまえばいいだけだ。
それでこの男を納得させられるか? 勘は鋭そうだ。隠していることもすぐに話させられるだろう。
「……やる気がでないか? なら、こういうのはどうだ」
俺の沈黙をどう受け取ったのか、男は追加で提案をしてくる。座っている席に深く腰掛け、足を組む。左手をこちらへ差し出すように前に出してきた。
「昨日と同じだ。俺がお前を守ってやる。ダンジョン内の雑多な品などは好きにしていい。一部は俺が貰うがな」
これは、魅力的な提案だ。難しい人間関係のバランスを気にする必要もなく、俺は比較的安全に利益を得ることができる。
この男相手なら、これまでのような積極的なボディタッチや、色の匂わせとかはしなくてもいいだろう。
色恋が絡まない以上、不必要なトラブルともおさらば。利益だけの関係でいられるはずだ。
この男の強さならば、大抵の相手とはやり合えると思う。あれだけの圧を出せる人物は多くない。
俺の安全を考えるのなら、この男に守ってもらえれば武力面は大丈夫だろう。
危険はあるが、見返りも十分にある。
「一部、とは?」
気になった部分を聞くことにした。
魔石などお金になるものには全く気を掛けなかった男が何を求めているのか、それが気になった。
「俺は、“ダンジョンの秘宝”を求めている」
再び店中が騒めいた。
その言葉の意味を知らない人物はこの中にはいない。
誰もがいつかは耳にして、誰もがやがて目指さなくなる。それがダンジョンの秘宝なのだ。
「なあ、ダンジョンの秘宝ってなんだ?」
「なんだ、全てのダンジョンを制覇する男ニックは知らないのか」
「ああ。……その呼び方やめてくれ」
ようやくショックから立ち直ったらしいニックが、すぐそばにいた客にダンジョンの秘宝について尋ねていた。
「ダンジョンの秘宝ってのはな。どこかのダンジョンの奥底に眠っているとされる、ダンジョンが発生する原理となっている物のことだ」
そう。ダンジョンの秘宝とは、ダンジョンの根源と言われているものだ。ダンジョンが生まれる
それが何なのかはわかっていないし、あるのかもわからない。
ただ漠然と存在すると言い伝えられている、伝説上の代物。
「――本気ですか」
「ああ、本気だ。俺が成さねばならぬことを成すためには、それほどのものが必要になる」
――俺は、勘違いをしていたようだ。
昨日は、この男を求道者だと思っていた。それは違った。その理由は目を見ればわかる。
この目は、覚悟を持って死に立ち向かう戦士の目なのだ。目的のために死を受け入れられる人間の目ではない。
死期が近いんじゃない。常に死の隣を歩き続ける覚悟を持った人しかできない目。
何が彼をそうさせるのだろうか。
唾を飲み込む。ごくりと耳の奥に音が響いた。
「名前」
「ん?」
「名前を、教えてくださいませんか」
墓標に刻むというわけではない。何かを感じ取ったわけでもない。
ただ、これだけの覚悟を持った人間が何事も為せず、誰にも記憶されずに消えていくのは寂しいと思ってしまっただけだ。
誰にも記憶されずに死ぬというのは、とてつもなく寂しいものだから。
この町の中では、俺だけでも覚えていようと。
俺の質問に何を感じ取ったのかは知らないが、男は少しだけ上を向いて考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「……リヴェンだ。以後は、そう呼べ」
「では、リヴェンさん。最初の手助けですが、今後は外でダンジョンの秘宝の話をしない方がいいですよ」
「――なるほどな。妥当な忠告のようだ。少し遅かったらしいが」
周りからの視線はもはや針の筵のようだ。
怪訝な視線で見るもの、忌まわしいものを見る目で見るもの。
誰も彼もが、正気でないものを見る目で彼を見ている。
なぜそんな視線に彼が晒されているのか。それはひとえにダンジョンの秘宝の言い伝えにある。
ダンジョンの秘宝を手に入れたものは、ダンジョンの全てを手に入れられるというものだ。
ダンジョンに潜り日々の糧を得ている冒険者からすると、そうなるのは面白くない。もちろん、誰もが夢見る。が、やがて諦めるのはそういうことだ。
周りの人々が、周りの空気が、周りの環境が、夢を見ることを許してくれやしない。
ここはそういう町なのだ。
「ダンジョンへ潜るなら敵は少ない方がいい。そうは思いませんか?」
「道理ではある。だが、邪魔をするなら排除するだけだ。他人がどうこうなど、俺に関係ある話ではない」
リヴェンは周りへ圧を放つ。非戦闘員の俺ですら感じ取れるひりついた空気が肌を刺す。
今の言葉はお前たちに聞かせているんだぞ、と教えるために。
昨日のダンジョン出入り口前のやり取りもそうだった。この男は、もはや意図的に敵を作ろうとしているように見える。
やはり、長い付き合いにはなりそうにはなさそうだ。
この町は一人で生きていけるほど優しい町ではない。武力だけでどうにかできるのなら、とっくに誰かが統一してくれている。
一つ溜息を吐いた。彼が怪訝そうに片眉を上げる。
「何はともあれ、この町でダンジョンに潜るというのなら、まずは冒険者になりましょう」
「……ふむ。冒険者とやらになると、何かあるのか?」
「ありますよ、色々と。案内しますから、説明しながら行きましょう」
俺はマスターに声をかけて、一度抜けることを伝える。
軽く手を振ってマスターは了承してくれた。忙しい時間は概ね過ぎた。これから客は減っていくから、俺が抜けても問題ないのだろう。
「じゃあ、行きましょう」
「待て、どこに行くのかぐらい教えろ」
出口の直前で振り返り、一度店の客に愛想を振りまく。その後、リヴェンへ向き直る。
「ダンジョン管理団体、通称”連盟”ですよ」