「ぜぇ、はぁ、はぁ……」
「どうやら、完全に撒いたようだな」
「ちょ、ちょっと早すぎです」
「それこそ、もっと早くに言ってくれ」
走り続けて十数分。俺たちは大通りに見切りをつけて裏路地へと足を踏み入れていた。
土地勘はまるでないが、大通りには無尽蔵にあの人型が湧いて出てくる。ならばと狭い裏路地へ逃げ込んでみればついてこないではないか。
その結果、ようやく俺たちは一息入れられるようになった。
「あー、もう無理です。走れません」
そう言いながら、その場に座り込むシャーロット。壁に背をつけて、完全に休む体勢だ。
ふむ。顔色はすっかり良くなったな。走ったせいかもしれんが。
夢の中だというのに、疲労の感覚は変わらずある。確かに、俺も事前の情報がなければここが夢の中だと疑えなかったかもしれない。
夢というには鮮明で。現というには異常が過ぎる。ならば、ここはどこなのだろうか。
……どうでもいい話だな。俺たちの目的には、何一つとして関係しない。
「少し休んでいろ。追手がいないか、どこに出られるか、周囲を見て回ってみてくる」
そう言ってこの場に一人置いていこうとしたところ、後ろに軽く引かれた。
振り返れば、俺の服の裾が掴まれている。誰に、もちろんシャーロットにだ。
「い、行くんですか?」
「ああ。ここが安全だともわからないからな。少し、周囲の安全確認をしてくる」
必要な事だ。休息をとっている時に襲われる、これが最も警戒すべきことだからな。
俺が言い切ると、おもむろに彼女の瞳が潤み始める。
「ひと、りにしないで……」
――理性では、それでもやるべきだと言っている。安全確認しないまま、不確定な状況で休ませられるかと。
だが、今のこいつはどうだ。よくよく見てみれば、こちらを掴んでいる手が震えている。
このまま放っておけば、そのまま消えてしまいそうなほど弱々しい。
今、この場にこいつの味方は俺しかいない。ここまでの状況を総合すれば理解できる。この夢は、こいつを追い詰めるために存在している。
「……話の続きでもするか」
俺が隣に腰かけると、表情を明るくして喜んで見せる。その姿に、僅かにこいつの頬が緩んだ。
安全かわからなくても、守ってやればいいだろう。不格好な結論だが、そう判断した。
「とはいっても、面白い話は特にできなくてな。何か聞きたいことでもあるか?」
「お姉さんとの話は結構、その、面白かったですよ」
「あいつはな……。昔から自分で判断して動くやつだったから、良くこちらも引きずられたものだ」
特に、昔の俺は王になんざなる気もなかったから、話題を作ろうとすると嫌でもあいつがらみになる。
あいつは、物心ついた時から才覚を発揮していた。ハイデンの結成も、最初はただ懐に入れた人間を育ててたのが始まりだったか。
……話題には事欠かない奴ではあるな。まさか、こんな形であいつに感謝する日が来ようとはな。
「……ねぇ、リヴェン」
「なんだ」
言いづらそうなことを言うつもりなのか、声色が少し低い。
としても、俺の回答は決まっている。
「私の話も、聞いてくれませんか?」
「ああ。好きなだけ話すといい」
当然、是。気が休まるのなら、好きなだけそうすればいい。
俺の回答に安心したのか、左肩に頭を預けてきた。わずかに身じろぎしてしまうが、気にした様子はなさそうだ。
「……リヴェンは、どうして私を助けてくれたんですか? どうして、ここまでしてくれるんですか?」
まだ不安そうに、それでも聞かずにはいられなかったのだろう。
思わず歯を食いしばってしまう。何度も思ったが、よほど追い詰められているのだろう。
今のこいつは、縋るものを探している状態だ。
不安定で、何も信じられない中、信じたいものを信じるために。
最初は感情で信じたかったから信じるとした。落ち着いた今、今度は理屈を求め始めている。
「そうだな。色々と理由はあるが、何と言うべきか……」
こいつの不安をほどいてやるには、何と答えるのが一番だろうか。
「一つは、助けられたことがあるからだな。借りは返すべきだ、というのは一般的だろう?」
考えている間にも喋り続ける必要はある。沈黙は不安を引き起こす。安心させてやるためには、言葉を繋ぎ続けなければならない。
「俺たちは仲間でもあるし、契約をした仲でもある。お前のおかげで、ダンジョンの秘宝に関しても近しいところまで来れている。今になって手がかりを手放す馬鹿はいないだろう」
違う。口にしたはいいものの、そんな言葉は意味がない。
「それに、だな――」
そして、俺は口を止めてしまった。
「……それに、ですか」
「…………」
不安げに話しかけてきても、すぐには返せない。
言うべきか、言わざるべきか。
今のこいつに必要なのは、確かな頼れるものだ。こんな心の内を話していいのか。むしろ不安がらせるんじゃないだろうか。
ああ、違う。この沈黙自体が不安がらせているに違いない。
ちらりとシャーロットの方を見る。事実、不安そうに瞳を潤ませた顔がそこにはあった。
その顔を見ると、黙っていることなんてできなかった。
「理由なんてどうでもいい。放っておけなかったんだ」
若干動いたのを感じる。こちらをよりじっくり見ているようだ。
あえて、俺は正面を向いて、そちらの方は見なかった。
「はっきり言うさ。根本的なところなんてよくわからん。俺がそうしたかったんだ。そうすべきだと思った。そのための努力ならば惜しもうと思わなかった。そう、お前がいなくなると思ったら、いてもいられなくなっただけだ」
よくもまあ、こんなことを言えたものだ。我ながら笑えてしまう。
それだけだ、と呟き言葉を終える。これ以上の回答は俺にはできない。
反応を見るのが途端に怖くなり、正面を見たまま動けなくなる。
左肩の感覚は、まだシャーロットがそこにいることを教えてくれているが、それだけだ。何をしているのか、知るのすら少し恐ろしい。
だから、次の言葉が聞こえてきて、俺は少し安堵した。少なくとも、呆れられた様子ではなさそうだ。
「……リヴェンは、私のこれまでについて、詳しくは知らないんでしたよね」
「ああ。放浪生活を経て、冒険者となり、レイナード達とダンジョンに潜っていた。その程度だ」
嘘ではない。俺にとって必要なのは、敵かどうかだけだった。
こいつが俺の敵かなんて、今更考える必要もない。
仲間だ。大切な、仲間だ。そして――。
いや、これは詮なきことだな。
「聞いてくれませんか? 私のこれまでの事を」
「――聞こう。語ってくれ」
何を考えているのかなんて、些細なことだ。
こいつが話したくて、聞いて欲しがっている。ならば、聞こう。今はそれが必要だ。
左半身にかかる重みが増した。肩に頭を乗せるだけではなく、完全に寄りかかられているようだ。
「私の村が襲われて、私だけ生き残った話はしましたよね?」
「ああ、オークションの時に聞いた」
忘れるはずがない。
俺がロザリンドに勝てる気がしなくて、打ちひしがれていた時にかけられた言葉だ。
「その後の話なんです。お母さんの遺言で、私は生き延びることを第一に動いていきました。当時は今と比べても若かったからですからね……、苦労したんですよ」
そこから語られるシャーロットの半生は、中々筆舌に尽くしがたいものだった。
こいつの善性はよく知っている。同時に、必要だと割り切った時の行動力もセイラムの時に思い知らされた。
故に、想像ができる。
この町にたどり着き、冒険者となる前の話だ。
生き延びるために、様々な人を食い物にしたことを。自分の見た目を利用して、人の心を弄んで、利用して、誰かに媚びて、利用されて、ギリギリのところで毎日のバランスを取っていた。
誰かを蹴落とすたびに、必要なことだと自分に言い聞かせて。眠る度に、蹴落とした人々の怨念が追ってきている気がして眠れない日々が続いたことも。
今ですら、時折夢に見ることを。
身寄りのない、身分も金もない女の子が生きていく道は殆どなかった。
その中で選び取れたのが、裏の道だったというだけだ。
同情こそされど、責めるのはお門違いだろう。もしも、そうやって生き延びてきたこいつを責められる人物がいるとすれば、同じ境遇でありながらその道を選ばず表で立ち上がった人物だけだ。そんなやつがいるはずもない。
だとしても、こいつの心の中に悪事という棘は深く突き刺さったまま抜けていない。今だ生々しい傷跡を残している。
「何よりも嫌なのは、私は全部、お母さんのせいにしようとしてたんですよ」
行った悪事も、こんなに苦しんだのも、全部母親の遺言のせいだと。生きろなんて言われなければ、ここまで苦しむことはなかった。
自分が死ぬ道を選んでいれば、蹴落とされる人々も出なかった。
その罪を、痛みを、全て母親のせいに責任転嫁しようとした自分が何よりも嫌いだったと。
「……私を、軽蔑しますか?」
前にオークションの時に聞いた言葉。『生きているだけで得るものばかり』だという言葉に偽りはなかったのだろう。得た中に、痛みも苦しみもあっただけなのかもしれない。
前向きだと思った言葉は、そうでもなかったらしい。
なにせ、全てを得るということは、抱えてしまえば捨てられないということなのだから。
重荷も、苦痛も、責任も、全てを抱えて逃げ出せないでいる。ああ、確かにそれは死にたくもなるかもしれん。
「今の一連の事を聞いて、どう思うか、だな」
聞かれたからには回答を用意しなければならない。
なんと答えるべきか、なんて、今回の答えは決まっている。考えるまでもない。
「そうだな、今のを聞けて、俺は安心した」
「――え?」
さぞかし予想外だったらしい。間の抜けた声が聞こえた。
「繰り返しになるが、俺は臆病な人間でな。腹の底がしれない相手と対面するよりも、知っている相手と対面していた方が気が楽だ」
「それが、こんなに薄汚い人間でもですか?」
「薄汚い? 結構じゃないか。潔癖な連中よりもよほど信頼ができる」
ああ、疑問符を浮かべているのが容易に想像できる。
少しだけ愉快な気分だ。
あの日、部屋から俺を連れ出したテンユウも同じ気分だったのかもしれんな。
未来を塞ぎこんで、こうだと決めつけていたあの頃の俺に、そうではないと言葉をかけたあいつは。
「だって、な」
「だって、ですか?」
わざと勿体つけて、溜めてやる。
意地悪に感じるかもしれないが、このぐらいは楽しませてほしい。
「手を汚してでも、貫きたい何かがあったという事なんだろう? 本当に大切に思っていたという証拠に他ならないじゃないか」
ああ、そうだとも。
やりたくないことをやれる。それだけ大事に思ってたということだ。
何を恥じることがある。
もちろん、悪事は悪事だ。悪徳となじられることは避けられないだろう。
そのうえで、私は大事なもののために戦ったと言えるかどうかが重要なのだ。
「戦場で戦う兵士は、ことごとく人殺しだ」
突然の話題転換に、身じろぎで困惑が伝わってくる。
「同族殺しは当然として、誰かの思いを踏みにじることも悪徳だろう。だがな、それでも守りぬきたい何かのために彼らは戦うんだ。命を懸けて、実現したい願いのために」
思いをはせるのは、国のために戦う人々の姿。譲れない何かのために。譲ってはいけない何かのために。己の命よりも尊いもののために。己の尊厳すら汚して戦う誰かの姿。
「ようは、真に重要となるのは、譲れない何かのために戦ったという事実だ」
その戦士と、シャーロット。何の違いがある。
譲れない何かのために戦ったんだろう? 恥じる必要がどこにあるというんだ。
「もしも、お前が己の快楽のためだけに悪逆を尽くしたというのなら、俺はお前を捕まえなければならないが、そうではないだろう?」
「それは、もちろん、ですが……」
涙声になっている。また泣くのか。
こういう時ロザリンドならば、黙って泣かせてあげるのが度量とかいうんだろうな。
「安心しろ。俺はその程度でお前の敵にはならん」
その声をきっかけに隣ですすり泣きが始まり、収まるころにはシャーロットは眠ってしまっていたようだった。
きっと、精神の負担が限界だったのだろう。夢の中で眠れるのだろうかと思ったが、些細な問題だった。
こいつが安らかに休めるのならば、それに越したことはないのだから。
結構書くペースがその時の気分体調に引きずられるタイプなので、今後ものんびり週1~3話投稿を目安に頑張ろうと思います。
気を長くお付き合いください。