プチン、と。静寂で満ちた部屋に突如ノイズが走る。カーテンからは日差しが差し込んでおり、東向きのこの部屋が白んでいることから、朝になったことがわかる。
ノイズの数秒後、少しざらついた音質でポップな曲が流れだした。部屋のベッドサイドにおいてある小型のラジオから朝の訪れを告げる放送が始まったようで、パーソナリティの声はわざとらしく上ずったような、小気味いい調子で朝の挨拶を話し出す。
目覚ましはその主を起こすことに成功し、青年がゆっくりと身を起こし軽くストレッチをしてベッドから降りる。その間に、ラジオのパーソナリティは東京の天気について話し出したようで、青年は洗濯の予定を頭の中で確認しつつ、洗面台へ移動し顔を洗い出す。
保湿も欠かさず、日焼け止めのケースを手に取り顔や腕に塗ろうとしたところで、キッチンから電子音が響きお湯が沸いたことを知らせる。
手早く日焼け止めを塗り終わりコーヒーを淹れ始める。丁寧にコーヒーの豆を挽く青年は流行りの邦楽を口ずさんでおり、その横顔にカーテンから差し込む陽があたり、整った顔立ちと豆の袋を照らし、そのラベルには「パナマ・ゲイシャ」と記されており、ミルからはフルーティな香りが漂っている。
ラジオのパーソナリティは、いつのまにか事件・事故の報道をしており、議員の不正受給や他国との外交問題、行方不明の男性の捜索状況、先日の緊急治療について渦中の執刀医の釈明会見などを滔々と伝えている。コーヒーを淹れ終わった青年は、リビングのテーブルにコーヒーを持っていき、朝ごはんを持ってくることを忘れていたことに気づき、頭を振り冷蔵庫に向かう。
――男性の行方不明から3日。捜索は続いていますが、いまだ発見の糸口は見つかっておらず、警察は喰種による犯行を想定し、CCGへと協力を要請しました。引き続き捜索は…――
青年が覗き込んだ冷蔵庫の中には、多数の新鮮な肉塊とプラスチックのボトルに入った血液が所狭しと並んでいた。
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今日はとっておいた眼でも食べようかな。そろそろ鮮度も限界だしな。そう考えながら冷蔵庫の奥から比較的小さいタッパーを引っ張り出す。タッパーに詰められた二つの眼がころっと転がりこちらを見る。こっち見んな。
この目の持ち主だったおじさんはうだつの上がらないようなサラリーマンといった風貌で、千鳥足で夜道を歩いていた。そこを通りかかった僕が、痛みを感じないよう一息に気絶させ「お持ち帰り」させてもらった感じだ。
そのまま数秒、目と目で会話を試みたが向こうは応じるつもりはないようで、わずかな振動によってタッパーの中で転がりそっぽをむいてしまった。肩をすくめて、目をまな板の上でスライスする。中からトロッとした透明な液体こぼれ落ちないようにスライスした目はそのままフライパンに入れ軽くソテーする。
ちなみに目のソテーは若い男性の皮下脂肪の油で、と相場で決まっていることを友人の美食家は嬉しそうに語っていた。まあ、彼の食事へのこだわりは半端ないようで、議論が白熱してくると面倒だからできるだけこの手の話は振らないようにしてるんだけど。
いい具合に焼けたようで、フライパンからは香ばしい匂いが漂ってくる。こうもいい匂いがしてると、辛抱たまらなくなっちゃうね。そそくさと火を止めてリビングに焼けた目をもって歩く。焼けた目をフォークで突き刺し、いざ実食。もにゅもにゅとした食感、鼻から抜ける薄い血の香り。味も素朴で言うことなしだ。我ながら完璧だね。
コーヒーを一口飲み、一息つく。こんな文化的でゆったりとした生活がずっと続けばいいんだけど。そうはいかないかもしれないのが、この身が「喰種」だからだ。見た目も知能もヒトとほとんど一緒の種なのだが、大きいな違いが一つ。「喰種」はヒトを喰うのだ。いや、正確にいえばヒトとコーヒーしか摂取できない。何でコーヒーが摂取できるかはわからんけど。それ以外のものはどうしようもなくまずいのだ。
どっかの学者の研究では、舌の構造の違いによって生じるらしく、味付けなどの問題では無いと言うことだ。うーん、どうにかして人以外のものも食べてみたいんだけどねぇ。特に、豆腐とかいうやつ。なんだあれ、どんな味がするのか想像もつかない。いや、実際食べたことはあるが、もちろん吐いた。食感は悪く無いが、名状しがたい不思議な不味さは感じた。人間視点ではどういう味で例えられんだろうな。
とはいえ、そんな人喰いの化物を人間社会が放っておくわけなく、日本では東京に本部を置く喰種対策局、通常CCGを設立する。その対策局は各地に点在し、捜査官を派遣したりして喰種の捕縛、討伐を行っているわけだ。んー、怖すぎ。まあほっとけば人間はなすすべなく踊り食いされるのだから、抗う勢力が出てくるのなんて当たり前なのだけれど。そんなわけで、人間離れした捜査官たちと喰種たちは日夜戦いを繰り広げている。
喰種の身ではあるが、自分が望むのは平穏かつ「健康で文化的な最低限度の生活」だ。日本国憲法の、たしか25条の1項だったかな。最低限度である必要はないが、とりあえず自分の欲求には素直に生きたいと考えている。しかし、よく考えるとこれはヒトに保障されたものであり、我々には縁のないものだったかな。
とはいえ、そんな文化的な生活を送ろうと思うと、いろいろと入用になるもので、主に金と飯が必要だ。正直飯については自力で取るにはさしたる問題はないし、面倒なときは「店」に頼れば問題ない。そのためにこの20区にいるのだ。
問題は金である。
手に職を付けなければ、欲しいものを得ることはできないし、無職とは果たして文化的といえるのか怪しいからね。20区に初めて来た頃は、着の身着のまま文無しのまま流れ着いたため、生活の基盤を整えることから始まった。なんとか拠点を設けて、始めたことは路上で絵を売ることである。もともと油絵の素養があった自分は、借金をしてキャンバスと道具を何とか買い揃え、細々と生計を立てることができた。そのままデザイナー職になり、借金も返して今や平穏な独り暮らし、というわけだ。
さて、今日は何をしようか。仕事は休みだし、納期もかなり先で余裕がある。ゆっくりと自宅でゲームをするというのも悪くないが。いや、こんなに晴れているのに外出しないというのはもったいない。久々に「店」に顔を出しておこうかな。朝ごはんもちょうど食べ終わったし、準備でもするか。
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20区の対策局支部に派遣された一等捜査官、亜門鋼太郎は苛立ちを隠せない様子で通路を歩いていた。
先ほどまで捜査の状況を、20区の担当である局員とすり合わせを行っていたが、そのゆるみ切った考え、怠慢ぶりに呆れているのだ。
今回の捜査対象である喰種被疑者723番が、696番の喰種との関連性を認められた場合、723番を討滅、もしくは確保することができるのだが、723番が「石碑のようなもの」の前で確認されたという報告を聞き、唖然とした。それは明らかに墓じゃないのか。石碑の周辺を掘り起こして埋蔵品を確認すれば、関連性を認められる十分な証拠となるはずだ。それを倫理がどうのと…。
その程度の覚悟で悪鬼たる喰種を滅ぼすことなどできはしないだろう。これだから惰性で仕事をしている連中は、とあきれ返っていると、隣を歩いていた頬のこけた死神を連想させる男、上等捜査官である真戸呉諸が諫めるように声をかけてきた。
「…まあそう青筋を立てるな亜門くん。だからこそ我々がここに居るのだろう。君の心は熱く、義憤の炎に燃えている…その業火は火の粉をあたりに散らし飛び火せんばかりだ。君のその火は、正しき世界を求める者たちには必ず燃え広がっていくだろう。要は胸の内に“松明”を持っているかどうかだ。火を灯すためのね」
真戸さんは俺が二等捜査官になって初めてのパートナーである。当時は真戸さんの「クインケ」に対する執着に面食らったが、その捜査の手腕と勘のよさは上等捜査官の名に恥じない優れたものだとすぐに気づいた。
「私も“松明”をもっているつもりだ。君にはいい影響を受けているよ」
「真戸さん…」
「ときに亜門くん。この20区は比較的喰種による捕食がおとなしいと知っているかい?」
「もちろんです。とはいえ、“大食い”や“美食家”など油断の出来ない危険な喰種もいるという話ですが…」
この区に派遣されると決まった時、軽くこの区にいる危険度の高い喰種については調べておいた。
“大食い”は捕食件数が一般的な喰種に比べて多い危険度の高い喰種であり、“美食家”は捕食件数こそ多くないものの、こだわりが強く捕食対称の一部のみを捕食するなど、残酷な喰種であると考えられている。
「おや亜門くん、“ジェット”については知らないのかい?」
「“ジェット”?資料は軽く目を通しておいたはずですが…。すみません、覚えがありません」
「亜門くんが見落とすとは珍しい。推定Sレート喰種“ジェット”、おそらく20区で最も強力と考えられている喰種だよ」
そんな高レートの喰種が20区にいたか…?
そのような存在を見落としていたことに違和感を感じ詳しく話を聞く。
「いやね、彼は捕食件数が最も20区で少ない喰種でね。かといって弱いというわけでもなく、捜査官と交戦しても、捜査官を殺さないことで有名なのだよ。実力的にはSレートはあるといわれているが、そんな背景から捜査は消極的でね。本局でも資料が少なかったのはそういうわけさ」
捜査官を殺さない…?
聞けば聞くほど奇妙な喰種だ。たいていの喰種はレートが高いほど好戦的で捕食件数も大きい。そのような喰種は聞いたことのない。
「まあ、頭に入れておきたまえ。きっと役に立つ。これは“勘”だよ」
「…!わかりました。資料にも目を通しておきます」
真戸さんはこのまま今日は捜査を終えるようで、ゆっくりと通路を歩いて行った。