ストック・ストック   作:緑雨

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1話

 

 とある街の、普通な家に住む少女。両親も普通にいて、家族とも仲の良い普通の少女。今日は待ちに待った高校の入学式。この物語は、入学式は今か今かと心を躍らせる少女、紲星(きずな)あかりのお話

 

 時はもちろん春の朝、長い白髪を母親に編んでもらったあかりは、元気に挨拶をして家を出る。制服を着こなし、カバンを肩から下げ気分はルンルン。スキップでもするんじゃないか、という勢いのままに歩いて高校を目指してゆく。道を彩ってくれる桜はなくとも、彼女の心は高ぶっていた。街路樹のない住宅街の道だって、彼女にとっては綺麗な通学路だ。

 

 彼女は慣れ親しんだ街をゆき、駅に辿り着いた。何度も使ったことのある駅だけれど、なぜだか輝いて見えた。いつもは気にも留めないのに、階段の段数を数えてしまったり。昔から1段たりとも数は変わっていないのに、そんなこと数えなくともわかっているのに。やりきったという達成感が、彼女を包みこんでいた。

 

 電車に乗り込み、揺られること数十分。見知った世界を飛び出して、見ず知らずの世界に飛び込んだ彼女は、突然不安になってきた。前日の夜に地図を暗記したはずなのに、右か左かさえわからない。興奮と不安の谷間で揺られる彼女の元に、見知った顔がやってくる。間違い探しで最後の一つを見つけた時のように、彼女の瞳はその女性を捉えて動かなかった。嬉しい、そう思った。

 

「お久しぶりです!」

 

 そう言って彼女は、女性の手を握りしめた。たった一年、離れていただけなのだが、彼女にとっては十年と別れていた感覚だった。それだけ、彼女にとってこの女性は大切な存在だった。

 

「久し振り、元気してた?」

 

 そう返した女性の名は、琴葉(ことのは)(あおい)。一歳年上の彼女とは、幼稚園に入る前からの知り合いで、すぐそばの家で育った、まさに幼馴染。小学校も中学校も、そして高校も同じ。二人はずっと一緒だった。葵が高校に入り、生まれ育った街を出ていくまでは。

 

 高校までは、実家からでもなんとか通える距離だ。しかし、葵は実家を出ていった。あかりはそれがずっと不思議だったが、少しだけ納得した。駅から外に出ただけでわかった、大きな良い街だと。高くそびえ立ったビルには、カラオケからレストランまで揃い踏み。ボウリング場の看板や、大きなゲームセンターだって見える。都会の暮らしに対する憧れは、あかりにもあった。

 

「葵さん、高校まで案内してもらえませんか?」

「いいよ、でもその前に私の家に行こう。ちょうど中間点にあるから、お茶でもどう?」

「わかりました、まだ時間はありますもんね」

「そうだよ、時間はまだまだある。私の家に来たことってなかったよね?」

「はい、実家しかありません。どんな家なんですか?」

(のろ)いの家だよ」

「ひぇっ… 冗談ですよね?」

本当(ほんと)だよ、桁違いに安かったんだ。だって学生の私が買えたんだよ? 普通の家は高すぎて買えないよ」

 

 たしかに、とあかりは思った。しかしこうも思った、怖くはないのか、と。あかりは呪いを信じているわけではない、しかし恐ろしいとは思う。呪いの家と言われるような家は、過去に事件が起きた事故物件ばかり。少しばかし、あかりは葵が心配になった。

 

 そんな心配とは裏腹に、葵は呪いの家を嬉々として買っていた。都会で、高校に近い家を他の家より2桁は安い金額で買えたのだ。呪いがあろうとなかろうと、葵にとってはどうだってよかったのかもしれない。真相は葵しか知らないところではあるが、少なくとも表向きの理由はそうだろう。

 

 二人はこれからの話に花を咲かせながら歩いていった。高校が楽しみで仕方ないあかりは、矢継ぎ早に質問を重ねていった。どんな先生がいるのか、どんな部活があるのか、果てには自分の教室と葵の教室は近いのか、なんてことも聞いてみた。知らないよ、と葵が返すのに一秒とかからなかった。

 

 話の途中、葵は唐突に立ち止まった。あかりも続いて立ち止まる。なんだろうと左右を見回したあかりは、違ってくれと願うようになった。壁の一部が黒ずみ、窓が段ボールで塞がれた家を見つけたのだ。葵は軽々と、あかりの聞きたくなかった言葉を口に出した。

 

「これが私の家。いい家でしょ?」

「良くないですよ! なんですかこの家…」

「私の家、呪いの家だからね」

「呪いの家って、そういう伝承があるとかじゃないんですか… 物理的に呪われてるじゃないですか、この家」

「火事でもあったんじゃない? 窓なかったし」

「窓がない家に住んでるんですか!?」

「窓枠はあるよ、段ボール()め込んでる」

「セキュリティーとか、終わってるじゃないですか…」

 

 あかりは葵のことが、言葉で言い表せないほど心配になった。崖や森で暮らす人はその道のプロだから安全に暮らせるだけで、葵は決してボロ家に住むプロじゃない。それも人通りのある街中、忍び込もうと思えば誰だって来られる。いくら安くとも、買ってほしくないし住んでほしくなかったとあかりは心底思った。

 

 葵は家の扉を軽く開け、中に入っていく。その姿を見て、あかりはますます心配になった。鍵を開ける素振りさえなかったのだ。鍵を閉めずに外出していたという事実が、あかりには信じられなかった。葵にはセキュリティー意識が欠片もないのだろうかと、あかりは思った。

 

 あかりは葵に続いて家に入ったが、外観と同じように内観も酷いものだった。玄関は床が黒ずんで、廊下に置かれた鏡はヒビが入っていた。突き当りの左に見えたリビングは、陽の光が入らず真っ暗闇。剥がれ落ちた壁紙に、傾いた机と足の開いた椅子。照明がつくと、あかりは思わず息を呑んでしまう。

 

 壁際の天井には穴の空いた箇所も見られ、同じように床板も何箇所か外れていた。あかりの中で、葵を心配する気持ちは変化していった。それはある種の尊敬、この環境で一年暮らし、適応してしまった葵に対してその想いを抱かずにはいられなかった。

 

「凄いですね、葵さん。私だったら嫌になって実家に帰っちゃったかもしれません」

「ここは生活空間じゃないからね。流石の私でも、暮らす場所は綺麗にしてるよ」

「そうなんですね…」

 

 葵は部屋の隅に置かれた冷蔵庫を掴み、横に動かした。何をしているのだろう、そう思ったあかりは近づいて、そして気が付く。先程まで冷蔵庫があったその場所には、ポッカリと人が通れそうな幅の穴が空いていた。ご丁寧に梯子(はしご)までかけられている。何も言わず、葵は穴に入っていった。あかりも後を追った。

 

 穴の中は広い大部屋になっていた。壁は鉄板が貼り付けられたような無機質さを持ち、葵が作ったとは到底思えないほどしっかりとした地下室だった。テレビや炊飯器などの家電も完備され、ベッドも二つある。生活空間として完成された地下室に、あかりの心は惹かれていった。

 

「こんな部屋があるなんて、この家も元は凄いお家だったんですかね? 買うときに説明とかありました?」

「なかったよ、不動産の人もこの部屋のことは知らなかったんじゃないかな。マンションの一室よりも広い部屋があるのを知ってたら、安売りなんてできないと思う」

「そうなんですね… お得な買い物ができたんですね、葵さん」

「…まぁね」

 

 あかりはもう、この家をお粗末なボロ家だとは思っていなかった。廃墟の地下に広がる部屋で暮らす、なんてカッコいいんだろうか。あかりは中学を卒業したばかり、この家に対して憧れを抱くのはそう難しくなかった。初めは葵が心配だったが、今では羨ましいとさえ思っただろう。この家に住みたい、あかりの心はもう、止まらなかった。

 

 あかりがそんな感情を抱くことを、葵は家に招く前から理解していた。だからこそ、ベッドが二つ置かれていたのだ。一人暮らしで二つのベッドを使うほど、葵の体は大きくなければ分裂もしない。二人は、問いと答えを同時に口に出した。

 

「私も住んでみたいです!」

「あかりちゃんも一緒に住まない?」

 

 顔を見合わせ二人は笑う。葵は私の心でも読んでいたのか、あかりはそう思っただろう。逆に葵は、やっぱりなと思い笑った。地下室の壁に、二人の声は吸い込まれて消えていく。静かになった部屋で、葵は突然にあかりの手を掴んだ。

 

「またよろしく、ずっと一緒だね」

「ですね。よろしくお願いします」

 

 二人はお茶を一杯だけ飲んで地下室を出る。あかりが先に梯子を登り、その真下につくように葵も続く。登りきってから、あかりは一つだけ葵に(たず)ねた。

 

「見てないですよね?」

「白、って話?」

「見ないでくださいよ! 次からはちょっと待ってから登ってくださいね」

「わかった、気をつけるよ」

 

 恥じらうように飛び跳ねながらあかりは家を出ていく。冷蔵庫で穴を塞いで、葵も後を追いかけた。晴天の空の元、二人の少女は高校へと歩を進める。あかりの心は、空のように晴れやかだろう。雲一つ、そこにはなかった。

 

 

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