名前のない英雄   作:宮下愚弟

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第9話-① 灼けた羅勒草〈上〉

 遠ざかる背をディルクスは目で追わなかった。ただ敵対するヴァルガだけを凝視する。

 ポツリと、禿頭(とくとう)のてっぺんに水滴が落ちるのを感じた。

 

「雨、か……」

 

 今でも雨に濡れると思い出す。

 彼女を助けた日のことを。

 自分が罪を犯した日のことを──……

 

 

 * * *

 

 

 嵐の礼拝堂に、稲光(いなびかり)を背負いながら男が入ってくる。その足取りはおぼつかない。

 

「あぁ、アンベル……(みだ)らな我が娘よ……やはり、やはりここにいたか、その男のもとに向かうと……知っていたぞ……」

 

 うわ言のように彼女の名を呼ぶアンベルの父がいた。頭髪と衣服は風雨で乱れ、雫が滴っている。一歩、また一歩と進むたび、領主であるはずの彼の威厳は水滴とともに地に落ちていく。

 

「ひっ……」

 

 その姿にアンベルは吸い込むような悲鳴をあげる。

 彼の足取りは不確かで、それは頭からべっとりと流れる血が関係していることは明白だった。死んではいないが重体であることは疑いようもない。

 

 ディルクスは真っ先に思う。

 アンベルは父を殺してはいなかった。ならば、いくらか罪は──……

 軽い。

 ホッと胸をなでおろす。

 

 そしてすぐ、ゾッとした。いま自分は何を考えた? なんと(いや)しい思考だろう。罪は罪だ。軽いなら取るに足らない……などということはない。

 だというのに、自分は安堵(あんど)してしまった。

 

 己の信仰心が揺らぐのを感じて息が荒くなる。

 そんなディルクスの動揺には気付かないまま、アンベルの父は近づいてくる。

 

「僧侶……貴様、私の娘を……(たぶら)かしおって……」

「領主様、誤解です。神に誓ってそのようなことは」

「黙れ! うっ…………ハァ、ハァ……黙れ……貴様が……来てからというもの……妻が死んだあの日から、なにもかも上手くいかない!」

 

 片足を引きずって彼は歩く。

 ディルクスはアンベルに下がるように目配せし、自身も一歩退いた。燭台(しょくだい)を握る手が緊張でこわばっているのを、金属の冷たい感触が教えてくれる。

 

「娘は私の手を離れ……嫁入りを断って、民と(たわむ)れてばかりで……それで、会いに行くのが貴様なのだ! いつもいつも羅勒草(らろくそう)の匂いを纏わせて帰ってくるアンベルの……ハァ、ハァ……その幸せそうな目!」

 

 領主は懐から小刀を取り出す。

 雷光(らいこう)が刀身を照らし、彼の殺意を暴き立てる。

 

「アンベル、お前が私のものにならないのであれば殺してやる──お前の母のようにな!」

「……え?」

 

 ディルクスの背後で、アンベルは崩れ落ちるように膝をつく。

 

「……お母様を、お父様が、殺し……? だって、お母様は、賊に殺されたと……」

「そこいらの賊が領主たる私の屋敷に侵入できると思うのか? 私の指示もなしに」

「うそ……そんな、お父様……ああ、嘘だと言ってください……」

 

 アンベルは父の言葉を受け入れられなかった。

 だが。

 

「すべて真実だ、娘よ」

 

 現実は非情で。

 

「妻は……あの女は、いずれ私の首を掻いただろう。であれば、こうするのが正しかったのだ……だから、私のものにならないなら、お前も、今ここで……」

「っ……! お母様がどんな気持ちでお父様を支えていたかっ……! それを、それをっ……!」

 

 アンベルは悔しさに言葉を失う。代わりに、きつい眼差しで父親を睨みつける。涙をこぼしながらも、目は逸らさずに。

 そんな彼女へ、父親は刃を向ける。

 

「その目をやめろ! その強い輝きが私の心に恐怖を生む! その恐怖が私を駆りたてるのだ! 私は悪くない! お前がいけないんだぞアンベル! 私を……私をおびやかすな!」

 

 ディルクスは目の前の領主が、話に聞いていた通りの臆病者であることを身をもって感じていた。自らの妻や娘にすら命を狙われるのではないかと猜疑心を膨らませ、ありもしない妄想に憑りつかれて。

 

「アンベル、お前は……やることも、顔つきも、日に日にあいつに似てきた……愛する妻に似て……美しく、私を恐怖させるほどに、民に慕われて。……いつか私を殺して民を奪い去り、領地を(おさ)めようという腹積もりだろう! そうなのだろう!」

「お父様、ですから、そんなことは少しも……」

「黙れ! 私が正しいのだ! アンベル! お前は……ハァ……ハァ……いつか私を殺す前に、しつけなければならぬ……どちらが主で、どちらが下僕(げぼく)であるかを……お前の母にしてやったように……! お前は私のものなのだ!」

 

 ディルクスはそこで全てを理解した。

 ギラギラと瞳孔を開いて興奮した彼の目を見て、アンベルの破れた衣服を見て。

 嵐の夜に起きた全てを悟る。

 

 全身の血液が突沸(とっぷつ)する感覚がディルクスの身を熱する。

 つまり領主は。この哀れな男は。

 

「襲ったのか。自分の娘を」

「私がこさえた娘だ! 私のものだ! 私の好きにして何が悪い!」

 

 叫びと共に白刃(はくじん)が振り上げられる。

 アンベルが頭を覆うように身を屈める。

 ディルクスの体は、考えるより先に動く。

 沸騰(ふっとう)した血流が(てのひら)を熱し、冷たい燭台(しょくだい)を熱く握り締めさせる。

 銀色の殺意は、おぼつかない足取りの領主の頭蓋(ずがい)へと振り下ろされ──……

 

 

 * * *

 

 

「──雨か、ちょうどいい」

 

 ディルクスは腰に提げた聖典を開く。降り始めた雨粒が点々と染みを作っていく。

 

「……申し訳ありません、アンベル様」

 

 私が身を捧げねば邪人とやらは止められない。

〈勇者の剣〉を、届けられない。

 人々のためにはこうするしかないのです。

 心の中で謝罪を終えると、ディルクスは呪文を唱える。

 

「天上の神よ。我が魂に刻まれし罪を、その清き(いかづち)(もっ)て裁きたまえ──〈神判(しんぱん)〉」

 

 ヴァルガが何事かと尋ねるのを待たずして、空から六対(ろくつい)の光の柱が降り注いでくる。

 一つ一つが王都の神殿を支える石柱のごとき太さ。大人が数人がかりでようやく抱えられるほどの巨大な光の柱だ。

 

 それが六対(ろくつい)──十二本。

 

 ディルクスとヴァルガを取り囲むように円を描いて地面に突き立った。

 辺りに生えていた木々は全て圧し潰され、周囲がまっさらになる。頭上の雨雲が見えるほどに視界が開けた。

 

「なっ……ンだこりゃァ!」

 

 ヴァルガが周囲をぐるりと見まわす。

 と、十二の柱から光の鎖が伸びてくる。数えきれないほど大量の魔法の鎖。そのうち半分が〈光壁〉を通過してヴァルガを捕らえ、もう半分がディルクスの体に巻きつく。

 

 二人の動きは封じられてしまった。

 ヴァルガがその剛腕(ごうわん)で引きちぎろうとするも、鎖はビクともしない。

 

「クソがッ! ンだよ、これッ!」

 

 ディルクスは焦るな焦るなと笑う。

 

「〈神判〉はこれからだ」

「はッ、光の柱でオレ様をズドンってわけカ?」

「いいや。これらの柱は〈神判〉が行われる神の法廷を構築するための礎のようなものさ」

「ホウテイ? イシズエ?」

「心配せずとも柱にも鎖にも攻撃性はないということだ。貴様の言うとおり、私は他者を攻撃するための魔法を持たな──……」

 

 そこでディルクスはひとり微笑む。ライラに教わった発火の魔法を思い出したのだ。

 あれだけは破戒僧となってからの人生で、他人との繋がりの中で覚えた、唯一、攻撃にも用いられる魔法だ。

 教えてくれたライラの不機嫌そうな顔や、火を囲む部隊の面々との日々を思い出して、つい、頬がゆるむ。

 

「……──まあ、持たないと言っていい」

「あァ? そんジャあ、なにをするつもりダ」

懺悔(ざんげ)を行う」

「ハ? ざん……げ……?」

「見えるか、あれが」

 

 ディルクスはすっかり開けた頭上を指差す。

 折り重なった木々よりもずっと天高く、空の奥の奥を埋め尽くすように広がる雨雲。分厚いその灰色を割るようにして、空間に十字の裂け目が生まれて、そこから現れたのは。

 

「……金槌(かなづち)、なのカ?」

 

 黄金に輝く巨大な槌と、それを握る”()()()”の手。

 

「神の雷槌(らいつい)と呼ばれている」

 

 実際に見るのは私も初めてだがね、とディルクスは黄金の槌を眺める。

 

「これはあまりの危険さゆえに、使用を禁じられた神の奇跡でな」

「ふン、だろウさ」

 

 ヴァルガは忌々しげに鼻を鳴らす。自らを縛る鎖を引っ張り、それから、頭上の雷槌(らいつい)を睨む。

 

「あの金槌で俺をぶん殴ろうってノか? やってみロ!」

 

 ディルクスは肩をすくめる。

 

「言っただろう、攻撃する魔法は持たないと。あの雷槌(らいつい)が裁くのは、()()

「あァ? そんなの………………そん……な……ン?」

 

 ヴァルガが首を傾げた。

 

「オマエに裁きを下す、って言ったカ?」

「そうだ」

「オレ様じゃなくてカ?」

「そうだ」

「じゃあどうしてオレ様も縛られてンだよ」

 

 ヴァルガは忌々しそうに鎖を引っ張る。

 

「〈神判〉を邪魔することは許されていないのさ。大人しく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ハ?」

 

 ヴァルガは目を点にさせてから、ディルクスの言葉の意味するところをゆっくりと理解して、それから噴き出した。

 

「ギッギッギ! オレ様じゃなくて()()()()()()()()()()だっテ? ギッギッギ! こいつァ、イカレてやがル!」

 

 ヴァルガが(あざけ)るように(てん)(つち)を見て、それからディルクスを指差し、また大声で(わら)う。だがディルクスは気にしたようすもなく。

 

「〈神判〉が禁術となったのは百年以上前でな」

 

 雨音と同じ律動(りつどう)でぽつりぽつりと語る。

 

「元は儀式として使われていたのさ、自らの潔白を示すためにね。敬虔(けいけん)な僧侶であれば罪など犯しているわけもなく……神の怒りは買わないというわけだ」

 

 破戒僧の自分が言うのもな、と自嘲して笑う。

 

「ともかく、事件は起きた。とある年の儀式で一人の聖人が〈神判〉を実行したんだがな、神殿一つが雷に打たれて灼け失せたそうだ」

「つまりなんだァ? そいつは悪人だったってワケか?」

「極悪だったさ。彼は多くの孤児を引き取り、育て──()()()()()

 

 ヒュウ、とヴァルガが口笛を吹く。上機嫌に邪人は尋ねる。

 

「オレ様は知ってるゼ。ニンゲンはニンゲンを食わねえンだろ? だから罪なんダ」

「ああ、残忍な食人鬼(しょくじんき)だ。二十余年(にじゅうよねん)に渡って五一人(ごじゅういちにん)もの子供を食べた。だが」

 

 冷たい雨が頭のてっぺんを打ち、こめかみを伝い、あごから足下へと落ちていく。せせらぎが雨粒を呑みこんだ。水面に映るディルクスの顔は、川の流れにぐにゃぐにゃと歪む。

 

「彼は自らが悪だという自覚がなかった」

「へェ?」

「子どもという(けが)れなき存在を自らの血肉とすることが、(けが)れなき魂を手に入れるための()()だと信じて疑わなかったそうだ。つまり、本人は至って敬虔(けいけん)な信徒のつもりだった」

 

 そんな教えは聖典のどこにも書いていないのだがな、とディルクスは呆れる。

 

「そして悲劇は起きた。自らを無罪と思い込む猟奇殺人鬼の()(おこな)った〈神判〉は、神殿を跡形もなく破壊して、儀式に集った多くの僧侶たちが殉職(じゅんしょく)し。そして〈神判〉は禁術(きんじゅつ)とされた」

 

 呪文や伝承は書庫の奥深くに封じられてしまったのだった。

 ディルクスが〈神判〉に関する記述を見つけたのは〈勇者の剣〉に関する文献を探す任を受け、王都の禁書庫へと立ち入ったときであり、それはただの偶然に過ぎない。本来は目にすることすら無かった。だが。

 

「はじめは(おのの)いたよ。恐ろしい()()もあったもんだと()まわしくも思った。だが、ふと(ひらめ)いた。神の裁きが下る奇跡ならば、破戒僧たる私が唱えるべきではないか、と」

 

 ヴァルガは頭上の雷槌(らいつい)をちらりと見る。

 それから異空間から生える”()()()”の手を。

 

「アー……っとォ……もしかしてやっぱり、オレ様、ヤベーのカ?」

「さぁな。私はかつて人を一人殺した。その罪がどれほどの重さなのかは──」

 

 ディルクスはなにかに気付いて微笑む。

 

「時間のようだな」

 

 頭上の雷槌(らいつい)がゆっくりと傾いてきている。振り下ろされはじめたのだ。質量を持たないはずの魔法の槌が、黒雲(こくうん)を裂きながらごうごうと音を立てて迫りくる。

 

「……神のご加護があらんことを」

 

 聖典を閉じる。信仰へと別れを告げるように。現世へと別れを告げるように。

 それから。

 さようなら、アンベル様。

 あなたの元には、もう────

 

 ディルクスの呟いた声は、頭上から降り注いだ雷に飲み込まれて消えた。

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