まぁ、要は私という人間は大人なわけで。
このキヴォトスという数えきれないほどの学園が寄り集まって構成されているある種の連邦国家じみたゆるい結合の中、私はたった一人の“先生”として仕事を日々こなしているわけだ。それ以外でキヴォトスのみんなが知っているのは、私がヘイローを持っていないということ、銃弾一発が生死に関わるということ、出身地がキヴォトスの外であること、の三つくらいだろう。
それ以外のことは知ってもらうつもりはないし、積極的に公表するようなものではない。事実、私が本来話すつもりではいなかったことを知っているのは、今私と向かい合うように列車に揺られているたった一人の女子生徒だけなのだ。
「アタシの……いいえ。私の、ミスでした」
私の目の前の座席に腰かける少女が、震える言葉を紡いだ。多くの者に向けて発せられる耳触りの良いソプラノボイスではなく、私を含めたごくわずかな人物しか聞いたことのない、少し粗野な、しかし落ち着いたアルトボイスで。
少女は、純白に近い制服と、淡い水色の髪の一部を乾いた血に汚していた。背後には落ちていく夕日。無性に物悲しく、空しい。物語の全てが終わってしまった後、エピローグ映像でも見ているような印象を私の脳に刻み込みつつ、少女は言葉を紡いでいく。
「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況」
とてもやりきれないといった様子で彼女はそこで言葉を区切った。私の脳裏にも強烈な事件のフラッシュバックのように、いくつかの断片的な記憶が鎌首をもたげる。うつむき気味な少女の脳裏にも、私の海馬の中で暴れるPTSDのような記憶と似た情景が浮かんでいるのだろう。
「結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて……今更図々しいですが、お願いします。先生」
少女は私のことを呼び、どこか儚げな、しかしそれでいて毅然とした視線でもって、私を真正面から見据えている。
「きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません。何も思い出せなくても、おそらくあなたは同じ
状況で、同じ選択をされるでしょうから」
「ですから……大事なのは経験ではなく、選択。貴方にしかできない選択の数々」
少女はそこで、一度言葉を区切った。それから何か昔のことを懐かしむような口調で、私にとっても懐かしい話題を提示してきた。
「責任を負う者について、話したことがありましたね。あの時の私には分かりませんでしたが……。今なら理解できます。大人としての、責任と義務。そして、その延長線上にあった、あなたの選択。それが意味する心延えも」
責任を負う者。それは、本当に私が語ってよいものだったのだろうか。私という人間が語るに落ちるものであったのだろうか。否、その答えは誰にも出せない。問うた私以上に“先生”という立場を理解している存在は、
「ですから、先生。私が信じられる大人である、あなたになら、この捻じれて歪んだ先の終着点とは、また別の結果を……そこへつながる選択肢は、きっと見つかるはずです」
それは、本当に目の前の少女の判断ミスが産み落としたものなのだろうか。その始まりがほんの小さなことだとしても。一匹の蝶の羽ばたきが竜巻を引き起こすほどの重大な気圧変化の要因になることがあると言う。これをバタフライ・エフェクトというらしいが、竜巻によってもたらされた被害を蝶に責任転嫁できるのだろうか。
「だから先生、どうか……」
そこから先の会話が滲み始めた。水性インクで描いた文章に水滴を垂らしたように記憶が滲み、意識も遠のき始める。不思議と聞いていたいのに。まって、まだ聞かせて……
「……い」
なんだ、今いいところだったのに……
「先生、起きてください」
まだ寝かせて、あと5分だけ……それだけでいいから……
「
「う……あれ、寝てた……?」
「そうですよ。全く……少々待っていてくださいと言いましたのに、お疲れだったみたいですね。なかなか起きないほど熟睡されるとは……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」
その夢から私の意識を引き上げたのは、夢で見た少女とよく似た白い制服を身にまとった少女だった。長く伸びた耳に青い瞳。髪も、もはや黒かと見まがうほどに濃い濃紺だった。彼女は私が眠りこけていたソファの前で呆れ顔を私に向けたまま、話を始めた。
「私は七神リン、学園都市「キヴォトス」の連邦生徒会所属の幹部です。そしてあなたはおそらく、私たちがここに呼び出した先生……のようですが」
「なんでそんなに不確かそうに私に言うのかな。」
おや……と小さく声を漏らしたリン。
「大人を呼び出すってことは、きっと何か生徒たちの手では解決しきれないような事態が起きているからなんだとは思う。それで私を呼んだんだろうけど、こう……手元にないけど絶対に欲しいものが、いきなり自分の手元に現れたみたいな反応だよね。私の事、あまり聞かされてないのかな?」
自分でも何でここにいるのかよくわかってないけどね、と付け加えると、彼女は感心した様子で私に目を向けた。
「……さすがの観察眼ですね。ええ、先ほど私が推測系で話したのは、私も先生がどのような経緯でここに来たのかを詳しく知らないのです」
それはなんとなく想像していた。彼女の、七神リンの態度から感じる困惑。それは扱いにくい何かの管理を任されたのと同じだ。突然現れた見ず知らずの大人が自身、ひいては自身の周囲の多くの人間が抱える問題の解決策になるかもしれないなんて、ちょっとした理不尽だろう。
それでも彼女は、おそらくこのキヴォトスの最高機関であろう連邦生徒会の一員として、私に真摯に対応してくれようとしている。とても、心の強い少女なのだろう。
「突然のことで、きっと混乱されていますよね。わかります。私自身、このような状況になってしまったことを遺憾に思っています。でも今はとりあえず、私についてきてください。どうしても、先生にやっていただかなくてはいけない事があります」
「私が、やらなくちゃいけない事?」
「ええ、そうです。大雑把な言葉選びにはなってしまいますが……学園都市の運命をかけた大事なこと、ということにしておきましょう」
そう言って、リンは奥の方にあるエレベーターの方へと向かう。ずっとソファに座りっぱなしだった私も、彼女に倣って腰を上げ、エレベーターの方へ向かった。
乗り込んだエレベーターはかなりの速度で上昇していく。地面と同じ目線だったのが、あっという間に鳥瞰視点へと切り替わっていく。不思議な浮遊感を楽しみつつ、ガラス張りになっているエレベーター越しに、これから自分が仕事をすることになる場所を見ておこうという気持ちになった。
「『キヴォトス』へようこそ、先生」
同時に、リンが私に歓迎の言葉を送ってくれた。私達がいる建物がある中央行政区ともいうべき区画は、幅の広い川で他の区画から分かたれていた。背の高いビルが幾棟も立ち聳え、蒼く澄み渡る快晴の今日でさえ、地平線の向こうさえ見えないほどの数の建物が立っている。
「キヴォトスは数千の学園が集まってできている巨大な学園都市です。これから先生が働くところでもあります。きっと先生がいらっしゃったところとは色々なことが違っていて、最初は慣れるまでに苦労するかもしれません……でも先生なら、それほど心配しなくてもいいでしょう」
「あの連邦生徒会長が、お選びになった方ですからね」
連邦生徒会長。そのワードが出てきた瞬間、夢の光景がフラッシュバックする。そのまま昏倒してしまいたいような衝動に駆られたが、こんな狭いエレベーターの中で急に昏倒されても困るだろうからと思って昏倒はしなかったが。
「詳しいことは後でゆっくり説明することにして……そろそろ着きます」
エレベーターのゲートが開くと、そこはよく整頓されている印象を受ける、生徒会のロビーらしき場所だった。受付のあたりに異なる制服を着た何人かの生徒が集まっていて、エレベーターから出てくる私とリンを視界に入れるや否や、そのうちの蒼い髪をしたスカートスタイルのスーツを着た少女が私たちに詰め寄ってきた。
「あぁっ、やっと見つけた! 代行! 見つけた、待ってたわよ! 連邦生徒会長を呼んできて!」
憤懣冷めやらぬといった様子でリンに食って掛かっていく少女の視界には私は収まっていなかったようで、今にも喉笛にかみつきそうな勢いでリンの制止も聞かずに言葉を弾丸のように発している。
「主席行政官、お待ちしておりました」
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が、今の状況について納得のいく回答を要求されています」
落ち着いた声でリンに声をかける生徒が二人。最初にリンのことを「主席行政官」と呼んだのは、黒いセーラー服に身を包み、腰のあたりから立派な黒い羽根を生やしている少女だった。もう一人の少女は亜麻色の髪をしていて、左腕に「風紀委員」と書かれた腕章をつけている。
「あぁ……面倒な人たちにつかまってしまいましたね」
どうにかスーツの少女を引き剥がしたリンが、聞こえよがしにそんなことを呟いた。
「こんにちは、各学園からわざわざここまで訪問してくださった生徒会、風紀委員、その他時間を持て余している皆さん。こんな暇そ……大事な方々がここを訪ねてきた理由は、よくわかっています」
「暇そうとは、委員会の仕事で来ている私たちにずいぶんなことを」「そこまでわかってるなら何とかしなさいよ! 連邦生徒会なんでしょ! 数千もの学園自治区が混乱に陥っているのよ! この前なんか、うちの学校の風力発電所がいきなりシャットダウンしたんだから!」
黒いセーラー服の少女の言葉をさえぎって、再びスーツの少女が少々ヒステリック気味に叫ぶ。それに続くようにして、他の少女たちも口々に不満や申し立てを述べ始めた。
「連邦矯正局で停学中の生徒たちについて、一部が脱出したという情報もありました」
「スケバンのような不良たちが登校中のうちの生徒を襲う頻度も、最近急激に高くなりました。治安の維持が難しくなっています」
「戦車やヘリコプターなど、出所の分からない武器の不法流通も2000%以上増加しました。これでは正常な学園生活に支障が生じてしまいます」
武器の不法流通が2000%上昇……? ちょっと待ってと言いたくなるじゃないか。ほら、私の隣にいるリンも呆れた顔をしている。私が来る前と、しかも少女たちの話しぶりからするとほんの数週間前と比べて20倍近くの武器が裏側で流通しているとなると、その爆発的な流通量増加それ自体より、今までそれを強烈に押さえつけ続けてきた抑止力の存在が気になってくる。
銃どころか戦車やヘリを当然のように学校単位で購入しているあたり、きっとここではそう言ったものを使う戦闘が日常茶飯事なのだ。一つ一つの学園が国家のように振る舞い、その生徒たちは国民にして兵である。私が来た場所とは、まるっきり異なる場所なのだ。
「こんな状況で連邦生徒会党は何をしているの? どうして何週間も姿を見せないの? 今すぐ会わせて!」
「……連邦生徒会長は今、席におりません」
「はぁ? 席にいないってどういうことよ」
「非常に端的に言うと、行方不明になりました」
「……え!?」