「あぁ……あ、そうか、先生か。ここにいるってことは……ひょっとしなくてもお名前は蘭 櫟?」
「うん、そうだよ。おはよう」
「そっかぁ……アタシのぬくぬくお昼寝タイムは大人の事情で遠くへ飛び去ってしまったのか……」
うん、失礼。というか妙にうまいこと言うなこの子。こんな中学一年生くらいの見た目をしておいて、(おそらく)長い間待っていた相手を出汁にして即興でジョークかましてくるとは、人は見た目で判断しちゃいけないんだね。お母さん、本当にこういうことを言いたかったんですか?
「ねぇ、君の名前を教えてくれる? ほら、私は名乗った、ていうか君が一方的に知っていたわけだけど」
「そっか、先生はアタシの事なんも聞いてないんだもんね。アタシはアロナ。この「シッテムの箱」に常駐しているシステム管理者にしてメインOS、そして役不足ながら先生の秘書でもあるよ」
「役不足の意味知ってる?」
「へ? 本人の力量に対して割り振られた仕事が軽いことを指す諺じゃないの?」
正しく理解した上で言ってるよこの子。怖い。
「でも、やっと会えたね先生。アタシはここで先生のことをずっと、ずーっと待っていたんだから」
「ぬくぬくお昼寝タイムを堪能してたんじゃないの?」
先ほど言われたことをそのまま返すと、アロナは見事に言葉に詰まった。
「まぁいいよ。ずっと私のことを待っていたんでしょ? これからよろしくね」
「う……わかった、よろしく。まだ体のバージョンが低いし、声帯周りはまだまだ調整しなきゃなんないけど、これから先、頑張って先生の事サポートするから」
気を取り直してそう言ったアロナに、私も笑ってよろしく、と返す。
「そうだ、形式的なものだけど、一応そういう決まりだし生体認証するね」
そういうとアロナは私のほうに歩いてきて、流れるように私の右手を取り、私の人差し指と自分の人差し指を合わせた。
「指切りして約束するみたいでしょ? こうやって指紋確認をして、生体情報を読み取るんだよ。正確には指同士は触れてないし、アタシの指から展開されてる指紋確認用のフィルムが間に挟まってるんだけど」
凄いでしょ、と胸を張るアロナは非常にかわいかった。身長差もあって近所の子供と遊んでいる様な感覚を覚える。
「どれどれ、指紋が採れたみたい……」
1秒もせずに指を離したアロナは、言っていた通り指先から透明な薄いフィルムのようなものをはがして外の明かりに透かして見ていた。
「え、肉眼で確認するの?」
「そうだよ、これくらいアタシにはできて当然なんだから」
意気揚々としてフィルムを光に透かすアロナだが、何やら雲行きが怪しい。色々と角度を変えて透かして見ているようだが、まったく終わる気がしない。
「見え……る、かな?」
「え、今なんて?」
「……はい! 確認終わり!」
ちょっと待て。
「え、今のでいいの? なんか明らかに妥協してなかった?」
「してない! してないです! 決して手抜きじゃないし、『あれ? なんかよく見えないな』とか思ってない!」
それは思いっきり考えていたことを口に出してしまっているのではないだろうか。さて、ここでこの子に最近の携帯可能な端末の性能事情をお話してみよう。
「実はねアロナ、最近の機械は自動で指紋認証してくれるんだよ。それに一秒もかからないんだ。あと指紋認証だけじゃなくて顔認証もできる端末もあるんだよ」
「え、え、えぇ?! そ、そんな最先端の機能アタシにはないよ……でも! そんな機能なくたってアロナは役に立てるもん! 目視でも十分確認できるもん!!」
「本当……?」
「全然信じてなさそうだよぉ……じゃあもうその最先端ナントカのところに行ったらいいじゃん!」
「ごめん、冗談だよ。反応がかわいいからつい言いすぎちゃったんだ」
そう言って彼女の頭に手を乗せると、アロナは涙目でこちらを若干睨みつけながら鼻を啜った。このままだと嫌われそうな気がしたからたくさん慰めることにしよう。
しばらく宥めすかしてようやく機嫌を直してくれたみたいだ。それからアロナに、リンから言われたことをほとんどそのまま伝えた。
「なるほど……先生の事情はだいたい分かった。連邦生徒会長が行方不明になって、そのせいでキヴォトスのサンクトゥムタワーを制御する手段がなくなったんだね」
「うん。アロナは連邦生徒会長のこと、なにか知ってる?」
アロナは首を横に振り、自分に知っていることはほとんどないと言った。しかし、やはりサンクトゥムタワーの制御権についてはアロナがどうにかできるらしい。
「それじゃあタワーへのアクセス権を回復するね、ちょっと待ってて……」
教室の外、おそらく状況的に私の体とリンがいる地下室から機械音が響き、若干暗かった廊下が明るくなった。外の状況を反映して環境が変化するのか……ということは、今ここにいる私は意識だけなのだろうか? 明らかにこの教室に入り込んでいる以上、体ごと入り込んだか、意識だけがここに入り込んだかの二択なわけだが。あとでリンに聞いてみるとしよう。
「サンクトゥムタワーのadmin権限を取得完了……先生、タワーの制御権を回収できた、今タワーはアタシの統制下にあるよ。つまり今キヴォトスは先生の支配下にあるも同然!」
「何もしないからね? よし、ありがとうアロナ。それじゃあタワーの制御権を連邦生徒会に移管して」
「大丈夫? 本当に生徒会に制御権渡しても……」
「いいよ、大丈夫だから」
何か引っかかることを言ったアロナを優しく抑え、連邦生徒会への制御権限の委譲を認めてもらった。
「……はい、分かりました」
教室の引き戸を開けて『シッテムの箱』から出ると、リンが電話の対応をしているところだった。
「先生、たった今サンクトゥムタワーの制御権の確保が確認できました。おかげでこれからは、連邦生徒会長がいたころと同じように行政管理を進められますね。キヴォトスの混乱を防いでくれたことに、連邦生徒会を代表して深く感謝いたします」
「いいんだよ、コレも私の初仕事ってわけだしね」
「ここを攻撃した不良たちと停学中のの生徒については、これから追跡して討伐いたしますので、ご心配なく」
そういうとリンは簡単に手荷物をまとめて移動準備を始めた。
「もう帰っちゃうの? お礼とか言いたかったんだけど」
「『シッテムの箱』を先生にお渡しできた以上、私の役目は終わりです。……いいえ、もう一つだけありました」
「?」
「ついてきてください。連邦捜査部「シャーレ」をご案内します」
そうして私はリンに案内され、地下から地上階に出た。サンクトゥムタワーが正常に動き始めたことで少し明るくなった部室はさっきにも増して明るい。
「ここがシャーレのメインロビーです。長い間空っぽでしたけど、ようやく主人を迎え入れることになりましたね」
ロビーの一角にあったドアの張り紙には「空室 近々始業開始」とあるが、リンはそれを剝がしてポケットに入れてしまった。その扉を開け、その中に入っていくリンに私も従う。
「ここがシャーレの部室です。ここで先生のお仕事を始めるといいでしょう」
「そうだね。でも、これから何をしたらいいのかな? 具体的な職務の内容がよくわからないんだけど」
「それもそうですね……」
リンは少しあごに手をやり、悩むような仕草をした。
「……シャーレは権限だけはあっても目標が特段無い組織なので、特別何かをやらなきゃいけない……という強制力は存在しません。キヴォトスのどんな学園にも自由に出入りでき、所属に関係なく、先生が希望する生徒たちを部員として加入させることも可能です」
改めて聞いてみるとなかなか強い権力を持っている組織だなぁ……それでいて特段の目標もないというのは少し不思議な感じがするものだ。しかしそれだけ強い権限と組織としての自由さを持っているということ。状況に応じて柔軟に対応できるのはこれから先のことを考えても都合がいいだろう。
「面白い話ですね。捜査部と名前はついていますが、連邦生徒会長もその名称については何も触れませんでした。ようは先生のしたいことをして良い、ということですね」
「そういうことなのかも。まあ、当の連邦生徒会長の真意は分からないけどね……」
「そうですね……それに現在我々は彼女を探すのに全力を尽くしているため、キヴォトスのあちこちの問題に対応できるほどの余力がありません」
それほど連邦生徒会長の存在は大きかったんだろう。いや、それにしても組織の麻痺具合がすさまじくないか? 連邦生徒会というからにはおそらくこのキヴォトスの中でも最高クラスの権力を持っているはずだし、その執行能力も相当高い筈じゃないか? それが連邦生徒会長という最高権力者であっても、たった一人いなくなってしまっただけで、その人を探すというだけで機能が麻痺するほどか?
「今も連邦生徒会に寄せられてくるあらゆる苦情……支援物資の要請、環境改善、落第生への特別授業、部の支援要請などなど……」
ちらっとリンがこちらを見る。おや、なんだか嫌な予感がするぞ?
「……もしかしたら、時間が有り余っている「シャーレ」なら、この面倒な苦情の数々を解決できるかもしれませんね?」
「えーっと、リンさん? その含みのある言い方はいったい……」
「ええ、先生のご想像通りです」
あまりにもニッコリしたリンの笑顔には暗い影が宿っているような気がした。
「そのあたりに関する書類は先生の机の上に置いてあります。気が向いたらお読みください。すべては、先生の自由ですので」
それは「拒否権はありません」と言っているのではないでしょうか? 聞けやしないけども。
「それではごゆっくり。必要な時にはまたご連絡いたします」
言うだけ言って、リンはまとめた荷物を持ってシャーレの建物から出て行ってしまった。
「……とりあえず、あとで読んでおくか」
書類はとにかく机の上に置いておくとして、建物の外に待たせていた皆の様子を見に戻ることにしよう。
建物の外に出ると、みんなはそれぞれ通信端末を使っていた。どうやらタワーの制御権を取り返したことを連絡してもらってたらしい。ユウカが最初に私に気付いて声をかけてきた。
「あ、お疲れさまでした先生。先生の活躍はキヴォトス全域に広がるでしょう。すぐにSNSで話題になってしまうかもしれませんね?」
「そうかもね。みんなもお疲れ様」
ハスミ、スズミ、チナツも私の方にきてねぎらいの言葉を述べてくれた。
「これでお別れですが、近いうちにぜひトリニティ総合学園に立ち寄ってください、先生」
「私も、風紀委員長に今日のことを報告しに戻ります。ゲヘナ学園にいらっしゃった時は、ぜひ訪ねてください」
「ミレニアムサイエンススクールに来てくだされば、またお会いできるかも? 先生、ではまた!」
各々が学園に戻っていくのを見届けてから、私もオフィスに戻ることにした。
「アハハ……なんだか慌ただしい感じになったねぇ……」
シャーレのオフィスに戻った私は再びシッテムの箱を起動させ、アロナと今回の顛末を話し合っていた。
「ある程度は落ち着いたみたいだけどね。お疲れ様」
「アロナもお疲れ様、タワーの制御権を取り戻してくれて助かったよ」
素直な感謝の気持ちを伝えると、アロナは嬉しそうにしてくれた。
「でも大変なのはここからじゃない? これから先生はキヴォトス中の生徒たちが直面している問題を解決することになるんだから。もちろん、アタシも一緒にだけど」
「そうだね。先生という立場である以上、キヴォトスにいる生徒たちの悩みはしっかり解決してあげなきゃ」
「うん。でも大変になるって言うのは事態が複雑だからって言うだけじゃないよ。見てくれが単純に見えても、実際には簡単な問題ではない。大事なことだよ」
「肝に銘じておく。何かあったら、遠慮なくアロナを頼らせてもらうからね」
「もちろん! それじゃあキヴォトスを、シャーレをよろしくね、先生」
「うん、よろしく」
「それじゃあこれから、連邦捜査部「シャーレ」として、最初の公式任務を始めよう!」
一方、同時刻。シャーレ部室付近の建物の屋上。
「……」
そこには、一人で屋上の縁にたたずむ狐面の少女がいた。
「ああ……これは困りましたね……フフ…フフフ」
「……ウフフフフフフ♡」
ここで、このキヴォトスの先生の設定を載せておきます
この世界のシャーレの先生。名前の読み方は蘭 櫟(あららぎ いちい)。
名前:蘭 櫟(あららぎ いちい)
年齢:26歳
性別:女性
身長:だいたいツクヨやハスミと目線が同じくらい
体形:全体的に体の線が細い、というか出っ張りがない
体重:軽い。あばらは出てないけどタッパ以外は貧層
髪型:ウルフカット(ボサボサともいう)
髪色:黒。ブルーブラックのメッシュを入れている(光の反射でたまにわかる程度)
瞳の色:紺色
性格:淡々と喋り、興味があったり好きなものを前にしても表情筋が仕事しない。それはそうとして明らかにソワソワするしすぐポチる。自分のことを「研究者気質」 「娯楽至上主義者」という
趣味:仕事や日常生活で気になったことを各学園の図書館やネットで片っ端から調べること・筋トレ・ボードゲーム全般
好物:棒付きキャンディー、ケーキ、肉類
苦手なもの:苦いもの(言い換えれば不味いもの)
嫌いなもの・こと:高いところ
悩み:初対面の生徒からよく「胡散臭そう」と言われること