日記:
著者:藩良
身分:仙舟羅浮の学士、長楽天第二の古国電子遊戯の指し手(自称)、筋肉痛の鬼
ひどい目にあった。もう二日は寝ていない。
まさか雲騎軍の鍛錬がこれほどまでに熾烈且つ困難だったとは。どうやら先生の私に対する立腹ぶりは相当なものだったようで、この生来の世間をなめ腐った根性を叩き直す為だけという名目で、あの人はかの高名な剣士を鍛練場に招き入れ、臨時の師父として私たち無学の学士を厳しく指導したのだ。ウソ、無学なのは私だけである。
それにしたって、まさか、まさかである。あの燕のような小さな身体と、
これが雲騎驍衛の実力。あなおそろしや、おそろしや。
さて。私を…ついでに私と肩を並べてくれた幾人もの勇気ある学士たちをこてんぱんに懲らしめた先生は、私たちに3日3晩続く疲労と筋肉痛を与えたことで少しばかり溜飲が下がったのだろう。4日間の自主休養期間を設けて、自分の今後の人生を考え直せと言ってくれた。そのおかげで、今はこうして自宅の一室に籠っているわけだが…。先生、すまん。これ幸いと遊び呆けてました。電盤で遊ぶ口実ができたと、内心とても喜んでました。自分の心に忠実に生きてきたせいで、自分を顧みるどころか、今ある人生を大いに楽しんでしまいました。筋肉痛による痛みは市販の痛み止めで軽減させて、この3日間、ずっと電盤にインストールしてあった電子遊戯を朝から晩まで遊び倒してました。人生を無為に過ごしたことを、あなた方のご厚意に甘んじて自省を機会を失ったことを、深く恥じております。
文明の勃興、短命の軽挙
星暦2610年、仙舟は星神に相見えた。其は、豊穣の薬師である。なんたる奇遇。なんたる奇跡。これが運命の導きか。
この広大なる宇宙で星神と意図して邂逅すること自体、不可能に等しい。これは古今に通じる宇宙の常識であり、人間、あるいは生物の意思が、星神を優越することはない。故に、これは意図しない奇跡であり、絶対不可避の一瞥であった。当然ながらこのような数千年に一度の慶事の際、誰がどこで何をしたのかという点には大いに興味を惹かれることであり、当時の邂逅の記録を調べようと考えたこともあった。…しかし、やはりというべきか、仙舟の一学生がアクセスできる情報データベースからは、薬師に関する情報が抹消されていた。其に関する余計な知識を蓄える事自体、魔陰の身に為るも同様だといわんばかりの情報統制である。私はこの壁にぶつかったことで、あっさりと調査の手を引っ込めることにした。なぜなら
故に、歴史上の事実として発生したその後の出来事に関する記録、そして歴史の行間から、当時の状況を推察するし、宇宙の一角で起こった豊熟たる社会の移ろいに想いを馳せることにする。
薬師が誕生させた建木は、仙舟羅浮の波月古海に根を下ろした。星暦2610年の段階で、その海には誰も住んでおらず、仙舟内でも有数の特定水産物飼育地域に指定されていた。勘違いする人もたまにいるのだが、持明族の生活拠点になるのはこの1000年後である。ここで敢えて、その海に住んでいた魚たち立場から考えてみるとしよう。普段通りに海を揺蕩い、揺れる波の中でのんびりと生活していたら、突然、仙舟の天蓋に張り巡らされた擬似天候展示システムまで届かんとする長大な樹が生えてきたのだ。当時の記録が摩滅されているかといっても、凡人…ではなく、
その後、羅浮では急速に建木を中心とした技術、文化の太華が咲き、以後400年にわたって仙舟全体の技術水準が大幅に向上され、数多くの社会革新が起きることとなる。歴史に名高い黄金時代。神降時代である。
星神拝謁に伴う30日間の狂喜乱舞の宴の後、仙舟人はやっと我に帰って建木がもたらした数々の奇蹟について研究を始めた。其の木の加護は、創造主の力に由来する豊穣の運命に関するものであった。
仙舟の人々はまず気付く。
…いいや、待て。私は今とんでもないことを当然のように書いている。
…事実、そうなのだ。仙舟の人々は事実に対する認識を少しずつ改めて、現実を再認識し始めて、再び狂喜に陥る。肉体の老化速度が落ちる、という点のみではこの事実は語りきれない。仙舟は出港以来、更に言えば古国にて惑星統一を遂げていた日より長生不滅を求めて、多くの旅路を経てきた。その体に、その魂に、その運命に、幾千年もの歳月をバトンパスしてきた数多の人々の執念が籠っている。そのような歴史を跨いだ大願がついに叶い、仙舟は出港以来の本懐を遂げた。夢に見た無尽形寿、長生不滅を手に入れたのである。彼らの視点、そして彼らの社会の内に生じた価値観から見て、それは魂の昇華に等しい。仙舟人は己が文明の掲げる理想の生命の頂に到達したのだ。いかなる知性と理性を持ち合わせた賢人といえども、文明を揺るがすような慶事を前にして、はたして平静でいられるだろうか? 答えは、歴史に刻まれた宴の日々が語っていた。そこにいる全ての人々が…いや、ただ一人の例外を除いたすべての仙舟人が、喜び、涙し、宇宙に広く伝播された一つの運命の道へと足を踏み入れてしまったのだ。すなわち、豊穣の運命である。
では、余談を語ろう。出航以来、仙舟の各舟内では舟がいついかなる時でも適切な人口管理ができるように、人口制限について厳格な規定が設けられていた。特に替えのきかない重要職についたり社会的影響力を盛隆させた一部の貴族、凡人の域を脱して運命の公人に至るがごとき非凡な才を示した兵士、専門職の者については、冷凍睡眠方法によって周期的に一定期間の睡眠を取り、肉体の老化速度に対する逓減措置を取っていた。この方法は仙舟が長生不滅の祝福を得てから徐々に姿を消すことになる。宇宙を飛翔する戦闘艇よりも非凡な者こそ舟内最大の財産とする制度であったが、一方で、時に政治的判断によってその趣旨を捻じ曲げた利用が為される。かの仙舟最強の義賊たる『帝弓』もまた定期的にこの措置によって肉体年齢が若いまま数百年近く生き永らえていた。しかし時期は定かではないか、どこかの覚醒のタイミングがちょうど黄金時代の只中だったのだろう。建木の恩恵によって狂乱歓喜の長寿の舞踊に憑りつかれる仙舟人を見ると激高し、「これでは闇雲に長生不滅の策を探っていた故国の皇帝と何も変わらない!」と言い放ち、建木に弓を引くという事件が起こしたのだ。当時の彼の心中を窺い知るのは難しいが、多くの逸話から察するに、彼は仙舟人としての、あるいは一人の人間・一つの魂としての独立性を強く重んじる人であった。それ故に、自分たちの運命は自分たちで決めるという思想を持っていて、他者・他神由来の恩恵によってそれらが動揺させられるなど、彼の誇り高い尊厳にとってみれば到底我慢のできない事態だったのだろう。皮肉にも、この時代に彼の真なる理解者はいなかった。おそらく彼こそがこの時代で唯一、豊穣の運命に公然と抗った仙舟の名士ではないだろうか。当時、重度の建木信仰すら抱いていた仙舟内の貴族たちは当然のごとく帝弓を罰しようとしたが、彼が成し遂げてきた数々の功績、誉ある事績を鑑みると、これを罰したら民衆が叛乱するやもと警戒し、帝弓に対して長期間の冷凍睡眠装置による睡眠令を下す。だがしかし、恐ろしきは人の業なるかな。次に帝弓が目覚めるのは、この時代より
話を戻そう。これほど冗長に語るまでに、仙舟と薬師との邂逅は重大であった。当時の仙舟人が狂喜乱舞したのにも納得がいくだろう。
さて、肉体の変化については分かった。
前口上はここまでにして、かの黄金時代に生まれた幾つかの発明を見てみよう。
『
その他の社会的な変化として、特に『
その他にも、当時の風習誌には社会慣習の大きな変化を示す用語が散見された…が、いちいちすべて話すとキリがないので、気になったものを用語と概要を羅列するだけにする。『法雨』:事故死など不慮の事故によって亡くなった人の葬式に大量の食品を持ち込み、死者の分まで長生すると誓うこと。『延寿』:建木に向かって祈祷を捧げて長生を祝福すること。『願印』:豊穣の祝福を研究する研蒔者に喝を入れて五日六晩つづく労働を強いらせること。もはや最後に至っては長生を頼りに破天荒な行動を取ってるようにしか思えないが、人は自然死しないのでやりたい放題であった。これらは実際に仙舟の風習として一定期間存在していたものである。
このような目覚ましく急速な変化により、仙舟社会は大きく変化した。長生を得た短命種の行進、革新には歯止めがない。豊穣の研究により食糧生産技術も大幅に改良されたことで邂逅以前の数十倍を上回る規模の食糧大量生産が可能となり、更に星槎の生産技術が確立されたことで物流網も強化され、遂には各舟の厳格な人口制限すらも撤廃された。こういった諸事の積み重ねが社会風土にポジティブな空気感を流していたことも一因なのだろう。星歴2610年を機に、仙舟では空前絶後の人口爆発が発生した。そして人の和は、文明の地力の強化に直結する。仙舟は宇宙文明として成立して以来の絶頂期となり、豊穣の星神への信仰の下、比類なき繁栄の道を進んでいく…かと思われた。
そう。物事の始終は、等しく流れる。月は万溢に至れば、陰り、沈みゆく。
繫栄の影には凋落の兆しあり。
仙舟の老化と倫理が埃かぶった書物と化し、社会から秩序が消え失せて、人々は下水に群れる鼠のごとく増殖した。この時代の盛隆の勢いの強さを観察していると、確かに一文明として羨望の念を抱くかもしれない。けれど、それが豊穣の加護によるものであれば、星神の影響を受けて成長したものだとするなら、知恵の富んだ者は警戒を強めるだろう。彼らは知っている。宇宙の事績に、星神は決して慈悲を与えないと。
仙舟は後に、己自身の落伍の歴史をもってその道理を思い知るのだ。仙道と謡う豊穣の運命は、彼らに想像を超える試練を与えることになる。すなわち、三劫時代。建木の凶悪な本質によって苦しめられた、千年にも及ぶ人々の長寿の悲嘆である。
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「ん……んん……嗚呼、肩がぁぁ……」
「……なんて声だ。地獄の鐘のようだ。按摩屋にいった老大でもそんな声は出さないぞ」
起鳳荘。私が通う学業施設に併設された宿舎の一角に、私と、我が悪友の二人で住まう部屋がある。どこにでもあるような装飾や設えに『映え』のない所だ。
こんな場所では、寝台に寝転がって駄弁る以上の贅沢がない。私の場合、最近始めた日記を書くことも趣味の一つに入ってくるが、それは一人しかいない時の楽しみだ。人との交流の方が興味をそそる。
私は隣の寝台に転がる『不条理なる教導の結果』を見やり、人生とは何なのか考えたくなってしまった。
「そっちこそなんてたいせいだ。なにそれ? なんで体の後ろで足が交差してるんだ?」
「先生に足技を決められて、股関節と両足の膝関節を外されたんだ。さすがに腹が立って抵抗してたら、いつの間にかこんな態勢になってしまった。…あいつ、この足をすぐに治療できるくせに、仙舟一の馬鹿を制御しなかったツケを払えとか言ってきてさ。休養中は放置するんだと。とんでもない師父だよ」
「…驍衛殿がドン引きしたんじゃない?」
「してたよ。でも人の指導の邪魔立てをしちゃならないって、目線を合わせてくれなかった」
「皆さん、これが仙舟です。治癒技術の水準が高いのを良い事に、雲騎兵の鍛錬はとんでもないことになってます。いいんですか、皆さん!? 皆さんが涙を流して送り出した息子さん、娘さんが、どこぞの数百歳のおっさんから過剰なまでに虐められてるんですよ! 良いわけありませんよね? これを許していいんですか!」
「なら、君が代わりに豊穣の民と殺し合いをしてくれるかい?」
「今のは私の意見じゃないから。港にいた衆生の民の誰かの意見だから。…というか、冗談はさておいて。暴力とパワハラで地衡司に訴えてみる? やりようはあるんじゃないかな?」
「今更だよ。『起鳳荘は気狂いの蜂巣』とか言われてもう何百年経ってるか。文官から門前払いを喰らうのがオチさ。それに我慢すれば明日には治してくれるんだ。もう痛みにも慣れたし、僕は待つよ」
「そっか。なら私も何も言わない」
それきり、私達の間に会話が途切れてしまう。何を話そうか考えるも、なぜか喉から先に出てこない。宇宙に流れる箒星の軌跡のように、光ったと思ったらすぐに消えてしまう。けれど、不快ではない。不思議な沈黙だった。
なんとなく窓から外を眺めている。もうすぐ星歴8100年の節目だ。豊穣の星神と邂逅してから凡そ
ふと、私は隣の寝台で寝転ぶ悪友を見やる。脱力し、弛緩した頬。筋の通った鼻骨のライン。何を言うでもなく天井を見上げて、私の蛮行を笑って受け流す紅玉の瞳。彼女がどんな思いで私のような人間と一緒にいるかは、もう知っている。だからそれを改めて尋ねる気はない。私たちあらゆる出来事を共有し、一つの苦難を互いに手を取り合って乗り越える関係であり、種族や思想の垣根を取り払った私達の間には隠し事はない。しかし、そういえば…彼女に一つだけ聞いていないことがあった。
「ねぇ。聞いていい?」
「…なんだい?」
「
「…僕に聞いて何になるんだ?」
「なんか知りたくなったんだ。この先、どんな人生を送りたいのかなって。私は人生に対して判然としない思いを抱えているけど、他の人はどうなのかな…って」
「…君らしくないな。君は他人の意見なんて聞かなくても、いつも傍若無人で、孤立独歩で、僕たちの関与なんかなくても自分で道を切り拓いていくような、強い意思のある変人だと思っていたよ」
「まぁ、そうだけど…。けど変人だって、たまには世間に振り返ってレスポンスを確認するときもあるってこと。人の目があるとはしゃぎたくなるのは私の性分だけど、たまには自分を見詰め直すのもアリなのかなって。…んで、夢ってある?」
蔡邑は何も言わず、しばらく天井の板目を見上げるだけであった。彼女の力のない表情から、なんとなくその心中の想いが想像できてしまい、私の心に一縷の後悔が生まれる。
しかし彼女は、私の小さな蟠りを上塗りして無かったことにするかのように、賢明な学者が阿呆にチョークを投げるような視線を寄越した。私はそれが、彼女なりの些細な意地の張り方だと知っている。
「先に言っておくけど、僕は雲騎兵にはならない。いくら起鳳荘が開荘以来、ずっと高名な武人を排出してきた施設だからといって、皆が皆、青丘兵のように戦いたいわけじゃない」
「うん」
「……僕は、学問を続けたい。それで、いつの日か銀河自由大学に行きたい。ドクター・レイシオ教授の講義も受けてみたい。僕の頭じゃ話を理解することも、大学に合格することも無理かもしれないけど。…ごめん、これ以上は思いつかない」
「……そっか」
大きく、静かに。蔡邑が息を吐いて、両手を横に投げ出す。ぶらぶらと揺れる手が寂しがっているように見えて、私も手を差し伸べてその掌を優しく握る。力を入れずに握り返してくる感触に、私の胸の中には仄かな温かみが生まれるのを感じた。
紅玉の瞳がこちらを向いた。知恵と理性を重んじ、仙舟の外を夢見る光彩。片方の目が斜めに傾く。夢想と諦観の波間に揺らされながら、自分の姿勢を維持しようとひたむきに生きる命の灯。
「君の番だよ。君にはある?」
「……私の夢は」
紅い光を見ながら、私は違なる情景へと思いを馳せていく。私を虜にしてやまない広大な世界。そこに住まう光。そこに巣食う影。光陰の合間で横臥する虚ろな歴史。その中に、彼女と同じように紅い瞳をした
ふと、私は脳裏の中に描いた存在に、彼女と同じ光彩を当てはめてみた。そして告げる。
「この目で、星神を見たい」
蔡邑:女性。仙舟人。藩良と同い年。羅浮の名士・蔡奉文の娘であり、近い将来、天舶司商団の鳴火商会に入会することが約束されている。本来なら起鳳荘に入る必要はなかったが、藩良との悪縁からそのまま入会。生来のアンニュイな気性から世間に対する独特の価値観を持っており、悪友と並んでルールを破りがち。天欠者であり、生まれつき外斜視であるため、商会に入ったら斜視である方の目を隠すよう父親から言われている。
藩良らの受けた鍛錬:雲騎驍衛の某天才少年剣士の立会のもと、完全武装金人数十体を敵役として動員したバトルロイヤル方式の鍛錬…という建前だったが、実際には鍛錬開始直後に金人が完全包囲網を敷いて一斉突撃。哀れ、才人といえどその包囲から逃れることはできず、その時点でほとんどの学士が壊滅。藩良と蔡邑のみがどうやってか難を逃れるも、前者は驍衛に、後者は先生によって打ちのめされた。
「これが……鍛錬?」
「然り! 起鳳荘の学士たるもの、真蟄虫の群れに単身突撃して生存できるようでなければ話にならず! 金人の攻囲すら破れぬようでは鍛錬が足りぬ! あと五回はしようぞ、彦卿殿!」
「……世の中、色んな鍛錬があるんだね…」