日記:三日目
著者:藩良
身分:仙舟羅浮の学士、長楽天第二の古国電子遊戯の指し手(自称)、三無将軍のプロマイドが欲しくてたまらない仙舟娘
突然だが、私はこの場を借りて…借りるもなにも私以外の誰にも見せてないのだから打ち明ける相手は私しかいないのだが…それでも示したい点が2点ある。
一つ、日記の表題である「~日目」という表現だが、あれは適当だ。実をいうと今日は、日記を書き始めた日から実際の日数で数えると
名高き雲騎驍衛を交えた訓練からどんなインスピレーションを得たのか、起鳳荘随一の武闘派であらせられる我らが鬼畜脳筋先生は、「修羅の経験を積まなければ豊穣の民との戦いには勝てん!」と、まるで仙舟朱明の炉に盛る火皇を思わせる熱弁を振るってくださると、二千年物のカビの生えた古典武侠胡蝶の鑑賞を強いらせて、「この作品に出てきた技を死ぬ気で学べ!」と、胡蝶の舞台でもあった羅浮下層部の陰傷層へと私達を墜落させてくれた。公的機関と連絡を取るためのデバイスも没収し、最低限の食糧すら持たせてくれない、片道切符のサバイバルトリップである。陰傷層とは、星槎界中心部から高度2000メートル下方にある旧貧民窟であり、現在の羅浮で最も治安の悪い場所のひとつだ。そこは三劫時代、貴族社会に対する叛乱勢力が潜伏していた場所でもあり、今でもその時代の混乱の爪痕として層全体に社会支配層に対する極めて反発の強い思想が蔓延しており、当時の規模には及ばないものの小規模かつ危険な犯罪者集団が潜伏している。間違っても私のような平和を尊ぶ一学生が行ってもいい場所ではない。詳細は省くが、私達学士一同は互いに協力して、腐肉に集るゴキブリか、廃棄船をバラそうと集る宇宙スカベンジャーのように寄ってくる犯罪者や変態者たちを千切っては投げながら、どうにかして星槎界へと復帰した。墜落から復帰まで、実に40日間に及ぶ本格的サバイバル生活であった。この日々からの回復や事後処理を片付けていたせいで、日記を取る時間的余裕が無かったのである。
二つ、蔡邑に対する隠し事を一つ作ってしまった。実は彼女、誰もいないところでこっそりとスターピース・ラジオを聴くのを趣味にしていたようだ。これは外の文明に関心を払う傾向ではない仙舟人からすれば、らしくない趣味である。私がこれに気付いたのは完全な偶然である。彼女が一日を通して離席するタイミングに一定の周期があり、それが最新ニュースを送るラジオ番組の放送開始時刻に合致していると、うっかり気づいてしまったのだ。私自身、宇宙一の歌手と名高い『ロビン』の新曲発表がスターピース・ラジオを通じてされるという宇宙ネットワーク上のリーク記事を見ていなければ、彼女と同じタイミングで同じラジオを聴き出すという珍事に遭遇しなかっただろう。あのとき、私が
彼女の夢を鑑みれば、彼女が仙舟の外に対して強い興味を抱いているのにも理解がいく。かといって家庭の事情があるので、厳格な父親や他人の耳目が届く場所で、仙舟に属さない趣味をひけらかすのは避けたい…その気持ちも分かる。
さて。色々と書いてしまったが、言いたいことを吐き出して気分がスッキリした。やはり思っていたことはある程度、外に表現してしまった方がストレスの解消になる。そのお蔭で、気分良く日記の続きを書いていけそうだ。
次なるトピックは、仙舟の歴史上、最も苦痛と悲哀、混乱と懊悩に満ちた時代。巡狩たる星神が建木を射倒して、宇宙に巡狩ありと示すまで続く、仙舟が自らの宿業と直面する時代である。今日、我々が今のような文化と価値観をまって生きているのは、この時代に経験した数多くの苦業を忘れていないからだ。ともすれば、私ですら、いつかその獄中へ堕ちるとも知れない。そう考えれば忘れたくも忘れられず、誰であっても自戒を胸に刻むだろう。
衆生の娯楽、蒼天の夢境、浸りて苦業は晴れず。仙舟で生まれたからには、どこへ行くとも、どこで死ぬとも、自らの血に充溢した宿業から逃れることはできない。それがかつて、星神より祝福を賜った種族が子孫代々継承する、運命の正道であるが故に。
豊穣の恩寵より始まった最初の100年。それは仙舟始まって以来の繁栄と平和の時代。人の和、人の生き方、すべてが変わり、文明が一つの運命の基で変革していった時代であった。
人の和とは、すなわち人口爆発。建木より授かった加護はあまねく人々を祝福し、長生を与えた。彼らは数年、数十年経っても朽ちることのない肉体に喜び、伴侶との間に多くの子孫を作っていく。この重大な変化が大艘八艘すべてにおいて進行し、仙舟内の人口は加速度的に増加した。食糧生産システムや、物流システムにも革新が起こり、宇宙を流離う山脈のごとく巨大な舟のどこに住もうとも飢餓に陥らず、社会的倫理や秩序を構成するあらゆる制限が水に浸した紙のように緩くなった状況が追い風になったのだろう。
三劫時代の最初期は仙舟で最も人口の多い時代であり、仙舟各舟を束ねたの人口は、過渡期で6000億人に達した。これは現在の総人口数と比較して、凡そ30倍である。如何に人々が繁栄の毒によって肥え太り、際限なく繁殖していたか如実に分かるだろう。
人の生き方とは、すなわち運命。孤舟時代を終えて、人々は長生の力たる根源にあるもの…すなわち《豊穣》を受け入れ、理解し、崇拝し、やがて信仰の対象としていた。いずれの運命によらなかった文明は初めて特定の運命の影響下に入り、建木に実った豊熟たる果実を数百年に渡って徒に齧り続ける。この時代、仙舟は外から見ても明らかな豊穣の派閥であり、それ以前のような無神論者ではなくなったといえよう。虚数エネルギーに満ちたこの宇宙において、そして星神の加護が当然のように存在する世界において、この変化は文明としての自立に等しい。
この100年間は、外敵も襲来せず、航路上にもさしたる障害に出くわすこともなかった。文明に大禍なく、ただ栄えるのみであり、まさに黄金の平和であったのだ。
不穏な兆しが見え始めたのは、凡そ120年ほど経った頃だ。
羅浮の地衡所が残した仲裁記録を遡っていくと、この辺りの時代を期に、天穣飯に関する仲裁件数が増えている。天穣飯とは、当時の羅浮内において貧困層向けに配られていた配給食制度だ。配られるのは獏巻き、蓮根餅など、腹持ちと保存が効くものが中心であった。
いくら舟内の食糧生産システムが改善されたとはいえ、史上類を見ない人口爆発に対応できる程ではない。各舟は食糧不足の傾向にある舟へと余剰分を融通したり、またスターピース・カンパニーによる信用ポイント経済圏を頼り、友好的な星系との間に食糧輸入取引を成立させるなど、舟内に飢餓が生じないよう対策を立てていた。天穣飯はそういった対策の一つであり、当時の地衡司が主体となって舟内の貧困層などの社会的弱者へ食糧を差配していた。さりとて、この制度も万能の処方箋ではない。その分配量や優先順を巡ってたびたび苦情が寄せられていたり、住民同士でトラブルが生じていた。
有名な事例では、『旗掛け事件』がある。あるとき、羅浮の星槎界にて天穣飯の配給の通達があったのだが、誰よりも早く食糧を受け取ろうと配給場所のすぐ近くで何日も前から陣取りを済ませた者(便宜上Aと呼ぶ)があり、それを誇示するために自作の旗を掲げるなどしていた。配給がまもなくとなった時、小用のためAはその場を離れたのだが、これを見た他の者(以降B)がその旗を奪い、欄干の外へと投げ捨てて旗が回収できなくなった。その後、Aが戻ってきた時には陣取り場所は人混みに紛れて消滅しており、憤慨したAは犯人探しを始めると、目撃者からの情報からBを突き止め、両者は配給そっちのけで殴る蹴るの喧嘩を始めてしまい、警備兵に取り押さえられた。この事件の仲裁における焦点に、配給優先順や会場場所の指定など行政の不手際や、羅浮内の貧困層への無理解などの社会的背景があったと言われている。
このような訴えは、平穏の盛りであった羅浮では一定の関心を集めて、賢明なる名士らが影響力を行使し、それから幾度となく関連する制度の改訂が行われたことで一時は安定した。しかしすぐに、そのような政策は一時凌ぎの対処療法でしかなくなる。徐々に一行政府では対応できないほど問題は深刻化していったのだ。
豊穣の恩寵より200年が経過すると、いよいよ一部の人々にとって無視できない問題が伸し掛かる。それも複数、かつ同時並行して。
最初の問題は、仙舟朱明から始まった。人口爆発に対応しきれず、舟内の居住スペースが不足し始めたのだ。
元来、朱明は仙舟一の公造設備を整えた舟であり、舟内の多くのスペースや洞天をそれらの設備に割いていた。その一方で他の仙舟同様に民間人、舟内に抱える職人や作業員数は右肩上がりであったため、すぐに洞天の増築や、既存設備のパッケージングによって問題に対処しようとした。しかし朱明では、仙舟各舟の生産要望に応えられるよう、一定以上の生産能力を確保する基幹運用計画が存在していた。すなわち仙舟人が増えるほど舟内の予備スペースや予備洞天が公造設備に割り振られていく仕組みであり、舟内の至るところで人で溢れ返るような状況など最初から想定していなかった。結果、役人が事態の深刻さに気づいた時には、『箱庭』の中では『箱』に収まりきらない人が鳥のような細い骨を肌に浮かせながら、長生のせいで簡単に死ねず、苦しみながら寝そべるような状況になっていった。
これに対する解決策として、朱明では居住スペースに余裕のある他舟への移籍や、洞天の根幹たる空間パッケージ技術の改良を進めたり、また民間では自ら星間交易商として仙舟に定住しない選択を取る者も出たそうだ。より規模の大きな選択では、仙舟の調査船団が近隣の無人惑星内を調査して、その地に一定水準以上の知的生命体が確認できない場合、希望する人々へ定住してもらう、という方針も推進されたらしい。これは一定程度評価できる対応策であり、他星系への移住は他の舟を巻き込んだ一時的なブームとなり、『探星築城』という旗印の下、この時期には累計で100億人前後の仙舟人が下船したとされている。とはいうものの、当時の総人口と比較したら100億という数字は微々たるものであるし、『住む場所に比べて人が多過ぎる』という問題の根本的解決には至っていない。あくまで民間人に下船を奨めただけで、彼らのその後の生活を保障する軍事的後援策は不十分であった。これらの影響もあり、彼らが降下した惑星のうちいくつかとは連絡が取れなくなって、後に豊穣の民に侵略され、その勢力圏内に組み込まれた星もあったそうだ。その星の中でどのような事が起きたかは、敢えて語るまい。
第二に挙げるべき問題として、舟内における貧富の格差が拡大した。
長生によって自然死が発生しなくなるということは、社会に参入した者がなかなか外れない事を指す。すなわち、社会構成要員の世代交代が行われなくなった。
社会状況が激変したとはいえ、仙舟を構築する社会制度自体は既存のものがそのまま運用されており、貴族が民草を支配するという社会の支配構造に変化はなかった。ピラミッドは一度築かれると、騒乱や天変地異が起きない限りは、人の手で崩すことは難しい。この悠久不変の社会の姿は同じであり、どの業界に行こうとも、その門扉を避けて入ることはできない。しかも、だ。外壁を登って見晴らしのよい場所を目指そうにも既に雲霞のごとき人々が道を塞いでおり、ピラミッドの中ですら重要な空間やそこに至る道も人混みで塞がれており、彼らがその場を退くまで百年以上は見積もる必要がある。それまでは、ピラミッドの最外縁でいつまでも待機するしかない。彗星が天を走り、同じ軌道を辿って、再び同じ天を駆けるまで。
仙舟は、世代交代というシステムを放棄したのだ。人が死なず、長生きするが故に。
こんな状態で、鼠算式に人口が増えたらどうなるか? 新たに生まれる人々が既に生誕している人と同じように成長し、いずれ同じ社会の構成員として生きる定めにあるとしたら、どうなるか? 人が増えていく一方であるのに対して、社会制度は変わらず、多くの蓄財を実現できる社会の上級職の数が限られていたら? 答えは明瞭だ。
仙舟社会では、至るところで社会階級の寡占が蔓延していた。また悲しいかな。いつの時代でも、給与が高くなるのはより多くのチャンスを我が物とした人であり、より多くの財産を独占した者である。この時代の財産家は、とかく強欲。一度手にした財産を理由なく放出することはなく、貧者へ喜捨する考えに至るほどの精神的高貴さも持ち合わせていなかった。必然的に、そのような者が社会階級の高位の寡占を進めれば、後から生誕した者、後から社会に参入した者は、出世栄達の機会獲得という点において圧倒的に不利であった。富者は存在し続ける限り富者であり、貧者は誕生する前から貧者である。これが、仙舟の新しい社会を拘束する定めとなっていた。
貧者の生活は、語るも惨めであったという。彼らが手にできた職は、体を酷使せざるを得ない肉体労働…仙舟内を毛細血管のごとく綿密に錯綜するライフラインの維持管理や、仙舟の外装部や施設の点検、市井の清掃など。一見、必要不可欠な職業ゆえに敬意を抱いてもいいとほ思うが、彼らが相手をするのは数百億、あるいは一千億人を生き永らえさせた長生の文明システムである。規模も深さも途方がなく、まさに作業に終わりがない。さりとて社会全体で物資が欠乏気味であったがゆえに経済的インフレーションが発生していた。全身が煤と埃で黒ずみになるまで働いても得られる資金はたかが知れていおり、それらを全額はたいてもこぶし大の獏巻き一つしか購入できないなど、ざらであった。…しかし腹が空いたままでは生きてはいけない。故に、明日も明後日も、その次の日も、次の百年も、人々の生み出す汚物や、船体を消耗させる経年劣化と向き合っていく。
ヒトは平等ではない。運命も、力も、知識も、体力も、体質も。
誰かが楽にできることは、他の誰かにとっての困難である。誰かの手に届くものは、他の誰かにとって手の届かないものである。社会の上下層の格差の是正が為されない、是正する速度が遅い、格差の開くスピードが速い…。当然ながら、このような強烈な力の流れについていけない人々は一定数現れる。彼らは監視や風紀の厳しい上層部を離れ、塵芥が溜まりがちだが制限の少ない下層部へと移り住み、同じ境遇の者同士で連帯しながら困難を乗り越えようとしていった。その胸の内に、自らを底辺へ貶めた社会支配層に対する激しい憎悪を抱きながら。
このような社会の分断が、仙舟各舟で発生していた。船底に集い塵芥と煤に塗れた彼らを、社会支配層の一部は『
社会の不均衡を正す力の一つは、強烈な人間の意思である。しかし仙舟にとっての強大な理性であった『帝弓』は、この時期、建木に弓を引いた事件の咎を責められ、過去の武勲に免じて冷凍睡眠措置を取らされていた。為政者は自らの襟を
後の世に生きる人間として、私は肝に銘じたい。快楽の海に沈むなかれ。長生は万能薬にして激毒。己の運命を弁えよ、と。
星暦3000年。仙舟羅浮において千年歴の慶事の爆竹が舟内に轟き、貴人は腐乱した宴に酔いしれ、すべての道に腐臭を放つ皮脂の塊が転がり、空虚な瞳が天を見上げていた。その時、天を咲かせていた花火の閃光に混じるように、貴人が乗っていた一艘の旅客用星槎がまるでタミ原虫の卵を噛み潰したように爆発した。はじめ、それは注目されず、大きな花火が打ち上がったと思い、地上の貴人席は喝采をあげた。しかし貴人の一人が徐々に周章狼狽し喚きだすのを見ると、やがて貴人席には動揺が広がる。彼らの心の弛みに伸し掛かるかのように、他の星槎も次々と爆発し、うち一隻が爆炎を上げながら市内に墜落すると、かつて視肉の軍団と交戦したとき以来の怒号と悲鳴が生まれ、混乱の渦となり四方へ伝播していった。
この星槎墜落事件が、後に二百年以上に渡って続く『褐夫の乱』の始まりであったと言われている。事実、この事件に関連するかのように、羅浮内の地下社会で違法な武器の流通が活発化していき、更には公的記録に残らない他の舟との物資や人のやり取りが増加していく。なぜ後世の人間がそれを知っているかというと、この時代は公的記録とは相対的に、民間での逸話や、口伝による伝承が多数残されており、その大半が地下社会由来のものだからだ。特に曜青の義賊文化に影響された義侠伝承は多く、上層部では大事とされなかった人としての尊厳や、世間を顧みず自分自身の在り方を激しく追求するものが大半であった。
話を戻そう。同事件は、長く平安の続いた仙舟にセンセーショナルな衝撃を与えた。すぐに厳しい情報統制が敷かれて凡人の好奇心の及ばぬところに封じられたが、口伝いに噂は広まる。それは上流階層に反駁する反社会勢力を活気づかせるのに十分なほどであった。
星暦3000年から3010年の間。正確な時期は不明だが、仙舟曜青にて、義賊『帝弓』を冷凍睡眠措置に封じた羅浮貴族に対する反対運動が燃焼した。曜青の英雄たる『帝弓』を即座に解放して故郷に帰還せしめよ、と怒れる民衆は数千万人にまで膨れあがり、一部の役人や軍属の人間すらも合流しながら、運動参加者が曜青の行政府庁を取り囲む事態となった。この運動の中心人物となっていたのが、若き日の『
一度、一線を越えた人は、次なる一線を越える事への躊躇いが薄れる。
その後、『帝弓』解放を旗印とした運動に端を発して、上流階層に堂々と反発してよいという風潮が地下社会に流布し、表社会に暮らす凡人層にまで浸透していく。この恩寵を利用するように、地下組織は勢力を拡大していく。物資の違法な横流しによって資金を獲得したり法的根拠のない何らかの賃貸料金を巻き上げるという『ヤクザ者』らしい手段を講じる一方、行政府が対応不十分となっていた福祉・生活支援の面で人々を支援して必要最低限の生活保障を与えるなど、『カタギ』の領分にも乗り出した。飢えと貧しさに困窮していた人々が浮かれて、熱を上げるのも無理からぬ話であった。
時が経過していくにつれて地下組織の構成員は増加し、勢力は増強され、僅か数十年ほどで仙舟の正規軍に勝るとも劣らない程度にまで拡大した。その中枢にいたのは、やはり袍哥であった。本拠地である曜青で活動しながら、自らの武勲…所詮はヤクザなので見栄を大分張っていたが…を喧伝した。彼のような堅忍不抜で、勇敢で、正々堂々とした益荒男は得難く、褐夫を導く新たな太陽であると謳いながら。このような歌は、成立時期の定かではない後世の語りが相混じったが故に、誇張が多い。当時の地下組織は、現在の巡海レンジャーのような無法者にしてならず者の集団であり、その実態は賞賛を浴びるに値しない。しかし上層部で財を誇り、権勢を見せびらかしていた貴族達に比べれば、ならず者の棟梁たる男は多少なりとも頼りになる、いくらかマシな統治者であったのだろう。
力を蓄えた地下組織は、いよいよもって、より過激な手段を選ぶようになっていく。鬱積した人々の不満を無視する上層部に天誅を与え、仙舟が誰にとっての母船なのか、財産の肉枕に横臥する貴族たちに分からせるために。
星歴3060年以降の仙舟は、激動の波の連続であった。貴族や軍に対する大規模な武装蜂起が立て続けに起こったのである。特に星歴3061年から3065年の5年間にかけては、事後の後処理も含めて、延べ100件以上の大小の叛乱が確認されている。このうち特に被害の大きかったものを挙げると、以下のようになる。
星歴3061年、3062年の玉殿蜂起。大規模な武装蜂起としては、玉殿が口火を切ることとなった。参加人数延べ数千人の褐夫と貧困者による群衆が、玉殿の主要交易街で略奪や焼き討ちを行い、数十万人の死者を出しながら鎮圧された。しかし乱事はこれに収まらず、翌年にはその復讐も込めて、前年よりも規模の大きな蜂起が起こる。その際は玉殿の各省庁へ一気呵成に群衆が殺到したために、正規軍が一部の省庁を見捨てざるを得ず、役人にも死者が出た。また玉殿内の研究機関も大きな被害を受けたために、乱の鎮圧後には施設の場所そのものを移転する必要があった。後に建造されたこの施設が、現在の玉殿最高の学府であり、仙舟全卜士の登竜門にして、玉殿首脳陣を護衛する特別警護旅団・弐零部隊の本拠地である、紫衡宮である。
星歴3062年、円僑の餓列。仙舟随一の人口を抱えていた円僑で起こったのは、食糧の緊急配給を求めた貧困層の叛乱であった。彼らはその手に鉄箸やら木片やら各々の武器を取り、哥老会と思われる煽動者の導きにより進行。参加者延べ50億人とも言われる群衆は三つの首に分かれて、舟内最大の収蔵施設を同時攻撃し、数の差で警備兵らを一蹴すると、まるで餌に集る蟻のように備蓄品を食い荒らした。この乱自体は10日程度で収まったそうだが、人的ならびに物質的被害は甚大で、大規模な混乱の中で数百万人が亡くなり、円僑は十年分の食糧備蓄を失ったという。それにより舟内ではますます貧困と物資窮乏に拍車がかかったとは、なんとも皮肉な結果であろうか。
星歴3063年、曜青の双乱。数ヶ月のうちに立て続けに怒った乱事は、数ある蜂起の中でも一際注目を浴びた。始めの乱で、曜青義賊の一派数十人が警備網を突破して豪宮に押し入り、当代随一の大商人と言われていた曜青貴族の一家を皆殺しにした。この数年内に起こった不穏なる乱の最中、貴族階級が直接襲撃され、しかも殺害されたのはこれが初めてであった。この乱の影響を受けて舟内の反社会勢力は一気に活気づき、後の乱では義憤に駆られた義賊や褐夫ら数百万人が団結して、衝動的に、曜青の各行政庁や貴族らの居住エリアを襲撃する叛乱が起こった。時として、このような無計画な攻撃は、綿密に構築された防衛体制に想定以上の被害を与える。叛乱の発生から攻撃に至るまでの迅速さに正規軍は対応が遅れてしまい、複数の庁舎が陥落し、貴族の居住エリアでは正規軍の某将校一族が十族皆殺しにされるなど、曜青始まって以来の惨事に見舞われ、恐慌した貴族らの報復により数え切れぬほどの虐殺めいた鎮圧行動もとられたという。しかし元々の人口数が多かっただけに、そのような惨事の知らせは大した動揺には繋がらず、曜青内部では事態の動静・エスカレーションをめぐって熾烈な軍事的・政治的な駆け引きが充溢し、政情が不安定な時期がそれから数十年ほど続いた。
これら数度の大規模な反乱が繰り返されていくにつれて、各仙舟の治安維持体制は堅固なものとなっていく。支配層たる貴族階級を守護し、上記に匹敵するような叛乱が起きないように人々への監視と予防措置が強化された。隣人に対する密告制度、捜査官への強力な業務執行権と民間に対する接収権の付与など。財産や名誉、命、家督、住居、職業の逸失を恐れない『六失』の者達に対する監視や締め付けは、徹底して行われたのだ。
それでも、数十億、数百億の民衆の怒りを鎮めるのに十分な政策であったとは言い難かったようで、叛乱の種の根絶は不可能であった。この後、仙舟ではかつての孤舟時代の最大の悲劇を思わせる、悲しき事件が立て続けに起きてしまう。
そして苦難の波濤はそれだけに終わらず。命と思考に覚醒した機械の神から始まる、有機物への問いかけと殲滅の指令。宇宙を震撼させた、反有機方程式。その難題を解決する派閥の一角として、仙舟も立ち向かわざるを得なくなる。
宇宙を生きる文明の苦難の旅は終わらず。
自らが心から拝頭し、拝謁すべき星神の姿は見当たらず。
仙舟人は、時代の苦難を通じてようやく悟り始めていた。豊穣は自分たちを救済する運命ではない。有限の命の尊厳を愚弄する、悪神であると。