吸血貴族の愛し人   作:SHノーマル

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 広大な敷地の中にある豪華な屋敷。

 そこでは俺とお嬢様、二人だけの秘密が存在する。

 

「さあ、あなたの血を飲ませて」

 

 お嬢様の命令に従い、俺は無言で、上着を脱ぎ、首筋を見せつける。

 

 肩には2つの痕。

 

 その痕を見たお嬢様は鋭い犬歯を突き立てる。

 寸分違わぬ位置に、いつものように。

 

 ———

 

 

 

 冷たい雪に触れると、お嬢様に初めて会った日を思い出させる。

 あれは貧民街で母を亡くしてから3年後、俺が12になってすぐの事。

 

 俺は貧民街で居場所を失っていた。

 別に珍しいことじゃない。

 貧民街ならではの血で血を洗う、いつも通り泥沼の権力争いだ。

 今回、俺のボスがある非正規品を流通させようとして殺され、俺自身も暗殺の対象になっていた。

 

 そのため何日も敵から隠れて逃げ続けた俺は、貧民街から少し離れた場所、大通りの端で疲れて座り込んでしまっていた。

 夜は終わり、空は白く染まり始めている。

 もうすぐ朝日が大通りを照らすだろう。

 

 この状況は非常にまずい。

 俺の体は生まれた時から変わった体質を持っていた。

 日の光を浴びると体が醜く腫れあがり、爛れて崩れるようになるのだ。

 

 母が生きていた頃に語った話だと、古い貴族の中に同じような病の者がいたらしい。

 

 陽の光が俺を照らす前に、貧民街の闇へ隠れたいと思うが、体が動かない。

 殴られた怪我のせいだろうか? それとも逃げるのに疲れ切ったせいだろうか。

 

 時間が経ち、陽の光がさして来るのに合わせて人々が眠りから目覚める。

 街の住民が俺に注目する前に移動しようともがくが、どうしても力が入らなかった。

 

 そこでふと人の目から逃げた後の事を考えてしまう。

 

 季節はこれから本格的に冬へと移る。

 住み場所を持たない俺がこのまま生活をするのは難しい。

 貧民街に戻るにしても、どこかに匿ってもらう形になる。

 だが誰かに下手な借りを作ると、そのまま貧民街で使いつぶされるだろう。

 もしくは、男娼として生きていく形になるかもしれない。

 

 仮に今しばらく生き抜いたとしても、ヤブ医者の奴は、病が治るかどうか分からないと言っていた。

 俺の病は特殊で、症状を抑えるにもかなり高級な薬が必要らしい。

 もっともヤブ医者の事だ。俺から金を巻き上げるための口実だろうが……。

 

 そう考えているうちに空が一層明るくなり、俺を焼くための準備が始まった。

 今はまだ軽く爛れる程度だが、さらに日差しが強くなれば俺の病は悪化し、やがて体は崩壊して死ぬだろう。

 仮に死ななくとも、兵士が俺を見つければ連れていく。

 貧民街の子供で、犯罪に手を染めない者はいないからな。

 

 ……ここで終わるのなら、それでもいいか。

 

 

 兵士たちのところから戻ってきた奴は少ない。

 逃げてきたやつも、拷問まがいの事をされたと武勇伝交じりに語っていた。

 光を浴びてボロボロになったこの体では、それにも耐えられないだろう。

 

 どうあがいたところで明るい未来はない。

 

 生きていても辛いだけならば、下手に足掻かなくてもいいか。

 願わくば、もっと穏やかな生活をしたかったが、それは叶わないだろう。

 

 なら、この日差しのもとでそのまま朽ちて──。

 

 

「あなた、私と同じね」

 

 閉じていた目を開けて、声のする方を見る。

 目を開いたその先では、歳の近い女の子が、俺を真っ直ぐに見つめていた。

 暑くもないのに、日傘を差しているのが気になるが、かなり綺麗な身なりだ。

 

「……?」

「ねえ、聞いてる?」

 

 彼女は首を傾げながら、こちらを見てくる。

 ……どうやら俺に声をかけていたらしい。

 

 彼女は上質な毛皮のコートを、ドレスの上から羽織っていた。

 寒さを凌ぐために、ボロ布を重ねた俺とは違う。

 

 女の子のすぐ後ろには馬車と従者……筋肉質で強そうな男が、鋭い目つきで俺を睨んでいる。

 おそらくこの女の子は、良いところのお嬢様で、従者は護衛も兼ねているのだろう。

 

「ねえ? 話は聞こえてる? ……もしかして耳が聞こえないのかしら?」

 

 少し心配するような透き通る声が響く。

 彼女のよく手入れされた金色の髪が綺麗だ。

 ……俺のくすんだ灰色の髪とは正反対だな。

 

 きっと良い人生を歩んできたのだろう。俺みたいな奴に話しかけるなんて不用心が過ぎる。

 こんな俺に声をかけてくれたお礼に、警告してやるか。

 

「……関わるな。騙して奪うぞ」

「良かった。聞こえてたのね」

「そっちこそ、話を聞いているのか?」

「本当に騙そうとしている人は、自分から騙すなんて言わないわ。それにそんな事はどうでもいいの」

 

 キツい目で睨んだつもりだったが、意に介した様子もなく、彼女は手を差し出してくる。

 この手はなんだ? ……何をしようというんだ? 

 

「貴方のその顔、光が当たってそうなっているんでしょう?」

「……そうだ」

「あなたの病気を治す方法があるの。来る?」

 

 その女の子が何を言っているのか理解できなかった。

 そんな胡散臭い話があるなんて、馬鹿馬鹿しい。

 

 俺はその手を払いのけようと手を伸ばして──。

 気がつけば無意識に、その手をとっていた。

 

「いい子ね。私が面倒を見てあげるから安心していいわ」

「反射的に手をつかんでしまっただけだ。これは違──」

「もう大丈夫よ」

 

 彼女は日の光でボロボロになった手をしっかりと握り、離す様子もない。

 俺の爛れた身体に、普通の人間なら嫌がり、触ろうともしないはずだが──。

 そんな彼女はにっこりと笑う。

 

「じゃあ貴方、今日から私のモノね」

 

 どういう意味だろうか。

 何かを企んでいるのか? 

 ……単純に奴隷として扱うということか? 

 いきなり謎の宣言をされて、困惑してしまう。

 

「私のモノ? なんだそれは? どんな意味が……」

「詳しくは館で話してあげるわ」

「お、おいっ、話を聞け!」

 

 彼女の意図を考えている間に、彼女は手を引っ張り馬車へと誘導していく。

 ……まあいいか。なにかマズそうなら逃げ出すだけだ。

 

「さあ馬車に乗って。えーと……貴方、名前は?」

 

 名前、か。

 子供の名前なんて、“おい”とか“お前”で呼ばれて、貧民街では滅多に呼ばれない。

 呼ばれるとしても、誰かが適当につけた蔑称だ。

 

 貧民街で呼ばれていた名前を名乗ってもいいが……、名乗れば貧民街の住人が、俺の事を嗅ぎつけて来るかもしれない。

 それに俺はあそこから追い出された身だ。

 居場所も失い、天涯孤独となった俺が名乗る名前なんてあるわけがない。

 

「俺の名前は……もう無い。好きに呼べばいい」

「……そう。じゃあ私が名前をつけてあげる。あなたの名前は……リアよ。分かった?」

 

 女の子みたいな名前だ。

 だが、どうでも良い。

 どうせ貴族のきまぐれで、しばらくすれば放り出されるだろう。

 

「……ああ、それでいい」

「そう。じゃあ次は私の名前ね。名前は……長いからエルザと呼べばいいわ。本名はあとから誰かに聞いてね」

 

 そう言ったあと、手を引かれながら馬車に乗せられる。

 馬車は来た道を引き返して大通りから離れ、貴族街へと戻っていく。

 

「それじゃあリア、あなたの事を教えてくれるかしら?」

「何が知りたい?」

「そうね、それじゃあ最初に……年齢は?」

「……12だ」

「うそ、私より1つ上なの? 体は私より少し小さいくらいなのに」

「うるさい」

 

 体が小さいのは栄養が足りていないからだ。

 貧民街では、栄養のあるものを食べている子供など、ほとんどいない。

 ある程度は飢えて死ぬ。

 

 少しキツい言葉を投げかけようかと思ったが、なんとか思いとどまった。

 目の前にいる裕福な女の子が、そんな事分かるはずもないからな。

 

「……ごめんなさい。もしかして私は私の知らない事で、貴方を傷つけてしまったのかしら?」

 

 ……表情に出ていたのか? 聡いな。

 

「お前は悪くない。ちょっとイラっとしただけだ」

「……ごめんなさい。私はあなたの事を知らないといけないわね」

「気にするな」

 

 コイツが俺のために、気を使って話しかけてくれたのはわかる。

 だから、俺がどうこう言うつもりはない。

 その内容がたまたま、ほんのちょっと気に入らなかっただけだ。

 

 そのあとは会話らしい会話もなく、馬車が進んでいく。

 しばらく乗っていると、ひときわ大きな館が見えてきた。

 どうやら馬車は、その館へと入っていくらしい。

 

 館では、帰ってきたお嬢様を見て……いや、俺を見てメイド達が驚きの表情を浮かべていた。

 

「お嬢様! どうされたのですか!? そのような小汚い子供など連れて?」

「奴隷として買ったのよ」

 

 いきなりの嘘だ。

 彼女はそっけなくそういうと、メイド達とは目を合わせようともしない。

 

 訝しんだメイド達は、今の話が本当かどうか、馬車を動かしていた従者に問いかける。

 だが従者はお嬢様の言うとおりです、と答えるだけだった。

 

 彼の懐には、お嬢様から貰った金貨が入っている。

 それが口を固くさせているのだろう。

 

 ……俺は奴隷か。

 だが呪術の類で契約したわけでもない、なんとかなるだろう。

 

「しかし何もそのような痣のある子供を……、病に侵された子供など、旦那様がなんというか……」

「どうせお父様は、ここには帰ってこないでしょう?」

「ですが本来は、もっと使い勝手の良い奴隷を……」

「この子はもう私のモノなの! 分かったら早く私の薬を持ってきて!」

 

 それぞれに口を開くメイド達の言葉を遮り、エルザは怒り気味に大声をあげる。

 それを聞いたメイドたちは、困ったように黙り込んでしまった。

 

「分かったようね。じゃあ薬を……あ、その前にこの子を綺麗にするのよ? 風呂を浴びせて、それが終わったら薬を持ってきて。この子に塗るから」

「しかし私共は……いえ、分かりました」

 

 エルザの怒り声1つで、おとなしくなったメイド達は、なにかいいたそうにしていたが、しぶしぶと指示に従って行動に移っていった。

 そして、メイドの一人が俺に話しかけてくる。

 

「それじゃあ、来なさい」

 

 メイドの声色はとても冷たい。

 この俺の醜い肌に関わるのが嫌だという気持ちを、抑えきれないのだろう。

 ……貧民街で見慣れた、冷たい視線だ。

 俺はメイドに連れられてエルザから離れ館の廊下を歩く。

 

「……俺は今から一体何をするんだ?」

「乱暴な言葉使いの子供ね。教育もできていない奴隷商から買うなんて、お嬢様も見る目がない事。それとも病に絆されて、情けでもかけたのかしら」

 

 俺が質問すると、メイドはいきなり睨みつけてきた。

 なぜそこまで敵意を向けられるのか分からない。

 

「いや俺は……」

「ああ、質問は後にして。お嬢様が何を考えているか分からないもの。貴方がこれからどう過ごすかはお嬢様次第よ。ただ一つ、貴方のような病を持つ人間が、他のメイドと必要以上に接触しないように」

 

 一方的にまくしたてられた後、会話はそこで打ち切られ、その後は話しかけても無視をされた。

 途中からは無言のままメイドの一人に連れられていく。

 

 着いたのは館の片隅にある小さな部屋だった。

 お湯が入った大きめの桶と乾いた布が置いてある。

 俺はそこで体を拭くように命令される。

 

「ここで身体を洗いなさい。なるべく他のところには触れず、服はそこの籠に入れるように」

 

 メイドはボロボロになった籠を指差す。

 廃棄する予定の籠じゃないだろうか。

 

 そこで別のメイドが少し大きめのローブ……いや、貫頭衣を持ってきた。

 

「貴方の服は汚れすぎて、この館にはふさわしくありません。別の服が仕上がるまで、これを着ていなさい。身体を拭いたら、速やかに出るように」

 

 どうも、子供の俺に合うサイズの服がなかったらしい。

 新しい服は後日届くと教えてくれた。

 今まで来ていた服は、処分されるようだ。

 思い入れも無いから別にいいが……。

 

 一通り説明を終えると、二人のメイドは部屋から出ていく。

 俺に配慮した……というよりは病で爛れた体を見たくなかったのだろう。

 

 俺はさっさと体を拭いて汚れを落とし、用意された服を着る。

 生地は厚手だが、二枚の布を紐で留めただけの簡易な品だ。

 俺は紐の長さを調整して、自分の体型に合わせるが、サイズが大きく膝下のところまで丈が伸びていた

 元々子供用のサイズじゃないんだろう。

 

 外に出るとメイドが待ち構えていた。

 彼女は脱いだ服を触らないようにしながら籠ごと回収していく。

 

「これでお嬢様の所に案内する準備が整いました」

 

 それからようやく、先程の屋敷へと戻された。

 通されたのは大きなベッドのある寝室だ。

 そこにはエルザが一人座っていた。

 俺の顔を見ると、退屈そうだったエルザの顔が一気に笑顔になる。

 

「来たのね。さあみんな、あとは私に任せて戻っていいわよ」

「しかし、この者が何かしら無礼を働きますと……」

「そんな事は心配しなくていいの。彼は私のモノだもの。でも気になるなら、そこでしばらく見ていても良いわよ。薬を塗るところを、ね」

「……いいえ。それでは失礼します」

 

 メイドは一礼をすると、部屋から出ていった。

 残ったのはエルザと俺の二人だけだ。

 

「さあ、まずは服を脱いで」

「……さっき風呂に入ったばかりだ」

「そういう事じゃないのよ。さあ早く!」

 

 彼女は他のメイド達と違い、なんでもない様に俺に話しかけてくる。

 

「お前は……。この病気が怖くないのか?」

「日に当たると悪化する、そういう病気なんでしょう? 私と同じだわ」

「それはそうだが……そうじゃなくてだな」

「もうっ! いいから脱ぎなさい!」

 

 エルザは俺の事を無視して服を剥ぎ取ろうとする。

 俺は抵抗したが、簡素な止め具と紐で各部を留めただけの服は簡単に解け、上半身を一部あらわににしてしまった。

 このお嬢様は、そんな事はお構いなしと言わんばかりに俺の体を見つめている。

 

「……やっぱり陽の光が強く当たったところは、肌がボロボロね」

「随分と乱暴だな」

「貴方の言葉遣いほどじゃあないわ。今回は私が薬を塗ってあげるわね。感謝してもいいのよ?」

「薬? なんの薬だ?」

「貴方の病気を治す……普通に近づけるための薬よ」

 

 彼女はそういうと、半透明のクリームを手につまみ、手のひらで広げる。

 これが薬なのだろう。

 柔らかい手が俺の爛れた手に触れ、薬を縫っていく。

 塗られた部分から痛みが薄れ、代わりにむず痒いような感覚へと変わっていく。

 

「痛みが……引いていく?」

「やっぱり効果があるわね。これは私達のような人に作られた薬なの」

「私……“達”?」

「そうよ。たまにね、私たちの一族は太陽の光に弱い人が生まれるの。あなたと同じね。昔々の事なんだけど、先祖に同じ病の人がいたらしくて──」

 

 エルザが語った内容をまとめると、彼女の家系にも、その奇病に悩まされている人がいた。

 この奇病を治すために治癒者を募った結果、ある錬金術士が薬を作ったという。

 それをエルザの先祖に当たる人が薬の製法ごと高値で買い取り、今に至るそうだ。

 

 市中ではこの病気を発症する人がごく稀なので薬も出回ってもいない、という話だった。

 

「へえ……」

「昔、この国には吸血鬼がいたそうよ。錬金術師の薬師様が言うには、私はその末裔なんだろうって」

 

 吸血鬼の話は耳にしたことがある。

 俺も吸血鬼の子供と呼ばれていた。

 この病にそういう由来があった事までは知らなかったが。

 

「もしかしたら貴方もそうじゃない? ほら、こんなふうに八重歯が尖っていないかしら?」

 

 エルザは、いーっと言いながら唇を人差し指で押しあげ、八重歯を見せつける。

 彼女の歯は、たしかに普通の人より、少し尖っている気がした。

 だが、それよりも八重歯を見せるための顔が少しおかしくて、俺もクスッと笑ってしまう。

 

「あら、やっぱりあるじゃない。鋭そうな八重歯が」

「……気にした事はなかったが、見えたのか?」

「ええ。ちょっと笑うだけで、尖った牙が見えるなんて珍しいわよ」

「そうかな……?」

 

 俺は自分の舌で八重歯を触りながら、過去を思い返す。

 たしかに昔、貧民街で指摘された事はある。

 

 だが貧民街には、薬品で顔が崩れた人間や、亜人との混血などという眉唾物の人間まで、幅広く個性的な顔の人間がたくさんいた。

 あそこに居た人々に比べれば自分の歯の形など誤差の範囲だろう。

 

「はい、背中まで一通り塗り終わったわ」

 

 くだらない事を考えている間に、彼女は薬を塗り終わったようだ。

 薬の効果はしっかりとあるらしく、ボロボロになっていた肌から、すでに痛みが引いている。

 

「じゃあ次は足ね。そのままだと薬が服につくから脱いでくれるかしら」

「は?」

 

 彼女は顔をこちらに近づけ、服を下半身から取り除こうとする。

 

「大丈夫よ。女の子同士でしょう? 恥ずかしがる事なんてないわ。病になっているところしか触らないから安心して」

「何……? もしかしてお前、勘違いしていないか? 」

「何を言ってるの? もしかしてまた言い訳をするつもり? ……えいっ!」

「お、おいっ!」

「……えっ?」

 

 エルザが不意を突き、俺の服を留めていた腰紐をおもいっきり引っ張る。

 すると紐はほどけて、俺の下半身を隠していた布は滑り落ちた。

 それを見たエルザが固まっている。

 

 俺は急いで服を取り戻し、紐を再び結びなおすが、少し遅かったようだ。

 自分には存在しないものを確認したんだろう。

 

「え、え? あっ──」

 

 エルザは微動だにしない。

 だがその顔はどんどん赤くなっていく。

 そして表情が大きく崩れ、悲鳴を上げそうになるも、慌ててエルザは自分で自分の口を塞いだ。

 お陰で声はほとんど漏れていない。

 

 互いに顔を真っ赤にしたまま、部屋を静寂が包みこむ。

 しばらくして、落ち着いたエルザが口を開いた。

 

「……良かったわ。部屋にメイド達がいなくて」

「あ、ああ。……誤解は解けたか?」

「ええ、あなたが……その……男の子……だって……」

 

 消え入るような小さな声で彼女はそう言った。

 その後、恥ずかしいのか真っ赤な顔を手で覆い、下を向いている。

 

「ああ、その通りだ。俺は──」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 

 俺が喋ろうとすると、今度は俺の口を塞いで喋れないようにする。

 そして、顔を近づけると囁くように耳元で声をかけてきた。

 

「いい? 扉のすぐ向こうにはメイドの誰かがいるわ」

「……分かるのか?」

「気配は感じ取れないけど、いつもの事だもの」

 

 もしエルザが悲鳴を上げていれば、メイドが飛び込んできたのか。

 ……マズい状況になっていたかもな。

 

「言っておくけど、貴方だけじゃないわ。私も同じよ。もしも私が粗相をすれば、お父様に報告がいくの」

 

 つまりここのメイド達は箱入りのお嬢様の監視役も兼ねている、という事か。

 

 このお嬢様、俺みたいな怪しい奴を部屋に連れ込んで、うっかり脅されたり金品を取られたり、なんて事は考えつかないらしいからな。

 ある意味当然かもしれない。

 

「わかった。俺はどうすればいい?」

「そうね……。まず今は少し声を押さえて。普通に話すくらいなら大丈夫だけど、大声をだすと聞こえるから」

「分かった。今はそれでいいとして、俺の性別はどうするつもりだ? メイド達に正直に教えても問題ないのか?」

「それは……ちょっと待って、今考えるわ」

 

 彼女が考え込んでいる間に、薬を塗った場所の確認をしてみる。

 僅かな時間でかなり良くなっており、このまま半日もすれば完全に腫れは引いてくれるだろうか。

 もう体は問題ないな。

 

 次に今の状況だ。

 女と間違えて連れてこられたのなら、俺は必要ない可能性もある。

 勘違いとはいえ薬を使ってくれた事には感謝しているし、そんな相手に不義理を働くつもりはない。

 

 なら、そのまま出ていくか。

 あまりにも素直すぎるこのお嬢様なら、問題なく外へ送りだしてくれるだろう。

 

 そう考えているうちに、このお嬢様は何やら決断をしたようだ。

 

「……決めたわ。先生に相談しましょう!」

「先……生? 誰だそいつは?」

「私の教育係で、私がいちばん信頼している人よ。先生なら、きっといい方法を考えついてくれるわ」

 

 細かい話を聞くと、彼女は昼に色々と淑女としての教育を受けているらしい。

 その教育はその先生と呼んでいる女性……婆さんにほぼ一任しているのだそうだ。

 

「先生はすごいのよ。魔法使いじゃないかって思うんだけど、先生は違うと言って譲らないの」

「魔法使い……? 王都にいるってのは聞いていたが……。そんなのが、ここにいるのか?」

 

 魔法使いというのは、何もないところから火や水を出したりする、奇跡を操る力の持ち主だと聞いている。

 

 呪術師などが契約につかう魔術と呼ばれるものは、魔法使いの力を解析し、ごく一部を再現することに成功したものという噂だ。

 

「私が一方的にそう思っているだけよ。本当のところは分からないわ。そんな事よりさっきの続きをするわよ」

「続き?」

「そう、薬を塗るのよ」

「俺の体に? さっきと同じようにか?」

「もちろん! 残りは……、あっ……! ううっ……」

 

 彼女は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 薬を塗る意味がどういう事か分かったようだ。

 彼女は顔を赤くして目を泳がせながら、小さな声で話しかけてくる。

 

「あのねリア、悪いんだけど……」

「分かってる。薬を貸してくれれば自分で塗る」

 

 俺は彼女から薬を受け取ると俺はクリーム状の薬を手に取り、足先から塗っていく。

 

「ちょっと! 少しずつ、薄ーく引き伸ばすの! 一度に使いすぎると私が怒られるんだから!」

「そうは言ってもな。これ以上薄くなんてどうやるんだ?」

「ああ! もう! やっぱり私がやるから貸しなさい! 後でメイド達から小言を言われるよりマシよ!」

 

 雑な俺のやり方が気に入らなかったようだ。

 俺を睨みつけながら薬を奪い取る。

 そしてお手本を見せるように薬を少し取り出し、手のひらの上で薄く引き伸ばした。

 

「先に言っておくけど、足首以外は塗らないわよ? 見本を見せるために足だけ塗るんだからね。いい? こうやって……」

 

 そういうと、彼女は手のひらで薄く伸ばした薬を俺の膝に塗りつけていく。

 なるほど。確かに俺のやり方じゃ使い過ぎだ。

 しかし──。

 

「これじゃどっちが奴隷か分からないな」

 

 俺は自嘲気味に笑って、そういった。

 

 奴隷は主人の所有物にすぎない。

 ヘマをやらかして殴られたりなんて、日常茶飯事だ。

 貧民街でも、どうにか奴隷の立場から逃げて来た奴がいた。

 呪術の影響か、患っていたの病気の影響か知らないが、すぐに死んでしまったのを今でも覚えている。

 

 このお嬢様が何か仕掛けてくるなら、俺はさっさと逃げようと考えていた。

 

 だが……ちょっと面白くなってきた。

 まさか、奴隷に甲斐甲斐しく薬を塗る貴族がいるなんてな。

 俺が笑うと、彼女は不思議そうにこちらを見つめてくる。

 

「何を言っているの? 貴方は奴隷なんかじゃないわ」

「は? どういう意味だ?」

「言ったでしょう? 貴方は私のモノ……。ふふっ、何その顔? なにかの芸?」

 

 彼女がクスクス笑っている所をみるに、俺はかなり変な顔をしているのだろう。

 

 だが彼女の真意を汲み取れず、それどころではなかった。

 俺は、奴隷の代わりとして、拾われたんじゃなかったのか? 

 そう尋ねようとするが、上手く取り繕った言葉が浮かばない。

 

 考えても答えはでないので、素直に直接聞くことにした。

 

「えっとだな。お嬢様、あんたは貴族だろ? 平民の……いや奴隷の代わりに俺を求めたんじゃないのか?」

「そんな訳ないじゃない。私にとっては平民だとか奴隷だとか、そんなことはどうでもいいの」

 

 俺の問いに彼女は首を横に振って否定する。

 そして俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。

 

「いい? 貴方は奴隷じゃないわ。貴方は私のモノ、所有物なの」

「それは……奴隷と同じじゃないのか?」

「違うわよ。奴隷みたいに粗末になんて扱わないわ。自分のモノを大事に扱うのは当然でしょう?」

 

 彼女はにっこり笑ってそう答えてくれる。

 このお嬢様が何を言いたいのか、真意を読み取る事ができない。

 だが……騙そうとしているわけでもなく、酷い扱いはしないと言っている事だけはわかった。

 

「……それで、俺に求めるのはなんだ? 俺を薬で人形のようにして、飾って愛でようってか?」

「ふふっ、なによそれ。面白いわ」

 

 エルザは冗談だと思ったのか面白そうにクスクスと笑う。

 貧民街でも悪名高い貴族が、そういう事をしていると聞いた事がある。

 そんな世界の事は、知らないらしいな。

 

「やってもらうのは、たいした事じゃないのよ。例えば私の身の回りの世話と雑用ね。私、知らない人に自分のモノを触られるのが嫌いなの。あとは──。

 気兼ねなく話せる私の話し相手、かしら?」

 

 エルザは他に掃除や清掃などの雑用を指折り数えつつ、最後に呟くようにそう言った。

 そして彼女の視線は、扉のほうへと向けられる。

 

 ……そうか。監視されている状況で監視されない人間が欲しいという気持ちもあるってわけか。

 よし、大体の事は分かった。

 だから最後に、重要な事を確認しないとな。

 

「貴族は呪術で契約を結ぶらしいな。お前もそれで俺を縛るのか?」

「そうしてほしいなら呪い師を呼ぶわ。……でもあんなもので縛っても、なんの意味もないでしょう?」

 

 意味ならある。

 その制約があるから、奴隷は奴隷としていられるんだ。

 その制約がなければ殺されてもおかしくない。もっとも、呪術のかかりが悪くて逃げ出せたという話もよく聞くが……普通は当たり前にやっておくものだ。

 

 やっぱりこのお嬢様はよく分からない。

 

「どういう意味だ? 俺を契約で縛らないだって?」

「だって貴方が嫌々やっても楽しくないじゃない。わたし、そばに嫌々やってる人がいるのは嫌なの」

 

 そんな理由で……? 

 このお嬢様はどうやら世間知らずも良いところらしい。

 飽きれた顔でこのお嬢様を見ていると、わずかに狼狽えだした。

 

「えっと、まだなにか不満かしら……? あ、もちろんご飯も出すし、少しくらいならお小遣いをあげるわ。私のお小遣いからちょっと分けるだけだけど──。その代わりにちゃんと私の命令は聞いてね? ……どう?」

 

 彼女はすこし不安げに、俺を見つめてくる。

 ……俺が断るかもしれないと、思っているんだろう。

 だが聞く限りは悪い話ではない。

 

 それに命の恩人だしな。

 ……この世間知らずのお嬢様が酷い目にあわないよう、俺も借りを返すさ。

 

「ああ分かった。俺にできる限りの事はやってやる」

「……そう! よかった!! それじゃ薬を塗っててね。私はちょっと先生のところに行ってくるわ」

 

 俺が頷くと、にっこりと笑顔になった彼女は部屋を出ていった。

 そしてエルザと入れ違いになるように、メイドの一人が入ってくる。

 俺を監視しているのだろう。

 

 必要な場所には薬を塗り終えた。

 ほどけた服も元通りに戻している。

 だが男であることがわかると面倒そうだ。

 

 あのお嬢様が婆さんと何を話してどんな対応をするかわからないし、今は隠しておいた方がよさそうだな。

 メイドともあまり会話をしないよう背を向けておくか。

 

「ところであなた」

 

 ……そう思っていた矢先にいきなり声をかけられた。

 

「貴方ですよ、えっと……お嬢様に買われた貴方」

「……ああ、何の用だ。聞こえている」

「聞いていたとおり口の悪い子供ですね。まあいいでしょう。あなたの名前と先ほどお嬢様と話していた内容を教えなさい」

 

 メイドは背筋をピンと伸ばし、高圧的に問い詰めてくる。

 普通の女の子なら萎縮してしまうかもしれない。

 だが、貧民街ではこのくらいの圧力なんて日常茶飯事だ。

 

「おれ……私の名前はリア。話していたのは……これからする、身の回りの世話についてだ」

「他には」

「それ以上は何もない」

「言葉づかいも、礼儀もわきまえていない子供だこと」

 

 しばらくの間、メイドは睨みつけるようにこちらを見ていたが、やがて諦めたように視線を外した。

 

 ……男だとバレるかと心配していたが、大丈夫だったようだ。

 前、貧民街で男娼を進められたのも俺が女に間違えられやすいからだろうか。

 

 半刻ほどでエルザが戻ってきた。

 それと入れ違いになるように、メイドがエルザに一礼をして去っていく。

 

「戻ったわ。薬は塗った? 痛みは大丈夫?」

「ああ、俺の方はすっかり良くなった。ありがとう」

「よかったわ。先生に話をしたらね、あなたと直接会って話をしたいんだって。ついてきて」

「お、おい、 いきなり……」

「大丈夫よ。私がついてるもの」

 

 彼女は俺の手をとり引っ張って行く。

 向かっていったのは外の庭だった。

 館から一歩先は日が差しており、俺は一瞬だけ体が強張ってしまう。

 

 その様子に気がついたのだろう。エルザは優しく手を握りなおし、こちらを見て微笑んだ。

 

「大丈夫よ。私がついてるから。あの薬を塗った直後なら、直接光を浴びなければ大丈夫よ」

 

 エルザは扉の前にいたメイドから日傘を受け取り傘を広げると、エルザの足下にやさしい影の空間が出来上がった。

 

「ほら、入って」

「……別の傘はないのか?」

「ないわ。日傘が必要な人なんて私と貴方くらいだもの。そして貴方は今日来たばかりでしょう?」

 

 早く入るように促す彼女につられて、俺は遠慮がちにその空間に入る。

 日傘は小さい。肩が露出しそうになる。

 

「ほら、そんなに距離を取ると太陽の光が体に触るわ。もっと詰めて」

 

 ……一つの傘に体を詰めたらコイツの体を太陽の下に押し出してしまいそうで怖いな。

 

 日傘からお人好しのお嬢様が、うっかり体をはみ出さないように気をつけながら、少し離れの建物へ移動する。

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