吸血貴族の愛し人   作:SHノーマル

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 この建物は豪華に着飾った館とは対象的に無機質な建造物だ。

 門からは遠く目立たないようになっているため普通は気が付かないだろう。

 

「あれは教育棟って言うの。まだ表に出せない使用人達を一人前にするための場所よ。先生方もあそこに住んでいるわ」

「住んで……? 何人くらい住んでいるんだ?」

「今、私についている先生は1人だけよ。昔は3~4人くらいいたのだけれど……。あとはメイド達向けの教育係が何人かいるらしいわ」

 

 変わった仕組みになっているな。

 

「貴族たちは皆こうなのか?」

「私はあまり余所に行った事がないからよくわからないの。ただここは少し特殊だと聞いたことがあるわ」

 

 エルザはそう語り、説明を続けてくれる。

 

「ここの館は使用人の教育を行っている事で有名なの。実践に近い形で動けるように、使っていない屋敷を一つ改装して使用人たちの教育を兼ねた館にしたんですって」

 

 練習施設のような場所ににエルザを住まわせているのか。

 なら仕えているのも半人前のメイドだろう。

 そこに貴族の娘を住まわせているのはよくわからないな。

 

 ……後日、先生から聞いたところによると、これは彼女の病を考慮したうえでの特別な措置らしい。

 つまりは病を患うエルザを社会から引き離すための隔離施設だったという事だ。

 

「さあ、着いたわ。ここから入って右側の部屋よ」

 

 エルザは教育棟の中へと入ると、差していた日傘をたたんで俺を案内してくれる。

 教育棟の中は一見すると質素だが、頑丈な作りになっていた。

 

「学びの時はいつもここに通っているのか?」

「違うわ。普段の授業は向こうから館に来てもらうの。でもお休みの時にお邪魔するのなら、こちらから伺うのが礼儀でしょう?」

「まあ、そうだな……」

 

 話しながら途中にある部屋の前で彼女は止まる。

 ノックをすると中から返事があった。

 

「開いていますよ。どうぞ」

 

 部屋の扉を開くと、中には初老の女性が座っていた。

 彼女は微笑みながら俺を見つめてくる。

 

「いらっしゃい。貴方がリアですね」

「ああ。婆さんが先生とかいう奴か?」

「ちょっと! すいません先生。この子まだ教育がされていなくて……」

「構いませんよ。エルザは少しだけ席を外してくれませんか?」

「え? はい、分かりました」

 

 エルザは先生とやらの希望に従って部屋を出ていく。

 そしてその先生は微笑みながらもまっすぐに俺を見つめてきた。

 

「事情はあの子から聞いています。貴方が拾われて来た男の子ですね?」

「間違ってはないが……なんだか嫌な言い方だな。俺は捨て犬じゃないぞ」

 

 拾われてきたというのは心外だ。

 俺はあくまでも自分の意思でここに来ている。

 ……きっかけがどうあれな。

 

「それは失礼しました。貴方は貴方の意思でここに来た。それで間違いありませんか?」

「ああ、問題ない」

 

 婆さんは俺の品定めをするようにじっとこちらを見ている。

 ……なんだか緊張するな。

 

「ならばこそ、私は貴方に問わねばなりません。貴方はあの子のそばで何を望みますか?」

「望む……? えっと……、それは……どういう事だ?」

 

 望む。

 日々をなんとか生きる事だけに集中していた俺には凄く遠い言葉だ。

 何を聞きたいのか分からず言い淀んだ俺は、婆さんに質問を投げ返す事にした。

 その返答を聞いた婆さんは、少し困ったような顔をする。

 俺と婆さんの間に言葉に出来ないほどの環境の違いがある事を察したのだろう。

 

「そうですね……。まずは貴方と私、互いに同じ認識を持つことが必要なようです。まずは、あの子について少しお話しましょう」

 

 そういうと、婆さんは訥々とアイツの身の上を語りだした。

 

「彼女の話をする前に一つだけ確認します。貴方はあの子と同じ病を患っているそうですね」

「ああ。日に当たると体がボロボロになって、崩れていく病気だ」

「その病は彼女の一族、そしてこの街の人間の中でごく少数が、ごく稀に発症する病です。そもそもこの病とは過去に実在した貴族である……いえ、話の本題とは関係ありませんので忘れて下さい」

 

 婆さんは何かを言おうとしていたが、途中で話すのをやめて話題を変えてくる。

 

「ここにはあなたのような人のために作られた専用の薬があります。そのため市井の人と比べてもそこまで酷くなりませんが……、それでも太陽に当たれば見てくれがどうしても悪くなってしまいます。そのため風評が立つことを恐れた父親は社交界から彼女を隔離しました」

 

 なんでも貴族の社交界というのは外見や言動を必要以上に気にするらしい。

 俺の……俺達のような肌の状態では良い結果にならないと判断したそうだ。

 ……見てくれだけで人を判断するのは、どこも変わらないな。

 

「彼女の知る世界はこの館、そして馬車の窓越しに眺める町並みだけです」

「それは……なんだか寂しいな」

「だからこそ、貴方のように生きてきた世界が違う者は新鮮に映るのでしょう」

 

 そうか。

 だから俺みたいな裏側の人間にも気軽に声をかけるのか。

 世の中の悪意を知らないのは幸せなことかもしれない。

 

 ……少し危ないな。

 

「……もしかして俺に悪意の存在を教えてやる事を期待しているのか?」

「いきなり物騒な事を言いますね……。そうではありませんよ。それに人の悪意には少なからず触れています。……メイド達を通してですが」

 

 婆さんが言うには、表向きメイド達は従順だが、裏では酷い陰口を言っているらしい。

 ……確かにエルザがいなくなった途端にあの態度だ。薄々感づいてはいたか。

 

「家族に見捨てられ、周りに信頼できる大人たちもいない。そんな中でも彼女は真っ直ぐに育ってくれました。少しわがままなところはありますけれど」

 

 その目はとても優しい。

 おそらくはこの婆さん……いや、先生が影から手助けしていたのだろう。

 ……そばに信頼できる大人がいるってのはいいな。

 

「貴方はこれから、あの子の従者としてあの子の生活を支えていく事になります。それがどういうことか分かりますか?」

「それは……知っている。アイツの世話をすれば良いんだろう? それならもう聞いているぜ」

 

 俺は掃除洗濯など、エルザが俺に言っていた事をそれとなく復唱してやる。

 婆さんは頷いているが、俺の答えに満足していない様子だ。

 

「……間違いではありませんが、少し認識が足りていませんね。あの子の両親についてなにかご存知ですか?」

 

 俺は黙って首を横にふる。

 それを見た先生は小さく頷いた。

 

「彼女の名はエリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼル、父は公爵位を持ち、多数の貴族の中でも大きな力を持つローソゼル家の宗主です」

「エリザベート、ミリオン……何だって?」

 

 ずいぶんと長い名前だ。

 先生は舌を噛みそうになっている俺の発言を静止し、言葉をつづける。

 

「あの子の事ですから、自己紹介を面倒臭がってエルザと呼ぶように伝えているかも知れません。ですが本来はそういう生まれである事を覚えておいて下さい」

 

 彼女の本名はそういう名前なのか。

 だがローソゼル公……か。その名前なら知っている。

 厳格な大貴族で、貧民街でも暗殺の依頼がよく持ち上がっていた。

 貧民街で知られる貴族の名前なんて、悪徳貴族か大貴族くらいしか知らないものだが……。

 まさか大貴族の名前が出てくるとは。

 

「さて、ここまででどう思いましたか?」

「どう……? 何を言いたいんだ?」

「ええ。貴方がエルザを含む、他の貴族に対して粗相をすれば、貴方は処分され二度と屋敷……場合によっては街からも追放されるでしょう。……それでも貴方はあの子を支えますか?」

 

 真剣な目で俺を見つめてくる先生。

 

「……そんな事か。俺のいた場所は理由なく殺される場所だった。それに比べたら今更驚く事でもないさ。それにアイツはそんな事はしないだろう?」

 

 出会って間もないが、あのお嬢様がお人好しだってことくらいは分かる。

 

 もしもアイツが権力を気ままに振りかざす傲慢なお姫様なら、メイド達は罰を恐れてもっと萎縮しているはずだ。

 だがそんな様子はない。逆に甘やかしすぎだ。

 

 俺の答えに老婆も満足したのか、静かに微笑み頷いている。

 

「それではもう一つ」

「まだあるのか……」

「ええ。とても大事な話です。彼女が貴族の出自である以上、いつかは家の繁栄のため、有力な別の貴族に嫁ぐかも知れません。それでも貴方は大丈夫ですか?」

「? それがどうかしたのか? ……アイツが結婚したら俺はお役御免になって仕事を失うとか、そういう事か?」

 

 恐らく俺の今後を心配してくれているのだろうが、納得がいかないな。

 あいつがいつ結婚するのかは分からないが、せめて旅ができるだけの小銭は貯めておきたい。

 

「……気になさらないのですね。良い事です。もっともそういう事にまだ興味が無いだけのようですが──。話が逸れました。仕事に関しては、その時の事情を鑑みて決まりますので、今は考えるだけ無駄というものですよ」

 

 先生は少し呆れたように告げると、軽く咳払いをして再び俺に向き直った。

 

「では改めて最後の確認です。貴方が執事として一人前になって、あの子を見守る事はできますか?」

 

 先生は真剣な目で真っ直ぐに俺を見つめてきた。

 嘘や隠し事まですべて見透かされそうだ。

 

「……アイツが言うには俺はお嬢様の“モノ”らしいからな。お嬢様の望むままに従うだけさ」

 

 その言葉を聞いた先生は、静かに頷いた。

 

「分かりました。あなたの事は上手く取り計らいましょう。あなたの今後ですが、言葉遣いやマナーなど基本となる事を中心に、たくさんの事を覚えてもらいます。そのために──」

 

 先生が今後について計画の説明をしてくれる。

 この先生が言うには、俺は基本的な事ができていないらしい。

 だからまず先生のところに住み込む形で基礎を学ぶように、との事だ。

 

 それ自体は問題ない。

 俺は食い物と寝るところがあれば、どこでもいいからな。

 問題はエルザがなんというか、だ。

 

「分かった。それじゃあ、お嬢様がごねた時は説得を──」

 

 言い終わらないうちにエルザがノックをし、部屋に入ってきて会話は中断される。

 

「どう? 先生との話はまとまったかしら?」

「俺は勉強のため、しばらくここに住み込む事になった。悪いがしばらくはお前の世話をするのは無理だ」

「え? えっ? いきなりどういう事?」

 

 説明を急すぎたか。かなり戸惑っているみたいだな。

 礼儀作法の基礎をひと通り覚えるまでエルザのところで働く事ができない事を伝えてやる。

 するとエルザは目に見えて落ち込んだ。

 

「そんなあ……。リアは私のモノなのに……」

「エルザ、貴方も今のままでは彼に世話をさせるのは難しいでしょう。そうですね……暖かくなる頃には最低限の作法を教え込んでみせますよ」

 

 あまり納得がいっていないエルザを、先生は優しく宥めていく。

 先生からの説得で、渋々だがよくなったようだ

 

「分かりました……。先生、お願いします」

「はい、彼の事は私に任せて下さい」

「じゃあね、リア。顔を身にまた来るわ」

 

 エルザは頭を下げると、先生も笑顔で了承する。

 ……肝心の俺の意志が無視されている気がしてならないが、まあいい。

 

 

 結局、エルザは俺に軽く挨拶をしただけで去っていってしまった。

 ここにいるのは先生と俺だけだ。

 

「それじゃよろしく頼むぜ、先……いてぇ! 何しやがる!」

 

 いきなり、鞭が飛んできた。

 ……どこから取り出したんだ、その鞭は。

 

「言葉使いがなっていませんね。まずは口調を直しましょうか」

「それこそ口で言え!」

「口で言えば分かると思わせるくらい、利口に振る舞ってみなさい」

 

 再び鞭が振り下ろされたので慌てて躱す。

 笑顔のまま鞭を振るうのは怖い。

 

「おや、避けてはいけませんよ?」

「避けるに決まっているだろ!」

 

 これから数ヶ月。

 俺は先生……いや、このババアの所で礼儀作法を学ぶ事になる。

 ……色々と選択を間違えたかもしれない。

 

 

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「おい! なんだよこの服!?」

「何とはなんですか。あなたの服ですよ」

「だってこれは……」

「口のきき方に気をつけなさい。言葉遣いは最低限のマナーです。服に関しても必要な事ですよ」

 

 

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 ・

「何ですかその口の聞き方は? 貴方は一流の執事になると誓いました。もっと相応しい言葉遣いをしなさい」

「一流なんて言ってねえよ! 普通でいいんだよ!」

「お嬢様に使えるという事は一流になる以外の選択肢は残されていないという事です」

 

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「それは違います。この時の礼儀作法はこう……」

「こ、これでいいのか? ……いてっ!」

「その場合は、“これでよろしいでしょうか”ですよ」

「こ・れ・で! よ・ろ・し・い・で・しょ・う・か!」

 

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「読み書きと計算は一通り出来るのですね。少し怪しいところはありますが……」

「出来なきゃ騙されるからな。コッチも必死だ……でした」

「なら基礎の強化と共に更に上の計算技法を教えましょう。ついでにダンスにメイクも加えて……」

「どこまでさせる気だ!?」

 

 

 こうして、一通りの礼儀作法と教養の基礎を叩き込まれた俺はしばらく婆さんのところで過ごす事になる。

 すぐに月日は流れていき、エルザのところに戻る事になった。

 

「さて、今日からは彼女の元で仕事ですね。気分はどうですか」

「最高に晴れ晴れとした気分ですよ先生」

「それは良かったですね」

 

 俺は最高の笑顔で皮肉を込めて言ってやったつもりだが、婆さんは飄々とした様子で軽く受け流していく。

 

 結局、数ヶ月はこの婆さんと一緒だったわけだが、婆さんはかなりの食わせ者だった。

 基本となる礼儀作法から始まって、果ては化粧の技術まで多種多様な事を叩き込まれるとは思わなかった。

 

 エルザが時々様子を見に来て、薬を渡してくれたのがささやかな癒しになった。

 おかげで俺も直射日光さえ浴びなければ普通と変わらない肌のままだ。

 

 ただ一つ、外見に問題があるとすれば……。

 

「しかしながら先生、私がこんな格好をしてるのをお嬢様が見るとどう思うでしょうか。お優しい彼女の事ですから不快な思いをされるのでは?」

「楽しみですね。実はお嬢様にはまだ何も伝えていないのですよ。リアの口から直接説明してください」

「……それはそれは、実に恐縮です!」

 

 俺の怒りを込めた発言を飄々と流していく婆さんは、満足そうな笑顔のままだ。

 やっぱり一枚上手か。

 

 俺が着ている服装には少し……いやかなり問題がある。

 これから俺の姿を見せると考えると、ため息しかでない。

 ちょうどそこで、扉をノックする音が聞こえた。

 ……エルザだ。

 

「先生、エルザです。リアを引き受けに来ました」

「ええ。扉は開いているので入ってきてかまいませんよ」

「失礼しま……。えっ!? ちょっと、何その恰好!?」

「……別に、どうということはありませんよ。普通の恰好……ということにしてくださいませんか?」

 

 笑いをこらえているエルザに対し、俺はひきつった笑顔で応対する。

 

「だってそれ……。ふふっ、どうして男の子なのに女性用のメイド服なんか着ているのかしら?」

 

 そう。いまエルザの目にはメイドの姿をした俺が映っていることだろう。

 

「……これが、婆……先生がいうには今の最善策だそうでして」

「エルザ。男性であるリアが、住み込みで仕えるのには色々不都合があるのです」

 

 婆さんはその理由を丁寧に説明していく。

 嫁入り前の貴族の娘に男が仕えるということはあらぬ誤解を受ける可能性があること。

 それがどこの馬の骨とも分からない奴隷の男ならなおさらである、と。

 普通なら男ではなく専用のメイドを置くが、今の環境や例の病の事を考えるとなかなか難しい事。

 それらを踏まえた上で、世話役としての俺をメイドに仕立てる事で、エルザの希望を通すようにしたこと。

 

 それらをエルザに説明していく。

 だが、この数ヶ月一緒に生活したことで、俺は確信していることがある。

 この婆さん、真面目そうに見えて意外と悪ふざけが好きだ。

 

「もちろん永遠にメイドのままというわけではありません。私の読みが正しければ、2年後には転機が訪れるでしょう。その際にリアは執事として新たに仕えるようにした、という事で通すように手筈を整えます」

「……納得いかないところもありますが、分かりました」

 

 2年後であれば、男に戻った場合でも婆さんの遠い親戚としてお墨付きを与えることが可能らしい。

 それ以外にも色々と都合が良いという話だったが、詳しくは教えて貰えなかった。

 

 不満そうな顔をしつつも、一応は納得したエルザがこちらを見てくる。

 そんなエルザに対し、俺は手をお腹の前で組んで恭しくお辞儀をした。

 

「よろしくお願いいたします。これから二年間、私はお嬢様だけの従順なメイドでございます」

「よろしくね、メイドのリア。可愛いわよ、あなた。……でもその言い方はなんだかつまらないわね」

 

 俺の敬語が気に入らなかったのだろう。

 今まで身近に口の悪い人間なんていなかったから、逆に新鮮なのだろうか。

 

「そうだわ、二人の時は前のように──」

 

 そこで小さく咳ばらいが聞こえた。

 婆さんだ。

 

「残念ですがそのような話は教育を施す者として見過ごせませんよ」

「すいません、先生……」

「ですので、私のいないところで相談してくださいね」

「……先生!」

 

 婆さんは口に指を当てて秘密ですよ、とポーズをとりながら、俺のほうにウインクをしてきた。

 これは節度を守ってお嬢様のいうことを聞いてやれ、という意味だろう。

 さすがに半年近くもいると、何が言いたいかがわかってくる。

 

「そうだ! 改めて私のところに来た記念に、新しく名前をあげるわ。リアだと男の子ぽくないものね。女の子の時の名前はリアでいいけど、別に男の子としての名前も考えなくちゃ。新しい名前は……レオでどう?」

「ん? それは別にどっちでも……」

「じゃあ決まりね! 女の子のふりをしているときはリアで、男の時はレオと呼ぶわ」

 

 彼女は小さくレオ、レオと繰り返している。

 名づけが安直過ぎる気もするが、満足しているようだし別にいいだろう。

 

「さあ、館に行くわよ。たくさん仕事をしてもらわなくちゃ」

「お嬢様、いきなり私の袖を引っ張られても困りますよ。ほら先生になにも言っていませんし」

 

 俺が婆さんの事を指摘すると、袖を引っ張るのをやめて挨拶のために先生に向き直る。

 エルザが挨拶するのに合わせて、俺も挨拶をしておく。

 

「先生、私のためにレオを指導してくれてありがとうございました」

「……ありがとうございました」

 

 顔をあげると、先生は微笑んだまま俺のほうを見ていた。

 

「レオ。貴方は生まれ持った能力は高く、私が教えた中でも上から数えた方が良い程度には覚えが良い子でした。これからはその知性を彼女のために使ってください」

 

 その言葉にたいして、俺は習った事を最大限活かして丁寧にお辞儀をする。

 

「……ご期待に沿えるよう最善を尽くします」

「はい、あなたの知性と勇気に期待していますよ」

 

 知性はともかく勇気……か。

 俺にそんなものがあるとは思えないけどな。

 その時々でやれることをやるだけだ。

 そんな事を考えながら、気がつけばエルザに連れられて館へ戻っていた。

 一度しか入ったことのない館だが、なんだか懐かしく感じる。

 

 扉を開け、館の中に入ると同時にメイド達がこちらを一瞥してくる。

 だがそれぞれがこちらを見た後はすぐに自分たちの仕事に戻り、手を止める気配はない。

 

 一部のメイドは明らかに嫌悪の表情を向けている。

 ……俺の病気が気に食わないのは分かるが、顔に出るとは。こうして婆さんの所で学んだ後だと半人前というのが分かるな。

 ……俺も似たようなものか。気をつけよう。

 

 そんな中に一人、ゆっくりとこちらへ歩いてくる人物がいる。

 襟の色が他のメイドと違っている。

 

「あの人はメイド長よ。ここにいる皆を取りまとめているの」

 

 エルザがそっと耳打ちしてくれる。

 俺はメイド長と視線を交わすと同時に会釈をした。

 

「どうも初めまして。私は……」

「リア、貴方の事は聞いています。これからは私たちの代わりにお嬢様専属の世話係となるそうですね?」

「はい、至らぬ点も多々あるかと思いますが何卒よろしくお願いいたします」

 

 厳しい顔をしたメイド長に対して、俺はなるべく感情を顔に出さないようにしながら恭しく挨拶をした。

 どうやら俺だということは伝わっていないらしいな。

 婆さんの計画通りだ。

 

「お嬢様と先生が決めたことですから私からは特になにも申し上げることはございません。ですが立場上、貴方のような者でも取りまとめる役割を私は持っています。

 先に言っておきますが、立場をわきまえた行動をするように。そしてお嬢様について適宜、報告をするように」

「……かしこまりました」

 

 どこか高慢な物言いで、俺を……俺とエルザを見下ろしながらそういってきたメイド長。

 この辺りも婆さんから聞いていた通りだ。

 このメイド長は当主……エルザの父へ定期的な報告をおこなっているらしい。

 メイド長にとって使えるべきはエルザの父だけであり、彼女にとってエルザはあくまでも主人が迎えている客人でしかないという。

 

 だからこそ彼女を無視してはいけない、そう婆さんは言っていたな。

 

 婆さんの口利きで、俺は皮肉にもエルザをこいつらの代わりに間接的に監視し、話した内容や心理状況を細かく報告する手筈になっている。

 しばらくは俺の報告が正しいかどうか監視もつくだろうが、俺の話した内容と監視内容が一致していればそれも緩んでいくだろうとのことだ。

 

 言いたいことは色々あるが……俺は挨拶のため、それらを我慢して一歩前に出る。

 

「これからよろ──」

「ああ、先に言っておきますがそれ以上は近寄らないように。ほかのメイドに対しても同様です」

 

 挨拶をしようとした矢先、いきなりの拒絶に俺は固まってしまう。

 俺が言葉に詰まっているうちに、メイド長は次の言葉を投げかけてきた。

 

「理由が分からないのですか? 貴方の病は万が一他のメイドたちに感染すれば大問題となります。これからほかの貴族様に奉公へと行くのに病を患うわけには行きませんから」

 

 そういえば、こいつらは俺やエルザの生まれ持った病を伝染するものだと思い込んでいたんだ。

 ……別に俺は構わない。

 貧民街では慣れた扱いだからな。

 

 だがそれは、あまりにも酷い事実を告げていることに気づかないのか。

 それはお前らの主人であるエルザの事も侮辱している事になるんだぞ。

 

「お言葉ですが、今この場でそのような事を語るのはよろしくないのでは?」

 

 俺が睨みつけるとメイド長は一瞬だけひるんだが、何事もなかったかのように取り繕った顔に戻る。

 

「……お嬢様の病について身の回りの世話をするのは貴方です。私たちは特に関与することではありません。貴方の住む場所は私達とは違い、館にある使用人室の一室、二階にあるお嬢様の部屋の真下となります」

 

 そのすまし顔のまま、俺の今後について指示を出してきた。

 ……主人への無礼を有耶無耶にするつもりなのだろう。

 

「いくら何でも──」

「リア、良いのよ。とりあえず私の部屋に来て。私から貴方の仕事を説明するわ。あなたも、それでいいわね?」

「……承知いたしました。お嬢様のご判断で責任を持つという事であれば私からいう事は何もございません」

 

 エルザが前に出る事で、あっさりとメイド長は引き下がった。

 

 俺もメイド長に対して一言いいたかったが、エルザの言葉を無視するわけにもいかない。

 それにここで歯向かっても良いことはない。

 歯がゆい思いをしながらも、俺はメイド長に一礼し、エルザに連れられて部屋に入った。

 

「ごめんなさいね。あの人たちも悪い人じゃないのよ」

 

 怒りを抑えきれない俺の表情を見て、彼女はいろいろと察したのだろう。

 心配そうにこちらを見てくる。

 

「お前が謝る……お嬢様が気にすることではありませんよ」

「ううん。メイド長の事で怒っているんでしょう? 仕方ないわ。こんな身体だもの。あの人達も病気は怖いのよ」

「それでも……、それでもお前が気を使う事じゃないだろう!」

 

 つい素に戻って大きな声をあげた事に気が付き、口を閉じる。

 つい怒りをあらわにしてしまった俺に対して、エルザはどこか悲しそうに微笑んだ。

 

「レオ、貴方の言いたいことも分かるわ。でもメイド達全員があんな態度じゃないのよ。中には良くしてくれる人もいるの。私たちはそんな少しだけの宝物を大切にすればいいのよ」

 

 エルザは優しく俺の頭を撫でながら微笑んでくる。

 その笑顔を見ているうちに、心が少しずつ落ち着いてきた。

 

「失礼いたしましたお嬢様。礼儀を欠いたことをお詫びします」

「いいのよ。それに二人だけの時はさっきみたいな口調でも構わないわ」

「……今はどこで誰かが聞いてるとも限りませんので、別の機会に」

「そう。なら今はいいわ。また今度ね。……さあ! 気を取り直して仕事の説明をするわね!」

 

 彼女は残念そうにそれだけ言うと、使用人として俺にやってほしい事を説明していく。

 部屋の掃除、朝の起床、料理運びから服の準備までやる事は多彩だ。

 

 一つ一つを説明していくその姿は、とても楽しそうだ。

 

「──それで、ここの紐を引っ張ると下にある貴方の部屋の呼び鈴がなるわ。この管が下に繋がっていて声が届くようになってるからお願いする時はこれで直接……ねえ聞いてる?」

「あ、ああ……。いえ、やる事の多さに少しだけ驚いてただけですよ」

 

 彼女はボーっとしていた俺に気が付くと、不思議そうにこちらを見つめていた。

 ……楽しそうな彼女に目を奪われていたなんて言えそうにない。

 俺は動揺しているのを悟られないように彼女に別の話題をふる。

 

「それよりも、お嬢様が楽しそうでなによりです」

「何言ってるの? これから新しい生活が始まるんだから楽しみに決まってるじゃない。これから何をしてもらうか色々考えてたんだから」

 

 彼女は鼻歌交じりに機嫌よく答えると、俺を次の場所へと順次案内していく。

 全部説明が終わったのは日が傾きかけた頃だった。

 

「今日までは他のメイドの子が仕事をやってくれるわ。明日からは貴方がやってね」

「いきなり急ですね」

「嫌なの?」

「いえいえ。お嬢様が望むのならいかなる命令もお引き受けいたしますとも」

 

 俺は恭しく、大げさに頭を下げる。

 それを見た彼女は再び笑顔を俺に向けた。

 

「ここに来たときと比べて、挨拶がとても丁寧になったわね。あなたも先生のところから引っ越してきたばかりでしょうし、今日は休んで明日からよろしくね」

 

 今日、エルザの世話はこれで終わりとなるらしい。

 俺は新しい拠点……自分の部屋を整えるように促され、部屋へと向かった。

 部屋の前では若いメイドが一人、立っている。

 彼女はこちらに気が付くと、声をかけてきた。

 

「貴方が新人さんですね」

「はい。まだ至らない点もあるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします」

「同じメイド同士、そんなにかしこまらなくてもいいですよ。私はロゼッタといいます。よろしくおねがいします」

 

 こちらが挨拶をすると、何食わぬ顔で握手を求めてきた。

 先ほどのメイド長とは大違いだ。

 

「……意外ですね」

「ん? 何がですか?」

「ここのメイド達は私のような者から距離を取りたがっているのかと思いました」

「あー……。ここの人はどうしてもそうなりがちですねえ。私は二人の病気について少しだけ知ってるので大丈夫なんですよ」

 

 ロゼッタは平民の出身で、過去この病にかかった親族を見たことがあるらしい。

 そのためそこまで偏見を持っておらず、結果としてエルザの身の回りの世話も主に彼女に押し付けられていたそうだ。

 

「──というわけで、私が今まではお嬢様の世話係だったのです。けれども色々あって異動になってしまいました。私は引継ぎが終わったら新しい仕事に移るので、リアさんから連絡を受け取るだけの係になりますねー」

「ということは私の先輩という事ですね。よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いしますね、後輩さん」

 

 彼女は茶目っ気たっぷりに挨拶をする。

 ……良かった。なんとかマトモに話せそうな人に出会えた。

 今まで会ったメイド達の態度から、あまりいい印象を持っていなかったが、これで少し安心した。

 

「それじゃ今日の出来事を教えてくださいな」

「はい。今日は──」

 

 彼女に話した内容は、メイド長への報告としていくらしい。

 どうやらそのまま今日の出来事を伝えるだけで終わるようだ。

 いくつかの報告と引継ぎについて話をしたあと、彼女は鍵を渡してくる。

 

「明日からは私の代わりによろしくお願いしますね。この部屋の鍵を渡しておきます」

 

 そういうと、彼女は去っていった。

 後は自由にしていいのだろう。

 俺は扉を開き中にはいる。

 使用人の部屋は質素だが、小奇麗にまとまった部屋だった。

 ベッドの上、天井から吊るされたランプの近くにはエルザが俺を呼び出すための鈴があり、壁には声を伝えるために設置された伝声管が埋まっている。

 エルザが仕事の説明をするときに言っていたものだ。

 深夜でもなにか用事があれば、これで呼びつけられるのだろう。

 

 夜は、夜番を兼ねた数人だけが館に残り、他のメイドたちはそのまま別棟で生活するそうだ。

 ここが俺の部屋になるということは遠回しにお嬢様がらみのイレギュラーな対応は俺がすべての面倒をみろ、ということなのだろう。

 

 ロゼッタが言うには部屋の中にあった私物はすべて移動済みらしく、残っている物は自由に使っていいと言っていた。

 

 

 

 俺は少ない荷物を紐解いて古びたクローゼットに放り込むと、同じく古びた固いベッドへと倒れ込む。

 しばらく礼儀作法の訓練ばかりで、溜まった疲れが一気に出たのだろう。

 俺は一瞬で眠りに落ちていった。

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