エルザの世話役になって2ヶ月がたった。
最初は不慣れだったこの仕事も、気が付けば部屋の掃除から話し相手まで、あらゆる雑用にも慣れている。
今もまた、エルザの話し相手になりながら掃除をこなしている。
「ねえ、今日の夕食は何かしら?」
「今日は確認していませんね……。今から料理長に確認を取ってきます」
「大丈夫よ。あの人も忙しいでしょうし」
「料理長は昼もしっかり食べてほしいと言っていましたよ」
「無理ね。お昼を食べたら一週間はお腹いっぱいで食べられないわ」
彼女がこうした話題をふるのは別に食事がしたいからじゃあない。
彼女にとって気軽に話ができる相手は希少で、会話が楽しいからだ。
もちろん、誰が聞き耳を立てているか分からないのでエルザと俺、二人とも互いにふざけすぎないよう、気を使ってはいるが。
話が途切れそうになると、すぐに彼女は別の話題を振ってきた。
「それより護身術のほうはどう? 学べているかしら?」
「そちらはもう、万全に」
「そう。良かったわ。あの人にお金を払ってる甲斐があるわね。今日も行くの?」
「ええ。今の仕事が終わりましたら向かう予定です」
俺はエルザの勧めで、護衛の一人から稽古をつけてもらっている。
俺が拐われるとマズいから万が一に備えてやっておくように、というのが彼女の話だった。
……俺よりエルザのほうが可愛い顔じゃないかと思うが、護身術を学んでおくのは自衛のためにも、エルザのためにもなる。
悪いようにはならないだろう。
諸々の仕事をうまくこなし、稽古をつけてくれる護衛のおっさんに会いにいく。彼は俺が来るのを待っていたようで、目が合うと紳士的な表情から一変して獰猛な笑みへと変わった。
このおっさんはメイドのロゼッタと同様に、俺の……俺たちの病気を気にせず偏見なく接してくれる、数少ない人間のうち一人だ。
「今日も来たか、銀髪ちゃん」
「はい、よろしくお願いしますね。バロムさん」
「……俺はお前の性別だって知ってるんだ。気味の悪い話し方はよせ。その作り笑顔もな」
「ただの嫌がらせだよ。俺を銀髪ちゃんって呼ぶおっさんへの、な」
作り笑顔をやめた俺の様子に、おっさんも満足したようだ。
館で生活して栄養が改善されたためか、髪に艶が出てきた。
蠟燭の灯りが反射する様子が銀色だったことから、俺はこのおっさんに銀髪ちゃんと呼ばれることがある。
おっさんはだいぶ大柄で、格好こそ執事のような服装こそしているが、その下には鍛えられた筋肉が隠されている。
服装を荒っぽいものに変えれば山賊に間違えられるだろう。
「おっさんは相変わらずだな」
「おっさんはよせ。俺はまだそんな年齢じゃない。それに坊主こそ最近は随分とたくましくなったな。路上でぶっ倒れてるときは、すぐにくたばると思ってたんだが」
「料理長とおっさんのおかげで健康管理はバッチリだ。感謝してるよ。だが坊主はよしてくれ」
おっさんは俺とエルザが初めて出会ったときにいた従者を兼ねた護衛だ。
昔は名うての剣士だったらしいが、腕の怪我をきっかけにエルザの家に仕えるようになったらしい。
このおっさんはエルザが外に出るときくらいしかやる事がない。
そのため暇を持て余していたらしく、俺との練習をすごく楽しそうにしている。
「さあかかってきな、銀髪ちゃん」
「それでは行く……ぜ!」
おっさんとの模擬試合は色々と参考になる。
せめて一撃を入れたいが、不意をつくようにしながら顔面にパンチを叩き込んでも躱され、カスッただけで終わるのが最近の悩みだ。
「相変わらずおっさんは攻撃を受けてくれないな!」
「ガキに負けてちゃ護衛なんて務まらないぜ。カスるだけとはいえ、俺に一撃入れられるお前は筋がいいんだ」
「お世辞はいらないよ。俺はお嬢様から強くなるように言われてるんでね」
「へっ、俺が世辞なんか言うかよ。太陽が隠れた日しか稽古をつけてやれないのが残念なくらいだ」
一撃目以降は掠めるだけで一切の攻撃が当たらないおっさんは、同じ人間と思えないほどに動きが洗練されている。
仕事の合間に、エルザは外に出てもと拐われないのかと訪ねた事がある。その時、彼女はクスクスと笑って大丈夫というだけだった。
その時はなぜ笑うのか意味が分からなかったが、今ならよくわかる。
エルザが外に出る時は、このおっさんが護衛につく。
そこらへんのチンピラじゃあ相手にならない。
そう考えると、ある意味で屋敷でメイド達に囲まれているよりも安全なのかもしれない。
「しかし、坊主が男で俺は嬉しいぞ? この館は女が多すぎるくらいだからな」
「それは、どう……も!」
おっさんの突きを躱しながら会話を返す。
おっさんとは稽古をしながらの会話が中心だ。
稽古中なら誰かに聞かれる事もないから、らしい。
こうして、俺たちはしばらく日常会話と稽古を兼ねたコミュニケーションをおこない、俺が膝をつくまでそれが続く。
「ふう……。いい汗かいたぜ。俺が稽古をつけられないときも自己鍛錬を怠るなよ」
「ありが……とう……ござい、ます」
俺は息切れでまともに返答することができなかった。
お辞儀をするのが精一杯だ。
それに比べてこのおっさんは息一つ切らしていない。
……まだまだ遠いな。
稽古を終えた後は夕食の準備だ。
時間になると、給仕として食事をエルザの部屋まで運んでいく。
「──でね。あの子が……」
「──へえ、じゃあお嬢様も……あっ」
運ぶ途中、メイド達が小声で雑談をしていた。
俺が静かに会釈をすると、彼女たちは口をつぐんだ。
お嬢様がらみの噂話をしているのを見かけるたびこうやって静かに威嚇していたためか、あるいは病の生かロゼッタ以外のメイドはほとんど話しかけてこない。
だが俺が男である事を考えるとそれはそれで都合が良い。
お嬢様を待たせるわけにもいかないので、俺はさっさとメイドの横を通り過ぎていく。
料理長から料理を受けとった俺は、食事をエルザの自室へと運ぶ。
この館には食事をするためのホールがあるが、エルザはそこをあまり使おうとしない。
部屋が大きく、人が少ないと寂しく感じるからだそうだ。
もっぱら自室に運ばせ、それを俺は眺めながらエルザの会話相手としてふるまっている。
エルザの部屋につくと扉をノックし、返事を聞いてから中に入る。
部屋に入ると同時にエルザが話しかけてきた。
「いらっしゃい。今日はどんな料理かしら?」
「季節の野菜スープと魚のムニエル、鹿のステーキだそうです」
「ありがとう。今日も豪華ね。料理長にありがとうと伝えておいてくれるかしら?」
「承知しました。さあ、冷めないうちにどうぞ」
料理をエルザの前に並べると、彼女はおいしそうにそれを食べる。
昼食は全く食べないか、食べてもスコーンをわずかに噛じる程度だが、夜は料理をしっかりと完食している。
お陰で健康面は問題がなさそうだ。
「リアも一緒に食べられたらいいのに」
「お嬢様と使用人が一緒に食事をしているところを見られるのは、よろしくないですからね」
エルザは残念そうに言うが、それを認めるわけにはいかない。
もし万が一頷いて、それが外で聞き耳を立てているメイドにでも聞かれたら大変面倒なことになる。
エルザもそれを分かっているので、それ以上追求はしない。
夕食をする頃には日も傾き、部屋が暗くなってくる。
俺はお嬢様の部屋にあるランプをつけた。
ランプの光が揺らめき、部屋を照らす。
夜は俺たちにとって安らぎの時間だ。
太陽の光もそうだが、何よりメイドの数が減る事が大きい。
昼はメイドの数も多いが、夜はメイドの数は半分以下になる。
特に深夜は警備要因としてわずかに数人がいるだけだ。
だが人が減ったら減ったで、エルザは寂しさを覚えるようだ。
食事を片付けた後は話し相手として、エルザの部屋で一緒にいることを求められている。
そのときに本を朗読して聞かせたのが気に入ったらしく、最近は俺が本を読み聞かせるのが日課になった。
「今日は『吸血鬼ドラクル・ローソゼル』の話の続きね」
「はい、お嬢様。……お嬢様は祖先を題材にしたお話が好きですね」
「当然よ! それに私だけじゃないわ。ロゼッタもこの内容は好きなのよ?」
「……女性好みの話だと思いますよ」
「貴方も今は女性の姿なんだから、頭に入れておくくらいはしておいてね?」
「吸血鬼の主人公が姿を霧や動物に変えたりするところまでは覚えられるのですが、恋愛事は苦手でして」
どこか冗談めかして言う彼女に、俺は苦笑しながら頷き、続きを読み進める。
この本は数百年前に実在した、エルザのご先祖様を題材にした小説だ。
話はおとぎ話にもなっており、俺も概要は知っている。今読んでいる小説のほうはさらに詳しく、強大な吸血鬼の魔法使いが貴族として頭角を現す中で、妻との出会いとその別れを書いた壮大なヒューマンドラマに仕立て上げられている。
この話をせがまれて、何度か読み聞かせているが飽きる様子はない。
エルザはよほどこの話が好きなのだろう。
俺は本を開き、先日まで読み進めた本の続きを朗読していく。
なるべく臨場感たっぷりに、というのがエルザの要望なので、仰々しく劇をするかのように読み上げてやると好評だった。
「“おお、我が妻よ。お前なしで私はどうすればいいのだ。死にゆくお前を救う方法はないのか” そう言いながらドラクルは妻の肩へ牙を突き立てます。それは冷血侯と呼ばれたドラクルの、妻への愛情を表すものでした──」
──しばらく読み進めながらふとエルザの方を見ると、彼女はウトウトと夢の世界へと入り込みそうになっていた。
……今日はここまでかな。
「お嬢様、続きはまた明日にしましょう。お疲れのようですので、ゆっくりおやすみ下さい」
「うん、そう……。じゃあね……」
ベッドで眠そうにして話をまともに聞いてないお嬢様を、そっと寝かしつける。
これで最後の仕事は終わりだ。
俺は音を立てないように気を付けながら、ランプを消し部屋を出る。
部屋の外ではロゼッタが待機しており、話しかけてきた。
「いつもお疲れ様です」
「ロゼッタさん、立っているのもつらいでしょうし、別に私の部屋で待機していただいても構いませんが」
「おや? 部屋へのお誘いですか。もしリオさんが男ならそういう事かと勘違いされちゃいますよ?」
「……残念ながら特殊な趣味はございませんので」
一瞬だけドキリとしたが、これはロゼッタが冗談で茶化しただけだ。
俺としてもあまり触れられたくない話題なので、これ以上追求しない。
まあ、部屋の前にいる理由は薄々勘付いている。
おそらく、俺たちの行動をやんわりと監視しているのだろう。
……面白くはないが別に困るようなものじゃない。
俺は今日何があったか、その一日を簡単に報告する。
「はい、いつも通りの一日ですねー」
「ええ。何もないことが一番良きことかとおもいます」
「まあそうなんですが報告を受けている身分としては退屈で……」
そういいながら彼女はあくびをかみ殺すような顔になった。
「私も眠いんでここまでですねー。……今後は代わり映えしないようであれば週に2回程度の報告に減らすことも検討してみますー」
「はい、私はどちらでも構いません」
そろそろ監視の目が緩みそうだ。
あまりがっついている様子は見せたくないので、適当に相槌をうっておく。
俺はロゼッタを見送ったのち、自分の部屋に戻った。
こうして俺の一日は終わりだ。
貧民街にいた頃とは違った忙しさと安全な日々。
俺は生まれて初めて、自分の人生が充実していると感じていた。
───
お嬢様の世話係にも慣れ、涼しさからほんのり暑さを感じる日々へと変わろうとする季節。
お嬢様に珍しく手紙が届いた。
「あら、なにかしら。……まあ!」
彼女は届いた手紙を読んで顔をほころばせる。
一体なんの手紙だろうか。
不思議に思って手紙を見ていると、俺の視線に気づいたのか、手紙をこちらに見せてきた。
「見て! 舞踏会への招待状よ!」
「舞踏会……ですか? 紳士淑女の社交場だと伺ってはおりますが……」
「そうよ! 私もお呼ばれしたの。そこへ行けばきっと、同年代の人と知り合いになれると思うわ。仲良くなって、お茶会なんかもできるかもしれないわね」
エルザは、招待状を手に興奮し、その大きな瞳で手紙をみつめている。
どこかソワソワ、ワクワクとしていて興奮を抑えきれない様子だ。
……そういえば彼女はこの屋敷からあまり外へ出る事がなかった。
それに俺が世話をしている間、訪ねて来る人もいなかったな。
病気の事もあって貴族社会からも離れていたのだろうか。
「良かったですね、お嬢様。ところで舞踏会へ向けて何の準備をするのですか?」
「全部よ。ダンスの練習から化粧まで、気合を入れなくちゃ!」
「化粧……ですか。たしかにお嬢様はあまり化粧をしないと思っていましたが……」
必要なときはメイドのロゼッタが最低限、簡単なメイクをする。
だが本格的なメイクをしているのは見たことがない。
ダンスも同様だ。
これから練習するのだろうが……このお嬢様は踊れるのか?
「ダンスもそうですが、お嬢様はその辺りの手ほどきを受けておりますか?」
「前に少しだけ……ね。先生に改めて習うから大丈夫よ」
婆さん頼みか……。婆さんならなんとかしてくれるだろうが……。
なんとなく俺も巻き込まれそうな、嫌な予感がする。
丁度エルザの勉強時間だ。
しばらくして婆さんが来た。
エルザは挨拶をすると、さっそく舞踏会の話を切り出した。
「──というわけですわ。先生、もしよろしければ私に再度手ほどきしていただけないでしょうか」
「構いませんよ。私で良ければ教えられる範囲で教えましょう」
「やった! ありがとうございます先生!」
先生の反応は実にあっさりしたものだった。
一方で、その視線は俺を見ている。
先生は微笑みのまま一切表情を変えていないはずなのに、なぜかニヤリと笑った気がした。
……嫌な予感がする。
「ただし私もこのように歳を重ねてしまいました。幾度も練習する事は無理ですので、踊りの相手はリアにお任せしますね?」
「えっと……今なんと?」
「ダンスには相手が必要ですね。リア、貴方に男性役を務めてもらいます。社交ダンスの基礎なら過去に教えているので問題はないでしょう?」
確かに俺は婆さんの所に住み込みで様々な事を習っている。
その中にはダンスの基礎もたしかに習っていた。
「教えるのは構いませんが……基礎しか知らない私が教えるより、先生が直接指導をされたほうが早いのでは?」
「先ほども言いましたが、私は体調の問題があります。リア、あなたが彼女をエスコートしてあげてください。私はそばで見守っていますので、おかしなところがあればその都度指摘しますよ」
改めて経験を積んで置くのもあなたのためになります、と婆さんはつけ加えた。
なにか反論をしようと婆さんの顔色をうかがうが、ニコニコと表情を崩さないまま、こちらを見ている。
……テコでも意見を曲げない時の表情だ。
婆さんめ。さては俺が照れながら踊るのを観たがっているのか。
それとも、ついでにダンスをさせることで教養の再確認でもしようと考えているんだろうか。
婆さんのたくらみに付き合うのも嫌だな。
エルザからなんとか断ってもらえないだろうか。
俺はこっそり視線を送ると、エルザは頷いた。
「分かりました先生! さあリア、私と踊りましょう」
「あらあら。残念ですがエルザは誘う側ではなく誘われる側ですよ。ダンスのお誘いは殿方からするものです」
……これは無理だな、完全にダンスをやる流れだ。
「そういえばリア、貴方の燕尾服も用意してあります。こんなときくらいは、こちらを着て踊ってみてください」
婆さんは服を差し出してくる。
……どうして男物の燕尾服が用意されているんだ。
しかも俺の体型に合わせて作られている。
婆さんにちらりと目をやる。
「こんなこともあろうかと思いまして」
「左様ですか。でしたら普段の仕事もこれで……」
「ご冗談を。メイド服をあえて着る事情は伝えたでしょう? 今回はたまたま服があっただけですよ」
そう言われてはぐらかされてしまった。
……まあいいか。
婆さんの思い通りになるのは癪だが、仕事中に堂々と男の姿に戻れるのは悪いことじゃない。
俺は着替えた後、姿勢を正してエルザに手を差し出す。
「お嬢様。よろしければ私と踊っていただけませんか?」
「……ふふっ、レオから誘われるなんてなんだか不思議な感覚ね。……はい、喜んで」
ぎこちない笑みで差し出した俺の手を、エルザはそっと握る。
エルザも照れ臭かったのか、ほんのり頬を染めながらも俺の手を取ってくれた。
婆さんが手拍子でリズムをとり、それに合わせて、俺達はステップを踏んでいく。
「痛っ……」
「あら、ごめんなさい。踏んでしまったわ」
「いや、大丈夫だ……」
やはり慣れない者同士、どうもタイミングが合わない。
足元に気をやると手や首の位置がおろそかになる。
……あの婆さんに教えを習っていた時は、婆さんが上手く俺をエスコートしていたのがよく分かる。
くそっ、負けてられるか。
それからも互いに足を踏んだりしながらも、婆さんの指導を元に足運びや目線の位置を修正していく。
・
・
・
「今日はここまでにしましょう」
先生が終わりの合図を告げる。
気が付けば外は太陽が傾いていた。
「今日は二人で踊るだけでしたから問題ありませんでしたが、本番で慣れていないと周りにぶつかって巻き込んでしまいますからね、何度も足運びを練習しましょう」
「意外と大変ですね……」
普段ならすぐに片付けの準備に入るエルザだが、まだどこか名残惜しそうにしている。
……まだやる気のようだ。練習熱心だな。
そう考えていると、俺の方をチラリと見てきた。
……手伝って欲しいのだろうか。
とりあえず頷きを返しておく。
「先生、私達はもう少しだけ練習します」
「それは素晴らしい。それでは私は先に戻りますが……無理はなさらないよう気をつけて下さい」
先生は挨拶をするといつもの居住用の館へ戻ってしまった。
俺ももう少ししたら厨房に行ってエルザのための食事を取ってこないといけないが……。
だが、今は練習に集中しよう。
俺達は二人だけでステップを踏む。
婆さんがいなくなって無音での練習だが、互いに体でリズムをとりながら何度も練習を重ねていくうち、最初のように互いの足を踏むことはほとんど無くなっていた。
「ねえリ……レオ。私、だいぶうまくなって来たんじゃないかしら?」
「……そうだな。最初のステップも覚束なかった頃に比べれば大分上手くなっている」
「これもレオのお陰ね。前に教えてもらった感覚を取り戻して来たわ。ふふっ、ありがとう」
その笑顔を見た瞬間、俺の顔が少し熱くなる。
何故だろう。歯が疼く。
エルザに噛みつきたい。
そんな衝動が俺の中に湧いて来て──。
「お二人ともお上手ですね」
……不意に後ろから声をかけられた。
振り向くとロゼッタがニヤニヤしながらこちらを見ている。
「リアさんカッコいいですねー。髪の毛を整えれば完全な男の子になるんじゃないですか?」
「あ、ああ。これは……」
「ロゼッタも案外似合うかもしれないわよ?」
一瞬だけ狼狽えた俺のフォローをエルザがしてくれる。
……不意を突かれ、焦ったからだろうか。
血を吸いたいという衝動はどこかへ行き、冷静になれた。
一呼吸してロゼッタに目をやる。ロゼッタは相変わらず楽しそうにこちらを見ていた。
……どうやら勘付かれた様子はない、と思いたい。
「残念ですが私は異性の服を着る特殊な趣味はないのでー」
「そうだな……、いや、そうですね。はは、は……」
地味に傷つく事を言われた。
仕方ないとはいえ、毎日メイド服を着ている俺が変態みたいじゃないか。
「でもわざわざ男物の服まで用意するなんて、本格的ですね」
「ええ。先生が用意してくれたの。案外、形から入るのも悪くないものよ。練習の間はしばらくこの格好をしてもらうわ」
「護衛の人との訓練といい、リアちゃんを男の子として扱ってません? こんな可愛いんだからちゃんと女の子として扱ってあげたほうがいいですよー?」
「あら? リアは立派な殿方としても振る舞えるわよ?」
男の子、という単語に一瞬ドキリとしたが、エルザは笑って受け流す。
……このあたりの駆け引きはエルザが一枚も二枚も上手だな。貴族として教育を受けているだけはあるな。
「はいはい、それじゃあ私はこれで失礼します。リアちゃんが変な趣味に目覚めるような事が、ないことを祈っていますよ」
そう言い残して彼女は去っていった。
上手くロゼッタに気づかれないよう、振舞えたようだ。
やがて、俺達は互いを見て笑いあう。
「少しドキドキしたわね」
「ああ……。一瞬、見破られたのかと思った」
「でも楽しかったわ。舞踏会が終わってもダンスの練習をしましょうか?」
「……考えておく」
蝋燭の灯りでほのかに顔が赤くなったようなエルザと、まるで悪だくみをするように小さな秘密の会話を続ける。
まだ僅かに歯が疼く中でひっそり行われるその会話は、悪戯好きの共犯者を手に入れたような、なんとも言えない気分にさせてくれた。
──―
舞踏会の日はすぐにきた。
やはりお嬢様は緊張しているのか、どこかソワソワと落ち着かない様子だ。
「お嬢様。そんなに動かれては化粧ができませんよ」
「だってしょうがないじゃない。それにリアが化粧を手伝ってくれるならおかしなことにはならないでしょう?」
そう。俺は今、エルザのメイクをしている。
本来はロゼッタに任せるつもりだったが、他の準備で手が回らなくなったらしい。
他のメイド達は例によってエルザに直接触れることを恐れ、化粧の手伝いなどはやりたがらなかった。
そこで最初はエルザは自分で鏡を見ながら化粧をしていたが、外に出る機会が少なかった事から練習もおざなりになっていたらしい。
エルザがメイクをしてけばけばしいメイクを披露するよりは、婆さんから化粧の手ほどきを受けた俺が代わりにメイクをしたほうがマシだったというわけだ。
「ねえリア。私は今、どうかしら?」
「ええ、美しいですよ。お嬢様」
嘘偽りのない本音を告げてやる。
すると、彼女はほんのりと頬を染めて微笑んだ。
「ふふっ。リアが私をどのようにしてくれているのか楽しみだわ」
「……ええ、期待していてください」
彼女には何度か鏡を見せて、進捗を教えている。
そのたびにワクワクソワソワとしていた。
「……」
「……」
メイク中は当然だが無言になる。
エルザの顔が近い。
ほんのり赤く染まったエルザの頬は頬紅によるものではないだろう。
俺も照れてうっかり顔が赤くならないように、作り笑顔で対応する。
……うまくごまかせているといいが。
エルザのメイクに関して、そこまで手間はかからない。
婆さんと違い、彼女の肌は張りもあってかなり綺麗だ。
植物油をベースに錬金術師が仕上げたオイルを塗り、透明感のある肌に仕上げるだけでもそれなりになる。
彼女は白粉を使いたがったが、普通の白粉は鉛が肌を傷つけるので使わない。
最近錬金術師が発明した鉛を使わない特別な白粉を取り寄せた。
もともとの顔が良いってのは得だな。
顔全体を保湿した後は、薄く白粉を使って肌を整え、唇に薄い色のルージュを塗り、ブラシで眉毛の毛並みを整え、僅かに専用の筆で書く。
これで完成だ。
まつ毛など、元々の顔立ちがしっかりしている箇所は下手にいじると逆効果になるため触らなかった。
変にいじると厚くて濃いメイクになるからな。
実際にエルザが自分でメイクをしたときはそうなった。
「リアがやってくれて助かるわ。舞踏会にも出られるくらい綺麗にしてね?」
「仰せのままに。……できましたよ。今から鏡をお持ちします」
メイクが仕上がったので俺は大き目の鏡で彼女を写す。
彼女は左右に角度を変えてどう見えるか確かめているようだ。
本来、貴族は8歳になると、他の貴族との社交も兼ねて舞踏会に参加するらしい。
だがエルザはその頃まだ肌が弱く、あまり外へ出ることができなかったそうだ。
薬のおかげで肌が日差しにも強くなってきた彼女は、今回が社交界へのデビューとなる。
「あら、素敵ね。ねえリア……。いいえ、レオ。どう思う? あなたの言葉で教えて」
しばらくエルザの専属となって分かったことがある。
メイドとしての役割をこなして無難な事をいう“リア”としての意見、それとは別に俺自身の率直な意見も聞きたがっているということだ。
その時は決まって俺を“レオ”と呼ぶ。
そう呼ばれた時は、なるべく包み隠さず率直に言うように心がけていた。
そして今回もそうだ。
俺は少し照れながらもはっきりと言う。
「……凄く、綺麗だ」
「そう。ならいいわ。私はこれで少し遅めの社交界に出るわね」
俺の意見に満足したのか、彼女は笑顔で頷くと身に着けるアクセサリーを選び出した。
「どうこれは? 派手すぎないかしら?」
「お嬢様。残念ながら私にはどれも素晴らしく、判断が付きません」
「もう! レオとしての意見を聞いているのよ?」
いくつかのアクセサリーを見せてくるエルザ。
どれも複雑で細かい装飾が施されており、素晴らしい品だ。
率直にどれも似合っている。
俺が下手な事を言うより任せたほうがいいだろう。
「お前なら、どれも似合うと思うぞ?」
「それならレオの好みで良し悪しを決めてくれればそれで良いの」
「そうか……。こっちのネックレスはどうだ?」
俺はエルザの髪に似合ったネックレスを選んだ。
舞踏会がどのようなものかわからないが、これなら派手過ぎず、何処でもしっくりくるだろう。
「そう、ならこれにするわ」
お嬢様はネックレスを身に着ける。
俺が手伝うのはここまでだ。
あとはメイドのロゼッタに任せて、俺は馬車の手配など諸々の確認作業に回る。
「それでは、私は馬車の手配と……あとは先生が持っていくように言っていた荷物を受け取り、確認してきます」
「ええ、よろしくね。……ねえリア」
「どうかなさいましたか?」
「今回の舞踏会、大丈夫かしら? 上手く溶け込めると良いのだけれど」
不安そうに訪ねてくるエルザをみて、俺は内心わずかに動揺する。
先生などから話を聞く限り、エルザと同世代の子供たちは数年前に他の貴族と関係を築いているだろう。
両親の家格や商売など、互いに貴族社会の利害を踏まえた関係が築かれている中で、新たに関係を結ぶのはなかなかに骨が折れるに違いない。
だが、それでもエルザには同世代の友人ができてほしいと思う。
俺はエルザの期待に応えるべく、内心の不安を隠して満面の笑みで応えてやる。
「きっと素敵な友達ができますよ」
「ええ、そうよね! 悩んだってしょうがないわ」
「ええ、お嬢様は魅力的ですからね」
「……もう! からかってばっかり!」
顔を赤くした彼女はそっぽを向いてしまう。
不安になっているよりは良いだろう。
本当に、このお嬢様には良い友人ができて欲しいものだ。