俺は付き添いとしてお嬢様とともに馬車に乗り、目的の屋敷へと向かう。
到着したのは、とある子爵家の館だ。
日が傾き、夕日が照らす庭園はとても静かで幻想的だった。
エルザは美しいドレスに身を包んでいる。
今日は子供たちのダンスパーティーの後、大人たちのダンスがあるらしい。
大人たちのパーティーに俺たちが参加することはないので、適当に親交を深めて去る予定だ。
俺はエルザが日の光に当たらないよう、エスコートして会場まで付き添いをする。
不本意ながらもメイドの恰好をしたうえで、だが。
荷物を主催者の使用人達に預けて、俺達は会場の中に入る。
会場には様々な貴族が集まり、煌びやかな雰囲気が漂っていた。
幾人かはこちらを見てくるが、特に興味もないのか、すぐに自分たちの雑談に興じていく。
「おや、見ない顔だね。失礼だがどちらの貴族だったかな?」
声をかけてきたのは俺たちよりも年上の若い男だ。
おそらく他の子供の付き添いで、夜に行われる大人たちのパーティーに参加するのだろう。
エルザは男を見ると恭しく挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私、ローソゼル家のエリザベートと申しますわ」
エルザが自己紹介し頭を下げたその一瞬、優男の顔がひきつる。
だがそれもすぐに元の笑顔に戻っていた。
……良かった。エルザは気づいていないようだ。
「……ああ。貴族たちには広く手紙を送っていました。私はリュミオン家のカリュバールと申します。公爵家の娘とは知らず、ご無礼をいたしました」
「……まあ! 侯爵家の! ……こちらこそ、長年の患いによりお顔を存じ上げないことをお詫びいたしますわ」
エルザとカリュバール、二人は丁重な挨拶をし、世間話へとつなげていく。
俺にはよく分からないが、貴族の力関係があるのだろう。
「ところで公爵殿……お父上はどちらに?」
「執務が忙しいらしく、此度の舞踏会に参加はできないとの仰せでしたので……」
「左様でしたか……。それでは今度よろしくとお伝えください。私はこのパーティーが上手く行くよう取り計らって参ります。ゆっくりとお楽しみいただけますよう」
……カリュバール侯は話をそこそこに切り上げ、礼をして足早に去っていく。
彼は、なぜか去り際に苦い顔をしていた。
なんだか嫌な感じだ。
そして男が去ってしばらくしてからの事だ。
妙にこちらに向ける視線が増えた気がする。
好奇と嫌悪、両方の目がエルザに向けられている。
俺はその視線を遮るようにエルザのそばを歩く。
その様子を見たエルザは優しく微笑んだ。
「リア、大丈夫よ。 私は何も気にしていないもの」
「お嬢様……」
「私に関して、色々と誤解があるかも知れないけれど、少しずつ話をしていけば誤解は解けるものだわ」
だから、心配しないで。
そう小さく声にならない声でつぶやいた彼女は笑って、同世代の子供たちがいるグループへと近づいていく。
使用人の身分で、何の関係もない貴族のところに不用意に近づくのはあまり好ましくないだろう。
俺は少し離れて、お嬢様を見守ることにした。
他の子供たちとも、最初は問題なく話をしていたが、彼女が自分の苗字を名乗ると、時に困ったような、時に苦い顔をして、しばらくするとエルザから離れていく。
俺は理由を知るために、エルザに目をやっている者たちの方へそっと近づき、雑談に耳を傾けてみる。
──どうしてあれほどの貴族が今頃?
──ほら、例の病の……。
──ああ。それ故、あの娘は継承権を持たず、公爵家から見放されているらしい。
──それで派閥を作ろうと? 娘の派閥かね? 公爵家の派閥かね?
どうやら格下の貴族にとって、エルザの行動は派閥への勧誘のようにとらえられているようだ。
おそらく彼女の持つ家柄、 ローソゼルと言う肩書きが強すぎるのだろう。
すでに別の派閥に属している弱小貴族達からは敬遠され、同じ派閥に属する者たちからは、立場上、何の後ろ盾もない小娘として扱われているという。
結果としてどちらの派閥からも距離を置かれている。
そして何よりもその病が知られており、そこから生まれた差別意識が、それらを増長させていた。
この差別意識は屋敷のメイド達、いやそれ以上に勝る酷さだ。
……まさかここまでだとは。
どうしたものか。
俺は窓のほうを見ながら考える。
西日にあたるわけにはいかないので、遠くから眺めるだけだが。
ふとそこで、見知らぬ貴族の一人が変な動きをしているのに気がついた。
メイドに銘じて懐からなにかを取り出している。
あれは……鏡だろうか?
化粧直しなら別のところでやるはずだが……?
その貴族は鏡を太陽に当てて反射させた。
そしてその光をだんだんと奥のほうへ伸ばしていき──。
……まさか!
「きゃあっ!!」
「お嬢様!」
伸ばした光がエルザの頬をかすめるように触れ、彼女は顔を手で押さえた。
……しまった。間に合わなかった!
「お嬢様! 大丈夫ですか!?」
「リア……。ええ大丈夫よ、このくらい」
エルザは頬を手で押さえながら、余裕を見せつけるように振る舞った。
先ほどの光。あれはエルザの病気を知ったうえで意図的にやったのだろうか。
悪戯にしては度が過ぎている。
窓のほうを再び見返すが、鏡を持った貴族はその場からすでに立ち去っていた。
騒ぎで静かになった中、遠巻きに俺たちを見つめる者達の囁き声がやけによく聞こえる。
──やはり、例の病持ちか……。
──どうしてこの場に出てきたのだ。
──ああ、構わない。大公もあの娘を隔離して久しい。アレくらいならどうにでも……。
周囲の声がうるさい。
今はそんなくだらない声よりも優先することがある。
「お嬢様。お顔を見せていただけますか?」
俺はそっとエルザの手をどけると、光が当たった場所を見せてもらう。
……赤く腫れあがっているな。
「大丈夫です。これくらいならすぐに治りますよ」
そう。俺たちはこのくらいの怪我や傷はすぐに治る。
少し休めばすぐにでも治るだろう。
最悪は化粧で誤魔化せばいい。
俺たちは化粧直しのため、その場を離れた。
「お嬢様」
「大丈夫よ。ちょっとしたアクシデントはつきものだわ。きっと私の運がなかったのね。……だれかの鏡で光が反射して偶然、私にあたるなんて」
悪意のあるものであった事は間違いない。
だがその事実を、人の善意を信じようとするお嬢様に伝える気にはならなかった。
だから、俺はお嬢様に嘘をつく。
「……そうですね。偶然、お嬢様に当たってしまったのでしょう。さあ、そんな事より怪我の治療を優先しないと」
「そうね。……とはいってもやる事なんてないのだけど」
「少し腫れが引いたら再度化粧をします。それで何事もなかったようにできますので、化粧が終わったらあの場へ……」
そう言いかけて、すこし言いよどむ。
あの場所へ戻ることが、本当に最善だろうか。
俺は一瞬、彼女をそこへ連れていくことをためらってしまった。
そんな俺の感情に気が付いたのか、彼女は俺の頬にそっと手を触れる。
「私は大丈夫よ。そんな酷い顔をしないで」
優しくそう語りかけてくる彼女。
しまった。気を使わせてしまった。
……本当は俺が気を使わなければいけないのに。
俺は改めて表情を作る。
「失礼しました。改めて化粧をしましょう。今以上に美しくして差し上げますよ」
「ええ、期待してるわよ」
「任せてください。私は貴方のモノですから」
彼女は俺が傷ついていると、自分も傷ついたように感じるようだ。
彼女を傷つけないために、俺も強くならなければ。
化粧も終わり、パーティーの舞台へと戻ってくる。
もうすぐ社交ダンスが始まる時間だ。
エルザがもっとも楽しみにしていた時間に間に合ったのは不幸中の幸いというべきだろうか。
「じゃあ私、行ってくるわね」
「ええ。素敵な殿方に誘われるように頑張ってみるわ」
今回の舞踏会では、最初の曲では少年や少女を対象としたダンスの時間を割り当てている。
大人達のダンスは子供達のダンスを数曲が終わってから始まるらしい。
やがて楽隊の演奏が始まり、男の子が女の子に声をかけて踊り始めた。
一人、また一人とパートナーで踊り始める中、最後まで声をかけられず、壁のそばで佇む少女がいる。
エルザだ。
彼女に話しかけようとするものはおらず、たまに目があったとしても、申し訳ないが先約があるので、と断られていた。
そうして、誰とも踊ることがないまま一曲目は終わる。
二曲目も同様だ。
エルザは周囲を見回すが、目を合わせるどころか近づこうとするものすらいない。
壁のそばで一人佇んだまま、やがて彼女は誰にも声をかけなくなり、俯いてしまった。
……これ以上は、見ていられない。
そろそろ最後の曲目が始まる。
その前になんとかしないと。
俺は誰にも気づかれないよう、そっと会場から離れた。
──―
お父様からのプレゼントはいつも金貨だった。
これで好きなものを買いなさい、それ以外で必要なものがあれば手紙を送りなさい。それだけ書かれた手紙とともに、渡される金貨の入った袋。
病気で外へ出られなかった私は、 欲しいものが何かも分からず、それをただしまい込んでいた。
長い治療がやっとひと段落ついて、太陽が照り付ける中でも直接光を浴びなければ……、傘をさしてさえいれば大丈夫になったのは、つい最近のこと。
病気がある程度落ち着いた私は、外へ出てみたいと思った。
お父様にお願いの手紙を送ってみたところ、数少ない希望は叶えられ、護衛付きの馬車に乗って外へ出る事を許された。
黒い布越しとはいえ、外に出て初めて見る昼の日常はとても新鮮で、太陽の光が腕を軽く焼くまで私は心奪われていた。
それからは何度か馬車のカーテン越しに外を眺めるのが私の楽しみになった。
ただ、私の体の事を考えると、やはり人手が欲しくなる。
メイド長のような人じゃなく、もっと気軽に話せる友人のような存在。
私はそういった人を近くに置いておきたい。
メイド長にロゼッタを専属にできないか聞いてみた。
彼女なら歳も近いし、いい話し相手になってくれるだろう。
でも残念。彼女は将来、別の屋敷で奉公することが決まっているらしい。
誰か傍付きになる人はいないか、なんども聞いていると、メイド長はうんざりしたような表情で奴隷商の存在を教えてくれた。
なんらかの理由で市民の身分をはく奪された人をお金で購入して、そばに置いておけるらしい。
暴れたりしないのか聞いたが、契約の魔術でしばりつけて命令の大半に従えるようにするそうだ。
……私なら、知らない人にあれこれ指図されて動け、なんていわれたら嫌だと思う。
そう考えて購入はしばらく躊躇っていた。
けれども悩んだ末に結局奴隷を購入することにした。
やっぱり身近に色々と話せる人は欲しいもの。
日光に当たらないよう、念のため早朝に外へ出る。
まだ薄暗くて寒さが残るこの季節。
私にはこの静けさが心地よかった。
商人のもとへ向かう途中、私は彼を見つけた。
皮膚が爛れ、ぼろぼろになって座り込んでいる。
それは私にとってとても見慣れた光景だった。
つまり彼も同じ病気を患っているということだ。
「ねえ、あの子……」
「お嬢さん。ああいうのは見ちゃいけませんぜ」
「構わないわ。彼のところに行くわよ」
「ちょっと! お嬢さん聞いて下せえ!」
従者から小言を言われるが、彼の手に金貨を一枚握らせると、ため息一つついて何も言わなくなった。こういう時の彼は理解が早くて助かる。
道端でボロボロになっている彼に声をかけてみる。
彼は私に気が付くと、一瞬驚いたような顔をした。そして次に悲しそうな顔になると、ポツリとつぶやいた。
「……関わるな。騙して奪うぞ」
口ではそういうが、彼の眼はとても寂しそうだった。
私と同じ病を持ち、孤独な彼。
……どこか館での私を思い出させた。
だから私は、過去の自分を救うつもりで彼に手を差し伸べる。
館に戻ってしばらくは、使えない奴隷を買ってきたものだと、メイドたちが陰で小言を言っていた。
実際は購入すらしていないのだけど……。
余計なことは言わないに越したことはないわ。
後から知ったのだけど、彼は犯罪者の巣窟と呼ばれる、貧民街出身のようだ。
だけど彼はそんな出自を感じさせないほどに、とてもまじめで丁寧な仕事をしてくれた。
日々の仕事をこなし、私の我侭にも付き合ってくれる。
彼のおかげで、私は誰にも監視されない、心地が良い時間を作ることができた。
でも、なぜ彼は魔術でしばりつけたわけでもないのにそこまでしてくれるのか。
それとなく理由を聞いた事がある。
けれど彼は困惑しながら、お嬢様のモノですので、といういつもの言葉だけで片付けてしまった。
どうやら彼自身も言葉にできていないようだ。
彼と過ごしてからしばらくして、一通の手紙が届いた。
……舞踏会の招待状だ。
本来なら数年前に社交界へ顔を見せているはずだが、その時はまだ病気のせいで体調が芳しくなく、出席できなかった。
それ以来、この類の手紙は今まで来る事がなかったので正直驚いている。
この舞踏会で友人や、あるいは素敵な殿方に出会えたらうれしいけれど。
できればいつも私のそばにいてくれて、少しの我侭くらいなら聞いてくれて、困ったときに助けてくれる人がいい。
……さすがに高望みしすぎかな。
それに貴族としては、そんな高望みをするよりも、まずは他の方々と顔をつなぐのが大事だろう。
私は生来の病のおかげで貴族としての役目を一部免除されている。
とはいえ、まったく何もしないわけにもいかない。
レオと先生に練習を付き合ってもらいながら、気が付けば舞踏会の日を迎えていた。
私はレオが選んでくれたネックレスを胸に、社交の場へ出る。
本来なら私のような子供は、父親か母親が顔をつなぐために互いを紹介をしてくれるらしい。だが、母は私が生まれた時に亡くなっているし、放任主義の父の事だ。
残念ながらここに来ることはないだろう。
ならばこそ、自分で関係を築かなければならないのだが……。
見知らぬ人ばかりだが、こちらから声をかけていけば良いだろうか。
そう考えていた時、一人の大人から声がかけられる。
侯爵家の人間だ。
私は丁寧に挨拶をし、向こうもそれに返してくれた。
侯爵は用事があるということですぐに去って行ってしまったので残念だ。
表情が硬かったが、私にあまりよくない印象でも抱いているのだろうか。
もしそうなら、なんとか誤解を解く機会を設けないと。
最初はそう考えていた。
だけどそれどころでない状況にいる事に気づく。
近くにいた年齢の近そうな子供たちに話しかけるも、私の家名を聞いたとたんに距離を置き始める。
子供は子供で派閥があるのだという事を理解したのは、その時だった。
そして、私がそれほどまでに社会から隔離されていたということも。
もしかするとお父様は私を……。
一瞬、嫌な考えが頭をよぎるが、考えないことにした。
レオが心配そうにこちらを見ている。
彼をさらに不安にさせるわけにはいかない。
しっかりしないと。
「お嬢様!」
どうすれば状況を改善できるか考えていたその時、レオの叫び声とともに、私の頬に熱いものが当たる。
……西日が誰かの鏡に反射して、私の頬に当たったらしい。
一瞬だけだったのでさほどの傷ではないけれど、火傷のように見えるかもしれない。
光を当ててしまった人は、すでにこの場所からいなくなっているようだ
もしかしてわざと……? いいえ、そういうことを考えるのはよくないわ。
今日は運がない、ただそれだけ。
……そう、それだけ。
レオは私を連れて場所を移動すると、顔を見て大丈夫だ、と言ってくれた。
しばらく薬をつけた状態で待っていると赤みが引いていく。
その後、万が一に備えてメイクを整えてくれた。
こういう時の彼はいつも頼りになる。
彼を安心させるためにも最低限の知り合いくらいは作らなくちゃ。
私は彼にありがとうと伝え、改めて舞踏会の場に出ることにする。
会場に戻ったときには、すでに子供たちのダンスの時間になってしまっていた。
結局、あまり話せていなくて、今日はダメかもしれないけど、最後まであきらめないようにしないと。
女性から声をかけるのははしたないとされるので、私は誰かが誘ってくれるのを待つ。
……だれも声をかけてくれる人はいなかった。
1曲目が終わり2曲目が始まっても、声をかけてくれる人はいない。
とりあえずほかの貴族に微笑みかけるくらいはいいだろうか。
「申し訳ございませんが、既に先約がありまして」
たまたま目があった貴族の一人からは、誘う前にお断りの口上を伝えてきた。
そうか、やっぱり私は──。
……ちょっとだけ、辛い。
最後の曲目が始まった。
……もう笑顔を振りまく必要はないか。
私は心を殺し、下を向く。
せめて戻ったとき、レオを心配させないような、強気な笑顔を見せられるようにしないと。
だからだろう。俯いていた私の目の前に差し出されたとき、すぐに反応できなかったのは。
「もしよろしければ私と踊っていただけませんか?」
その声で私は顔を上げて彼の顔を見る。
その顔はすぐに分かった。
レオだ。
髪型こそ変えているが、何度も踊った彼が、燕尾服を着た男性の姿で立っていた。
……何故? どうして?
色々と聞いてみたいことはあったが、それよりも。
私は小さく息をのみ、その手を取る。
「──はい、喜んで」
──―
俺たちは互いにステップを踏み、ダンスを踊る。
他の貴族たちからすればまだまだ未熟かもしれないが、それでも息の合ったステップだろう。
今日まで練習を積み重ねてきたからな。
俺が来て予想外だったのか、少し恥ずかしいのか顔をほんのり赤らめたエルザは、俺にだけ聞こえるようにささやきかける。
「このステージは部外者立ち入り禁止よ?」
「俺も関係者さ」
……貴族ではなく、使用人としてだけどな。
彼女俺の言葉に小さく笑い、俺のステップに合わせてくる。
「まったく、どこからその服を?」
「婆さんが何故か貴族用と執事用の服を用意していてな」
万が一にもバレないように、髪は後ろで束ねて簡単なメイクを施している。
お陰で普段より少し格好よく見えるはずだ。
「さすが魔法使いね。こうなることを予知してたのかしら?」
「さあな」
こうなることを予期していたのなら随分残酷な婆さんだ。
俺が出ていかなかったらエルザはあの場所で一人佇んで──。
……俺が出ていくことも織り込み済みだったってことか?
曲も終盤へと差し掛かった。
この時間はもうすぐ終わりを告げる。
そこでエルザは俺の手を強めに握ってきた。
「ねえ、レオ。もっと踊っていたいわ」
「……館でならいくらでも付き合ってやるよ」
ほかの貴族も俺を怪しんでいるだろう。
曲の途中で俺を咎めるようなマナー違反はできなかっただけで、曲が終わればすぐに人が来るに違いない。
だが、大丈夫だ。
この場をさっさと退散する準備はできている。
俺は踊りながら、そっとバルコニーのほうへ誘導していく。
ダンスが終わり、会場は一瞬の静寂に包まれる。
その後、踊った相手と互いに礼をして終了だ。
それに合わせ、なるべく自然な動作で目立たないように気をつけながらエルザをバルコニーへと連れ出した。
「さて、俺は先にお暇するぞ。着替えは馬車の中でやる。一人で大丈夫か?」
「ええ、もちろんよ」
「そうか、じゃあ……」
「あ、レオ!」
俺がバルコニーから飛び降りようとしたが、エルザは服の裾をひっぱって止めてきた。
「えっと、その、ありがとう……」
「ん? ああ、こちらこそ」
俺はエルザの手を握り、ダンス終了のマナーとしての挨拶をする。
こんなとこで最後までこだわるんだな。
……エルザが眉をひそめてむくれている。
何か気に障ることをしただろうか?
「そうじゃないの。私をダンスに誘ってくれてありがとうって言っているの」
「何を言ってるんだ。あんな綺麗なお姫様が一人で立ってるんだから、誘ったって誰も文句は言わないさ」
なんだか照れ臭くなった俺は、茶化すようにそう言ってごまかす。
「もうっ! 調子のいい事を言って……」
そこで会場のほうが、ガヤガヤと騒がしくなり始めた。
見ると他の子供達はそれぞれ仲良くグループを作り、食事や雑談を楽しんでいる。
本来なら、子供たちはこのまま大人と一緒に舞踏会を楽しみ、自宅へ戻るのだろう。
だが、エルザの親はここにいない。
本来ならもう少し粘って友達作りに励むんだろうが……。
この冷たい邸宅で開かれる舞踏会はこれでおしまいだ。
何よりエルザのためにならない。
主催者に悪いが俺たちは早退させてもらう。
「じゃあ、俺は行く。後でな。早く来いよ?」
「あ、レオ──」
悪いが今、誰かに呼び止められる事は非常にまずい。
エルザの言葉は最後まで聞かず、飛び降りる。
このぐらいの高さなら慣れたものだ。
俺は無事着地し、エルザに手を振ると、馬車のほうへと駆け出した。
馬車の中で、不本意ながらもメイド服に着替えた俺は、扉の前でエルザを待つ。
しばらくするとエルザが来た。
「ただいま。レ──」
「お帰りなさいませ、お嬢さま。このリアが私たちの館までエスコートいたします」
俺は口に人差し指を当てて、人前で名前を呼ぶことをやんわりとたしなめる。
エルザも意味が伝わったらしく、言葉をいったん区切って頷いた。
俺は彼女の手を引いて馬車の中へ誘導する。
馬車の座席に座った彼女は微笑みながら俺を見ていた。
「ねえ、お願いがあるのだけど……いいかしら?」
「なんでしょうか。私にできる事でしたら、どのような事でもおっしゃっていただければ──」
「そう。ならお願いするわ」
いつもの言葉を言い終わらないうちに、彼女は俺の隣に座る。
そして、肩にそのままもたれかかってきた。
「お嬢様!? 一体何を……」
「わたし、今日は疲れちゃったみたいだから、リアの肩を貸してね」
俺は何か言おうとして彼女の顔を見るが、すでに目を閉じている。
あれだけの事があれば当然か。
館まで寝かせてやろう。
待機していた従者のおっさんにお願いして、馬車を出してもらう。
館についた後は、彼女を起こさないようにそっと抱きかかえ、寝室までエスコートした。