吸血貴族の愛し人   作:SHノーマル

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 怒涛の一日が終わって翌日になり、婆さんの所へ行く。

 昨日のお礼と、今回の件について、気になった事をいくつか質問するためだ。

 

「先生、先日はありがとうございました」

「どういたしまして。あなたに預けた服はお役に立ったかしら?」

「ええ。予想以上に。ところであの洋服についてですが……」

 

 何故予測できたのですか? 

 やはり噂通り魔法使いなんですか? 

 

 どのように質問を切り出そうかと考えていると、先に婆さんのほうが口を開く。

 

「そうですね。先に言っておきますが、私は魔法使いではありませんよ。私は少し人相見と星占いができるだけです」

「人相……見?」

「ええ。占術の一つで顔を見ることでその人の生き方や性格、その後の人生を測るものです」

 

 それが一体なんの意味があるというのか。

 その疑問を口に出す前に、ふたたび婆さんは答えてきた。

 

「星の巡りと合わせて彼女を見ていました。占いによれば、彼女にあまりよくない事が起きる予定だったのですよ」

「……なら、直接お嬢様に伝えていただければ」

「星の巡りから来る不運を人間の浅はかな知恵で避けたりする事は好ましくありません。より深い問題を招くことがあります。それに、あの子も楽しみにしていたでしょう?」

 

 確かにエルザは今回の舞踏会を楽しみにしていた。

 だが、だからと言って傷つけていいわけじゃない。

 

「他に方法があったんじゃないか、そういいたいわけですね?」

「ええ……」

 

 俺の考えを見透かしたように、婆さんは先に質問をぶつけてくる。

 お陰で俺は何も言えずに、ただ頷く事しかできなかった。

 

「たとえ私の助言で今回の舞踏会を見送ったとしても、期待が大きかった分だけ、それは彼女の中でくすぶり続けたでしょう。それに彼女を助ける男性がいれば、その痛みが軽減されることも占いに出ていました。あなたがその助ける者であって欲しいと思って、あの服をいれたのです」

 

 そこまで言われたら、俺には何も言うことはできない。

 だが、そこまで見透かす力があるとは。

 

「それだけの力があるなら講師など引き受けずとも、占い師を職業にすればよいのではないでしょうか?」

 

 俺のその言葉に婆さんの顔がわずかに曇る。

 その複雑な表情は、俺には理解しがたい何かがあることを物語っていた。

 婆さんはしばらく沈黙し、外を眺めたあとで、自身の事を語りはじめた。

 

「占いを生業にしていたことはありますよ。私は昔、多少は名の知れた占い師でしたから。それがきっかけで貴族社会にも少しだけ顔を出していましたので、今はこのように先生としてやれています」

 

 婆さんの話を聞くと、過去に貴族の望む答えを出さなかったとして、反感を買ったことがあるらしい。

 先生は自分自身の行く末を占い、考えた結果、専業としての占い師はやめ、副業だけにとどめる事を決めたそうだ。

 

「私はてっきり魔法使いか何かだと思っていました」

「奇跡をおこせる魔法使いは王都で囲われていますので、あなた方が目にすることはないでしょう。それに、そんな者たちに関わることなど無いほうが良いのですよ。彼らは伝説に謳われるような力を持ったものは最早おりません。にもかかわらず火種なしで火を起こせるだけで傲慢になりますから」

 

 どうやら、婆さんは魔法使い達にたいして、あまり良い印象をもっていないらしい。

 俺にとっては未来を観る婆さんも魔法使いのようなものだが。

 

 それならそれでいいか。

 とりあえずその力を使ってもらおう。

 

「それでは先生、お嬢様のため未来を観て助言をいただけないでしょうか」

 

 だが、婆さんは静かに首を振った。

 

「もう観ました。そしてその結果は伝えない事にしました」

「それは……何故……?」

「それはあまりにも大きく、防ぐ事ができず、そしてそれを伝えても、それを防ごうとすることがエルザの未来にとって悪い影響となるからですよ」

 

 そういうと婆さんは俺を真っ直ぐ見つめてくる。

 その表情はとても真剣でふざけている様子はない。

 

「今の選択があなたの未来を決めます。未来はあなたが望むようにはならないかもしれませんが、あなたの行動でおおよその形を決めることはできます。何が正しいのか自分で選んで決めること、それが今のあなたに一番大事な事です」

「……分かりました」

 

 なにを占ったのか詳細を教えてほしいが、ここで食い下がって何も教えてはくれないだろう。

 俺は大人しく引き返そうと婆さんに背を向ける。

 

「ああ、でも一つだけ」

「……何でしょう?」

「彼女がどこかの貴族に嫁ぎ、悲しみに暮れるという未来は消えましたよ。よかったですね」

「……そうですか」

 

 俺はそれ以上なにもいう事が出来ずに対話を終わらせた。

 廊下を歩きながら、一人考える。

 

 何が正しいのか、か。

 俺にとって何が一番良い結果なのだろうか。

 エルザが幸せになってくれることか? 

 それとも、彼女を手助けして見守る事が俺の望みなのか? 

 

 ……少し考えたが、答えは出なかった。

 

 

 結局、婆さんと話をした以外はいつも通りの日常だ。

 エルザは婆さんから教育を受ける。

 その間に俺は掃除洗濯だ。

 

 習い事が終わるとエルザはベッドに突っ伏す癖があるので、一番綺麗にしておかなければいけない。

 続けて窓や床、部屋の花瓶の水替えまでやっていく。

 

 最後は風呂場だ。

 豪華で大きな浴場を水垢がつかないよう、丁寧にこする。

 エルザから許可をとり、俺はこの掃除の際に自分の体も洗ってしまっている。

 

 どうせ俺しか掃除をする人はいないからな。

 なんの問題もない。

 なによりメイド達は使用人専用の風呂場をあまり俺に使わせたくないみたいだ。

 俺も肌を見せないで済むのは助かる。

 

 掃除が一通り終わるころに、礼儀作法の授業を終えたお嬢様が戻ってくる。

 

「ふわぁ。疲れたぁ」

「お嬢様、はしたないですよ。お嬢様にお仕えするメイドとしては見過ごせませんね」

 

 予想通りにベッドに突っ伏すエルザに注意をすると、彼女は不満そうな顔をした。

 

「もう! いいじゃないの、少しくらい」

「いいえ、貴方に仕えるメイドのリアとしてこれは見過ごせません」

 

 俺はリアの部分を強調して悪戯っぽくそういうと、エルザもその意味を察したようだ。

 

「……ならレオの意見は?」

「お疲れ様。どうせ俺しかいないし、ゆっくり休んでな」

「さすが! 話が分かるわね!」

 

 そういうとゴロゴロとベッドの上で転がりだす。

 なんだか今日は行動に貴族らしさ、というか仰々しさがないな。

 

 ……まあ、舞踏会の事は気にしていないようでよかった。

 

「おいおい、さすがにやりすぎだぞ」

「礼儀作法ってね。背中とか首が固くなるのよ」

「気持ちはよく分かるがな……。一応、お前は貴族なんだから」

「いいのよ。私はもう、そこまで人と関わらなくても良いのだから」

 

 そういった彼女はどこか拗ねたように後ろを向いてしまった。

 前言撤回だ。

 やはり少し前回の舞踏祭が尾を引いているらしい。

 

「そんな事より、話の続きを読み聞かせて」

「まったく、しょうがないな。夕食の後にな」

 

 俺は夕食を料理長から受け取り、エルザの部屋へ運ぶ。

 ……そこで違和感に気づく。

 今日はなぜか、食事にあまり手を付けようとしていない。

 顔もほんのりと紅く、ぼうっとしている。

 

「どうした? 調子が悪いのか?」

「調子……? そうね、そうかもしれないわ」

「常備されている薬草があったはずだ。それを取ってこよう」

 

 俺がそういって部屋を出ようとすると、エルザは俺の袖を引っ張ってくる。

 

「ありがとう、レオ。……でも、今日はいいわ。私のそばにいて、夕食を食べさせて」

「……しょうがないな。今日だけだぞ」

 

 そういいながら額に手を当てて、熱を測る。

 ……熱は無いようだし、一度様子見をするか。

 

 少しだが夕食のスープを食べ終えた後は彼女の体調も落ち着いたようだ。

 様子見を兼ねて、いつも通り彼女の部屋で本の朗読をする。

 彼女が寝るまでの間の、御伽話の時間だ。

 

「“おお、魔法使いよ。彼女を助ける方法はないのか! ” そう問いただすドラクルに魔法使いは答えます。“もしも貴方に覚悟があるのなら、それは可能です” 魔法使いは秘術を用いてドラクルの持つ不死性の一部を分け与える方法を提案しました。ですが、それは禁忌の選択でした──」

 

 そこでエルザが俺の袖を引っ張っている事に気が付いた。

 朗読を止めてエルザの顔を見る。

 エルザは潤んだ瞳で俺を見ていた。

 

「ねえ、お願いがあるのだけど……良いかしら?」

 

 珍しく、どこか甘えたような声を出してくる。

 ……やはり体調が悪いのだろうか? 

 

「何だ? いつも通り、できる事ならなんでも──」

「そう、なら失礼するわね」

「お、おいっ!」

 

 最後まで言い終わらないうちに、彼女は俺の体にもたれかかってきた。

 そして俺の首筋に顔を近づける。

 いきなりの行動に俺の心臓がドクン、と大きく跳ねたのを感じた。

 

「お、おい聞こえているかエルザ。何をする気……痛っ!」

 

 首筋に痛みを感じ、とっさに俺は後ろへ引いてしまう。

 エルザの方をみると、口から一筋の赤い血が流れていた。

 

「あなたの血、美味しいわ」

 

 彼女は妖しく微笑む。目はどこか虚ろで恍惚とした表情だ。

 俺はそっと自分の首筋に手をやると、ヌルっとした触感とともに俺の指が赤く染まる。

 ……これは俺の血、か? 

 

 俺の手に広がる血を見たエルザは、ハッと我に返ったかのように、オロオロと不安そうに慌てだした。

 

「ご、ごめんなさい。痛かったでしょう。今手当をするわ!」

「いや大丈夫だ。……どうしたんだ、急に?」

 

 ハンカチを取り出したエルザは俺の首元に当てようとしてきた。

 さすがにエルザのハンカチを血で汚すわけにはいかないので、これを止めさせ、事情を聴くことにした。

 

 

「本当にごめんなさい。私、昨日からなんだか歯が疼いて……。ちょっと正気を失っていたみたい」

「気にするな。本当にたいした事はないから」

 

 俺はエルザをなだめようと近づこうとする。

 だが、エルザは怯えたように距離を取った。

 

「ダメ! 近づかないで!」

「どうしたんだ? もう大丈夫なんだろう?」

「ごめんなさい。抑えようと思っているのだけど……昨日からあなたに嚙みつきたくてたまらなくなったの。これが……血の呪いなのね」

 

 エルザは再びうろたえ、泣きそうになっている。

 血の呪い? 初めて聞く言葉だ。

 

「その、血の呪いってのはなんだ?」

「この病気よ。私たちみたいに太陽に弱い人たちは、ある時から急に、近くにいる人の血が欲しくなるの。噂では血を吸った人はこの病気を移してしまうんですって」

 

 知らなかった。

 そして同時に理解する。

 ……貴族達のエルザに対する態度は、そういうわけか。

 

「あくまでも噂よ。先生は大丈夫だって言ってたわ。だけど……」

 

 そう答えるエルザの表情は不安げだ。

 だがその視線は俺の首筋に向けられている。

 きっと俺の血が欲しくてたまらないのだろう。

 

 ……普通なら感染するかもしれないというのは、問題になるんだろうな。

 だが、俺もエルザも普通じゃない。

 

「誰でも血を吸いたくなるのか?」

「いいえ。今のところそうなったのはレオ、あなただけよ」

 

 申し訳なさそうな表情をして俺を見てくるエルザ。

 

「ねえ、レオ。もしあなたが嫌なら配属を見直すように──」

「問題ないな」

「え?」

 

 俺はシャツを緩め、エルザに背を向けて肩を見せる。

 

「吸えばいいだろう? 俺も同じ体質なんだ。ちょっと血を吸ったところで変わらないさ」

「そんな……。でも、いいの?」

 

 俺は返事の代わりにコクリと頷き、エルザに背を向けた。

 さすがに正面から抱きつかれるように噛みつかれると恥ずかしい。

 

「……ありがとう、レオ」

「気にするな」

 

 それだけ言うと、彼女はそっと俺の体に手を回し、首筋に再び噛みついた。

 先ほどまでとは違い、とてもやさしく噛みついてくる。

 

「……っ」

 

 これは、マズいな。

 痛みそのものは問題じゃない。というか最早痛みすらない。

 最初は刺すような痛みがあったが、すぐに慣れた。

 

 それどころかむず痒いような、変な感覚……妙な気持ち良さが傷口から伝わってくる。

 

 しばらく血を吸う音だけが部屋に聞こえる。

 やがて、エルザは落ち着いたのか牙を抜き、舌で傷口をなめていた。

 

「落ち着いたな。気分はどうだ?」

「ありがとう、レオ。落ち着いたわ。とても美味しくて……癖になりそう」

「気にするな。もし欲しくなったら俺に言えばいい。いくらでもくれてやるさ」

 

 吸血は終わったようだが、エルザは後ろから抱きしめたまま離れようとしない。

 

「ねえ、もう少しだけ……。このままでもいい?」

「ああ、構わないぞ。俺はお前のモノだからな」

 

 甘えるような声で尋ねてくるエルザに返事を返すと、エルザは傷口を優しくなめる。

 しばらく互いに無言のまま、エルザがそのまま眠ってしまうまで静かな時間が流れていった。

 

 翌日。

 ロゼッタにエルザの吸血衝動を報告すると、メイド達は大騒ぎとなった。

 一応俺は血を吸われていないと嘘をついたのだが、メイド達はあまり信用していないようだ。

 

 元々よそよそしかったメイド達だが、もうエルザの近くへは近づこうとしない。

 

「あの娘、本当に……?」

「うん、メイド長が言ってたわ。だから皆は近づかないようにって」

 

 階段の踊り場から聞こえる若いメイド達のさえずりを聞き流しながら、俺はいつも通りの仕事をこなす。

 

 メイド長から連絡があり、ロゼッタどころか、料理長やバロムのおっさんも含めて理由なくエルザに近づくことを禁止されたらしい。

 メイドから俺への接触も最低限にとどめられている。

 

 ……これが普通の反応なんだろうな。

 

 エルザと普通に接してくれるのは婆さんだけだ。

 婆さんはこの病に関して知識があるのか、あるいは占いの結果なのか分からないが、普段と変わらず接してくれる。

 

 エルザ本人はあまり気にした様子もないが、それでもアイツのケアをしてやらないと。

 部屋に入ると、エルザは窓の外を眺めていた。

 俺が部屋に入ると、窓からこちらに視線を移してくる。

 

 俺は昨日のエルザの様子を思い出す。

 ……こころなしか、俺も歯が少し疼いた気がした。

 

「ねえ、レオ。私たちはどうなってしまうのかしら」

「なにかあったのか?」

「メイド長から手紙を受け取ったわ。私が血を吸ったら渡すようにお父様から言われていたんですって」

 

 手紙には吸血衝動が起きた時は住居を移る手続きをしていた、との内容だ。

 物品の類は手に入りにくくなるが結果的にそちらのほうが住みやすくなるだろう、と。

 正式な通達は王家を通じて送られるそうだ。

 

「……ここを引っ越すことになるのか」

「ええ。そうなるみたい。詳しくは分からないけれど……」

「どうもしないさ。俺が傍にいるんだからな。俺がいないと血を吸えなくなるだろう?」

「ふふっ、そうね。頼りにしているわ」

 

 俺が冗談めかして言った言葉に、彼女は少し安心したようだ。

 俺は優しくエルザの頭をなでる。

 心配するな、どんな場所でも守ってやるさ。

 

 

 それから半月ほど経った頃。

 エルザ宛てに手紙が届いた。

 一つはエルザの父親から、もう一つは王家の押し印がされた手紙だ。

 

 俺はその手紙をエルザに渡す。

 エルザは先に王家の手紙を読み、次に父親からの手紙を読んだ。

 それぞれを読み終えた彼女は、眉をひそめて難しい顔をしている。

 

「私、ここから遠くの領地を与えられるみたい。と言っても聞いたことのない土地だけれど」

「領地? という事は領主として就任するのか……?」

「そうなるわね。お父様も先の手紙と似たような事を書いているわ。今後は一代限りの領主として、そこで過ごすことになるようね」

 

 一代限り、という事は暗に婚約をあきらめるようにという事だろうか。

 詳しくは語らなかったが、そのあたりは聞かないほうが良いだろう。

 

 エルザはこちらに視線を向けてくる。

 

「ただ少し問題があるの。この館のメイド達や調度品はお父様の管轄だから、連れて行ってはいけないんですって」

「……そうなのか? それは結構面倒だな」

 

 移転に合わせて、使用人を雇いなおさなければならなくなる。

 まあ、今の使用人には問題があるからメリットもあるが……。

 

 エルザに手紙を見せてもらう。

 移転までの日付と資金の余裕はかなりあるが、肝心の人を集めるのは難航しそうだ。

 そんな事を考えていると、どこか不安そうな、小さな声でエルザが訪ねてきた。

 

「……レオ。お願いがあるのだけど」

「どうしたんだ? 改まって」

 

 俺が聞き返すと、彼女は一瞬言葉に詰まる。

 少し迷ったような、困ったような、彼女にしてははっきりしない様子だ。

 

「あなたは一応、私の所有している扱いになっているわ。だから、この館に縛られないから、ここで自由になっても良いのだけど……。その、もしよかったら一緒に来てくれないかしら」

「何をバカな事を言ってるんだ」

「そう……そうよね。やっぱり──」

「俺がお前の所有物なら、付いていくのは当然だろう? 今更聞くまでもないさ」

 

 俺の返答にを聞き、目を丸くするエルザ。

 やがて、ほんのり顔を赤く染めて笑顔になった。

 

「ありがとうレオ! 貴方が一緒に来てくれるなら私、とっても嬉しいわ!」

「……気にするな」

 

 気恥ずかしくなった俺は目を逸らしてしまった。

 アイツの笑顔を見ると、なんだか歯が疼く。

 

 気持ちを切り替えて、俺は今回の移転に意識を集中する。

 

 色々と問題は山積みだが、これはエルザにとって悪い話じゃない。

 少なくとも、メイド達に監視されている今よりはマシだ。

 エルザ一人では領地の運営もままならないだろう。

 知らない土地ではいろいろと勝手も違うだろうし、俺が付いていくのは当然だ。

 

 色々と考えていると、エルザが腕の裾を引っ張っているのに気が付いた。

 凄い笑顔だ。

 

「次の領地でもよろしくね。レオ」

「……ああ、任せておけ、色々調べてくる」

 

 コイツのためにも、移転するその日までに情報を集めないとな。

 

 

 それから数ヶ月は引っ越しの準備に大忙しだった。

 移住するための準備もひと段落し、後は明日を待つだけだ。

 もうすることもないので、現状を楽しむ余裕が出てきている。

 

 この数ヶ月は色々と忙しかった。

 俺たちの関係も少し変化して、エルザも習い事の類を減らしていた。

 領主としての最低限の知識は覚えるものの、現地には専門で領地を運営している者がいるらしく、その人物に大半を投げてしまっていいそうだ。

 

 そのため今までのように多くを学ぶことはなくなっていた。

 

「ねえレオ、もうそろそろかしら?」

「まだですよ。お嬢様。紅茶には適切な時間が必要なのです」

 

 やる事は減ったが、その代わりに俺との時間が増えた。

 今もエルザとのお茶の時間を楽しんでいる。

 もっとも俺がお茶を入れて、エルザがそのお茶を楽しむだけだが。

 

「今は二人だけなんだから、そんな言い方をしなくてもいいじゃない」

「まだ誰か聞いてるかもしれないから一応、な。……だけどもう最後だし、いいか」

 

 十分に時間がたったのを確認して、俺はティーポットを持ち上げ、中の紅茶をカップにそそぐ。

 琥珀色をした紅茶を注ぐと、その香りは辺りに広がった。

 俺はその紅茶を、待ちわびているご主人様の下に捧げてやる。

 

「さあ、できたぞ」

「ありがとう。とても良い香りね。レオが入れてくれる紅茶は大好きよ」

 

 ご主人様であるエルザは俺の紅茶を口にすると、小さく微笑んだ。

 それを見た俺は、わざとらしく大げさに敬礼の姿勢をとる。

 

「お口に合ったようで何よりです。エルザ様」

「もう! 今、この時間はそういうのやめてって言ってるでしょう?」

「はは、すまない。悪かった」

 

 頬を膨らませて怒ったふりをするエルザに、軽口で返してやる。

 これが移転が決まってからの、俺たちの新しい日常になっていた。

 

「紅茶は、いつ頂いてもいいものね」

「ああ……。他の料理はまだダメか?」

「そうね。もう前のようには、あまり味がしないわ」

 

 日常生活でも少し変化したことがある。

 エルザと俺の食事だ。

 

 どうやら血を吸ったあの日からエルザの体質が変化したらしく、日常での食事を受け付けなくなった。

 代わりに、俺の血を吸うことで食事をまかなっている。

 

 それに伴い俺の食事も変化した。

 使用人の黒パンを食べる生活から、エルザが過去に食べていたものと同様の食事をする生活へと変化したのだ。

 

 エルザが言うには、食事で血の味が変わるから、俺が代わりに食事をするよう勧めているらしい。

 おかげで俺も美味いものを食べられている。

 料理長は自慢の料理を食べさせることができなくなった事を残念がっていたが。

 

「紅茶だけは相変わらず飲めるのか」

「果実を絞ったジュースも大丈夫よ。……噛むのは得意なんだけどね」

 

 そういう彼女は俺の肩に視線をくぎ付けにしている。

 俺は彼女の額を目掛けて軽くデコピンをした。

 

「いたっ! もう、何するの!」

「見過ぎだぞ。……お腹を空かせているなら、もっとちゃんと吸えよ?」

「でもレオの体に何かあるといけないわ」

 

 血を吸えるようにしようとした俺に対して、エルザは困ったようにそう言った。

 まったく、俺の事なんて気にしなくていいのに。

 

 確かに俺は血を吸われているが、健康そのものだ。

 どちらかというと、血を吸われる前より調子が良い。

 

「それに、噛み痕を誰かに見つかると困るでしょう?」

「どうせ館を移ったら、最初は俺とお前の二人だけになるさ」

 

 人を集めるにしても時間がかかる。

 今回の引っ越しには間に合わない。

 人が来てからの事は領地に行って考えればいい。

 

 なにせ色々と情報を集めて話を聞く限り、俺たちが新しく移り住む領地は、中々に癖の強い場所のようだ。

 領地そのものは小さく、僻地だ。

 戦争などの危険はないが、土地も瘦せていて税収も極めて少ない。

 そのため王都に納める税も微々たるものだ。

 

 税収では生活が厳しいためか、エルザの父親から定期的に生活資金が送られてくる約束までされているそうだ。

 生きていくには困らないよう取り計らっているのは、親としての愛情表現だろうか。

 

「引っ越しは明日だ。準備は済ませたか?」

「もちろんよ。こうして貴方とお茶会をする余裕がある程度には終わっているわ。後は先生に挨拶をするだけね」

「お前はまだこの館の主なんだから、向こうから挨拶を待ってもいいんじゃないか?」

「いいのよ。私によくしてくれたんですもの。最後くらいは私から会いに行って話をしたいの」

「……しょうがないな」

 

 笑顔でそういうエルザに対して、俺は頷きを返す。

 

 馬車の手配等は他のメイド達がほとんどやってくれており、俺はエルザの荷造りを少し手伝っただけだ。

 とはいえ、館の調度品や芸術品はそのまま置いていく。

 そのため貴族とは思えないほどに荷物が少ない。

 

 メイド達も最後くらいはエルザのために働いてくれるのだろう。

 単純に、俺たちが邪魔なだけなのかもしれないが……。

 

「新しい土地では、村長が教会の神父も兼ねているんですって」

「へえ……。まあ、俺たちと普通に接してくれるなら別に構わないが」

 

 俺の回答に頷きを返すエルザ。

 というかここまで偏見があるのは貴族くらいのモノだろう。

 貧民街では、この体質について偏見を持つ人は少なかった。

 せいぜい面倒な奴、かわいそうな奴という認識を持たれたくらいだ。

 

 偏見なく接してくれるなら構わない。

 

「明日の朝、先生に挨拶に行くわ」

「ああ、最後のお勤め頑張れよ。領主様」

「ふふっ。まだ早いわよ」

 

 翌日。

 迎えの馬車が来る前に、婆さんのところへ挨拶に行った。

 部屋をノックした俺たちを、婆さんは笑顔で出迎えてくれた。

 

「待っていましたよ二人とも。今日で顔を合わせるのも最後ですね」

 

 先生は俺たちのためにお茶を用意してくれていた。

 俺たち二人は言われるまま席に座る。

 ……やはり、先生の淹れるお茶はおいしい。

 

「今までありがとうございました先生。おかげで私はいろんな事を学ぶことができました」

「お礼を言われるようなことは何もしていませんよ。私は、あなた方二人が本来持っているものを表に引き出しただけです」

 

 そういうと先生はお茶を一口飲んだ。

 その後、急に真面目な顔になり俺を……、俺たちをまっすぐ見つめてくる。

 

「先に言っておきます。これから少し先の未来では、いくつもの困難が待ち受けるでしょう。道は必ず拓けますので、挫けずに模索してください」

 

 婆さんははっきりとそう告げる。

 おそらく占いでそういう結果がでたのだろう。

 

「分かりました。従者としてできる範囲の──」

「大丈夫ですよ先生。私のレオは困ったときに必ず助けに来てくれますから」

「そうですか。それなら安心ですね」

「はい! 私はレオがいるから安心して別の土地に移り住むことができます!」

 

 最後まで言い終わらないうちに、エルザの返事で俺の言葉は遮られてしまった。

 ……まあいいか。

 俺はご主人様の期待を損なわないように動くだけだ。

 

「そういえばエルザ、私が教えた園芸のほうはどうですか?」

「はい。向こうに行ったら試してみようと思います」

「ええ、ほかにも──」

 

 その後しばらくは、婆さんとエルザの他愛ない日常会話が続いた。

 これが最後の時間だ。

 この二人の邪魔をしないよう、俺は静かに二人を見守る。

 

 やがて時間が来て、俺たちは部屋を出ていくことにした。

 部屋を出る前、婆さんが去り際に声をかけてくる

 

「レオ。あの子をよろしく頼みますよ」

 

 ……いわれなくても俺の答えは決まっている。

 俺はなるべく自信たっぷりに、かつ慇懃に振る舞って挨拶を返してやる。

 

「お任せください先生。主人を守るのは従者の務めですので」

 

 次に挨拶するのは俺の師匠でもあるおっさんのところだ。

 流石に最後くらいは直接会っても良いだろう。

 

「バロムさん、今までいろいろとありがとうございました」

「気にせんでくだせえ。それに二人を運ぶっていう仕事が残ってるから、まだ挨拶には早いですぜ」

 

 おっさんは、俺のほうに視線を向ける。

 

「小僧。頑張って姫様を守れよ?」

「任せてくれ。おっさんは仕事が終わったらまた館で過ごすのか?」

「いや、俺も護衛対象がいなくなってお役御免だ。馬車でお前たちを運ぶのが最後の仕事だな」

「でしたら私たちと……」

「残念だが俺も少し体を動かしたいんでね。しばらくあちこっち見て回るさ」

 

 おっさんはここで働いていて蓄えがある程度できたので、旅人としてふらつきたいとの事だ。

 

 おっさんと別れ、他にも料理長などに挨拶をするうち、やがて迎えの馬車が来る。

 馬車の近くにはロゼッタとメイド達が待機していた。

 

「さあお乗りくださいませお嬢様」

「ロゼッタ。……今までありがとう」

「いえいえ。私は状況を知りながら何もできませんでした。本当によくしてくれた方は私ではないですよ」

 

 ロゼッタは一瞬だけ俺を見る。

 ……俺も何もしていない。

 全部エルザの性格あっての事だ。

 

「私はもうすぐあなたのお父上に仕えるため、別の屋敷に移動するんですよ。もうお二人には会えませんね」

「そうなの……。あなたの幸運を祈っているわ」

「ありがとうございますお嬢様。私もご主人様の幸運と繁栄を祈ります」

 

 エルザはほかのメイド達にも向き直ると一礼をする。

 

「皆様のご奉仕、本当にありがとうございました。おかげさまで、私は大切な時間を過ごすことができました。新たな領地での生活もレオと共に頑張りますので、どうか皆様も元気でお過ごしください」

 

 そういい終えると、彼女は馬車の扉を開き、俺たちはそのまま乗りこむ。

 ロゼッタは扉を閉めながら、そっと別れの言葉を告げてきた。

 

「これからこの館は、未熟なメイド達の訓練施設として生まれ変わります。代わりとしてお嬢様達には新天地が与えられます。ここでの生活とは違った新たなお二人の人生に幸運のあらんことを」

 

 それだけ言うとロゼッタは扉を閉めた。

 馬車が出発する中でふと後ろを振り返ると、メイド達はそれぞれの仕事に戻っていくところだった。

 ロゼッタだけが頭を下げたまま、姿勢を崩さなかった。

 

 これで、あの館も見納めか。

 しばらくは馬車に乗って旅をすることになるな。

 

 ……エルザがやけに静かだ。

 エルザのほうをちらりと見ると、彼女は神妙な顔をして俺を見つめていた。

 

「そういえば、まだ一人挨拶をしていない人がいたわね」

「ん? 誰か挨拶を忘れたのか?」

「ええ。一人だけ」

 

 コホン、と小さく咳ばらいをして俺をまっすぐ見つめてくる。

 

「“リア”、あなたはよく、これまで仕えてくれました。これからはあなたの代わりに“レオ”が執事として私の面倒を見てくれます。本当にありがとう」

 

 ああ……そうか。

 もう俺も、リアとしてメイドの恰好をする必要はないのか。

 それなら、ここでリアとはお別れだ。

 ここから先は俺……レオが何とかしないとな

 

「リアとして感謝を申し上げます。ご主人様。……そしてこれからは俺、レオがお前の従者だ。よろしくな」

「ええ。よろしくね、レオ」

 

 そういい終えて、互いが無言になる。

 やがて俺たちは互いにくすくすと笑い始めた。

 

「もう……。二人きりなんだから、そんなにかしこまらなくたっていいじゃない」

「そっちこそな。もともとリアなんて奴は存在しなかったんだ。いない奴に礼儀を尽くす必要もないだろう」

「こういうのは一種の儀式なの。それにどんな姿であれ、あなたはずっと傍にいたわ。これからもよろしくね」

「……ん。そう……だな」

 

 まっすぐにそう言われると少し照れる。

 俺は視線を逸らして、外へと目を向けた。

 

 これから、エルザとの二人だけで見知らぬ土地に移る。

 困ったこともあるだろう。

 誰かからの嫌がらせを受けるかもしれない。

 

 だが、どんな状況でもエルザが笑顔でいられるようにしてやろう。

 そう静かに心に決めた。




ここで終了となります。
本来は後半部も想定して書いていましたが、諸事情により全カットしました。
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