貞操観念逆転世界で低レベルな女子野球部を指導してやろうとしたら逆に分からされた   作:伊つき

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第13話:高校最強ピッチャー

 

 成城が出塁した。

 初球レフト前単打。これでワンアウト一二塁。

 打席には、美山 優希。

 

「タ、タイム!タイム!」

 

 思わず谷がタイムをかける。

 9回のピンチだ。当然の判断だろう。

 美山はニコニコしながら待ちの体勢に入った。

 球場に響く声援は二種類。

 

『MI・YA・MA!MI・YA・MA!』

『いけ!いけ!中龍!がんばれ!がんばれ!橋本!!』

 

 バックネット裏とライトスタンド。向かい合い、ぶつかる声援。

 盛り上がりは絶好調。球場は、試合は完全に最高の山場を迎えた。

 その中で、まだその熱に染まっていない者が―――1人。

 

 そう、1人。

 タイムがかけられて試合が止まっている中、芝生を踏む音が聞こえる。

 そして、それは誰かがグラウンドに侵入したことを意味する。

 また1歩。彼女は踏み込む。

 

 一塁、中龍ベンチ側。彼女が視界に入り、ようやくその存在に気づいた中龍監督が彼女を見るやいなやワナワナと震え始めた。

 ベンチもザワつく。選手たちが戦慄する。

 その注目が集まる、その人物は……。

 

「―――これは、何事?」

『……っ!!』

 

 唐突に。急激に球場の温度が下がった。

 底から冷え切るような威圧が両陣営、応援席までもを凍りつかせる。

 現れたその女子の名は。

 

「な、名護……どうしてここに……っ」

 

 中龍の監督が思わず後退りする。

 試合はタイムがかけられたまま誰もが彼女に気を取られて再開する気配はない。

 それ程までに彼女の放つ存在感は、異常だ。

 そう。あれが。彼女が中龍のエース。高校最強ピッチャー……!

 

名護(なご)憲子(のりこ)……!」

 

「―――」

 

 3年生、名護は球場を見渡す。その目はギョロッ、ギョロッと効果音が幻聴のように聞こえそうなほど、彼女は不気味に視点を次々と移動させる。

 穏やかそうな顔立ちに生真面目そうな生まれたままの黒髪ショート。170cmにギリ届いていないであろう身長。

 

 確かに、谷の言うような優しい人だと感じるのもわかる。

 今の、明らかに平常心ではない彼女でなければ、普段の彼女であればそう判断できたかもしれない。

 だが、今の彼女が纏うオーラは、醸し出す空気はこの球場にいるプレイヤーの中で間違いなく最も強大で……危険だ。

 

「……9回、真広。クローザー?いや、球数おかしい」

「あっ……名護、先輩……っ」

 

 スコアボードを読み上げる名護に、マウンド橋本が顔面蒼白になる。

 谷もマスクを脱いで「ガチかよ……。ははっ、ヤベッ」と一周まわって開き直ったような諦めに近い笑いが思わず出る。

 名護には、中龍メンバーですら、いや彼女達が一番その登場に怯えていた。

 

「嘘でしょ……。名護先輩って今日休み(オフ)じゃ……」

「そのハズだよ!監督が今日は呼んでないって言ってた!言ってたんだけど……あれ?」

「ヤバいよ。ヤバいってこれ!監督、名護先輩に黙って真広を先発登板させてたってこと!?」

「オワッタ。終わったわー。こりゃ1ヶ月は野球部の空気地獄だわ」

「最悪……」

 

 主に後輩にあたるメンツによって一気に暗くなる中龍ベンチ。

 試合には勝っているというのに、まるで大量失点負けでもしてるような、いやもっと酷い雰囲気だ。

 そんな味方ベンチにさえも一切見向きもせず、名護は監督の元へと歩みを寄せた。

 

「監督」

「待て!わかった!全部説明するから……!待て、名護!!」

 

 名護が喋り出す前に中龍の監督は彼女を制止する。

 40は超えてるであろう大人の女性が18歳の女の子に狼狽えている。その光景は異質だ。

 だが、それもそらそうなるだろうという気迫が名護にはあった。

 

「108球」

「は?」

 

 呟く名護に監督も目を丸くする。

 彼女は気にせずマイペースに続ける。

 

「無駄とは言いませんよ。真広の投球に無駄なんて1球もない。でも、私が見ていればもっと意味のある108球でした。なのに、勿体ない108球を投げさせて、真広の肩を消費した」

 

 そう言って名護は左手で自身の頭を抑えた。

 

「私としたことが。真広の貴重な108球をも見逃した。なんて失態。死んで然るべき」

「いや、何もそこまで……」

「監督はわかっていません。真広はこの世で最も価値のあるピッチャーです。監督は私に黙って真広に試合で投げさせたんですね。……哀しいです」

 

 俯く名護。

 監督は困惑している。それどころか中龍ベンチも謎に待たされている獅ノ宮メンバーも同様だ。

 

 名護は怒ってるといった雰囲気ではないし、そう感じさせないが、おそらくあれは怒っている。それが読み取りにくいだけだ。

 そして、その怒りの矛先は自分だ。

 

「……監督。自分の失態は自分で今から取り戻します」

「は?」

 

 完全に目上の人まで置いてけぼりにして、名護は上着を脱ぎ捨てる。

 すると、中からユニフォームが。彼女は既に着用していた。

 その姿を見て制止する声がベンチから飛ぶが、彼女は無視して一切足を止めることなくマウンドへと到着してしまう。

 

「な、名護先輩……」

「うわ。マジで来たよ、この人」

 

 ピンチの場面ということもあり、マウンドに集まっていた野手陣の中で谷が顔を顰める。

 名護はそんな谷の反応を一切気にせず……というか多分視界に入っておらず、その視線は終始橋本真広へと注がれていた。

 

「真広。ビックリした。今日は休みだって聞いてたからさっき起きて……あっ。もう3時間前か。3時間前に起きて、今日は丸一日真広に時間使えると思ってたのに探しても真広見当たらなくて……心配したよ。でも、まさか試合に登板してるとは、ね」

「す、すみません……」

 

 何に対して謝ってるのか。もはや本人もよくわからないのか、首を傾げながら謝罪する橋本。

 そんな相棒の様子に苦笑いしながら谷が代わりに対応する。

 

「てか名護パイセンなんでここがわかったんすか?」

裕貴(ゆうき)を問いただしたら教えてくれたよ」

麗柳琶(うるは)、憐れな奴……」

 

 空を見上げる谷。

 先輩に詰められて死んだ顔をしてるであろう同級生ピッチャー・裕貴(ゆうき) 麗柳琶(うるは)を想う。

 そんな谷を無視して名護は橋本に対して、ここに来て初めて柔らかい笑みを見せた。

 

「真広。もう下がっていいよ。あとは私が投げる」

「……えっ!?」

「はっ!?」

 

 突然、橋本に降板を申し付けた名護に、本人はおろか谷まで二度見して驚愕する。

 まさしく、何を言ってるんだこいつは状態である。

 

「いやいやいや!さすがに困るって、名護パイセン!」

「谷は黙ってて」

「はい!すみません!」

『そうだそうだ、谷言ったれ!負けんな谷!あ、もう負けてるーーー!!』

 

 監督の指示でもなく、大人の介入も受け入れず、独断で勝手な言動にはあまりにもあまりすぎて谷が噛み付いたが、秒殺。

 ベンチが谷のガッツを盛り当てた頃には撃沈していて思わずベンチがズッコケた。

 相棒の援護がなくなったが、それでも橋本はどこか納得いっていないのか、おずおずとした態度で、何か理由をつけて彼女の意思決定を覆せないか試みる。

 

「か、代わるって言っても……肩できてないんじゃ……」

「あぁ。それなら問題ないよ。谷、戻って構えて」

「……すげぇ。こんなに嫌な予感しかしねえの滅多にねえよ」

 

 ゲンナリしながら谷は彼女の言う通りに、定位置に戻ってミットを構える。

 それを確認すると、名護は橋本に手を差し出した。

 

「真広。ボール頂戴」

「あ、はい。……って。えっ、まさか……」

 

 橋本も谷と同じことを思い浮かべる。

 そして、その予感は的中する。

 そのまさかだった。

 

「……っぁぁ!!」

 

 名護 憲子の投球練習。わずか10球。

 谷のミットに一切外すことなく投げきり、少し息を吐く。

 それだけで。

 

「できた。下がっていいよ、真広」

「……っ」

 

 唖然とする橋本。もはや言葉でない様子。

 いや、橋本の反応は大衆の反応だ。

 本当か嘘か、わからないが名護は10球で肩を仕上げたと言ってのけた。

 

 そして、たった10球の投球練習をしただけでマウンドで投げると言い張っている。

 異常だ。人間性も。それで本当にできているのなら、能力も。

 彼女の異質さに橋本もさすがに面食らって引き下がる。

 

「……わ、わかりました。お願い……します」

「うん。最初から私が見てたならともかく今日はもう球数重ねる必要はない。今日はそこまで無理をする日じゃないよ。しっかりケアして暫く休むこと。わかった?」

「……はい」

 

 名護の言葉に渋々といった感じで頷き、ベンチへトボトボと戻っていく橋本。

 それと入れ替わるように谷がマウンドへ再度向かった。野手は各ポジションに散っていく。

 谷は、重い足取りで歩く相棒の背中を一瞥しながら名護に問いかける。

 

「名護パイセン。なんで真広下げたんすか?ピンチでクリーンナップを迎えるからっすか?経験を積むこと考えたらここは勝負させた方がいいし、ここで下げるってのは自信を喪失させると思うんすけど……」

「打たれても自信無くすからね」

「……チームも大概っすけど名護パイセンはもっと過保護。はぁ。まあもういいっす。それより今日私しかキャッチャーいないんで組むの私になりますけど大丈夫っすか」

「……」

 

 谷の質問に暫く間をあける。

 ロジンを触って、落としてから答えた。

 

「誰がキャッチャーでもどうでもいい。誰と組んでも私が最強だから」

「……っ!」

 

 そう、断言したその瞬間。腹の底から冷え切るような感覚に襲われた。

 谷は喉を鳴らして息を呑む。

 目の前の味方が高校最強ピッチャーなのだと、一瞬で再認識させられた。

 だが、そんな谷とは違い、名護の口からはネガティブな言葉が出る。

 

「でも、今日は多分打たれるな。だから、真広を下げた」

「えっ……?」

 

 珍しい人から滅多に出ない弱音が出た。

 谷は目を丸くする。

 そして、自他共に最強だと称する彼女の、視線の先。

 それを追うと、たどり着くのは―――バッターボックス。

 

「……美山 優希」

 

 目が合うと、ニッコリと不気味な笑みを作る3番バッターの名を呟いた。

 バッテリーとバッターの視線が交錯する。

 これが、勝負を決める打席である。

 そんな確信が彼女達にはあった。

 

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