貞操観念逆転世界で低レベルな女子野球部を指導してやろうとしたら逆に分からされた 作:伊つき
その名を名護さんは知っていた。
そして、彼女がどういう人物で、どういう選手なのかも理解していた。
スコアボードを見上げる。
「……やる気魔人、やる気MAXシチュエーションだな。でも、これで、真広は8回0/3の1失点。好投扱い、だね」
独り言を呟いて、フッと小さく笑みを作ってから、真顔で振り返る。
試合に戻ってきた名護さんはバッターと対峙した。
対する美山先輩。ワンアウト一二塁。逆転のチャンス。
美山先輩は、代わったピッチャーを前に、口角を上げた。
「あはっ。めっちゃ待たされたけどぉ~?待った甲斐あったってやつ~?相手は高校最強ピッチャー。打てば優希、ヒーローじゃ~ん!?」
しかも逆転シチュ!と美山先輩は嬉しそうにバットを構える。
だが、正直俺は彼女に期待していない。
「……何言ってんだ、あの人。ここまで
「あ?お前何言ってんだ?」
ボヤいた俺に、榛名先輩がメットと防具を装着しながら顔を顰める。
……いや、なんでもう打席に入る準備してんの?この人。回ってくるかもわからないし、ネクストバッターでもねえんだけど?
俺が怪訝な目で榛名先輩を見てると、ネクストバッターズサークルから長門先輩がバットを抱えて一度戻ってきた。
「あっ……そ、その人まだ知らないから……」
「いや、その人って」
俺、貴女にまだ名前で呼ばれないの?
長門先輩は俺の呟きにビクッと肩をならして後退りした。この人の男性恐怖症はマジ相当だな。前の世界にもこのレベルはあんまり見かけない気がする。
まあそれはさておき、長門先輩の指摘に榛名先輩は失念していたばかりに「あー……」と面倒くさそうな顔で俺を見る。
「まあ、見てりゃわかる」
「うん。見てれば……わかる」
「はぁ……?」
なんだかよく分からないがとりあえず適当に首を傾げておいた。
まあ2人の謎発言は置いといて試合に集中しよう。
俺はベンチから乗り出してグラウンドに視線を向ける。
名護さん VS 美山先輩。その注目の1球だ。
「……」
「うおおお!名護先輩だ!!」
「ほんとに名護さんじゃん……マジで投げるんだ?今日の試合絶対出ないと思ってた!」
「マジそれ!でも、名護さんが投げるならさ……」
『―――絶対負けないじゃん!!』
名護さんがプレートの上で構えただけで、バックネット裏は大盛り上がり。
チーム内でも名護という名は絶対的存在として君臨しているようだ。
ただそこにいるというだけで勝利を確信する存在。まさにエース。
そんな彼女の登板に中龍の応援はこの試合1番のボルテージを見せる。
『Nago!Nago!Nago!Nago!』
球場が揺れるほどの名護コール。
収まらないその大歓声に包まれて、名護さんはふぅっと息を吐く。
彼女が登場したことで、もう完全に中龍の空気だ。
流れを変える起用。
この中で、美山・長門の2人の先輩どちらかが打たなければウチは負ける。
「キツイな……」
俺はベンチでこりゃ無理だなと判断する。
正直ワンアウト一二塁チャンスと言われても、最強ピッチャーを彼女達が打ち崩すビジョンは見えない。
今日の試合はきっと負けるだろう。
それは俺にとって都合がいい。悪いが、喜ばせてもらう。
『Nago!Nago!Nago!Nago!』
「……」
球場の空気は中龍一色。
俺は腕を組んで静観する。この名護さんのピッチングで試合が終わるのを。
……と、そう思って見ていると俺は違和感に気付いた。
「あれ?成城先輩も原田先輩もリードしてない……?」
もう投球が始まるというのに、一塁の成城先輩も二塁の原田先輩も、ずっとベースの真上に立っている。
普通は走塁の為に少しベースから離れて、次のベースまでの距離の一割は飛び出る。
なのに、彼女達は真顔で、当たり前のようにピクリとも動かず美山先輩の打席を見ている。
何を考えてるんだ……?
「ダブルプレーになっても知らね」
アホだなと思いながら俺は嘲笑った。
だが、次の瞬間、俺は分からされる。
「優希の大花火大会、開幕ぅ~~~~っ!!あはっ!!」
「は!?」
初球。
高校最強ピッチャーの完璧なコース、最適な球種、絶好調の力強い球を一発で。的確に芯で捉えた音が響く。
これは、文句なし。
「逆転スリーランホームラン!?」
「……っ!?」
思わず名護さんも振り返った。
打球は放物線を描いて、その途中でもう柵を超えるのが分かった。
それでも。それでも、応援する者は叫ぶ。
『入るな!入るな!超えるな!!ぁぁぁ……うわあああああ!?』
『うおおおお!!優希ちゃーーーーんっ!!』
さっきまで盛りあがっていた中龍野球部の応援は一気に悲鳴に。
そして、ライトスタンドは発狂。
センタースタンドにぶち込まれたボールを、美山先輩のファンは狂ったように押しのけあって追いかけに行く。
球場は悲鳴と歓声と、狂乱と化した。
そして、その中心にいるのは、この球場を支配したたった一人に全員の注目が集中する。
それを快感とする該当人物は、ダイヤモンドを駆けながら恍惚とした表情を浮かべる。
「あはっ!あはははっ!?あははははははっ!!これだよ、やっぱこれだよね!これこれぇ!あはっ。いひっ。やっぱり打つなら試合を動かすシチュエーションの、得点圏だよねぇ~~~~~!!」
美山先輩は騒々しくなった球場の中で、それでもかき消されないほど笑っていた。
その様はまるで猟奇的な快楽犯だった。
そんな彼女がホームベースに帰ってくる。
同時に、彼女はベースをしっかり踏んでることを確認するために下を向きながら、バックネット裏の中龍応援団を指さした。
「試合を決定づける一打。試合を覆す一打。試合を動かす一打。あはっ。最強ピッチャーが出てきて安心しちゃった?勝ったって思って歓声上げちゃった?」
「……っ!」
言わなくていいこと。意地の悪い、相手にリスペクトのない敵に谷さんが表情を顰め、鋭い目つきで美山先輩を捉える。
だが、対する美山先輩は臆するどころか、顔を上げ、谷さんと中龍応援団を見ながら告げる。
「―――ダメだよ?歓声も注目も、全部優希の物なんだから。優希の為に存在しているの。だから、優希以外が目立つのは……ドロ・ボウ・さんっ。あはっ!」
「……っ!!」
舌を出し、凶悪な笑みを浮かべる美山優希。
俺はその様を見て、ゾッとした。
今まで、時々彼女の感情には冷たい感触があった。
あざとくて。コミュニケーション能力が高くて。明るくて。
普通なら良い人と判断するのに、ずっと出来なかった。
その理由が―――。
「あはっ!やっぱり野球って最高~!プロになれば、150試合もこれが味わえる!年間最高150回、芸能人になっても大富豪になっても、そんな環境手に入らないっ!!」
そうだ。この人は。こいつは……!
『ふざけんなー!!』
『何ベラベラ喋ってんだ!調子乗んなー!』
『早くベンチいけ!』
『てか帰れ!!岐阜から出ていけー!!』
「あはっ!罵声だって、こんなに浴びる機会そうそうないよね!でも、野球なら簡単!みんなが私を見て、私に必死になる!超・快・感っ!!あはっ、超気持ちいい~!!―――優希、イッちゃいそう……」
「なっ……!?」
『……っ!!』
誰もが鳥肌が立った。
美山優希。こいつはイカれてる。こいつは、こいつは……!
―――野球をオナニーだと思ってやがるっ!!
獅ノ宮学院高校野球部、3年。ポジションはライト。
.271 21本 OPS 0.939 級の野手。
尚、甲子園得点圏打率は .900 である。
曰く、美山優希は『打てない』のではなく、『打たない』。彼女に『打てない』は存在しない。どんな投手のどんな球も打とうと思えばいつでも打てる。どんな捕手のどんなリードもその気になれば絶対に打ち破れる。
本気でやれば、生涯打率10割と成城冬華は評するが、定かではない。
曰く、彼女に『守れない』はなく、『守らない』。どんなポジションもこなせる上に、その気になれば失策0は余裕。どう頑張っても補れない、諦めるしかない、仕方ない。そんな打球も彼女なら補れる。しかし、やろうとはしない。
曰く、彼女は神様が間違って作ってしまった人間である。彼女が常に本気ならば、打率10割/失策0/盗塁成功率100%。
もはや人体の限界を超えた神の領域。そんな人間が現れたのならば、世界は彼女を求めて狂うだろう。
曰く、故に、神様は彼女を
すると、打率10割は打率2割7分に。
人間を超越した力は、『悪魔』の手に渡ってしまった。
曰く、美山優希は基本的にやる気がない。
世界を狂わせるであろうその力を彼女は振るおうとしない。
彼女が、自身に与えられた異常な力を用いる時は、決まって同じ
曰く、美山優希は『悪魔』である。
彼女は自身の力を自分の為にのみ使う。彼女には、その力を行使しない為の足枷がある。それが、彼女の巨大すぎる欲求。
注目を浴びたい。自分だけが、皆に見られたい。その欲望。
故に、彼女は自分が気持ちよくなれる場面でしかその力を行使しない。自分が気持ちよくなれる状況を生むために敵を弄び、本気を出さずに期待させて、最後は落として快感。
その自由奔放さは味方をも苦しめる。彼女のやる気にみんなが左右される。
そうして、彼女が呼ばれた名がある。
それは、地区大会ではやる気を見せなかった彼女が、甲子園に来てから圧倒的な活躍を見せたことで付けられた。美山優希曰く、甲子園の歓声が1番気持ちいい。故に。
―――甲子園得点圏打率9割女 『悪魔の美山』。