貞操観念逆転世界で低レベルな女子野球部を指導してやろうとしたら逆に分からされた   作:伊つき

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第19話:この世界にトミー・ジョンは存在しない

 

「極めて珍しいことですが……肘の内側側副靱帯が損傷していますね。恐らくピッチャーをやった影響でしょう。投球による負荷が肘に表れたのだと思います。申し上げにくいのですが……もう、野球は無理かと」

「えっ!?」

「……」

 

 岐阜県の大学病院。その診察室で、女性医師の先生の話を聞いて、俺は色んな意味で驚いた。

 診断を言い渡されても尚、その内容のヤバさに反して顔色ひとつ変えない成城先輩を他所に、俺は思わず立ち上がる。

 

「ま、待ってください!えっ……?いや、えっと、何からツッコめばいいのか……あぁ~えっと、そうだ!内側側副靱帯損傷ってことはトミー・ジョン手術のやつですよね!?野球を続けるのは無理……ってなんでそうなるんですか!?」

「……?トミー……?津川くん、貴方……」

 

 大きな故障という診断を聞いても全く動じなかった成城先輩が、俺の発言にはピクっと反応して、俺を見上げる。

 だが、悪いが俺は彼女に構ってる余裕はない。

 

 だって、医者の言ってることは変だ。まず、内側側副靱帯の損傷は野球選手じゃ珍しい故障じゃない。寧ろ1番有名で、素人でも認知してるくらいだ。

 トミー・ジョン手術。内側側副靱帯の損傷よりこっちを認識してる人の方が多いだろう。この手術が要するにこの故障に対する最適なアプローチの一つだ。

 

 多くの投手を悩ませ、その野球人生を迷わせてきた内側側副靱帯の損傷。球界にとって無視できない課題となったその流行り故障。

 それに対し、損傷した靭帯をもはや断裂してしまって、他の正常な腱の一部を摘出して新たに擬似的で強固な靭帯を形成することで選手として復帰させるやり方が効果的と判断され採用された。

 

 それが、トミー・ジョン手術。

 施術が必要となると、治療してから1年はリハビリをしなければならない。故に、投手達がその申告を言い渡されるとかなり苦しいものがあるという。

 とはいえ、昔と違って確実性の高いやり方が出てきたのは良い事だ。投手達も基本的には手術を希望する。

 

 の、だが。

 どうも医者も成城先輩も、反応が変だ。二人とも、俺に対して何言ってるんだこいつはといった感じの表情を浮かべている。

 

 俺はそんな二人の視線が集まり、「へっ……?」と固まってしまった。

 俺の熱弁が止まって、医者が咳払いを挟んだ後、口を開く。

 

「えっ……と。まず、投手復帰できる程の回復となると手術が必要になりますが、残念ながら現状そのような回復術はありません。その、トミー……ジョン……?という施術はちょっと聞いた事もありませんね。基本的に、この箇所の靭帯を損傷してしまった場合は保存療法となります」

「は?」

「まあ……!もうピッチャーはできないんですか?」

「はい。……そうなります。というより仮に保存療法を行い、リハビリを終えたとしてももう肘を使うような過度なスポーツは控えた方がいいかと。野球は正直……厳しいです」

「そんな……!」

 

 医者の説明に面食らう俺とは別に、付き添っていた佐藤先生が口元を抑える。

 ていうか、サラッと凄いことを言ったぞこの医者。

 

 完治法がない?あの素人でも知ってるトミー・ジョン手術を知らない?そんな馬鹿な。ヤブ医者かよと思ったが、大学病院に勤める人がヤブだとは思い難い。

 つまり、おかしいのはこの医者ではない。何かが、変だ!

 

「……っ!」

 

 俺はスマホでトミー・ジョン手術について調べた。

 だが、肘の内側側副靱帯の損傷に対するアプローチをいくら検索しても保存療法しかヒットしない。

 これで確信した。

 この世界に―――トミー・ジョン手術は存在しない。

 

「う、嘘だろ……」

「先生」

 

 俺が戦慄してる隣で、成城先輩がようやく発言する。

 呼ばれた医者は彼女と向き合った。

 

「治療しない、という選択肢はないのでしょうか」

「えっ!?は!?」

「はぁ!?」

 

 突然、当事者によるトンデモない発言に医者だけでなく俺も彼女を二度見する。

 いやいやいや!何!?どういう……は!?なんでそんなこと言い出した!?

 

「あぁ、えっと……」

 

 医者もさすがに困惑して対処に困っている。ボールペンをおでこに当てて肘をつき、ギシギシと自身が座っている診察室の椅子を揺れ動かす。暫く、レントゲン写真と睨めっこした。

 

 なぜそんなこと言い出したのか、成城先輩は何を考えてそんなことを言ったのか。そこから問いただすべきかどうか暫く医者は頭を悩ませる。

 だが、熟考する為に目線を泳がせるふりをして、成城先輩を一瞥すると、彼女が理論派であることをなんとなく見抜いた。

 

 つまり、成城冬華という全方面完璧で全能とも言える才能を持った者が持つ知能、そこにアプローチするには理屈が1番だ。正しいことを説くより、なぜ治療しなければいけないのか、そのメリットを話す方が手っ取り早い。

 そう判断した。

 

「治療をしないという選択はオススメしません。勿論、受けるか受けないかの自由は患者さんにありますが、靭帯の損傷は野放しにしておくと合併症の危険もあります。放置すべきではないと思います」

「……そうですか。わかりました」

 

 医者の説得に成城先輩は承諾の意思を示して俯いた。

 俺は、その間もなぜこの世界にトミー・ジョン手術がないのか、考察する。

 

 貞操が逆転してもスポーツは盛んだった。フィギュアスケートが頂点に君臨してはいるが、野球も決して不人気スポーツではないし、アメリカを始めとして長い歴史がある。

 

 だというのに、これまでトミー・ジョン手術が生まれてこなかった。前の世界では、多くの投手が内側側副靱帯を損傷していた。

 でも、この世界の野球選手にはあまり現れず、医者も肘の靭帯損傷は珍しいと口にした。つまり、成城先輩が稀有な例ということだ。

 

 なぜ投手は内側側副靱帯を損傷しやすいのか。俺はそこまで思考を遡らせる。

 確か、トミー・ジョン手術を取り扱うネット記事で見たことがある。前の世界でも平成後期に入ってからその症状の投手が増えたという。

 原因は、球界全体における投手の平均球速が上がったこと。

 

 150km/hを超えるのは当たり前、寧ろ150後半や160なんて数字をたたき出す投手も増えていた。その上、肘に負担がかかりやすい癖のある変化球を習得する投手も昔よりは増加傾向にあったという。

 特に大きな変化量を伴う球種は肘の靭帯への負担が大きい。

 

 とある沢村賞3年連続受賞投手は、自身のスライダーはあまりに負担が大きい為、使用を控えていたという話もある。

 なので、速球だけが故障の原因になるという訳でもない。

 成城先輩は、どっちのタイプだろうか。

 

 この世界の女子の平均球速は135km/h。

 前の世界では野球において、女子の肉体では厳しいものがあった。だが、それも長い歴史から得た教訓と野球に慣れきった女子達によって、この世界では前の世界の女子より遥かに野球に順応していると言える。

 

 故に、この世界の野球をやってる女子に対して平均球速135km/hという数字はへっちゃらすぎるのだと予想する。

 恐らく、彼女達のいう速球で肘の靭帯を故障するような女子はこの世界にはいない。皆、強靭だ。

 成城先輩のストレートもMAXは140km/h。

 

 速い部類ではあるし、高校生としては将来有望な素晴らしい逸材だが、球の速さだけならそれこそ中龍の橋本(はしもと) 真広(まひろ)さんの方が軍配があった。

 それでも、肘の靭帯を負傷したのは橋本さんではなく、成城先輩。

 と、いうことは原因は速球では……ない。

 

「おそらく原因はスイーパーね」

「……っ!」

 

 俺の思考を読んだかのように、成城先輩は隣で俺を一瞥しながら呟いた。

 医者も彼女の言葉を聞いて、ふむ……と少し考え込む。

 

「その、スイーパー……?という変化球を今日は沢山投げたの?」

「……はい」

 

 医者の問いに簡潔に答える成城先輩。

 だが、彼女が頷くまでの微妙な間。彼女が一瞬言い淀んだ理由に、俺は心当たりがある。

 彼女が肯定したのと同時に、俺はえっ!?と驚愕し、彼女を見た。俺の困惑の表情を成城先輩は一切見ようとしない。

 ので、俺は口を挟むことにした。

 

「待ってください!スイーパーは2回しか投げてません……!確かに高校生が投げられる球じゃないし、高校生離れしてるから身体への負担は凄いかもしれないけど、たった2回で……他に!他に何か原因が……!ある……?の、か……も……―――っ!!」

「……」

 

 俺が言葉の途中で、試合と自身の行動を想起して、ハッとしたのを成城先輩は目を細めて横目で捉える。

 俺は、彼女を見た。彼女と目が合った。だが、成城先輩はすぐに目を逸らした。

 

 成城先輩の怪我の原因は、ただスイーパーを投げたからじゃない。そこに俺は気付いた。

 そして、成城先輩はそんなこととっくに勘づいていたんだ。なのに、なのに。どうしてこの人は……事実とは異なることを肯定したんだ?

 

「な、成城先輩……お、俺……俺が……もしかして、俺が過剰に投げさせたから……っ」

「……?よくわからないけど、たった2回投げたくらいでっていうのは確かに変ですね。成城冬華さん、ちょっと触診してもいいですか?」

「……はい」

 

 俺の口が回らない。成城先輩の怪我の真相に気付いてしまったから。自分がやってしまったことの罪深さがわかったから。突如、凄まじい量の汗が流れて、顔が青ざめて、呼吸が荒くなって、硬直してしまった。

 呂律が、回らない。身体が、震える。

 

 その間に、疑念が芽生えた医者が成城先輩の筋肉の状態を確認した。丁寧に触り、その消耗具合を彼女は認知する。医者は、成城先輩の身体を調べて初めて、目を見開き戦慄した。

 そして、彼女は優秀な医者だった。故に、真実に辿り着き、告げる。

 

「……故障の原因がわかりました。スイーパーはあくまで冬華さんの身体にトドメをさしただけ。つまり、直接的原因ではありません。主な原因は間違いなく過剰な消耗です。筋肉が許容量以上に疲弊し、体力も尽きて集中力も落ち、丁寧な投球ができなくなった中、それでも投げ続けた。そうして、限界を超えた肉体でスイーパーを投げた、それで靭帯を損傷させたのではないでしょうか」

「……っ……ぁ!」

 

 医者の説明が、一言一句が耳を塞ぎたくなるくらい俺を責め立てているように聞こえる。

 何より、彼女の言葉を聞くことで自分の罪が明確に自覚できていく。それが、全て焦燥に繋がって過呼吸を起こすほど、受け止め切れない。

 俺は……俺は、とんでもない事をしてしまった。

 

 まだ高校生だ。まだ16歳だ。

 何をやっても完璧で、なんでも出来てしまう。素晴らしく凄まじい才能に見初められた世界にたった一人しかいない宝のような少女だ。

 そんな人に、俺は怪我を負わせてしまった。しかもただの怪我じゃない。選手生命を終わらせる……決して取り返しのつかない最悪の故障。

 

 この世界に、彼女を救う手立てはない。

 たった16歳の少女の未来を、俺は奪ってしまった。彼女がいかに何事においても天才で、他にどんな道でも残されてる、そんな可能性のような塊でまだまだ将来が有望であったとしても、その道を一つ奪ってしまった事実は変わらない。

 

 成城冬華はスポーツ以外だって、なんでも出来る。彼女に約束された将来はまだいくつもある。だが、その中からスポーツは完全に消えた。

 俺が消した。成城冬華という大天才がスポーツにおいて実績を起こすことはもう……未来永劫ない。

 

 原因はただ一つ。

 成城先輩が去年、どれだけ好成績を残そうとも誰も先発投手をやらせなかった。その意味を、全く深く考えない愚かなバカが現れたからだ。

 そのバカは、俺だ。

 津川(つがわ) 和哉(かずや)だ。

 

 俺が、成城先輩に20球以上試合で腕を振るわせたから、成城先輩は疲労困憊になってしまった。

 それでも、試合を投げ捨てることなど、野球に真摯に向き合う彼女にできるわけが無い。

 

 スイーパーを投げた場面も、きっと自分の身体が限界を超えていたことも、その身体で投げればどうなるかも、頭のいい彼女なら理解していたはずだ。

 それでも投げた。それは、なぜか。

 

 2球とも投げなければいけない場面だったからだ。そして、そんな場面を用意したのも俺だ。

 過剰に投げさせたのも俺。スイーパーで自分で自分にトドメを刺させたのも俺。全部、俺だ。

 

 もっと言えば、彼女に一切手を抜くなと言ったのも俺。本気を出せと言ったのも俺。成城先輩は……俺の横暴な要求に、ただ従順に従っただけ。

 そうだ。俺が……俺が……!

 

「俺が……俺が……っ。成城先輩を、壊した……っ」

 

 俺は頭を抱えてうずくまり、自責の念に駆られた。

 もう、何か喋ってる医者の声など耳に入らない。

 自分の愚かさと罪に冷や汗が出て、顔面蒼白で、もう目眩すら起こすほど現実にいられない。

 

 でも、俺にそんな逃避をする資格はない。俺は何も辛くない。辛いのは、成城先輩だ。

 罪の意識に苛まれても、口が裂けても辛いなんて言えない。言える立場じゃない。

 

「……」

 

 俺に自覚症状が芽生えたのを、なんとなく察してる成城先輩は……顔を上げられなくなった俺をただ無言で眺めている。

 彼女は、俺を責めない。ただ、見下ろしている。その表情も特に何も込めずに。真顔で、無感情に。

 

 まるで、俺を楽にさせないように。でも、彼女はそんな人じゃない。人を責めるタイプではない。だから、本当にただ何も抱いていないのだ。

 右肘を撫でる彼女は、何も動じることなく、ただ医者の話を聞く時間を消費した。

 

 医者がとりあえずは私生活に影響のないよう完治を目指していきましょうと告げる。でも、彼女の言う『完治』は本来の完治ではない。医者の話を聞いて、佐藤先生が「何卒、本当によろしくお願いしますぅ」と泣きそうになりながら医者に懇願する。

 俺は、彼女達が大切に思っている、それでいて、彼女達のことを大切に思っている大人も泣かせてしまった。

 

 俺は、最低だ。クズだ。

 成城冬華。16歳。

 俺、津川和哉。15歳によって彼女は野球を失った。

 途中から何も喋らず表情も動かさなくなった彼女と、自分の罪を自覚して青ざめる俺。

 静かで冷たい時間だけが、ただ経過していった。

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