貞操観念逆転世界で低レベルな女子野球部を指導してやろうとしたら逆に分からされた   作:伊つき

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第20話:女のパンチが痛い

 

「冬華……!」

「……っ」

 

 診察が終わって、病院受付口まで戻ってきた俺達を、待合の長椅子で待っていた獅ノ宮野球部員達が出迎える。

 原田先輩が成城先輩の名前を呼んで駆け寄り、彼女の腕がギプスで固定されてるのを目にして、表情を暗くした。

 俺は、ずっと下を向いていて、彼女達の姿を確認する前に原田先輩の声が耳に入り、それだけで背筋が凍るようだった。大量の冷や汗も出る。

 

「ふ、冬華。大丈夫……?」

「えぇ」

「成城さん。私、受付に行ってるわね。何かあったら呼んで?あと親御さんが後で来てくれるからね」

「はい。ありがとうございます、佐藤先生」

「……っ!それで!どうだったんだよ、冬華。お前の肘、何があったんだ!?」

『……っ!』

 

 心配する長門先輩に軽く答え、佐藤先生に礼を告げた成城先輩に、霧島先輩が皆知りたかったことを尋ねる。

 一同、知りたいけど聞くのが怖いその答えを、成城先輩の口から出るのを待っていた。誰もが表情を強ばらせて待機する。

 成城先輩は皆の顔を見渡したあと、口を開こうとするが……その前に、俺が伝えた。

 

「う、内側側副靱帯の損傷……でした……っ。ひ、肘の……」

『―――』

 

 消え入りそうな声しか出なかった俺の言葉を聞いて、一瞬、空気が固まる。時計だけが、時間の経過を報せる針の音を鳴らし、その音だけが聞こえる人は静かな時間が数秒。

 俺は、ずっと下げていた真っ青な顔を……恐る恐る上げる。

 

「―――っ!!」

 

 俺が視線を上げた先に待っていたのは、目を見開いた先輩達。

 戦慄する霧島先輩、動揺する長門先輩、真顔で瞬きを挟んだ後に成城先輩に視線を向ける美山先輩。

 そして―――表現しがたいくらい様々な感情を込めた表情の、原田先輩。

 

 目ん玉が落ちそうなほど目を見開いて、驚愕と憎悪を強く込めた力強い瞳で俺を、津川和哉という『敵』を捉えていた。

 そんな彼女がわなわなと震えている間に、霧島先輩が彼女を横目で確認しながら恐る恐る口を開く。

 

「な、なぁ……靭帯の損傷って……しかも肘のその箇所って……それって、よぉ」

 

 成城先輩の症状を聞いて、その箇所の故障がいかなる結果を呼び込むか、霧島先輩は確証はないもののなんとなく記憶にあった。

 

 彼女の顔色がどんどん悪くなって、絶望を覚えて、言葉を失う。霧島先輩は、ストン……と虚しい音を立てて長椅子に腰を下ろしてしまった。

 俺は、そんな彼女を目で追い、喉の奥がヒュっと引き締まるのを感じた。

 

「津川和哉」

「……っ。は、はい」

 

 俺が霧島先輩を見ることもできなくなって、また視線を落とすと、原田先輩が俺の名前をフルネームで呼んだ。

 俺は馬鹿だった。呼ばれて、素直に顔を上げた。

 その先に待っていたのは―――拳を振りかぶり、怒気と殺意に満ちた原田先輩の顔。

 

「死ねっ!!」

「……っぁ!?」

 

 頬に加わる、鈍くて重い衝撃。

 原田先輩の拳は俺の顔にめり込んだ。彼女に殴られて、俺は勢いよく病院の床に倒れ込む。

 この時、初めて知った。貞操が逆転すると、女子のパンチはとても痛くなる。

 

「お、おい!何やってんだよ!」

「こいつが……っ!こいつがいなけりゃ、冬華は怪我しなかった!このクソ野郎が冬華を先発にしたから……っ!冬華に無理をさせたから、冬華は野球できねえ身体になっちまったじゃねえか!!」

『……っ!』

 

 病院で叫ぶ原田先輩。

 彼女の発言に、美山先輩以外の全員が息を詰まらせた。

 誰もが口にしなかったことを、原田先輩はハッキリと言った。

 

 肘の内側側副靱帯損傷がどれほど重い故障か、彼女が全員に認識させた。

 原田先輩は「……っ!……っ!」と荒い呼吸をして、さらに、起き上がらない俺に掴みかかる。

 

「お前、自分が何をしたのか。どれだけ重大なことをやらかしたのか、もうわかってんでしょ!オラ、言ってみろよ!オイ!!」

「……っ」

 

 原田先輩は鬼の形相で迫る。

 俺はそれを受けて、理解した。

 この人は俺が今起こってる事態を正しく認識しているという点に気づいてるんだ。

 

 成城先輩に起きたことも、俺の罪も、何もかも理解して、自覚しているのを見抜いてる。

 だから、俺を問いただして自ら自白するのを……待っている。

 

 俺は自責の念から、彼女の望む展開を叶えることにした。いや、違う。目の前の、怒り狂ったこの人が怖くて、恐怖から口を開くんだ。

 

「……ご、ごめんなさい」

「あぁ!?」

「ごめんなさい!俺が、俺のせいで……!肘の内側側副靱帯を損傷したら、もう野球できません……!俺が、俺が成城先輩をそうさせました!」

「そこだけじゃねえだろ!!死ねっ!!」

「うあ……っ!」

 

 原田先輩は馬乗りになって、もう一度俺を殴る。

 俺の顔は赤く腫れた。

 そこまでの事態になって、ようやく霧島先輩が立ち上がって止めに入る。

 

「馬鹿……!落ち着けよ、涼香!ここは病院だぞ。怪我人増やしてどうすんだよ……!」

「……っ!うるさい!もう殴らないから止めんな!」

 

 制止しようと腕を掴む霧島先輩を原田先輩は振り払う。

 そして、再度キッ……!と俺を睨みつける。

 

「お前なぁ……お前、なんか指標がどうとかデータがどうとか言ってたよなぁ……!」

「……っ」

 

 そこだけじゃない、原田先輩の言っている意味を、今の指摘で俺は理解した。

 原田先輩は、殴るのをやめて、眉間にシワをよせながら話を始めた。彼女の声音はワナワナと震えている。

 

「……私は、実際に野球をやってる側ではあるけども。その前に1野球ファンだ。ファン歴長いし、だから、あんたが指標を信じる気持ちも正直わかる。指標に意味は無いとかそんなこと言うつもりはねえよ。意味がねえもんをこの世に蔓延らせる程、人間はアホじゃねえ」

「……っ。原田、先輩……」

 

 彼女は決して理性を無くしてる訳じゃない。寧ろ、頭に血が上っていても、恐ろしく冷静だ。

 だって、憎くして仕方ない相手にも理解を示せる部分は素直に理解すると告げてくれている。

 だが、当然、彼女が抱えているものはそれだけではない。

 

「けどな!指標が全てでもねえんだよ!確かに分かりやすくて、正しい側面もあって、大事だよ。指標は。でも、選手は生きてんだよ。人間なんだよ。数字じゃねえんだ……!!」

 

 俺を掴みあげて、吼える原田先輩。

 彼女の言葉には説得力がある。それは、選手でもあり、ファンでもある。両方の立場を有しているからだ。

 

 そして、選手としても真剣で、野球に真摯に向き合っている彼女だからこそ、選手を思いやる言葉の強みは……この上ない。

 彼女の言葉には、一言一句響くものがあった。

 原田先輩は、俺を掴んで離さず、その姿勢のまま背後にいる美山先輩を横目で見る。

 

「あんた。優希のこと神だのなんだのもてはやしてたよな。じゃあこいつの指標は優秀だったか?優希が神だと思ったのは、あんたが実際に試合を見て肌と目と、感覚で実感した感想でしょ……!」

「……っ」

 

 俺は、息を詰まらせる。

 そうだ。原田先輩の言う通りだ。

 俺は最初、データだけ見ていた時は美山先輩のことをそこまで評価していなかった。

 

 俺が1番評価していたのはバッターの長門先輩とピッチャーの成城先輩。その2人の分析すらも誤っていた。

 長門先輩は数字通りの選手じゃなくて、癖があったし。成城先輩はひとつの事に専念させるより、全て完璧にできるという点を活かすべき選手だった。

 俺は、その全てを間違えた。

 

 そして、あろうことか指標やデータのことを何度も口にしながら、実際に試合で褒めたたえたのは、実物を見なければ優秀性を判断できない美山先輩だ。

 原田先輩にとって、いや、獅ノ宮にとって美山先輩は指標を過信し切れない一番の実物大だったんだ。

 

「言っとくがな……美山優希とかいう世界一の、大人も含めて間違いなく現時点で最強のプレイヤーを、キチンと計れもしねえ指標なんてな。獅ノ宮(ウチ)では全部ゴミ指標って呼んでんだよ!」

 

 激昂する原田先輩。

 彼女は自分で口にしながらも、唇を噛み締めていた。

 俺はそんな彼女の悔しそうな表情を誰よりも近くで見て、ハッ……とする。

 

 原田先輩は俺と同じ立場でもある。彼女も野球ファンで、指標だって完全には否定しない。

 でも、否定せざる負えない人が、自分が信じてきたものを、数字も体験も何もかも嘲笑うように無為にしてしまう存在が嫌でも視界に入る高校2年間。

 

 原田先輩は、きっと来るものがあったのだろう。いや、原田先輩でも、というべきか。

 今ならわかる。美山優希は神のような存在だが、悪魔でもある。あんなにも異次元の力を持った人が近くにいて、凡人は果たして正気でいられるだろうか。

 

 きっと、チームメイトが一番キツかっただろう。だから、部員が少ないんだ。皆、美山先輩に狂わされて辞めてしまったんだ。

 ずっと違和感はあったけど、こんなタイミングで自分の中で答え合わせすることになるとは思わなかった。

 

 原田先輩だって、凄く優秀な選手だ。

 遠征の最初に彼女をバカにした自分を、試合を見たあとの俺はぶん殴ってやりたい。

 原田先輩の守備は素晴らしかった。今ならわかる。成城先輩がマウンドに上がった時、1番信頼しているのは彼女だ。

 

 付き合いが長いからというだけではない。彼女の守備は一任してもお釣りがくるレベルだ。

 でも、そんな原田先輩でも美山先輩が対中龍1回戦で見せた異次元のホームランキャッチのようなプレーを何度も見せられて、挫けたんだろう。

 

 悔しいとかじゃない。そんな感情すら与えない悪魔は、味方にとっても悪魔だったんだ。

 美山先輩は、規格外だ。あんな常識の枠外にいるような人と自分を、誰も比べるべきではない。あの人は特別で、異常だ。

 

 だから、原田先輩だって落ち込む必要はない。そんなことは本人もわかってる。それでも、実力とプライドが十二分にあるから凡人よりも耐えれてしまうんだ。

 それは、決していいことだとは限らない。少しでも対抗できるほどの才能を持っていたということが不幸に繋がることもある。

 

 原田先輩は、ジワジワとダメージを受けながらも、それでも大好きでずっと続けてきた野球を、始めてたった1年の美山先輩に奪われる訳にはいかなかった。

 原田先輩は、ただ耐えて、耐え続けきた。別にそれで得たものはないだろう。ただ、耐えてきた。それだけだ。

 

 だからこそ、原田先輩は主張する。どんなに噛み締めるものがあっても、美山優希という存在が自分の信じてきたものを全て無意味するほどの神なのだと。

 彼女には、それを言える経緯がある。それを俺に訴えた。

 

「やる気によって神にもカスにもなれる優希をその辺の凡としか判断できねえカス指標でこの天才の巣窟、イレギュラーの獅ノ宮を計れる訳ねえだろうが……!!」

 

 指標やデータを否定はしない。

 でも、あくまで獅ノ宮という稀有なケースにおいて、とても相性が悪いと彼女は告げている。

 俺が考えもなしに近くにあった獅ノ宮を選んだのは、愚かだと言っている。

 彼女は、続ける。

 

「そんなゴミで私達を知った気になって、数字だけ見て判断して、それで私達の監督だぁ……?ふざけてんじゃねえぞ、クソ野郎。計算だけして知った気になってるだけの奴が、調子に乗りあがって。そのせいで……そのせいで……!」

「……っ」

 

 原田先輩の声音がだんだんと震える。

 表情が曇る。さっきまで勢いのまま俺に迫っていたのに、彼女は顔を離して、一度瞼を閉じ、噛み締めるように震えた。

 

 再び目を開いた彼女は、唇を噛む。その表情は、先程の怒りではなく、哀愁で作られていた。

 俺は、彼女の感情を直に感じて、込み上げるものに胸の内を締め付けられる。

 原田先輩は、泣きそうな声で話し始めた。

 

「……成城冬華って()はね。球界の宝なの。あんたも実際見てわかったでしょ?この()はどんなポジションも完璧にできて、打撃も天才。歴史上最も優れた選手になることが確約されてる最高の選手なの」

「……」

 

 原田先輩の言葉を聞いて、俺の視界の奥にいる成城先輩が右肘を撫でながら少し俯く。

 一瞬彼女に視線を移した俺を、てめぇがあの()を見てんじゃねえよ、そんな資格ねえよとでも言うように、原田先輩は声にまた憎しみを込めて、震わせる。

 

「それを大した能もねえカスのあんたがぶっ潰した。いや、ごめん。球界とか歴史とか社会とか偉業とか……正直どうでもいいわ」

「えっ……」

 

 彼女が口にした謝罪は別に俺に向けられたものではない。

 自分の口から出た言葉を、いやこれは自分の気持ちでは無いなと判断しただけ。

 

 成城冬華という逸材を死なせた、その認識は事実で理屈的で、わかりやすく、俺も自分の罪を実感することができた。

 だが、原田先輩はそんなことを俺に自覚させたかったわけじゃない。もっと、自覚して欲しいことが他にあった。

 

 そして、それは俺が自責するにはもっと効果的だった。

 でも、原田先輩はその為に言いたい訳ではない。ただ、ただただ、ここまでずっと憎悪から、ただ気持ちを言葉にしている。

 

 彼女は、ここまでになかった悲しそうな顔を浮かべた。そして、ここまでどんなに怒っても、感情を込めても、色んな意味を考えに考えて言葉を紡いでも、出なかった涙がポタポタと。

 俺の頬に―――落ちてきた。

 

「いいか?成城冬華はな。私の大っっっ切な友達なんだよ。何に変えても変え難い大好きな人なの。あんたは、貴重な人材を潰したんじゃない。私の大好きな友達を傷つけたんだ……っ!!」

「~~~~~っ!!」

 

 俺は、ここまでで1番、その言葉が深く、深く突き刺さった。

 俺は、自分のした事の愚かさを、罪の重さを散々わかった風に言ってたけど、まるで認知できていなかった。

 

 そうだ。そうだよ、高校生の輝かしい未来を潰したとか、人生を台無しにしたとかそれだけじゃないだろ。

 もっと。もっと意識すべきことがあった。いや、全部自分で自覚できなかったことが最低だ。

 

 そうだ。俺は……俺は……!この人達が大切にしてる人に怪我を負わせたんだ……!

 自分勝手な都合で、彼女達に近づいて、失礼な態度ばかり取って、彼女達を見下してバカにして、勝手に利用しようとして、監督になりたいなんて図々しい申し出をした。

 

 そのせいで、この人達は一生抱えなきゃいけない傷を負ったんだ。

 こんなクズのせいで、友達を傷つけられたんだ……!

 

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