貞操観念逆転世界で低レベルな女子野球部を指導してやろうとしたら逆に分からされた   作:伊つき

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第21話:その医者は

 

「絶対に許さねえ……!てめぇも肘出せ!ズタズタにしてやる……っ!そんでその肘が痛む度に思い出しやがれ。あんたの罪深さをね……!」

「……っ!ひぃ……!」

 

 原田先輩に脅迫されて、俺はそんな資格もないのに情けない声を出す。

 彼女が求めるのは当然の権利だ。

 だが、ここまでは彼女の自由にさせても、彼女に誰かを傷つけさせる前には、止める者がいた。当事者が原田先輩の腕にそっと手を添える。

 

「もうこの辺にしておきなさい、涼香」

「……っ!?冬華!?」

 

 まさか成城先輩に止められるとは思ってなかったのか、原田先輩が驚愕する。

 成城先輩が原田先輩の手に優しく触れて、俺の服の襟を掴んでいたのを解くように誘導した。

 

 原田先輩は困惑しながらも片手しか使えない成城先輩を前に、彼女の体温をその左手から感じ、何もできなくなってしまった。故に、素直に従って俺の襟から手を離す。

 

「……っ!うっ、あ……!」

 

 原田先輩が離して、俺は重力に引かれて上体を床に叩きつけた。

 痛みが走ったが、今はそれよりも罪に苛まれる気持ちで胸が締め付けられ、そっちの方が凄く痛む。

 解放された俺は、頭を抱えた。

 

「あっ……あぁ……!お、俺……!成城、先輩……っ」

「……っ!」

「……」

 

 自分がやかしたことの大きさにどうしたらいいかわからなくなった俺は、幼児退行したように言葉が出なくなり、ただ成城先輩のギプスを目にして情けなく手を伸ばすことしか出来ない。

 

 そんな俺を見て、原田先輩はチッ!と大きく舌打ちして下がり、成城先輩は背中を向けるそんな彼女を一瞥してから俺と向き合った。

 そして、彼女は衝撃的な発言を放つ。

 

「津川くん」

「……っ」

 

 彼女に名前を呼ばれるだけで顔面蒼白になる。

 俺は、俺は取り返しのつかないことを、彼女にしてしまった。

 謝りたい。でも、謝ることすら許されない。どの口で謝るのか。それでも。

 

 俺は謝罪を口にするしかもうできない。

 だから、謝ろうとした。だが、その前に成城先輩が遮って、膝を折り、俺と目線を合わせながら、言う。

 

「津川くん。貴方は悪くないわ。貴方は何も気にしなくていい。全部、全部私が仕組んだことよ。私はこうなることがわかってて、貴方を一目見た時から今回のことを計画していたの」

「……………………へっ?」

 

 成城先輩が何を言ってるのか、意味がわからない。

 俺は、ただ呆けることしかできない。

 いや。俺だけではない。

 この展開には、獅ノ宮野球部のメンバーも、みんな目を丸くした。

 

 原田先輩に至っては落ち着くために、俺を見ないようにしていたのにあまりの衝撃発言に目を見開いて振り返っている。

 誰もが、戦慄した。

 

「……いや。は?冬華、お前……何、言って……っ」

「今言った通りよ。私はこうなることが最初からわかっていて、敢えて津川くんを強くは突っぱねずに、彼と優希を煽って勝負する展開に持ち込んだ」

「えっ……何、それ。どういうこと?わ、わかんないよ。冬華……!」

 

「―――あはっ。なるほどねぇ~」

 

 誰もが困惑し、原田先輩に至っては言葉も失い、固まっていた。

 だが、たった1人だけ納得したように笑う者がいた。

 

 美山 優希だ。

 

 美山先輩がただ1人、皆と違う反応をしたので皆の注目が彼女に集まる。

 全員の意識が自分に向いてから、美山先輩はニヤリと口角を上げて、成城先輩に歩み寄る。

 成城先輩は、近づいて、笑みを浮かべながら見下ろす美山先輩を細めた目で迎える。

 

「流石だね、成城ちゃん。優希も今回は気付くのが遅れたよ。だから、途中まで成城ちゃんに乗せられて、練習試合なんて提案しちゃった」

「……」

 

 美山先輩に看破されても尚、成城先輩は動じない。

 彼女をジッと見上げて目を合わせ続けた。

 成城先輩のそんな態度に美山先輩は珍しく、食えない相手に向ける敵対心を込めた視線を、目を細めて彼女に向ける。

 

「おかしいとは思ったけどね~。津川くん如きに成城ちゃんが言い負かされた時から、さ」

「……っ」

「しかも津川君の言ってること、全~然っ、説き伏せられるような内容じゃなかったし。でも、ダメだね。あの時に気付くべきだった。優希もまだまだだよ。珍しいこともあるなぁって流しちゃった!」

 

 てへぺろっ!とあざとい仕草で舌を出して、小首を傾げて自分を小突く美山先輩。

 だが、目はふざけてない。本当に、してやられたと。そのことが気に食わないと、成城先輩を映す瞳で告げていた。

 

「やっぱり優希に対抗できるのは世界でたった1人。成城ちゃんだけだね。優希を野球から遠ざける為に、計画したのかな?」

「えぇ、そうよ」

『……!?』

 

 まさかの肯定を示した成城先輩に皆、言葉を失う。

 その中で、美山先輩だけが成城先輩と言葉を交わした。

 

「優希……貴女はいつから気づいていたの?」

「んー。練習試合の2日目になってからかなぁ。変だなぁって思ったのはぁ、成城ちゃんが1日目に勝っても喜ばなかった時とぉ、津川くんに何でも好きにしてもいいよ~って言った時ぃ~」

「……」

「でもぉ、確信に変わったのはぁ?津川くんが成城ちゃんに先発転向を提案した時かなぁ」

「そう。本当に貴女は恐ろしいわね。2日目の試合を決行できたのは奇跡だと今改めて感じたわ」

「あは~っ。優希は完全にやられた~って感じ~!……マウンドで肘を眺めてた時、優希、久々にゾッとしちゃったもん。ホント、成城ちゃんだけは敵に回すと……厄介だね」

 

 成城先輩を冷たい目で捉える美山先輩。

 2人は、仲間の筈なのに、足を引っ張りあっていた。

 成城先輩は、美山先輩にこれ以上野球で好き勝手させない為に。

 

 美山先輩は、自分の為に快楽野球をして成城先輩の大切なものも野球界もめちゃくちゃにしてきた。

 2人は、同じチームメイトいうだけの―――敵だ。

 

「ちょ、ちょっと待てよ!2人だけで話進めんじゃねえよ!何がどうなってんだよ。冬華が全部企んでたことって……どういうことだよ?」

 

 話についていけない霧島先輩が割って入る。

 2人だけの世界に入ってしまった彼女たちを現実に戻した。

 霧島先輩の困惑に、成城先輩が対応する。

 

「……私は、津川くんが野球部を見学しにきたその時から一目見て、彼の愚かを見抜いていたの。きっと彼ならこの部をめちゃくちゃにしてくれる。そう期待したの」

「生徒同士で問題を起こす。それも、こんなに大きな怪我を負わせたともなれば、学校側はこれ以上野球部を活動させる訳にはいかないもんね~!」

「えぇ」

「……しかも元から廃部の危機なんてオマケ付き。獅ノ宮野球部はこれで終わり。今回のことで完全にトドメだね」

「なっ……!?」

 

 美山先輩の解説も加えて、やっと成城先輩の考えを理解した霧島先輩が信じられないものを見るような目で成城先輩を見る。

 そんな視線に晒されても、当然それすら成城先輩の予測の範囲内だ。

 彼女は、さらにつけ加える。

 

「さすがに自分が故障するのは最終手段よ。でも、やっぱり優希を相手にするなら必然的にその手札を切るしかなかったわね。出し惜しみをできるほど、貴女は甘くない」

「……これで優希は公式の試合に出られなくなった。野球部がなくなるんだもん。本当によく、考えたね」

 

 美山先輩が笑う。

 面白くて笑みを浮かべてるんじゃない。寧ろ、怒りで作ってる笑顔だ。

 自分の快楽を、奪われた。目の前の……成城冬華に。

 

 無論、この程度で折れる彼女ではないが、それは目の前の強敵も同様。いつまでも邪魔をし続けてくるだろうということは容易に想像出来る。

 だから、美山先輩は手を打つことにした。ここからでも巻き返せる考えが、彼女にはあった。

 

 美山先輩は気づいていて、成城先輩は見落としている。そんな本質が成城先輩の中にはあった。美山先輩はそこに目をつける。

 彼女は、自身に背を向けて、津川に寄り添う成城先輩のその背中に投げかける。

 

「……ねえ、成城ちゃん。成城ちゃんはなんで優希を野球に誘ったの?」

「…………………は?」

 

 突然聞かれて成城先輩は思わず顔を顰める。

 あまりに突拍子がなかった。話も全然違う。

 成城先輩だけじゃない。全員が、急に何を言ってるんだこいつという視線を美山先輩に向けた。

 そして、何より、成城先輩が美山先輩を誘った理由なんて、俺以外は周知だったのだから尚更に今更感があった。

 

「……何よ、急に。大体そんなこと貴女もとっくに知ってるでしょう。去年、皆に言われたから―――」

「それは発端でしょ~?優希は別に野球部の為に入部したんじゃないもん。優希の入部の決め手がそこじゃないんだから、成城ちゃんが誘った理由もそれじゃないよ」

「はぁ?何よ、それ」

 

 美山先輩の言ってることはめちゃくちゃだ。筋が通ってるように聞こえなくもないが、彼女が伝えたいことをクイズのように隠してるからか、こちらとしてはその真意を誰も理解できない。

 

 故に、成城先輩のようにただ顔を顰めるしかない。何を言いたいのか、よくわからないからほんのり苛立ちも含んでしまっている始末だ。

 それでも、美山先輩は続ける。

 

「優希を誘ったくせに、優希を野球から遠ざけたい。それは矛盾してない。後から気持ちが変わることなんていくらでもあるもんね。でも、変わる前の気持ちを、成城ちゃんはずっと誤解してるよね~」

「……?」

 

 美山先輩の言ってることがイマイチ汲み取れず、成城先輩はもはや不快感すら覚えながらも訝しむ。

 そんな彼女の表情を見て、美山先輩は笑みを見せた。

 

『……!』

 

 彼女の微笑みの前に、俺達はみんな驚いた。目を奪われた。

 そう、彼女は微笑んだのだ。今、美山優希は作った笑みはこれまでにはなかった、柔らかさがあった。

 

 初めてかもしれない。少なくとも俺は初めて見た。いや、皆の反応を見るに、彼女達も今まで見た事がなかったのだろう。

 美山先輩が笑うことはこれまで何度もあった。

 

 でも、今浮かべているのはいつもの冷たさも、意地悪さも、タチの悪さも、ない。マイナスなそれではない。

 まるで、人が友達と触れ合う中で相手に向ける、自然と出た優しい微笑み。

 

 美山優希は、成城冬華にだけそれを捧げた。

 成城先輩はそんな顔を向けられて、目を見開く。

 美山先輩は成城先輩に告げる。

 

「成城ちゃんは優希のことを誘う時、他人のことなんて一言も口にしなかったよ。もう忘れちゃった?」

「……!」

 

 後ろで手を組んでコテンと小首を傾げる美山先輩。

 成城先輩は、想起する。

 あれは―――去年の夏に入る前。教室で、冬華が優希の席までわざわざやってきて、微笑みながら話しかけてきた時。

 

 

『優希、私達と一緒に野球やらない?きっと楽しいわよ』

『えぇ~!?野球~?汗かくのやだだし、興味無いかな~。それに、野球って人気微妙じゃな~い?優希、どうせやるならフィギュアスケートがいいなぁ~!いっぱいもてはやされそう!』

『あら。野球だって負けてないわよ?甲子園なんて最大4万人も集まるんだから』

『……!……へぇ。でも、優希はやっぱりフィギュアかなぁ。どうせ、世界で1番優希が上手いし!』

『それだったら野球だってきっと貴女は凄いわよ!それに、フィギュアに私はいないけど、野球なら私がいるわよ』

『あはっ!なにそれ~!成城ちゃん、自分がいることがメリットだと思ってるなんて、凄い自信だね~!』

『あら。当然よ。だって、私は完璧だもの。完璧の私と貴女。組んだら凄いことになると思わない?ねっ?一人でやるフィギュアより、私とやる野球よ!それに―――』

 

 

 美山優希は、鮮明に覚えている。

 彼女にとって、この時の成城冬華の表情がとても眩しくて、脳裏に焼き付いているから。

 冬華は、彼女だけは……優希に友愛を向けていたから。

 

『私の好きな野球は凄く楽しいってこと、貴女にも知って欲しいの!私、貴女だから一緒にやりたい!友達の貴女と一緒に私の好きなことがしたいの。ねっ?お願いよ―――優希!』

 

「……っ!」

 

 成城先輩は、思い出した。

 同時に自分の見落としに狼狽える。

 

「あっ……あぁ……っ!」

「……成城ちゃん。成城ちゃんは何でも出来る。だから、野球を失っても成城ちゃんの将来に影響はない。だってどんな道を選んでも必ず成功するから。でも、そういう問題じゃないよね」

「……っ!」

 

 美山先輩に指摘されて、成城先輩はへたり込む。

 さっきまで飄々としていた彼女はもうそこにはいない。

 2日かけて遠征までして美山先輩を野球から遠ざける計画を完遂した時も、それによって自分の身体が取り返しのつかないとになっても、自身の思惑を皆に話した時も、一切態度を変えず冷静だった。

 

 でも、今の彼女に美山先輩の目には後悔が見える。

 野球を楽しむ人々の為に、美山先輩を排除することに、彼女は躍起になりすぎた。視野が狭くなっていた。だから、平気で自分の大切なものを簡単に捧げてしまった。

 その事を今になってようやく自覚した成城先輩の頬には涙が伝う。

 

「あっ……わた……っ、わた、し……は……っ」

『……っ!』

 

 成城先輩の涙を見て、美山先輩以外の獅ノ宮野球部メンバーと俺が目を見開く。

 美山先輩だけがそんな彼女を虚しそうな、いや落胆したような憐れむような、なんとも言えない表情で見下ろす。

 

「成城ちゃんはどんな未来も約束されてる。でも、成城ちゃんが1番時間を費やしたのは勉強でも音楽でもない」

「……っ」

 

 美山先輩に言われて、曇った表情で視線を泳がせながら徐々に落としていく成城先輩。

 何をやっても完璧。どんな道を選んでも必ず成功する。

 誰もが期待する完璧超人、成城冬華。

 

 でも、周りの期待に気づいていながらも、それに応えず彼女は野球に打ち込んできた。賢い彼女なら、自身の選択が他人に注目され、他者に影響を及ぼし他者の感情を左右すると理解しているのに。

 それでも、野球をしていた。それはなぜか。

 美山先輩は、言及する。

 

「毎日放課後に5時間、有望な成城ちゃんの、貴重な時間でやってたことはただ、金属バットを振って、グローブを手に走って、白くて小さいボールを投げていた。たったそれだけ」

 

 美山先輩はわざわざ言葉にする。

 もう成城先輩は自覚している。

 それでも、これは必要な工程だ。

 全ては、成城冬華を……友、いや、ただ彼女をこんなところで沈めさせない為に。

 

「賢い成城ちゃんが馬鹿みたいに1つの事に夢中になってたのは……なんでかな?」

「そ、それは……」

 

 美山先輩に問われて成城先輩がしどろもどろになる。

 彼女は、いやこの場にいる全員が、もう回答なんてわかってる。

 答えなんて、決まっている。

 それは、成城冬華は野球が……好きだからだ。

 

 成城先輩は、美山優希に傷つけられた球児達の為に、是が非でも彼女を排除しようとした。そう、是が非でも。

 何がなんでも。どんな手段を使っても。皆の為になるなら。そして、何より好きな野球をこれ以上彼女にめちゃくちゃにされる訳にはいかない。

 

 好きな野球。

 成城先輩は、その思考を経由して、ハッとする。

 彼女は、自棄な乾いた自嘲の笑いが出る。

 

 ―――あぁ、なんてマヌケなのだろうか。好きな野球を守ることが動機だったのに、目的を果たすことに必死になりすぎて、好きな野球を生贄に捧げてしまった。

 

 成城冬華は、もう笑うしかない。笑みを浮かべながら涙を流していた。今は、ただ顔を上げて、天井を眺める。

 滑稽だ。そう言う他ない。

 今世紀最大のバカだ。何が天才だ。何が完璧だ。

 

 津川和哉に悪意を持ったままでいてもらうよう、彼を野放しにして、利用した。

 大好きな野球も手放した。

 

 美山優希から野球を奪うために、クズになった。

 でも、さすがに盲目すぎた。

 成城先輩は、自身の前でへたれこんでいる俺に、真剣な表情で向き合う。

 

「ごめんなさい、津川くん。私のせいで、貴方が殴られることになって……私の事情で貴方を利用して、ごめんなさい……」

「……いえ。俺も……悪かったです。そもそも俺に悪意があって、愚かじゃなければ成城先輩に目をつけられることもなかったんで……」

 

 成城先輩に謝罪されて、それを受けて俺は利用された被害者だなんて思わない。

 俺だって、皆の監督になって、自分の為に皆を利用しようとした。そう考えたのも行動に起こしたのも、別に成城先輩は関係ない。

 

 被害者は、俺と成城先輩と美山先輩以外。

 3人は全員悪い。

 そして、3人の自己中心的な行動がそれぞれ自らの首を絞めた。

 

 俺は部の完全崩壊に向けた最後の一手を打ってしまった。彼女達に迷惑をかけた。

 やらかした事を数えたらキリがない。自分の浅はかさで身の丈に合わない目的どころではなくなってしまった。罪も沢山抱えてしまった。

 

 美山先輩は、自分勝手を貫き、他者の気持ちを一切考慮してこなかった。そのせいで成城先輩に目をつけられ、彼女を敵に回してしまった。

 結果、野球との繋がりを成城先輩によって断ち切られてしまった。

 

 そして、成城先輩は。

 色々見えなくなってなりふり構わなくなったせいで、1番大事なものを自ら失ってしまった。

 さらにそれを自覚させてくれたのは、発端となった美山先輩。彼女が言葉で誘導した。

 

 こんな地獄みたいな状況に至った最大にして最初の要因、美山先輩。

 なのに、美山先輩が成城先輩に気付かせた。

 あまりに盲目になっていたことを。

 

 成城先輩は、俺に謝罪を済ませた後は美山先輩の方に顔を向けた。

 彼女は、涙を流しながらぎこちなく笑みを作る。自暴自棄で、情緒がぐちゃぐちゃになった、そんな笑み。

 

「……優希。どうしよう。私、野球……できなくなっちゃった……」

『―――っ!』

 

 自分でしでかしたことでも、それは無自覚だったからできたこと。

 今は、後悔でしかない。

 こんなはずじゃなかった、今ならそう思う。

 もう、どうしようもないところまで暴走してたどり着いてしまった。

 

 そんな彼女の、なんとも言えないボロボロの姿。

 完璧だった大天才の没落。もう見る影もない。

 完全に身体も心も壊れてしまった成城先輩の様に、獅ノ宮野球部のメンバーは見るに堪えなくなる。

 

「ふ、冬華……」

「……っ!……クソ」

「……」

 

 名を呟き、ただ俯くことしか出来ない長門先輩。

 思うところは色々あれど、最終的に仲間の壊れた姿を目にするに至り、悪態をつくしかない霧島先輩。

 無言で顔を逸らし、もう誰にもその表情を見せず、背中を向ける原田先輩。

 

 誰もが、最悪の気分で絶望としか言いようのない感情に染まっていた。

 成城先輩の自業自得。そう言われてしまえば、その通りだが、話はそんなに単純じゃない。

 彼女達も決して、成城先輩や美山先輩、今はもう俺の事も責める気は起こらないようだ。

 

 責任は全員にある。そう思ってるのかもしれない。

 成城先輩が美山先輩をなんとかしなくてはと一人で気負ったのは何故か。その理由に思い当たる節があるからだ。

 信頼はあっても、力が足りない。力がなければ、頼っても意味は無い。

 

 結局のところ今回の事態を防ぐには去年のうちに美山先輩を誰かが止めるしか無かった。

 でも、そんな事は不可能。答えは単純。成城先輩以外は誰も、彼女に対抗することもできないからだ。

 美山先輩を止められるだけの、倒せる力がない。全てはそこに尽きる。

 

 誰にでも責任があって、成城先輩も俺も悪くて、美山先輩はどうしようもない。

 ただ一つハッキリしてるのは、もう獅ノ宮野球部はゲームオーバーという事実だけ。

 もう部員内でアクシデントが置き、取り返しのつかない怪我を発生させたという問題は取り消せない。

 

 成城先輩がいくら後悔して、やり直したいと思ってももう停部以上は免れない。その正常な判断を下し、生徒を守る義務が学校にはあるから。

 残酷なことに、成城先輩の計画は見事完全に成功してしまったという訳だ。今は計画した本人ですらその結末が決定したことに絶望している。

 

 野球部は終わり。成城先輩の野球人生も終わり。

 もう時は戻せない。美山先輩を止める方法は他にもあったのではないかということを考えることなど無駄でしかない。負傷した肘はもう元に戻ることはないのだから。

 諦めしかない。もう、全員沈むしか……ない。

 

 美山先輩は、そうは思わなかった。

 

「また野球できるよ」

「……っ」

『……!?』

 

 重い沈黙によって生まれた静寂の中、もう誰も口を開く気力もなかったのに。美山先輩は、全く動じずハッキリとした声で成城先輩に告げた。

 成城先輩が彼女の言葉を受けて、目を見開き見上げて、他のメンツは美山先輩を驚きの目で見た。

 美山先輩は、何度でもこの重い空気の中、言える。

 

「……また、できるようになるよ。だって成城ちゃんに不可能はないでしょ?優希は不可能なんてないよ。なら、優希と同じ能力(スペック)を持つ成城ちゃんも同じハズ」

 

 事の発端が、励ます異様な光景。

 当然これまでと同様、美山先輩は自分の為にしか行動しない。故に、これも自分の為に言っている。

 自分の為に言っている……部分もある。

 

「優希が逆の立場なら、諦めるなんて端からないね。だから、成城ちゃんも諦める必要ないよ。そうでしょ?」

「……優希」

 

 美山先輩の言葉を受けて、成城先輩は一瞬顔を上げるが、また俯いた。

 彼女の鼓舞には自信という根拠しかない。確かに、美山先輩は正しく自分の能力を理解できているかもしれない。

 

 体力以外は同じ能力を持つと言われている成城先輩も、美山先輩がそう言うのなら信じるに値することはわかっている。

 でも、理屈じゃない。そんな美山先輩の薄い根拠で勇気なんて湧いてこない。沈んだ気持ちは浮かんでこない。

 

「……っ!」

「いや……!そうは言ったってよ、優希!さすがに医者に無理って言われたことは冬華にだってそう簡単には……!」

 

 美山先輩にどの口で言ってんだと思っているのか、夜の病院という静かな空間の中で原田先輩の噛み締める音が聞こえる。顔は見えないが、きっと思うところが沢山あり、表情を顰めてるのは見なくても誰にでもわかる。

 

 同じく色々抱いてるであろう霧島先輩は、そんな原田先輩を横目で確認しながらも、とりあえず今は美山先輩の無茶な言いように噛み付いた。

 彼女の言葉を聞いて、成城先輩は思い出した。

 

「あっ」

『……?』

 

 成城先輩が声を漏らして、ようやく顔を上げた。

 彼女の様子に全員が眉をひそめる。

 成城先輩は俺を見て、いつもの落ち着いた表情で尋ねてきた。

 

「津川くん。貴方さっき手術がどうとか言ってたわよね。まるで、その手術を行えばこの怪我が完治するような口振りだった……違うかしら?」

「……!そ、それは……」

 

 俺は、成城先輩に指摘されて言葉に詰まる。

 彼女は頭が良い。俺がトミー・ジョン手術について言及した時、普通ならトンチキなことを言い始めた素人にしか映らないが、彼女は俺の態度を見てふざけてるようには捉えなかった。

 

 俺が確信を持って、医者が認知してない手術について語ったのだと彼女は判断していた。

 つまり、医者がそんなものは知らないと一蹴したトミー・ジョンの実在を、成城先輩は睨んでいる。

 

「……っ」

 

 俺は、息を飲んだ。

 初めて誰かを恐ろしいと思ったかもしれない。

 この人は、どうしてここまで洞察が優れているんだろう。彼女は当然、転生なんてものが実際に起こってることも、逆転してない世界があることも、俺の世界のことも何も知らない。

 

 それでも。俺の態度、発言からトミー・ジョン手術についての言及を見落とさなかった。医者が存在しないと断言したものの実在を疑うところまで漕ぎ着けてきた。

 どうなってるんだ、この人は。そう思うのと同時に、この人を追い詰めて、判断を鈍らせた美山先輩も異常だとも思った。

 

「……はい。俺はその故障を治す方法を知っています」

『……!?』

 

 この人に対して、嘘はつけない。

 そう判断した俺は、成城先輩に気圧されるがままに肯定した。

 俺にとっては常識でも、この世界では誰も信じず、嘘だと思われる。

 

 本音が嘘に、嘘が本音に。そこも逆転している。

 だが、成城先輩と美山先輩にだけはそこは逆転現象が起きていない。理由は2人が次元の違う才能の持ち主だから。

 

 そんな人を前にし、嘘を嘘だと指摘されればもう頷くしかない。

 成城先輩の肘は完治する。それを可能とする手術がある。

 

 ここまでの根底を覆す発言が、俺と成城先輩の会話から出た。

 当然、皆は驚愕し、困惑する。

 そんな皆を置き去りにして、成城先輩が俺の肯定に対して納得する。

 

「そう。やっぱりそうなのね。医者が知らないことを貴方がなぜ知っているのか、今は問わないわ。とにかく怪我を治す方法があるというのならそれを貴方から教えて貰って実践することが最優先よ。確か……トミー・ジョン手術、だったかしら。試す価値はあるわね」

 

 さっきまでの曇り顔で顰めた表情の彼女はどこへ行ったのやら。成城先輩は、完全に活きを取り戻して、真剣な表情で口元に握り拳を当てて考える人になった。

 水を得た魚の如く、凄まじい切り替えを見せた彼女についていけない霧島先輩がさすがに動揺しながら声を上げる。

 

「ま、待てよ!?どういうことだよ!?その肘を完治……って、話の流れも踏まえると野球ができるほどの回復ってことだよな?医者はそんなの出来ねぇって言ってたのに、なんで津川が……!いや、それよりそんな話信じるのかよ!?」

 

 霧島先輩が混乱するのも無理はない。口にすることで状況を整理しながら、一番の問題点を指摘した。

 他の皆も医者が知らず、俺が勝手に言ってることを信用するのはおかしいと感じている。

 長門先輩が首を傾げながら困惑と疑念を言葉にする。

 

「デ、デタラメ言ってるんじゃ……」

「……だとしても、他に賭けるものはないわ。それに、彼のあの時の様子や発言は決して適当や冷やかしには見えなかったわね。保存療法しかないと聞いた時、心底驚いていたもの」

 

 成城先輩は、人の一挙一動を目敏く観察し分析している。別に意識してやってる訳では無い。デフォルトで備わっている能力なのだろう。

 診察室での俺の言動や態度から読み取った彼女は、期待ではなくほぼ確信に近いものを、俺が提示したトミー・ジョン手術という選択に感じていた。

 彼女は、俺が口にしたその手術に希望を見出して、俺の目をしっかりと見つめる。

 

「津川くん。貴方の言う手術で私を治してくれる医者を探すわ。まずは、貴方の知ってる情報を―――」

「む、無理です……」

「えっ?」

 

 俺は、盛り上がってる成城先輩の言葉を遮った。

 成城先輩は珍しく面食らって顔を顰める。

 話がいい方に向かってるという態度だった成城先輩がその勢いを殺され、霧島先輩が雲行きの怪しさに疑問を感じる。

 

「あ?無理ってどういうことだよ」

「……あぁ、なるほどね~」

 

 皆が困惑している中、またしても美山先輩だけが一人で理解して一人で納得したように呟く。

 そんな彼女に注目が集まったが、彼女より先に俺は自分の口で説明する。皆、俺が口を開いたのを見て俺の方に視線を移した。

 

「俺の知ってる治療法は……肘の靭帯を修復する、『トミー・ジョン手術』は、世界でまだ誰もやったことがありません。つまり、前例も成功例もないんです……。だ、だから……っ」

「……!」

 

 バラバラの言葉を繋ぎ合わせるように、しどろもどろで途切れ途切れに話す俺の説明を聞いて、成城先輩が目を見開く。

 もう何が問題か、彼女は理解したのだろう。

 その証拠に彼女の表情は暗くなった。もう理解した彼女の口から補足される。

 

「……そう。それは……厳しいわね。確証のない手術に手を出したがる医者はほぼいないと聞くわ。前例のないことは誰もやりたがらない。私を治す医者を見つけるのは……難しそうね」

「……っ!」

 

 一瞬見えた希望に期待していた成城先輩が肩を落とす。

 俺はその様子を見て、気まずくなった。

 またやってしまった。俺の軽はずみな発言が、無駄な希望を抱かせてしまった。

 本当に申し訳ない。

 

「……すみません、役に立て……な……く、て?―――あっ」

「……?」

 

 俺が、成城先輩への謝罪を口にする途中、思い当たったことがあった。

 だが、俺は頭に浮かんだその発想を首を振るってなかったことにしようとする。成城先輩が不思議そうに俺を見る。

 

 俺が思い浮かべたのは、一人の人物。でも、その人に頼るのはダメだ。

 あの人に迷惑をかけるわけにはいかない。

 ……いや、俺は既に獅ノ宮野球部に迷惑をかけている。もし、成城先輩の怪我を完治させることができたならば、獅ノ宮野球部も完全に終わりはギリギリ回避出来るかもしれない。

 

 俺には、迷惑をかけた分だけ彼女達に贖罪をする必要がある。

 もはや、贖罪だとしてももう関わって欲しくないかもしれないが……トミー・ジョン手術の希望を持っているのが俺だけとなると彼女達も俺もそうは言ってられない。

 

 そして、その為に俺に、もしできることがあるとすれば。手術をやってくれる人を見つけること。勿論、そのツテがあるなら紹介すること。

 ツテがあるなら……ある。

 ある。俺には、ある。正直、俺にはツテが『ある』。

 

 だが、個人的な事情であの人には頼みづらい。

 ……そんなことを言う資格は、俺にはない。そうだ、例え彼女に迷惑をかけようとも、その責任も俺が背負えばいい。

 

 獅ノ宮野球部の為にできることがあるなら、やるしかない。ここで俺に、権利などない。

 ツテがあるなら、紹介すべきだ。すべきなら、しろ。それ以外選択肢は無い。

 

「~~~~~っ!」

 

 俺は、苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべながら、背に腹はかえらないと、決心する。

『彼女』には悪いが、獅ノ宮野球部に必要なら、頼むしかない。それで『彼女』に迷惑をかけることになっても、俺に何もできることは無い以上、頼ることしかできない。

 

 結局野球部の崩壊も、成城先輩の怪我をどうにかするのにも、無力なことが一番足を引っ張るっている。無力は、罪だ。しかも責任能力もない。

 だから、子供は、子供だと言われるのだ。仕方ない。受け入れるしかない。

 そう、考えを纏めて俺は……言ってしまう。

 

「あ、あの!1人だけ、心当たりというか……頼むだけでもできそうな人が……い、います」

「……!本当に?是非、紹介してくれないかしら?お願いよ、津川くん」

「……っ。は、はい」

 

 成城先輩が再び俺に頼み込み、俺はもう後に引けないことを恐れて声を震わせながらも頷いた。

 そして、俺は、その『ツテ』について。トミー・ジョン手術を頼むだけでもできそうな医者を、紹介する。

 

「えっと……うちの、俺の……母です」

 

 俺の、というより。

 津川和哉の母親。

『彼女』とは、津川母のこと。

 そして、津川の母は医者である。

 

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