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「まぁ、病み上がりだしね。じゃあ続きはまた明日」
理子さんは何か勘付いてしまっただろうか、ただ、今日は解散することができる。それさえあれば今は十分だ。
「すいません、せっかくの機会なのに……」
ただ、違和感を残す帰り方だけはしたくない。理子さんやヒルダから見た自分がどんな人間かは分からないが、極力今まで通り言葉を選ぶ。
「ヒルダがいっぱい飲むからー……」
「わ、私は関係無いですのよ。ほら、早く帰りなさい」
理子が携帯を弄り始めていたヒルダをジトっと見ると、それをテーブルに置いて立ち上がった。
こちらも立ち上がるとその背中を押され、流されるままに部屋から出されてしまう。
ヒルダが勘違いしてくれていたおかげで、スムーズに部屋から出ることができた。多分、大丈夫なはず。
しかし、自室に戻ったからといって、当然眠れる訳がなかった。
目を閉じれば惨劇が浮かび、無音のはずの空間には叫び声、無臭のはずの枕からは血の臭いが浮かび上がる。
冷や汗と共に映像が流れ出て、天井にそれを映し出す。
………………
「ロウは私と来るべき、貴方はこちら側の人間でしょ?」
黒髪の少女は、血のベットリと付いた直剣を両手で握り、ににこやかに笑っている。
その足元には何か分からない肉塊が転がっており、ベットを中心に様々な所が赤く染まっていた。
「違う、僕は違う!」
身体がガタガタと震え、奥歯はカチカチと小刻みに音を鳴らす。
「じゃあ、これは何かしらね?」
………………
「っ!……」
気付いたら朝日が部屋に射し込んでいた。
どうも悪夢にうなされていたようで、かなりの汗で枕や布団はふやけている。
何を見ていたかは思い出せず、何を怖がっているのかと、自分を嘲笑した。
「……大丈夫、似てるだけだ」
そして理子とまた会わなければいけないことを思い出すと、まるで子供を宥めるように自分に言い聞かす。
とりあえずは理子さんとの話を済ませないといけない。
携帯を取り出すと、昨日のメールの送信元へ「起きました、日程はどうしますか?」と送信してポケットに入れ直す。
流石にあの部屋へ自分から行く気にはなれない。あの人達なら朝から何をしているか分かった物じゃないからだ。
起き上がると時計を見て、それが9時を指しているのを確認すると、壁に空いている穴を思い出す。
「暫くは財布が軽そうだ……」
壁の修理はどのくらいするのだろう。武偵向けのアパートだから、多少は多めに見て貰えるだろうが、日常生活に支障をきたす程度には、払う必要がありそうだ。
暇なことも相成り壁の穴に手を入れて中を見ていると、案外早くに返信アラームが鳴る。
空いてる手で携帯を開くと「昼間は理子目立っちゃうから、ヒルダをそっちの部屋に送るね」と、やはり絵文字やらで装飾された文章が見え、すぐにインターフォンが鳴った。
「はいはい行きますよ」
穴から離れて玄関を開けに行くと、やはりヒルダが立っていた。
「昨晩は気分が悪かったようだけど、もう大丈夫かしら?」
「血はやらんからな」
「元気そうで何より」
ヒルダはこちらが案内するのを待つ気は無いようで、すぐに一歩踏み出して体調について聞いてくる。
とりあえずは邪魔にならないよう奥へ引っ込みながら、元気だと答えて、また吸われないようあらかじめ言っておく。
ヒルダもそのつもりは無いのか軽く流すと、昨晩と同じように布団に座りヒルダを椅子に座らせた。
「昨日の写真に写ってた人についてだけど、黒髪の方は不明よ。ただ、あの写真を手に入れたのは一ヶ月前……貴方が入院した日の次の日だった」
「わざわざ話すってことは他にも理由があるんだろ?」
事件より前だったりすれば何かしらキンジ達に働きかけた報酬とも取れなく無いが、次の日となれば少し話が違ってくる。
それ以上の判断は今の情報ではまだできず、話を切ったヒルダに続きを要求した。
「あら、理解力はあるのね?エルがこの写真の日から数日後連絡が取れなくなっているの。最初はキンジ達に狙われた可能性を考えたけど、この写真を見てからは違う」
「協力していた可能性があるからとっちめろと?仮にも仲間だった奴でも、簡単に疑うんだな」
ヒルダの言っている意味を理解した時、協力する気が無くなってしまった。
大切な人達に裏切られて疑心暗鬼になるのは理解できるが、いくらなんでも当てつけに近い推理。こんな考えに賛同できるわけがない。
言い方に棘を付けたのは意識せずのことだ。
「貴方は私達を知らないのよ。チームバスカービルが……いえ、この話はやめておきましょう。とにかく、エルの所在は分かってる。救出になるか確保になるかの判断は貴方次第よ」
ヒルダは何かを言おうとしたが、途中でやめてしまうと判断を委ねると言い始めた。
確かに賛同しかねるが、生きていると信じた上での、どっちに転がっても大きな情報源になるということ。だからこその、救出か確保、なのだろう。
「……分かった」
「理解が早くて助かるわ」
承諾するとヒルダはそれだけ言って黙った。
こちらも作戦について何かを言うのだと思い止まってしまい、気まずい沈黙がその場に残る。
こちらからも話しを切り出せないのは、ヒルダが何かを言おうとして迷っていたからだ。
視線は時折こちらに向き、少し口を開いたかと思うとすぐ閉じてしまう。
作戦についてでは無い、私用での迷い。
今の気分なら続きを急かしたいが、昨晩見た恐怖を煽るような余裕のある姿は無く、何をしたらいいか悩み今にも泣きそうなか弱い一面に、それを拒まれる
長い沈黙を破ったのは、ヒルダだった。
「理子はどうだったかしら?」
「は?」
間抜けな声を出してしまったのは仕方ない、それだけ突拍子もない話である。
「いや、だから……スタイルもいいし、子供っぽいところも可愛いでしょ?」
「お前は……はぁ」
呆れたというよりは安心による安堵のため息が自分を落ち着かせた。
「何を迷ってるかと思ったらパートナー自慢か?すまないが女が好きだって告白は勘弁してくれ、苦い経験を昨日したばかりなんだ……まぁ、女としての魅力はあると思うよ」
難しい相談でもあるのかとも考えていたが、そんなことには最初から関わらないのが一番。
一応最後に感想だけ言っておいたが、それ以上のフォローをするつもりは無い。
「は、話は最後まで聞きなさい!私に女好きの趣味は無いですわ!」
「あ、あぁ……」
ヒルダが声を荒げているのを初めて見て、思わずその迫力に気圧された。
「私が言いたいのは……言いたいのはっ!」
「ま、待て落ち着け。そのまま騒がれると俺に女たらしの称号が付く」
しかも収まることなく声量を保ち、迷ったまま言葉を上手く言えずにいる。
近隣住民から白い目で見られるのは是非とも勘弁して頂きたい。
何とか宥めようと立ち上がるが、両手で落ち着くようジェスチャーするのが精一杯である。
「んぐ……貴方、理子と付き合う気は無くて?」
「っはぁ!?」
しかし、声を荒げる順番はこちらに回ってきてしまったようだ。
やっと落ち着いたかと思えばお見合いを申し込む母親みたいなことを言い始める。
確かに相手に不足は無いが、それは経済的な判断としてであり、男の判断としてはあのタイプだけはダメだと警笛を鳴らす。
「落ち着いて聞きなさいよ」
「おま、お前ー……どうして急に」
しかし、こちらも宥められると空気が抜けるように落ち着き、話には理由があるということがやっと分かった。
ヒルダもこちらが落ち着いたのを確認すると、覚悟を決めたようで話し始める。
「チームバスカービルのメンバーがキンジ以外女性なのは知ってるわよね?それには大きな理由がある。全員があの男に恋をしていたの」
ヒルダが話し始めたのが何なのか、昼ごろに放送されているドラマは見ていなくても分かった。
「あの男は最初からアリアを選んでいたから嫌でも納得していたけれど、結婚という話にはそうもいかなかったわ。白雪は取り乱すしレキは塞ぎ込んでしまって手に負えなかったわ」
こういう肉ばかり食べてる人の血みたいな話は死ぬほど胸が締め付けられる。
叶わない恋だと分かってた上での失恋は、心構えがあってもさぞ響くことだろう。
「理子はあの男が形だけで心からは誰にも祝福されないということが、嫌で仕方がなかったわ。だから、せめて自分だけはそうあろうとした。白雪やレキも祝福はしていたけれど、心の整理が不得意な人だから理子のように笑うことも無い」
「すまん、だからといって代わりを選ぶ何て話はおかしくないか?」
だからこそ、この話は断りたかった。
ヒルダは、いつまでも自分を押し殺して笑っている理子が、可哀想で見てられない。いっそ白雪のように一度取り乱すか、レキのように自分に素直になれてしまえばいい。そう思っている筈。
白雪やレキが動かないのに、理子だけは捜査を続けてはやく解決しようとしているのは、得意だからしているのではなく、そういった事情があったからなのだろう。
「それでも!少しくらい報われないと、理子は……」
「それはお前の主観だ。白雪さんやレキさんが実際どうだったかはお前の見た話でしかない……ここの合鍵だ、落ち着くまではここに居ていい」
それが答えだった。
ヒルダは理子に強い思い入れがある。それが何を源にしているかは分からないが、その結果目が眩んでいるのだろう。
クローゼットを開けて隅に置いてある鍵を拾うと、テーブルにそれを置いて部屋を出て行った。
ヒルダが何も言わないのはこちらの言葉に少なからず考える物があったからだろう。
ドアを閉める時に少しだけ見えた横顔は見なかったことにしておく。
部屋から出ると太陽が照り付けてきていた。暫くは帰宅できないからとりあえずは理子さんに適当に話を付けてヒルダが遅くなると伝えなくてはならない。
「あぁー……こういう時トラストみたいな……」
そして呟いた言葉で忘れていたことが脳裏をよぎった。
今日はトラストと合流して理子さんを探すという話になっていたのだ。
しかも相手はこちらの連絡先を知らず、こちらからしなくてはいけないというのに、太陽が眩しい時間帯になっている上に、戻って荷物を回収することもできない。
そもそも理子さんには会っているのだから探すための用意は必要無いではないか。
ともなれば早速連絡だが、理子さんにヒルダについての言い訳をしなくてはいけないからまずはそちらに連絡して、トラストに連絡となる。
「連絡先増やさないようにしよう……」
そう心に誓うと、理子へ”ヒルダは何か帰るの遅れるらしいですよ”とあくまでも何も知らないていで連絡をし、次に電話を構えた。
言い訳はしまい、大人しくお叱りを受ける覚悟が俺にはある。
「あ、もしもし、すいません連絡入れるのを忘れてました……はい、はい。本当ご飯奢るので許してください……はい、では駅前で……」
色々言われたが、”思慮だけでなく記憶容量まで浅いとは思わなかった”という言葉が一番心を抉られた。
食事を奢るということでなんとか手を打てたが、壁の穴といい人と関わると財布が消耗されていくらしい。
自転車に跨ると、理子からの”分かったよー、ヒルダに聞いておくであります!”という文章を確認して急いでペダルを回した。
「本当すいません……」
「お前はもっと常識のある人間だと思っていたんだがな……」
平謝りをしているのは駅前では無く、駅の改札口近くだった。
あまりにも焦った結果駅前では無く、ホームで待機してしまい、トラストからの電話が来てやっと合流できたのである。
「ふん……それで、どこにエスコートしていただけるのかな?」
トラストは怒り疲れたのか、こちらを試すようにどこへ行くのかを聞いてきた。
ここは間違えてはいけない、普段のノリなら某ハンバーガー店に行ってしまうが、これは謝罪のための食事。
ここでは女性の喜ぶお店を選択してこそ意味のある行為。
肉類がメインの食事では無くて、アッサリとしている、または食べやすい食事が好まれる筈だ。
だがここで早計に選んだりはしない、俺はよく考える思慮の深い人間に生まれ変わっている。
安定しており色々な種類のあるファミレスは候補に入れてしまいそうだが、アレはお喋りができるから選ぶ場であり、こんな会話能力で行ける場所ではない。
そして高級レストランもサプライズには良いだろうが、下見も無しに行けば恥をかくだけになるのは明白。
となれば、ここの近くには有名なパスタ屋があると雑誌で見たことがある。
そこならばこれまでのダメな選択肢に入っていたような悪い要素は無い。
完璧な選択だ。
「……では、パスタ屋はいかがで……」
「すまないが、私はあまりパスタは好きではないんだ」
絶望した。
パスタ屋という単語だけであんなに早く返事があるというのは、つまり遠慮して言葉を濁したがハッキリと嫌いだということを指している。
つまりパスタの店は選べない。
そしてパスタで固まった脳はパスタ以外の選択肢を挙げることができず、個人的に好きなカルボナーラが脳裏で踊り狂う。
しまいには、最近の中で一番頭を使っているという無駄なことに気付きそんな自分に驚いた。
「……ふふ、冗談だよ。君はやはり、面白い男だ」
「……最初から一度は断るつもりだったな」
返事ができず悩んでいると、堪えられなかったのか、トラストは不意に喉を鳴らして笑いそう言う。
最初は何を言っているのか分からなかったが、思考が落ち着くと遊ばれていたことに気付いて呟く。
しかし、トラストは笑って見せる。
「さて、何のことかな?行きつけの店があるんだ、そこに行かないか?」
「……はい」
燃え尽き症候群に襲われて出た返事は、魂が遊離した後だった。
トラストの後をついて行き、辿り着いたのは”喫茶店ちゃおず。”というよくわからない看板の店で、外からも中からも丸見えな全面ガラス張りという謎の外装をしている。これを割ったらどれほどの値段になるのか一度は考えてしまうだろう。
しかも、店内の店員を見る限りコスプレ喫茶みたいな感じで、メイド服に始まりチャイナ服やセーラー服といった知名度の高い物から、シマシマの囚人服や食い倒れ人形みたいな格好をした人もいる。
「面白い店だろう?」
「いや、まぁ、そうだけど……」
トラストはこちらが店員を一通り見たのを確認すると、得意気にそう言う。
確かに面白い発想だが、某地獄から来た閣下のようなコスプレの店員を見ると、接客が悲惨な気がしてならなかった。
「ここのカルボナーラ、絶品なんだ」
その話を聞くと黙って先に店へ入って行く。
決して早く食べてみたいからではない、エスコート側が先に入る物だと今思いついたからだ。
「フハハハハ、良く来たな!お前はタバコを吸う人間か?俺様みたく苦手か?」
「に、苦手です」
「ならば我輩がその世界に案内してくれる!」
店内に入るなりお出迎えしてくれた店員はとても楽しく仕事をしているようである。
あまりのことに反射的に答えると、後ろから着いてきたトラストのクスクス笑うのが聞こえた。
席に着くと閣下は手際良くメニューを広げて二人分置き、食い倒れ人形がドラムの上に冷や水を乗せて運んでくる。
「貴様は我輩の店にくるのは始めてか?」
「始めて、です」
「ならば我輩が直々に説明してやるからちゃんと聞くんだなぁ!」
食い倒れ人形が水を置いて席を離れると、閣下は親切なことに店のシステムを説明してくれた。
要約すると、異常なコスプレ喫茶だが気になる場合は普通にしてくれるよう言えば普通にしてくれる。と加藤店長、もとい閣下が分かりやすく説明してくれた。
そして説明が終わるころにはこちらも慣れてきて、その場のテンションに身を委ねていた。
「フハハハハ、何か用があるならそのボタンで我輩を呼ぶがいい!」
「了解であります閣下!」
閣下がそのまま厨房という名の地獄へ帰還するのを見届けると、トラストがお腹を抑え、顔を隠して笑っているのが視界に映る。
「な、なんだよ……正しい店の楽しみ方だろ?」
「そう、だな……ふふふ……」
どうやらトラストは少しの間触らない方がよさそうな気がするのでメニューを眺めることにした。
コスプレ喫茶がどんな物を置いているかは知らなかったが、色々なメジャーな食べ物が書いてある。
カレーに牛丼やチャーハンなどガッツリ食べれる物から、お好み焼きやハンバーガーなど、軽く食べれる物もあるようだ。
ページをめくって行くとピザ・リゾット・ロコモコ・パスタ・ケーキ・パフェ等々、普通の店ではありえない種類の食べ物がいっぱい並んでいる。
これは困ったらここに来るのは安定するかもしれない。
「あー……ふぅ、注文は決まったか?」
「決まったが、もう笑うのには飽きたのか?」
メニューを見ているとようやく落ち着いたトラストが訊いてきた。
最初からカルボナーラを選ぶつもりだったから特に悩む必要は無く、こちらは軽く答える。
あんなに笑っているのは初めて見たが、残念ながらその顔を見ることができず、むしろ気分は下降してしまったのだろう。
「いや、お前といる限りは飽きなさそうだし、暫くは楽しめそうだよ」
「そ、そうか……」
トラストは笑顔でそんなことを言い始めた。
正直これは卑怯だと思う、下降気味だった気分は一気に跳ね上がり少し挙動不審になりそうにもなる。
トラストはそんなこともお構いなしに地獄へと響くベルのスイッチを押した。
「フハハハハ、我輩に何か御用かな?」
この閣下のテンションは個人的に凄く好きなのだと何と無く思う。
「閣下、このカルボナーラとやらに興味が湧いたのですが」
「同じく」
「なんだ、その程度の物なら十分もあればすぐ調達できるだろう。どれ、我輩が見てきてやろう」
注文を受けた閣下は早速と厨房という地獄へ旅に出てしまった。
「さて、これからについての話をしよう。理子さんの情報は全くないが……」
「あぁ、それについては大丈夫。今はちょっと事情があって無理だけど、夜になれば会えると思うから」
閣下を見送るとトラストは早速真面目な話を持ち出す。
もちろんそれは理子さんについての話で、機会を伺っていたのもあり簡単に返事をした。
トラストは不思議そうに首を傾げるが、その仕草は可愛いなと純粋に思う。
「まさか、接触していたのか?」
「正確には相手からだけど、少しの間ご近所さんになりそうだよ。あぁ、トラストも来るって伝えないと……っふ」
そう思い立って携帯を取り出すと、一通メールが届いていることに気付く。
送信元は不明だが、内容は「ごめんなさい、おかげで落ち着けたわ。今回のことは忘れなさい。__ヒルダより__」と丁寧なのかよく分からない文章だが、落ち着けたということが分かりつい鼻で笑ってしまった。
「随分とお楽しみのようだな?」
「え?あぁ、いい歳して子供みたいな、バカなやつがいてね」
トラストはその様子を見ると少し面白くなさそうに皮肉を言うが、普通に応対するバカの図がそこに映り込む。
実際のところヒルダのことは嫌いでは無いのだと気付いたが、接し方を変えるのには違和感があり「落ち着けたなら何よりだ。代わりと言っちゃなんだが、理子さんに仲間を一人紹介したいから連れていけるか訊いておいてくれ」と、あくまでも無関心な返事にしておいた。
「やはりお前はバカだよ」
「え?俺何かした?」
トラストは呆れたように呟くが、まったく意味が分からない。
なぜ急に罵倒されたのか分からないが、自分に対人能力が無いことを思い出し考えこんでしまった。
間違いなく俺が悪いのだが、特に意味のわからない発言はしていなかった筈。
「フハハハハ、待たせたな!」
「え、あ、閣下ご苦労様です」
しかし、そんな考えも閣下の低い笑いに流されて消えてしまった。
運ばれてきたカルボナーラはとてもいい匂いがして食欲をそそられる。
「ふん……いただきます」
「いただきまーす」
トラストが何やら面白くなさそうにしているが、カルボナーラ以外は視界に入っていない。
この卵とチーズの素晴らしいハーモニーはフォークに絡めた時の感触でよく伝わる。持ち上げればその重量がまた一つのスパイスのようで口へと運んだ。
そして気付けば皿の上は無くなっているのである。
「ふぅ……ごちそうさま」
「お前は本当に残念な奴だな……」
こちらは食べ終わったがトラストはまだ残っており、もはや呆れた様子でそう呟いた。
今度こそ分からない、啜らずに音の立たない綺麗な食べ方をしたから食事中での失敗は無いはず。
暫く悩んでいるとトラストも食べ終わり、静かに「ごちそうさま」と手を合わせる。
「俺、何かしたか?」
「何もしてないのが問題だ」
そして迷ったすえ訊くしかなかった。
だが、なおのこと機嫌を悪くしてしまったようで、それだけ言うと一人でさっさと出て行ってしまう。
これはよろしくないとだけはハッキリとは分かり、財布に福沢諭吉と小銭しか入っていないのを確認すると、迷わず伝票と一緒に持って行きお釣りも受け取らずに後を追った。
閣下の「ちゃんと謝りなよ?」という優しい声が出て行く直前に聞こえた気がした。
店を出て辺りを見渡すと、トラストは電柱に凭れて待っていてくれた。
しかし、安心するわけではなく駆け寄ると、息を整える間も無く頭を下げる。
「ごめん、俺本当バカだから……分からないんだ。だから、ちゃんと教えて欲しい」
ヒルダや理子に嫌われるのは嫌だけど、何となく諦めがつく。でも、トラストに嫌われるというのは、とても不安な気持ちになってしまう。
上手く言葉にはできないが、そういう気持ちなのだ。
「……すまない、今のは私が大人気なかった」
トラストの顔は見えないが、その言葉はバツの悪そうな調子な気がする。
その言葉が聞こえて顔を上げると、トラストは顔をそらしていた。
何も察することはできないが、安心感だけはハッキリと感じる。
「二人で食事するなら会話くらい持て、アレじゃ一人でするのと変わらないだろ?」
「あぁ……」
トラストは顔をこちらへ向けるとそう言うが、なんだか普段のテンションに戻っている気がした。
こちらもただ自分の失敗に気付きなぜダメだったのかやっと分かる。
「分かればいいんだ、また夜になったら連絡をしてくれ」
トラストはそう言い残すと、歩いて行ってしまった。
解決したのだろうが、なんとも言えない気分になる。
それを紛らわそうと携帯を取り出すと、ヒルダからの返信が届いていた。内容は「大丈夫らしい、また昨日と同じ時間に集合してくれ」と簡単な事務的な報告だけであった。
理子さんとは違い文章だけのメールはとても読みやすくて助かる。
携帯を閉じると駅まで自転車を取りに戻り、途中のコンビニでオニギリを三つ調達して帰宅することにした。
アパートまで辿り着くと自転車を止めて自分の部屋へと向かう、鍵を鍵穴に差し込むみ開けようとするが、鍵は普段のようには回らず、間違えたのかと思い反対に回す。
すると、ガチャリと音が鳴り勿論しっかりと施錠された。
「あいつ開けっ放しで行きやがったか?」
ヒルダから連絡があったということは、理子と合流している筈。ともなればここに居るとは考えにくい。
小さく溜息をつくと、鍵を反対に回してドアを開けた。
「あれ……」
しかし、予想と反して玄関には靴が一組残っている。ヒルダの靴は確認していないためどうかは分からないが、多分これは理子かヒルダが何かしているのだろう。
何にせよ今はそんな殺気立つような気分でもなく、嬉しくないサプライズでも企てている、という程度にしか考えていなかった。
「お前等あんまり……」
しかし、部屋に入っても誰もおらず、テーブルの上には置き手紙があるだけ。他におかしなところはおろか人の姿は無い。
置き手紙を確認すると”君と”とまでしか書いておらず、次の文字を書こうとしていたのか右斜め上に払われた線が一本あった。
そして玄関にあった靴を思い出してクローゼットに向きなおろうとした瞬間。
「まさかっ……!」
突如開け放たれた両開きのクローゼットから一人の女が現れ、まっさきに押し倒される。
身構える間も無かったせいで受け身も取れず頭を強く打ったが、次に首に添えられた冷えた金属の感覚に、痛がる間も無かった。
「ごめん……こんなことをするつもりは無かったんだ……」
その人は茶髪を短かく切った、写真に写っていたエルという女性である。
かなり焦燥している様子だが、首に触れる物をそのまま振るわないことから、傷付けるつもりは無いことが分かった。
「お前はいったい……?」
「僕はエル・ワトソン。チームバスカービル専属の医者みたいな人だよ」
エルは首に当てているのがナイフだと分かるように、こちらにチラつかせると、ちゃんと質問には答えてくれる。
しかし、とても呼吸は荒くあまりにも落ち着きが無いように見えて緊張は晴れない。
「何が目的かは知らないが、やめた方がいい。理子さんやヒルダはお前を疑ってる。これがバレたら、分からないぞ」
「……僕だって、こんなこと!」
こういう状況ではなんとかして対等に話ができる状況にしなくてはならない、親しい仲間を引き合いに出して説得を試みるが、むしろ感情的になってしまい逆効果になってしまった。
「とにかく、君を……」
「そこまでよ、その人から離れなさい」
エルは自分を抑えるためかすぐに本題に入ろうとしたが、音もなく現れたヒルダの声に反応して言葉を止めてしまう。
ヒルダは両手で拳銃を握っており、エルはそれを確認せず空いてる手で拳銃を取り出すと、ナイフと持ち替えてこちらを立たせながら構える。
「お願い、僕を信じてよ……!」
「信じたかったよ、私も」
エルは拳銃を背中に当てながら、窓の方へ後退して信じてくれと願うが、その窓から現れた理子に、それが叶わない願いであることを告げられた。
三人はそれぞれの表情を浮かべて何を考えているのだろうか。ただ一つ言えるのは、この状況は非常にマズイということだ。
「エルも私と同じでしょ?だから気持ちは分かる。それでも、片桐を傷付けるようなことをしても二人は喜ばない」
「僕だって……っそこを通しなさい四世、この人を生かしたいなら、そうする以外に選択肢は無い」
理子の言葉に思うところがあったのだろう、多分こちらにしか聞こえないような小さな声で呟くと、素早く拳銃を捨てて代わりに針のような物が首にあてがわれる。
彼女が何をしているのかは分かる。この中で毒の種類が分かり、それを治せるような人間はエルしかいない、ここでその毒を注射されれば、何があるか分からないだろう。
理子に選択肢は最初から無かったのだ。
「待ってくれ、俺は大丈夫だ。彼女にはまだ理性がある。俺にさっさと注射して連れて行け」
正直言ってしまうとかなり怖い、それがどんな物か分からないし、連れて行かれた先に何があるかも分からない。
でも、今ここでなぜか一つだけ強く信じれることがあった。
ポケットから携帯と、懐から拳銃を取り出すとそれを床に落とす。
首に何かが刺さるのが分かると異物を入れられている嫌悪感があり、少しして視界が霞み始める。
「エル……」
「僕はやる。チームバスカービルが手をこまねいてる間にも、時間は過ぎるんだ」
理子がおずおずとヒルダの隣まで行くのを確認するのを最後に、意識は深い闇に吸い込まれて行った。
言及はされてませんが、この平行世界は「キンジが29歳」になった頃の年代です
特に説明の必要も感じなかったため放置してましたが、一応この場を借りて追記とさせていただきます
次回投稿日まで暫しお待ちください。