「いやあ、最初はかなりよかったんだけどね〜」
激動の初ライブを終え、さんざっぱら使い古されたボロ雑巾のように床に転がる喜多とひとりに、虹夏が明るく声をかけた。
喜多はやおら体を持ち上げ、なんとか体育座りの体勢になると、
「すみません……二曲目から上手くリズム合わせられなくなっちゃいまして……」
横でひとりも起き上がり、同じく体育座りになって、
「あ、私も……最初上手くいったからって調子こいて突っ走っちゃって……ごめんなさい……」
隣並んで座る二人はめいめいの罪状を述べた。
実際そうだった。最初はよかったのだ。多少のミスはあったけど、満足のいく演奏ができた。だが、そのあとがひどかった。一曲目が終わってからプツリと緊張の糸が途切れてしまったのか、喜多は指がおぼつかなくなってしまったし、ひとりは言葉どおり一人で突っ走った演奏をしていた。全体でみると、惨憺たる出来となって終わってしまった。
しかし、虹夏は苦笑気味にかぶりを振って、
「ああ、ちがうちがう。二人のことを言ってるんじゃなくて。バンド全体の話」
それで喜多とひとりは同時に顔を上げる。
「たしかに二人もミスはしてたけど、あたしだって二曲目以降、ミスりまくってたしさ。それにね? 誰かのミスを誰もサポートできなかったのなら、それはバンドメンバー全員の責任。個々の反省はあっても、個人が落ち込む必要なんてないよ?」
そうだよね? とリョウに同調を求める虹夏。
リョウは半分だけ顎を引いたあと、少しだけ意地悪っぽい笑みを浮かべて、
「でも、MCがウケなかった責任は負いたくない」
「っ、う、うっさい!」
予期せぬ攻撃に、脇腹を突かれたような顔で虹夏が怯んだ。リョウの肩に反撃の拳を食らわすが、どつかれた側は意に介した様子もなく「ちなみに、私はなんもミスなかったよ」と自慢げに言い放ってくる。
虹夏は「こいつ……」と口元を歪めながらもその言葉は無視して、喜多たちに向き直った。
「ともかく──、そんな気落とさなくていいから。誰も怒ったりしないし。だから安心せい!」
「……ですけど」
そうは言っても、と喜多は目を落とす。自分は誰よりもミスが多かった自覚がある。演奏の質を大きく下げた原因は自分なのだ。それなのに、虹夏の言葉をそのまんまに受け取って、バンド全体のミスと割り切ってしまうのは、少々厚かましい気がしてならない。
けれど、虹夏は変わらず笑っていて、
「気にしなくていいって。全力尽くしてやってくれたんだから、それで十分だよ」
「は、はい……」
「それに、ミスの改善も技術の向上も、
「はい」ともう一度、機械的にうなずく。
──そのセリフを二秒ほど咀嚼してから、喜多は「えっ」と虹夏の目を勢いよく見上げた。
「あ、あの……次って……」
やっぱり虹夏は笑ったままで、
「あたしね、今回のライブが、この四人でやったライブが本当に楽しかったの。今までも色んな人とバンド組んでやったりしたことはあるけど、たぶん今日が人生で一番だった!」
それから少しだけ、落ち着いたほほ笑みになった。
「──だから、これから先もこの四人で活動していけたらなって。人生で一番をこれからも更新していきたいなって思うの」
喜多は息を止めた。それはバンドの勧誘に他ならなかった。その証拠に、虹夏は両手を差し出してきた。右手はひとり、左手は喜多に向けられたものだ。
喜多は天から差してきた光を見るように、その手を見つめた。自分が望んでいたことなのに、こうなることを予想してライブの出演にも応じたのに。いざその瞬間に立ち会ったら、真っ先に不安と遠慮が湧き上がってきてしまう。
本当に自分が入ってもいいのか。何度も彼女の顔と手を繰り返し見ながら、喜多はそろそろと訊ねてみた。
「でも……いいんですか? 私は──」
「いいよ」
逃げた人間なのに──と自分を蔑む暇も与えず、虹夏は即答した。
「あたし、喜多ちゃんのギターの音好きだし」
「お、音?」
「うん。すごーくがんばって努力してきた音がするんだよ。まだまだ荒削りなんだけど、これからもっともっとキレイになっていくような、そんな音」
感覚的なことを言われてもピンとこないが、褒められて嬉しくないわけがなかった。加えて、自分のこれまでの積み重ねを他ならぬ虹夏にわかってもらえたのだ。喜多の涙腺はかなりキテいた。
「これからも結束バンドで喜多ちゃんの音、いっぱい聴かせてくれるかな?」
「……は、はぃ……っ!」
その一撃で喜多はついに決壊した。虹夏の手のひらを両手で握りしめ、鼻水をすすりながら少し泣いた。ぶっ壊れた赤べこみたいに、いつまでもうなずきつづけた。よしよし、と頭をなでる虹夏の手が優しかった。
「──さて、ひとりちゃんはどうかな? バンド、興味ある?」
無事に喜多を攻略した虹夏は、ひとりに次の狙いを定めた。
喜多も涙を拭いて同じく彼女の方を見る。それで、文化祭ライブのことをふと思い出す。そうだ──この際、ひとりもバンドに入ってくれた方が、後々誘ったときに人見知りが発動しなくていいかもしれない。
なので、喜多も虹夏側についた。二人からの熱烈な勧誘の視線を集めるひとりは、まるで今ようやく自分がお誘いを受けていることに気づいたかのようなリアクションで、「うぇっ!?」と鳴き声を発した。
「え、あ、わたっ私……?」
「うん! どーお?」
「え、ええーと……ええーと……」
「あ、訊き忘れてたけど、すでにべつのバンドに入ってるとかない?」
「あ、いえ。そういうのは……」
「ほんと? じゃあ、あたしとしては、ぜひ入って欲しいな! 一曲目の演奏……特にギターソロの部分、本当にすごかったもん。喜多ちゃんもそう思うでしょ?」
「はい!」
喜多は素直に首肯した。ひとりの顔を見ながら、
「あのときの後藤さん、すっごくカッコよかっ……、」
そこでひとりと視線が絡まり、なぜか言葉が急に詰まった。「あれ?」と思いながら、喜多は視線を下に逃がす。それから意味もなく誤魔化し笑いを作った。この先を言うのがひどく恥ずかしいことのような気がした。それに耳が熱い。無意識に髪を触ってしまう。
対するひとりの方は、虹夏の褒め殺しの連打に顔面をニヘつかせていた。たまに「いや、ほだされないぞ」とでも言いたげな表情になって断りの文句を口にしかけるが、そこも虹夏にヨイショで押さえつけられ、また骨抜きにされる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、
「まあ、へへ……そ、そういうことなら」
ついにひとりは陥落した。褒められるのに弱いとはいえ、それでいいのかと少し思った。
勝利を収めた虹夏は、満たされたような顔で喜多とひとりを交互に見て、
「よおーしっ、無事にメンバーも揃ったことだし、結束バンドもこれから本格始動だ! がんばっていくよっ?」
おおーーっ、と虹夏と喜多が拳を高く突き上げ、ひとりも少し遅れて頭の高さまで上げた、
一方で。
「──って、リョウは相変わらずノリ悪いんだから」
後ろで一人、壁に背を預けたまま傍観しているリョウに虹夏は唇を尖らせた。
「暑苦しいのは遠慮しときます」
「あのなあ……」
虹夏はため息をつき、
「というか、せっかく入ってくれた二人に対して、なにか言うことないの?」
「なにか、か……」
つぶやくと、リョウは眠たげな目をさらに少し細め、喜多とひとりの前に立った。思わず体がこわばる。
「まあ、リーダーが認めるっていうなら、私も二人のことはメンバーとして受け入れるよ。──でも、」
じろり、と喜多をねめつけ、
「郁代には今ここで、何のためにバンドをやりたいのかっていうのを今一度、示して欲しい」
「…………っ」
やっぱり、と思った。そうくる予感はあった。
リョウはまだあの日の発言を許したわけじゃないのだろう。いや、もしくは自分の考えの変化を聞き出したいのかもしれない。
「そ、それは……」
しかし憚られる。結局のところ、自分はひとりと文化祭ライブに出たいがために、バンドに戻りたかっただけだ。ベースやドラムなど、他の楽器ができる人間を確保したかっただけ。その理由はずっと変わっていない。
こんなことを正直に打ち明けられるはずがない。せっかく受け入れてもらえたのに、台無しになってしまうかもしれない。だから、なにか真っ当な、それっぽい理由を考えないと、
…………いや、
それじゃ、あの日の自分と同じか──。
喜多は拳をかためる。一緒に覚悟もかためて、顔を上げた。
「──あの、」
圧迫面接みたいなことすんな、と虹夏がリョウを叱っているところに、喜多は声をかけた。二人の顔が向く。つばを飲み、
「私……本当はっ──、文化祭ライブのために結束バンドに戻ろうって思ったんです!」
「えっ?」
「……ふうん」
それぞれちがった反応が返ってくる。
さらに、喜多はひとりの腕をつかみ、
「後藤さんと一緒に学校のライブに出たくてっ。でも、私は演奏下手だし、他にも楽器できる人が欲しくて──そのために、お二人の力を借りようって考えてました!」
「き、喜多さん……」
ひとりがつぶやく。彼女はどういう心境なんだろうって意識の端っこで考える。
「こんな……下らない理由ですみません。だけど、これが私の本当の理由なんです。すみません……っ」
言ってしまった。誠実であることが正しいなんて思ったせいだ。結果的に気まずい静寂がおりてきて、喜多の胸中にも後悔がおりてくる。
そんな理由なら私は反対──またリョウがそう言ってくる予感がある。喜多はギュッと目を閉じた。
「え、なにそれ」
リョウが言った。
「おもしろそう」
「…………へ」
「ほんとっ! 最初、文化祭ライブって聞いたときは何のことって思ったけど……そっか、秀華高はそういうのあるんだね! いいな〜」
「え、え……?」
虹夏も同様に好意的な反応を見せてきて、喜多は感情の行き先に迷った。どんな重たいパンチでも受け止める体勢をしていたのに、優しく抱きしめられた気分だった。
「そういう理由があったのなら、あの時もそう言えばよかったのに」
呆れるようにリョウが言ってきた。
「あ、えっと、すみません……これだと受け入れてもらえないんじゃないかと思いまして……」
「だからってテキトーなこと言って誤魔化すのはダメ。私、あのとき激おこだった。ツノ生えるとこだった」
「はい、ごめんなさい……」
喜多は肩を縮めた。
「まあまあ。もういいじゃん、それはさ」
虹夏が間に入り、
「それより、学校のライブに出たいから協力して欲しいってのはわかったんだけど、なんでわざわざバンドに戻ろうと思ったの? いや、もちろん戻ってきてくれたのは嬉しいんだけど、普通に頼んでくれてもよかったのに」
「ああ、それは……ちょっと図々しい気がして」
「図々しい?」
「はい。だって、一度抜けたバンドの先輩に、文化祭でライブに出たいから楽器やってください、なんて言えないじゃないですか。だから、またバンドのメンバーに戻って、そこで改めてお願いするのが正しいかなと思いまして……」
「ああー」と虹夏は笑う。
「郁代って変なとこで真面目。ライブからは逃げるのに」
「うっ……」
「こぉら! そうやっていじめないっ」
叱ったあと、今度は確かめるように、
「……それで? リョウはこれで納得したの?」
「ん、」と軽くあごを引き、「納得もなにも。私はただ理由を聞きたかっただけ。参加に反対してたわけじゃないし」
「リョウ先輩……」
「よく言うよ。あんな睨みつけといてさ。ひとりちゃんまで怖がってたじゃん」
「ま、なにはともあれ、二人とも結束バンドにようこそ。ああ、郁代はおかえりだね」
「勝手に仕切んなっ! っとにもーっ!」
憤慨しながらも虹夏はやれやれ、といった感じで笑い、安心したように一息ついた。それから、また明るい声を出して、
「とまあ、こんな感じで締まらなくて申し訳ないんだけど。改めて二人とも、よろしくねっ?」
そう言って、一人でまとめの拍手を鳴らし、朗らかに二人を迎えてくれた。喜多は喜びすぎない程度に笑い、遠慮しすぎない程度にはにかんだ。横を見ると、ひとりも照れくさそうに笑っていて、目が合った。
あわてて顔をそらした。
※
トランポリンに倒れる勢いで、ベッドに背中から落ちた。当然、小学校から使っているベッドだから中のバネはくたくたにへたっていて、「キシッ」と数ミリほどご主人様の腰を浮かせたあとは座布団のように大人しくなった。
「嗚呼……」とため息と呻きが混じる声を出しながら、喜多は天井を見た。
クリスマスライブのプログラムも全終了し、華々しいフィナーレが飾られた次は、地味な撤収作業が待ち受けていた。これに喜多たちも駆り出され、ほかもついでに色々手伝わされ、帰ってきたのは十時過ぎ。母の小言を受けながらご飯を食べ、小言を言われながら歯を磨き、脱衣場からくぐもった小言を聞きながらシャワーを浴びて、そして今ようやく横になれた。彼女の体もくたくたにへたっていた。
目をつむればすぐに眠気はやってくると思っていたが、午前中に保健室で爆睡したせいか、意外とまぶたは軽かった。それに、体中の神経がキンキンに覚めている。簡単に寝られそうにはない。それでも、いつまでも部屋が明るいとドアをすり抜けてまた母の小言が襲来してくるかもしれないので、部屋の電気は小さくした。
「はあ」と。今度は純度一〇〇%のため息を出して、喜多はうす暗い部屋のベッドの上を手持ち無沙汰にゴロゴロと寝転がった。そしてドアの近くに立てかけてあるギターケースに目が止まった。思い出すのは当然、今日のライブのことだ。
脳が揺れるような大音量のサウンド。息が詰まりそうな観客たちの殺気に似た視線。全ての空間が音楽に溶け込んでしまうかのような興奮と一体感。どれもこれもが克明に神経に刻まれている。
こんな経験、今まで感じたことはなかった。だけど感じられてよかった。
ギターを始めてよかった──そう感じた。
好きか嫌いかで言えば、
興味がなかったんだけど。
でもたぶん、今はちゃんと好きだと思う。
好きになれたんだと思う。
好きにさせてくれたんだと思う、彼女が。
喜多はひとりの顔を思い浮かべた。自信がなくて、頼りなさげで、いつも顔に縦線を走らせていて。カーテンのように長い前髪のせいでいつも目元が暗くて。だけどよく見ると真ん丸に整ったキレイなターコイズ色の瞳をしていて。
そんな彼女がステージの上でギターを握りしめて。自信にあふれて、頼りにしたくなる顔立ちで、一心不乱にギターをかき鳴らして。パワーあふれるサウンドでライブハウス内を支配し、ギラギラとターコイズの瞳を輝かせる様は心臓が壊れちゃいそうなほどにカッコよくて。
あのときの彼女の横顔が私を好きにさせて、
好きに、させて。
好き……に。
むくりと起き上がった。両手で顔を挟むようにして、頬を触った。熱い。すごく熱い。
いやいや、と喜多は顔を横に振った。
ちがう、私が好きになったのはギター。後藤さんのおかげでギターを好きになれた。それだけのこと。べつに、後藤さんのことがどうとか、そんなんじゃなくて──!
天井の染みに向かって言い訳を始めた喜多は、両手で顔を隠し、ギシギシとベッドを軋ませながら頭の中のひとりを追い出そうとした。だけど、彼女はいつまで経っても出ていってくれない。枕に顔を突っ込んで真っ暗闇の中でちがうことを考えてみても、彼女の顔がふわふわと胞子のように浮かんでくる。
「〜〜〜〜〜っっ!!」
なんで? なんでっ?
どうしてこんなにあの子のことを?
そんなカマトトぶってる自分も次第に恥ずかしくなって、観念した喜多は真っ赤に熱を持った顔のままベッドに仰向けになった。
「……………………恋なんて、」
したことないくせに。
でも、それ以外には考えられなくて。
確信めいた予感があって。
喜多は、
…………、
……………………、
………………………………、
「ぐ、ぐうぐう……っ」
自分をだまして、たぬき寝入りにふけこむことにした。