土日が明けても憂鬱じゃないのは、今日が終業式だからだ。
毎年、秀華高校二学期の終業式はクリスマスの日におこなわれるが、今年は二十五日が日曜だったので振替で今日二十六日が登校日となった。だからといって冬休みが一日延びるという融通措置が取られるはずもなく、秀華生たちは不満たらたらに学校にやってきた。
とはいえ授業もないわけだから、みんなわかりやすくテンションは高い。退屈な式も、偏屈な左翼思考じみた校長の長い話も乗り切ったし、あとはドキドキの評定を担任から受け取ればそれで帰れる。喜多も今ちょうど、受け取ったところだった。
「どうだった〜?」
席に戻る途中、さっつーから声がかかった。評定の結果のことだろう。
「んー、一学期よりちょっと下がった。あとやっぱり期末テストのこと言われちゃった。もっと真面目に勉強しろって」
「げー、やだやだ。その言葉はうちにも効く」
「さっつーもあんまりテスト良くなかったんだっけ?」
席に着いて訊ねる。ちなみに、出席番号順で呼び出されてるので、さっつーの評定はまだだ。
「いちお、だいたいは平均いったんだけどさー、化学だけが赤点だったんだよね」
「ああー」と喜多は苦笑する。
「うちらの担任、化学担当じゃん? だから、ぜったいそのこと突いてくると思うんだよ」
「んふ、たしかに言ってきそうね」
「笑いごとじゃないよ。あーもうマジ鬱。親にも言われそうだし。喜多、私の返ってきたら交換しない?」
「イヤよ。さっつーの成績じゃお母さんに怒られちゃうもん」
「つれないね、友達のためなら我慢しなよ。──ほれ、よこしな〜」
ニヤニヤとさっつーが手を伸ばしてきたので喜多もキャーキャー言いながら評定を死守する。脇をくすぐってきたのでお返しに脇腹をくすぐり返したら、机の角に腰を強打したみたいで、しばらく痛そうにしてた。
そんな悪ふざけもお互いに飽きてきたところで、ふたたびさっつーが、
「──で、どうだったん?」
「え、なにが?」
今度の「どう」は意味がわからなかった。
「昨日、一昨日って誰かとデートしたりしたの?」
「デ、デート?」
「土日クリスマスだったじゃん。クリパとかデートとかやんなかったわけ?」
「ああ……うん。なにも」
土曜はライブだったし、日曜は一日中、ひとりのことで悶々としてたからそういうのはなかった。
さっつーは少しだけ眉を上げて、
「へえ、意外。てっきり『
「そんなわけないでしょ。だって私には、」
二の句はそこで止まった。しまった、と思った。
なぜこんな言い方をしてしまったんだろう。こんなの、どうぞ突っ込んでくださいと誘導しているようなものじゃないか。
案の定、さっつーも同じところに反応して、
「ん、
身を乗り出してきた。
「いや、えっと、」
「え? もしかして喜多──すでに彼氏いたとか?」
「い、いない! そうじゃなくて、」
「あ、そっか。それならクリスマスにデートしないわけないし……んー……あっ、」
頭の上の電球が点った様子で、
「じゃあ……好きな人できたとか?」
ちがう──! と。またハッキリ返せばいいのに。
喜多は、
「ち、ちが、ちがっ……!」
ぼうっ、と燃え上がった頬を隠すこともなく、ふるふる力なくかぶりを振るばかりだった。
このガチっぽい反応には、さっつーも魚屋に迷い込んだネコみたいな顔になって、
「へーえ? なるほどぉ? ふうん?」
「なによ……」
口調こそ吃りも排除し、冷静さを取り戻したかのように見せるが、内心はたじたじだ。
「──誰なの?」直球な質問がきた。
「……言わない」
「なんで?」
「い、言いたくないからっ」
「えー、恥ずかしがってんの? 乙女かよー」
乙女である。
喜多はこれまで恋なんてしたことない、正真正銘の処女乙女だ。恥ずかしいに決まっていた。
安っぽい少女の恥じらいだと言われれば、まさしくそのとおりだろう。否定するつもりはない。鼻で笑われても仕方ないと思ってる。
それでも、初めてなものは初めてなのだ。未経験の気持ちに自信がなくて、隠したいと思ってしまうのも安っぽい少女なりのささやかな意地だった。
「ま、いいや。それで? その人とはどこまで進んでるの?」
個人の特定は諦めたようだが、さっつーの攻めはつづく。
「どこまでって……」
「キスはした?」
「すっするわけないでしょ!」
一瞬、ひとりのキス顔を頭に思い浮かべそうになったが、すぐにかき消した。
「じゃあ、手つないだりとか」
「それは……ある、けど」
「あっ、あんだ?」
「で、でもべつにそんな意識して握ったわけじゃないのよ? 成り行きだったり、思いつきだったりで……」
「え、なに? 喜多の方からつなぎにいったの?」
「う……」
墓穴を掘ってしまった。喜多は机に塞ぎ込んだ。
「はー、意外とやるじゃん。……てか、手つなぐくらい親密なのに付き合ってないの? 変なの。ウケる」
そっちだって最初に「キス」から訊き始めたくせに、と思う。
「でもさ、それだけ関係進んでんなら付き合うのも時間の問題なんじゃない?」
「そうもいかないわよ、きっと」
顔を起こして喜多は答える。
「なんでよ」
「……向こうは私のこと、そういうふうに見てないと思うし」
「へえー」とさっつーが顔をにじり寄らせる。「なんでそう思うわけ?」
「たぶんだけど……向こうは私を普通の友達としてしか見てないと思うのよ。私だって、つい最近までそうだったし。だからきっとあの子も……」
今になって結構包み隠さず話していることに気づいたが、もういいやと思う。さっつーならいい。
「『たぶん』だの『きっと』だの、さっきから頼りないなあ。喜多の勝手な想像でしょそれ?」
さっつーは呆れた目で首を振った。
「だって、」
「もっとグイグイいきなよ。手ぇつなぎにいける度胸だってあんだからさ。好きかどうかは別として、そうすりゃ今の関係より進展できるっしょ。知らんけど」
最後に投げやりなのは相変わらずだが、実際それはひとり相手なら有効な手な気もする。
「……でも、具体的になにすればいいのかな」
「そうねー。……なんか変化つけるとか?」
「変化?」
「そ。今までと少しちがうなって、つよく相手に思わせて自分のことを意識させんの。たとえば、」
と、ここで担任がさっつーの名前を呼んだ。評定授与の順番がきたらしい。彼女の顔が曇る。
「あーあ。ついにお呼びだよ」
よっこらのっそり立ち上がると喜多の肩をポンと叩き、
「まあ、そういうわけで。がんばりな? 応援くらいはしてやんよ」
「う、うん。ありがとう」
廊下で待ち受けている担任のもとに、さっつーは後ろ手を振って去っていく。戦場に単身で向かう戦士のように見えてなんだかかっこいい。数分後には落ち武者のような顔で戻ってくるだろうが。
ともあれ、良さげなアドバイスをもらってしまった。
変化をつける。ざっくりし過ぎてるけど、これはたしかに大事なことだと思う。前に進むには、そのキッカケとなる変化が必要ということだ。
しかし、なにをどうすればいいだろう。さっつーはなにか例えを出そうとしてくれていたが、聞きそびれてしまった。あとで訊き返すのもからかわれそうだし、自分で考えるしかない。
頭をひねる。わかりやすく変わったと気づけるものがいいとは思うが、髪型とか化粧品はお金もかかるし──、
あ、
一つ。割とすぐ思いついた。
「……ひ、ひとりちゃん、とか?」
下の名前で呼ぶ。
単純だけど、これはありかもしれない。うん、全然ありだ。
年内最後のHRは「年末年始も気を抜くなよ」という担任の一言で締めくくられ、待望の冬休みが幕をあけた。興奮で歓声の爆発するクラスから一足はやく抜け出した喜多は、いつもの空き教室に向かった。もちろん、ひとりとギター練習するためだ。今日は夕方までたっぷり時間があるから、その分たくさん練習できる。ひとりと一緒にいられる。
少しニヤつきそうになる口角を唇を噛んで抑え込んでいたら、廊下ですれ違った友達から「よいお年を〜」と声をかけられた。二組の子だ。自分もオウムのように同じ言葉で返して、階段をおりた。
教室にたどり着き、ドアを引く。
「おまたせ! ──ひ、ひとりちゃん!」
が、中はガランと無人。何度も口の中で復唱し、練習してきた「ひとりちゃん」も虚空に溶けた。
あれえ、と小首をかしげる。早く来すぎたか。でもさっき二組の子とすれ違ったから、ひとりのクラスもHRは終わってるはずだ。
すぐさま喜多は踵を返した。彼女のクラスに乗り込もうと思う。ロインよりそっちの方が早い。来たルートを駆け戻った。
「あ、ねえねえ。ひと──後藤さん、いる?」
二組の教室前に着くと、そろりとドアを開け、近くにいた女子生徒に声をかけた。
「え、うん。いるよ」
言いながら教室の後ろを指さした。置き勉でもしてたのか、カバンに教科書やノートを詰め込んでる最中のひとりを見つけた。ありがとう、と伝えてから喜多はコソコソと教室に忍び入り、彼女の目の前まで近づき、
「──後藤さんっ!」
勢いよく彼女の顔をのぞき込んだ。
「わっ」
「えへ、びっくりした?」
驚いて向かれる顔に小さな勝利を感じつつ、あちゃあ、と喜多は内心思った。いつものくせで「後藤さん」呼びになってしまった。「ひとりちゃん」と言えばもっと驚いてくれたかもしれないのに。
「あ、喜多さん……」
それはともかく、ひとりは喜多の姿を認めると萎縮した様子になって、
「すみません、今からロインで伝えようと思ってたんですけど……」
「ん、なにを?」
「その、きょ今日は練習しないで帰ろうかな、と」
「え?」
「そ、そういうわけなので……すみません。失礼します」
控えめに頭を下げると、膨張したカバンを肩に引っさげ、ひとりは廊下に向かって静々歩き出した。会話を打ち切りにしようとしている。
喜多はあわてて、
「ま、待って。なにか今日、用事とかあるの?」
今まで試験の追試期間を除いて彼女が練習にこなかった日はなかった。少なくとも、自分が知るかぎりでは。だから変に不安になる。
ひとりは足を一旦止めてくれはしたものの、振り返らずに、
「あ、いえ、特には……ただ、なんかそういう気分じゃなくて……なので、すみません」
そしてまた歩き出してドアに手をかけ、開けた隙間から廊下に出た。喜多もすぐに背中を追って、ひとりの横に並んで歩いた。
「えっと……あっ、学校で弾くのがイヤとか? たしかにまだ人多いもんね。それならスターリー行く? 先輩たち、いるかもしれないわよ?」
「あ、その……今日はギター持ってきてないので」
「え、あっ」
言われて気づいた。たしかに、いつも背負ってるギグバッグが見えない。となると、単なる気まぐれじゃなくて、最初からやる気がなかったのだろうか。
「ごめんなさい。だから、今日はもう帰ります」
「っ、や、待って!」
ひとりが少し歩幅を広げる。喜多も小走りになり、咄嗟に手をのばした。理解よりも納得よりも先に、彼女の腕をつかんだ。
「え……?」
「あ、あのね、」
しかし、どうしようと思う。練習はできなくても構わないけど、あなたとは一緒にいたい。こんなことを臆面もなくぶつけられる勇気は持ち合わせていない。
だから、
「その、これからどこかいかない……?」
こう言ってみた。なんでもいい。一緒にいる時間が作れればそれでよかった。
「えと……遊びにいくってことですか……?」
ひとりが顔を伏せる。断りの文句を口に溜めてる表情に見えた。このまま「うん」と言ったら、間違いなく断られる。そう直感したとき、
変化をつけろ──と心の自分が叫んだ気がして、
「ううん──デ、デート! したいなって……」
「へ?」
当惑の声とともに上げられたひとりの目は、たこ焼きみたいに真ん丸になっていた。喜多も自分の発言に体の半分が仰天した。
「デ、デデ、デートッ?」
「そ、そうっ。デート!」
ヤケクソ気味に喜多は返した。
「え、な、なんでそんな……?」
「え、ええっと……ほら! 昨日、一昨日ってクリスマスだったじゃない?」
「は、はあ……」
「でも、土日で都合も合わなかったし……だから代わりに今日したいなって……どう?」
ひとりの疑問に対する自分の回答はどう考えてもチグハグだった。勢いで誤魔化したが、汗が出てくる。顔も熱くてたまらない。
これもさっつーのせいだと喜多は思った。彼女がクリスマスデートの話題を振ってきたせいだ。だから、ついこんな言葉が出てきてしまったんだ。
だけど、ひとりはひとりで唐突な『デート』という単語に面食らった様子で、返事に尻込んでいる。ずっと「えー、うー」と口ごもったままだ。
こうなりゃ攻めたもん勝ちだ、と喜多は奥歯を噛み合わせた。つかんでいた腕を引いて、ひとりもろとも歩き出した。
「え、あ、あの……喜多さん……」
「ほら、はやく行きましょ?」
いつもの調子で。いつもとはちがう言葉で、
「デート、楽しもうね! ──ひとりちゃん」
「────っ」
その一言に、ひとりの瞳が揺れた。嬉しさと動揺が混ざり合った色に見えた。それから階段をおり、一階の廊下を歩き、昇降口まできたところで、
「…………はい」と。
何秒遅れかもわからない返事をくれた。
一日遅れのクリスマスデートが始まった。