指先に銀河をのせて   作:夜のイロ

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失いたくなくて

 入学式の日、事故にあったんです。

 それが原因で、目が見えなくなるって言われたんです。

 いまはもう、ほとんど見えません。メガネをかければ、近くにある物の形とか色とかはわかるんです。でも、なにもかけないと、なにもわからなくなるんです。

 一月に手術しました。ガンアツっていうものが急激に上がっちゃったみたいで、それを下げるためのお薬とか点滴とか、あとはまぶしいレーザーみたいなのを目に当てられたりしました。痛くはなかったんですけど、光をずっと浴びてて、なんかすごく不安でした。

 でもそれで、失明はなんとか免れたんです。だけど、目の神経がもう限界まで弱ってきてて、お医者さんからは完全に見えなくなるのも時間の問題だって言われました。

 あと、視覚障害者向けの学校も本格的にすすめられました。私ももう、そうするしかないのかなって思ったんですけど、お父さんとお母さんが、私の行きたい学校に行っていいよ、って言ってくれて……私はすごく悩んだんですけど、わがまま言って、高校に戻ることにしたんです。そのために、色々リハビリとかやってました。杖の使い方とか、点字の読み方とか、カウンセリングも毎週何回かやりました。そのせいで二ヶ月くらい登校まで時間かかっちゃいました。

 学校のほうも、私のことを気にかけてくれて、保健室登校を許してくれました。校長先生が、これるときにくれば進級も特例で認めるって言ってくれたんです。なので、目の調子がいいときと、お父さんの仕事の都合が合うときは、学校まで車で送り迎えしてくれることになりました。でも、家から学校まで距離もあるし、今までどおり電車通学するよって言ったんですけど、それは危ないからダメって反対されちゃいました。

 それから……喜多さんのロイン、ずっと無視しちゃってごめんなさい。ずっと前から通知には気づいてたんです。でも返事をしたら、私、喜多さんに依存しちゃいそうな気がして。

 ……だって、すごくさみしかったんです。私には喜多さんしか友だちいないから。きっと話し始めたら止まらなくなって……そのうち、喜多さんにウザがられるんじゃないかと思って。

 喜多さんには、喜多さんにだけは、私、嫌われたくなかったんです。だから、目のこともなかなか話せなくて。すごく心配かけちゃうだろうし、私が普通の子じゃないってわかったら、遠くに行っちゃうんじゃないかって思っちゃって……。

 …………はい、ごめんなさい。そんなわけない、ですよね。ありがとうございます。

 喜多さんのことは、ちゃんと信じてます。家族と同じくらい信頼してます。本当です。

 いつか私は、ここからいなくなっちゃうと思いますけど、それまで仲良くしてくれるって信じてます。

 だから、あの。

 だから……、だから、

 

 あともう少しの間だけ……友だちでいてくれますか……?

 

 

 

 ※

 

 

 

 ──自分はなにを失おうとしているのだろう

 

 

 電車からおりて、ホームに出る。改札を抜けるとバカみたいに冷たい風が吹きつけてきて、前髪をふわり、と持ち上げてくる。

 五メートル先の地面だけを見つめながら、喜多は足を送り出す。線路と道路を隔てたフェンスを手すりがわりにしながら歩く。上空には淡く冬の星座が浮かび上がり始め、おまけに今夜は満月であるというのに、喜多の首が持ち上がることはない。

 近隣地域の都市開発化の流れ弾で、この時間帯でも町内には騒々しい道路工事の音が響きわたっているが、特別うるさいとは感じなかった。

 

「──ただいま」

 

 駅からさほど遠くもない自宅にたどり着き「おかえりなさい」の声を耳に入れることなく、喜多は自室に滑り入った。後ろ手にドアを閉め、電気をつけることもなく、そのままドアに背中をあずける。スカートもブレザーもシワができたら困るのは自分なのに、お構いなしに体は床に崩れ落ちていく。

 暗い。

 深い闇に塗りたくられた部屋を見つめ、これがひとりの見ている世界なのかと想像した。

 体育座りになり、膝に顔をうずめる。

 思い返せば、これまでヒントはたくさんあった。

 初めてさっつーからひとりの話を聞いたとき、彼女が交通事故にあったことを知った。長いあいだ入院していたこともわかっていた。周りが暗くなると、彼女の動きが少し慎重になることも、将来の話をすると少しだけ悲しそうな顔をするのも疑問に思ってはいた。

 気づいてあげられるタイミングはいくらでもあった。

 なのに、どうしてわかってあげられなかったのか。なぜ、大したことじゃないと決めつけて、見て見ぬふりをしてきたのか。

 自分は、ひとりのなにを見ていたのか。

「絶交」だのと、脅しで彼女を突き放せるほど、自分は本当に彼女の友だちでいたのだろうか。

 喜多は自分という存在がいま、もう一人いればいいのにと思った。この途方もなく能天気な憎たらしいバカを、汚いことばでハチャメチャに罵ってやりたかった。けれど、それもただの現実逃避に過ぎないのだと考えて、唇をかんだ。

 もう一度、闇を見つめる。真っ黒な空間の中に、泡のようにひとりとの思い出が浮かんで、映し出されて、弾けて、闇に溶けていった。記憶とは、そうやって一つひとつ無慈悲に、いつのまにか葬送されていくものなのかもしれない。

 ひとりはもう、暗闇の世界でしか生きられないのかもしれないと喜多は思った。でも、それはきっと自分も同じに違いない。自分ももう、ひとりのいる世界じゃないと生きていける気がしなかった。

 しかし、彼女はそのうち学校からいなくなってしまう。自分の元を離れて、どこか知らない場所にいってしまう。

 

 そのとき、自分はどんなものを失ったと気づくのだろう。

 

 立ち上がる。おぼつかない足でベッドまで歩き、顔から倒れ込む。毛布を頭にかぶって、髪がくしゃくしゃになるのなんて構わず、目をギュッと閉じ、声も出さず、奥歯を噛み合わせ、

 喜多は──、ただただ震えた。

 

 

 

 ※

 

 

 

『報告することがあるから、明日学校終わったらスターリー来てくれるかな?』

 

 いつもの帰り道からはずれて喜多が下北沢行きの電車に乗ったのは、虹夏から昨日、そのロインをもらったからだ。大方、来月のライブの予定が確定したという報告なのだと喜多は踏んでいるが、平日の夕方に集合というのはやや気が重かった。ロインで済ませてくれればいいのに、と思わなくもない。

 ちなみに、今日ひとりは学校にこなかった。目の調子がよくなかったのか、父親の都合が合わなかったのかはわからない。わざわざ訊くのも申し訳なく感じて、ロインも送らなかった。

 だから当然、彼女はスターリーにもこない。

 これから先、ひとりが結束バンドに戻れる機会はくるのだろうかと思う。

 顔を上げる。車窓からは薄闇に染まりつつある住宅街を高速で通り過ぎていくのが見える。生活の明かりが光の粒となって、横に流されていく様子を喜多は物憂げに眺める。

 窓に映る物憂げな自分の顔を、喜多は見つめた。

 その顔は、ひとりの不在に対して、虹夏がどう思っているのかを憂いている顔だった。加入してからというもの、バンドに顔を出すこともなく、入院した報告も、その後の連絡もろくに寄越さないことに対して、何かしら抱いている感情があるのではないか、と。

 

 喜多は思う。

 

 ひとりのことを、先輩たちに伝えるべきなのではないか。

 もちろん、本人の許可もなく、そんな勝手なことをするべきではないとわかっている。こういった話は、ひとり自身が伝えるべきなのであって、自分がしゃしゃりでるのは間違っている。

 だが、虹夏には理解して欲しかった。ひとりが人前で演奏するのにどれだけ憧れていたかを。それを交通事故という、本人にまったく責任のない不幸で奪われてしまうことの不条理さとやるせなさを。

 虹夏にもバンドリーダーとしての責任はあるだろう。夢もあるはずだ。いつまで経っても顔を見せない人間を切り捨てることは、決して理不尽でも残酷な仕打ちでもない。

 それでも──せめてひとりの苦しみをわかって、彼女の席をバンドに残して欲しかった。「ひとりちゃんはずっと結束バンドのメンバーだからね!」と明るく言ってのけて欲しかった。

 それに、ひとりが結束バンドからいなくなってしまったら、彼女とのつながりがまた一つ消えてしまう。喜多にはそれが耐えられなかった。

 だから、言おうと思う。

 言ってから、ひとりには謝ろうと思う。

 決心がついたところで、電車がとまった。下北沢のホームに喜多は吐き出される。ギターケースをよいしょと背負い直し、スターリーに向かう。

 

 

 

 

「あ、喜多ちゃん。おつかれ〜」

「おつかれー」

 

 スターリーには虹夏とリョウがすでにいた。階段下でちょうど二人で話していたところだったようで、喜多の姿にはすぐ気づいて声を送ってきた。

 

「お疲れさまです。すみません、毎回最後になっちゃって……」

「いやいや、仕方ないよ。喜多ちゃんだけ距離あるしね」

「まあ、先輩を待たせるのは感心しないけど」

 リョウがふふん、と冗談をかまし、

「なにいってんの。留年ギリギリでもういちど二年生やる羽目になりかけたくせに」

「歳は上だから」

 あはは、と喜多は笑い、

「あ──それであの、」

「まあいいや。──よし、じゃあ全員そろったし、一旦着席しよっか」

 

 ひとりがこないことを伝えようと、喜多は口を開いた。しかしその前に虹夏にさえぎられてしまった。

 全員──? 喜多はその言葉の奇態さに無表情で固まる。虹夏はひとりがこないことを知っていたのだろうか。彼女からすでにロインをもらっていたのか。それとも、もうこないものだと決めつけているのだろうか。

 悶々と考えながら、三人でラウンドテーブルを囲むように座る。リョウが「あったかいお茶は出ないの」と図々しいことを言って、「欲しいなら自分で買ってこい」と虹夏。「じゃあ、いいです」とリョウが諦めたところで、

 

「じゃあ、さっそく報告に移ろうと思うんだけど──、」

 

 虹夏が始めた。

 

「ええと……まずはライブの件について話そうと思ってたんだけど、その前に……うーん、やっぱり……いや、どうしよう。どう話せばいいかなぁ……」

 

 話の構成に自信がないのか、疑問に思うところがあるのか。虹夏は珍しく口ごもって、困った顔で頭をかいた。

 喜多は内心、はやく話して欲しいと願った。虹夏の報告を聞いたら、次は自分が先輩たちにひとりのことを伝えようと考えていた。なにをどう話すのかも、すでに頭の中で整頓できている。

 だから、虹夏の言葉を待つ。

 だから、虹夏がなにを言い出すかなんて、なにも予想していなかったし、用意も覚悟もできていなかった。

 虹夏はようやく決心のついた顔を見せた。喜多に視線をめぐらせ、

 

「その……これはリョウにもいまさっき伝えたことでね。喜多ちゃんにとっては、つらい報告になるかもしれないんだけど……」

「え?」

 虹夏の顔を見上げる。不吉な物言いに、胸がじわりと締めあげられる感覚。

「な、なんですか……?」

 うん、と虹夏は一つうなずいて、

「その、ひとりちゃんのことなんだけど」

「っ、」

 喜多の喉の奥で、空気が詰まった。ひどくおそろしい言葉を聞かされる予感があった。

 しかし喜多は、

「ひ、ひとりちゃんが……どうしたんですか……?」

「その……ね? 実は、先日ひとりちゃんから連絡があってね、」

 虹夏は言った。

「そのときに──バンドをやめたいって言われたんだ」

「────え」

 

 全身が真っ白になった気がした。

 なぜ。

 どうして、そんな。

 

「ウ、ウソですよね……?」

 喜多はすがるような笑いを浮かべ、力なく首を振った。

「だっ、だって……ひとりちゃんは、バンド、やりたいって……みんなの前で、演奏したいって、ずっとそう、そう言って……」

 

 虹夏は笑わない。

「ウソだよ」と。期待している言葉をいつまでも言ってくれない。

 その沈黙こそが事実であることの証明だと悟ったとき、腹の底でどうしようもない喪失感が生まれて、

 喜多は、

 

「い、伊地知先輩は……それに、なんて答えたんですか……?」

 苦しそうな表情で虹夏は唇を動かし、

「……仕方ないね、って」

「────」

 その瞬間、喪失感が熱を持った。喜多は手をのばした。無意識に虹夏の腕をつかんだ。そのままつよい力で握りしめた。

「いたっ……!」虹夏の顔が歪む。

「郁代っ!」

 リョウが二人のあいだに飛ぶように入ってくる。喜多の手をつかみ投げ、よろけた喜多は床につよく尻をついた。

「喜多ちゃん……っ」

 腕をおさえながら、虹夏が見下ろしてくる。

「どうしてっ、ですか……?」

 喜多は不満の色を隠さずに放った。

「どうしてっ、引き止めなかったんですかっ!」

「……っ」

「リーダーなら……引き止めるべきじゃなかったんですかっ!」

「……っ、あ──あたしだって引き止めたかったよっ!」

 虹夏が吠えるように返した。

「あたしもっ……ひとりちゃんとこれからもずっと一緒に活動していきたかった! もっともっと、ひとりちゃんの演奏を聴きたかったっ! ──だけどっ、」

 そして顔をうつむかせ、

「事情が事情なんだから……引き止められるわけないよ……っ」

「────っ」

 

 それはきっと正しい反応に違いなかった。

 喜多の頭の理性的な部分が、急激にその領域を広げていく。頭がどんどん冷静になっていく。その通りなのかもしれないと思っていく。

 けれど、感情的な部分はまだ頭の中心で熱を発しつづけている。喜多は体を起き上がらせた。それから、よろよろと階段に向かって歩き出した。

 

「郁代」

 リョウが呼び止めてくる。

「どこにいくの?」

「……わかりません」

 喜多は止まらず階段をのぼり始める。

「喜多ちゃん……!」

 今度は虹夏が声をあげた。

 喜多は彼女の声には、一旦足を止め、

「……さっきは乱暴なことしちゃってすみませんでした。私、ちょっとおかしかったです」

「あっ……」

 虹夏がなにかを言いかける。しかし、結局なにも言葉にならないうちに喜多は階段をのぼり切って、

「……すみません、先にあがらせていただきます」

 扉から出ていった。

 

 

 ──自分はなにを失おうとしているのだろう

 

 

 喜多は外に出ると、息を切らせて走り出した。走りながらスマホを取り出し、通話をかけた。

 相手はひとりだ。

 どこにいるのか、なにをしているのかはわからない。電話をしたら迷惑になるかもしれない。だけど、彼女から直接話を聞きたかった。なにを考えているのかを彼女の声で知りたかった。

 しかし、いつまで経ってもひとりは応答しない。シビレを切らした喜多はスマホをポッケに食わせ、井の頭線の改札を抜けた。渋谷行きの電車に乗った。

 自分がこれからなにをするのか、わかってはいるが理解はできていなかった。体を勝手に誰かに支配されて動かされている気分だった。渋谷の改札を抜けたあともその感覚は抜けず、東横線まで彼女は真っ白な頭で走りつづけた。

 横浜行きの電車に乗る。車内は運良く人もまばらで座ることができた。扉に一番近い席に喜多は腰をおろした。

 スマホを取り出して開く。ロインの不在着信の記録に、ひとりの既読はついていない。そのかわり、母からのロインが大量に溜まっている。二分ごとにひっきりなしに送られてきていた。

 

『今日は遅くなるの?』

『授業おわったの? はやく帰ってきなさい』

『どこかでごはん食べてくるの?』

『それならちゃんと連絡しなさい』

『ちょっと、本当にどこにいるの?』

『遅くまで遊ばないの!』

『既読くらいはつけなさい』──、

 

 申し訳なく思う。

 喜多は母からの愛を既読だけで済まそうと思った。しかし、それはそれでまた心配をかけそうなので、なにか一言だけ返そうと思った。

 そのとき、ちょうどまた母からロインが送られてきた。

 

『どこかに行ってるの?』

 

 これにだけ返信しようと決めた。

 喜多は少し悩んでから文字を打って、送信した。

 

『好きな人に会ってくる』

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