指先に銀河をのせて   作:夜のイロ

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繋がり

 最近、寝る前にいつも同じ妄想ばかりしている。

 内容はなんてことない、学校にもしテロリストが侵入してきたら──のような定番もので、自分が小っ恥ずかしいほどに充実した学校生活を送っているというものだ。

 

 まず、自分は高校生になっても変わらず陰キャで、友だちなんて全然できていないという設定。毎日毎日、コソコソと屋根裏のネズミのように教室のすみっこで過ごしている。このままなんの面白みもない三年間を送っていくんだろうなあ──そう思っているところに、自分に手を差し伸べてくれる女の子が現れる。

 その子は明るくて、優しくて、かわいくて、誰からも好かれる人気者。自分はすぐにその子のことが好きになって、だけど生粋の陰キャの自分にはまともなアプローチの仕方なんかわからない。もちろん、自分以外にもその子のことが好きなやつらは大勢いて、自分の上位互換のようなやつらも大勢いる。だから、その子はきっと自分のことになんか興味がないと思っている。

 想いを伝える勇気も度胸もないから諦めようとするんだけど、ある日の放課後にその子から呼び出される。期待なんかしちゃダメだと思いつつもドキドキしながら話を聞いていたら「ずっとあなたのことが好きだったの」なんて真っ赤な顔で言われてしまう。当然、漫画みたいに目ん玉が飛び出て、走り出したくなるほど嬉しくなって、自分も吃りに吃って「わたっ、私もあなたがっ、すき好きだったんでふっ!」と不細工すぎる告白を返して。そして晴れて恋人同士になる。

 

 それから授業中に目を合わせて小さく手を振り合ったり、休み時間に誰にも見られないよう手をつないだり、先生にバレないように授業中にメールを送り合ったりする。もちろん放課後は一緒に買い物にいって、オシャレなお店でご飯を食べたり、色んな場所で写真を撮ったりもする。楽しいことをたくさんするんだけど、もう時間だからということで「また明日ね」と名残惜しそうにお互いに言い合う。

 けれど、このまま別れるのも寂しいからと、その子が「目を閉じて」と言ってくる。言われたとおりに目を閉じるけど、心臓は狂ったかのように暴れていて、次第にその子の体温が近づいてくる気配がして、その子のかすかな呼吸が鼻先に当たってくるのを感じて、それから。

 

 

 それから、

 それから先は──なんだかとても、切なくなって。

 

 

 左目の光を失ったひとりには、その妄想のつづきをどうしても考えることができなかった。

 枕元のデジタル時計を見る。先日新しく買ったそれは、暗闇の中だと自動的にぼやぁ、と数字が光り浮かぶようになっていて、午前一時を三十分も経過したことを教えてくれていた。壁掛け時計は暗闇の中ではもう視認することができないから、ただ雑音を耳に流し込んでくるだけの睡眠おじゃま虫と化している。

 パチパチとまばたきをする。今日はどうも寝つきが悪い。いつもなら妄想の途中で意識もまどろみ、気持ちよく眠りに落ちていくというのに。結局、途切れた妄想の終わりまで起きてしまった。

 首まで布団をかぶる。四月になって暖房いらずになったのはよかったが、まだ時々寒くなる日がある。今夜はそういう日だった。

 身を震わせながら、まぶたを閉じる。どうせもう学校なんて行かなくてもいいのだから夜更かし上等なはずなのに、それでもひとりは目をつむる。さっさとクソッタレな現実から逃避しようと夢に潜り込もうとする。

 けれど、睡魔はなかなか降りてこない。柔らかくて温かい布団にもぞもぞと体をこすり合わせても、体内の神経は針金のようにキン、と張り詰めていた。

 どうにも落ち着かなくなって、ムクリと起き上がった。メガネをかけて、窓の外を眺める。ぼんやりとした輝きが見えるが、それが星なのか月の光なのかはわからなかった。

 布団から這い出て立ち上がる。外の空気を吸おうと思う。家具にぶつからないよう慎重に足先で障害物を確かめて進み、ひとりは窓枠をつかんだ。ガラリとガラス窓を開け放つ。

 すると、夜のにおいがした。冷たい清浄な空気が部屋に吹き入ってくる。あたりは星の呼吸が聞こえてきそうなほどに静まり返っていて、地球全体が眠りについているようだった。

 首を少しだけ外にのばして、何度か深呼吸をする。新鮮な酸素を肺に送ってやると、脳がリラックスして、睡眠の素になりそうな物質を生み出している感覚がしてきた。

 ひとりはそこで空を見上げた。

 何十光年分もの深い深い闇に阻まれている星々は、それでもなお地上まで輝きを降らせ、ひとりの弱った右目にも映し出されている。地球は卵のような殻に閉じこもった独りぼっちの天体なのではなく、広大すぎる宇宙空間とちゃんとつながっているのだとわかる。

 自分が見上げているのは銀河そのものなのだとひとりはふと思った。

 そう思ってしまうと、睡魔を押しのけて脳裏をよぎってくるのは、あの日の記憶。あの日の彼女の言葉。

 

 

『──私っ、銀河一のギタリストになる!』

 

 

 もう一度だけ──とひとりは願う。

 もう一度だけでいいから、あの子と話したい。

 残された視力を一秒でも長く保たせるべく、必要なとき以外のスマホの使用を控えるように医者から言われてしまった今、彼女と連絡を取り合う機会は失われてしまった。父がスマホを管理しているので、近況報告も何気ない雑談も、自由にすることができないのだ。

 もちろん、それが意地悪ではなく、両親が自分を大切に思ってくれているからというのは理解できている。

 彼女と自分ではもう、住む世界がちがうというのもわかっている。

 それでも話したかった。

 話せばなにかが変わると思った。

 まだ臨床試験への参加の意志は固まっていない。体の中にはいつも重ったるい恐怖と不安がどっしりケツをついて構えている。けれど、彼女の声を、彼女の言葉を聞けば自分の中でなにかが動き出すかもしれない。そういう予感がある。

 だからもう一度だけ──ひとりは胸に手を置き、静かな呼吸のまましばらく目を閉じた。

 

 ──よし、

 

 そして、ある決意が固まるとふたたび目を開き、ひとりは銀河に向かって、自分に対して、その決意の旨を述べた。

 

 思い切って喜多さんに会いにいこう。

 会って、お話しをしよう──。

 

 

 

 

 ほとんど昼になりかけの朝を迎え、朝ごはんを兼ねた昼食をとってしばらくしてから、ひとりは自室に戻った。そこでコソコソと準備を始めた。

 財布、予備のメガネ、ハンカチ、目薬、折りたたみ傘、まだ期限の残っている通学定期、スマホ代わりに渡されているワンタッチ発信機能のみのキッズ用携帯、小腹が空いたとき用の飴ちゃん──。

 持っていくものはこれぐらいでいいかな、と床に並べられたアイテムたちを見つめ、ひとりは鼻を鳴らす。

 飲み物は喉が渇いたら自販機で買えばいいだろう。あまり重くなっても困る。必要最低限でいいのだ。そう考えながら、ひとりはどう見たって不必要な大きさの登山用リュックサックに荷物たちを次々に詰め込み始めた。手頃なサイズがなかった。

 時計を見る。いまから家を出るとなると、学校に着くのは遅く見積もって午後四時前後になるか。最後の授業が終わるのもそれくらいなので、いい時間帯かもしれない。校門付近で待ち伏せしていればきっと会えるだろう。

 ひとりはあまり深く考えてはいない。

 いまの彼女の視力では、五メートル以上離れると人の顔なんて、みんなのっぺらぼうで見分けがつかない。喜多がやってきたとしても、すぐにはわからないかもしれない。

 だが、それは大した問題ではないと思っていた。たとえ自分がわからなくても、喜多なら間違いなく自分を見つけてくれると信じているからだ。彼女なら必ず自分の存在に気づいてくれる。そして話しかけてくれる。

 だからなにも心配はないのだった。

 心配があるとすれば、学校まで無事にたどり着けるかという点だ。

 だがそれも、まあ大丈夫だろうとひとりは考えている。

 数ヶ月はちゃんとこの足で歩いて高校に行っていたのだ。感覚はまだ残っている。人や車に注意して慎重に歩けば問題はないし、電車も駅には音声案内があるから乗り間違えの不安もない。社会はちゃんと自分みたいな人間にも優しくできている。

 

 なので大丈夫。会いにいこう。

 

 楽観的な考えのままにリュックサックを背負い、ピンクジャージの上に薄手の黒いウィンブレを楽観的に羽織る。ファンでもないのになぜか家にあった横浜ベイスターズのキャップを楽観的にかぶり、そろそろと一階におりていく。

 居間でふたりがジミヘンと一緒に昼寝しているのを横目で確認して、次に母を探す。が、十分ほど前に買い物に行ってくると言って出ていったのをひとりは思い出した。

 安堵の脱力。これなら止められる心配はない。ひとりは居間に入って、荷物準備のときに用意していた置き手紙をテーブルの上に置いた。

 

『ごめんなさい。

 ちょっとだけ出かけてきます。

 夜おそくなる前には家に帰るので心配しないでください。

ひとり』

 

 居間を出る。

 小さく「いってくるね」と部屋の外から寝ている妹にささやくと、ひとりは玄関まで忍び足で歩き、スニーカーを履いて音を立てずにドアを抜ける。

 外は曇り空だった。雨をたんまり溜め込んだような黒い雲ではないが、機嫌の悪そうな鈍色の空である。ひとりはさしたる反応も見せずに歩き出した。

 とはいえ、曇天のせいなのかいつもより右目の視界が悪く感じる。暗くて狭い。歩幅も自然と小さく、ゆるやかになってしまう。数歩も歩かないうちに少しよろめき、塀ブロックに手をついた。そういえば、一人でこうして外を歩くのはかなり久しぶりのことだとそこで気づく。

 姿勢を直す。また歩き出す。はるか遠くで信号の音が聞こえ、無事に渡れるのかと今から不安になる。と、今度はグレーチングの隙間がつま先を引っかけてきた。「うわっ」とひとりは大きくたたらを踏んだが、近くの電柱に助けられた。ギリギリで転ばずには済んだ。

 体勢を立て直す。また足を送る。後ろから車が近づいてくる音が聞こえてきた。あわてて道路に背を向け、塀に顔を突き合わせる。通り過ぎた軽のワゴンには「なんだアイツ」と彼女を見て笑う家族が乗っていたが、ひとりは自分の命を守ることに必死で気がつかなかった。

 エンジン音が遠ざかるのを認め、ひとりは四たび歩き出す。少し息切れしている。汗もかいた。もう十分以上は歩いているはずだった。今までならもう駅に到着して、横浜行きの電車をホームで待っているところだ。

 しかし、いまのひとりはまだ住宅街をさまよっている。墓場から這い出てきたばかりのような弱々しさで、わずかな光をたよりにビクビクと足を進めている。

 こんなはずじゃ──と胸の底から湿っぽい後悔が湧いてくる。

 もう少しくらいなんとかなると思っていた。歩くのだって家の中なら普通にできていたのだから、外を歩くのだってわけないはずだった。

 なのに、

 

「──わっ」

 

 いきなり足元がぐらついた。なにかを踏んだらしい。体重が一気に前に集中していく。倒れる。もがくように腕を振り回した。それでもバランスを取り戻すことはできず、

 

「い……ぃっ」

 

 ひとりはついに地面に倒れ込んだ。反射的にのばした手が最初に地面に落ちて、次に膝と肘が同時にコンクリートに打ち付けられた。腹這いの姿勢になって、しばらく痛みにもだえる。手のひらがジンジンと痛み、擦りむけたところから血がにじみ出ている。肘もウィンブレとジャージがやぶけて赤い傷口が見えている。膝もおそらく同じだろうと思う。

 目の前には誰かが飲み干したコーヒーのスチール缶がカラカラと笑い転げていた。

 間抜けだなあ、と自嘲しながらひとりは立ち上がろうとする。だが、痛みに邪魔されてなかなか起き上がれない。こんなところ、誰かに見られたら恥ずかしくて死にそうなのに、一人じゃ立てそうにない。

 

「──ひとりっ!!」

 

 そのとき、誰かが声を張った。

 顔を上げる。のっぺらぼうがあわてた様子でレジ袋を抱え、前から駆け寄ってきているのが見えた。顔はまだちゃんとは見えないけど、誰なのかはすぐにわかった。

 

「お母さん……」

「だ、大丈夫……? どうしちゃったの……?」

 もう顔ははっきり見える。血の気の失せた青い美智代の顔が自分を見下ろしていた。

「そ、その…………ごめんなさい…………」

 事情を説明するより先に、まずは謝罪の言葉が突いて出ていった。母の手を借りて、起き上がらせてもらう。

「……とりあえずお家に戻ろう?」

 母が肩を貸そうとしてくれている。荷物あるんだからいいよ。平気だよ。大丈夫だよ、とひとりは言うが、

「──すぐそこなんだから。遠慮しないの」

 そして強引に肩を貸し出された。ひとりはされるがままに、振り出しに戻される。

 百メートル程度しか家から離れていなかったことを知って、悲しくなった。

 

 

 

 

 普段から穏やかで柔らかい雰囲気の母ではあるが、今回の件はさすがにちょっと怒ってきた。

 

『一人で外に出ちゃダメだって言ったでしょっ? また車にぶつかったらどうするのっ?』、

『どこに行くつもりだったのっ! まさか家出っ?』、

『転んだところは大丈夫? ……あっ、ジャージやぶれちゃってるじゃない!』、

『ほら、早く脱いで。消毒しないと。それからお母さんの買ってあげた服着なさい? ……なんで着ないのっ。かわいいでしょ? ぜったい似合うと思うのよ〜』──。

 

 本当にちょっとだった。

 とはいえ、ひとりは顔を上げられずにいた。全てが空回りに終わった結果に消沈しているからというのもあるが、なにより「両親に迷惑はかけない」という自分への誓いをやぶってしまった罪悪感が頭の上に乗っかっていた。

 

「……ごめんなさい」

 

 いま一度、深々と母に頭を下げる。テーブルに額をこすり付ける。美智代はそれでハッと親の務めを思い出したような顔になり、

 

「……うん。もうこういうことはしちゃダメよ」

「はい……」

 それで終わりになる気配を美智代は一瞬見せたが、まだつづけて、

「──それで、どこにいこうとしてたの?」

「……学校」

 すると、ひどく動揺した声になり、

「どうして? 遠いじゃない……というか、まさか電車乗るつもりだったの?」

 うなずく。

「もうっ。危ないじゃない! ……ああ、見つけられてよかった……」

 美智代は沈み込むようにテーブルに顔を伏せた。

「あぅ……ご、ごめんなさい」

「……それで、どうして学校いこうと思ったの?」

 ひとりは言葉をしまいかけたが、

「…………あ、会いたい人が、いて。ど、どうしても、話し、たくて…………」

 少しでも罪の意識を圧縮しようと思い、正直に明かした。おかげで顔に熱が集まってくるのを感じる。

 美智代は少し顔を上げて、

「会いたい人──え、それって、」

 

 察した表情を浮かべた。ひとりは押し黙る。次に繰り出されるであろう、恥ずかしい正解の言葉に身を固くする。

 しかし母は口を閉ざしたままで、しばらくすると無言で立ち上がった。

 

「お母さん……?」

「──その人の連絡先は知ってるの?」

「え?」

 なんの質問だろうと思いつつ、

「う、うん……よくロインしてたけど……」

「そう、わかった」

 

 そして、母は部屋から出ていった。

 首を傾ける。

 なんなんだろう。よくわからない。

 まさか、

「うちの愛娘をたぶらかすヤツは血の粛清よ〜! ほら、はやくその不届き者の居場所を吐きなさい!」

 などと言いながら銃火器を持ち出してきたりはしないだろうか。

 そんな漫画みたいなこと、とは思いながらも、母ならやりかねないかもしれない、とも思っていると、

 

「──はい、これ」

 一分もしないうちに美智代がなにかを持って戻ってきた。手渡してくる。

「スマホ……?」

 それは銃火器ではなく自分のスマホだった。なぜ、と母の目を見る。

「会いにいくのは賛成できないけど、通話くらいならね。特別にいいわよ」

「え、で、でも……いいの……?」

 美智代は優しくうなずき、おどけた口調で、

「話したいのならしょうがないもの。ひとりちゃんのそういう気持ち、お母さんわかるよ? ああでも、一応お父さんには内緒ね? お母さん、怒られちゃうから」

「あ……あ、ありがとう……」

「お話しが終わったらまた返すのよ? ブルーだったか、グリーンだったか覚えてないけど、スマホの光って目に悪いんだから」

「う、うん……っ」

 

 こくこくこく、と三度ほど首肯した。申し訳なさはまだ残るが、色気づいてると思われた恥ずかしさも燃え上がっている最中だが、自然と口角が上がった。

 ひとりはスマホを両手で胸に抱きしめる。

 まだ自分と彼女はつながっている──そう感じた。

 

 

 

 ※

 

 

 

 ライブが数日後に迫っている。なのでここ最近は、平日でも学校帰りにスターリーに寄ってスタ連する日々がつづいていた。下北沢にくるのもほとんど日課になってきている。

 

「おはようございます。お疲れさまです」

 

 店に入り、いつも通り先にきている先輩たちに喜多は声を送った。ドリンクカウンターの中でプラカップの補充をしていた虹夏がひょこっ、と首をのばして、

 

「ああ、お疲れ〜!」

 明るく返してくれた。一方で、

 近くのテーブルではリョウが椅子にのんびり座り、

「ふぁ──ん……おつかれ」

 猫のように背中を反らしながら伸びをして、あくび混じりに答えてくる。

「ほらっ、喜多ちゃん来たんだから、そろそろシャキッとする!」

 補充を済ませてカウンターから出てきた虹夏がリョウの腰をバッチンと叩いた。それでも「ん〜」と気だるさの蒸発しない青い方の先輩に喜多は苦笑した。

「喜多ちゃんもすぐ練習始められる?」

 今度は喜多に虹夏の視線が向き、

「あ、はい。──あ、」

「よぉし、じゃあさっそくやろっか。今日はセトリ順に通しでやろうって考えてて──はい、いい加減に起きろっ!」

 

 話している途中でテーブルに突っ伏し始めたリョウの両脇に腕をまわし、虹夏はそのまま椅子もろとも引きずり出した。スタジオに連行していく。リョウはそれでも半分、夢を見ているような目をしていた。

 そんなコミカルな二人を前に、喜多は小さく肩を落とした。

 まただ。また二人に言い出せなかった。

 

 みんなにひとりのことを忘れさせないために、自分ができること。

 

 さっつーと話した日から、喜多はそのことについてずっと考えを巡らせてきた。考えてきたとはいえ、割とすぐ思いついたのだが、それが『文化祭ライブ』だった。

 正直、ありきたりだとは思う。とはいえ、これ以外、これ以上の舞台はないに違いなかった。大勢が見守る学校のステージの上で、後藤ひとりのために演奏する、と大々的に宣言するのだ。きっと色んな人の印象に残るだろうと喜多は確信している。

 しかし、そのために先輩たちに協力を申し出ることが、喜多的には少し勇気のいることだった。

 いや、おそらくOKはもらえると思っている。二人が文化祭ライブに好意的な反応を示していたのは、クリスマスライブの日から覚えている。だから、返事については心配していない。ただ、これまでの自分の狼藉の限りを考えると、どうにも遠慮が湧いてきてしまう。

 バンドの無断脱退から始まり、ライブ直前のリハーサルで下手くそな演奏をして二人を困らせたり、練習中に泣き出して演奏を中断させてしまったり、バンドミーティング中に虹夏に乱暴した挙句、そのまま帰ってしまったり──考えると、迷惑ばかりかけていることに気づいた。

 そのたびに謝罪はしてきたつもりだが、積み重ねてきた罪が後ろめたさとなり、心に重くのしかかってくる。

 

 厚かましいヤツだって思われないかな……?

 

 喜多の心境はそれに尽き、なかなか「文化祭ステージに一緒に出てください」の一言が言い出せずにいた。

 

「──喜多ちゃーん? どうしたのー?」

 スタジオから顔を出して、虹夏が呼んでいる。喜多は意識を現実に戻し、

「あっ、すみません。すぐに、」

 

 そのとき、ポケットの中のスマホが震え出した。

 

 通知、というよりは通話だ。長めのバイブが一定間隔で脚をくすぐってくる。

 虹夏に「すみません、電話きちゃって」とジェスチャーで伝えつつ、喜多は電波の悪そうな店内から外に出る。外の階段をのぼりながらスマホを取り出し、着信相手を、

 見、

 えっ──、と。目の前を道行く人々の不審に満ちた視線も構わず、喜多はやや大きめの声を上げた。

 

「──ひとりちゃん……っ?」

 

 ひとりからの着信だ。

 

 

 

 ※

 

 

 

『も、もしもし……?』

「あっ……!」

 

 夕方、時間を見計らってかけた電話がようやくつながり、安堵の声が出た。喜多のやや緊張を孕んだ声がスピーカーから聞こえてくる。

 ひとりは背筋を正しつつ、乾いた唇を舐め、

 

「あ、あのっ、ごっ後藤です……っ」

 そんなの相手も承知だろうに、ひとりも負けじと緊張した声で伝えた。

『う、うん。久しぶり……』

「あ、は、はい……お、お久しぶりで……」

 三秒の沈黙、

「あっあのっ、い、いきなり電話してごめんなさい」

『ううん、大丈夫』

「め、迷惑じゃなかったですか……?」

『ぜ、ぜんぜんっ。その、なんというか……いま、すごく安心してる』

 安心──。

 鼓膜を震わすその言葉に、ひとりは心臓が走り出すのを感じた。自分と同じ感想で嬉しかった。

「そ、それは、よかったです。えと、」

『それであの、どうしたの?』

 

 喜多の声はいつもより高かった。期待と高揚と緊張に声帯が押し上げられているのかもしれない。

 ひとりはほぼ緊張のせいで声が上ずっているが、なんとか言葉を作り、

 

「その、えっと……ちょっと、お、お話ししたいな、って……」

『えっ』

 意外そうな反応が返ってくる。

『お話し? 普通に?』

「あ、はい……」

 もっともな反応だろうなと思う。会話するだけならロインでもいいじゃない、と喜多は思っているにちがいない。

 しかしひとりは、

「ダメですか……?」ちょっとズルい訊き方をした。

『ダ、ダメじゃないっ。もちろんいいわよ!』

 スマホの向こう側で、喜多が必死にかぶりを振っている様子が想像できた。くすり、と口の中で笑いが生まれる。

「ありがとうございます」

 

 それで少し緊張が解け、ひとりはいつもの声に落ち着けた。口を開き、ゆっくりと彼女は語り出した。

 それは妙に異質な光景だった。

 日が沈み、濃い青の絵の具で塗られたような空が窓から見える。悲しいほどにうす暗い部屋のすみっこで、片目の見えない少女が独りぼっちで体育座りをしている。独りぼっちなのに、少女は穏やかにほほ笑みながら、遠く離れたところにいる大切な人と話をしている。

 

 

 

 

 なにから話せばいいのか悩んだ結果、ひとりはまず謝罪から始めることにした。すでに済んだことも含めて謝りつづけた。

 ギターをやめてしまってすみません。

 バンドをやめてしまってすみません。

 学校をやめてしまってすみません。それを伝えるのが当日になってしまってすみません。

 今まで連絡できなくてすみません。

 たくさん迷惑かけてすみません。

 告白の返事ができなかったことも謝ろうかと思ったが、それはお互い気まずくなりそうなので喉の奥に引っ込めた。

 

『……うん……うん、大丈夫。私の方こそごめんなさい。自分勝手で、なにも考えてなくて。色々と気づいてあげられなくてごめんなさい』

 

 ひとりの言葉を一つひとつ温かく受け止めつつ、さらに喜多は反撃の謝罪を繰り出してきた。

 少したじろぐ。

 謝られる準備はできていなかった。そのせいで「そんな、どういたしまして」とトンチンカンな言葉が出てきて、顔が熱くなった。

 そんなこんなで一通り罪を吐き出したあとは、ひとりは表情を固めた。そろそろ臨床試験のことを喜多に伝えようと思った。とはいえ、難しいことをわかりやすく説明できる自信はないし、そもそも自分もちゃんと理解できているわけではない。

 要点のみにしぼって話すことにする。

 

「──あの、喜多さん。じ、実は私、とある治療を受けるかどうか悩んでまして……っ」

『えっ……あ、そうなの……』

 喜多はリアクションに迷った様子だった。

「は、はい。その、もしかしたら目が治るかもしれないっていうものでして……」

『えっ』

 今度はわかりやすい反応をみせる。喜多の声が跳ねた。

『ほ、本当に……? また見えるようになるかもしれないの……?』

「あ、はい。……ただ、その治療は成功率が低いみたいで。し、失敗するかもしれなくて、」

『あ……』

 喜多の声色が落ちていく。

 ひとりは、ここで一番訊きたかったことを話した。

「──な、なので、私、どうしたらいいのかな、と。もちろん、目は治したいです。今まで通りの生活に戻りたいです。でも……やっぱりこわくて……」

『…………』

 

 無言。

 喜多の反応が消えた。

 しまった、とそこで気づく。困らせてしまった。こんな重い相談、するべきじゃなかった。

 ひとりはあわてて、

 

「ご、ごめんなさいっ。い、今のは、」

『──ひとりちゃん』

 しかし、喜多の声に阻まれる。言葉が止まる。次の彼女のセリフを待つ。

『……あのね。私にはお医者さんの知識なんてないし、どうすればいいのかなんて、はっきり答えられない。答えちゃいけないとも思ってる。ひとりちゃんの未来が、私なんかの意見で決まっちゃいけないって、そう思うの』

「あ……っ」

 

 止まっていた言葉はそのまま溶けた。顔をうつむかせる。彼女は正しい。

 人生における重大な決断を「どうしたらいい?」なんて電話で気軽に訊くべきじゃなかったのだ。

 ひとりは後悔する。

 ところが喜多は、

 

『──だからね? 私はひとりちゃんの選択を信じる』

「……え」

 顔を上げる。彼女の声に耳をすます。

『ひとりちゃんがどんな決断をしても、どんな道を選んでも、それは必ず正しい結果につながるって、私は信じてる』

「喜多さん……」

『心配しないで。もし不安なら、私がいくらだって言ってあげる。ひとりちゃんは正しい。なにも間違ってなんてないって。何度でも』

「……どっ」

『ん?』

「ど、どうして、そこまで……」

 

 私なんかを信じられるんですか──そう訊ねようとすると、

 喜多は数秒黙ったあとに、ごにょごにょとノイズのように、

 

『そ、それは、だって……す、好きだから……っ』

「ふぇっ」

 

 ひとりは胸が弾け飛んだかと思った。変な声が出た。

 それで、喜多も恥じらいを無理やり投げ捨てる口ぶりになり、

 

『あ、あなたが好きだからっ。どんなひとりちゃんでも、私は大好きだからっ。だから信じるのっ!』

「あ、う……っ」

『わ、わかったっ? わかった人!』

「あ、は、はいっ!」

 

 思わず手を挙げた。

 すると、喜多はコホンとスピーカーの向こうで空咳する。また落ち着いた口調に戻り、

『えと……こんな回答になっちゃってごめんね。期待してた答えじゃなかったよね……?』

「あっ。い、いえ……」

 誰も見ちゃいないのに、ひとりは片手で顔を隠しながら首を揺らした。

「ありがとう、ございます。そ、その、すごく、勇気をもらえたというか……」

『…………っ』

 なぜか喜多の赤面している顔が電話越しに見えた気がした。

 ひとりも茹で上がった顔で、けれどスッキリした表情で、

「あの、本当にありがとうございました。やっぱり、喜多さんに相談してよかったです」

『そ、そう? それならよかった──』

 と、スピーカーから誰かの声が聴こえてくる。虹夏の声だとわかった。喜多の名前を呼んでいるようだった。喜多は少しだけ遠い声になって、

 

『すみませんっ、そろそろ行きます! ──あ、ごめんね? そろそろスタ連始まっちゃうから』

「あっ、すすすみません。練習前に長々と……」

 喜多は笑いながら、

『ううん、ぜんぜん。……ね、またお話しできる?』

「え、あ……」

 ひとりはスマホの件をどうしようか悩む。

 結果、なんとかしようと考えて、

「あの──はい。そ、そのときは、私から連絡します……!」

『うん、わかった』

 スピーカーの向こうでトントン、と音がする。階段をおりている音だと思った。

『それじゃあ……少し寂しいけど、』

「あ、待っ……あの、」

 喜多の名残惜しげな声。背中を見せて去っていく様子をイメージして、つい呼び止めてしまった。

 喜多は通話の中で振り返り、

『なあに?』

「あっ……えと、あの。わ、私っ、私も、」

 

 まだ切りたくなかった。

 まだ言葉が足りなかった。

 思いが止まらなかった。

 自分からも伝えたい──そう感じた。だから、

 ひとりは、

 

「わ、私もっ! き、き、喜多さんのことが──好」

 

 通話は切れていた。

 

 

 

 ※

 

 

 

「あっ、切れちゃってる……!」

 

 店の中にもどった瞬間、ひとりの声が聴こえなくなった。見ると、ブツリとスマホが通話をぶった切っていた。やはりここは電波が悪いらしい。ひとりがなにか言いかけていたのに申し訳なく感じる。すぐに個人チャットにメッセを打った。

 

『ごめんなさい! 電波わるくて急に切れちゃったの!』

 既読は一瞬でついて、

『あ、そうだったんですね』

『ごめんね、お話しの途中だったのに。最後、なんて言ったの?』

 既読はまたすぐついたが、今度は三十秒近くかかって、

『いえ、なんでもないです。練習がんばってくださいって言おうとしてました』

『そっか。ありがと! また話そうね!』

『はい。また』

 バイバイスタンプ。

 よし、と喜多はスマホをポケットに戻した。自分も先輩たちのもとに戻ろうと思う。

 だが、

 

 失敗するかもしれない治療、か──。

 

 足が止まる。やはりそのことが気がかりだった。

 ひとりは受けるのだろうか。だとしたら、成功率はどのくらいなのだろうか。もし失敗してしまったら、いまよりも悪化してしまうのだろうか。

 ぶんぶん、と喜多は首を振る。こわいことは考えるな。信じると決めたんだ。

 ひとりは前に進もうとしている。だから、自分も前に進むんだ。

 そうだ──喜多はこぶしを固めた。できることから始めてみよう。止まっていた足をスタジオまで進める。

 まだ後ろめたさは残るけど。厚かましいって思われたらイヤなのは変わらないけど。

 それでも、

 

「あ、あの、先輩っ!」

 リハーサルスタジオの扉を押し開き、中で待っていた二人の先輩に喜多は勢いよく声をかけた。虹夏は目を丸くし、リョウは眠気を孕んだ無表情。

「あの……っ、練習のあとでいいので、お話ししたいことが!」

「話?」

 虹夏が首を傾ける。

「は、はいっ」

「内容だけ先に教えてよ」

「あ、それは……」

 リョウがそう言うと、喜多はやや臆しながら、

「まだ少し先の話ですし、バンドでのライブ前に話すのもどうかとは思うんですけど──、」

「なに?」

 それでも最後は言い切った。

「『文化祭ライブ』について、です」

 

 

 

 ※

 

 

 

 最後に送られてきたバイバイスタンプを愛おしげに眺めていた。しかし、さすがにこれ以上はダメだよねと母との約束を思い出したひとりは、潔くスマホの画面を閉じた。

 部屋はいつの間にか真っ暗になっていた。ほとんどなにも見えない。とはいえ、長年過ごしてきた空間だから外に通じる道は感覚でわかる。ハイハイで部屋を進み、ふすまの取っ手を難なく探し当てると廊下の光が白く差してきた。

 部屋を出る。階段をおりる。居間から父の声が聞こえてきて、帰ってきたんだとわかる。

 ひとりは喜多との会話で、自分がどうするべきなのかは結局、結論が出せなかった。けれど、『どうしたいか』は見つけられた気がした。

 その答えを両親に話そうと思う。まだどう伝えるべきかは頭の中で整っていないが、思ったことをそのまま言おう。つばを飲んで居間に入った。

 

「お、おかえりなさい……」

 直樹はすぐに振り返り、

「おお、ただいま。今日は調子どうだった?」

「う、うん。平気……あの、お父さん」

「ん?」

「えっと、私、あの、」

「うん」

 

 悩む。まずは父を相手に伝えようと思ったのだが、なかなか切り出しの一言が思い浮かばない。キョトンした疑問の視線が言葉を隠してくる。

 そこへ母もやってくる。「ご飯できたよ」と言いかけて、無言で対面する父娘に困惑している。思いがけず両親がそろったことで、ひとりはますます口ごもる。

 しかし、もう立ち止まっていられないと思った。

 ひとりは思い切って顔を上げ、

 

「お父さんっ、お母さんっ。私ね──、」

 覚悟と言葉をひねり出す。

「私──ち、治療、がんばって受けてみたい……っ」

「え……」

 二人の動揺が声をそろえさせた。

 ひとりは止まらず、

「り、臨床試験、参加してみたい……っ」

「ひとり……」

「し、失敗はこわいけど。それで、お母さんが反対する気持ちもわかるんだけどっ。それでも……!」

 

 美智代の顔を見る。悲しそうに目を細めて、口を歪めていた。「どうしてそこまで」と訴えているような気がして、

 

「……お母さん。あのね、」

 ひとりは母に向き直った。素直な娘になろうと思った。

「わ、私──好きな人、できたんだ」

「…………うん」

「えっ」

 察していた美智代とは対照的に、直樹は驚愕の表情を浮かべた。父は一旦無視する。

「そ、その人、すごくいい人でっ。がんばり屋で、明るくて、優しくて。私にないものばっかり持ってる人で。……だけど、もう私は普通じゃないから、諦めなきゃいけないのかなって、そう思ってて……」

 美智代は無言で娘を見つめている。

「だけど……っ、や、やっぱり諦められなくてっ。その人が大好きだからっ。ずっと一緒にいたくて、また顔が見たいなって思っちゃって。だから、だから……っ」

「……うん……うん」

 美智代が静かに歩み寄る。そして、両腕を肩にまわしてきた。ひとりは少し驚いたが、同じように母を抱きしめた。

 肩に顔を埋めて、

「……こんな理由で、ごめんなさい」

「……っ、本当よ、もう……っ」

 美智代は何回かひとりの顔の横で鼻をすすると、それですぐに離れた。目の周りが濡れて、赤くなっていた。娘の顔をまっすぐ真剣に見据えて、

「……それでも、お母さんは反対だからね……」

「あ……うん……」

「でも──お父さんが言ってたもんね……? 『やりたいことを見つけたなら、我慢せずにやるんだよ』って」

 美智代は直樹に首をめぐらせる。父は小さくうなずいたあと、二人の肩を一緒に抱きしめた。

 ひとりの顔を見て、

「もちろん、お父さんだってひとりのことが心配だよ? 不安で仕方ないよ。脚だってガックガクさ。──だけど、ひとりの人生はひとりのものだからね」

「お父さん……っ」

「お母さんのことはお父さんに任せて。ひとりは自分の進みたい方に進んでいいんだよ。自分の信じる人のために、がんばっていいんだ。親だって、たまには子供の背中を見てみたくなるんだよ?」

 直樹は柔らかく笑った。

 ひとりは「ごめんなさい」と言いかけた。しかし思い直して、あふれてきそうな涙をがんばってこらえて、精いっぱい空気を吸って、

 

「……うん、ありがとう」

 

 今度は作り物ではない、本物のぶきっちょな笑顔。

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