指先に銀河をのせて   作:夜のイロ

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銀河一のギタリスト

 学校をやめた人間が、文化祭にいってもいいものなのだろうか。

 

 そんなしおらしい葛藤を胸に秘めつつも、ひとりの体はいく気満々だった。なんたって、また喜多に会うことができる。彼女と話せるチャンスなのだ。この期を逃せば──と考えれば、いく以外の選択肢はもはやひとりの中に存在しなかった。

 煮え切らない顔を見せていた両親も、土下座と肩たたき券でなんとか説得を勝ち取り、十月二日の正午、後藤家総出で秀華高校に向けて車を走らせた。

 

「ねー、ぶんかさいってなに?」

 

 東京までは長い旅路である。当然、幼いふたりは暇そうに後部座席で足をぶらつかせ、しきりにそんな質問をぶつけてきた。両親が前に座っているので、回答役は必然的にとなりのひとりが担当することになる。

 

「お祭りみたいなものだよ」

「みたい」もなにも、お祭りそのものであるが、とりあえずそう答えた。

「ふーん。たのしい?」

「う、うん。楽しい……と思う」

 

 ひとりの記憶を司る脳の部分に、メイド服で奔走していたかつての自分の姿が映し出される。抑揚の欠けた声になった。

 微妙な姉の反応にふたりの目つきは胡乱な色に変わり、

 

「つまんないならヤダ。かえりたい」

「つ、つまんなくないよ。面白いものいっぱいあるから」

「たとえば?」

「ええと、ええと……」

 必死に記憶をたどりながら、

「チュ、チュロスとか」

「なにそれ」

「なんか……甘いお菓子だよ」

「あまいの好き」

「フランクフルトとかもあったよ」

「しょっぱいのも好き」

「あっクレープなんかもあるよ」

「クレープだい好き」

「あとはメイド喫茶とかも」

「それはしらない」

 とはいえ、ふたりは笑顔になってきている。

 しょせん子供よな、とひとりは勝ち誇りそうになるが、

「ねー、あとは?」

「え。ああ、ううーんと……お化け屋敷とか?」

「ええー」

 ふたりが顔をしかめた。

「おばけはきらーい。やっぱかえりたい。お父さん、Uターンして」

「あっ、ちがうちがう。お化けなんていないからっ」

 ひとりはあわてて両手を顔の前で振って、

「あとは……あっ、文化祭ライブなんかもあるよ?」

「らいぶ?」

 こて、と小さな首が傾く。

「そう。ふたりは音楽好きでしょ?」

「うん。バックウィンプズ好き」

 六歳にしてロックバンドを推しているのは後藤家の血である。

「色んな人たちがステージの上で生演奏するんだよ。迫力あってすごく楽しいよ」

「へえー」

 ふたりの目が興味に光る。

「おねーちゃんみたいにギターひいたりするの?」

「う、うん……そうだね」

 

 お姉ちゃんはもう弾かないけどね──暗いことを胸の内で唱えながらも、

 

「みてみたいっ」

 

 これでふたりの機嫌は得られた。よかったとひとりは目を細めた。

 高速に乗ってしばらく経つと、のどかな景色に変わってきた。茶色と緑が混じり合う田園風景が流れていく様子をふたりはジッと眺めている。

 質問攻めも落ち着いてきて一息つけたひとりは、ポケットからパンフレットを取り出した。そこにはクラスごとの出店情報や、誰も目にしないであろう学校の由緒などに加え、文化祭ライブのプログラムも記載されている。

 そして『結束バンド』の名前は、最後から二番目にある。

 喜多の思惑はひとりにはおおよそ見当がついていた。文化祭ライブで、自分の成長を見てもらいたいということなのだろう。その証拠に手紙の中で、彼女は何度も繰り返し「がんばった」と努力の証を伝えていた。

 正直、いまのひとりには少しまぶしい気もした。見るのがつらくも感じる。ギターへの未練がまた目を覚ましてしまわないか不安でもある。

 けれど、やっぱり彼女の音楽をもう一度この耳で感じたいと思った。友だちとして。ギターの元先生として。最後の思い出として。

 

「ねー、おねーちゃん」

 

 ハッとする。ふたりの声が意識に届いてきた。ひとりはすぐに姉の顔に戻り、

 

「どうしたの?」

 

 ふたりは遠慮なく、笑顔で言った。

 

「おしっこ」

 

 

 

 

 パーキングエリアでふたりが長めのお便所タイムに入ってしまったのと、両親が口さびしいからとそこで色々お菓子を買い込んでいたせいで、秀華高校周辺まで来たときには午後二時半を過ぎていた。

 これだけでもひとり的には冷や汗なのだが、文化祭効果もあって周辺のコインパーキングはどこも「満」の字をズラリと並べていた。仕方なく少し離れたところに停めて、そこからは地道に歩いていくことになった。

 ようやっと体育館までたどり着いたときには、三時を五分ほど過ぎてしまっていた。急いで中に入ろうと早足で入口まできて──後藤家全員が「ギェ」と苦り切った表情で固まった。

 とんでもない観衆。昨年の比ではなかった。

 体育館の入口からステージまで、三十メートル以上はあって、横幅も二十五メートルはある。それなのに、入って数メートルに最後尾の背中がぎっしりと横一列に並んでいた。アリーナの九割は人である。

 どうなってるんだ、と呆然と四人で立っていると、

 

「──あ、きたきたっ。待ってたよ」

 

 ぜったい自分にかけられた言葉じゃないと思った。

 半年も前に学校をやめて、喜多以外の人とは一切関わりを持っていない自分に、声をかける人物などいるはずがなかった。

 しかし、その女子生徒は間違いなくこちらに近づいてきていて、

 

「なんで気づいてないフリすんの?」

「さ、ささささん……っ?」

 

 佐々木次子がニヤニヤと顔をのぞき込んできた。

 

「久しぶりだね、後藤」

「あ、え、あっ、あの……えっと……!」

「そんなキョドんなし〜。ウチはこう見えて人畜無害の善良な人間なんだよ」

 佐々木は飄々と笑う。それから両親とふたりにも視線をまわし、

「──ライブ観に来たんですよね? よかったら、いい席案内しますよ」

「え、本当に?」

 直樹の期待げな声に佐々木はニンマリと返し、

「こっちついて来てください。──ほら、後藤はウチのすぐ後ろに」

「あ、は、はい……!」

 

 促されたとおり、ひとりは佐々木の背中にまわった。彼女が歩き出すと同時にひとりも背中にぴったりくっつき、さらにその後ろを後藤家がぞろぞろと歩く。どうひいき目に見たって怪しい家族にちがいない。

 先頭の佐々木は「ごめんよ、ごめんよ」と顔の前で手刀を振り、最後尾から人混みを切り裂いていく。いったいどこにいくのか不安になりながらも、ひとりはその背中を信じて歩いていく。

 佐々木の「ごめんよ」は三十メートルを突っ切って、ついに最前列付近まで到達した。開いた視界の先には、立ち入りできないようにカラーコーンで囲まれた空間があり、その中には四つのパイプ椅子が横に並んでいた。背もたれ部分にはマジックで『VIP』と書かれた張り紙がセロテープで貼られている。

 

「こ、これは……?」

 ぽかんと立ち尽くすひとりの肩をギャンっと佐々木が両手でつかみ、

「はい、おすわり」

「わ、わん」

 

 狼狽が極限まで達し思考力が低下したひとりは、言われるがままにパイプ椅子に腰をおろした。それにならって、両親と妹もこわごわと席に着く。

 ひとりは佐々木に上目を向け、

 

「あ、あの、ささっ佐々木、さん……これはどういう……」

「ウチが用意した。喜多に頼まれてね」

「喜──え?」

「もう前向きな。始まるよ」

 

 まだ狼狽を見せるひとりに対して、佐々木はステージにあごを向ける仕草で返した。

 直後、

 

『つづいてのバンドは、結束バンドの皆さんです!』

 

 割れたアナウンスの声が、ステージ両脇の黒いスピーカーから流れた。と同時に、いままで舞台の正面をおおっていた赤い幕が上がっていく。

 少しずつ、

 少しずつ、

 結束バンドのみんなが見えてくる。

 

「あ……っ」

 

 この距離だと顔なんてほとんど判別できないはずなのに。

 どこに誰がいるのか、ひとりにはすぐわかった。

 後方には虹夏がリーダーらしくしっかり構えていて、

 左手にはリョウが軽やかに立っていて、

 そして右手では、喜多が賑やかに手を振っていた。

 喜多さん──と感動にふける間もなく、

 

 喜多ちゃーーーんっ!!

 喜多さーーーんっ!!

 うおおぉ喜多ぁあぁああっ!!

 喜多あああぁぁおおぉおおぉっ!!

 

 一気に会場が爆発した。演奏もまだ始まってないのに「アンコール!」と拍手が鳴り出しそうな雰囲気だった。それも歓声の多くは男子生徒だ。喜多がモテる人間であることはひとりも知っていたが、ここまでとは予想していなかった。この人口密度の原因は彼女にあるのだとようやく納得する。

 だんだん収拾のつかない騒ぎとなってきた空間に、両親が苦笑気味に顔を引きつらせ、ふたりが「うるさい」とぶーたれたあたりで、

 喜多がマイクに近づき、人差し指を口の前に立て、

 

 しぃーーーーっ

 

 おそろしいもので、これで本当に歓声がピタリとやんでしまった。

 喜多はそのままつづけて、

 

『皆さんこんにちは! 私たち結束バンドは、ふだんは学外で活動しているバンドです。メンバーはリーダーでドラムの伊地知虹夏、ベースの山田リョウ、ギターボーカルの私、喜多郁代。あと──、』

 喜多の視線が一瞬、自分に向いた気がする。しかしまた彼女の目線は後方に上がり、その言葉の先は語らず、

『──今日は私たちにも、みんなにとっても、一生の思い出に残るようなライブにしてみせます。なので、応援よろしくお願いいたします!』

 

 うおぉ、とまた歓声が起こり上がる。またもやお祭り騒ぎになるかというタイミングで、虹夏がバッと両手を高く上げた。それが牽制になったのか、声はにわかに静まり返り、彼女の両手に握られているドラムスティックが素早く打ち鳴らされる。

 

 十月二日午後三時十二分。

 

 秋にしては少し暑い夏日で、風通しのよくない体育館で、さらに人口密度も相まって不快度指数が深刻レベルに到達する中、

 ひとりは汗を拭うのも忘れて、ステージの上の三人を見つめる。

 一曲目が始まった。

 

 

 

 ※

 

 

 

 始まりの曲は二分弱。みんなが知っているような流行りのポップロックだ。

 喜多はレスポールを振り回すようにして最初のコードを鳴らし、バッキングを開始する。リョウと虹夏の作り出したリズムに難なく合わせ、一本線になったサウンドがグルーヴを生み出す。

 イントロは短く、すぐに歌い出しがくる。喜多はマイクに向かって口を開けた。

 

『────♪』

 

 わっ、と感動に満ちた声が上がる。喜多の歌声を聴いたことがない生徒たちだ。もっとも、ほとんどの在校生がそうなのだが、いわゆる「カラオケ声」とはちがう生演奏のテンポに合わせた一体感のある発声が、体育館の観客たちの興味を惹きつけている。

 彼女も惹かれてくれているだろうか。喜多は集中力を少しだけ前の席に向けた。さっつーの用意してくれた『VIP席』には四人の後藤が頭を並べ、右から父親、妹、母親、そしてひとりの順に座っている。右側の三人は楽しげに肩を揺らしている一方で、ひとりはまるで神に祈るかのように両手を合わせ、喜多を一点に見ている。

 そのまま見ててね──喜多は目線で彼女にそう伝えて、ほほを持ち上げた。それから、ふたたび演奏に全集中を注いだ。

 虹夏のドラムがシンコペーションを打ち、曲に意外性の色をつける。短い曲であってもメリハリを与えて観客を飽きさせない。リョウのベースも一緒にリズム全体を押し上げ、喜多はレスポールとともに演奏をリードしている。

 全てが一瞬に集中し、一瞬が全体を支配している。奇妙な感覚とは思わない。ただここに、自分たちの音楽があるだけだった。

 あっという間に二番のサビが終わり、アウトロに入る。もちろんまだ気は抜けない。最後までバンドマンとして、ギタリストとして、仕事はまっとうする。喜多は高速のリフの途中に、スライドやハンマリング、ビブラートを組み合わせ、ラストのコードを力いっぱいかき鳴らした。

 それで音が次第に、ゆっくりと空間に溶けていく。静寂が演奏の終わりを伝えるのはほんの一瞬で済み、次にアリーナがビリビリと揺れた。すさまじい歓声だった。

 喜多は体を先輩たちに向けた。二人とも顔に汗を光らせ、笑顔が輝いている。自分もきっと同じ表情をしているにちがいないと喜多は思う。

 喜多は観客たちに向き直り、

 

『一曲目っ、どうでしたか───っ!』

 

 うおおぉぉっ──と喜多の声にアリーナが呼応する。どこから用意してきたのか、赤、黄、青のペンライトもチラチラと見える。喜多は目を細め、その反応にすごく満足しながらひとりを見る。彼女は小さく、控えめに拍手をしていた。

 その姿に喜多は途方もなく安心してしまい、声が震えそうになる。しかし、まだまだ本番はこれからだ。MCをリーダーにバトンタッチし、虹夏がマイクに明るく喋りかける。簡単なあいさつと結束バンドの宣伝を告げてから、二曲目の始まりを伝える。

 

 

 

 ※

 

 

 

「──で、感想は?」

「ひゅっ!」

 

 感動がいつまでも収まらず、拍手をつづけるひとりの耳元を、佐々木のささやきがくすぐってきた。反射的に耳をおさえて振り返る。

 

「そんなびっくりすんなし〜。耳弱い?」

「あ、いえ……そういうわけじゃ」

 佐々木はニヤつきつつ、もう一度、

「で、どうだった? 喜多たちの演奏」

「あ、は、はい──、」

 ひとりは彼女の顔からつま先に目を落とし、

「すごく……よかったです」

「そうでしょ?」

 佐々木は自分への賞賛とばかりに胸をそらした。

「そう言ってもらうために、喜多はがんばってきたんだから。ていうか、まだまだお褒めの言葉が足りんくらいだよ」

「す、すみませ……」

 

 そこにドラムの爆音が鳴り響く。二曲目が暴力的に始まった。「あっ」とひとりは肩を跳ね上げステージに体を向け、佐々木も顔を上げた。

 今回はパンク風の曲調だ。初っぱなから喜多のギターが暴れている。ドラムもシンプルながらも、常に強烈でパワフルなビートを刻んでいる。ベースはやや抑えめだが、土台となる音はしっかり喜多と虹夏の攻撃性あふれるサウンドを支えていた。

 ひとりはやっぱり喜多を見ていた。本当に上手くなったんだなあと思っていた。リードとバッキングをこなしながら、ボーカルまで卒なくやっている。自信の色を満ち満ちと湛えた彼女の表情がボヤけながらもよくわかる。クリスマスライブのときに見た彼女とはまるで別人のようだった。

 それは嬉しくもあり、少々寂しくもあった。

 喜多はもういっぱしのギタリストだ。空っぽのギターケースを持ち歩いていた彼女はもういない。自分の力などなくても、ああやってバンドを引っ張っていけている。人々に感動を与えられている。自分には手の届かない遠いところに、彼女は一人でたどり着いたのだ。

 すごいな。まぶしいな──そう思ってしまう。目を細めてしまう。直視できなくなってしまう。

 と、また耳元で、

 

「──喜多はさ、」

「、はいっ」

 心臓が喉まで出かかったが、声は上げずに済んだ。佐々木を横目で見る。

「いまはああして上手いこと()ってるけど、つい最近まで割と苦労してきたんだよ」

「え……?」

 喜多がサビでシャウトしている。鼓膜がしびれている。

 佐々木はつづける。

「ずっと『ひとりちゃんならもっとすごい音が出せるのに』とか『ひとりちゃんだったら、ここはこうするのかな』とか、ブツブツブツブツ言ってて。たまにストレスが限界にきて泣き出しちゃったりとかして」

「そ、そんなことが」

「そうだよ。喜多が見上げる先にはいつだって後藤がいて、目指す方向にも必ず後藤がいたんだよ。きっとね」

 ひとりは目線が迷子になる。

 喜多のギターがギャリギャリと音を立てている。

「何度も何度も打ちのめされてきたけど、それでも喜多はくじけずにがんばってきたんだ。最終的に『ぜったいひとりちゃんを超えてみせるんだからっ』って意気込んでね。結局んとこ、喜多の目には後藤しか映ってなかったんだろうね」

「────」

 

 ひとりの口の奥に感情が固まっている。

 どうしてだろうと思う。涙が出そうだった。

 悲しいわけじゃない。嬉しいとも少しちがう。柔らかな温かさが心にしみて、心地よい痛みがある。

 ひとりの顔が沈みかけていく。が、それを佐々木が後ろから両手で挟んで、無理やり持ち上げてきた。

 

「んむっ……!?」

「ほれ、ちゃんと前見なよ。師匠なんだろ? しっかり弟子の成長を見届けなって」

「ぁ……ふぁ、ふぁい……!」

「はい、よし」

 そして手が離される。佐々木は田舎の悪ガキのようにニシシと笑い、

「目が悪いのは知ってるけどさ、そんな目細めて見てやんなよ。喜多は真ん丸な後藤の目が好きなんだとよ」

「へ」

「ほれ、前。最後の喜多、ちゃんと見てやんな?」

「あ、あ……!」

 

 あわてて喜多に視線を戻す。腹の底から吐き出される彼女の歌声が、ラストの盛り上がりを作っていた。チョーキングは繊細で全く音を外しておらず、メロディの華やかさを見事に保っている。

 虹夏がハイタム、ロータム、フロアタムをリズムよくヒットする。繰り返されるその音は徐々にスローになっていき、ド派手なシンバルの声を体育館のすみっこまで轟かせたのを最後に、二曲目も余韻たっぷりに終わりを告げた。

 もちろん、またアリーナは爆発する。三人に対する賞賛の声と、有象無象共の喜多に対する求愛の叫びがあちこちから上がっている。

 ひとりはただ拍手だけを打ち鳴らした。そして喜多を見つづける。前髪をかき上げ、汗を拭った喜多は、遠くに向けて手を振り、笑顔も振りまき、「ありがとうー!」と感謝を叫び──こちらに目を向けてきた。

 三秒、視線が絡み合う。

 ひとりは息を飲む。

 喜多は演奏でほのかに赤みがかった顔に、ちょっぴりの照れくささと、得意げな表情を同時に浮かべた。歯を見せて笑った。それから顔の前で控えめなピースを作ってきた。

 ひとりも恥ずかしさを押し殺し、胸の前で弱々しくピースを返した。

 彼女はいまもまだギタリストとしての自分を見てくれている──それは切なくもあるけど、たまらなく嬉しかった。

 

 

 

 

 二曲目後の興奮はまだ冷めやらないが、喜多は構わずマイクに向かって話した。

 

『楽しいライブの時間も次でいよいよ最後になってしまいますが、本当に皆さん、今日は集まってくれてありがとうございますっ!』

 盛大に拍手が鳴る。後藤家とひとりも鳴らしているのが見える。どっかのお調子者が指笛を吹いている。

『それで、三曲目なんですが──私たち結束バンドのオリジナル曲を、この場をお借りして初披露させていただきたく思いますっ』

 

 おおーっ。

 一斉に響く感嘆の声に喜多はかすかなほほえみを見せつつ、

 次に真剣な表情になり、

 

『ですがその前に──、皆さんにどうしても聞いてもらいたいことがあるんです』

 

 なんだろう、というざわめきが起こる。ひとりもまぶたをしばたたかせている。

 そんな彼女に喜多は視線を送った。ジッと彼女だけを見つめる。やがてそれに気づいたひとりはハッとした様子で気恥しそうに目をそらしてしまった。

 喜多は顔を遠くに向け直し、

 

『今回のライブを通して、皆さんに覚えていて欲しい人がいるんです。忘れて欲しくない人がいるんです。それは、半年前までこの学校にいた、最高にかっこいいギタリストのことです』

 

 困惑する観衆。

 なにを言ってるんだ、という声。そんなやついたのか、という声。知らねえ、という声。誰だよ、という声。そんなことよりさっさと演奏してよ、という声。

 喜多はそれらぜんぶを蹴散らすように、

 

『知らないのなら覚えていってください。知ってる人は少しでも思い出してあげてください。この学校の元生徒で、この結束バンドの元メンバーで、私のギターの先生で、私の友だちで、わ、私の、初恋の人でもある──後藤ひとりちゃんのことを……っ!』

 

 ふたたびひとりに顔を向けた。彼女はみるみる顔が茹で上がっていった。その様子がかわいらしくて笑ってしまいそうになるが、自分は笑える身じゃないだろうなと気づく。自分の顔もひどく熱くて、汗が止めどなく流れている。

 だが、まだだ。

 喜多の勢いはまだ止まらなかった。

 これではインパクトが足りないと思った。

 いまの告白で、アリーナはもはやライブどころではないほどのどよめきに発展してきている。あちこち色めき立ち、悲鳴のような声が上がり、動揺の叫びが上がっている。

 でも、こんなんじゃ物足りない。

 喜多はステージの淵まで足を進めた。

 工夫なんて考えていない。

 とにかくもっと目立つことをやって、ひとりのことをみんなの記憶に植え付けてやらねばと、数百人の観客たちに彼女は立ち向かった。

 それから腹いっぱいに大きく息を吸い込み、

 みっともないほど紅潮した顔をさらけ出して、

 マイクなんてシカトしてやって、

 もう一度──、今度は人生最大の告白を見せてやろうと考え、

 世界中に向けて彼女は叫び出した。

 

 

「わ──私はっ!! 後藤ひとりちゃんがっ!! 大、大、大、大、だあああああああああああああああぁぁぁいすきっ!!」

 

 

 ──そのあまりにもバカげた世紀の大告白は、体育館ごときの薄っぺらい壁なんて通り抜けて、外のフランクフルトの屋台まで届いているにちがいなかった。

 誰も声なんて出さなかった。

 虹夏は少しだけほほを染めて苦笑いし、リョウはニマニマ遠慮なく笑っている。

 後藤家は全員、呆気に取られながらも横目でひとりに視線を送っている。

 さっつーは後ろで腰に手を当て、遠くを見ている。

 そしてひとりは、両手で顔を隠しつつも指の隙間から喜多を見ている。

 喜多はもはや根性だけでその場に立っていた。アホみたいに大声を出したせいで脳がきゅう、としぼんでいる。頭がクラクラする。灼熱の羞恥心が体中を焦がしてくる。けれども、こぶしの中の爪の痛みで米粒程度の自我を拾って、なんとかマイクの前に戻ると、

 

『……こ、この曲は、私が後藤ひとりちゃんのために書きました。彼女のための曲なんです。だから……だから、精いっぱい、これ以上ないっていうくらい、最高の演奏にしてみせますっ』

 喜多はまだまだ熟れたトマトみたいな顔のまま、マイクを両手でつかみ、

『ぜったいに──みんなに、一生忘れさせてやらない一曲にしてみせます……っ!』

 

 おおおおっ──。

 歓声が息を吹き返した。男子勢はショックを受けている者も多いが、思わぬサプライズ告白を面白がっている者も相当数だった。

 女子勢はみな喜多に声援を送っている。他校の生徒勢は「おもしれえや」という顔でチンパンジーみたいな拍手をしている。大人勢も「青春やねえ」と喜多の保護者ヅラを気取って見守っている。

 少し落ち着きを取り戻した喜多は、ステージの後ろを振り返った。虹夏とリョウが自分を見てうなずいた。

 やろうか──目でそう言っていた。

 喜多もうなずき返すと、観客に向き直った。笑顔はひとりだけに見せた。

 

『──それでは、ラストもお聴きください。「忘れてやらない」』

 

 

 

 ※

 

 

 

 喜多が曲名を告げると、動物園状態だった体育館はウソみたいに静寂に包まれた。ステージの上の三人だけが軽く声をかけ合う音だけしか聞こえてこない。

 やがて、無音となった空間に虹夏がスティックでカウントを四つ叩く音が響いた。次の瞬間、アンプからエレキギターのイントロが流れ始める。

 9フレットのパワーコードから始まり、力づよくも軽やかなオクターブ奏法で喜多がリズムを先導している。虹夏はバスドラムからハイハットに手を伸ばし、喜多の作ったリズムを地道に、着実に強化していく。

 いきなり──とひとりは目を剥きそうになった。イントロからして、これは生半可な技術で挑むべきではない曲だということが直感的に理解できた。

 本当に大丈夫なのだろうか。ハラハラしながら喜多を見上げる。しかし、彼女の音にまるで迷いなんてなかった。表情は見えなくとも、余裕さがひしひしとひとりの耳に伝わってきた。

 リョウのベースが加わってくる。さすがの腕前だった。重音が気持ちのいいビートを刻み、曲に一気に立体感を生ませる。一体となった音がテンポよく進行していき、

 急激に喜多のギターが「ギュウゥン」と甲高くうなった。綺麗なベンドだ。曲調に明るさが見えてきて、青春系のメロディが青春の舞台である学校の体育館の中を走り回っている。

 

『────♪』

 

 イントロが終わり、Aメロに入った。歌い出しが心地いい。爽やかな音色と喜多の声が絶妙に合っている。リョウのサブボーカルがハーモニーを重ね、曲に広がりを与えている。

 ひとりは横の家族をちらりと見た。三人とも体を小刻みに揺らし、美智代なんか虹夏のドラムに合わせてリズムよく音のない拍手をしている。ほかの前列の在校生たちも同じだ。みな自然と体が動いている。

 AメロからBメロ。喜多の声量が上がると同時にドラムも音を跳ね上げ、ベースもじわじわと盛り上がりの「溜め」を作っているように見える。喜多の細い指がフィンガーボードの上で忙しなくスライドしたかと思えば、パワーコードがどんどんと旋律を力づよくしていき、

 

 そしてついに、サビが始まった。

 

 透明感のあるポップチューンだ。アリーナが揺れ動いている。ギター、ベース、ドラム、ボーカルが溜めていたパワーを全て解放し、音が激しく空気を振動させている。

 ゆるい弧を描くトラス構造の天井は高く、リバーブを効かせ、加えて観客たちの歓声と手拍子までもがアンサンブルとなり、体育館全体が一つの楽器となったかのような一体感がある。

 

 ああ──。

 

 ひとりは息をもらした。

 少しだけ目を閉じる。

 ステージの上の三人が羨ましくて仕方なかった。

 自分があの中にいないことが悲しくてやりきれなかった。

 交通事故に遭わなければ、自分も同じように彼女たちと一つになれたのだろうかと叶わぬ妄想に思いを馳せる。

 真っ暗闇の中で、ひとりは独りだった。

 そんな中でも、感情あふれる彼女たちのメロディがどこまでも響き渡ってくる。「そんな殻に閉じこもってないで、こっちにきなよ」と手を差し伸べてきているかのように思える。

 だからまた、目を開けた。モザイクがかった視界の中で、全身全霊で演奏している彼女たちのシルエットは、まるで光のかたまりのようだった。直視するにはあまりにもまぶしすぎて、けれどいつまでも見ていたい美しさがあった。

 喜多を見る。

 喜多だけをひとりは見つめる。

「空っぽのギタリスト」だった彼女はいま、色んなものに満たされているのだと思った。しかし、それは与えられてきたものではないだろう。他ならぬ彼女が努力して、自分の力で勝ち得てきた結果にちがいない。

 ならば、その努力を自分は見てあげなければいけない。誰よりも彼女がギターを弾く姿を近くで見てきたのは自分なのだ。目を閉じて、腐っている場合ではないのだ。

 ひとりは喜多に精いっぱい笑いかけた。涙が出そうで、口角がピクついて、やっぱりぶきっちょな笑顔になった。

 すると彼女もひとりに視線を向けてきて、

 

『────♪』

 

 歌いながら片目をつむり、茶目っ気あふれる自然な笑顔を返してきた。

 

 

 

 ※

 

 

 

 サビが無事に終わっても、喜多の胸中に安心は訪れない。むしろ、ギュッと唇を横に引きしめた。

 文化祭ライブは一組あたりの発表時間が十分程度しかない。そのため、この曲も一番が終わったあとは、間奏を経て二番のサビにつながる構成に短縮している。

 間奏──そこには最難関のギターソロが待ち受けている。

 喜多は左手に力を込めた。最初のユニゾンチョーキングにかすかなビブラートを効かせ、すぐさまヘッド近くのフレットまで連続的に指を移動させる。もたもたしていられない。全ての動きに速さが求められる。

 後半のテクニカルムーブに突入。十秒程度のギターソロだが喜多の額ににじんでいた汗たちがこめかみをたらたらと伝ってあご先に集まってくる。

 超高速スイープで指がつりそうになる。ここが本当に難しい。勢いを重視しつつも、不要な弦に触れて音が濁らないよう気をつけなければならない。練習で苦戦してきたのは言うまでもないし、リハーサルでも幾度もつまづいてきた。あまりにも弾けなすぎて「ひとりちゃんなら簡単に弾けるんだろうな」という思考に陥り、悔しさのあまり泣き出したこともあった。

 だが、いまはもう大丈夫だ。

 出口が見えた。

 喜多はラストのチョーキングもしっかり捕らえ、ソロのトンネルを抜けた。二番のサビに入った。今度はボーカルに集中を移動させる。

 

『────♪』

 

 喜多は歌う。歌いながら、ステージ下のひとりに目線を落とす。

 そして思う。

 ずっと、彼女の支えになりたかった。

 そのために、歯を食いしばって必死に色んなものに喰らいついてきた。

 近くで寄り添うことが、彼女を支えることなのだと思い込んできた。

 しかし、それはちがうのだと喜多はわかった。それだけじゃないのだ。

 ひとりを超え、ひとりの先を進み、彼女が自分と同じところまでまた足を送り出してくれることを信じてみようと喜多は決めた。

 一緒に立ち止まるのではなく、彼女がまた歩き出すのを先で待っているのだ。

 それも一つの「支え」の形なのだと思った。

 

 ひとりちゃん──もう一度、彼女にほほ笑みかける。

 

 目が治ったら、また一緒にギターを弾こう。

 今度は私がギターを教えてあげるから。

 こんなに難しい曲が弾けるんだよって自慢したいから。

 ずっと待ってるから。

 だから、ひとりちゃん。

 私を──追いかけて。

 

「…………っ」

 

 喜多のほほ笑みにひとりの表情が少し動く。どういう感情なのかはわからない。

 それでも、なにかを感じ取ってくれたのは喜多にも伝わった。

 終盤に差しかかる。喜多は声を張り上げ、ギターもラストにふさわしい盛り上がりをつける。虹夏とリョウのリズムセクションに喜多は合わせ、

 

『────♪』

 

 ついに最後まで歌い切った。

 あとはアウトロ。ここもイントロと同様のメロディラインだが、気をゆるめずにしっかりとオルタネイトピッキングを意識する。

 クライマックスが近づく。喜多はやや腰を丸め、立ち上がった猫のような姿勢になる。ここまできてミスは許されない。スライドとチョーキングの技法も全霊をこめ、コードチェンジも正確かつ素早くおこなう。

 リョウがどこまでも献身的に、虹夏はギターに負けじと活発に、喜多はありとあらゆるものをこの一音に注ぎ込む勢いで──本当に最後のコードを鳴らした。

 

 そして、全ての音が一瞬で止まる。

 

 面白いくらいに静かだった。

 ついに地球の寿命がきたかと思った。

 だが、そんな静寂は三秒と経たずに崩壊し、次に地鳴りするほどの歓声が上がった。

 喜多は虹夏に振り返る。「やった、やったよっ」とドラムスティックを握りながら、涙ぐんではしゃいでいる。リョウを見た。あごを撫でながら「かなりよかった」と歓声に飲まれる声量で彼女は話した。

 喜多は何度もうなずき、二人の手を握った。それからまたマイクの前に戻ると、

 

『皆さん、最後まで本当にありがとうございましたっ!』

 

 それだけ言って、

 

 

 ──喜多はステージの上からダイブした。

 

 

 雑多な歓声が「えっ」という一声に揃う。

 ギターごと二メートル近く空中に体を放り投げた喜多は、危なげなくアリーナに着地した。そのまま『VIP席』まで小走りし、圧倒された表情のひとりの前で立ち止まった。

 

「──ひ、ひとりちゃん」

 喜多は息切れしながら訊ねる。

「わ、私たちのライブ、どうだった……?」

「え、あ……っ」

 

 言葉が出ない様子で、ひとりは口ごもる。そんな彼女の背中をさっつーが優しく押した。

 

「言ったげな」

 

 ひとりはオドオドしながらも顔を上げ、少しだけ泣きそうな表情になり、

 

「す、すっすごく……よかった、です……っ」

「本当? ……よかった」

 喜多は胸の前にギターを構えつつ、

「じゃあ、私のギターは……どうだった……?」

 

 今度はさっつーに押されなくても、ひとりは口を開いた。飲み込もうとしていた涙はついにあふれ、目は真っ赤になっていた。それでも口角をあげて、喜多の顔を正面から見て、

 たった一言。

 

「──銀河一でした」




結束バンド『忘れてやらない』
※2024/10/18 読み上げ機能が使えるように修正しました。
(歌詞は使用しておりません)
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