指先に銀河をのせて   作:夜のイロ

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ひとり、暗転

 最初にひとりが視力の異変を感じたのは四月。病院のベッドの上だった。目が覚めて机の時計を見ると朝の七時だというのに、やけに部屋が暗いなあ、と思った。蛍光灯が弱ってるのか、今日は天気が悪いのか。そのへんの理由だと、そのときは決めつけた。

 しかし、お昼に家族がお見舞いに来てくれたときだった。妹のふたりが「ちょーいいてんきだよ!」と病室のカーテンを開けて、父の直樹が「眩しいからやめようね」と優しくたしなめ、

 

『ね、ねえ……みんなは変だって思わないの?』

 

 その様子をみて、ひとりは思わず家族に声をかけた。部屋がうす暗いのに、なんで誰もそのことを指摘しないんだろうと思った。だけど、みんなキョトンとした顔だった。

 おかしいのは自分だと、そこでわかった。

 親にそのことを伝えると二人の顔色が変わり、数日後には別の病院に移されることになった。入院していたところより、もっと大きなところだ。診察してくれた医者の先生も、前の人よりエリートっぽい顔をしていて「精密検査をしましょう」とひとりを見るなり言った。

 CTスキャンとMRIで頭の中の撮影を念入りにおこない、それからしばらく待合室で待たされた。不安になってひとりは母の顔を見た。「大丈夫だから」と頭を撫でる美智代の表情は少し固かった。

 やがて医者に呼ばれて、両親に付き添ってもらいながら診察室に入った。厳しい顔をして医者は待っていた。

 

『近い将来、目が見えなくなる可能性がありますね』

 

 そう宣告された。

 シシンケイがどうだとか、ノウフシュがどうだとか。医者は説明する気があるのかないのか、難しいことばかり言っていた。でも、たとえどんな易しい言葉でも自分の頭には入らなかっただろうとひとりは思う。

 それでも、これがあの交通事故の結果だというのは理解できた。入学式の日、学校に向かう途中、信号無視をしてきた車にぶつかった。目立った外傷はなかったが、縁石に頭を強く打った。それが原因で自分は光を失ってしまうのだ、と。

「近い将来」がどれだけの猶予を示してくれるのかを知りたかったが、知るのがこわかった。死刑執行を待つような気分にはなりたくなかった。ただ幸いなことに、いきなりバチンとスイッチが切れるように失明するのではなく、照明のしぼりがゆっくり絞られるように、少しずつ見えなくなっていくというのは感覚的にわかった。なんの救いにもならないけど。

 数ヶ月の観察入院と検査入院のすえに、ようやく退院を間近に控えたひとりは親から選択を迫られた。視覚障害者向けの学校に転校するか、入学した高校に戻るか、というものだ。

『障害』という言葉に、ひとりは軽くめまいを覚えた。自分は身体障害者なのだと自覚しなければならないのか。

 それは──、

 

『こ、高校に戻るっ。目はまだちゃんと見えるもん』

 

 ──それは、イヤだと思った。

 両親や学校の先生、友達……はできるかわからないけど。そういう人たちに迷惑と苦労をかけるだろうっていうのはわかるんだけど。

 でも、まだ『普通』でいたかった。

 ひとりの答えに両親はお互いに顔を見合わせた。そして、覚悟したような表情になってひとりに笑いかけた。「わかったよ」と、それだけ言って二人で抱きしめてくれた。ひとりは心の中で「ごめんなさい」と詫びた。

 

 あの日の選択は間違ってなかったと今では思う。

 だって、友達ができた。

 初めての友達だ。

 かわいくて、明るくて、人気者で。ギターはまだまだ初心者だけど、自分にはもったいないくらい良い人だ。

 私は間違ってない──ひとりは繰り返し唱える。

 暗くなるまで遊んで、今もこうして二人で浜辺に来ている。靴を脱いで、冷たくなった海水に足をつけて悲鳴を上げながら彼女が笑いかけている。

 この光景が、この現実が間違いなはずない。

 間違ってなんてない。

 間違ってなんて、

 

「──後藤さんって、目が見えないの?」

「…………え?」

 冷たい声に顔を上げた。暗闇で顔が塗りつぶされた喜多が立っている。

「見えないんでしょ? さっき、私のこと見失ってたじゃない」

「ち、ちっ違いますっ。その……ちょ、ちょっとよそ見してただけで……っ、あのっ、」

「ウソよ。もう暗闇の中だとほとんど見えないんでしょ?」

「そっ、そんなことっ……!」

「いつも暗いところでギター弾いてるのだって、暗闇に慣れておくためだったんでしょ?」

「な……なん、で」

 なんで、そのことを。

「私、障害のある子と付き合うのなんてイヤよ」

 言って、喜多は背を向けた。

「だから、ごめんね」

「あ……っ、や、そんなっ……喜多さん、喜多さんっ!」

 

 海に向かって喜多が歩いていく。どんどん遠ざかっていく。夜の暗闇に飲まれていくその背中にひとりは手を伸ばした。だけど、すぐに彼女は見えなくなった。

 そのとき、ひとりは気づいた。

 これは夜の闇じゃない。自分の目が完全に見えなくなって、

 

 

 

「──わああぁあっ、あぁあっ!!」

 

 目を開くと、ひとりは勢いよく掛け布団を蹴飛ばした。そのままの勢いで飛び起きた。

 起きた上体がぐっしょり汗ばんでいる。心臓が暴れ狂っている。涙が流れている。鼻水が垂れている。

 朝ゼミがじわり、と外で孤独に鳴いていた。

 数秒ほど呆然としたあと、現実の空気を体内に取り入れたひとりは布団から這い出て、床に転がってるティッシュ箱から三枚ほど一気に掴み取った。涙を拭いて、ビィィッ、と鼻水をかんだ。ゴミ箱に投げ入れてから、長い吐息を出した。

 

「…………よかった」

 

 夢で。

 力がふっ、と抜けて、布団に肩から落ちる。せんべえ布団と化したせいで、ほとんど畳の固さと変わらない衝撃がくる。

 夢の内容は……忘れよう。すぐに忘れてしまおう。

 脳に命令し、不必要なことで頭を埋めつくそうとした。地底人って存在するのかな。ペンギンって家でも飼えるのかな。トマトの致死量ってどのくらいだっけ──。いい感じに頭が疲れてきたのでホッとする。

 枕の下に手を突っ込み、スマホを取った。画面をひらいて時間を見た。

 六時四分。

 それから日付を見て、目を少し大きく開いた。

 

「十月……一日……」

 

 文化祭の日だ、とひとりは思った。

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