指先に銀河をのせて   作:夜のイロ

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先輩とバンド

『ラニーニャ』だったか『エルニーニョ』だったかは覚えてないが、今年の夏はそれのせいでとにかく息が長い。なにせ、十一月も目前だというのにスマホのお天気アプリは目下(もっか)、三十度を伝えている。

 夏が長生きだとセミも長生きみたいで、今も下北沢のどこかからジワジワと求愛の叫びを上げている。それがひどく暑苦しくて、喜多は背中のギターケースに汗が()みてないか気になりながら改札を抜けた。

 

 彼女が数ヶ月ぶりに下北沢にやってきたのには理由がある。

 

 一つは「謝罪」のため。

 基本、学校や地元では優等生のいい子ちゃんで通っている喜多だが、ここ下北沢ではかつてなかなかの悪行を犯した。

 バンドの無断脱退。それも、ライブが始まる直前に逃げたのである。

 もちろん彼女にも言い分はあった。ギターが弾けなかったのだ。技術的にも物理的にも。メンバーには結局、最後まで明かすことはなかったが。これを正直に打ち明けたらどうなるだろうかと喜多は考える。

 八つ裂き間違いなしだ。

 いや、メンバーの二人とも優しい先輩たちだから暴力に訴えることはないだろうが「それなら仕方ないね」で済ませてくれるとも思えない。逃げたことにもギターが弾けるとウソをついたことに対しても相応に厳しいことを言ってくるだろう。その予想は、ヴィレバン前まで歩いてきていた喜多の歩みを鈍化させるほどに恐ろしい。

 とはいえ、ここでまた逃げるわけにもいかない。

 それがもう一つの理由である「お願い」のためだった。どちらかというと、こっちの理由の方がウェイトを占めているといってもいい。

 文化祭の日、喜多はひとりとのやり取りが強く印象に残っていた。彼女が文化祭ライブに強い憧れを抱いているというのには、かなり驚かされた。

 友達として、やってあげられることはないかと悩んできた結果、喜多が考えついたのは「元バンドメンバーの人たちに一緒に出演してもらおう」というものだった。

 無論、それだけのために力を貸して欲しいなどと面の皮が厚いことは言えないので、喜多は作戦を考えた。もう一度バンドに戻る、というものだ。頭を下げて、またメンバーに戻してもらう。これなら、将来的に自分の学校の文化祭に一緒に出てくださいと自然に言うこともできるはずだ。

 突飛な考えだって自覚はある。正直、上手くいくかもわからない。しかし、他にアテもないし自分一人の力では限度がある以上、先輩たちの力を借りるほかないのだ。

 借りるためにも筋は通す。だからちゃんと菓子折りは包んだし、謝罪の言葉も原稿用紙にしたためてから頭に叩き込んだ。

 あとは思い切り──。勇気を胸に詰め込んで、階段下で赤青に光る『STARRY』のネオン看板を見つめて深呼吸する。

 

「……よしっ」

 

 一歩、

 

「まだ店開いてないですよ」

「──え」

 踏み出そうとした瞬間、後ろから声がかかる。突然声をかけられたことには大して驚かなかった喜多だが、振り返って、

「あああっ!」

 相手を確認してから目を真ん丸にして見せた。

「リョ、リョウ先輩……!」

「ん? ……あれ、見覚えある顔」

 

 こてん、と首を傾ける目の前の先輩は、深い青色の髪を肩までふわりと伸ばし、軽やかに立っていた。喜多はやや興奮気味に、だけど少し後ろめたさを持たせた声の調子で素早く頭を下げる。

 

「わ、私ですっ。喜多です! その節はたいへんご迷惑をっ!」

「……ああ」と。名前を伝えると先輩は思い出したような声を出して、思い出したような顔を作って、思い出したように手をポン、と叩いて、「思い出した」と実際に言ってきて、

「郁代だ」

「な、名前呼びはやめてくださいっ!」

 

 そこは思い出さなくていいのに、と歯噛みする。と、

 

「こらあっ、荷物持たずに先行くなぁーーーっ!!」

 

 後ろの方からどこかで買い物でもしてきたのか、大きめのレジ袋を両手に吊り下げながら走ってくる声の大きい金髪で小柄な女の子が一人。

 

「い、伊地知先輩……」

 

 もう一人の黄色い先輩は青い先輩の前まで来ると、ふくれっ面でどれだけ荷物が重くて運ぶのが大変だったかを懇切丁寧に説明し始め、

 青い先輩に促されて目線をこちらに向けて、

 五秒ほど硬直したあと目の前の相手が誰なのかを認識した様子で、

 声を上げた。

 

「ああっ、逃げたギタ───────────ッ!!」

 

 

 

 ※

 

 

 

「──本当にすみませんでしたっ!!」

 

 ホールまで案内され、二人の先輩に囲まれた喜多は、のっけから土下座をかました。

「なになにっ?」と虹夏が困惑し、肩をつかんで土下座をやめさせようとするが、喜多は地蔵のように床にへばりついてそれを拒否する。そのまま謝罪の言葉を並べ始めると虹夏は床に膝をついたまま黙りこくって、時おり優しく相槌を打ちながら喜多の話を聞いてくれた。リョウは終始無言で傍観していた。

 

「……そっか。本当はギター弾けなかったんだね」

 

 喜多の言葉が途切れると、落ち着いた声で虹夏はそう要約した。その落ち着きが果たして怒りによる自制的なものなのか、それとも単なる呆れなのか、もしくは納得なのか。どれなんだろうと目まぐるしい不安を抱きながら喜多は「はい……」と顎を引いた。

 と、虹夏がプシュー、と空気の抜けるような吐息を出した。次に「そっかあ……よかったよ」と心底安堵したような声を上げる。

「え……?」

 なにがよかったのか。目をぱちくりさせると、

「虹夏、すごく不安だったんだよ。郁代がいきなり消えて連絡もつかなくなったから。もしかして、バンドがイヤになっちゃったのかなってずっと思い詰めてた」

 リョウが近くにきて答えてくれた。

「先輩……」

「はは……あたしだけじゃなくてリョウもだけどね。──ずっと心配してたでしょ?」と虹夏はリョウを見上げる。

「うん。てっきり神隠しかなんかで死んだのかと思って、毎日お線香あげてた」

「いや勝手に殺すな」

 彼女のボケに虹夏が手刀で物理的に突っ込むのを見て、

「あの……怒らないんですか……?」

「ええ? 怒られたいの?」

 たじろぐ喜多に虹夏がおどけて返してくる。

「い、いえ……そうじゃないですけど。私、すっごくご迷惑とご心配までおかけしちゃって……なのに」

「いいよ。ギターに関しては気づかなかったあたしたちにも問題あるし、ライブに関してもまあ……もう過ぎたことだから」

 ケロッと虹夏は答えるが、最後の言葉の裏に相当な苦労があったのが透けて見えて、喜多は肩をすぼめた。

「本当にすみません……」

「あはは、いいって。こうしてわざわざ謝りに来てくれたんだし。それで十分だよ」

 

 その言葉で話がまとまりに入るのを感じ、喜多は体のこわばりが少し解けるのを感じた。ほっ、と息が出た。

 

「話終わったなら、はやくこれ食べよ」

 

 リョウが持ってきた菓子折りに興味を示してきたため、このまま三人でお茶する流れになる。ずっと地面に伏せていた喜多もようやく立ち上がり、椅子に座れる立場を得た。虹夏がペットボトルのお茶を持ってきてくれたので礼を言いつつ、緊張と暑さで失った水分を補給する。

 心に余裕が出てくると、訊きたいことも湧いてくる。喜多は虹夏とリョウの顔を交互に見たあと、

 

「あの。ところで、今のメンバーはお二人だけなんですか?」

「あ、うん……まあね」

 虹夏が苦々しく笑う。

「そうなんですか……」

「これでも一応、メンバー募集の宣伝はやってるんだよ? イソスタとかトゥイッターとか」

「あとは手描きのポスター作ったり」とリョウもせんべえを口で割りながらアンサーに加わる。

「で、結果はご覧のとおりなんだけど……なーんでこんなに人集まらないんだろ?」

「和気あいあいとしたフレンドリーでアットホームなバンドなのにね」

「えと、それじゃあライブとかは……?」

 そろりと喜多が訊ねると、

「できてないね〜」

「やってない」

 同じ意味の回答が二人から返ってくる。やっぱり、と思った。

「いやあ、一応できなくもないんだけど……リズム隊だけだと盛り上がりに欠けるしさ。やっぱギターは欲しいなって思って」

「私はそういう尖ったのも悪くないと思うけど」

「リョウの感性は普通じゃないからなあ」

 

 嬉しそうにニヤけるリョウを尻目に、喜多は下唇を噛んだ。これはチャンスかもしれない。ここで今、自分が最近がんばってギターの練習していることをアピールできれば、バンド復帰への足がかりになるのでは。

 よし──。

 

「そうなんですねっ。たしかにギターやってる人って少ないですし、見つけるの難しそうですね〜」

 ちょっとわざとらしいが、まずはこれで自分に注目を集めさせようと思う。

「いや、ギター人口はめちゃくちゃ多いよ」

 が、さっそくリョウのマジレスが喜多の知ったかを撃破してくる。

「あ、そ、そうなんですか? えっと、でもお二人の近くにはギターやってる人いらっしゃらないんですよね? ──でしたら、」

「ううん。あたしの友達にギターやってる子いるよ。しかもけっこう上手いの」

 今度は虹夏に希望を打ち砕かれる。

「……あ、そう、ですか……」

 そして喜多は撃沈した。ずん、と顔が下に向く。どうも上手くいかない。

「ていうか、その人スカウトすればいいのに」

 リョウがもっともなことを口にする。

「んー、誘ったんだけど勉強優先したいんだってさ。仕方ないよ」

「ふんっ、つまらん生き方よ。ロックに生きろ、ロックに」

「本人に言ってやりなよ」

「友達じゃないから無理」

「──あのっ、すみません。お二人にお話が!」

 立ち上がった。色々考えてみたが、もう小賢しい真似はやめだ。ド直球に伝えることにする。

「え、なに?」

「じ、実は今日ここに来たのは、謝罪もそうなんですが、お二人に折り入ってご相談したいことがありましてっ」

「相談?」

 二人が声と顔を揃えて見てくる。

「はい。実はあの……私、最近になってちゃんとギターを弾くようになりまして……!」

「へえ。なに弾いてるの?」

「こら、今は話聞くっ」

 肩を小突かれて、リョウが口を閉じる。

「まだまだ実力不足ではあるんですが。そ、それでも……それでもよければなんですがっ、」

 喜多はぐっ、とつばを飲み、

「わ、私をもう一度、『結束バンド』のメンバーに加えていただけないでしょうかっ?」

 

 ぴたりと空間が静まり返る。

 ジワジワ、と。それまでは背景のノイズとして埋もれていたセミの声が、急に意識の表層に届いてくる。少し汗ばんでいた服が冷房で冷やされ、ゾクッと体を震わせる。

 喜多は無言の二人を見つめた。

 虹夏は白昼夢から覚めたような顔つきで、まぶたを瞬かせていて。リョウはあまり変わらない表情の中で、口だけが意外そうに開いていた。

 

「……それは本気で言ってんの?」

 

 先に言葉を発したのはリョウの方だった。喜多は彼女の方に向き直り、上下の歯を全て噛み合わせて、

 

「は、はいっ。本気です」

「……ふうん」

 リョウは虹夏に顔を向けて、

「──だってさ。どうする?」

「そ、そうだねえ……うーん」

 その一言だけ聞くと、ふたたび喜多に向き直る。

「リーダーが難色示してるようだからダメだね」

「えっ……」

「こらこらっ、勝手なこと言うなっ」

 虹夏がリョウの頭を鷲掴みにする。

「でも即決できないってことは、迷いがあるんでしょ?」

 これに虹夏は否定せず、口を一の字に結んだ。それから、今度は喜多の顔を見てくる。

「……なんで、戻りたいって思ったの?」

「あ、それはっ」

 

 しまったと思う。戻りたい理由について訊かれた際の答えは考えてなかった。冷や汗が額ににじむ。

 どうする。正直に答えるべきか。しかし、このシリアスな空気で「文化祭のため」と宣えるメンタルなど持ち合わせていない。

 

「それは──、あの、私、お二人にご迷惑をおかけして……その、少しでもなにかお詫びができたらな、と……」

 

 なんとか作り上げた言葉を口にしてから、喜多は「これはまずいんじゃ」と直感した。みそぎのためにバンドに戻りますなんて聞かされて、いい気分になるはずがない。

 

「は、なにそれ?」

 案の定、リョウがやや鋭い物言いになる。

「罪滅ぼしのためってこと?」

「い、いえ、その……っ」

「そんな理由なら私は反対。真剣にやってるウチらに対して失礼だって思わない?」

「ご、ごめんなさいっ。私、そんなつもりじゃっ」

 

 急いで取り繕おうとする。頭を必死に動かす。しかし、浮かんでくる言葉はどれもこれも何かしら刺激を与えかねないようなものの気がして、喜多は軽くパニックに陥った。

 少しして、リョウが呆れたようにため息をつく。

 

「……もういい。私、行く。あ、お菓子はありがとう。また買ってきてね。次は甘いのがいい。──それじゃ」

 そして、席を立とうとする。

「はい、一旦おちつけ」

 が、その両肩を虹夏がつかんで、無理やり椅子に座り直させた。

「なに? 私は珍しく真剣に怒ってる」

「図々しくお菓子の催促しといてなに言ってんの。あと、さり気なくお菓子全部もって行こうとすんな!」

 リョウが背中に隠し持っていた残りのせんべえの袋を取り上げる。

「ああ……っ、ひどい」

「ったく。……ああ、ごめんね喜多ちゃん。強い言い方しちゃって」

 ぺしぺしとリョウの頭を叩きながら虹夏が眉根を下げる。喜多も同じくらいに眉根を下げて、

「いえ……私のほうこそ、すごく失礼なことを……」

 一緒に頭も下げる。本当にバカなことを言ってしまった。

「まあでも……ごめん。あたしもリョウとは同じ意見かな」

「…………はい」

 テーブルと頭を平行にしたまま、喜多は返した。虹夏がすごく言葉を選んで気遣ってくれているのがわかって、申し訳なさで心が辛い。

「メンバーは欲しいっていうのが本音だよ? 特に、ギターがいてくれればまたライブもできるし、もっともっと活動を広げていくこともできる。──でも、」

 彼女は少しだけ声のトーンを落として、

「あたしは……喜多ちゃんのことを、まだ受け入れることはできないかな」

 

 それも本音だろうと喜多は思う。

 ギターは欲しいけど、自分はいらない。それが二人のウソいつわりのない本意なのだ。

 気まずい雰囲気になったのと、店長から「そろそろ準備はいれ」と言われたのをきっかけに、お茶会はそこで終了となった。

 喜多は別れぎわに、もう一度二人に深々と謝罪をしてからドアに手をかけた。

 

「喜多ちゃん。よかったらまた遊びにきてね?」

 振り向くと、虹夏が笑いかけてくれていた。喜多もなんとか口角を上げて、

「は、はい……またいつか」

「うん、また」

 そしてライブハウスを出た。

 

「…………はぁ」

 

 失敗だ。

 大失敗。

 まだ断られるだけならよかった。しょうがないよなあ、で済ませることができた。だけど、自分の失言のせいでこんなギクシャクした関係になってしまったことが許せない。

 手のひらでグリグリとこめかみをいじめる。バカバカっ。なんであんなこと言っちゃったのよ。もっと考えてから話しなさいよ、もう──。

 しかしいくら自分を痛めつけても、解決策は降りてこない。

 降りてきたのは「信用」という言葉だけ。きっとこれだと喜多は感じる。

 そもそもの話、自分に信用がなかったのが悪いのだ。ライブで逃げ出して、地に落ちた信用のまま二人のもとに平然と現れたのがいけなかった。そして、最後のお詫びのため発言。それがダメ押しになってしまったのだ。

 

「…………はぁ」

 

 今さら彼女たちから信用を取り戻すことなんてできそうにない。また菓子折りを持って遊びに行って、交友を深めることはできても、それで信用は得られない。

 どうしよう。

 どうすればいい。

 どうすれば。

 ジワリ。

 どう、

 

「──きゃっ!?」

 

 思考の中にセミの声が挟まった。ビクッと体が跳ね上がる。近くの電柱にとまっていたイタズラゼミが喜多の目の前を横切った。「ざまあみろ」と言わんばかりにヤツはバタバタ羽を鳴らして、次の止まり木を探しに飛び去っていった。

 びっくりした。そして、彼らの声はやはり暑苦しい。引っ込んでいた汗がまたにじみ出てくる。後ろのギターケースにも汗が()みて──。

 

「……ギター……」

 

 べつに忘れていたわけではないが、喜多はふとギターの存在を思い出した。弾いてみてよ、と言われることを見越して持ってきたが、結局使わなかったな──。

 

「…………そうだ」

 

 一つ。

 インスピレーション的に思いついたことを、喜多は掘り下げて考えてみた。

 難しいだろうと思う。でも自分の努力次第で、いくらでも可能性は高めることはできるはずだ。

 よし、やってみよう。やるしかない。

 信用がないのなら、新しい信用を作り出せばいい──。

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