俺は不老不死だ。今この時間まで700年以上生きてきたし、何より微かな衰えすらも感じさせないこの体が証明してくれている。長い間人生を歩んできてつまらない事は無かった。寧ろ楽しいぐらいだ。親族間の交流が減少した現代日本の中で、肉親以外に失うものは無かった。父親、母親、妹、弟と次々死んでいくのは少々辛かったが、乗り越えてしまっては何の苦にもならなかった。まさに無敵だ。
傷付くことのないこの体は、危険な作業現場でとても重宝される。指を切れば瞬きする間に治癒しているし、危険な薬品を舐めても数秒間舌が痺れるだけだ。職には困らなかった。それでも、俺の暮らしに完全な安寧がもたらされる事は無かった。それもこれも巷で力を振るっている『能力者』とか言う連中だ。奴らはこの世は神によって操られているだとか、地球は虚構が蔓延っているとか言って世界を混乱に陥れた。しかし、不老不死でも只『死なないだけ』である俺は、この地球に頼らなければならなかった。
それ故に、あれよあれよという間に暴走する世論に流されていった。
俺は後悔した。何故普通の人間達からの繋がりを絶たなかったのか。戸籍を偽造してまで、社会に溶け込もうとしていたのか。そのどれもが、自分で選択した事だというのもにわかには信じ難かった。そして漸く重い腰を上げ、俺は日本を出た。当時は誕生した年から既に500年以上経っていたため、火星に飛んでいくのも難しくなかった。流石にそこまではしないが、少しの間俗世から離れ、休養するといった目標を掲げ、ロシアへと向かう事にした。あの広大な土地なら、暫くは情報の遮断も出来るだろう。
そこから50年程経っただろうか。『能力者』とやらは同じ様に不死なのかまだ生きていたようで、久しぶりに聞いたラジオの中で「神を討伐した」などと巫山戯た事を言っていた。世界三大宗教が軒並み憤死しそうなこの発表に世界がどう対応するのか見ものだと思ったが、普通の人間が営む社会に溶け込むのは面倒くさかったのでロシアから出ることはなかった。
そしてまたまた…今度は70年ぐらい経っただろうか。唐突にロシアが灼熱地獄になった。正しくは『常夏になった』という表現が正しいが。何故か地軸が傾き、世界中で異常気象が発生しているのだとか。俺は不老不死なので問題無いが、ちょっとだけ日本の事が心配になった。微かに残っていた愛国心に少し驚きはしたものの、何かが変わると言う事は無かった。
次は何と6ヶ月後。急に人類移住計画なるものが始まった。『能力者』が持つ全ての力を結集し新たな惑星や恒星を創り出し、人類を軒並み移住させるという馬鹿げた計画だが、何と決行されてしまった。流石の俺もそこまで不干渉を貫く事は出来ず、渋々と引っ越しの準備を始める事になった。
そして宇宙船に乗り移住した俺は―――職無し、金無し、戸籍無しの三拍子を揃えた浮浪者になってしまった。不老者だけにってか。
これは西暦2730年、日本地区東京区域に存在するハローワークで発せられた心の叫びである。
◆◇◆◇
「…で、何か手に職を付けたいのですけれども」
「無理ですね。それよりも戸籍が無いって、怪しすぎますよ。何処かから亡命でもしてきたのですか?」
「そう、そうなんです!ちょっと前までロシアに居まして、暫く日本に帰ることが出来なかったんですよ!」
「そうなんですか。…まあ、それでも今の私に対応できる事は無いですから、区役所に言って相談して来て下さい。登録するのはその後ですね」
「はい…」
という訳で、早速移住生活に躓いてもう6ヶ月である。様々な区域のハローワークに行ったのだが、その全てで『区役所に相談して下さい』と言われた。惑星が変わってもお役所仕事は変わらないようで何よりだ。
前述の通り、俺は戸籍を持たずに今まで過ごしてきた。元の戸籍では死亡した事になっているので不老不死であることもバレていないし、今更自分の特性を話す気にはなれない。何処か戸籍がない人間でも雇ってくれる場所は無いのだろうか。手元に残っているのはもう使えるか分からない一万円札が3枚あるだけだ。今の紙幣はとっくのとうに使い果たした。仮にこの一万円札が使えたとして、限界まで消費を抑えたとしても生活を続けられるのはあと3週間が限界だろう。
これからは乞食生活か…と嘆いた俺は、一先ず現実逃避に走ることにした。600年前でも今でも、結局頼るのは酒である。明るい気持ちにして、僅かな間ではあるがどうでもいいような気になれる。こういう時だけ決断力の早かった俺は、早速酒が飲める場所を探した。まばらに設置されている時計はもう7時を指していたので、そろそろ飲み屋でもバーでも開いている時間帯だろう。
この東京区域にはまだ明確な土地の区別が無い。町の名前も決まっていない場所が多く、『あの飲み屋街』とか『〇〇ビルが建ってる所』とかと呼称される事が多い。平安京の如くマス目状に分けられたこの場所は逆に迷いやすいと言っても過言ではないだろう。俺はそんな場所を練り歩いているのだが、意外と良さげな店は直ぐに見つかった。
『BAR AMATERAS』
店名のモチーフはあの天照大神だろうか。神の存在が肯定され、そして倒されたであろう今の世の中では、神話は基本的に語られない。『神は死んだ』なんて物が本当に実現したのは少し驚いたが、それに加えて宗教まで衰退するとは思わなかった。今や神社こそ存在しているものの、験担ぎに使われるとか、『思い込みのおまじない』の部分が大半を占めている。そんなお陰で今の日本人の多くが知っているのは以前から知名度が高かったお稲荷様だけである。
こう思い返してみると、益々店に入りたくなってくる。わくわくしたまま店のドアを開け、俺は意気揚々と店の中に入った。
店内はよく見るバーと同じ様な物だった。時間が早かったみたいで、客はまだ居なかった。店主は誰かと思うとカウンターに一人、可愛らしい少年(多分)がちょこんと立っており、グラスを磨いていた。俺は取り敢えず何か注文しようと、カウンター席に座った。
「いらっしゃいませ。この店は初めてで?ボクはここで店主をしている、
「む、ああ。一番強い奴を一杯」
「本当に?」
「本当に」
「変わったお客さんだねぇ」
「初対面で変わってるとか…」
いや、確かに俺は変わっているかも知れない。長く生きてきた影響か、強い酒でしか酔えなくなってしまったのだ。確かに他の酒でもほろ酔い程度にはなれるが、如何せん刺激が足りない。
「はい、スピリタス。だけど何か色々改造された奴みたいでね、アルコール度数が99%なんだ。ストレートで良いよね?」
………確かに強い奴とは言ったが、まだ現存しているとは思わなんだ。
いや、呑むか。
◆◇◆◇
「いやぁ〜それでな?ドイツもコイツも『区役所に行け』って!酷いと思わないか?こっちは6ヶ月もホテル生活だってのによぉ!」
「そうだね」
「今の野郎共と言ったらみょうちくりんな格好した奴らばっかりでさぁ…懐古主義なのかなんなのか知らんが和服が私服の奴らまで居やがる。一体何時の時代の奴なんだよ!」
「そうだね」
「誰か何処でも良いから雇ってくれよぉ〜…」
「そうだね」
「…俺が何をしたって言うんだよ…こんな酷い人生になるなんて…」
「そうだね」
「誰でも良いから助けてくれよ…俺が悪いのは分かってるから…」
「うん、そうだね」
「Zzz…」
「制服もう一着、あったっけ…」
◆◇◆◇
…酷く頭が痛い。一体俺は昨日何をしたんだっけな…
朧気な意識の中なんとか意識を保たせた俺は、冷えたカウンターの上で熟睡していた事に気づく。無性にしじみ汁が飲みたい気分だったが、次の瞬間に出されたのは透き通るような水だった。
「おはよう。随分と長い間寝ていたみたいだけど、体調は大丈夫かな?取り敢えずお水飲みなよ」
「あぁ、ありがとう…」
水を飲み干した事で、漸く記憶が自分の元に戻ってくる。確か、スピリタス(改造)を三本飲み干し、そのまま深い眠りに就いたのだ。何を話していたのかは覚えていないが、どうせ碌な事を言っていないだろう。羽間と言ったけか…彼にも迷惑を掛けてしまったようだ。俺はコップを置き、謝罪をしてさっさと後を去ろうと考えた。
「すまない。あんな調子乗ったこと言ってこんな惨状に…代金は払うから…」
「いや、その必要は無いよ。これからの手付金だと思って貰えれば」
「え?」
「貴方が言ったんだよ?ボクの店で働かせて下さいって。言質は取ってあるから」
ギャグ漫画もびっくりの急展開である。目が覚めたら就職先が決まっていたというのは夢にも見たことだが、いくら何でも呑んだくれの小言一つで雇用を決定するとは思わなかった。それほど店の経営が切羽詰まっているのだろうか?いや、店の内装を見ればそれなりに稼いでいる事は分かる筈だ。では、何故?
「貴方は面白い人間だったから雇う。それだけの事だよ。そんな難しい顔をしてもそれ以上の答えは出ないよ?」
「俺が、面白いか」
「そう、とっても」
ならば断る理由は無いだろう。酒を呑むだけで就職先が決まったと考えれば僥倖だろう。
「そうだ。ボクはまだ貴方の名前を聞いていなかったね?」
「名前?ああ、働くなら必要になるか…」
「俺の名前は
「いい名前だね」
そういえば、バーか…酒ってどうやって作るんだ?
◆◇◆◇
誰も居なくなった昼頃のバーカウンターに、時代遅れの旧札が三枚置いてある。
「まさかこんな昔のお札を使う人が居るなんて…もしかしたら、ボクと同じ人種なのかな?」
どこか悲しそうな表情の福沢諭吉を裏返し、“彼女”は買い出しへ向かおうと準備を始めた。
「まあ、ゆっくり観察してみよう。100人居ると言われている『原初の能力者』の最後の一人は不老不死なんだから、時間は無尽蔵にある」
使える旧札は渋沢栄一からという事を言おうか迷ったまま、店を出る彼女であった。