『魔法使い』がフォンテーヌ勢の心をぐちゃぐちゃにする話 作:性癖に従え
そちらの方を一読していただけると助かります
注意書きを無視した際の批判、中傷は受け付けません
それでもよろしければ、読んでいただけると幸いです↓
「い゛っっっっでぇ゛!!」
びたん、という音があたりに響き渡る。
唐突に背中から硬い床に打ち付けられ、痛みのあまりにゴロゴロとその場を転がるオレ。その様子を、呆れたような目で見てくる青と水色のオッドアイの瞳と、海の中のドラゴンガーネットの観察するような瞳。もはや慣れ切った、と言わんばかりの二人に、オレは痛みをこらえながら右手を挙げて、挨拶をした。
「ひ、久しぶり、になるのかな?こんにちは、フリーナ、ヌヴィレット君」
「こんにちは。本当に、君は突然現れるね、縁」
「こんにちは、縁」
初めて会った時と変わらないフリーナと、背丈が高くなったヌヴィレット君。相も変わらず、パレ・メルモニアの装飾品は豪華なままだった。
あれから、オレは定期的にフォンテーヌに、正しくは二人のもとへとやって来るようになった。
初めて二人と出会って、謎の物体から放たれる光に呑まれて、自分の家に戻って来た結果、気絶に近い形で寝たオレ。朝起きたら、その金平糖のような、虹色の謎の物体が複数入っているガラス瓶を手に持っていた。思わずびっくりして勢いよく放り投げてしまったが、そのガラス瓶が割れることはなく。かちゃかちゃと中にある虹色のそれは、きらきらと輝いていた。そしてそれは、フリーナとヌヴィレット君、二人に出会い、話したことを証明するのに等しいものだった。
その謎の物体……面倒だから金平糖でいいか。食べれないけれど。それはオレの目にしか映っていないらしく、友人に金平糖が見えるかと聞いても「何も見えない」と首を傾げられてしまった。そして「大丈夫か?酒でも飲んだか?」と逆に心配された。オレが酒を飲んだら大惨事になると知ってるくせに。
とまあ、そんな事情は置いておいて。
どうやらその金平糖はオレをフリーナとヌヴィレット君たちのもとへと連れて行くアイテムらしく、その金平糖が一つ光ると同時に、彼女たちのもとへと飛ばされるのだ。ちなみに光るまでにカウントダウン的な数字が浮かんでくる。脳内に。それが慈悲なのかどうかは全然分からないが、その間に急いで準備をしてたりする。主に二人にあげる用のお菓子とか、水とか。
一方、フリーナとヌヴィレット君はオレが来ることを前日に何となく察し、さらに二人にもカウントダウン的な数字が見えるらしく、基本的によっぽどの理由がない限り、パレ・メルモニアの執務室に滞在してくれているらしい。必ず、オレがそこに落ちてくるから。なんで落ちてくる形なのかは、誰にも分からない。
そして毎回毎回、オレは決まって背中を強打している。
「えっと、今回は前回からどれだけ過ぎてる?」
「前回の君と出会ったのがあの月だから……約一ヶ月ぶりかな?」
「私もそう記憶している」
「い、一ヶ月かぁ……。こっちとしては三日くらいの間隔なんだけど、そんなに経っちゃってるのか……」
そう、決まってオレが二人のもとへやって来るのは、家にいる夜の時間の完全なるランダム。滞在できる時間は、虹色の金平糖と同時に現れた、砂時計の砂が落ちるまで。その砂が多い時もあれば、少ない時もある。法則性がいまいちわからないから、いつもいつもどのタイミングで帰るか分からないからドキドキしている。
そして、オレの住んでいる世界と、二人の住んでいるテイワットという世界の流れる時間は、どうやら違うらしい。いや、正しくはオレがテイワットのどの時間軸に飛ばされるか分からない、と言った方が正しいだろうか。……自分でも考え続けると頭がバグりそうになるので深く考えないようにしているが。そしてかれこれ、オレと二人は、二人の時間間隔で言えば二十年くらいの付き合いになるらしい。あと、そろそろオレは背中を強打しないための受け身を習った方がいいのかもしれない。
「『ああ、そうだ。今回はこれを持って来たのさ』」
わざとらしく、初めて会った時の『魔法使い』の『役』をしながら、ごそごそと、バッグとは別に持ってきた袋から目的のものを取り出す。そしてそれらを二人に差し出せば、フリーナは嬉々として、ヌヴィレット君は無表情のまま、受け取ってくれた。
「うんうん、僕への貢物として、それはそれは素晴らしいものを持ってきてくれたんだろうね、魔法使いくん!この水神であるフリーナに相応しいものを!」
「『ふふふ、その中身は抹茶味のチョコレートと、生大福さ。チョコレートの方は私の魔法で二週間くらいは平気だが、生大福は早めに食べることを勧めるよ』」
「縁、これは?」
「『そちらは私の国の有名な山の雪解け水さ。透き通った、貴重なものだからね。魔法薬にはぴったりの材料だ。特別に、アンタにも分けてあげよう』……ヌヴィレット君、いつも言ってるけど、お願いだからこういう時はノってよ。オレの演技がスベってるみたいな感じになるじゃん……」
「ヌヴィレットにそれを求めるのは酷だと思うよ、縁」
「そもそも、私は君のその演技は必要ないものだと思うのだが」
「お願いだから身も蓋もないことを言わないでぇ……」
来るたびにお土産を持って来ているので、オレは前回送ったお土産の感想を聞きたいついでに『魔法使い』の『役』を演じて渡しているのだが、フリーナは結構いい反応をしてくれるのに、ヌヴィレット君は無表情のまま、演技をスルーしてくる。しかも「その演技に意味はあるのか?」と身も蓋もないことを言われて撃沈したのも一度や二度ではない。
だからこそ、そんなヌヴィレット君の表情や感想を良いものに変えるために頑張って毎日練習もしているのだが、なかなか良くならない。むしろお土産で持ってきた方の水の感想を饒舌に言ってくる時が多い。オレの演技は水に負けるのかぁ……と遠い目になったのは秘密だ。まあ、本人が『水龍』という種族で、誰よりも水を愛しているから仕方ないと言えるのだが。
それに、躍起になって練習していることで、『役』への入り方がもっとわかりやすくなってきた。相変わらず即興ネタをする技術はないが。
「そういえばだけどさ、ヌヴィレット君」
「なんだ、縁」
「また身長伸びた?」
ひょい、と自分の手を並行にして、ヌヴィレット君の頭の上に伸ばす。やっぱり。前は背伸びしなくても届いたはずなのに、今じゃほんの少しだけど背伸びしないと届かない。最初の頃はオレよりずっと身長は下だったのに。『水龍』もやっぱり成長するんだな、と今更ながらに思った。
「そうだよ。ヌヴィレットはここ一ヶ月でさらに身長が伸びていたよ。まるですくすくと水を与えられて成長していく、ロマリタイムフラワーのように」
「いいなぁ。オレも、もうちょっと成長したい」
「背が高くなることで良いことがあるのか?」
「んー、そうじゃなくて、なんというか、個人的にさ」
こてん、と首をかしげてるヌヴィレット君と、その横で同じようにこちらを見ているフリーナを見つめる。
「オレはずっと、二人にとって、頼り甲斐のある『魔法使い』でいたいなぁって」
何度もこの世界にやって来て、二人と会話して。関係性は、会うたびに、少しずつ変わってきている。そして、二人の性格も、オレは少しずつだけど、分かってきている。お菓子や甘いものが好きで、神様として優秀な存在でいようとしながら、時々どこか遠い目をするフリーナ。無表情で、厳かで、けれど水に関しては饒舌になって、微笑むヌヴィレット君。二人ともオレにとっては、あの日、初めてあった日から変わらない、かわいい子たちなんだ。
オレの発言に、ぽかんと口を開けるフリーナと、きょとんと目を瞬かせるヌヴィレット君。先に口を開いたのは、ヌヴィレット君だった。
「私たちが君に頼られることはあっても、頼るということは一度もなかったはずだが」
「うぐっ」
「そもそも、僕たちの方が君よりもずっと『魔法使い』みたいなことができるよ」
「ごふっ」
容赦ない言葉に、胸を押さえる。そりゃ、言われたことは否定できない部分もあるけどさ!でも、こう、プライドみたいなものがあるだろ!?年下の子たちにはしっかりとした姿を見せたい、頼り甲斐があるって思わせたいってのがさ!え、あっちの方がオレよりもずっと年上?そんなの分かってて言ってるんだよ!
ずーん、と影を後ろに抱える。こういう時に限って、砂時計の砂はまだ落ち切っていない。話し足りない時に限って、すぐに落ちてしまうときもあるくせに。なんでこう、上手くいかないんだろう……。ぐすん、と泣きそうになっていると、不意に小さな笑い声が聞こえた。そっちを見れば、オレの情けない顔を見て我慢できなくなったのか、フリーナは、彼女は盛大に笑い出した。
「あはははっ!すまない、ヌヴィレットと共に少々揶揄いすぎてしまったようだ!」
「フリーナ、私は別に揶揄ってなど、」
「ああ、君がしゃべると色々と面倒になるから、ヌヴィレットは黙っててくれたまえ」
なぜ、と再度首をかしげているヌヴィレット君の口を封じると、フリーナは笑いすぎて出てきた涙を拭い、面白おかしそうに言葉を紡ぐ。あの時見た笑顔と、同じまま。
「安心するといい、縁。僕は君を『魔法使い』としては認めてないが、『偉大なる魔法使い』として認めているよ!」
だから、そんな顔をする必要なんてないんだ!
まるで舞台に上がった主役のような、堂々とした佇まい。そして言葉に込められるのは、親愛と友愛の感情。心のやわい部分に触れるようなそれに、どくりと心臓が脈打つ。
そんなオレの状態に気付いていないのか、それとも気にしていないのか。くるりとフリーナはその場で回ると、ヌヴィレット君の顔を覗き込んだ。
「君はどうなんだい、ヌヴィレット。あの『偉大なる魔法使い』に、何か言うことは?」
その問いかけにヌヴィレット君は少しだけ目を伏せる。そしてその目をこちらに向けると、少しだけ抑揚のある声音で言葉を紡ぐ。長く一緒にいないと分からないくらいの、声音で。
「そうだな。縁、私は君のことを『頼り甲斐のある』人間だとは思っていない。しかし、『信頼に値する友人』だと思っている」
その言葉で充分だった。
胸に宿った暖かいものが、あふれ出そうになる。先ほどとは別の意味で流れそうになった涙をこらえ、二人のもとへと歩く。そしてフリーナの右手を、ヌヴィレット君の左手を握る。二人は抵抗しなかった。
「ありがとう、二人とも。それだけでオレ、すっごく嬉しいよ」
誰かの『役』が得意なはずのオレの笑顔は、情けないものだったんだろう。
それでも、二人は笑うことなく、その手を握り返してくれた。
「――――ある街の柱の上に『幸福な王子』と呼ばれる像が建っていました」
パレ・メルモニアの執務室にて。
今日の仕事が終わって、少し後。今日、オレが持ってきたお土産である水を飲み干し、ほっと息を吐いたヌヴィレット君のその息を合図に、ヌヴィレット君へソファへと座るようにと手招きをする。かつかつと、素直にやって来て、ソファに座った彼の横で、オレは同じく持ってきた絵本を開く。『役』にしっかり入り込めるように、事前に練習したんだ。うまくいくはずだ。一呼吸おいて、その物語を紡いだ。
そもそも、なぜオレがヌヴィレット君にこうやって物語を読み聞かせているのかというと、他でもないフリーナからの頼みだったからだ。前から感情の起伏がない、感情を学んでいる最中という情報を聞いていたが、急遽、色々と事情が変わったらしい。オレの持ってきた物語で、彼の情緒を育ててほしいと。まあ、端的に言うと情操教育をしてほしいと頼まれたのだ。そしてその『役』に、オレがぴったりだったというわけだ。
オレとしては世話になっているフリーナに直々に頼まれたし、なによりヌヴィレット君のために、ひいてはフォンテーヌのためになると聞いたので、進んで了承させてもらった。
なので、ヌヴィレット君が仕事が終わり、その後の休息の時間を少しだけ頂き、物語を読み聞かせるようになったのだ。……反応はイマイチの時が多いが、まあ、それは慣れているのであまり気にしていないが。
「――――こうして、王子様とツバメは幸せになりました。めでたし、めでたし」
最後の文章を言い、絵本を閉じる。
今回の童話は、『幸福の王子』だ。銅像である王子と、ツバメが中心の物語。
幸福の王子は自らの宝石であるサファイアの目や剣についているルビーを、体を覆う金箔を、大切に思っている貧しい民へとその身を削って与えていく。そしてその与える役目を担ったのが、渡り鳥であるツバメ。最初は寝床の礼だと言って王子の頼みを聞いていたが、徐々に身を削っていく王子の姿に共に過ごす覚悟を決めたツバメは、街にいる人たちの話を王子に教え、仲を深めていく。しかし、冬になったころには、貧しい人々のために自分の身を削りすぎた王子の体はみすぼらしい姿になり、ツバメは冬を越すことができず、最期の力を振り絞って、彼に口づけを送り、ぱたりと落ちてしまう。足元でツバメが死んだと同時に、王子の鉛の心臓は寒さで砕けた。
そうして銅像として機能もしなくなった王子と死んだツバメは、心無い人々によってごみのように捨てられる。しかし、天上からすべてを見ていた神様が天使を遣わし、二つの魂を楽園へ招待する。そして末永く、一人と一羽は幸せに暮らした、という話だ。
自己犠牲と博愛と悲しみが織りなす物語。
恥ずかしい話だが『役』に入り込む練習をしている際、何度もオレは泣いた。泣いて泣いて泣いて、瞼が腫れるまで泣いた。けれどそこまで来たら意地でも『役』に入り込み、読み聞かせで人々を泣かせようと決意した。実際、朗読では友人たちは号泣し、子供たちへの読み聞かせでは職員さんすら号泣していた。あの時は本当に申し訳なかったと思う。
そんな物語を、本気で『役』を演じながら紡いだ。
若干涙で滲む視界の中、ちらりとヌヴィレット君の顔を窺う。でも、ヌヴィレット君は無表情のまま、何も言わない。ああ、やっぱり今回も響かなかったかぁ、とがっくりと肩を落とした時だ。ぽつり、とヌヴィレット君が呟いた。
「なぜ、幸福の王子は、幸せだったのだろうか」
少しだけ首を傾げ、心底分からないというように言うヌヴィレット君の姿に、言葉に、目を見開く。読み聞かせの時「なかなか興味深い話だった」とは言うが、具体的な感想は言わないヌヴィレット君の、心からの疑問。ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。
「自らの身を削り、最期には愛する者も、命さえも失った。誰にも感謝されることもない。その献身が、知られることもない。そうなることを分かっていたのに、なぜ、そのようなことを」
「私には、理解できない」
こちらを見てくる綺麗な瞳。その瞳から逸らさぬよう、彼の疑問に答えるために、オレはこの物語を読んでからずっと思っていたことを口にした。
「きっと、王子が『ツバメも人も愛していた』からだよ」
思ったよりずっと、おだやかな声が出た。けれど、この声音の方が、きっと伝わりやすいから。ヌヴィレット君の瞳を見ながら、オレは言葉を続ける。その瞳に映るのは、少しだけ情けない顔をするオレの顔だった。
「オレもずっと、疑問に思ってたんだ。なんで王子はこんなことができるんだろうって。自分の大事なものを失って、何も見えなくなって、最期にはすべてを失うことを分かっていたのに、どうしてここまでできるのかって。考えて、考えて、『役』に入り込もうとして、気づいたんだ。すごく単純で、ありきたりな理由」
そっと、隣にいたヌヴィレット君の手を、オレの両手で包む。人間ではないヌヴィレット君の体温は、冷たい、オレとは違うものだ。けれど、そんなことはどうでもいいんだ。違う種族だろうと、なんだろうと、オレのこの思いは変わらない。
「『愛している』から、できたんだよ」
親愛だろうと、友愛だろうと、恋愛だろうと。あたたかな感情のどこかには、必ず「愛」がある。オレの友人たちに向ける友愛も、子供たちに向ける親愛も。そして二人に向ける愛情も。それらは大切で、胸の奥をあたたかくさせるもので、失ってはいけないもの。失いたくないもの。
「…それは、ツバメも同じだったのか?」
「そうだと思う。ツバメも、王子を『愛していた』だから、最期まで傍にいることを決意したんだ。自分が死ぬことを分かっていながら、な」
物語に出てくるツバメも聡明だ。だから、これ以上王子のもとにいれば、自分が死ぬことを分かっていた。けれど、離れるという選択肢を取らなかった。何故かって?そんなの、同じく単純な話だ。王子のことを「愛していた」それだけのことだ。そして、それだけの理由で命を懸けたツバメの思いを、王子は受け取った。その一人と一羽の思いは、誰も否定することは許されない。
「って、まあ、オレの勝手な解釈だから、もしかしたら作者の人は違う思いで書いていたのかもしれないけどさ、」
そう、これはオレの勝手な解釈と、思いだ。もしかしたら、王子とツバメの間には「愛」なんてなかったのかもしれない。王子の街の人たちを助けたかった理由も、違ったのかもしれない。
けれど、願う。願ってしまう。自分勝手な、最低な願いだけれど。
「いつか、ヌヴィレット君にも、分かるよ」
目の前の男の子が、その「愛」を理解してくれたら、嬉しい。そして、愛する相手を見つけてくれたら、オレは幸せだ。きゅ、と両手で包んだヌヴィレット君の手。その手がいつか、あたたかくなれば、嬉しいなぁ。
そんなことを思いながら、祈りを捧げるように、その手を自らの額へと押し当てる。それを、ヌヴィレット君は黙ってその行為を許してくれていた。
「ふふん、流石は縁だね。僕を満足させることができるケーキを、用意することができるなんて」
「喜んでもらえてなによりだよ、フリーナ」
招待されたフリーナの自室にて。
テーブルに鎮座している、オレがお土産に持ってきた、抹茶がたくさん使われたケーキ。それを頬張りながら上機嫌に笑うフリーナに、オレはくすりと笑い返した。
今回やって来た際、どうやらヌヴィレット君は用事があったらしく、不在だった。代わりにいたのが、オレがやって来ると分かっていたフリーナで。何回も背中を叩きつけられた結果、受け身を取ることがようやく上手くでき始めたオレの手にあるお土産を見て、目を輝かせた彼女は、自室へと招待してくれた。せっかく二人で食べるのだし、執務室で食べるのは仕事の空気があって、お土産を美味しく食べれない、と言ったためだ。フォンテーヌの水神がそれでいいのか、とツッコミを入れそうになったが、せっかくだからということで、フリーナの招待を了承したのだ。……それに、オレとしても聞きたいことがあるから、都合が良いとも言える。
「君の用意するスイーツ……抹茶、と言うんだっけ?少し甘く、ほろ苦く、しかし後にひくこの爽やかさがなんとも言えないね!しかも今回のケーキの出来は、前回よりも良いと思える。まるで、そう、スランプという殻を破った舞台の主役のようだ!」
「まあ、今回は臨時収入があったから、ちょっとだけお高いお土産を用意させてもらったよ。そこまで喜んでもらえるなら、なによりだ。一応、ヌヴィレット君のために用意した水も奮発したから大事に飲んでくれって、頼んでもいいか?」
「ああ、もちろん。でも、僕が言わなくても君がくれた水ならば、大事に飲むはずだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。この前なんて、君からもらった水が無くなるのが嫌になって、少しだけ不機嫌になってたからね」
「そっかー……」
どうやらオレのお土産は気に入ってくれているらしい。ほっと安堵の息を吐き、淹れてもらった紅茶を飲む。一応緑茶の茶葉も持ってきたのだが、流石に緑茶&緑茶はどうだということで、緑茶の茶葉は後に楽しんでもらうことにした。ヌヴィレット君と美味しく飲んでくれたら嬉しいなということで、ちゃんと温度のこととか、コツとかを教えている。紅茶とかの飲み物の淹れ方とは違うからな、やっぱ。
「それにしても、君には感謝しているよ、縁。君のおかげで、ほんの少しずつだけどヌヴィレットの、人間への感情の理解が進んでいる」
「そっか。オレができることは些細なことだけど、そう言ってもらえるなら嬉しいよ」
どうやら、オレの読み聞かせは無駄ではないらしい。少しずつでも、それは一歩ずつ進んでいるということだ。オレ個人としても、ヌヴィレット君が感情を理解してくれていることはとても嬉しい。このまま、上手くいけばいい。けれど、一つ懸念が。
「……なあ、フリーナ」
「なんだい?縁」
「ヌヴィレット君は最高審判官、判決を下す存在なんだよな」
「そうだね。彼と『諭示裁定カーディナル』がなければ、判決を下すことはできない」
「そして判決のためには、必ずヌヴィレット君がいる必要がある。それはつまり、その裁判の内容も、何が起こったのかも、あの子は全部知らなきゃいけないんだよな」
「…………」
オレの言葉に、フリーナは無言で目を伏せる。かちゃり、とオレが置いた、飲み干した紅茶のカップは、つるりと光が反射していた。
「フリーナ、ヌヴィレット君が感情を理解していくことを、オレは嬉しいと思うよ。喜びも、幸せも、彼の心をあたためるものを知ってほしいから。でも、それは代わりに、あの子に悲しみも、辛さも、心を抉るようなことも感じさせることになるんじゃないか?」
どうやらこのフォンテーヌでは、裁判を「エンターテイメント」として捉えているらしい。『諭示裁定カーディナル』というものに「正義への信仰」を『律償混合エネルギー』へと改変するために、そういうものになったらしいのだが。オレとしてはそれは賛成できないものだった。人の人生を、嘆きを、叫びを、面白おかしく閲覧させるなんて間違ってる。でも、それをフォンテーヌの人々は受け入れている。きっと、オレとは価値観が全く違うのだろう。そして、目の前にいるフリーナも。最高審判官として生きている、ヌヴィレット君も。
オレの世界に、裁判員制度というものがある。裁判官と一緒に事件の内容を、弁護士と検事の意見を聞き、参加した人々によって判決を下すものが。それがどれほどの負担を抱えるのか、心を抉るものになるのか、話を聞いただけで、考えただけで恐ろしいものだ。
だから、オレはどうしても、ヌヴィレット君の感情の理解について考えてしまう。オレの中のヌヴィレット君は、どれだけ時間が経っても、無表情で感情がないように見せかけて、水に対しては饒舌で、感情が表に出ないだけで、いろんな感情を抱いている、かわいい男の子なんだ。
「君の言うとおりだよ、縁。これから先、彼はたくさんの裁判を受け持つ。そして、その事件の内容も、関係者の思いも、すべてを知っていく」
「なら、」
「けれど、それが必要なんだ。縁、このフォンテーヌのためには」
いつもの明るい雰囲気とはかけ離れた、フリーナのまっすぐな思いをのせた、オッドアイの瞳。神様としての威厳を見せる彼女に、思わず口を閉ざしてしまう。そんなオレの姿に、彼女はすう、と呼吸を一つ。そして、オレの目をまっすぐに見たまま、言葉を紡いだ。
「人の社会で、彼はこれから、嬉しいことも、悲しいことも目にするだろう……。けれど、いつか彼が多くの過去を受け入れた時、この国の『歴史』を代表としてすべてを審判する資格を得る」
「だから、これは必要なことなんだ」
まっすぐに放たれた、フリーナの声。
いつもとかけ離れた、大人びたような、そんな声。けれど、オレにはそれが、自分にも必死に言い聞かせているような、苦しみを吐き出しているような、そんな感情を抱かせた。
そして同時に思う。ああ、このタイミングで言うしかない、と。
「フリーナ、それは、お前が抱えている『何か』に必要なことだから、か?」
「っ!!」
フリーナの目が見開かれる。
まさか、オレがこんなことを言うとは思わなかったんだろう。息を詰まらせ、硬直するフリーナに、オレは言葉を続ける。彼女にこれ以上考えさせるわけにはいかない。それでは、誤魔化されてしまうだろうから。
「オレも一応『役』を演じる人間の端くれだからさ、それに長い間ずっと一緒にいるから、仕草に関してはわかるんだよ。フリーナ、お前は後ろめたいことや嘘をついているとき、必ず髪を触ってる」
「そ、そんな!僕は今は触ってなんて」
「ごめん、鎌をかけた。全部嘘だよ」
「あ、」
本当はこんなことしたくなかった。彼女に嘘をつくのも、鎌をかけるのも嫌だった。でも、今しかないんだ。これを聞くことができるのは。オレと彼女二人きりで、時間が残っている、今でしか。
「なあ、フリーナ。お前はいったい、何を抱えてるんだ?」
「そ、それ、は、」
「その様子と、状況と、ヌヴィレット君の反応からして、誰にも話してない『何か』があるんだろう?」
そう問いかければ、フリーナは硬直したまま、こちらを凝視している。その瞳にあるのは、なんだろうか。暴かれたという驚愕?オレに対する嫌悪?……いや、どれも違う。これは、こっちが胸を掻きむしりたいくらいの絶望と、恐怖だ。
そこでようやく、オレは自分の問いが彼女をここまで追い詰めるものであると理解してしまった。それと同時に、その『何か』が彼女を苦しめているものだと、知ってしまった。
「フリーナ、」
「ちが、ちがう。ぼくはなにもかくしてなんかない」
「フリーナ、」
「だいじょうぶ、だいじょうぶなんだ。ぼくが、ぼくがなんとかしなきゃ、」
「フリーナ!!」
恐慌状態になりかけているフリーナの名を叫ぶ。すると、オレの声に驚いた彼女はびくり、と体を震わせ、こちらを怯えたように見る。ああ、こんな顔をさせたいわけじゃなかった。させてはいけなかったのに。
「ごめん、フリーナ。本当にごめん。オレは、お前の心を、覚悟を、踏みにじったんだな」
頭を下げて、心の底から謝罪する。そんなつもりじゃなかった、なんて。そんなの言い訳になんてならない。オレは彼女の心と覚悟を踏みにじり、あまつさえ怯えさせてしまった。あんなにオレに優しくしてくれた大切な人なのに、オレは、自分の勝手な思いで、彼女を追い詰めてしまった。どれだけ謝ったって、許されることじゃない。平気な顔で彼女に問いかけた自分を殴り飛ばしてやりたい。ぎり、と噛みしめた唇から、血の味がした。
「……縁、顔を上げて」
その時、フリーナの声が聞こえた。言われた通りに顔を上げると、そこには困ったような笑みを浮かべるフリーナがいた。でも、それが空元気による張り付けた笑みだということを、オレは嫌というほど理解してしまった。そのまま、何も言えないオレに、彼女は言葉を紡ぐ。どこか、大人びた声で、そして震えた声で。
「君の言うとおりだよ、縁。僕は誰にも言えない『何か』を抱えている」
「…………」
「そしてそれは、信頼できる相手でも、ずっと一緒にいたヌヴィレットにも、そして親愛なる君にも言えないことだ」
「……『言わない』んじゃなくて、『言えない』こと、なんだな。そして、その『何か』のためには、ヌヴィレット君の感情の理解も必要だと」
「ああ、そのとおりだ」
こくり、と頷いたフリーナの手は、震えている。きっと、この言葉でさえも言うのが怖いのだろう。大切な人の、その恐怖を減らしたいのに、苦しみを分かってやりたいのに、何もできない自分が、無力で腹立たしい。でも、それで納得するしかないんだ。
彼女がそう心から決め、覚悟をしているのだから。
「じゃあ、一つだけ言わせてもらっても、いいか?」
「なんだい?」
ぎゅ、とこぶしを握り締め、まっすぐにフリーナを見据える。
これから言うことは、彼女を傷つけることになるかもしれない。もしかしたら、二度と顔なんて見たくないと罵られるかもしれない。それでも、言わずにはいられないのだ。そんな自分に、嫌悪しながら。
「もし、もしも、その『何か』を話せる時になったら、オレに教えてくれないか?」
その苦しみも、辛さも理解できないだろうけど、寄り添うくらいのことはできるから
沈黙が部屋を包む。
何も言わないフリーナから目を逸らさない。逸らしてしまえば、オレの言葉がちっぽけで上辺だけのものだと、オレ自身がそうしてしまうから。だから絶対に、この言葉が嘘でないことを、ちっぽけで上辺だけのものではないと証明したい。
どれだけ時間が経っただろうか。もしかしたら一分にも満たないかもしれないし、それ以上だったのかもしれない。けれど、不意にフリーナが表情を変える。ふわり、と優しい笑み。まるで、そう、慈悲を与える神様のような、
「ああ。その時は、ちゃんと君に話そう。なにせ、君は僕の親愛なる友人であり『偉大なる魔法使い』だからね!」
仰々しく語られるその言葉に、裏にある感情を察し、涙が出そうになる。けれど、それをぐっとこらえ、彼女の言う『偉大なる魔法使い』となる。その『役』を担うことが、今のオレのやることだから。そして高らかに、誇らしげに、傲慢さを持って答えた。
「『ああ、そうさ!私は水神様の親愛なる友人、偉大なる魔法使い!すべては、水神様、貴方の御心のままに!!』」
両手を組み、慈悲を与えてくれた水神様に祈りを捧げる。
彼女の笑顔は、慈悲深い女神のような、うつくしいものだった。
「うわっとっとっとぉ!?」
背中から落ちそうになったのを、うまくくるりと回って足から着地する。なるべく最小限の行動で、手に持っているお土産を揺らさずに行われるそれは、もう慣れてしまったようなものだ。……慣れたと言っても、五回に一回くらい失敗するときがあるけど。
「あ、こんにちは、縁さん!」
「はあ、本当に毎回こんな感じで来るんだな、君は」
可愛らしい、高い声に、呆れたような、低い声。少し前まで聞くことのなかったその声の持ち主を、オレは知っている。ひらひらと、お土産を持っていない方の手を揺らしながら、挨拶をする。最近知り合った二人と、いつもいる彼に。
「こんにちは。カロレちゃん、ヴォートランさん。そしてヌヴィレット君も、こんにちは」
「ああ、こんにちは。縁」
こちらを見てくる海の中のドラゴンガーネットは、相も変わらずきれいだった。
あれはそう、オレと二人が出会ってからかなり経った後……具体的には、テイワットでは五十年以上経った頃、ようやくオレはフォンテーヌでは改革が進んでいることを知った。なんで知ったかって?いつも通り、唐突に、パレ・メルモニアの執務室に飛んできたオレの目の前に、フリーナとヌヴィレット君と、小さな、かわいい獣人?と大人の男性がいて、それについて話し合っているのを、聞いてしまったからだ。
『フリーナ様、ヌヴィレット様、下がってください!貴様、何者だ!!』
『ああ、落ち着いてくれ、ヴォートラン!彼は僕らに害する存在ではないんだ!』
『そのとおりだ。一度、その武器を下ろしてほしい、ヴォートラン』
『し、しかし……』
フリーナとヌヴィレット君に言われて、オレへと向けていた武器を下ろしてくれたヴォートランさんという男性。けれど、こちらを見る警戒の目は外されることはなく。この展開はあの時ぶりだなぁ、とぼんやりしていると、とてとてと可愛らしい足音が近づいてきた。
『こんにちは、名前の知らない、不思議なお兄さん!貴方の名前を教えてくれませんか?』
『おい、カロレ!』
小さな獣人の女の子の名はカロレちゃん、というらしい。危機感もなく近づいてきた彼女は、にこにこと笑顔のまま、オレの名前を問いかけてくる。その行動にヴォートランさんが叱咤する。どうやら、彼はオレが彼女に害をなそうとしているのかと思っているみたいだ。そりゃあ、まあ、いきなり空中から現れた男を警戒しないわけがないよなぁ、と思う。オレだって警戒する。かつて、フリーナとヌヴィレット君もそうだったわけだし。
⦅あ、そうだ。いい事、思いついちゃった⦆
なら、あの時と同じことをすればいいんだ。幸い、今回はちゃんと『役』のための道具は、ばっちり、しっかりと揃っている。なら、あの時のリベンジをしてやる。そしてあの時よりもずっと、演技も『役』も声だって上手くなったんだと思い知らせてやるんだ。え、無謀だって?大丈夫、大丈夫。なんとかなる!!今までだって、そうしてきたんだし!!
すう、と呼吸を一つ。目を閉じて、いつも通り『役』のイメージをする。今回やる『役』は、こっちに来てから嫌というほどやって来た。だから、入り込むことは容易い。あとは自分の演技力と、声だけだ!
『「私の名前かい?私は、そうだねぇ……偉大なる魔法使い。そう水神様に呼ばれているよ」』
『わあ、魔法使いさんなんですね!しかも水神様に偉大なる、と言われている方なんて……会えて光栄です!』
『「ふふふ、かわいいお嬢さんだねぇ。出会いを祝して、この夢見のキャンディをあげよう」』
カロレちゃんの目線に合わせるように跪き、くるん、と手首を回し、何もなかった手から、キャンディを取り出す。これだよ、これがやりたかったんだよ、オレは!あの時はせんべいとか言う悲しいオチになっちゃったけど!
きらきらとオレが目を輝かせていたのが見えたのだろう。視界の端で、フリーナは呆れたように溜息を吐き、ヌヴィレット君はこのやり取りを見つめていた。
『「それは、幸せな夢を見ることができるキャンディさ。私の自信作だからねぇ、大事に食べてくれると嬉しいよ」』
『わあ、ありがとうございます!』
『カロレ、そんな怪しいものを受け取るな!』
『「おやおや、こっちの男の子は、怒りん坊のようだねぇ」』
きひひ、と怪しい笑い声をあげる。それこそ、しわがれた魔女のような声を意識して。そしてゆっくりと立ち上がり、ヴォートランさんのもとへと歩いていく。目線はしっかりと、彼の瞳に向けて。彼は同じように、いや、食い入るようにこちらを見つめていて、身動きが取れないようだった。これは完全に「こっち側」に引き込めたな、と口角を上げる。この人にあげるものは何にしようか。落ち着けるもの、落ち着けるもの……。あ、そうだ。
『「君にはこの、マジックシェルのキャンディをあげよう。心を穏やかにする、貴重な品だ。いつもならお代を頂くんだが……君のその忠誠心を評して、タダであげよう」』
ぽん、とマジックで取り出すのは、ミルクキャンディ。それを差し出せば、ヴォートランさんはそれを受け取ってくれた。いや、どちらかというと受け取るように仕向けた、と言った方が正しいだろうか。どの動作をすれば、どう行動すれば、相手がどうしてくれるか、分かるようになってきた気がする。
わくわくとした気持ちを隠そうともせず、二人のためのお土産を、仰々しく捧げる。持っているものは紙袋だけど。まあ、中身が大事だから……。
『「お待たせいたしました、水神様、最高審判官様。親愛なる魔法使いからの、貴方様たちへの贈り物となります」』
『ふむ、喜んで受け取ろう。ちなみに、今回の贈り物はどんなものだい?』
『「水神様には、春の香りと味のするロールケーキ。最高審判官様には、雲の上でとれた雪代水でございます」』
『ふむ、ごくろう』
そのヌヴィレット君の反応に、思わず目を見開く。
この演技にノッてくれるなんて、まさか空気を分かっていて……!!
⦅って、そんなことなかったわ⦆
目を見ればわかる。あれは平常運転だ。ただ、この演技に偶然、相応しいだけの言葉を返されただけだ。思わずガクッとずっこけそうになったが、それをこらえて。そろそろいいだろう、とぱちん、と指を鳴らした。その音を合図に、オレは演技を止める。
『とまあ、仰々しい演技はここまでってことで!!』
くるん、と回り、こちらを見ているカロレちゃんとヴォートランさんを見つめる。そしてにっこりと笑いかけ、自己紹介をした。
『はじめまして、オレの名前は桜咲縁!フリーナとヌヴィレット君の親愛なる友人であり、偉大なる魔法使いさ!!』
オレの言葉に、カロレちゃんは目を輝かせ、ヴォートランさんは唖然としていた。
そんなこんなで、おかしな出会いから始まった関係だが、なんだかんだで受け入れられている。フリーナとヌヴィレット君がオレの存在を受け入れているのが大きかったのだろう。カロレちゃんは警戒心無く、とてとてと近づいてくるし、話しかけてくれることも多かった。なお、ヴォートランさんはしばらく警戒の目を向けていたが、カロレちゃんのあまりの警戒心の無さに不安になったオレが「この子は大丈夫ですか?悪い人に騙されたりしない?」と相談した結果、警戒を止めてくれた。どうやら本人もそこに頭を悩ませているらしく、それを分かち合ってくれる相手、しかもド直球に言ってくるオレに警戒するのもバカらしくなったらしい。ちなみに「君は武器を振るう筋力もないしな」ともう一つの理由もばっさり言われ、思い切り凹んだのは内緒だ。……それからちょっと筋トレを増やしてたりする。
まあ、そんなことは置いておいて
「なんかオレが聞いて困る話でもしてるなら、端っこで耳でも塞いでるけど、大丈夫?」
「いや、問題ない。むしろ、君にも知らせたいことだからな」
「知らせたいこと?」
持っていたお土産を執務室のソファに置かせてもらった後、三人のもとへと行く。そこで、カロレちゃんとヴォートランさんの胸元に、今まで無かったものがあったことに気づく。これは、貝殻に真珠が載ったブローチ……?
「縁さん、縁さん!聞いてください!もうすぐ、私たちメリュジーヌと人間の皆さんが仲良くなれる未来が訪れるんです!」
「カロレ、それだけじゃ縁には伝わらないだろう」
ぐいぐいと近づいて、笑顔で嬉しそうに言ってくるカロレちゃんの後ろで、ヴォートランさんは溜息を吐いている。実際、オレにもよくわからなくて、少し遠くにいるヌヴィレット君に目線だけで説明を求めれば、彼は口を開いた。
「これまで君も、メリュジーヌと人間の関係の溝を知っていただろう」
「あ、ああ。何回もこっちに来てるからな、それは知ってる」
そう、カロレちゃんはメリュジーヌという人間とは違う種族だ。温厚で、善性で、優しい種族。ただ、その種族が急に現れて、仲良くしてほしい、と人間側が言われて受け入れる人間がどれだけいるのか。しかも価値観も考えも分からない違う種族がすぐに仲良くなれるはずもなく。人間のメリュジーヌに対する対応は良くないものだと聞いていた。オレも「まあ、そうだろうなぁ」と遠い目になった。
実際、オレの世界だって差別は起きて、妥協もできない人たちがたくさんいるわけだし、今まで読んだ物語や史実の話でも、それらは切っても切ることのできない、むしろあって当たり前のものだ。けれど、カロレちゃんとヌヴィレット君はそれを覚悟のうえで、交流を深めることを望んだらしい。そんな中、特巡隊隊長であるヴォートランさんをはじめとした特巡隊の方々は、メリュジーヌのことを差別することなく、共に生きることを望んでいるらしい。
「この五年間、彼らのたゆまぬ努力により、小さな一歩ではあるが、メリュジーヌは人間から信頼を得られることができた。その代表の証として、『平和勲章』を送ったのだ」
「そうなのか……!!おめでとう、カロレちゃん、ヴォートランさん!!」
「はい、ありがとうございます!縁さん!!」
「俺は遠慮しておくって言ったんだがな……」
「もう、本当にヴォートランは朴念仁なんですから!私たちの努力を、ヌヴィレット様は褒めてくれているんですから、素直に受け取ったらいいんです!!」
「余計なお世話だ」
ぷんぷんと怒るカロレちゃんに、顔を逸らして不機嫌そうな顔をするヴォートランさん。けれど、オレは知っている。ヴォートランさんはカロレちゃんを影ながら守ろうとしていることを。実際、オレがカロレちゃんを読み聞かせで泣かせてしまった時、すごい顔でこちらを見てきたことがあるからだ。その時はカロレちゃんがいなくなった後、オレが全力で土下座したので許してもらえたのだが。それ以来、カロレちゃんの前では悲しい物語を話すことはできなくなっている。
そんなことがあったのだ。メリュジーヌとして差別を受けているカロレちゃんを、ヴォートランさんが放っておくはずがない。きっとなんだかんだ悪態をつきながら、彼女のことを守っているのだろう。そしてこの二人と、同じ志を持つ人たちの努力の末に、良い方向へと向かっていっている。それは嬉しいことだ。あ、でも、
「じゃあ、オレの作った物語はもういらないかぁ……」
あれはそう、メリュジーヌと人間の溝の話を聞いた時、オレも何か手伝えることはあるかと考えたとき、物語を作ろうと思ったのだ。もちろん、いろいろとぼかしている部分はあるが、端的に言ってしまうと、同じ領土にいる違う種族の存在たちが、お互いを少しずつ受け入れるという、ありきたりな、分かりやすい話。けれど、分かりやすければ分かりやすいほど、するっと心に入っていくものだ。それに、これから生まれてきた子たちはメリュジーヌが隣にいることが当たり前になるかもしれない。そんな子供たちにも伝わる、そんな物語を作っていたわけだが、どうやらこっちの方が先に進んでしまったらしい。これはお蔵入りかなぁ……。
「いえいえ、そんなことありません!縁さんの作ったお話、私は聞いてみたいです!!」
「……せっかく作っているのだから、最後までやり遂げたらどうだ?それまでの時間が無駄になるだろう」
カロレちゃんがわくわくと目を輝かせ、ヴォートランさんが悪態をつく。オレの作った物語を、待ってくれている人がいる。
「……私も」
「ヌヴィレット君?」
その時、小さな声が聞こえていた。その声は聞き慣れた、むしろ耳にするのが当たり前になったもので。こちらを見ていたヌヴィレット君が、無表情のまま、言葉を紡ぐ。いや、無表情なんかじゃない。長く一緒にいたオレはわかる。あれは、微笑んでいるんだ。
「私も、君の作った物語が聞きたい」
ヌヴィレット君のわがまま。滅多にない、なんてどころじゃない。無いに等しいそれを、今、ヌヴィレット君は言っている。カロレちゃんとヴォートランさんの言葉と、ヌヴィレット君のわがままを聞いて、必要ない、なんて言ってられない!!
「よーし、わかった!絶対に完成させる!そして一番に三人と、フリーナにも聞かせてみせるから!!」
ぐっとこぶしを握り、ここに宣言する。ネタとしては固まっている。プロットもある程度は立てた。あとは自分の執筆能力と、速度だけ……!!
「って、あれ?フリーナは?」
「ああ、フリーナは用事があるということで席を外している。そのフリーナから君に伝えてほしいと言っていたことがあった」
「ん、なに?」
「『進捗どうですか?』だそうだ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
突然頭を抱えて叫んだオレに、三人はどうしたんだとこちらを見てくるが、それを気にしている余裕はない。
フリーナはなんでオレにそんなことを言ったんだ!?嫌がらせか、嫌がらせなのか!?創作を作る人間にとってその言葉は刃物で心を抉るのに相応しいものなのに!!やめてください、納期はまだ先なんです!先なはずなんです!!あ、そういえば、オレ、いつ、どの時間軸にこの世界に来るのか、未だに分かってないんだ……。これは詰んだか……?
いや、諦めちゃいけない。大丈夫、きっと大丈夫!そう信じよう!じゃないとやっていけない!!
「ああ、そしてもう一つ伝言があった」
「うう……なんですか……」
瀕死状態のオレを見ても、表情を変えないヌヴィレット君。そのまま、フリーナのもう一つの伝言を教えてくれた。
「『事情があって僕の口からは言えないが、君の作っている物語の内容を改めて考えたら、気づけることがあるはずだ』と言っていた」
「オレの作っている物語の内容……?」
その言葉に疑問を抱き、首をかしげる。確か、フリーナにはオレの作った物語の内容を大まかに知らせたはずだ。その場にいたのが、フリーナだけで他の三人がいなかったこともあるが。舞台歴や演者が長いフリーナに話せば、何かアドバイスが聞けると思って話したのだが……。
(えーっと、内容としては……)
うんうんと、自分の考えていた物語の内容を頭の中で巡らせる。気づけること、気づけること、あの物語を作ったオレでなければ気付けないこと…………。
「あ」
瞬間、理解した。
それと同時に、どっと冷や汗が出てくる。さあ、と顔から血の気が引く感覚がする。ああ、なんで気付かなかったんだ。自分であの物語を考えていたくせに、なんでこんな大事なことを!!
「ヌヴィレット君、今、改革を嫌がってる旧勢力派はどうなってる!?」
突然のオレの叫びに近い疑問の声に、カロレちゃんが肩を震わせ、ヴォートランさんが目を見開く。そしてヌヴィレット君は少し思案した後、口を開いた。
「今のところ、少しの動きはあるが、目立った様子もない。改革が上手くいっている影響か、勢力も確実に削がれてきているだろう」
その言葉に、自分の考えていたことが現実になりかけていると感じる。ざわざわと、悪寒が止まらない。もし、これを知らなかったら、どうなっていたかなんて、考えたくもない!!
「ヴォートランさん、早急に、いや、今すぐにでもいい!貴方が信頼できる特巡隊の人たちに通達してください!『旧勢力派がカロレちゃんを狙う可能性が高い』と!!」
「え、私……?」
「……どういうことだ、説明してくれ」
呆然とするカロレちゃんと、こちらを睨みつけてくるヴォートランさん。ああ、そうだ。ちゃんと説明しないと分かってもらえないと思っているのに、嫌な予感が止まらなくて焦ってしまう。大切な人たちに危機が迫っているという事実に、震えが止まらない。はっ、はっ、と呼吸が荒くなる。息が、苦しい。
ひゅ、とのどが、いき、が、できな、
「落ち着いてくれ、縁」
声が、聞こえた。
いつの間にか、目の前にいたのは、少し遠くにいたはずのヌヴィレット君で。その落ち着いた海の中のドラゴンガーネットは、いつまで経っても綺麗で、優しい色だ。す、と心が凪いで行く。まるで優しい海に包み込まれたような、そんな感覚。呼吸も、いつもと変わらないものになっていた。
「……ごめん、一人で焦って、突っ走った。せめて説明だけはしなきゃいけないのに……」
「いや、気にしなくていい。だが、いつもの君とはかけ離れた姿だった。それくらい、大事なことがあるのだな?」
「ああ。三人とも、聞いてほしい。これはあくまでオレの考えの話だけど」
そこで前置きをし、先ほどまでの考えを口にする。口の中が乾いているが、そんなことを気にしているわけにはいかない。すう、と自分の深呼吸の音が、大きく聞こえた。
「改革が進んでるってことは、旧勢力派の協力者も減ってきている。それは合ってるよな、ヌヴィレット君」
「ああ、その通りだ」
「そしてヴォートランさん、最近旧勢力派で捕まえた人数はどのくらいか、分かりますか?」
「……少し前までは多かったが、最近で言えば、報告は少ない」
「もう一度言っておきます。オレの考えとして前置きするんですけど、それはつまり『旧勢力派の人たちには後がない』そして『何かをするために潜んでいる可能性が高い』そう思ってます」
「えっと、どうしてそうなるんですか?」
カロレちゃんの疑問に、オレはずきずきと痛む頭に感じないふりをして、答える。頭痛ごときで話を止めるわけにはいかない。大事なことを話しているのだから。
「勢力が少なくなっているということは、いつ、何もできなくなるのか分からないってことなんだ。それに怯えた、後のない人間が何をするか。自棄になった人間が何をするか、カロレちゃんとヴォートランさんの方が知ってるんじゃないか?」
オレの言葉に、カロレちゃんとヴォートランさんがオレが言いたいことに気づいたらしい。そして、オレは続ける。今さっき知った情報を、祝いを逆の呪いにしてしまう言葉を。
「そして今回、カロレちゃんとヴォートランさんは『平和勲章』という、素晴らしい証を人間とメリュジーヌの代表として賜った。それは多くの人間、メリュジーヌに知られる。もちろん、旧勢力派の人間にもな。その代表の身に、旧勢力派にとって利になる出来事が起きたら、どうなると思う?そう、たとえば」
「メリュジーヌの代表であるカロレちゃんが、人間を傷つける、なんてことが起きたら」
ざっと、ヴォートランさんの顔色が蒼色に染まる。それと同時に、突き刺すような殺気が体を貫く。ヌヴィレット君の瞳は、オレを見ている。いつもと違うのは、その目が鋭く、オレに殺意に近い感情を抱いていることだ。けれど、その目を向けられても、オレはその目から逸らすことはできない。逃げてはいけない、伝えなければいけないことがあるから。
「……縁、君はつまり、『カロレが人間を傷つける可能性がある』と。そう言いたいのか?今まで私たちに、フォンテーヌに尽くしてくれた彼女に?」
「……ヌヴィレット君、良いことを教えてあげる。これはオレの世界の有名な人が言ってたんだけど」
「『人は自分の正義のためなら、どれだけでも残酷なことができる』んだよ」
人々が掲げる正義。今のヌヴィレット君も、カロレちゃんも、ヴォートランさんも、三人だけじゃない、メリュジーヌと交友を深め、愛する隣人として接している人たちも、きっと、みんな同じ正義を掲げている。
けれど、それは旧勢力派の人間たちだって同じだろう。彼らも、自分の正義を掲げている。それがこちらから見て、あまりに醜く、汚れていても、それは彼らにとっての正義なんだ。
そしてその二つの正義は、絶対に交わることはない。必ず、片方が潰される。そういう風に、世界はできているのだから。
「ヌヴィレット君は最高審判官として存在しているから、旧勢力の面々が手を出すことは不可能。ヴォートランさんも、警戒心が強く、騙されることはない。じゃあ、この中で一番狙われやすいのは?」
ここまで言えばわかったのだろう。ヌヴィレット君は目を見開き、彼女の方を見た。おろおろとしている、彼女を。カロレちゃんを。
「温厚で、優しくて、人を疑うことをしない、メリュジーヌであるカロレちゃん。『平和勲章』を賜ったこの子がもし、旧勢力派の罠にはまって『人間を傷つけた』とされたらどうなると思う?」
「間違いなくフォンテーヌの人たちはこう思うだろうね」
『やっぱりメリュジーヌは危険な存在だったんだ』
『こんな存在を連れてきた最高審判官と、その仲間は信用できない』
『改革なんで間違っていたんだ』
「そして、旧勢力派の人たちは、それを利用して、自分たちの権力を取り戻そうとする」
これが、オレが考えてる最悪の筋書きだよ
乾燥している口で一気に喋ったせいで、喉が痛い。本当だったら、今すぐにでも水を飲みたいけれど、自分の唾液でごまかす。
「何度でもいうけど、これはあくまでオレの考えだ。必ずしもこうなるとは限らないし、ただの杞憂かもしれない。それでも、用心した方がいいと思うんだ。高い権力という甘い蜜の味を知ってしまった人間は、それを取り戻すためならなんだってする可能性がある。それこそ、失うものが何もない、無敵の人間を利用にすることだって、な。……オレは旧勢力派の内情を詳しく知らないけど、オレが同じ立場の人間だったら、間違いなくそうするよ。罪悪感もなく、自分の利益とヌヴィレット君たちを陥れるために」
旧勢力派の人間たちがどんな人間たちなのか、オレは実際に被害にあってもいないし、見てもいないから詳しくは知らない。けれど、三人の様子から察するに、オレの話した考えは「ありえる」ものなんだろう。……かつて物語で読んだ、革命物の物語を思い出した。そして、その残酷な、あまりにも救われない終わり方も。
「ヌヴィレット様、先ほどの話を部隊と……俺の信頼できる者たちに共有してもよろしいでしょうか」
「ああ、許可しよう」
「ありがとうございます」
そう礼を言うが早いか、ヴォートランさんは速足で執務室を出ていく。その後ろ姿を不安そうな目で、カロレちゃんは見ている。そしてヌヴィレット君の方を見て、困ったような、戸惑ったような声で言葉を紡いだ。
「ヌヴィレット様、私は、」
「カロレはヴォートランが戻ってくるまで、私のもとにいなさい。マレショーセ・ファントムの者たちには後に私自身が通達する」
「わ、分かりました……」
迅速に動いてくれる姿に、安堵の息を吐く。と、同時に砂時計の砂がもう残り少ないのが見えた。どうやら、もうすぐタイムリミットらしい。
「ヌヴィレット君、ごめん。オレ、もう帰らなきゃいけない」
「そうか」
オレの言葉に、そう呟いて、ヌヴィレット君は目を伏せる。そして何秒か後、その海色のドラゴンガーネットで、オレを見つめた。
「先ほどはすまなかった、縁。君に、あのようなことを……」
「あのようなことって……ああ、オレにあの目を向けたことか」
彼が言う『あのようなこと』は、オレに殺気を向けたことだろう。確かに突き刺さるような、それこそ殺されてもおかしくないものだったが、正直言うとあまり気にしていない。オレも三人に考えを伝えるのに必死だったし。それに、
「気にしてないよ。むしろ、初めて会った時の、尻尾の癇癪の方がよっぽど怖かったかなぁ」
びたん、びたんと床に叩きつけられる、青色の綺麗な鱗がびっしり詰まった、毛先が白色の、神々しい尻尾。あの尻尾の癇癪の方が、よほど怖かった。あのフリーナが悲鳴を上げるレベルだったんだし。
くすくすと笑いながらそう言うと、無表情だったヌヴィレット君の耳の先がほんの少しだけ赤くなる。あ、恥ずかしいんだな、この子。
「ヌヴィレット様、尻尾の癇癪とはいったい何ですか?」
「縁、余計なことは言わないでもらいたい」
「悪いな、オレもちょーっとやり返したかったんだよ」
たわいのないやり取り。それがどこまでも楽しくて、あたたかい。ここにフリーナもいればよかったのにな、と思って、ようやく思い出す。持ってきたお土産の中身を。
「あ、お土産の内容だけど、フリーナにはレモンタルト、ヌヴィレット君にはオレの世界の有名な山の雪解けの天然水、カロレちゃんにはミルク、珈琲、抹茶のクッキー、ヴォートランさんには珈琲に合うホワイトチョコだから!なるべく早めに消費してくれよ!」
「ああ、了解した」
「いつもありがとうございます、縁さん!」
「喜んでもらえたなら何よりだよ!あと、フリーナに、今度、時間があったら一緒にお茶会でもしようって言っててくれ!ヌヴィレット君にもいろいろと話したい物語があるから、待っててくれよ!えっと、あとは、あー、もう!また今度来た時に言う!!」
いよいよ砂時計の砂が落ち切る。今回は、これでさよならだ。
ああ、でも、言っておかなければいけないことがある。
「ヌヴィレット君、カロレちゃん!ここにいないヴォートランさんと、フリーナにも伝えてくれないかな!!」
今回の件で、フォンテーヌにも深い闇があることを知った。その闇がこれからどうなるかなんて、部外者であるオレにはわからない。でも、俺が自信をもって、断言できることが一つだけある。
「オレはいつだって、君たちの味方だから!!」
それだけは、信じて!!
そう言ったが最後に、オレの意識は白く塗りつぶされた。