今回はいわゆる、日常パートです。
楽しんでいただければ幸いです。
「何回跳べるか勝負な!」
「絶対勝つ!」
設置された遊具で遊ぶ者、持ち寄った紐状の道具で遊ぶ者。活気に満ちた様は、どこか同族のいる農園と似ている。
彼はそれを、静かに眺めていた。
膝の上に乗せた本のページを捲る指は止まり、目の前の光景をじっと見つめる。
色のない表情はいつにも増して何かが抜け落ちていて、そんな状態が一体何分続いただろうか。
不意に、微かな吐息をこぼす。
焦点の朧げだった眼差しが自らの手元に絞られ、もう一度嘆息した。
「…………また、か」
その言葉に込めたのは、人間で言うところの〝呆れ〟だ。
自分は何をしているのだろう。せっかくの貴重な学習時間を無駄にするなど、勿体無い。
次の
(だが、どうにもコントロールができない。厄介だ……この
初めて〝変身〟し、戦士達と戦った前回のゲームからしばらく。
ここ最近の彼は自身の変化、否、変調に難色を示していた。
あれからすっかり体は癒えた。新しい右腕も調子が良い。またライダーになって戦うことも可能だろう。
しかし、その代わりにとでも言うように、これまでは存在しなかった〝空白〟が自分の中に生まれるようになった。
例えば、今のように本を読んでいる時。例えば、農園で次のゲームの作戦を練っている時。
ふとした瞬間、唐突に訪れる思考の停滞。まるで頭と体が切り離されてしまったように、ぷつりと意識が真っ白になる。
原因は分からない。
少し時間を置けば元に戻るものの、限られた学習の時間が強制的に中断されるのは、それなりの不快感を感じさせる。
(次の戦いまでに解明しなくては。こんな状態では生き残れない)
あるいは戦場に立てばとも考えたが、リスクが高すぎる。
一体、どのような方法を用いればこの空白を消し去ることができるというのか?
「どうすればいい……」
まるで初めて街に来た時に戻ってしまったようだ。
あの時は、一人の人間と出会ったことで解決の糸口を見つけることができたのだが──。
「いたっ!! 誠樹っ!!」
突然、強い力で肩を掴まれる。
反応が鈍くなっていた彼は本を手放さずにいるのがようやくで、その手に従うまま振り向かされた。
思わず、目を見張る。
息を荒げ、強く感情を露出させた面持ちの女がそこにいた。
その女は彼にとって唯一、戦士達以外に馴染みのある存在。だからこそまたここで会ったことに、少なからず驚いた。
「あ……えと、すみません。人違い、でした……」
しかし彼とは裏腹に、顔を見た女は困惑と失望、疑問を滲ませた顔で手を引く。
そのまま去っていこうとするのを見て、胸中に息苦しさが生じた。これは取り込んだ記憶から発せられる
完全に離れる前に、手を掴む。今度は彼女が振り向く番だ。
「な、なにっ!?」
「ぼくを覚えてないのか。双葉」
「っ! あんたやっぱ……!」
「?」
首を傾げる。これほど感情が乱上下する理由がわからない。
改めて彼を見た、その手の力強さを感じた双葉が思い浮かべた言葉は──やはり違う、だった。
(こいつじゃない。私の名前を知ってるし、瓜二つだけど、絶対に、こいつじゃない)
以前、友人から送られてきた写真を見た時と同じ感覚だ。
自分でも理解不能なほど強い感情が指先の震えに変わり、手を伝って感じ取った彼は指を解く。
(理屈はわからないが、今の双葉はぼくの存在を覚えていないようだ)
戦いは、戦士でない人間にとっては強い精神的負荷がかかる。
人間の脳構造について著した本によれば、過度なストレスを生まないよう原因となる出来事を忘却することもあるらしい。
きっと今の双葉もそういう状態なのだと判断し、彼は対応を変える。
「謝罪する。怖がらせた」
「別に……平気ですけど」
「こういう時は確か……初めまして、というのだったな。ぼくの名前は──」
口が、止まる。
彼の意思ではない。その先を言おうとした瞬間、またしても記憶が表出してきた。
決して彼にだけは名乗らせまいと、
(知ったことか。今は、ぼくの
「──〝モトキ〟だ」
「ッ、……」
「どうした?」
「あ……な、何でもないわよ。ただ、知り合いと名前が似てて……」
「そうか」
記憶を握り潰して名乗れば、双葉が何とも言えない顔を逸らす。
その隙に足の様子を確かめる。何かしらの処方をしている様子はない。無事に治ったらしい。
(……そうだ。双葉なら、あの奇妙な感覚の理由がわかるかもしれない)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
意識の空白は自分にだけ起こっている。少なくとも農園にいる同族に、一体も同じ状態になっている者はいなかった。
もし人間の記憶を得たことに由来するのであれば、人間に聞くのが最も確実性が高い。
それに、今まで彼女に与えられた言葉や知識はどれも有意義なものだった。
現状では不信感を抱かれ逃げられる可能性が高いが、急を要することだ。仕方がない。
「一つ聞きたいことがある」
「へ? い、いきなり何?」
「時折、意識が途切れることがある。何をしているにせよ、突然手につかなくなる。この原因がわかるか?」
全く抑揚のない声音で、しかし気圧されるほど真っ直ぐな眼差し。
チグハグすぎてそれそのものが混乱させそうな表情でぶつけられた問いかけに、双葉は困惑する。
(意味わかんない、なんなのこいつ。誠樹と同じ顔で、名前で。しかもいきなりわけわかんないこと聞いてきて。いっそ不気味なんだけど)
まるで幼馴染の影帽子と対面しているような違和感を感じさせる。
なのに、何故か双葉はその場を立ち去らなかった。
その気になれない、と言った方が正しいか。まるで目の前の人物がそういう風であることを知っていて、受け入れているかのように。
これが初対面で、間違いないはずなのだが……むしろ質問に答えてやろうとさえ思えてくる。
(あれ……このしょうがない感じ、前にもあったような……?)
「わからないか」
「っ! 聞いたくせに、勝手に諦めてんじゃないわよ。この私がばっちり! 解決したげるっての」
気がつけば飛び出していた、自分の言葉に驚いた。
すると、謎の男が満足とでも言いたげにほんの少し目を細める。
「頼もしい。ではどうにかしてくれ」
「……はぁ。ったく、しょうがない。で、なんだっけ? いきなりなんもできなくなるんだっけ?」
「そうだ。強烈な脱力感に襲われる」
「ふーん。最近何か大変なことでもあった?」
「大変……特別なことは、あった」
迷宮での死闘が脳裏に蘇る。
ギーツにこれまで培ったものを込め、全力で挑んだ。
惜しくも一歩届かず途中退場となったものの、モトキの中で一つ線を超えたような、そんな感覚があった。
「それってどんな出来事だったわけ?」
「何の関係がある?」
「いいから。答えて」
「……自分の全てを出し尽くした、と思う。同時に、一種の到達感のようなものを得た」
「ははーん。それ、燃え尽き症候群じゃん」
びし、と指を突きつけられ、モトキは再び首を傾げる。
「もえつき……しょうこうぐん。何だそれは。ぼくはどこも燃えていない」
「いや、メンタル的な喩えだし。知らないの?」
「知らん」
何度も図書館に足を運び、何百という本を読んだが、その単語は知識から漏れている。
本気で知らなそうな表情に、双葉は自分なりに頭の中で言葉の意味を噛み砕きながら説明しようとした。
「あー、なんていうんだろ。一時的にやる気がゼロになって戻んないみたいな?」
「やる気が……確かに該当している」
「ストレスが限界超えたりとか、なんか大きなことをやりきって、次にやることがわかんなくなっちゃってる時とかになんのよ。別の言い方すんなら、それ以上無理しないためのブレーキ的なもん? かな」
「ブレーキ、か……」
反芻し、咀嚼して、自分の状態との一致性を確認してみる。
するとどうだろう。これまで全く意味不明であった異常が、あっという間に〝もえつきしょうこうぐん〟だと理解した。
(そうか。ぼくは、一種の過労状態にあったのか)
思えば前回のゲームまで、絶えず学びと実践を繰り返してきた。
次々と吸収する知識や経験があまりに心地よくて、脇目も振らずのめり込み、一日たりとも休むことはなく。
蓄え、身につけ続け、そしてあの日〝変身〟して戦ったことは、その集大成とも言える。
満足のいく結果が出たことで、閾値を超えてしまったのだろう。人類殲滅という目的を果たすまで決して止まらない、他のジャマトにはない現象だ。
ある意味これも、知性を持ち、人間を模倣したことで生じた不便だろうか。
「人間は、どうやってその状態を治す?」
「そりゃストレス発散でしょ。好きなことして、美味しいもの食べて、ゆっくり休むの。……ん? 今人間はって言った?」
「ストレス発散……わからん」
好きなことと言うのなら、学びがそれだ。休むにしても生命活動、知的活動ともに正常な状態を維持するのに必要な休息は取っている。
美味しいもの、は見当がつかない。水しか摂取しないジャマトには飲めるかどうかがボーダーラインなのだから。
本質的に〝休む〟とはどういうことか、モトキは理解できていなかった。
「やはり、解消は難しい。ぼくにはその手段がない」
「手段って……ひとっつも思いつかないの?」
「ああ」
「…………」
人間の娯楽を学習すべきだろうか。しかしそれでは余計に時間を削られる。
効率的かつ、短期的に解消できる方法はないか、と考えて──いきなり手を掴まれた。
「何だ?」
「行くわよ」
「どこへだ」
「いいとこ! 知らないってんなら、私が教えてあげるわよ」
力強く引っ張られ、立ち上がらされると有無を言わさず連れていかれる。
双葉の背中を見つめ、モトキは楽しみだと自分が感じていることに気がついた。
この人間が、今度はどんな気付きをくれるのか。そう、期待を寄せていた。
そうして街の中を歩き、やがて行き着いたのは古びた商業施設。
〝商店街〟に該当する場所の一角に、双葉の言う
「はいよ、お待ちどうさん。つぶあん一つと、こしあん一つね。まいどあり」
「おじさん、いつもありがとね」
「なんのなんの。誠樹くんもしばらくぶりに顔を見て安心したよ」
「あ、あはは……」
勘違いしている店主に曖昧な笑いでいなして、双葉は二つの商品を受け取る。
それを手にベンチに座っているモトキのもとへやってきて、片方を差し出した。
「はいこれ、あげる。私の奢りね」
「……なんだこれは」
「それも知らないわけ? たい焼きよ、たい焼き」
「たい焼き……前に言っていたものか」
「ん? なんか言った?」
「いや」
受け取ったものをまじまじと見つめる。
茶色の、魚類の一種である鯛を模した食べ物。作ったばかりなのか暖かく、甘い香りが鼻をくすぐる。
こと食事に関しては不要なため学んでこなかったのだが、なんとなく、美味でありそうなことは感じ取れた。
「それで、これをどうすればいい」
「いや、食べる以外ないから。疲れた時は甘いもん、常識っしょ?」
「そう、なのか」
どうやら人間はそうやってストレスを解消するようだ。
別に、人間の食べ物を摂取できないわけではない。生命活動に必要がないだけで、消化は可能だ。
だったらこれも、貴重な経験の一つだろう。
「どう食べる?」
「自由にすれば? 頭からでも尻尾からでも。流石に背びれからいったら食べづらいと思うけど」
「なら……」
口を、開ける。
包み紙から露出した頭部を入れ、噛む。そうして擬態した舌の上に乗り、味覚に触れた途端──震えた。
「どう?」
「……炭水化物と、糖質の塊だな」
「科学者かっ。味はどうかって聞いてんのよ」
「耐えられないものではない」
「あっそ。私もたーべよっと」
十分に噛み、固くて柔らかな感覚を堪能してから飲み下す。
ほんの数秒で消えていく後味。何故か、勿体ないと感じて次の一口を頬張る。
「……とても甘い、のだな」
「んー? ふふっ、で
味わい、飲み込んで、また食べる。
何度も、繰り返す。
その度、ぱちぱちと頭のどこかで何かが弾ける音がして、知らない何かが胸を満たす。
(これは、いったい、なんなんだ)
分からない。分からないが……
「とても、良い、な」
ともすれば、ギーツと戦った時と同じほどに。
夢中になるあまり、どんどん摂取していって……気がつけば、手の中に包み紙しかなかった。
「……終わってしまった」
「あっはは! なんて顔してんのよ! さっきまであんな幸せそうに笑ってたのに」
呆然としていて、その言葉にばっと顔を上げる。双葉が驚いて身を引いた。
「しあ、わせ。ぼくが、そんな顔を?」
「びっくりした……分かんなかったの? あんた、すごくいい表情だったよ?」
試しに自分の口元を触ってみる。既にたい焼きの残り滓しかなく、いつも通りの鉄面皮だ。
知らないうちに、自分のコントロール外のところで動いていたらしい。だが空白と同じような不快感はない。
むしろ、温度の高い感覚がぽっかりと空いた穴を埋め尽くしていて。
「そうか。幸せと、いうのか」
胸に手を置き、呟く。
幸福。本にもあった言葉。今までは概念しか知りえなかったものを、獲得した。
「ぼくは今、幸せだ」
じっくり染み込ませるように、また口にする。
すると、これまで閉じ込めていた記憶からも似通ったものが流れ込んでくる。
記憶が訴える感情の行き先に顔を向けると、彼女は美味しそうにたい焼きを味わっているところで。
(なるほど。お前の〝幸せ〟は
「んっ。ん? 何よ、こっち見て」
「何でもない」
「そう? はぁ〜美味しかった。私も発散できたわ」
「そうか」
「どう? ちょっとはやる気出た?」
「ああ。前の水準に達している」
「そ。だったら奢った甲斐があったわね。感謝! しなさいよ?」
「勿論だ。ありがとう、双葉」
やはり任せて正解だった。
礼を言えば、得意げだった双葉がふと、恐る恐るといった表情を見せる。
「……ねえ。私とあんた、前にどっかで会った?」
「それは──……」
──最後の決戦で見た、恐怖の表情が脳裏を掠める。
ジャマトを前に怯え、それでも必死に幼子を守ろうとする姿が、目の前の彼女と重なる。
続きを告げようとしていた口を閉じる。理由は、今回は記憶ではない。モトキ自身が、そうしたくないと考えた。
「いや。ぼくも、知り合いに似ていただけだ」
「……そう。名前まで同じなんて偶然ね」
「ああ、本当に」
ベンチを立つ。目的は達成した。これで次も、戦える。
「ぼくは行く。また会ったら、何か教えてくれ」
「あー、まあ、いいわよ。会えたら、ね」
「気をつけて帰れ」
「ぇ……」
確固たる足取りで、モトキは立ち去った。
遠ざかる後ろ姿を双葉が見つめる。彼女の眼差しには、また困惑が宿っていた。
(あの、言葉。聞き覚えがある、ような…………)
その戸惑いが何であるのか、双葉自身にも分からなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。