幼馴染が行方不明になってもう数週間が経つ。
学校はおろか家にさえ帰っておらず、連絡もつかない。まるで存在そのものが消えてしまったようだ。
彼の家族が捜索願を警察に提出しているが、結果は芳しくない。最初は珍しくサボリかと揶揄っていたクラスメイトや双方の友人も、日が経つにつれ事件かと不安を囁き始めた。
(
双葉も、時間の許す限り放課後に街を歩いては探している。
手がかりはない。ただ長年一緒にいた記憶から行ってそうな場所を回っては、落胆することの繰り返し。
そんなことが二週間ほど続いていた。
(……本当の本当に、何もないわけじゃないけど)
たった一つだけ、糸口となるかもしれない心当たりは、ある。
幼馴染がいなくなった日に現れた、瓜二つの姿をした謎の少年。
最初はまた悪ふざけをしているのかと近づき、だがどこか異様なものを感じて別人だと直感した。
否、そもそも
(あれ以来、あいつには会ったことない。図書館にも行ってないし、夢だったんじゃないかって思うこともある……でも)
彼は、自分の名前を知っていた。幼馴染の件と無関係とは考え難い。
しかし、少年を探すのに対してもどこか不安な気持ちがある。
もう一度彼と会ってしまったら、今度こそ幼馴染は完全にこの世界から消えてしまいそうな……そんな予感がするのだ。
馬鹿げていると思う。でも双葉は、その予感を捨てきれない。
(もし……もし誠樹についてあいつが、何か知ってるなら……)
失踪した親友を探し始めて半月。
気が強く、面倒見が良いことで常日頃から周りに好かれる彼女の心も確実にすり減っていた。
だからだろう。
行きたくない、
「…………来ちゃった」
それから20分後。
双葉は、あれほど避けていた市立図書館の近くまでやってきていた。
あと一つ、目の前の角を曲がれば入り口が見えてくる。その先には悪夢が待ち構えているような不気味さがあった。
学生鞄の取手を握る両手が微かに震えるが……
「……あーもうっ! だからって何も変わんないし!」
自分自身の弱気に嫌気が差し、ぱんっと軽く頬を張る。
ぐっと表情に力を込め、曲がり角を睨んだ。
(女は度胸! 何が悪夢よ、かかってこいっての!)
出来うる限り自分を鼓舞する。
緊張の糸が少しだけ解けた。今がチャンスと、また気分が落ちてくる前に大股で一歩踏み出す。
ゆっくりと、生垣の向こうの風景が目に映り込み──
「──っ! あいつって……!」
驚いたのも束の間のこと、きっと眦を吊り上げて双葉は歩いていく。
ずんずんと響く足音か、あるいは醸し出される圧力に勘付いたか。
彼女の視線の中心にいる、図書館の入り口でぼうっと立っている人物──幼馴染と見間違う容姿の少年は、ふとこちらを向いた。
歩みを止める。凡そ大股で五歩の距離。
その間隔を保ったまま、何を言ってやろうか言葉を選んでいたら、ふと彼の無表情が微かに緩む。
その表情がまたどこか似ていて、思わず声が口から漏れた。
「ぁ……」
「双葉。やはり、ここに来れば会えた」
予想通りだと、耳に届く声までも同じ。
違うのは思春期特有のつんけんとした感情が込められているか、まるで無味か。
それだけが唯一、完全に重ねることを戸惑わせた。
「この前は有意義だった。お前のおかげで色々と学ぶことができた」
「っ、あっそう。そりゃ良かったわね」
「ああ。確かこういう時は……助かった、と言うのだったか?」
「あん……」
あんた、まだ続けてるの。
なんてことを言いそうになって、ぐっと飲み込む。おそらく幼馴染ではないこの男に言うべきではないことだ。
「やはりお前は、
「っ……!」
「あれからいくつか知りたいことができた。だから──」
「……んなの」
微かに聞こえた一言。
何かと思えば、双葉が顔を俯かせた。
「なんなの、あんた。本当に誠樹じゃないの? 違うんだったら、なんでそんな事……」
「そんな事とは、何だ」
「それはもういいっての! 私が聞きたいのはっ」
誠樹をどこにやったの。
……駄目だった。たった一言が、どうしても口にできない。
聞いて、もしこの存在が恐ろしい真実を明かしでもしたら受け止められる自信がないから。
空白のような沈黙。
何も言わずにいる双葉をじっと見つめていた彼は、ふっと嘆息する。
「……そうか」
人間の〝ココロ〟とやらは複雑な代物らしい。
何故、双葉がここまで感情を露わにしたのかは理解できない。しかし教えを請えるような状態でない事は分かる。
「なら、次にしよう」
「……次?」
「これはお前が返しておけ」
早足で近づき、逃げる暇を与えずに本を差し出す。
面食らった顔をした双葉は受け取ってしまい、ずしりと両手に重みが乗った。
「またここに来る。その時に聞こう」
「だから、どうして私がそんなことを……って、ちょっと! 待ちなさいよ!」
言うや否や去ろうとする背中に呼びかける。
何歩か進んだところでぴたりという足を止め、彼は振り向いた。
「……確か、何かを与えられた人間には〝恩〟というものがあるのだったか」
少しだけ何かを思案してから、彷徨わせた眼差しを向け直して告げる。
「明日は街に出るな。〝いえ〟にいろ」
「は……?」
別れの言葉は、それ以上なく。
あの日と同じく、夕暮れがかったオレンジ色の道の向こうに、彼の姿は遠ざかっていった。
「……訳わかんない。ほんっとに」
結局、何も聞けずじまいだ。
ただ、手の中にある幾つもの本だけが、その数分が夢ではないことを証明していた。
●◯●
街中で、悲鳴が木霊する。
平穏な賑わいを享受していた昼下がりの街は、前触れなく降りた赤幕で包まれた。
「ジャ……」
「ジャ、ジャ……」
「うわぁあっ!?」
困惑する人々の前に歩み出たるは無数の
ゆっくりと確実に近づいてくる彼らに、誰もが恐怖して背を向ける。
『緊急事態で
その流れに逆らう者がいた。
人混みの中を堂々と歩いていき、どこか余裕すら感じさせる面持ちでジャマトの前に立ちはだかる。
《 〝DISIRE DRIVER〟 》
「──この世界も終わりは近い」
戦士の証たる漆黒の装具に己の
その一人、仮面ライダーギーツこと
《 SET! 》
「変身」
《 M.A.G.N.U.M 》 ▶︎▶︎▶︎
《 Ready...Fight! 》
指鳴りを伴い、引き金が引かれた。
シンボルから活き活きと飛び出す弾丸はぐるりと一周し、彼の姿を
「ジャーッ!」
「ハッ!」
「へ〜んしん! ニャッ!」
〔 Armed Claw 〕
「変身」
《 Z.O.M.B.I.E...! 》
「変身!」
〔 Armed Arrow 〕
《font:234》《 Ready...Fight! 》
ギーツの出現を皮切りにするよう、ジャマーエリアに包まれた街の各地でも仮面ライダーが次々と戦いを始めていった。
『事前にお呼び出しできなかったのは、今回のジャマトがラスボスだからです』
「ラスボス……最後のボスってことか」
通信越しに、ツムリがライダー達にナビゲートする。
そう。この侵略こそは、総力をかけて人類に挑むジャマト達の大決戦。
また彼らとの戦い、〝デザイアグランプリ〟に参加する人間達にとっても勝者を決める最後の一戦。
その名は──。
『これより、最終戦──〝缶蹴りゲーム〟を始めます!』
いよいよ、開幕だ。
「きゃーっ!?」
「に、逃げろぉっ!?」
戦士がいてもなお、ジャマーエリアから悲鳴が途絶えることはない。
彼らの数はたったの四人。対し、町中に存在するジャマトの数は数十にも上る。何の邪魔も受けない者らは悠々と人間を拐っていった。
狙っているのはより悲鳴の大きな、生命力のありそうな個体だ。
連れ去っていく先は今回の侵攻の主軸でもある一体のジャマトのもと。つまり、彼らの役目は
「ジャ!」
「
「ほらっ、走ってっ!」
「うわぁぁんっ!?」
ここにも二人、ジャマトから逃げる一般人がいる。
学生服を着た少女が、5歳ほどの童女の手を引いて駆けていた。
長い髪が風に流れ、必死の顔に張り付いて少し鬱陶しい。
だが止まるわけにはいかない。
自分の身の安全のためにも、混乱で親とはぐれたこの幼子のためにも、足を止めることだけはありえない。
(ああもうっ、最悪! だし! いきなり意味わかんないのが出てきたかと思えば、変な壁もできて! 何なわけ、これ!?)
恐怖と怒り、少しずつ上がってくる息を誤魔化すために心の中で悪態をこぼす。
学校が終わって街に繰り出したかと思えば、自分の理解を遥かに超えた事態に巻き込まれてしまった。
一つだけわかるのは、あの謎の怪物に捕まったら碌でもないことになるという予感。
身の毛もよだつ想像がいくらでも湧いてくる。
だというのに、たった一度図書館で見かけただけの子供をつい助けてしまうとは、自分のお節介さに呆れてものも言えない。
(だからって、見捨てらんないんだけどっ!)
そんなことをしては
……しかし、そろそろ限界が近い。
運動能力に秀でているわけではない上、理解不能な状況の真っ只中。おまけに小さな子供の歩幅も慮らなければならない。
体力の摩耗は当然激しく、じわりじわりと真綿で首を絞められるような錯覚に陥りそうだ。
「どけっ!」
「きゃっ!?」
「あっ!? ぶないっ!!」
そして、そういう時にこそ不幸は訪れるもの。
錯乱した様子の男が自分の進路上にいた幼子を怒鳴りつけ、驚いて小さな体が傾く。
双葉は咄嗟に、彼女を両手で抱え込むようにして一緒に倒れ込んだ。
「ったぁ……大丈夫?」
「う、うん……おねーちゃん、ありがと……」
「あんの男……!」
「ジャァ……」
「っ!? やばっ!」
怒りを燃やしている場合ではなかった。
自分の存在を強調して歩いてくるジャマト達に、双葉は周囲を見渡す。
(っ、あそこに路地が……でも……っ、ああもう、迷ってらんない!)
「よ、いしょぉおおっ!!」
「うわわっ!?」
「くっ、女は根性ぉっ!」
勢いよく起き上がったかと思えば、なんとそのまま幼女を抱え上げ、路地へ逃げ込んだ。
人が二人並んで通れるかどうかといった、非常に狭い道幅。
飛び出したパイプや空調設備らしきものを生存本能全開で華麗に避けて、一心不乱に進む。
「ここを、抜ければっ!」
「お、おねーさん!」
「泣かないで! 私が守ったげッ!?」
ほんの少し幼女を見た、その刹那。
地面に転がっていたペットボトルを踏みつけ、バランスを一気に崩し転倒した。
「あうっ!?」
臀部に走る二度目の痛みは、先程よりも激しく。
どうにか堪えながらまた立ち上がろうとして、力を込めた足首に稲妻のような激痛が走った。
「っづ……」
「おねーさん大丈夫!?」
「だ、だいじょ……」
「
「ジャ、ジャジャッ!」
ここまでだった。
振り向いた双葉と幼女の目に、路地へ走り込んでくるジャマトの姿が映る。
ほんの数秒で十数メートルの距離をないものとした彼らは、ついに追いついた二人を見下ろした。
「
「
「っ……!」
何を言ってるのかはわからないが、品定めをされていることはなんとなく察した。
もはや逃げることは叶わない。だとしても屈するものかと、幼女を強く抱きしめ、きっと睨み返す。
ジャマト達はそれさえも嬉しそうに笑い、手を伸ばした。
(っ……ごめん、誠樹。私、頑張ったんだけどね……)
あんたを見つけたかったよ、と後悔しながら、最後の最後まで目を逸らすことはなく。
「──
その精一杯の勇気が、幸運を呼び寄せたのだろうか。
背後から聞こえてきた声にジャマト達が振り向いた。
完全に終わりだと思っていた双葉も二体の隙間から向こう側を見ると、新しい三体目のジャマトがいるではないか。
そのジャマトはこちらにやって来ると、絶望に表情を失った双葉の前に立つ。
数秒間、じっと見つめられて怖気が走る。
「…………
「!
「
酷く冷たく響く異音。
顔を見合わせた二体はアイコンタクトを取り、唸り声を漏らすと苛立たしげに体を揺らして背を向けた。
あまつさえ、どうしたことか立ち去っていく。双葉は違う意味で唖然とした。
「……え……何で……」
「いっちゃっ……た……?
「──〝イエ〟ニイロト言ッタダロウ」
「え?」
突然、流暢にジャマトが喋った。
忘れていた我を取り戻してギョッとする。
聞き間違いでなければ、今この怪物は日本語を……人間の言葉を話したのか? 何故? どうして?
そんな彼女の前でジャマトが力み、蔦で体が覆われる。
数秒で霧散し露わになった顔は、双葉のこれまでの人生で見たどんなものより驚くものだった。
「──やはり、お前はぼくの予想を外れるな」
「──は? え、あ、あん、え…………?」
ほんの少し前まで怪物がいたはずの、そこに立っていたのは。
たった昨日会ったばかりの、顔も声も、どこか笑顔さえ幼馴染によく似た、謎の少年であった。
「あの時の……おにーちゃん?」
「お前は……そうか。図書館の
「なん、で……どうして、あんたが……」
もう、何もかもがわからない。
混乱の極みに達した双葉は情報の処理が追いつかず、ただそこに座り込んでいた。
目を白黒させて固まっている双葉を観察し、彼は現状における最適を判断する。
「それは後だ。今はここを離れるぞ」
「わぁっ!? な、何すんのよ!?」
「わわっ!」
「足を負傷しているだろう。連れていく」
「ざけんじゃないわよっ。この、離せ化け物っ、くっ、力強っ……!?」
「暴れるな。損傷が増える」
双葉を肩に、幼女を脇にまとめて抱え上げた彼は行き先を思案する。
と言っても、まだまだ人間の生息地については知識の習熟が足りない。実際に来たのも昨日ので二度目だ。
(〝あそこ〟しかない)
自ずと選択肢は絞られ、近くに感じる同族達の気配から遠ざかるよう、その場から移動を始めた。
●◯●
「痛むか」
「……痛まないわけないでしょ」
「そうか」
濡らしたハンカチが足首に巻かれ、動かせないよう固定される。
無人の図書館で衣擦れの音は大きく響き、キュッと木霊した。
その際の締め付けでかすかに眉を動かしたが、彼の前で痛がることが何となく嫌で我慢する。
「おねーちゃん、平気?」
「このくらいへっちゃらよ。ハンカチ、ありがとね」
「ううん、わたしもありがと!」
「このまま大人しくしていろ。外も直に終わる」
しっかり結べたことを確認して、彼は立ち上がった。
双葉はその鉄面皮を見上げる。そこに自分達を追いかけてきた怪物の顔がぼんやりと重なった。
「……わざわざ言わなくても逃げらんないっての」
「そうか」
淡白に答え、彼はすぐ近くの棚の方を向くと本を漁る。
自分でも理解が及びそうなものをいくつか選ぶと、テーブルの反対側に腰掛けて読み始めた。
一定の間隔で繰り返される、ページを捲る音。
街の混乱で
つられて眠くなったのか、うつらうつらとし始めた幼子の頭を撫でながら、彼の横顔を伺った。
(……マイペースなやつ)
謎多き彼の正体は、人を襲う怪物だった。
とすると自分の幼馴染はもしや、頭から食べられでもしたのだろうか。
熱心に読書しているあの顔の下にあるのは、紛れもなくこの世ならざる異形。
なのに……
「……ねえ。何で助けたの?」
「〝恩〟があると言った。それに、今お前にいなくなられては困る」
「困るって何がよ」
「まだ知りたいことがある。これも言ったはずだ」
彼にとって双葉は唯一、直接人間を知ることのできる貴重な存在。同族の養分になられては惜しい。
幼子を助けたのも人の文字を学ぶきっかけをくれたから。実に単純な理由だ。
(じゃあ、もしこいつが知りたいことを全部知ったら……?)
もう必要ないと、そう判断した時にはあの怪物達と同じように襲いかかってくるのだろうか。
……不思議なことに、その光景があまり想像できない。
あの日、図書館に感激して握られた手の感覚と無邪気な感謝の言葉が心に残っているのが原因かもしれない。
「何でそんなに勉強してるわけ?」
好奇心が疼いたか、思わずそんなことを口走った。
しまったと目を見開くが、遅かった。ゆっくり顔を上げた彼と目線が絡み合う。
「人間を知りたい」
「人間を……?」
頷いて、自分の手の中にある本の縁をそっとなぞった。
「人間は面白い。こんなに沢山の、ぼく達にないものを持っている。どうしてなのか、何が違うのか。ぼくは全てが知りたい」
語る声音は微かに高く、無感動で無感情だった目つきは子供のように爛々と。
知的好奇心。探究心。あるいは興味。呼び方はどれだっていい。
彼にとって重要なのは、それがただ一つ自分の中にある確かなもの。たとえジャマトとして異質だろうと、構わない。
「この前は聞けなかった。教えてくれ、双葉。人間にとって〝願い〟や〝夢〟とやらは、たとえ同じ種同士で騙し合い、戦って、蹴落としてでも手に入れたいものなのか?」
彼にはわからない。人間のギラギラの源が。
同族が掲げる人類滅亡という目的にさえ心が動かないのだから、ある意味当然かもしれない。
それでも、身を焦がし、あまつさえ自らを滅ぼしてしまうほどの輝きの正体をどうしても知りたいのだ。
「……確かに、人間にはそういうやつもいるかもね。たとえ誰かが不幸になっても、自分が幸せになれればいいやっていうのがさ」
「ならば、人間が大きな群れを形成できるのはどうしてだ。人の持つ〝
「そういう人間だけじゃないから」
静かに告げられた言葉に、ハッとする。
双葉は真っ直ぐで、迷いのない意志を込めて言った。
「いい? 人間の中にはね、たとえ自分が怖い目に遭ったり、傷ついたりしても、それでも誰かのために何かをできる人もいるの。そういう〝優しさ〟が、人と人を繋いでる」
「……優しさ、か」
「そうよ。ほんっと、底抜けにお人好しで優しすぎるバカだって、中にはいるんだから……さ」
〝昔〟の記憶を噛み締めて笑った。
幼馴染が身を挺して自分にくれた優しさのおかげで、今も笑っていられる。
だからこそ教えたい。この人間のことを知りたいという男に、人の強さを。
「だから、勘違い! するんじゃないわよ。人間ってのはそんな単純じゃないんだから」
「……そうか」
突きつけられた人差し指。
脳裏に、最初の
そういえば頭領にやられた戦士の一人も、誰かのためと言い残していた。
己のためではなく、誰かのために。
……意味として理解はできるようになっている。しかしまだ、実感というものがよく湧かない。
だが。
「そうなのかもしれないな」
「そうよ。ていうか、あんた人間を知ってどうしたいわけ?」
「……どう……したい?」
「は? なんか目的があったわけじゃないの? だったらわざわざ人間の姿してんのもなんでよ」
「……わからん」
今まで考えたこともなかった。
人間のギラギラに惹かれ、知りたいと思い、その果てに何があるのか。
学びたいことばかりで、終わりというものを今の今まで意識すらしてこなかった。
「ぼくは……」
何かを口にしようとした時。ふと、
残念だが、ここまでのようだ。首を傾げている双葉に彼は告げる。
「終わった」
「何のこと?」
「外だ。もう出ていい。
「はっ!? 嘘っ、つっ!?」
「んぁっ? おねーたん?」
驚いたあまり立ち上がって、足首の痛みでまた座り込む。
膝に体を預けていた幼子が目を覚まし、慌てて誤魔化すように笑いかけた。
それから胡乱げに彼を見る。
「……本当に?」
「次がいつ始まるかはぼくにもわからない。今のうちに行け」
「…………後ろから襲ってきたら、ぶん殴るから」
「どうして意味のないことをする必要がある。ぼくはここで本を読むんだ」
嘘をついているようには見えない。
思えば出会ってからこれまで……といってもまだ3回目だが……嘘をついたことはなかった。
常に直球で、自分の疑問以外には無関心。段々とそんなイメージが固まりつつある。
「おねーちゃん、帰るの?」
「うん、ちゃんと交番まで一緒に行くから。そこでお父さんとかお母さんに連絡しようね」
「うん。おにーちゃん、ばいばい!」
「……ああ」
幼子に手を振り返す。
相変わらずの物怖じのしなさに多少とも面食らっているのが面白くて、思わず微かに口角が上がった。
「じゃあ、行くけど」
「気をつけて帰れ」
「っ。ええ、言われなくても」
ぶっきらぼうだが、柔らかな言葉。
それが最後にまた少し、先ほどとは別の顔が重なりながら、双葉は幼子の手を引いて図書館を後にしていった。
「優しさ……興味深い」
今度こそ人間のいなくなった静寂に呟きを溶かして、またページの端に指をかけた。
読んでいただき、ありがとうございます。