乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話 作:ヤナギ
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︎︎西ノ宮邸の──正確にいえば本邸の離れにあるその地下牢は、あまり外部の人間には知られていない。
︎︎あえてわざわざ周知するような存在では無いので当然だが、あの地下牢を認知しているのは西ノ宮以外だと錦戸家か、派閥の長老たちか、あるいは護國衆の隊長格以上の人間くらいだろう。
︎︎というのもこの西ノ宮地下牢は、古くは江戸時代半ばから西ノ宮家による妖怪の研究が行われていた施設であるからだ。
︎︎それだけなら特筆すべき点は何も無いのだが、彼らが地下で行ってきたことは妖怪側からすればあまりに惨く、基本的に妖怪サイドで話が進む原作ゲームでもこの地下牢に関してはかなりグロテスクな描写がされていた。
︎︎とあるバッドエンドルートでは、西ノ宮家の戦いに敗れた原作主人公が解剖を受けて死亡したのだが、その解剖を受けた場所というのが何を隠そうこの西ノ宮地下牢だった。
︎︎この牢では西ノ宮家によって、妖怪の研究とは名ばかりの苛烈な拷問が昭和二十年代まで盛んにされていた。
︎︎もちろん妖怪の組織の情報を引き出すという目的もあったが、どちらかといえば人間社会を乱した罰としての側面の方が強かったのだろう。
︎︎そのため、石造りの冷たいその空間には多くの拷問器具が備え付けられており、江戸時代当時に使われていたような拷問も実際に行われていた。単なる拷問が妖怪の研究に変わったのは解体新書を始めとする蘭学が国内に入ってきたことがきっかけだった。
︎︎妖怪にも肉体がある以上痛覚がある訳だが、故に”どれだけ苦痛に耐えられるのか”や、”個体別の明確な弱点の有無の確認”など様々な研究が長年にわたって実施され、担当者の趣味か当時の当主の命令によるものなのかは定かではないが、その詳細かつ重厚な記録書は丁寧に保管されていた。
︎︎そんな妖怪に対する拷問の記録書の存在は、昭和から始まった、妖怪の力を暴いて軍事転用しようとしていた帝国陸軍との共同研究に大なる進歩をもたらす。
︎︎事実、彼らはそれまで肌感覚でしか捉えられなかった”妖気”を科学的に観測できたというのだから驚きだ。科学的に観測が出来るということは、何らかの手段で操ることも可能だと考えた日本軍は、妖気を用いて”半妖半人”を大量に養成し、それを特別強化兵などと銘打って戦場に送り出そうとしていたらしい。
︎︎だが昭和二十年の八月に日本帝国が連合国に対して
︎︎西ノ宮側に残っていた物についても、公職追放令や日本国憲法施行による華族制度廃止の影響で長い混乱期にあったためかほとんどが消失した。公威が”金剛金丹”の解析に利用した資料は、そんな僅かに残っていた物の一部でしかなかった。
︎︎仮にそれらの資料が今でも残っていれば、妖気に反応して動くような機械も作れたかもしれないし、そうであるならば現在のように護國衆の肌感覚に頼りきった綱渡りのような妖怪退治をすることもなかっただろう。
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︎︎とはいえ、そんな護國衆の研ぎ澄まれた感覚のおかげで京都から妖怪は駆逐され、この千年の都は人間勢力の総本山にして絶対不可侵の領域となっている。
︎︎彼ら護國衆にとって京都から妖怪を駆逐したという実績は、今なお強い誇りだ。
︎︎醜く穢れた人外の化生を京都から追い出した先達のように、今度は近畿から妖怪を根絶したい。そしていずれは北海道から沖縄に至るまでの列島全てから妖怪共を根絶やしにする。護國衆は皆そう決意し、刀や銃を握りながら命をかけた戦いに日々身を投じているのだ。
──だからこそ、先日発生した今回の”西ノ宮彩葉襲撃事件”はそんな護國衆の不壊の誇りに唾を吐き捨てる等しい出来事であった。
「おい、答えろ妖怪。テメェは誰の命令を受けて、どんな目的を持って京都にやってきたんだ? あぁ!? つーか彩葉様を拉致って何する気だったんだコラァ! もしかしてぺドか? ぺドなのか!? イチモツちょん切るぞボケェ!」
「っ……あ、……あ、あ、くけけけけけ、へあ?」
「……チッ」
︎︎普段は誰も立ち入ることのない西ノ宮地下牢には現在、複数の人影があった。彼らは一様に険しい顔を浮かべながら、太い鎖にグルグル巻きにされている妖怪を睨みつけている。
︎︎ここに集まっているのは護國衆の隊長格。
︎︎近畿地方を管轄している一番隊と、中国地方管轄の二番隊、中部地方管轄の三番隊、四国地方管轄の五番隊、そして偶然にも京都に戻ってきていた北海道担当の九番隊だ。
︎︎全員ではないにしろ、こうして複数の隊長が一堂に会する機会など年に一度あるかないかだが──それだけ今回の事件が護國衆に与えたショックは大きかったという事である。
「おい桜庭! テメェ情報引き出す前から半殺しにしてんじゃあねぇよ!!」
︎怒号を上げながら妖怪を問い詰めていた金髪の青年は、怒りの向きを背後の少女に変えた。そこには何食わぬ顔でおにぎりを食べている桜庭が立っている。
︎︎桜庭や西ノ宮家から西ノ宮彩葉襲撃の報せを聞いて、慌てて妖怪を捕らえているという地下牢に来てみればこの有様だ。四肢が切断されている事はまあ良い。あの桜庭ならやるだろうと寧ろ納得したくらいだ。
︎︎だが他の隊長らが集まる前に、一人で勝手に尋問という名の拷問をするとは何事か。確かにここはそういう場所だが、この前代未聞の事態に”拷問しまくったせいで何の情報も得られませんでした”では、西ノ宮家はおろか総会の老人たちが怒り心頭になることは目に見えている。
︎︎にも関わらず、当の桜庭本人は呑気にメシを食っている。まるで事の重大さを何も分かっていなさそうなその面に、五番隊の隊長を務める金髪の彼──
「死なない程度に痛めつけただけだ。問題ないだろ?」
「精神ぶっ壊れてたら何も聞き出せないだろうが! 殺さなきゃ良いってもんじゃねえんだよ!」
「む、そうか……この新作おにぎり意外と美味いな」
「ああ分かった、テメェはそんなに俺と喧嘩したいんだな──刀出せや」
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︎︎正に一触即発状態だった。
︎︎護國衆において、一番隊の桜庭と五番隊の工藤が犬猿の仲であることは広く知られている。二人とも同年代で世間的にはまだ高校生だが、類まれなる実力が総会に評価され、桜庭と工藤は歴代最年少ながらも隊長に就任した。
︎︎だが同じ立場であったはずの桜庭が、神祇瑞光院の本拠地たる京都を守護する一番隊の隊長になったことについては、工藤は今も納得がいっていなかった。
︎︎数字が若いからといって工藤より偉くなる訳ではなく、そもそも全隊長らの上には護國衆そのものを統括する”局長”が居る。故に彼らは対等な関係であったのだが、確かに実力は認めているものの、人間性や協調性に重大な問題があると公に言って憚らず、こうして顔を合わせれば九割九分九厘、喧嘩寸前に発展する。
︎幸か不幸か。桜庭はそんな工藤のことを全く相手にしていなかった。神祇瑞光院の若き最強と呼ばれる桜庭にとって、工藤はライバルですらない単なる同僚でしかない。仮に彼女の気が短かったら流血沙汰所の騒ぎではなくなっていただろう。
︎︎しかしプライドの高い工藤にとって、彼女のそんな見え透いた態度はかなり癪に障る。そのため刀や銃を交えた喧嘩にはならずとも、毎回のようにやはり桜庭に突っかかるのだ。
︎︎加えて今回に至っては彼女の部隊が管轄する京都での出来事。桜庭ともあろう女が妖怪の侵入を察知できないとは、という怒りもそこには含まれていた。
︎︎だが幸いにも、こういうときに必ず止めに入る人物がこの場には居る。
︎︎190センチにもなる高い身長と、スーツの上からでもわかる分厚い胸板が特徴的なその男は、苦笑いを浮かべながら両者の間に割って入った。
「ま、まあまあ落ち着けよ工藤くん。彼女の暴走は別に今に始まった事じゃないだろう? 確かに襲撃を未然に防げなかったのは一番隊の失態だが、結局彩葉様は怪我なくお助けできたじゃないか。プラマイゼロってやつだよ」
「熊岡さん……けどよぉ……」
「桜庭ちゃんに関しては本当なら減給する所だが、当の彩葉様や西ノ宮閣下も我々に怒ってはいないしね。年末の長期休暇取り消しってことでどうだい? 局長には僕から進言しておこう」
「え」
「……あんたがそう言うなら、分かった」
︎︎工藤は渋々、取り出した刀を鞘に納めて桜庭から距離を取った。無表情ながらも明らかにショックを受けているであろう桜庭も居るが、彼女はともかく見事に工藤の溜飲を下げた彼の名は──”
︎︎隊長は互いに平等の立場であり、決して明確な序列はない。けれどやはり年齢や実績などから、工藤のように他の隊長に対して下手に出る者も居た。
︎︎特にこの熊岡という男は、熊ちゃんなどというその可愛らしいあだ名とは裏腹に、北海道という広大な地域を管轄する九番隊を率いていることもあって凄まじい実力者だ。総会からの信頼も厚く、工藤も彼に対してだけは絶対に逆らうことはない。
︎︎かなり我が強い護國衆隊長らを上手くまとめる、それこそ潤滑油のような男が彼であった。
「桜庭の件は後だ──しかしどうする熊岡? ギリギリ死んでないだけの肉塊に用はないぞ」
「完全に事切れる前にこの妖怪を治療してやるしかないね。松浪くん、悪いけど衛生班を呼んでくれないか。生憎と僕は携帯の充電が切れていてね」
︎︎ほら見て空っぽだよ、と懐から使い古されたガラケーを取り出す熊岡に、三番隊隊長の”
︎︎中部地方という広い地域を管轄していることからもわかる通り、彼もまた熊岡に勝るとも劣らない実力者であるが、同世代であり温和な性格の熊岡とは対照的に、冷たい雰囲気や厳しい言動もあって部下からは怖がられている。そのため似通った性格の工藤とは仲が良く、反面マイペースな桜庭とは反りが合わない。
「全く……充電くらいしておけよ。閣下に言ってコンセントでも借りたらどうだ? ああ、いや、ダメだな。変な所を触って屋敷を燃やすに違いない。ただでさえ西ノ宮家には要らぬ迷惑をおかけしているのに、お前がそんなことしたら隊長クラス全員で切腹案件か。あと局長は総会で晒し首だろうな──良し、北海道帰るまでそのまま充電切らしておけ熊岡」
「キミは僕のことをなんだと思っているんだい……流石にそこまで機械音痴じゃないよ……」
︎︎護國衆の隊員の治療を担当している衛生班を電話で呼びながら、至極真面目に酷いことを口走った松浪に対して、熊岡は傷付いた様子で肩を落とした。
︎︎そんな二人を余所に、壁にもたれかかっていた工藤は不機嫌そうに舌打ちをする。彼が怒っているのはもちろん熊岡たちにではなく、隣で長期休暇が取り消しになってひとり打ちひしがれてる桜庭にだ。
「……妖怪を治療だと? 余計な手間かけさせやがって。テメェのせいだぞ桜庭」
「休み……私の休みが……私のニューヨーク旅行が……消えた?」
「聞けよクソが……!」
︎︎しかし床に落としたおにぎりを拾い上げ、コンビニで貰ったビニール袋に入れていた桜庭の頭には、妖怪への治療云々よりも長期休暇取り消しの件しかなかったようで、そんな彼の言葉は届かなかった。
︎︎桜庭の趣味は旅行、それも海外に行くことが好きだ。
︎︎今回の襲撃事件はともかくして、基本的に京都には妖怪が居ないので常に暇をしている桜庭だが、普段はあまり休みを取ることはなく、学校に行く傍らで鍛錬漬けの日々を送っている。
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︎︎なのでたまに二週間ほどの休暇を取っては海外に行っているのだが、それが取り消しになると聞いて彼女は気分が沈んでいた──そんな桜庭の肩が誰かにトントンと叩かれる。
︎︎彼女は床から視線を移してそちらを見ると、そこには顔の横半分を包帯で隠した男が立っている。暗い表情を浮かべていた桜庭が物珍しそうに驚き、傍に居た工藤も目を見開いた。
「…………桜庭、本当になにも情報は引き出せなかったのか」
「おや、小笠原さん。貴方が口を開くとは珍しい。久々にそのしゃがれた声を聞いた気がするよ」
「……」
「黙っちゃった……」
「熊岡さん……」
「お前本当にデリカシーないな。そういうとこだぞ」
︎︎この場に隊長らが集ってから一度も言葉を発しなかった男。彼の名前は
︎︎非常に寡黙な人物として知られ、彼の声を聞いたことがないという隊員は多い。その不気味な出で立ちといい、物静かな態度といい、やもすれば松浪とは別ベクトルで──そして彼以上に部下からは怖がられている男だろう。
︎︎ナチュラルに皮肉ったようにも思える言葉をかけた熊岡に、工藤と松浪は白い目を向けた。
「あ、あはは……ごめんごめん、ついね!……それで? 小笠原さんはどうしてそう思ったのか聞いてもいいかい?」
「………………この女が頭のおかしい奴なのは否定しないが、こんな襲撃事件を経て尚、好き勝手するほど頭が足りない奴ではないだろう。何の情報も聞き出せなかったとは到底思えん」
「ふむ……」
︎︎護國衆の狂犬などと呼ばれているが、しかし小笠原の言う通り、桜庭は仕事熱心な一面もある。暴走しがちなのが玉に瑕だが、護國衆はおろか神祇瑞光院全体を震撼させた今回の西ノ宮彩葉襲撃事件──仮にそこの妖怪を死なせてしまえば、京都含む近畿地方を任されている自分自身が総会にその責任を追及させられる。腹を切れと言われてしまう可能性も無きにしも非ずだ。他の隊長だって無関係ではいられない。
︎︎海外旅行のための長期休暇取得という理由はあれど、元々の休日を返上してまで職務に熱心に取り組んでいることは隊長たちもよく知っている。
︎︎故に小笠原の言葉には一定の説得力があり、熊岡は考え込むように唸る。
︎︎彼女以外の四人は揃って地下牢に入った。しかしこれから情報を引き出そうとしていた矢先に、桜庭によって痛め付けられて精神崩壊していた妖怪を見た工藤が怒ってしまい、放置したら尋問所ではないと思った熊岡が仲裁に入ったのだ。
︎︎そして気付く。そういえば自分たちは桜庭から何も聞いていなかった、ということに。
︎︎彼らは死にかけている妖怪の様子と、それをやったであろう桜庭が平然とおにぎりを食べていたことから、結局なにも聞き出せなかったのではないかと勘違いしてしまっていたのである。引き攣る口角を自覚しながら、熊岡は微妙な顔をして桜庭を見やった。
「誰が頭おかしいって?」
「お前だよ、お前以外居ねえよ」
「結局どうなんだ桜庭。時間が惜しい、端的に答えろ」
「む……」
︎︎工藤と松浪に睨みつけられて、不貞腐れたように口を噤む。そしてポンポンとスーツに付いた埃を払いつつ、桜庭は立ち上がった。
「情報と言っても、支離滅裂な事ばかりで私が聞き出せた事は特にないさ──ただ、そこの妖怪のポケットの中には使用済の例のクスリが入ってた。ほら、最近よく大阪辺りで見かける……なんだったかな、こんごーなんちゃら」
「金剛金丹か……?」
「ああそう、それだ。彩葉様に襲撃を仕掛けたときにはもう理性飛んでいただろうし、衛生班を呼んで治したって無駄さ。結構な量使ってたみたいだから脳ミソがやられてるはず」
「チッ、じゃあ結局何も分からずじまいかよ」
「いや、そう事を急くな工藤。……他にはどうだ? コイツがわざわざ京都に侵入して彩葉様をピンポイントで狙った辺り、計画的犯行なのは間違いない。仮に今回の襲撃があちら側全体の意思なら、それは我々に対する宣戦布告と同義だ。西ノ宮も黙っていないだろう」
「断言は出来ないが、それは違うのではないか」
「なぜだ?」
「ソイツの携帯を見たのだが、どうやら彩葉様を攫って殺したあと、その首を送り付けて来るつもりだったらしい。仲間に送ってたメールの内容を鑑みるに、あくまで彼は我が院と戦争しがっている厄介な過激派グループの構成員であって、別にあっちの組織全体の意思で動いた訳じゃなさそうだったよ」
︎︎それを早く言えよ、というツッコミは全員が飲み込んだ。
︎︎彼女の話を聞くに妖怪の口から何も聞き出せなかった、ということ自体は本当なのだろう。とはいえ、そも携帯のメールという確固たる証拠を既に得ているのなら、こんな無意味なやり取りに時間を浪費する必要はなかったのだが──桜庭に言っても無駄なのは分かりきっていたので、どこか疲れたような様子の熊岡は小笠原と目を合わせて肩を竦めた。
︎︎一方で、桜庭に思うところはあれど、割と大人しく彼女の話を聞いていた工藤と松浪は顎に手をやりながら思考に耽っていた。
「つまり今回の襲撃事件は、一部の妖怪の暴走ということか?……いやしかし、それはそれで問題だぞ。なぜ妖怪が彩葉様の下校ルートや使用人の車を知っている? 京都にはそこの狂犬女が居るんだ。コイツの目を掻い潜って彩葉様を調査出来たとは到底思えん」
「っスね……となるとコイツは事前に情報を得て、府外から直で彩葉様の下校ルートに来た訳ですか。佐々木とかいう彩葉様を送迎している使用人の車種も把握した上で」
「そういう事になるね。これは由々しき事態だよ」
︎︎熊岡はいつになく険しい顔をして二人に頷いた。
︎︎護國衆最強の隊員は誰かと問われれば、百人中百人が桜庭の名を挙げるだろう。隊長らも総会の老人たちも、彼女の普段の素行や言動はどうあれ、その一点だけは神祇瑞光院の全員が認めている。
︎︎故に不可解極まりない。
︎︎間一髪の所で防げたとはいえ、この妖怪がそんな最強の女を出し抜いて西ノ宮彩葉への襲撃に成功しかけたという事実が。
︎︎しかも事件発生時に桜庭は京都府内に居たのだ。にも関わらず襲撃を仕掛け、西ノ宮家からの緊急要請が行き渡るまで一番隊の誰も気付けなかった。桜庭ですら、公威からの連絡でようやく鞍馬街道方面からの妖気を認識したほどだったのだ。
︎︎つまるところ今回の襲撃事件は──妖怪が桜庭でさえも他人に言われて初めて気付けたほど微小に妖気を抑えていたことに加え、京都侵入から彩葉襲撃に至るまでのプロセスを非常に短時間で済ませていたことに起因する訳だ。
︎︎妖怪の力の源である”妖力”を上げる事が出来るという金剛金丹を使ってなお、彼は妖力に付随して強まるはずの妖気を抑えていた。それが出来る個体など、例のクスリが発見されてからは一度も見たことがない。
︎︎その事に気付いた工藤たちは一様に黙り込む。やはり彩葉を襲撃するという大胆な策の実行を任されたあたり、相当に強かったのだろう。それでもやはり桜庭の敵ではなかったのだが、最大の疑問点がまだ残っていた。
「……仮に、仮にだぞ。ソイツの情報源が神祇瑞光院の人間だったらどうする? 熊岡」
「それは……うん、考えたくもないことだね」
︎︎妖怪退治組織の人間が、妖怪に内部の情報を流出させ、彩葉襲撃事件に繋がったのではないか。松浪はそう考えて熊岡に訊ねたが、熊岡は苦い顔を浮かべるばかりであった。
︎︎西ノ宮邸の位置は、府外の者であっても調べようと思ったらいくらでも調べられる。彩葉の通っている学校についてもだ。だが彼女は登下校の手段として使用人の自動車を利用している。それを知るには妖怪が学校に張り込んで時間帯を知る必要があるが、流石にそれを見過ごすような桜庭たちではない。
︎︎つまり彩葉が帰宅する時間帯を調べる過程において、妖怪はそこに介在していないことになる。であるならば今回の襲撃事件を企てた過激派グループに協力し、情報を与えた人間が居るという考えに至るのはごく自然な流れであった。
︎︎気になるのはその人間が、神祇瑞光院の者なのかということだ。彼らが探偵や何でも屋の類を使えば、妖怪ではなくとも調べることは可能だろう。あるいは全くの無関係である第三者が、妖怪が妖怪であることを知らずに協力してしまったというのも有り得る話だ。
︎︎しかしそうではなかった場合は、必然的に組織の内部に裏切り者が居るということになってしまう。
︎︎総会を筆頭に、神祇瑞光院は理想を忘れて金に溺れる腐った人間の集まりだ。とはいえ、仮にも同志である彼らがそうであるとは考えたくは無い。熊岡は思わず舌打ちをした。
「情報提供者が護國衆の可能性はどうスかね?」
「ない、と言いきれないのが怖いな……仮にそうだとするなら北区の護國衆本部の人間か、あるいは──」
︎︎京都含む近畿地方を管轄する一番隊か、と言いかけた松浪であったが、自身を無表情で見つめる桜庭の視線を前に口を閉ざした。
「私の部下にそんな裏切り者は居ない。根拠の無い言いがかりはやめてもらおうか」
「なぜそう言い切れる? 正直言って最も怪しいのは一番隊だ。他の隊は自分の担当エリアからは出ないしな。なら近畿のお前らしか居ねぇじゃねぇか」
「工藤、よせ。今のは俺の失言だった。忘れろ」
「いいや、ハッキリさせるべきッスよ。そもそも桜庭がそいつの妖気に気づかなかったってのも変な話じゃないスか。おい桜庭、この前京都に入ってこようとした妖怪だって県境で真っ先に殺したんだろ?なのに今回だけは気付きませんでしたってか?」
「──私が”そう”だと言いたいのか、工藤」
「──だったら何だよ、犬っころ」
︎︎先ほど彼が突っかかった時とは違い、今度は桜庭も腰に引っ提げた刀に手をかけた。無表情なのは相変わらずだが、その双眸に怒りや不快感が宿っていることは誰でも分かるくらい剣呑な雰囲気を醸し出している。
︎︎現状分かっている情報から裏切り者は一番隊ではないのかと猜疑心を抱き、あからさまに不信感を露わにしている工藤も、しかし何だかんだ言って彼女が裏切り者であるとは思っていない。
︎︎とても憎たらしいし、ハッキリ言えば嫌いな部類に入る女だが、付き合いの長さ故に裏切るような浅い人間では無いこともよく知っている。だが彼女が知らないだけで、桜庭の部下の誰かが組織を裏切っているかもしれないと彼は思った。
︎︎部下への強い信頼を抱く桜庭が、そんな不信を受け入れる事が絶対にないと分かっていても、誰かが言わなければならないと工藤は同時に考えていた──それ故に彼は、松浪があえて言わなかったことを言ったのだ。怪しいのはお前たちであると。
︎︎刀に手をかけて向かい合う二人によって、地下室の空気が一変する。その様子を見た松浪と小笠原は、流石にこれは止められそうにないな、と彼女たちから距離を取った。
「──はいストップー! ほんと君たち仲悪いな!! 地下牢をぶっ壊す気かい? 二人とも自分の力の強さを自覚しなさいな!ここは一応、西ノ宮家の敷地内だぞー!」
「そこを退け、熊岡」
「いいや退かないね、君が刀から手を離してくれるまでは」
「別に殺しはしないさ、そこのチンピラモドキを少し分からせるだけだ。……それとも何だ、お前も私の部下が裏切り者だと言いたいのか? 四人がかりでも私は構わないぞ」
「ああ!?」
「おい俺たちまで痴話喧嘩に巻き込むなよ」
「……松浪、そもそもこうなったのは貴様が発端だぞ」
「……いや、まあ……そうだが……」
「はいはい終わり終わり! 落ち着いてくれよ桜庭ちゃん。工藤くんも。まだ僕たちは容疑者を絞れるほど情報が集まっていないんだぜ。怪しいってだけで話を進めて内輪揉めなんて、それこそ妖怪の思う壷だよ」
︎︎護國衆の苦労人は、やはり今日も損な役回りばかりせざるを得ないようだった。二人の間に割り込んだ熊岡は、背後と正面からぶつけられる殺気をものともせずに、至極大人な対応で桜庭たちを制止する。
︎︎数秒間そんな彼を睨みつけていた桜庭だったが、しばらくして熊岡の言葉に納得したのか、ふんと腕を組んでそっぽを向いた。自分の感情を抑えきれない辺りは、いくら最強と畏怖される狂犬もやはりまだ子供だなと思う。工藤に関してもだ。
︎︎集まったメンバーを見た瞬間から熊岡は面倒な気配を察していたが、結局こうなってしまった。小笠原も松浪もこういう時も知らん顔をしてばかりで、全く頼りにならない。
︎︎小笠原はともかくして松浪だ。彼が余計なことを言いかけたせいで二人がこうなったのだから、責任を取って自分で何とかして欲しかったところである。
「はぁ……今日は解散しよう、二人ともいいね?」
「……ッス、わかりました」
「……チッ」
「熊岡、解散するのは良いがソイツはどうする? もう衛生班はこちらに向かっているぞ」
「うーん……まあ治療はしてもらおうか。彼には色々聞かなくてはならない事があるしね。桜庭ちゃん、彼の携帯を渡してくれ。証拠品として持っていく」
「おい、本部にか?」
︎︎桜庭から妖怪の持っていた携帯を手渡された熊岡は、懐から取り出したハンカチに包んでポケットに突っ込みなから、怪訝な様子の松浪に答えた。
︎︎桜庭が”そう”かはともかく、一番隊に関しては疑いがかけられてもおかしくはないと考えている松浪は、護國衆本部に対しても同様の感想を抱いていた。
︎︎少なくともこの京都に限っていえば、妖怪の発する妖気はかなり分かりやすい環境である。妖怪が居ないので、仮に妖怪が京都に入ってこれば、真っ白な羊皮紙に黒いインクが垂れてしまったかのような違和感を強く感じる。それは護國衆の隊員なら気付いて然るべき違和感であり、護國衆本部の人間も同じだ。
︎︎むしろ松浪は、一番隊というよりも本部の関与への疑いを深めていた。現場で実際に命を懸けて戦う各隊の隊員とは、妖怪に対する感覚や価値観に多少の差がある。
︎︎一度でも奴らと戦ったことがある者なら妖怪と協力しようなんて考えには至らないだろうが、本部の者たちなら金に目がくらんで情報を渡してしまったという想像もつきやすい。
︎︎信頼度でいえば、安全地帯でふんぞり返っている高慢な奴らよりも、桜庭を含めた一番隊の方がよほど高かった。まだ不確定な情報ばかりなので、そんな一番隊にも疑いを抱いてはいるが。
「君の言わんとしていることは分かるけど、心配しなくともこの件は局長と他の隊長たちにしか言わないさ。本部が怪しいと思うのは僕もだし。ああ、あと局長次第になるけど、皆には口裏を合わせてもらうかも……まあ、被害者である西ノ宮家にはしっかり伝えなくてはならないだろうが……報告書は別で揃えようかな」
「バレたら切腹案件ッスね……」
「ははっ、確かにね。んー、その時は誰に介錯をお願いしようか」
「安心しろ工藤。この場にいる時点でお前も同罪だ。嘘の報告をしたなんてバレたら全員で仲良く首を晒すことになるな」
「……」
︎︎仲良く晒し首とはこれ如何に。
︎︎工藤はそう思ったが、松浪の目が割とガチだったので顔を青く染めた。
︎︎神祇瑞光院は政府公認であるが、世間には一切知られていない超法規的秘密結社である。通常なら法に問われるようなことも平然と行う集団だ。銃刀法には中指を立て、活動資金を集めるためならばマネーロンダリングや政財界要人への賄賂も日常茶飯事。
︎︎人間社会を守るという大層ご立派な存在意義があるからこそ、日本の中枢は神祇瑞光院を認めている。あらゆる法を超越する彼らが仮に重大な問題を引き起こしたならば、それを裁くのは裁判官ではなく、総会の老人たちである。
︎︎古くは朝廷、続いて幕府、そして現在は政府と繋がっている彼らは正しく日本の歴史の裏に潜む機密の塊だ。そんな組織を暴こうとするほど勇敢なマスメディアは国内に存在しないので、内部で行われることは決して表沙汰にならない。
︎︎故に切腹なんて時代錯誤な処罰が与えられることもある。
︎︎実際、過去には妖怪に脅迫されてテロ計画への協力を余儀なくされた護國衆の隊員が、その後に腹を切っている。噂では名誉を守るために自ら死を選んだというが、その真相は誰も語らない。
「安心しなよ工藤くん。絶対にそうならないよう年長の僕たちが動くから──じゃあ今日は解散だ! みんなお疲れ!」
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︎︎本部からやってきた衛生班の者らと入れ替わるように、熊岡を除く四人は地下牢から地上に戻った。熊岡は彼らに状況説明をするらしく、バイバーイと手を振りながら階段を上っていく桜庭たちを見送っていた。
︎︎牢の酷く淀んだものとは違う綺麗な空気を、深く肺に取り込む。空間自体に血が染み付いたかのようなあの地下牢は、あまり長居したいと思うような場所ではなかった。そんな離れを出た彼らは開放感が広がると共に身震いするような寒さに包まれる。
︎︎
︎︎冬の京都は結構寒い。盆地なので冷気が貯まりやすい地形であるからだ。いわゆる底冷えである。冬も終わりかけとはいえ、まだまだこの時間帯は寒かった。
︎︎明かりに照らされた白い息が、冬の夜空に薄い霧のように溶けて消えていく。寒いのが苦手な工藤はすぐさまポケットに両手を突っ込んだ。
「工藤、お前はこれからどうする?」
「……あー、とりあえずホテルで寝て朝方に徳島へ帰ろうかと」
「そうか。特に予定がないなら飯でもどうだ? まだ酒は飲ませてやれんが京都の美味い飯屋なら色々知ってるし、奢ってやるよ」
「いいんスか? じゃあお願いします」
「小笠原さんも来いよ、こんな時じゃなきゃ集まれないだろう? 個室の居酒屋にでも行こうぜ」
「……了承した」
︎︎楽しそうに飯を食べに行く予定を立てる松浪たち。多忙な毎日を送る隊長が複数も集まれるのは、それこそ年に二三回程度。仲のいい松浪と工藤はともかくとして、独りを好む小笠原まで参加するとなるとかなり貴重な機会である。
︎︎わいわいと騒ぐそんな男集団を他所に、空に浮かぶ月を仰ぎ見ていた桜庭はボケーっと何か考え事をしているようだった。あまり小笠原のことを知らない工藤が、折角だしと彼に色々な質問をしている微笑ましげな様子を横目に、松浪はそんな桜庭にも声をかける。
︎︎一人放置して残りの三人で飯を食べに行くなんて、いくら桜庭を嫌っていてもそこまで大人気ないことは松浪もしない。まあ来ないだろうなと思いつつも、一応は誘いをかけた。今ごろ衛生班による妖怪の治療に立ち会っているであろう熊岡は一旦頭の片隅に追いやっておく。
「おい桜庭。これから工藤と小笠原さんの三人で飯食いに行くんだが……お前も来るか。たしか焼肉好きだっただろう」
「…………ん? ああ、私は遠慮しておくよ。少し西ノ宮家に用があってな。男三人で仲良く楽しんでくるといい。工藤も私が居たんじゃ大人しく食べられないだろうし」
「いくら工藤とはいえ、外でそんな子供じみた癇癪はせんだろう。……というか西ノ宮家に何の用があるんだ」
「気になる子がいてな。……松浪、事件のとき彩葉様と一緒に同い歳くらいの男の子が乗っていたことは知っているか?」
「……そういえば、聞いたような……気もするが」
︎︎西ノ宮という苗字に気を取られ、同乗者についてはあやふやだった。確かに桜庭から送られてきた緊急の通達メールで、そのような事が書いてあったような気もしなくもない。だがそれがなんだと言うのか。
︎︎妖怪は彩葉を狙ってきた。使用人が病院に搬送されるほどの怪我を負ったということは、敵は最初から彩葉以外の人間についてはどうでも良かったということになる。今回の件を話し合うにあたって事件時に乗っていた使用人やその同乗者よりも、彩葉を重要視するのはごく当然のことだったが──桜庭の思惑がよく分からず、松浪は首を傾げた。
︎
「私は閣下に連絡を受けてから現場に到着するまで、およそ五分はかかった。そして彩葉様たちから閣下へ連絡が行くまでのタイムラグを考えれば、もっと前の時間から彼女たちは襲われていたことになる」
「ああ、それがどうした?」
「あのクスリを使って理性が飛んでいながら、この私が気づかないレベルまで妖気を抑えるなんて器用な真似をするような個体が、なんの力もない児童一人を拉致するのにそんなに長い時間をかけると思うか?」
「それこそ、その佐々木とやらが抵抗したんじゃないのか? 現場の後処理をした西ノ宮の話じゃ銃も使っていたようだ。大破した車内から薬莢を発見したらしい警察の追及がしつこかったと聞くが」
「運転中に妖怪を相手に出来るような奴ならとっくに護國衆へスカウトしてるさ。出来て威嚇程度の抵抗だろう」
「……つまりお前は、彩葉様と乗っていたその三人目が時間を稼いだと言いたいのか。おい桜庭、くだらん妄想は頭の中だけにしまっておけよ。彩葉様と同い歳ってことはまだ十歳かそこらだろう。そんな子供に何ができる?」
︎︎隊長たちからしてみれば、あの妖怪は弱い。だが通常とは異なる強い個体であることは間違いない。部下なら苦戦したであろうとは思うが、死者も出さずに倒せるレベルの存在──だが子供が戦えるような相手ではないことは確かだ。
︎︎故に松浪は桜庭の言葉を吐き捨て、彼女の妄想だと断じる。しかし気にした素振りもなく桜庭は続けて言い放った。
「銃を撃ったんだ」
「は?」
「私が妖怪に斬りかかる前、あの男の子は私を見るや否や、妖怪に銃を撃ったんだ。自分に最大限意識を向けて、周囲への注意を逸らすために。しまいには私と目も合ったよ、少し様子を伺うために気配を消して木の上に立ってたんだがな」
「……そんなの偶然じゃ──「私を誰だと思っている?」
︎︎他の隊長たちを差し置いてなぜこの桜庭朱里が最強と呼ばれるのか。”生まれた時代を間違えた、時代が時代なら間違いなく英雄と呼ばれていただろう”と組織の皆が口を揃えて言う少女が、人間という種の限界にもっとも近付いた現代の怪物が──そのたった一瞬の動作に込められた少年の意図に気付かない訳がなかった。
︎︎松浪は黙って視線で続きを促す。
「勘違いだろう、偶然かもしれない。だが私は気になって仕方がないんだ。あの男の子が本当に、あの状況判断が出来ていたのかどうか。私が来たことにもさほど驚いていなかったようだし……」
「もしもソイツが本当にそう動いていたとして、お前は何をするつもりだ? ……まさか少年趣味って訳じゃないだろうな」
「………………」
「おい黙るなよ、こっちを向け変態。仮にそうなら俺はお前との縁を切らざるを得ないぞ」
「そんな目をするなよ、流石に冗談だ」
︎︎けど、そうだな……と呟く。
︎︎月明かりが静かに二人を照らす中、桜庭は少年趣味であることを否定しつつ、少し離れた場所にある西ノ宮邸を眺めた。その唇には不敵な笑みが浮かんでいる。
︎︎桜庭が笑った所など久しく見ていなかった松浪は、少し驚いたようにその横顔を見つめた。
︎︎感情は豊かなのにその表現が壊滅的に苦手。出来の悪いロボットのような少女が、今彼の目の前で確かに笑っている。
︎︎高揚と期待の色が宿り、西ノ宮の屋敷を見つめるその視線は鋭く──、
「少し、鍛えてあげるのも面白いかな」
︎彩葉のことを庇った蛮勇極まりない少年の姿を思い返しながら、普段よりもワントーン高く呟いた桜庭の声は、きっと傍に居た松浪にしか聞こえなかった。
書き溜めてた話とは若干違う気もしますが、何とかがんばりました。誤字報告すごい助かります。あと褒められるとやる気出ます。感謝です。