乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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EP13〈推しとはいえども〉

︎︎

 

 ︎︎自分の状態について、たまに考えることがある。

 ︎︎それはつまり、この俺──陸浦将吾とは一体誰なのか、ということだ。

 

 ︎︎今の俺を構成する自意識も、人格も、記憶も、全てが前世の記憶に基づいている。だが、陸浦将吾として生きてきた記憶は、前世の記憶を取り戻して以降、完全に失われている。命の危機に瀕するほどの高熱の後遺症と言われればそれまでだが、にしても不思議で仕方がない。

 

 ︎︎この状況を果たして「転生」と呼んでいいのか。正直、そう疑う部分もある。

 

 ︎︎故にこう考えるしかない。

 ︎︎俺は陸浦将吾として生まれ変わり、成長し、小学三年の夏に高熱をきっかけに前世の記憶を取り戻した。そして、その代わりに陸浦将吾としての記憶を失った。

 

 ︎︎まるで別人として一度人生を歩ませ、途中から前世の記憶を渡されたような奇妙な構造だ。これが輪廻転生の一種なのか、それともただの特殊な現象なのか──答えは分からない。

 

 ︎︎だが、今さら理由を考えても仕方がない。記憶を失った理由も、転生した理由も変えられない以上、これまでのように前世の記憶を頼りに今を生きるしかないのだろう。

 

 ︎︎時折、こうも思うのだ。

 ︎︎もし両方の記憶が残っていたら、過去と現在の狭間で自分を見失っていたのではないかと。あるいは全くの別人の魂を憑依という形で乗っ取ってしまっていたのならば、自責の念で押しつぶされていたかもしれない。

 

 ︎︎そう考えると、何も分からない今の状態の方が悪くないのかもしれなかった。

 

「(うわ、考えすぎて知恵熱出そうだわ……やめとこ)」

 

 ︎︎自嘲気味に心中で呟く。どうせ分からないことを延々と考えても、現実は変わらないのだから、いい加減、目の前の現実に目を向けるべきなのだろう。

 

 

 ︎︎西ノ宮家の最重要人物である彩葉との関係。そして原作にはいなかった俺が、これからの展開にどう関わっていくのか──。

 

 ︎︎結論は一つだ。

 ︎︎俺がこの世界で最優先にすべきことはただ一つ──確実に生き延びること、それだけである。

 

 ︎︎原作主人公グループを倒そうとか、妖怪を殺したいとか、そんな余計な考えは持たなくていい。彩葉の付き人としての立場を最大限保ちつつ、自分最優先で生きていく。

 ︎︎先月の襲撃事件では思わず身体が動いてしまったが、仮にあのとき彩葉が攫われていたら俺の処遇がどうなっていたかは分からないし、結果的には良かったのではなかろうか。

 

 

 ︎︎そもそも原作主人公が入学してからわずか一、二年で西ノ宮家が壊滅してしまうのだ。この世界が原作の正史通りに進んでいくのであれば文字通り彼女らの勝利は疑いようもないが、それに巻き込まれて死ぬのはごめんである。

 

 ︎︎そのためには彩葉を守り、西ノ宮家との良好な関係を維持するだけでなく、錦戸家への接近も視野に入れる必要がある。西ノ宮家がどうしようもなくなったとき、錦戸との繋がりさえ残っていれば俺だけは生き残れるかもしれないからだ。

 

 ︎︎そんな俺にとっての保険である錦戸家の当主、錦戸紗代子とはまだ会ったことがない。けれど彼女の孫娘の沙耶香とはこの一年近く友好的な関係を築いてきた。沙耶香本人も俺に多少なりとも興味を持ってくれているのか、昨年度は彩葉に次いで多く話したクラスメイトでもあった。

 

 ︎︎錦戸沙耶香という少女は、原作では主人公に協力的な善人として描かれていたが、現実の彼女は少し違う。精神的に割と幼さが見えるし、彩葉に対して露骨に無視したりと、既知の姿とはかけ離れている。

 

 ︎︎それでも、今の俺にとって彼女は重要な存在だ。

 ︎︎西ノ宮家と錦戸家、どちらにも太い繋がりを持つことが生存戦略には必要不可欠。どちらに重きを置くかは言うまでもなく前者であるが、西ノ宮壊滅後の神祇瑞光院において重要な役割を担った彼女との関係を持っていれば、生き残ることは出来るかもしれない。

 

 

 ︎︎だからこそ、目の前で繰り広げられる光景は俺のストレスを刺激するに十分すぎるものだった。いい加減、存在意義がどうとか下らない現実逃避をやめて向き合わなければならないだろう。

 

「──陸浦くん、今年は学級委員やってみない?」

「あー……えぇ……」

「責任感強そうだし、向いてると思うんだけどなぁ。意外と楽しいよ、先生のお手伝いとかもできるしさ」

「……へぇ」

 ︎

 ︎︎沙耶香が笑顔で俺に話しかけてくる。その様子はまるで春の陽光そのものと言えるほど屈託がなく、眩しかった。だが横に立つ彩葉から発せられる無言の圧力が、胃を容赦なく締め付ける。

 

 ︎︎先月の襲撃事件から数日後、俺と彩葉が休んでいる間に終業式が行われ、それからあっという間に春休みが終わった。そして俺たちは五年生に進級し、新たなクラスで新学期を迎えた訳なのだが……。

 

 ︎︎昇降口に張り出されたクラス表を見ると、やはり俺と彩葉は同じクラスになっていた。西ノ宮様様である。正直、転入以来ずっと彼女の傍にいたせいか、俺には他に特別親しいクラスメイトがいない。だから、クラス替えで気まずい空気に巻き込まれる心配がなかったのはありがたかった。

 

 ︎︎しかし、そんな安堵感は長く続かなかった。

 ︎︎新しい教室に入ると、髪を少し切り、春休み中にメガネも買い換えた沙耶香が待ち構えていたからだ。

 

 ︎︎軽く挨拶を交わし、席に向かおうとした瞬間、彼女が不意に話しかけてきた。そしてその口から飛び出してきたのがこの「学級委員にならないか」という誘いである。

 

 ︎︎本音を言えば、そんな面倒な役割を引き受けるつもりは毛頭ない。まだ今は佐々木が復帰していないので稽古は中止になっているが、あと一ヶ月もすれば彼は飄々と戻ってくるだろう。体力おばけだし、筋肉ダルマだし。

 ︎︎事件の後遺症などなかったかのように、またボコボコにしてくるに違いない。それを考えれば学級委員をやって余計な体力は消耗したくなかったし、そもそも先生からの評価はどうでもいい。

 

 

 ︎︎だが、それよりも問題なのは隣にいる彩葉の反応だった。

 

 ︎︎俺と沙耶香が話している間、彩葉の雰囲気が徐々に冷たく、張り詰めていくのを感じた。傍に居る俺にだけ聞こえる声で何か言いたげな気配すらある。

 

「(怖ぇ……小学生の眼光じゃないだろ、これ)」

 

 ︎︎彼女の鋭い視線を感じつつも、目を合わせる勇気は生憎となかった。仮に沙耶香の誘いに乗れば、きっと彩葉の機嫌はさらに悪くなるだろう。

 ︎︎とはいえ、この場で即座に断るのも妙に気が引ける。この屈託のない笑顔を見る限り、沙耶香に他意はない。孤立気味で友人もいない俺を気にかけての誘いだということは伝わっている。

 

 ︎︎頭を悩ませている俺に、彼女はにこやかに話を続けた。

 

「迷ってる? でも陸浦くんってちゃんとしている人だし、きっといい経験になると思うんだけど……学級委員は上級生とも交流あるし、仲のいい人がいっぱい増えるかもよー?」

 

 ︎︎その言葉の裏に悪意はない。

 ︎︎むしろ純粋に俺のためを思っているのだろう。それが余計に厄介だった。これが彩葉への嫌がらせとかなら迷いなく断れたのだが、今回に限っていえば間違いなく単なる親切心でしかない。

 

 ︎︎ありがた迷惑、と言われれば確かにそうだけれども。

 ︎︎幼げな少女に純粋な瞳で見つめられて、「いや、ありがた迷惑なんだけど」なんて酷いことは言えないし、思いたくもなかった。それは人として絶対に良くない気がする。そもそもそんな事をすれば錦戸に取り入る所の話ではなくなってしまうだろう。

 

 ︎︎ちらりと様子を窺うために彩葉を横目で見ると、彼女は俯きながらも、その視線だけはこちらを射抜いていた。その冷たい視線に込められた「お前わかっているよな?」という無言の警告が、俺の脳内で警報を鳴らしている。

 

「(なんて断ろう……あぁクソ。朝っぱらからこんな風になるなんて、今日は確実に厄日じゃねぇか)」

 

 ︎︎ただのクラスメイト同士の何気ない会話のはずなのに、まるで命綱なしの綱渡りを強いられているような気分だ。いや、むしろ高層ビルの間に架けられた鉄骨を渡るような、そんな類の状況かもしれない。

 

 ︎︎誰か優柔不断だと罵ってくれても構わない。とにかく助けてほしい。そんな切実な願いを胸に抱きながら「あー」とか「うー」とか、声にならない呟きを繰り返していると、イエスともノーとも言わない俺の対応に痺れを切らしたのか、彩葉が俺と沙耶香の間にスッと割り込んできた。

 

「──沙耶香。せっかく誘ってくれたとこ悪いけど、今うちら忙しいねん」

 

 ︎︎彩葉は微笑みを浮かべつつも、ハッキリと言い切った。その声には、断ることへの申し訳なさよりも、こちらの都合を優先する強い意志が感じられた。

 

「先月のアレで、西ノ宮がまだごたついとってな? あんたも聞いとると思うけど、多分しばらくは将吾くんと早退することも多なるやろし、学級委員になったら皆に迷惑かけてしまうと思うねん。せやから、また次の機会にしてもらえたら助かるわ」

「……あっ、そうだったね。確かに今はそっち大変だもんね……ごめんなさい、西ノ宮さん」

 

 ︎︎沙耶香は少しうつむきながら、素直に謝罪する。

 

「ううん、気にせんといて。あんたが悪いわけやあらへんし」

 

 ︎︎そう言った彩葉の声は穏やかだった。その場の空気を一瞬で収めた彼女の言葉に、俺はただ呆然と眺める他ない。

 

 ︎︎この二人がまともに会話する姿を見るのは、これが初めてだった。沙耶香が素直に謝る姿も驚きだが、それ以上に彩葉が彼女に平然と話しかける光景は想像だにしなかった。

 

 ︎︎お互いを無視していた二人が、まさかこんな風に普通にやり取りをするなんて一体どんな心境の変化だ。困惑よりも驚きの方が勝る。そうして固まっていると、彩葉が振り返り、俺の袖を軽く引いた。

 

「座ろ」

「……ん? あ、うん」

「陸浦くんも、いきなりごめんね!」

「いや、こっちこそすまん。またあとで話そう」

 

 ︎︎通りすがりに沙耶香が俺にも軽く頭を下げてきた。その礼儀正しさに少し気まずさを感じつつ、俺は簡単に返事をして彩葉に促されるまま席へ向かう。

 

 ︎︎隣を歩く彩葉の横顔は相変わらず冷静で、表情から感情を読み取るのは難しい。ただ、その目の奥にほんの少しだけ波立つような何かを感じたのは、俺の気のせいだろうか。

 

 ︎︎苛立ち……ではない。むしろ別の何かだ。けれどそれを汲み取るにはあまりにも一瞬過ぎて、俺には分からなかった。瞬きをすれば学校にいる時の、いつもの仏頂面に戻っていたからだ。

 

 

 ︎︎教室の中を進むと、既に席に座っているクラスメイトたちの視線が一瞬だけ俺たちに集まる。だが彩葉はそれを意に介さず、まっすぐ自分たちの席へと向かった。俺も特に気にせず後を追う。

 

 ︎︎案の定、俺と彩葉の席はまた窓際最後列で隣同士だった。普通なら出席番号順に配置されるはずだが、西ノ宮家の力が働いているのは明らかだ。もはや慣れた光景には何の感想も抱かない。指定された席に座り、鞄からファイルや筆記用具を取り出す。

 

 ︎︎進級しても教室のレイアウトは去年と大差ないし、座席も変わらないとなれば、クラスの顔ぶれが新しくなっただけで気分的にはまだ四年生のままだった。精神年齢を思えば、些細なことかもしれないが。

 

 ︎︎そんなことをぼんやり考えていると、隣から彩葉が大きなため息をついた。

 

「はぁ……もっとこう、キッパリ断れへんかったん?」

 

 ︎︎俺の肩がビクッと跳ねる。彼女を見ると、肘をつきながらつまらなさそうに俺を睨んでいる。

 

「いや、それはそうなんだけど……お前も見ただろ? アイツのあの純粋無垢な目。なんていうか、キャピキャピした感じのアレよ」

「キャピキャピした感じのアレって……あんた、たまに語彙力ほんま無くなるな。ほんまそういうとこやで」

 

 ︎︎彩葉は呆れたように俺を見つめ、またため息をついた。その表情は呆れつつもどこか柔らかい。てっきり怒られるのかと内心ビクビクしていたが、杞憂に終わって良かった。

 

「でも、将吾くんが断りきれへんのも分かるわ……前から思っとったけど、あんた頼まれたら断りにくいタイプやんね?」

「よくご存知で」

「周りに優しくしはるのは結構。だけど、あんまフラフラしとったらあかんよ? うちの付き人なんやし、もし将吾くんがヘマやらかしたらうちの顔に泥塗るようなもんってこと覚えといてな」

「……ご尤もです彩葉サマ。以後気をつけます」

 

 ︎︎彩葉の言葉に反論できず頭を下げた。沙耶香の誘いに悪気はなかったとしても、断りきれなかった俺の曖昧な態度は良くない。

 

「ま、今回はうちが何とかしたからええけどね!」

 

 ︎︎そう言って彩葉は少し得意げにニッコリと笑った。こういう時の彼女は、やけに頼もしく見えるから不思議だ。自分よりも遥かに歳下の少女なのに、時おり大人びた成人女性のようにも見える時がある。名家の令嬢とはどこもそうなのだろうか。

 

「助かったよ。お前が居らんかったら頷いてたかもしらん」

「せやろ? もっとうちに感謝してくれる?」

「いつも感謝してます彩葉サマ。マジほんま神さま仏さま彩葉サマです」

「ほなうちへの奉納代わりに、今日の帰りコンビニで新しく出たアイス買ってや。コマーシャル最近見てからずっと気になってんねん。あの宇治抹茶味のやつな」

「お前さ、自分の小遣いが高校生の月々のバイト代より多いって自覚ある?そんくらい自分で買えよ」

 

 ︎︎高そうな……というか実際にとんでもなく高価だろう着物を家で四六時中身につけている彩葉だが、意外と食の好みは庶民的だ。佐々木の入院以前までは彼に頼んでチェーン店の牛丼をテイクアウトしてきてもらったり、下校中に寄ったコンビニでスイーツを嬉々として買ったりしていたくらいだ。

 

 ︎︎基本的に、そうした買い物の支払いは佐々木がクレジットカードで済ませるのだが、彩葉自身も別途、彼からお小遣いをもらっている。その額を初めて聞いたとき俺は西ノ宮家にドン引きした。とても小学生に渡す金額じゃなかったからだ。

 

 ︎︎高校時代、バイト漬けの日々を送っていたあの頃の俺が知ったら、間違いなく血涙を流して憤慨しただろう。それでも、今は衣食住どころか学費まで西ノ宮家に出してもらっている身だ。加えて佐々木からは給金の代わりに二、三千円の小遣いまで貰っているし、さすがに「俺もその額で欲しい!」とは言えなかった。正直めちゃくちゃ欲しいけど。

 

 ︎︎とはいえ、そんな桁違いの小遣いを貰っているにも関わらず、彩葉はほとんど使うことがない。それこそコンビニのお菓子や飲み物くらいで、殆ど貯金箱に貯めているようだった。

 

 ︎︎無駄遣いをしないのは彼女の美徳だろうが、割と貧乏性な俺には数百円でも貴重な価値がある。長期円安や戦争の影響で物価高だった前世と比較するとかなり安いが、コンビニで財布の中身を気にせず買い物するのは、俺には凄く贅沢に感じるのだ。

 ︎

「なんや、ケチやねぇ……」

「俺の財布の中を見てから言ってくれるか?」

 

 ︎︎以前から愛用している昔懐かしいベリベリ財布をチラリと見せると、彩葉は一言だけ「ダッサ」と呟いた。失礼なやつである。

 ︎︎そりゃ小学生ながらハイブランドの財布を持っている彼女からすれば、リーズナブルなディスカウントストアで買えるようなこの財布はダサく見えるだろうけれど、大して金のない俺にとっては案外使いやすいのだ。ビリビリ財布のポテンシャルを舐めてもらったら困る。

 

「言ってくれればもっと良いの買ってあげるのに」

「良い財布もってようが中身無かったら意味無いだろ。俺の所持金いま千五百円だぞ?」

「確かに」

 

 ︎︎残クレで高級車を買ったり、全身ハイブラファッションのくせして大して金のない大学の同期たちの顔が脳裏に過ぎる。彼らは今どうしているだろうか。ケラケラと笑う彩葉を見ながらかつての友人らを思い浮かべる。

 

 ︎︎見栄を張って着飾ったり良い物を揃えるのは悪いことではないが、中身も伴っていた方が数割増しで格好良く見えると俺は思う。もう彼らとは会えないだろうし、せめて良い暮らしをしていることを切に願う他ないが──。

 

 ︎︎そもそも小学生の彩葉にブランド物をせびるのは俺の男としての矜恃が許さない。ヒモじゃあるまいし。男としての立ち振る舞いは心掛けているつもりだ。

 

 

 ︎︎しばらく二人で他愛のない話をしていると、教室のドアが開く音がした。新しい担任が姿を見せる。どうやら今年度は女性の先生らしい。

 

 ︎︎綺麗なスーツに身を包む彼女は、名簿といくつかの書類を抱えながら、笑みを浮かべつつ黒板の前の教壇に立った。

 

「はいみんな席についてね。朝の会始めるよー」

 

 ︎︎そんな明るい声に押されるようにクラスメイトたちがざわざわと席に戻り、教室内は次第に静かになっていく。

 

 ︎︎今気づいたが、今年もあの彩葉に好意を持っているであろう鳴宮少年と同じクラスだったようだ。やっぱり俺は嫌われているようで、彼が自分の席に座ろうとした際に目が合ったものの、すぐに逸らされた。改めて教室の全体を見ると、前年とさほどメンツが変わっていないように思う。

 ︎︎彩葉に付きっきりでクラスメイトとの交流が浅かったこともあり、単に俺が前のクラスの生徒の顔を覚えていないだけかもしれないが。

 

 ︎︎仲が良い相手が彩葉を除けば、未だに沙耶香くらいしか居ないのは我ながらどうかと思う。けど小学生の友達を作るというのがどうにも俺からすればハードルが高いことで。

 ︎︎この世界のこの時代の小学生が好きなモノや流行に疎すぎて、彼らと話が合わず気まずくなる未来しか見えなかった。やっぱり何だかんだ言って去年と同じような生活を送るのだろう。

 

 

 ︎︎短い自己紹介の後、担任は黒板に今日の予定を書き始めた。真新しいことはなにもない。始業式があって、係決めがあって、それから帰りの会をやって今日は解散だ。

 

 ︎︎前の座席の生徒から手渡された時間割表を眺めながら、俺は密かにため息をつく。やはり学校は面倒くさい。家でゴロゴロ自堕落に過ごしたい。そんな憂鬱な気分とは裏腹に、体育館で行われる始業式へ向かうため、俺たちは列に並ぶよう担任に言われた。

 

 ︎あまりにも面倒くさくて思わず舌打ちしてたら、近くにいた気の弱そうな少年がビクッと驚いてしまった。申し訳ない、名も知らぬ少年よ。

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 ︎︎新しい担任の指示で始業式を終えた俺たちは、再び教室へ戻り、年度初めの恒例行事ともいえる係決めに入った。彩葉がクラスメイトたちと接点を持とうとしないのは去年から変わらない。まあ、彼女の立場を考えれば無理もないだろうが。

 

 ︎︎今回も俺たちは何かの係になることはなかった。担任は明らかに意図的に俺たちに視線を向けなかったので、前の担任から話は聞いているのだろう。ありがとう西ノ宮家。

 

 ︎︎学級委員には沙耶香がすぐさま立候補し、その後順当に決まった。彩葉と共に彼女が担任から意欲を褒められている姿をボケーッと過ごしているうちに、あっという間に下校時刻を迎える。

 

「さようならー!」

 

 ︎︎子供らしく元気のいい挨拶を合図に、ようやく新学期初日が終わった。俺と彩葉はガヤガヤと帰宅の用意を始める他のクラスメイトより一足先に車へ向かった。

 

 ︎︎前までなら駐車場で俺たちを出迎えてくれるのは佐々木だったが、そこに立っているのは別の使用人である。佐々木の見舞いに着いてきてくれた、あの寡黙すぎて取っ付き難い人だ。

 

 ︎︎佐々木は今頃、嵐山癒静院でリハビリに励んでいることだろう。いつも居る時間帯に居るはずの人が居ないことに、やはり僅かな寂しさを覚える。

 

「お疲れ様です。彩葉様、陸浦くん」

「迎えありがとう」

「いえ。どうぞお乗り下さい」

 

 ︎︎奥に乗った彩葉に続いて、俺も会釈しながら車に乗り込んだ。高級車らしいフカフカのシートに腰を沈め、しっかりとシートベルトを付ける。

 

 ︎︎暖かな春の陽光がガラス越しに差し込む。エンジンが駆動し、ゆっくり前進していく車の揺れに身体を預けた。

 

「そういや、桜庭さんがうちらのこと見守っといてくれるらしいやんね」

「……あー、らしいな」

 

 ︎︎先月の襲撃事件を受けて、護國衆──特に近畿地方を管轄する一番隊は哨戒ルートの再編と強化を余儀なくされた。同じことが再び起きる可能性も否定できないからだ。

 

 俺は戦闘能力が皆無だし、付き人としても正式に認められてはいない。公威から「将来的な話だから気にするな」と励まされたが、今の俺はどう考えてもお荷物でしかないだろう。

 

 とはいえ、彩葉の身辺を無警戒で放置するわけにもいかないので、公威が一番隊に要請した結果、隊長の桜庭が俺たちの送迎車両を警護することになった。一般隊員ではなく、隊長格が直接動くという破格の待遇だ。彩葉が西ノ宮の中でも特別な存在であることがよく分かる。

 

 今日は新学期の初日だが、肝心の桜庭の姿はまだ見ていない。昨日、彩葉は西ノ宮邸で桜庭と挨拶を交わしたらしいが、俺は佐々木のところに行っていたので会えなかった。

 正直、俺に桜庭と話す機会があっても気まずいだけだろう。ただ、「推し」として制服姿を見たい気持ちは少しある。公威によれば学校に通いながら護衛任務を兼務するらしいし、そのうち見られるだろう。制服姿の桜庭とか絶対可愛いに違いない。

 

「それにしても、あの人どうやって着いてくるんやろ? 前話したとき車は持ってないって言ってたけど」

「……ビルの屋上とか走りながら着いてきてるんじゃね?」

「それは流石に……いや、あの人なら有り得るか」

 

 ︎︎まさか、と苦笑いをする彩葉だったが、前の襲撃事件で長距離を一瞬で駆け付けてきた桜庭の姿を思い出したのか、微妙な顔をしながらも俺の言葉に頷いた。

 

 ︎護國衆の隊長格は総じて人の姿をした怪物である。その身体能力の高さは前世から知っているし、桜庭が中でもトップクラスに秀でた実力者なのは彼女に助けられた俺たちだからこそよく分かるだろう。

 

 

 ︎︎学校近くのコンビニで、彩葉が欲しがっていた新作のアイスや自分の飲み物を買ったあと、ようやく西ノ宮邸へと向かうことになった。小さなビニール袋を手に掛け、車窓から流れる景色をぼんやり眺める。

 

 隣では彩葉が静かに本を読んでいた。彼女が選んだのは三島由紀夫の金閣寺だ。小学生で昭和の純文学を読むセンスに脱帽するが、教養のない俺には一生分からない感性だろう。夏目漱石や芥川龍之介くらいしかマトモに読んだ覚えが無い。

 

 ︎︎集中しているようなので特に彩葉へ話しかけることはせず、俺はただ走行音に耳を傾けて屋敷に着くのを待った。

 ︎︎お喋りな佐々木とは違って寡黙な使用人が、俺たちにわざわざ話しかけることもないし、かといって俺にさしたる話題も持ち合わせおらず──どうせなら眠気に任せて寝てしまおうか。

 

 ︎︎そう思った時だった。

 

 ︎︎車が西ノ宮邸へと繋がる鞍馬街道へ入った途端、胸の奥に押し込めていた不安がじわりと広がり、全身が緊張に包まれる。すわ妖怪の仕業かと一瞬思ったが、桜庭が警護していることを思い出し、何とか表面上の冷静さを装う。

 

 よく考えなくとも、無意識に目を閉じることをためらった理由は明白だった。何せもうすぐ、あの襲撃事件の現場──佐々木が負傷し、桜庭に救われた場所を通り過ぎるのだから。

 

 窓の外を流れる木々の景色が、事件当時の緊迫した空気や妖怪の不気味な姿を鮮明に思い出させる。眠ろうとするどころか、頭の中はその時の記憶に埋め尽くされてしまった。

 

 あの時は確かに恐怖はあったが、それ以上に「何とかしなければ」という焦燥感の方が勝っていた。俺以上に怯えていた彩葉が近くに居たというのもあるだろうが、妖怪相手に虚勢を張るだけの冷静さはかなり保てていたと思う。

 

 ︎︎だが今こうして心身ともに落ち着きを取り戻した状態で、同じルートを辿り、同じ時間帯に事件現場を通ることで、胸の奥に潜んで消えなかった恐怖がひたひたと押し寄せてくる。今朝通ったときには何も無かったというのに。時間差攻撃にも程がある。

 

 

 桜庭が近くで目を光らせている以上、妖怪が出るはずもないと分かってはいるものの、全身が緊張で固まり、脳裏には薄暗い記憶がよみがえってきた。

 

 ︎︎直接の被害者とも言える彩葉が平然と本を読んでいるのに、対して俺はなんと情けないことか。

 

 ︎︎ああ、もう。最近は余計な思考に陥ることが本当に多い。

 ︎︎毎日の稽古がなくて体力や気力が十二分にあるからだろうか。まさか彼との地獄のような時間を恋しく思う日がくるとは思わなんだ。

 

 トラウマや心的外傷というほど深刻ではない。だがそれでも、先の体験は俺の心の奥に確かな爪痕を残していたらしい。

 

「……? どしたん、将吾くん」

「足が痺れた」

「ふーん……」

 

 ︎︎流石に隣で挙動不審になれば違和感を持ったのか、彩葉が本から視線を移して訊ねてきた。とはいえ、バカ正直に「事件思い出してビビってます」と言うのは、なけなしの男心が猛烈に傷付く。考えるよりも先に口から出た誤魔化しの返事に、彩葉は疑うような素振りを見せず、ニヤリと口角を上げた。

 

「足が痺れたんやー?」

「そう、痺れた」

 

 ︎︎確認するような問いかけに、ぶっきらぼうに答える。すると彩葉は読みかけの文庫本に栞紐を挟み、パタンと閉じた。そして、宙ぶらりんの片足をこちらに伸ばしてきたと思いきや、ちょんちょんと俺の足を突っついてきた。なんだこいつ。

 

「えいっ」

「……なんだよ」

「なんや。全然平気そうやないの」

「我慢してんだよ察しろ」

「その割には微動だにせんやんか。ほんまに痺れとん?」

「うっせ」

 

 ︎︎つまらなそうに頬を膨らませる彩葉だが、今は彼女の戯れに付き合う余裕はない。

 ︎︎それでも、若干気が紛れたのは確かだ。

 ︎︎気が付けば車は現場を通り過ぎていた。胸中に安堵が広がり、緊張はいつの間にか解けている。

 

 

 ︎︎血が繋がっている訳でもなければ、親友や恋人などの特別な関係でもない。それでも彩葉との何気ない会話には妙な安心感がある。

 

 ︎︎つまるところ、西ノ宮彩葉は俺にとって日常そのものなのだろう。けれど、「どうせいつかは見捨てることになる」──そんな思考が脳裏をかすめる。

 

 ︎︎それは自分がよく分かっている。

 ︎︎故に日常の象徴なんて綺麗な言葉を使うのは、どこか不誠実に思える。自分の未来の選択が彼女の命を救うものではないことは嫌というほど分かっているのに、こうして平然としていられる自分に対して僅かに気分が沈む。

 

 ︎︎自己嫌悪を感じるほど繊細でもない。ただ、罪悪感を抱かない訳でもない。既に半年以上も同じ屋根の下で暮らした仲なのだ。血縁はなくとも、単なる友人以上の関係なのは間違いない。だからこそ将来の展望を思うと、どうにも前を見据える視界が霞むような気分になる。

 ︎︎そんな憂鬱や倦怠感を深いため息に変えて吐き出した時、心配そうな彩葉の視線と目が合った。

 

「あんた、ほんまにどうしたん? 何か嫌なことでもあったんちゃう? 帰ったらご飯食べて寝ときやーよ」

「お前は俺のオカンかよ……。大丈夫だって。ただ、久々の学校でちょっと疲れただけだし」

「つまり、今はセンチメンタル将吾くんって訳やね」

「ネーミングセンス終わってんな」

 

 ︎︎なんやと、と突っかかってきた彩葉と後部座席でじゃれ合あうこと数分。いつの間にか屋敷に到着したらしく、未舗装の砂利道の上で車が停まった。

 

 ︎︎お先にどうぞ、車庫にしまってきます。

 ︎︎そう言った使用人の声に押されるように、俺と彩葉は車を降りて屋敷の前に立つ。やはり山と田畑に囲まれたこの辺りは、街中とは違って空気の質が良い……気がする。実際の数値はそこまで変わらないかもしれない。

 

「将吾くん。うちはご飯食べたあと稽古あるけど、あんたはどうする?」

「ん……? 何が?」

「暇なら着いてきてや。うちの先生、顔は面白いけど話は退屈やねん。あっ、どうせなら将吾くんも一緒にやる?」

「ごめん色々やることあって忙しいんだわ。いやあ申し訳ないなぁ、暇だったら行くんだけど」

「まだ宿題も出てないのに何を言ってはるん? 佐々木もまだ帰ってこんし、あんた絶対うちの稽古終わるまで暇しとるやろ」

 

 ︎︎そんなことは無い。

 ︎︎屋敷内の清掃や夕食の準備の手伝いも、佐々木が入院して浮いた時間を使ってやっているのだから。

 ︎︎他所の家に居候している感が気まずくてやり始めた事だが、使用人たちからは割と「助かってるよ」なんて褒められたりもしている。にも関わらず暇人扱いされるのは甚だ遺憾である。

 

 ︎︎そもそもそれを言うなら、むしろ実際に暇なのは彩葉の方だろう。教養の一環として舞踊を習っているらしいが、本人の口から稽古が楽しいの一言すら聞いたことがない。

 ︎︎以前は暇つぶしに、俺が佐々木にボコボコにされている様を観覧しに来ていたくらいだし。

 

 

 ︎︎えぇー、と残念そうに肩を落とす彩葉に呆れつつ、二人して屋敷の玄関へと歩を進めようと足を動かした──その瞬間だった。

 

「──ご歓談中のところ、御無礼致します」

「んー?」

「……っ」

 

 ︎︎突然、背後から凛々しい声が聞こえてくる。

 ︎︎驚きながら、俺と彩葉は揃って勢いよく振り返った。反射的に彩葉を庇うように両腕を構えたのは、佐々木の凄まじい稽古の賜物か、あるいはまだ事件現場を通ったときの緊張が抜け切っていなかったからだろうか。

 

 ︎︎いずれにせよ、身に染みた動作が無意味だったことは声をかけてきた人物の顔を見たらすぐに分かった。

 

「ふむ……なるほど」

「なんや桜庭さんか。もう、ビックリさせんといてやぁ」

「申し訳ありません、彩葉様。少し御用がありましたので」

 

 ︎︎ちら、と俺を見ながら彩葉に頭を下げる桜庭の姿に、どうしようも無く嫌な予感が湧いてきた。待望の可愛い制服姿を見れたことへの嬉しさや感動などそこにはなく、まるで西ノ宮家へ移り住んで以来培われてきた経験そのものが、俺の本能に「聞くな!逃げろ!」と訴えかけてきているようだった。

 

 ︎︎これまで誰かに呼び止められたとき、良い話であった試しがない。沙耶香然り、佐々木然り。故に以前からの経験が、俺の全身に猛烈な拒絶反応を起こしていた。

 

「用事? うちらに?」

 

 ︎︎怪訝な顔を浮かべる彩葉。まさか妖怪がまた京都に──という彼女の不安はしかして桜庭の口から否定されたため、眉を顰めていた彩葉の表情がふっと和らぐ。

 

 ︎︎ついでに俺のこの警戒も否定して欲しい。

 ︎︎そんなささやかな願いは、無情にも蟻を踏み潰す象の如く粉々に砕け散った。

 

「えぇ。彩葉様、というよりもそちらの陸浦くんにですが……ああ彩葉様の警備に関してはご心配なく。京への妖怪の侵入は現時点では確認されておりませんので」

 

「なら良いんやけど……将吾くんに何か?」

「(絶対ロクな事じゃねぇ)」

 

 ︎︎その予感は、目の前の桜庭の仕草と雰囲気から徐々に確信に変わりつつあった。彼女は一歩、音もなく石畳の道の上を進み、俺へと近付いてくる。その姿はどこか静かな威圧感を放ち、山間に落ちる正午の淡い光が彼女の影を長く引き伸ばしていた。

 

 ︎︎何も知らない彩葉はきょとんとした表情で桜庭の言葉を待ち、一方の俺は不安で胸がざわついて仕方がない。

 

「陸浦くん」

 

 桜庭と目が合った瞬間、嫌な汗が背筋を伝う感覚がした。そのまま桜庭は俺をじっと見つめながら静かに言葉を続ける。

 

「陸浦くんには、明日から私が武術の稽古をつけることになりました。佐々木さん──彼が入院中の間、私が代わりを務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」

 

 まるで針のように鋭い言葉が、俺の耳に突き刺さる。

 

「……ぇ?」

 

 思わず漏れた声を無視して、桜庭は一礼してきた。全くもって礼儀正しいのだが、その礼儀が余計に不穏だ。

 彩葉が驚いたように俺を見てくる。

 

「お、ええやん! 桜庭さんに稽古付けて貰えるなんて贅沢やねぇ。役得やんか」

 

 何をどう聞いても得ではない。むしろ損しかない。

 ︎︎桜庭は決して悪い人間ではないが、こと戦闘に関しては尋常ではないセンスの持ち主だ。その強さは、あくまでいち使用人でしかない佐々木とは比較にすらないだろう。

 

 ︎︎そんな相手が、俺に稽古を付ける? それも付きっきりで?

 

 

 ︎︎今も鮮明に記憶に焼き付く、原作終盤の戦いで描かれていた桜庭の様子が重なって顔面から血が失せる。

 

 ︎︎百近い妖怪の集団を単騎で瞬時に鏖殺し、加えて高速で飛来するロケットランチャーの弾を両断した場面は桜庭の名シーンのひとつに数えられるが、そんな生粋の戦闘マシーンにボコボコにされるなんて想像するだけで吐き気を催す。

 

 ︎︎どんな稽古なのかは知らないが、確かなことは俺の命を脅かす最大の存在は、西ノ宮家でも佐々木でもなければ、沙耶香でも妖怪でもなく、目の前の桜庭朱里であるということだった。

 

「明日、学校が終わったら西ノ宮の稽古場へお越しください。それでは失礼いたします」

 

 再び一礼すると、俺が何を言うまでもなく、彼女はきびきびとした足取りでその場を去っていった。そして瞬きする間も音もなしに、超人的な身体能力でどこかへ跳んで行く。

 

 ︎︎彩葉が「良かったやん」と揶揄うように笑う横で、俺はというと膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えていた。

 

 

──最悪だ。終わった。俺死んだ。

 

 

 遠ざかる桜庭の背中を眺めながら、俺は頭の中で何度もそう呟くしかなかった。

 

 

 






将吾くんメンタル不安定の回
次話は体力が削られる回です。

そんなこんなで色々書いてたら軽く一万字を超えてました。びっくり。でもハーメルンには一話でこれ以上の文字数書く猛者が大勢居ますもんね……ほんと凄いです。

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