乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話 作:ヤナギ
ランキングに載ったこともあってか、最近なんと約25万UAを達成しました。ありがとうございます。誤字報告、指摘、感想など助かってます。今後もがんばります。
──神祇瑞光院は第二次世界大戦の終戦以来、常に慢性的な人手不足に悩まされてきていた。
︎︎通常の企業や団体のように、インターネットや雑誌に求人募集をかけることが出来ないからだ。
︎︎公に新たな人員募集が出来ない以上、現代では彼らが何をするにも常に戦力や人材不足の問題が付きまとう。
︎︎まだ御三家やその分家を始め、多くの家々が元気だった戦前までは問題なくやれていたのだが、徴兵や空襲で国全体が疲弊してしまった戦後になると、府内の哨戒が可能な最低限の戦力を保つのに彼らも精一杯であった。
︎︎昭和20年、ダグラス・マッカーサー元帥がバターン号より厚木基地に降り立つと、連合国軍による占領統治が始まった。
︎︎日本中の都市が凄まじい戦火の爪痕を残し、瓦礫の山と化した街並みに黒い市場が広がっており、組織による妖怪退治どころか、人々の日常すらままならない時代である。
︎︎この敗戦直後の時代、組織の財政を支えてきた御三家が分家の途絶で半壊していたのもあるが、彼らが特に危惧していたのはアメリカのMPたちだった。
︎︎そもそも当時から妖怪のような異種族自体がかなり少ないと予測されていた北米大陸に住む白人たちに、自分たちの妖怪退治の活動の必要性を論じたところで通じるとはとても思えなかったからである。
︎︎護国衆が千年もの間培ってきた武器や知識が接収・廃棄されることは彼らにとって悪夢に等しいことだ。あるいは父祖の墓前に泥をかけるような事態である。
︎︎アメリカ風に表現するなら、神祇瑞光院はデーモンやヴァンパイアを殺すため、一般兵士と同等の銃火器を持つ非国家的武装勢力であり、また円滑な日本の占領を妨害しかねない反連合国ゲリラの予備軍とも云うべき存在だろう。
︎︎故に、組織の存在がGHQに露見することは絶対に避けるべき、というのは多くの構成員が持つ絶対的な共通認識だった。
︎︎そもそも組織の創設以来、専ら国内社会の秩序維持にしか興味がなく、対外戦争には反対していたものの、秘密結社として弾圧されないようにと必要最小限しか協力を行わなかった神祇瑞光院からすれば、戦争が敗れたところで妖怪が消えるわけでなかったし、また敗戦したからと言ってナショナリズムに駆られての反米ゲリラ化など悪質な妄想の類でしかなかった。
︎︎しかし仮に組織の存在や内情が露見したときに、当のアメリカがそう考えない保証は何処にもない。更に都合の悪いことに、西ノ宮家が軍部と妖怪に関する極秘研究を行っていた事もある。
︎︎玉音放送の直後に彼らは研究資料を燃やしているが、その事実は決して消えない。しかし西ノ宮を擁護するならばこれらは妖怪退治の為であり、当局への戦争協力のつもりはなかった。
︎︎だが他家に何の知らせもせずの独断行動であったため、錦戸や霧島からは「余計な真似をしやがって」と占領中もその後暫くも非難轟々の有様であった。
︎︎これら以上の要因もあり、神祇瑞光院は無期限の活動停止を決定し、組織の存在の秘匿に動いた。
︎︎銃火器や刀剣類、各種弾薬などの武装や重要な研究書物は鞍馬山などに隠されていた地下倉庫で厳重に保管。GHQによる公職追放や資産押収でかつての栄華など見る影もなくなった御三家らは、組織のことは一旦忘れて一族の存続に全身全霊を注いだ。
︎︎そして闇市で博徒や愚連隊が勢力を伸ばし、後の暴力団形成の足掛けになった冬の時代を経て、ようやく組織は活動をすることになる。戦後の過酷な状況を耐え忍び、京都を平定した当時の護國衆は故にこそ今もなお強い尊敬を集めているのだが……。
︎︎それはともかく、間違いなく太平洋戦争は組織存立の危機を招いた最悪の出来事だっただろう。
︎︎特に御三家を始めとする主要な家の分家筋が軒並み壊滅した影響は大きく、家督相続者の戦死でやむなく取り潰されたり、日本の民主化を見据え、いずれ組織の活動が違法化すると考えて離脱を表明した家も少なくなかった。
︎︎組織を構成する家々の若者から護國衆の戦闘要員をまかなっていた彼らにとって、そのような戦争の悪影響は結局昭和40年頃まで続いた。経済が回復し、国全体の人口が増加したところで、かつての分家が復活する訳でも離脱した家が戻ってくる訳でもない。また公に募集もかけれない以上、組織の人員不足は深刻な問題として残っていたのだ。
︎︎”もはや戦後では無い”などという言葉が象徴するように着々と復興が進んでいた当時にあって、しかして神祇瑞光院は未だ敗戦をキッカケとする諸問題の宿痾に取り憑かれていたのである。
︎︎だが、神祇瑞光院が何もしなかった訳でもない。彼らは沈黙の裏で着々と復興の道を模索していたのだ。
︎︎敗戦当時の日本には、戦災孤児が約12万人も存在していた。孤児たちは街角で浮浪者として生きるしかなく、その多くが栄養失調や病で命を落とす運命にあった。
︎︎目の上のたんこぶだったGHQの撤退や、西ノ宮の復興事業が軌道に乗ったこと、更には戦前の政府との協定の継続が確認されたことなどもあり、活動を再開していた神祇瑞光院は、護國衆が京都平定に動く傍ら、かねてよりその孤児の存在に目を向けていたのである。
︎︎未来への投資という綺麗な言葉で着飾った彼らは、京都、大阪、名古屋、東京に孤児院を設立。それらの施設は、表向きには戦災孤児の救済を目的とした民間団体とされていたが、内部では護國衆の候補生を育成する秘密の場でもあった。
︎︎健康的な男子を選抜し、護國衆の隊員として幼い頃から鍛え上げる。また女子に関しても神祇瑞光院本部や護國衆本部での後方支援業務のために多様な勉学を奨励し、優秀な者は十代半ばから次々と採用していった。
︎︎この孤児院の運営は効果的だった。
︎︎敗戦のショックや混乱から完全に立ち直ったとは言い難い時代において、人々は自分が生きることに精一杯だったのだ。
︎︎数度の空襲を受けども、マンハッタン計画最高責任者レズリー・グローヴスら目標検討委員会による原爆投下候補地として推され、B29の焼夷弾攻撃の対象から外れたことで比較的被害が少なかった京都はともかく、東京、大阪、名古屋といった大空襲を受けた人口の多い中核都市では特にその傾向が顕著だったといえよう。
︎︎ほぼ無償で孤児や浮浪児を受け入れていたこともあってか、現場は常にパンク寸前であり、毎日孤児院では野戦病院もかくやといった状況だった。そんな現場はさておき、これらも組織にとっては嬉しい悲鳴だった。数多くの膨大な支出も、長期投資・将来投資だと思えば多少懐が痛むだけで問題ない。
︎︎50年代、護國衆による京都の平定からしばらくすると、特殊な訓練を受けた優秀な孤児たちが加わったこともあり、神祇瑞光院の人員不足問題を大いに解消することになる。
︎︎後に社会福祉法人として組織から枝分かれしたそれらの私設孤児院は、激動の昭和が終わり、平成の御代になって久しい現在も運営を続けている。
︎︎自衛官や消防士などの国家公務員や優秀な民間人をヘッドハンティングするようになったのもあってか、以前と比べるとその必要性や価値は低下していたが、安定的に人員を補充出来るので、この団体の存在が組織にとって重要なのは、たとえ改元したとても変わらなかった。
──護國衆一番隊隊長、桜庭朱里。
︎︎その名を組織で知らぬ者は一人として居ないが、彼女がかつて組織傘下の児童養護施設で育った孤児だったという過去を知る者は意外と少なかった。
︎︎当時まだ2歳だった桜庭が施設に預けられたのは、世間がノストラダムスの大予言に踊らされていた1999年のこと。
︎︎母親は、大学生活の一瞬の迷いの中で桜庭を身籠った。歌舞伎町のホストだった父親は責任を取ることなく姿を消し、困り果てた母親は実家に戻ったが、昔気質の両親や周囲の冷たい視線が彼女の精神を強く追い詰めた。
︎
︎︎最終的に彼女は精神病院へ入院することになる。
︎周囲に望まれた子ではない桜庭を育てるつもりはなかったのか、桜庭の祖父母は早々に施設に預けることに決めたようで、それがたまたま組織の児童養護施設だったというだけの話。
︎︎虐待をされたりしなかっただけまだマシだったのだろうが、しかしそんな生まれて間もない彼女の扱いに担当の職員は憤慨したようで、自分たちが親代わりとなって懇切丁寧に育てることを決意したという。
︎︎国との関わりから、政治家や高級官僚があえて認知していない身元不明の子供を受け入れることもあるこの施設だったが、そんな中でも桜庭は不遇な部類に入る者だっただろう。またその性質上ある種排外的な空気感のある神祇瑞光院では中々見かけない、一般社会で生活してきたまともな社会人がこの団体には多くいたのも影響している。
︎︎周囲の愛情や親切心もあって、これといった病気や怪我もなくスクスク育った桜庭だが、一応は神祇瑞光院の傘下団体である施設としては、子供たちに組織の要員としての適性があるかどうかを確かめる義務があった。
︎︎適性があれば相応の特別教育を行うし、そうでないならば巣立つまでの生活支援を今まで通り行うだけだ。
︎︎桜庭が中学一年生になった頃、適性検査が行われた。これは主に運動能力や知力、思考を測るものであったが、当初職員たちは桜庭に適性があるとは考えていなかった。
︎︎何故ならば彼女は学校の成績も平均的で、適性のある子供と比較しても秀でた所は見受けられなかったからだ。強いていえば体育の成績が他の教科よりも良かったくらいである。
︎︎しかしながらそんな当初の予想とは裏腹に、彼女の適性検査の結果は職員たちを大いに驚愕させた。
︎︎桜庭の身体能力は、歴代の適性検査記録を大きく塗り替えていた。走力、跳躍力、反射神経の全てで、これまでの記録を圧倒的に上回っていたのである。また知識面でも、中学生でありながら大学生レベルの数学問題を容易く解き明かし、MMPI*1に酷似した自己報告型心理検査では彼女のストレス耐性が非常に高いことや、殺傷や暴力行為への忌避感がかなり低いことが分かった。
︎︎桜庭は当時、学校では目立たないよう過ごしていた。
︎︎児童養護施設で育ったというコンプレックスが無かった訳では無いが、それよりも他者との付き合い方が不得意であったことが大きい。注目を浴びないように常に一人で過ごす、そんな児童だった。
︎︎だが、家族として愛情を向けていた職員たちの要望に応えようと実直に適性検査を受けたのが、そんな幼く素直な気持ちが自分の人生を大きく変えることになろうとは、彼女本人も想像だにしなかったことだろう。
︎︎護國衆の隊員として限りなく最適だったそんな桜庭が隠していたポテンシャルは、京都の神祇瑞光院の耳にもすぐに入り、彼女が入居する施設のある東京に展開していた護國衆七番隊のもとで戦闘訓練をすることになった。
︎︎そして正式に入隊した15歳になる頃には、既に平均的な隊員より遥かに強く、人間に擬態して悪さをする妖怪が多い東京で確固たる実績を積み上げ、狂犬との異名で呼ばれるようになった。
︎︎本部に実力が買われたこともあって翌年には一番隊へ異動し、凄まじいスピードで畿内の妖怪を殺し回った。そうして異動から半年も経たずに隊長の座を16歳という史上最年少で獲得するのだが、同時期に隊長となっていた工藤との確執が始まったのも丁度この頃だ。とはいえ、一方的に対抗心を燃やされているだけなのだが……。
──そんな過去がありつつも、神祇瑞光院にとって最も重要な近畿地方を任された一番隊を率いる最強の隊長として、桜庭朱里は今も組織の内外にその名を轟かせている。高校と妖怪退治の両立を難なくこなしていた事に関しても、年長者からは一定のリスペクトを集めていた。
︎︎かの西ノ宮公威をして”生まれる時代を間違えた”と言わしめた、その凄まじい才覚は常に遺憾無く発揮されており、先の西ノ宮彩葉襲撃事件でもその片鱗を彩葉たちに見せている。
︎︎そんな西ノ宮彩葉襲撃事件は、護國衆の一番隊にとって一歩間違えば致命的な失態となり得る出来事だった。組織の誇る精鋭が守るべき要人を危険にさらした事実は、妖怪勢力との全面戦争の引き金を引くことにも繋がりかねなかったのだ。
︎︎更に事件をキッカケに、彩葉の帰宅ルートや時間帯を妖怪に流した内通者の存在の疑惑も浮上し、護國衆の隊長間に多少の不和さえも生まれてきている。
︎︎現下において、一番隊を取り巻く情勢はあまり宜しくない。幸いなのは事件の被害者である彩葉ひいては西ノ宮家が、桜庭に強い信頼と感謝を寄せていたことだ。
︎︎だからこそ彼女は、その思いに応えるべく公威からの依頼に応える形で送迎車の護衛任務を受諾したのだ。桜庭とて、まだ高校生の少女である。だが「護國衆一番隊の隊長」である以上、日常に甘える余裕など許されなかった。
︎︎彼女は、自らを育ててくれた組織に報いるために生きている──その意識は、時に彼女から休息さえも奪い取る。
︎
︎︎とはいえ、彼女が楽しみにしていることもあった。
︎︎襲撃事件の最中、彩葉の傍に居たあの少年が見せた胆力と判断力──桜庭の目には、それが異様な輝きを放っていた。何が彼をそこまで突き動かしたのか。隠れて様子を伺っていた自分に気付いた上での意図的な行動だったのか。その謎は、彼女の心の片隅に強く焼き付いている。
︎︎いずれ本人と話がしたいなと思いつつも、中々タイミングが合わず時間と日にちだけが過ぎていた時期。事件で負傷し、嵐山癒静院に入院していた西ノ宮の使用人に呼ばれた桜庭は、彼からあるお願いごとをされた。
︎︎公威から彩葉送迎の護衛を頼まれる、数日前のことである。
「──稽古?」
「はい。私のようないち使用人が頼むようなことではありませんが……もし可能であれば、どうか将吾くんをお願いします」
「……さほど西ノ宮家の内情に詳しくない身である故、教えて欲しいのだが……まだ彼は小学生だろう? 私とて本格的に鍛えたのは中学生からだった。成長途中の身体を酷使するのはかえって逆効果だ。そもそも私である必要はないと思うが」
「もちろん、理解しております。ただ、妖怪に限らず同じような事態が今後も起きる可能性がある以上、彼に対処出来る力があることが西ノ宮にとっては望ましいのです」
「あの少年に彩葉様の肉壁になれと、西ノ宮は言うのか?」
︎︎いくら護國衆の狂犬と恐れられる彼女とて、人並みの道徳や倫理はある。命に優先順位があることは承知しているが、一人の子供の命を蔑ろにするような佐々木の物言いには不快感を覚えた。
︎︎常人ならば気絶するであろう凄まじいプレッシャーを向けられて、しかし佐々木は平然と首を振る。
「そこまでは言いません。ただ、私が彼を鍛えていたのも、そうした役割を果たす可能性があるからに他なりません。西ノ宮における付き人とは、元来そういうものなのです」
︎︎佐々木は冷静な口調で言葉を紡ぐが、その眼差しの奥には微かに宿る苦渋が伺えた。
「……」
「ただ、彼に彩葉様の肉壁になって欲しいとは欠片も思ってはいません。それは断言します。将吾くんのことは好きですし、彼に死んで欲しくはない──なので貴方に彼を頼みたいのです。いざと言う時、彩葉様だけではなく自分自身も守れるように」
「む……」
︎︎桜庭は言葉を詰まらせた。佐々木の言葉には筋が通っており、少なくともあの少年を蔑ろにするつもりはなさそうだった。将吾を鍛えることが、彩葉を守ることのみならず彼自身の命を守ることにも繋がる。そうであるならばこれ以上は何も言うまい。
︎︎だが、それがどれほど冷酷で非情な現実を孕んでいるかも、桜庭は理解している。「他者を守る」「自分も守る」――そんな考えが時として現場で残酷な矛盾を生むことを、彼女自身、何度も目の当たりにしてきたのだ。
︎主として忠誠を向ける彩葉だけではなく、将吾の身さえも案ずる彼のことだ。お前ならそれは分かっているだろう、と佐々木を見やった。はっきりと返したその視線に込められた佐々木の感情を読み取った桜庭は、その場でしっかりと頷く。
︎︎送迎の警備に加えて稽古の時間まで作るのは些か面倒ではあったが、真摯な想いには真摯に応えるのが桜庭の流儀だった。肩を竦めながら「わかった」と答えると、佐々木は目に見えて安堵したように息を吐く。
「本当に、ありがとうございます。閣下には私から連絡しておきますので、後はよろしくお願い致します」
「構わない……貴方もリハビリを早く済ませて戻れ。その間、彩葉様も彼も私が見ておくので安心するといい」
「貴方ほどの隊長が付いていて、安心出来ない者など神祇瑞光院にはおりませんよ」
──そうして、彩葉の送迎護衛任務が終わるまでの期間限定ではあるものの、護國衆最強と謳われる桜庭が”西ノ宮の付き人候補”こと陸浦将吾を鍛えることになったのである。
︎︎なお、将吾本人への意思確認は最後まで行われなかったのは余談である。
■■■
︎︎不在の佐々木に代わり、かの桜庭朱里が俺の稽古をする事になったという衝撃の事実を知った翌日。
︎︎学校が終わると、彩葉が「頑張りやぁ〜」と軽く手を振りながら送り出してくれた。その軽さが逆にプレッシャーを増す。なんだか逃げられない運命を背負わされたような気分で、俺は重い足取りで稽古場へ向かった。
︎︎重厚な扉を開けると、そこにはすでに桜庭が立っていた。制服姿のまま、どこか侍のように背筋を伸ばして構えるその姿は、妙に様になっていて緊張感を増幅させる。そんな彼女が、俺に向かって開口一番、こう告げた。
「体力をつけましょう」
「……はい?」
︎桜庭は無駄のない動きで近寄ってきた。まるでこの場の空気すら支配しているように見える。その姿勢や雰囲気から漂うのは、年若い高校生などではなく、戦場で鍛え上げられた「護国衆の隊長」の風格そのものだ。
︎︎時間的にも学校を早退してきたのであろう桜庭は、昨日と同じ制服姿。胸元の赤いリボンに紺色のブレザー、そして普通のスカート。丈は結構短く、スラッとした綺麗な白い足が見えている。
︎︎これといった特色はないはずの制服も、桜庭が着るとまるで特別なもののように見えるから不思議だ。顔立ちやスタイルの良さがそう思わせるのか、それとも彼女の持つ圧倒的な存在感がそうさせるのか。俺は密かに「やっぱり可愛いなあ」と思っていたが、表面には出さずに冷静さを保つ。今はそんなことよりも先程の発言の意図の方が気になる。
「それは、どういう……?」
「筋トレや体術を覚えるのも大事ですが、筋肉や技術がついてもスタミナがなければ意味がありませんからね。付き人として彩葉様の護衛に当たるのであれば尚のことです」
︎︎俺が頷くと、桜庭は威風堂々と腕を組みながら話を続けた。
「なのでまずは基礎体力を付けるところから始めます。有酸素運動を中心に、徐々に体を慣らしていきます。それから護身術の練習に入ります。妖怪に遭遇したとき、最低限逃げる時間を稼げるようにしておくのが目標です」
「……あ、はい」
「佐々木さんからは柔道を習っていたと聞き及んでますが、妖怪相手にはまず通用しません。死にたくなければ間違っても妖怪に寝技をしかけたりしないでくださいね。まあ、彼も対人格闘を念頭に教えていたのでしょうが、念の為」
︎︎思っていたよりもマトモな内容に、俺は別の意味で困惑していた。彼女の事だからいきなり妖怪の前に放り出されても不思議ではなかったし、初っ端から木刀でボコボコにされることすら覚悟していたというのに。
︎︎やることは体力錬成……有酸素運動ということは、つまるところ走り込みなどだろうか。佐々木のような脳筋かと思いきや、彼女は割とロジカルな人間のようだ。それならば案外何とかなりそうだ、と安堵する。
︎佐々木のおかげで元々体力はついているし、基礎の基礎という点ではこの稽古の下地は出来ているのではなかろうか、と思う。というかそうじゃなければ俺が困る。具体的に言えばグロッキーになりたくない。
「さて、早速始めましょうか」
「……何をですか?」
「屋敷の裏山を登って降りてを繰り返します。下半身を鍛えつつ、まずは適切な呼吸法を覚えて貰います。動く上でやはり呼吸の仕方は大事ですからね。体力もスタミナも付きますので君には持ってこいでしょう。ちなみに護國衆でも新人には同様の訓練を行っていますので、効果は保証しますよ」
︎
︎︎あっ、やっぱりだめかも。
︎︎言いたいことは済んだと言わんばかりに、桜庭は俺の横を通り過ぎて行く。その場で佇んでいた俺は、通りざまに彼女から香ってきた金木犀のような匂いで我に返り、慌てて桜庭の後を追って靴を履いた。
︎︎鞍馬街道を横に抜けると周囲の山から隠れるような平らな地形があり、そこに田畑や西ノ宮の屋敷がある。そんな感覚はなくとも、実際の標高や海抜は市街地よりも高いのだろう。そのおかげでこの辺りの空気はかなり澄んでいたが、今だけは清涼感や開放感の欠片も感じられなかった。むしろドナドナと連行される捕囚のような気持ちである。
︎︎桜庭は迷いなく歩いている。背筋をピンと伸ばし、まるで目的地が彼女を呼んでいるかのような確信に満ちた足取りだった。対して俺はというと、まだ気分が切り替わっていなくて本調子ではなかった。仮に目の前にいるのが佐々木だったならば否応なしに意識が切り替わって集中出来たのだろうが……。
︎︎その間、桜庭は一切の無駄口を叩かない。稽古を始める前の緊張感を保つためなのか、それとも俺なんかとは話す気がないのか。鳥のさえずりや、地面を踏みしめる音だけが俺たちの間に聞こえてくる。そして稽古場と西ノ宮本邸の間を縫うように進むと、屋敷を囲う古めかしい白壁の前で桜庭が立ち止まった。
︎︎そこには子供の背丈ほどだろう、小さな木の扉があった。
︎︎小門というには小さすぎるので、きっと裏山へと続く通用口のようなものなのだろう。それも長く使われていないのか、桜庭が扉を開けるとギギギと錆びた蝶番の音が辺りに響く。
︎︎屋敷の裏山に生い茂る木々は、まだ太陽が空に浮かんでいるというのに枝葉が光を遮っていて薄気味悪かった。確か枝が屋敷に入ってこないよう伐採しているらしいのだが、それ以外には明らかに人の手が加わっていない。
︎︎今からここを走れというのか?マジで?
︎︎立ち込める木々の香りや、わずかに湿った土の感触はどこか落ち着く──と思う暇もなく顔を顰める。
︎︎視界の先には延々と続く急な斜面。木の根が複雑に絡み合い、岩肌が剥き出しの場所もある。どこをどう登れというのか。
︎思わず漏れた困惑の声を拾うように、桜庭が振り返る。その表情は真剣そのものだったが、どこか楽しんでいるようにも見える。ああ、そういえばそういうタチだった。
「何か言いましたか?」
「いえ、何でも……」
︎︎慌てて言葉を飲み込む。俺の弱音なんて、彼女には通用しないのは分かっている。それどころか「やる前から諦めるのは良くないですよ」なんて正論で返されるのがオチだ。人形のように表情変化に乏しいばすの桜庭の口元がニヤニヤしているように見えるのは俺の被害妄想だろう。きっとそうだ。
「ならいいです」
「……あの、桜庭さん」
「はい?」
「……その、裏山を登るって具体的にどのくらいの距離なんですか?」
「心配しなくても、最初は君のペースに合わせます。富士山と違って大した山じゃありませんし、まずは此処から山頂までのルートを確認しましょうか」
︎︎言葉だけなら優しいが、その声には何の情けも感じられない。というか何でそこで富士山が出てくる。まさかとは思うが、鍛えるために富士山に行ったというのか彼女は。
︎︎ここが京都で良かった。そう安心する暇もなく、桜庭に促された俺は歩を進めた。
「っす……(具体的な距離を聞きたかったんだけど)」
︎︎小さくぼやいた声は、彼女には届かなかったらしい。いや、たぶんわざと聞き流しているんだろう。俺は軽く息を吐きながら太い木の根を飛び越えた。
︎︎この調子だと、相当な体力を消耗しそうだ。
︎︎登山とまではいかないにしても、足元はかなり不安定だし斜面は急だ。しかも桜庭は、これを単なるウォーミングアップ程度に考えているらしい。
「……桜庭さん。そういえば何往復するんですか?」
「とりあえず二往復ですね。無理のないペースで良いので、息を切らさずに行きましょう。ほら、前を見て」
︎︎桜庭は何の迷いもなく、さっさと俺を抜いて前方を歩き始めた。ウサギのように軽やかな足取りで木の根を避け、岩場を滑るように登っていく。制服姿でこれだけ動けるのが信じられない。
︎︎俺は慌ててその後を追った。
︎︎最初の数十歩はまだ余裕があったが、徐々に息が上がってくるのを感じる。平地を走るのとはわけが違う。足場の悪さ、傾斜、全身を使ってバランスを取る難しさが、容赦なく俺の体力を削っていく。
︎︎なのに桜庭は、時おり振り返るだけで俺の事など頭の中から消えているかのように一人で進んで行った。
︎︎これは困った。佐々木の稽古よりちゃんと辛いじゃないか。それも物理的な痛みの類ではなく、普通に体力が無くなって気力も無くなる類の。
︎︎どうやら俺は俺が思っているよりも体力がなかったらしい。既に桜庭の姿は見えなくなっている。標識も道路もない、ただ登れそうな場所を進むしか無かった。
︎︎脚が悲鳴を上げている。膝から下が他人のものみたいに動かない。いや、むしろ自分の脚が桜庭にリモコンで操られているんじゃないかと本気で疑いたくなるほどだった。
︎︎だが桜庭を待たせている以上、俺に前へ進む以外の選択肢などなかった。そもそも今から屋敷に戻るにしたって、そのための体力の余裕も完全にない。
︎︎そうして疲労困憊になりながらもある程度登っていくと、一際勾配のある斜面から飛び出るような大きな岩に桜庭が腰掛けて俺を待ち構えていた。
︎︎彼女は先程までと変わらぬ視線で、みっともなく情けない姿を晒す俺を見つめている。視線を交わしても言葉を発することはしなかったが、彼女の雰囲気から察するに「ここまで登ってこい」ということだろう。
︎︎声をかける余裕もなかったので、俺は力を振り絞って重い足をゆっくりと動かした。
︎︎足はガクガクと震え、もう一歩進むだけでも全身から悲鳴が上がるようだった。汗は顎を伝って滴り落ち、手のひらはすでに岩を掴む力も失いつつある。気づけば息を吸うたびに喉が痛み、肺が火傷したように熱い。割と動き易いと思っていた道着を着ていたことも、それらに拍車をかけていた。
︎︎次からは絶対にジャージを着てこよう、そうしよう。
︎︎
「っ……く、はぁ……はぁ。……桜庭さん。最初、無理のないペースって言いませんでしたっけ……? というか、俺に合わせるって話は何だったんすか……?」
︎︎結局、それから十分近くかけて俺はその斜面を登ることに成功した。途中からはほぼ四足歩行の形である。推しの桜庭に見られているということは完全に思考の外側に抜け落ちていたが、極度の疲労で何も考えられなかった。
︎︎視界がぼやけてきたのは疲れのせいだろう。いや、それとも汗が目に入ったのかもしれない。どちらにせよ、まともに目を開けていられないほどの苦しさに、思わず膝が折れそうになった。
︎︎そんな状態のまま桜庭が座る石へ到達したが、途端にやはり全身から力が抜けてしまった。ゼェゼェと肩で息をしながら仰向けになると、そんな俺の顔に影が射す。桜庭がこちらを覗き込みながら、無表情のままパチパチと手を叩いていた。
「ええ、言いましたとも。でも君の現在の限界を知ることも、初日の大事な目的ですから。おそらくこのくらいでダメだろうなと思いましたが、やはり私の予想が当たりましたね」
「……鬼……ケホッ、ケホッ」
︎︎頭上から聞こえてくる桜庭の声には、一切の躊躇も緩みもなかったが、どこかほんのりとした温かみが滲んでいるように感じる。多分勘違いだろう。推しといえど惑わされてはならない。
「鬼、ですか。それは心外ですね……これでも結構優しくしているつもりなのですが」
︎︎そう言って反対側に回り込んだ桜庭は、ひょいと俺に手を差し伸べた。彼女は手を差し伸べたまま、ほんの少しだけ首を傾ける。その仕草にはわずかな笑みが宿っており、普段の冷徹な雰囲気とはどこか違って見えた。
「さ、立てますか? 頼るところは頼ってくださいね。これでも私、隊長なので」
︎︎その声は柔らかで、少し冗談を含んだようにも感じられる。まるでヨボヨボの爺さんのように震えながら彼女の手を取ると、しっかりとした力で引き上げられる。勢い余って彼女の身体にぶつかりそうになったが、既のところで踏ん張った。
︎
「おっ、とと……」
「さて──……屋敷からここまでの距離を、軽く往復出来るようになること。まずはこれを当面の目標にしましょう。スタミナに問題がなければ距離を延ばし、今よりスピードも上げさせます」
「了解しました……」
︎︎これよりも早く、そしてこれよりも遠く。想像するだけで吐きそうになる。荒れた息を整えながら自分のこれからを思い肩を落とすと、ポンと軽く頭に手が置かれた。驚いて視線を上げると、仏頂面の桜庭が目に入る。
︎︎しかし手から伝わってくる僅かな温もりが、彼女に抱いていた印象を崩していく。原作では描かれなかった桜庭朱里の人間的優しさが垣間見えたような気がして──そんな彼女に頭に手を置かれているという恥ずかしさよりも先に、困惑と嬉しさが入り交じったむず痒い感覚が胸の奥をくすぐるようだった。
︎︎それは、ほんの少し触れただけの手の温もりと、何気ない彼女の仕草に宿る優しさのせいだろうか。
「……とはいえ私も貴方に無理をさせるつもりはありませんから、今は余計なことを考えず自分のペースを保つことに集中して下さい。先の事件で彩葉様を守り通したその実力を私は信じていますし、期待もしています──そんな貴方ならこの程度は容易いはず。私と一緒に少しずつ進んでいきましょう」
「っ、はい!」
︎︎不思議な気持ちだった。画面越しに見て好きになったキャラクターが、今ここで俺を励ましてくれるなんて。彩葉や沙耶香と関わっている時とは違う、得体の知れない感覚。それが桜庭という最強の存在が示す特別さなのかもしれないが、どうにも言語化が難しい。
︎︎おそらく推しかそうでないかの違いなのだろうけど、しかし気がついた時には無意識に力の籠った返事が俺の口から出ていた。
︎︎こうして桜庭による稽古が始まったからには、もう愚痴も不満も押し殺して集中しないとダメだろう。でなければ俺が辛くなるだけだ、と先程までの甘い考えを心の中で捨てる。
︎︎そもそも、あの桜庭朱里が”頑張りましょう”と態々声をかけてくれたのだ。推し云々は置いておいても、彼女ほどの人物に背中を押されてなお中途半端な態度を取るなんて絶対に駄目だ。
︎︎それは多忙な日程の合間を縫ってこの時間を作ってくれている桜庭にも、そして俺のためを思って彼女に稽古を頼んでくれたのだろう佐々木にも不義理な振る舞いだろう。
︎︎岩からひょいと降りた桜庭に続くように、俺は意を決して斜面を下る。頬を撫でるような優しい春風が、決意と反省を新たにした俺の背中を押していく。
︎︎俺ならやれる。
︎︎あの桜庭がそう言ったのだから、きっと……いや絶対にそうだ。ならばその期待に応えて、愚直に稽古に励むしかない。
︎︎この貴重な時間を糧に、将来の過酷な争いに備えよう。
──そう信じて、俺は屋敷に向かって戻る桜庭の背中をひたすらに追いかけた。
︎
主人公である将吾の最大の欠点は、自身が身を置く西ノ宮家の末路を知っていながらも、何ら本気でそれらの対策に取り組んでいないことです。
きっと何とかなるという楽観的な構えや、場当たり的で優柔不断な姿勢、物事への不真面目な考えがそれに現れています。
彼は頭ではそれがダメだと分かっていても、実際に取り組むとなるとギリギリまで不満タラタラになる激甘ちゃんなのです。だから佐々木の稽古も真面目に受けていながら内心では嫌々でしたし、桜庭が稽古をするとなった時も当初は本気でorzしてました。
例えるなら彼は夏休み最終日の深夜に「宿題多い」「学校嫌だ」と延々と愚痴るようなタイプですね。
しかしこれでは生き残れるものも生き残れません。またこのまま行くと成長した後の彩葉にも見限られる可能性さえあります。なぜなら彩葉は悪役令嬢ポジなので、友人であろうが見切りをつけたら簡単に切り捨てられます。今はまだ原作より幼いのと、そも将吾しか同年代の親しい相手がいないのでかなり仲良くしていますがね。
そうならない為には、彼の人格を形成する最も大きいもの、つ まり前世の記憶に色濃く残っている推しキャラである桜庭との交流は、彼の精神的な成長に必要不可欠になります。
「原作に備える」なんてまた似たようなこと考えてるよ……と思った方もきっといらっしゃるでしょうが、推しの桜庭に真正面から期待の言葉を貰った今回から、彼の姿勢は大きく変化していくことになります。
以上、特に需要のなさそうな補足でした。
次回投稿日は未定ですが、早めに投稿できるようがんばります。ちなみにタグにある掲示板回はそう遠くないうちに投稿予定です。