乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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EP15〈構築〉

 

 

 

「……なんか将吾くん、結構身体逞しくなった?」

「あー?」

 

 ︎︎ 屋敷の自室にて、いつものように勝手知ったる顔で俺の机を占領している彩葉が、ちらりとこちらに目を向けながら呟く。彩葉が持ってきた本を読む手を止めて、俺もつられて彼女の方に視線を移した。

 

 ︎︎ラフに肘をついて座るその姿からは、退屈しているのが丸わかりだ。学校も稽古も終わり、夕食と風呂を済ませたら後は自由時間。宿題を済ませた彩葉はやることがなくなり、こうして俺の部屋で時間を潰すのが定番だった。この問いかけも、彼女の暇つぶし以上の意味はない。だが、付き合わないと後が面倒くさい。

 

「そうかぁ?」

「うん。というか、よく見たら身長も伸びとるね」

「成長期なんじゃね?」

 

 ︎︎小学五年生の男子の平均身長は、保健の教科書によるとだいたい140センチらしい。だが、身体測定の結果では俺はそれより少し高かった。体育館に向かう時の身長順で、自然と列の後ろに並ぶようになったのも今年に入ってからのことだ。

 

「ふーん……ちゃんと頑張ってるんや、桜庭さんとの稽古。いつも稽古場には全然顔出さんと裏山に篭っとるから、将吾くんが何やってんのか全然知らんけど」

「おう、死ぬほど頑張ってる」

「へぇ、意外……なんや? ここ暫く、あんたが全然愚痴も言わず真面目に打ち込んどるのは、あの人が美人さんやから?」

「せやせや」

「正直者やね」

 

 ︎︎呆れたようにため息をつく彩葉をよそに、俺は桜庭朱里との稽古を思い返した。

 

 ︎︎最初は、桜庭の仏頂面とその鋭い視線にビクビクしていた。原作知識に起因するバイアスもかかっていただろうが、何度か稽古を受けてみればその恐怖心は案外早く消えた。

 

 ︎︎彼女の指導は厳しくも的確で、無駄がない──佐々木のアレが無駄とは欠片も思っていないが──何よりその中に見え隠れする分かりづらい優しさが、俺を奮い立たせていた。

 

 ︎︎足腰を鍛え、体力を付ける。そのために毎日繰り返す裏山の登り降りも、今では初日の醜態が嘘のようにスラスラこなせるようになった。距離や速度を伸ばすたびに、桜庭からかけられる「よくできました」の一言が、俺の心に小さな灯を灯すのだ。

 

 ︎︎我ながら単純な男だ。綺麗な女性に褒められて漸くやる気を出すなど、前世の妹が知れば腹を抱えて笑っただろう。大学同期なら指を差してからかってきたに違いない。

 

 ︎︎だがしかし、そんな発端はともかくモチベーションが維持されるのであれば、稽古を真面目に受けない理由は俺になかった。この先、俺が生き残るのにちょっとやそっとで殺されない程度には強くなる必要があるからだ。

 

『もっと早く登れるようになりましょう。君ならやれます』

 

 ︎︎桜庭にかけられるその言葉に応えるため、俺は限界まで稽古に集中し、汗を滝のように流しながら必死に食らいついた。その結果、身体の変化を彩葉に指摘されるほどには多少なりとも成長したのだろう。嬉しい限りである。

 

「まぁ、頑張ってるのはええことか」

 

 ︎︎桜庭の指導が始まって、気づけば二ヶ月が過ぎていた。壁にかけたカレンダーを見ると、彼女と出会ったあの襲撃事件が、遠い昔の出来事のように感じられる。学校と稽古に追われていたせいか、いつの間にか季節は六月に入っていた。

 

 ︎︎あの事件を契機に、護國衆一番隊は府内の警備を徹底して見直し、京への妖怪の侵入を防ぐため24時間態勢で畿内を巡回している。数週間前には佐々木も退院したのもあって、事件の渦中にあった西ノ宮家も少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。

 

 ︎︎桜庭も忙しいはずなのに、平日は欠かさず二、三時間も稽古の時間を作ってくれることには、本当に感謝している。送迎警護の任務が向こう半年間の予定だったことを考えると、俺の稽古も当初は佐々木の復帰を一区切りにする予定だったらしい。だが医者の言った通り、佐々木には軽度の後遺症が残り、入院生活の影響もあって体力も以前ほどではない。満足に動くまで回復するには、まだ長い時間を要することだろう。

 

 ︎︎そのため、彼の現在の状態を鑑みた桜庭が自ら稽古の延長を申し出てくれた。警備体制が再編され、送迎警護はまもなく終わるが、少なくとも今年いっぱいは俺の指導を続けてくれるという。

 

 ︎︎佐々木が復帰してくれたのは本当に嬉しいことだ。ただ、彼の稽古や勉強会が加わると、俺のキャパシティはすぐに限界を迎えてしまう。だからこそ、彼には完全に体力を取り戻すまで無理をせず、じっくり養生してほしい。じゃないと今度こそ過労で死ぬという確信があった。

 

 ︎︎ただまあ、佐々木が戻ったことで彩葉の機嫌も良くなり、彼女の笑顔が増えた気がする。それだけで、日々の生活が少しだけ穏やかになるのを感じた。彩葉の機嫌が良いということは、それだけ私生活で余計なトラブルに巻き込まれる可能性を心配しなくても良い。

 

 ︎︎そんな風なことをボーッと考えていると、いつの間にか机から離れていた彩葉が、ソソソと音もなく忍び寄り、思考に耽っていた俺の頬を軽くつねってきた。小さな指に肉を挟まれても別に痛くも何ともないが、めちゃくちゃ邪魔である。

 

 ︎︎"なんだよ"とその指を振り払うと、完全に構ってちゃんモードに入った彼女と目が合った。尻尾がブンブンと振っているのが見えるのは、きっと俺の幻だろう。

 

「なあなあ、本ばっか読んどらんでうちと遊ばん?」

「お前が持ってきた物だろうがよ。好き勝手そこらに放りやがって。誰が片付けていると思ってるんだ」

 

 ︎︎自分の部屋から一歩出ると、片付けが出来ない病気にでも罹患しているのだろうか。今まで彼女の部屋にはあまり入ったことはないが、しかしここでの自堕落な振る舞いからは想像できないほど整理整頓されていることは知っている。

 

 ︎︎部屋が綺麗なのは使用人が定期的に掃除しているのもあるだろうが、それにしたって本棚はビッシリと詰まっているし、布団もシワひとつない状態で折り畳まれている。

 

 ︎︎自室ではしっかり整理しているのにも関わらず、俺の部屋に来ると打って変わったように、本は散らかすわ布団は勝手に使うわで滅茶苦茶な振る舞いが目立つ。

 

 ︎︎布団はともかく、問題は本だ。

 ︎︎もう俺の机の周囲には積読状態の本がいくつもある。いつも部屋に持って帰れと言うのだが、飄々と去っていくので心底困っているのだ。そんな気持ちを込めた俺の言葉に、彩葉は耳を塞いで知らんぷりだった。

 

「あー聞こえん聞こえん」

「……チッ」

「ん? あんた誰に向かって舌打ちしてはるん? ええ度胸ね」

「情緒不安定かよオマエ」

 

 ︎︎舌打ちをした瞬間、彩葉にじろりと睨まれた。低い声と鋭い目つきに、思わず原作の彼女のイメージが頭をよぎる。そういえば、原作の彩葉も落ち着いた口調に似合わず低めの声だったな──なんて懐かしさに浸る間もなく、それまで見せていた年相応の顔が、まるで能面のように無感情なものへと変わったので思考を切り替えた。

 

 ︎︎「お前、その顔で威圧かけるのやめろよ……怖いから」なんて心の中でツッコミを入れつつ、深くため息をついて頭をかく。

 

「で? 何して遊ぶんだ?」

「何だかんだ言ってちゃんと話に付き合ってくれるところ、うち結構好きやで」

「うるせ。何も無いなら俺は寝るぞ」

「ふふ、ごめんごめん。……ってもなあ。暇なだけやし、うちも別にしたいこと特にないんよなぁ。何しよっか?」

 

 ︎︎なんやねん……と、長い京都生活で心の中に芽生えつつあった似非関西人がぼやいた気がした。とはいえ、遊ぶと言っても確かにこれといった案が浮かばないのは同意できる。

 

 ︎︎現代なら暇つぶしといえばゲームやSNSが真っ先に思い浮かぶだろう。しかし、この屋敷ではそれらは夢のまた夢。俺たちはまだスマホなんて持っていないし、そもそも屋敷自体が大正時代で時が止まったかのような場所だ。あるのは花札や将棋、あるいは麻雀といったアナログな娯楽くらいである。

 

 ︎︎彩葉は花札を好み、将棋は佐々木が得意としているが、彩葉の表情を見る限り、今日は花札の気分ではなさそうだった。

 

 ︎︎ちなみに麻雀は公威の趣味だ。俺も前世で友人たちと嗜んでいたので、懐かしさが込み上げた時にはたまに「麻雀やりたい」と思うことがある。以前、料理の仕込みを手伝っている途中にもそんな独り言を漏らしたのだが、なぜか即座に調理担当を通じて公威に伝わった。

 

 ︎︎そして俺に麻雀の知識があることにえらく喜んだらしい公威に誘われて以来、彼や他の麻雀好きの使用人たちと卓を囲む機会を得ることになったのである。

 ︎︎なお、口が裂けても絶対に誰にも言えないが、西ノ宮公威は見た目に反して意外と麻雀が弱かった。

 

 

───まあ、それはともかく、何もないなら寝るのが最優先。考え込む彩葉を横目に、俺は本を閉じて壁際に敷かれた布団にドサッと身を投げ出した。

 

「寝る」

「うちと?」

「思考回路どうなってんだオマエ...... 知ってるか彩葉。俺って別に女子供が相手でも容赦なく殴れるんだぜ。男女平等に」

 

 ︎︎もちろん冗談だが、寝転がりながら拳を握って見せる。しかし、彩葉は怖がるどころか、むしろケラケラと楽しそうに笑い出した。

 

「あらまあ怖い人。ほな一旦殴ってみる?」

「…………………今日のところは勘弁しといてやろう」

「ねぇ今どっちの顔想像した? お祖父様?」

「佐々木さん」

「そっちかあ」

 

 ︎︎彩葉は佐々木を本当の兄のように慕っている。そして佐々木も、ただの主従関係を超えた親愛を彼女に注いでいるのが傍から見るとよく分かる。

 

 ︎︎仮に俺が彩葉を傷つけたなんて話が耳に入れば、あの孫想いな祖父はもちろん、佐々木も激怒するに違いないだろう。

 

 ︎︎普段は穏やかで理性的な彼だからこそ、最初は事情を聞いてくれるだろうが──その後は「それはそれとして」と言いながら、半殺しにされる未来が目に浮かぶ。考えただけで背筋が寒くなった。

 

「んー、せやね...... うちの可愛いところで山手線ゲームでもやろか?」

「あっ、おやすみなさい彩葉様」

 

 ︎︎何を言うかと思えば、とんでもない提案をぶっ込んできた。俺がそんなゲームに付き合うはずもないが、無意識に彼女の「可愛いところ」がいくつか頭に浮かんでしまったのが腹立たしい。

 

 ︎︎布団を体にかけ、枕の位置を調整しながら、投げやり感を滲ませつつ彼女に挨拶する。彩葉は不満げに頬を膨らませたが、どうやら本当に遊びの案が今のだけで尽きたらしく、それ以上は何も言わなかった。

 

 ︎︎やがて無言で立ち上がると、彼女は襖の方へ向かった。寝る準備をするのだろう。その後ろ姿を見送りながら、「もう少し付き合ってあげればよかったかな」と、心中で反省する。

 

 

 ︎︎だが次の瞬間──部屋の電気が「チカチカ」と点滅する音がした。頭を上に向けると、彩葉がスイッチの前で得意げに俺を見下ろしていた。どうやら嫌がらせのつもりらしいが、布団に入った途端に襲ってきた眠気もあって怒るような気力は湧いてこない。

 

 ︎︎しかし一言は言っておかないと、こいつは延々と同じことを繰り返すだろう。この悪戯好きの令嬢様に、誰かそろそろ本気でお灸を据えてはくれないものか。具体的には佐々木辺りが。

 

「眩しいわアホ」

「……ふふ」

「お前もう寝ろよぉー、眠たいんじゃこっちは」

 

 ︎︎初日よりだいぶマシになったとはいえど、あの急斜面かつゴツゴツとした岩肌や足を絡め取るように生えた木の根を登り降りするのは疲れるのだ。睡眠時間が短いとその際の疲労の度合いが比較にならない。

 

 ︎︎だから俺は午後十時半から十一時の間には、無理やりにでも寝るようにしている。彩葉の暇つぶしに付き合っていると余裕で日を跨いでしまうので、彼女が構ってちゃんモードに入った時であってもこちらが眠気を訴えれば大人しく引いていく。今のように小さな嫌がらせをしてくることもあるが、そこはご愛嬌だろう。

 

 ︎︎俺がもう気分的にも完全に寝る態勢に入ったことが伝わったらしく、彩葉は諦めたように肩を竦めた。

 

「はいはい。そんなに言うなら大人しく退散します」

「おー、そうしてくれ」

「ほなおやすみ、将吾くん。また明日ね」

 

 ︎︎彼女のそんな軽やかな声を聞き届けて、俺はゆっくりと夢の世界へと入り込んだ。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

「さて、将吾くん。本日は座学です」

「座学……ですか」

 

 ︎︎思わず顔が歪む。まさか佐々木みたいに、難解な数学問題や英語をやらすつもりなのだろうか。そんな嫌々な感情が伝わったのか、桜庭は真剣な雰囲気を崩し、小さく首を横に振った。

 

「そんな顔をしなくとも、家庭教師の真似事をするつもりはありませんよ。今日の内容は妖怪についてです」

「なるほど……?」

「佐々木さん曰く、西ノ宮家の付き人制度に基づけば、君は十五歳頃には正式な役職を持つことになるそうです。時期的には中学卒業辺りでしょう。つまりそれからは彩葉様の護衛という役割を、彼や私たちではなく、君自身が担うということですね」

「そう、ですね……」

 

 ︎︎その言葉に、胸の奥に不安が広がる。

 ︎︎俺は、あの程度の事件ですら未だに怖さが抜けていない。まだあの現場を通ると身体が強張ってしまうのだ。

 ︎︎そんな体たらくにも関わらず、これから彼女の付き人としてやっていける自信など、到底湧いてこなかった。

 

 ︎︎原作開始後に人間勢力を待ち受ける数々の事件──それを知っているからこそ、なおさらだ。

 

 ︎︎なにも敵となるのは、ただの妖怪だけではない。人間だっている。半妖半人である原作主人公を中心としたグループはもちろんのこと、妖怪勢力に至っては俺など歯牙にもかけないような強敵ばかり。さらに、錦戸と西ノ宮の対立が根深い神祇瑞光院も、決して一枚岩ではない。

 

 ︎︎そして何よりも──これから数年後に訪れる、彩葉の婚約者が主人公側へ寝返るというイベント。

 

 ︎︎あれは確実に、俺の運命を大きく左右する分水嶺になる。彩葉と婚約者の関係が破綻すれば、もはや物語のルート修正など不可能になってしまうだろう。

 

 ︎︎その後の彩葉は原作通り、苛烈な悪役令嬢として主人公を敵視し、殺そうと動くはずだ。そして公威も、主人公らの「人妖共存」なんて下らないと一蹴し、組織内へ共存思想が広がる前に本格的な排除へと踏み切る。

 

 ︎︎そうなれば俺にできるのは、時の流れに身を任せることだけだ。正史通り進むのか、それともバッドエンドルートへ突入するのか。いずれにせよ、機を見て逃亡するのに変わりないが、もしもその時に沙耶香の協力が得られれば、名古屋にいる母を連れて遠方へ逃げることもできるかもしれない。

 

 ︎︎だが、これらはすべて俺の希望的観測に過ぎない。そもそも、俺がそこまで生き延びられる保証すら何処にもないのだ。

 

 ︎︎というのも、現状最たる不安材料なのは俺自身……いや、俺という存在そのものと言い換えても良いだろう。

 

 ︎︎俺は原作には存在しないが、彩葉という敵側主要人物の傍で生活している。この不可解な事実を、これまでは転生のような不可思議な現象による"物語の改変"として受け入れていた。

 

 ︎︎だが──仮に、だ。

 ︎︎もしかすると、原作ゲームやファンブックに描かれなかっただけで、"陸浦将吾"という人間は、あの世界にも元々いたのではないのか。

 

 ︎︎そんな考えに至った瞬間、俺は背筋が凍った。その時の俺の恐怖心がどれ程のものだったか。全く眠ることが出来ずに夜が明けた、と言えば多少は伝わるだろうか。

 

 ︎︎もしこの世界が原作と同じように進むのだとすれば、俺には確実に死が待っている可能性が高い。

 ︎︎原作に入る前に、何らかの出来事があって死に、そして原作では陸浦将吾の存在が描かれなかった。そんな仮定が正しいという前提ではあるものの、一度頭に浮かんだ可能性への否定が一切出てこない以上、それに備えるため、そして生き残るために俺は強くならなければならない。

 

 

 ︎︎桜庭に褒められてやる気が出ているのは置いておいて、いずれにせよ、今まで以上に覚悟を持って稽古に臨むべきだ──そう決意を新たにした直後の言葉だったから、無理やり抑えていた不安な気持ちがぶり返す。

 ︎︎胸を締めつけるこの憂鬱や焦燥は、決して俺の気の所為などではないのだろう。

 

「(……あと五年で正式に付き人、か)」

 

「西ノ宮の付き人制度に思うところがないと言えば嘘になりますが、下部組織のいち隊長に過ぎない私が御三家に口を挟む権限はありません。……まあ、君を鍛えると決めた以上、最後まで面倒を見ますよ。ご安心ください」

 

「ありがとうございます」

「いえ、お気になさらず──ともかく、山登りばかりでは疲れも溜まるでしょう? 私もまだ歴は短いですが、隊長として様々な任務についてきましたので、妖怪については人一倍詳しい自負があります。なので君の休息も兼ねて、しばらくは妖怪にまつわる座学を行いましょう」

「はい、分かりました」

 

 ︎︎なるほど、だから今日は裏口ではなく稽古場にいたのかと納得する。彩葉は佐々木と自室で勉強しているだろうから、今日は誰もここを使う予定はない。

 

「では早速、始めましょうか」

 

 ︎︎桜庭が軽く両手を叩き、スクールバッグの中を探り始める。意外にも彼女はリュックではなくスクバ派なのか、とそんなことを考えているうちに、彼女がノートとペンを取り出し、徐ろにこちらへ差し出した。

 

「はい、どうぞ」

「……これは?」

「百均で買ってきた大学ノートです。ついでに私のシャーペンもあげるので使ってください」

「(思ったより本格的にやるのね……)ありがとうございます」

 

 ︎︎シンプルなデザインのシャーペンと、前世でも馴染みのあるノートを受け取ると、彼女は満足げに頷いた。

 

「さて、まずは君がどれくらい妖怪に関する知識を持っているのか確認しましょう。妖怪の生態、人間社会との関わり、そして現在の状況や勢力図。この四点について、分かる範囲で良いので答えてください」

「成り立ちは……すいません、ちょっと分からないです。妖力というものがあって、その中には人間に擬態できる個体がいるのは知っています。あとは確か、関東に妖怪の大きな組織があって、東日本で勢力を伸ばしている……くらいですかね」

 

 ︎︎原作の知識を正直に話すのは避け、佐々木や彩葉から教わった程度の情報に留めておく。桜庭はふむ……と小さく唸り、顎に手を添えて考え込むが、いつもの如く表情は変わらない。

 ︎︎違和感を持たれたりはしないだろうか、と内心ひやりとする。

 

「……なるほど、分かりました。それならば、まず妖怪についての基本的な説明から始めますね」

「お願いします」

 

 ︎︎安堵しつつ、背筋を伸ばす。普段は見上げることの多い桜庭の顔が、正座している今は真正面にある。桜のように綺麗な色の瞳が、鋭く俺を捉えていた。

 

 ︎︎静寂が場を包む。微かに聞こえるのは、外で鳴く鳥の声と、ノートをめくる小さな音だけだった。

 

「──神祇瑞光院において妖怪とは、単に“妖力”を持つ存在と定義されています。御伽噺や伝承に登場するかどうかは、さほど関係ありません。彼らは体内に宿る妖力を操り、幻を見せたり、金縛りをかけたり、あるいは火を生み出すなどの能力を発揮して、太古の昔から人間を脅かしてきました。逆に言えば、“妖力”を持たない存在は、組織の定義上では妖怪ではない……ということになります」

「……つまり、組織が妖怪かどうかを決めるのは妖力の有無であって、伝承や民間信仰とは関係ない……ということですか?」

 

 ︎︎俺の問いに、桜庭は微かに頷く。

 

「はい、その通りです。昭和初期の我が院の研究者たちはこの定義に行き着きました。もっとも、これに対して内部で異論がないわけではありませんが……。とりあえず今はそう覚えてくれたら十分です」

 

 ︎︎彼女の言葉を聞きながら、俺は要点を掻い摘んでノートに書き留める。妖怪がどうのこうのと真剣に書き込むのは、厨二病全開だった中学時代の友人を思い出して、妙な気分になる。

 ︎︎しかし折角あの桜庭から貰ったモノだから、何も書かないわけにはいかない。俺は静かにペンを走らせた。ノートに文字が連なると、一般的でない特殊な環境に身を置いていることへの実感が改めて増す。

 

「次に妖怪の起源ですが、残念ながらこちらはまだ良く分かっていません。研究部の方では大陸渡来説と動物変異説で割れているようですが……ただ、奈良時代や飛鳥時代には既に妖怪と思しき存在による被害の記録があります。そのため、概ねこの時期には既に何らかの形で人間と関わっていたのではないかと推測されてます」

「はあ……」

 

 ︎︎ファンブックで多少は知ってはいたが、こうして原作のキャラクターから語られるとその歴史の長さをヒシヒシと感じる。そもそも組織自体、はるか昔の平安時代に創設されたというのだから俺如きが推し量れるものではないのだが……。

 

 ︎︎圧倒されるかのように思わず漏れた声に、桜庭は少しだけ口元を緩めたように見えた。

 

「現在では、妖怪は大きく二種類に分類されています。一つは、擬態術を用いて人間社会に紛れ込む“擬態型”。もう一つは、知能が低く、本能のままに山間部を徘徊し、人を襲う“動物型”です。我々一番隊も大阪や兵庫では擬態型との交戦が多いですが、討伐記録では動物型の方が圧倒的に多い。いくら開発が進んでも、日本は山ばかりの環境ですからね」

 

「その擬態型ってのは、やっぱり都市部に多いんですか?」

 

「ええ。特に東京や大阪にはかなり多く潜んでいます。人が多いほど紛れやすいですから。過去には会社を経営し、豪遊していた個体もいましたが──結局、彼らも例外なく討伐対象です。先の事件で君も体感したでしょうが、妖怪は体内の妖力の影響で妖気というものを発しているので、どんなに隠れていようが我々には関係ありません。スクランブル交差点を渡る群衆であろうが、妖気に慣れている我々ならすぐに見つけられます」

 

 ︎︎桜庭の話に耳を傾けながら、俺は自然とノートに手を走らせる。”基本的に妖怪は自らの妖気を隠すことが難しい”。そう付け加えた桜庭の言葉に、俺は自然とある記憶を呼び起こしていた。

 

 ︎︎彩葉を襲撃した、あのおぞましい形相の妖怪だ。

 ︎︎なぜ、一番隊が巡回する京都に侵入できたのか。なぜ、一番隊はその気配に限界まで気づけなかったのか。

 

 ︎︎事件後、そんな疑問を抱いていた俺に、佐々木は「ギリギリまで隠していたんじゃないですかね」と短く答えた。だがそれが本当ならば、やはりあれは相当強い個体だったのかもしれない。

 

 ︎︎ともすれば俺たちが死なずに屋敷へ生還できたのは、偶然に過ぎなかったのだろう。もう思い出したくもない記憶が、ふと頭をよぎった。

 

 

 ︎︎沈黙が落ちる。

 ︎︎桜庭が「うーん」と顎に手を当てて黙り込んだ。どうしたのだろうか。少し首を傾げた。俺の視線に気づいた彼女が、少し慌てたように「失礼しました」と小さく呟く。

 

「最後に妖怪の勢力図ですが……これは少し面倒な話でして」

「……というと?」

「妖怪に組織があることは君もご存知の通りでしょうが、妖怪組織の本拠地があるとされる東京には“とある学園”があります。彼らもどちらかと言うと妖怪寄りの機関なので、さて、どう分かりやすく君に説明しようかと……」

 

 ︎︎とある学園──。

 ︎︎曖昧な表現に一瞬戸惑ったが、すぐに思い当たる。

 

 ︎︎彼女が言ったのは十中八九、〈私立扶桑学園〉のことだろう。一昨年の夏に理事長が特捜部に捕まっていた全寮制高校だ。原作における主要な舞台であり、半妖半人となった主人公が入学した人妖が共存する不思議な空間でもある。

 

 ︎︎もっとも、共存といっても武力衝突一歩手前の冷戦状態だったのだが……。

 

 

 ︎︎桜庭の立場からすれば、俺は大した知識もない子供に過ぎない。確かに、人間と妖怪の勢力関係を説明するにあたって、その中間に位置する学園の存在を俺にどう伝えるかは悩ましいところだろう。あそこは神祇瑞光院に属する若者も多く通っているし、一概に人妖どちらかの勢力として数えれるかは怪しい。

 

 ︎︎今の彩葉や佐々木辺りよりも俺の方が学園には詳しいという自信があるが、やはり原作知識をペラペラ喋る訳にもいかず、ただ桜庭の考えが纏まるのを大人しく待つ。

 

「……まあ、学園についてはまずは一旦置いておきましょうか」

「(絶対途中で面倒になっただろ)」

 

 ︎︎心の中でそう呟く。

 ︎︎桜庭は咳払いひとつして、話題を切り替えた。

 

「神祇瑞光院の特定監視プロトコルに基づき、現在調査対象となっている妖怪の組織は博多、名古屋、大阪、仙台、札幌に存在します。ですが、いずれも中小規模で現状は大きな脅威ではありません。だからこそ、君に特に警戒してほしいのは──東京に拠点を構える国内最大の妖怪組織〈血盟共妖会〉です」

「血盟共妖会……」

 

 ︎︎俺はペンを止め、その名を反芻した。

 

「全体として……ではありませんが──この会の関係者やセクトが過去には大規模な反人間テロも起こしています。公安警察や自衛隊の特殊作戦群などにおいても動向が注視されている、危険極まりない連中です」

 

 ︎︎桜庭の声が一段と低くなり、室内に重苦しい空気が漂う。

 

 ︎︎〈血盟共妖会〉──それは、原作『アンブロークン・リネージュ』で主人公グループと深く関わっていた組織だ。

 ︎︎原作は妖怪側の視点に比重を置いていたため、彼らも主人公の味方陣営に含まれていた。終盤では護國衆と熾烈な戦いを繰り広げていたのを覚えている。

 

 ︎︎彼らの目的は徹頭徹尾、妖怪の生存権の獲得と維持。

 ︎︎明治維新による近代化によって、妖怪が人間に畏れられる時代は終わり、もはや護國衆の銃口に怯えながら生きるしかない。

 

 ︎︎そう悟った彼らは、「団結し、協調し、志を共にせよ」のスローガンを掲げ、若い個体の人間社会への適応や生活を支援しつつ、創設以来、護國衆の手から多くの妖怪を守ってきた。

 

 ︎︎だが、妖怪を押しなべて敵と見なす神祇瑞光院が、大規模に組織化された人外の集団を見過ごすはずがない。まして関係者がテロ行為まで行っている以上、完全なる排除の対象だ。

 

 ︎︎結果として、原作終盤では敬天総会を掌握した公威が護國衆を総動員し、急進派の思惑に乗る形で彼らを抹殺すべく総攻撃を仕掛けた。しかし結局、正史では主人公グループを前に敗北し、さらには西ノ宮家の壊滅まで招いたのだったか。

 

「(ついにアイツらの話かあ)」

 

 ︎︎背筋に嫌な汗が滲んだ。

 ︎︎なぜならば原作の通り進むのであれば、神祇瑞光院は彼らと幾度となく衝突し、ついには敗北を喫することになるからだ。公威が掌握した敬天総会の命令のもと、護國衆が総力を挙げて血盟共妖会の殲滅を目指したはずの戦いは、当初の想定をはるかに超える激戦となる。

 

 ︎︎結果、血盟共妖会はその結束力と戦略で人間勢力を退けて、逆に中枢を揺るがす大打撃を与えることとなる。元々この戦いに否定的だった錦戸や霧島も、公威の失脚を目論んで時には敵と協力して裏工作に励むくらいだった。

 

 ︎︎その中でも、公威の号令一下、西ノ宮派は最後の最後まで抵抗を試みたが──それも虚しく、妖怪の襲撃により西ノ宮家は壊滅し、彩葉共々公威も死亡。敗戦責任を取る形で派閥も解体され、そうしてかつての名門は無残な最期を迎えた。

 

 

 ︎︎俺はその結末を、PCのモニターの向こう側で見届けている。

 ︎︎だが、今こうしてこの世界にいる以上、あの悲劇は単なる物語ではなく、これから現実として起こり得る未来である。

 

 ︎︎原作通りに公威が敬天総会を掌握し、冷酷無情の独裁体制を敷く──その状態でこちら側から戦端を開けば、神祇瑞光院は原作通り必ず彼らに敗れることになるだろう。

 

 ︎︎

 ︎︎たとえ俺がどれだけ足掻こうと、西ノ宮家は崩れ去り、護国衆は血盟共妖会の前に膝を折ることになってしまう。目の前に居る桜庭ですら、最後は消息を絶って生死不明だったのだ。

 

 ︎︎ならば足掻くことなどせずに、時の流れに身をまかせ、良いタイミングで西ノ宮から離脱するのが俺にとって最良なのだろうが、彩葉の付き人という立場上、その”良いタイミング”がいつ来るのか不透明である。

 

 ︎︎じっとノートに視線を落としながら、胸の内に渦巻く強い懸念を押し殺した。

 

「将吾くん」

「……はい」

 

 ︎︎桜庭の静かな声に顔を上げると、彼女の視線はいつになく真剣だった。

 

「これから先、きっと君には多くの困難が待ち受けています。この一、二年で情勢が大きく変わりつつある。一昨年には学園で大きな事件がありましたし、おそらくその流れで彩葉様への襲撃事件も起きたのでしょう」

 

 ︎︎学園での大きな事件──ああ、生徒同士の衝突で校舎が半焼した、あの件か。

 ︎︎ニュースで見た理事長逮捕の映像が脳裏をよぎる。

 

「私は近い将来、あの学園を起点に大規模な衝突が起こると考えています。今度は生徒間のいざこざでは済まず、組織同士の争いに発展する可能性は高い。いえむしろ、それは避けられない未来かもしれませんね」

 

 ︎︎桜庭の口調は淡々としていたが、その表情には警戒心が滲んでいる。彼女自身も、この先の展開に不安を抱いているのだろうことがヒシヒシと伝わってきた。

 

「彩葉様も君も、今後の情勢次第ですが……おそらく中学卒業後には学園に派遣されることになるでしょう。名目上は中立を謳っていますので、内部情報を掴むのは生徒や教員でなければ難しい。それに──閣下がどれほど彩葉様を大切に思われていても、組織が学園へ影響力を持たせるのであれば、彼女ほど最適な人選はありませんからね」

 

 ︎︎そんな桜庭の言葉に、俺はペンを回しながら思考を巡らせる。

 

 ︎︎彩葉は唯一、現当主の公威から家督相続の権利を持つ西ノ宮家の次期後継者だ。西ノ宮家に従う西ノ宮派からすればお姫様のように大事な存在でもある。

 

 ︎︎故に、彼女が学園に送り込まれること自体が明確な意味を持っている。

 

 ︎︎妖怪側にとって彼女を害することは、すなわち西ノ宮派に対する明確な敵対行為となる。ましてや、西ノ宮派は神祇瑞光院の中でも最大勢力──もし彼らが本気で報復に出れば、血盟共妖会であっても無傷では済まない。

 ︎︎襲撃事件を企てたのがどの連中かは定かではないが、あれだけでも西ノ宮派は相当な怒りを抱いていたと伝え聞いている。

 

 ︎︎彩葉は、学園における「強力な起爆剤」であると同時に、危うい均衡を保つ「抑止力」としての役割も果たすことになるのだ。もし彼女が妖怪に傷つけられれば、事態は一気に全面戦争へと発展する可能性が高い。

 

 ︎︎つまり妖怪側にとっても、彩葉への軽率な手出しは不可能というわけだ。原作でも血盟共妖会は、主人公への嫌がらせや元婚約者との対立といった人間関係の不和を利用し、直接手を下さずに停学処分という形で京都へ追いやっていたくらいである。

 

 ︎︎主人公たちにそのつもりは無かったようだが、原作における悪役令嬢・西ノ宮彩葉の追放イベントも、学園での影響力を保持したい血盟共妖会による歴とした作戦のうちだったのだ。

 

 

 ︎︎しかし、この世界ではまだ何が起こるか分からない。原作とは異なる展開が待ち受けているかもしれないという考えが頭をよぎり、次第に胃の奥が重くなってきた。

 

 ︎︎確かに彩葉の立場を思えば、学園送りは避けられないのだろう。しかしあの場所はただの学校ではないのだ。妖怪と人間のイデオロギーや思惑が裏で交錯する種族対立の最前線であり、いつ戦火が上がってもおかしくない火薬庫である。

 

「ですので、一つだけ君にお願いです──どうか、死なないで下さい」

「──」

 

 ︎︎驚く。

 ︎︎これまで、彼女がこれ程までに直接的な感情を顕わにしたことがあっただろうか。いや確実になかった。床に座る俺に向けて軽く頭を下げる桜庭の姿に、俺の目は点となる。

 

「佐々木さんではありませんが、私も君のことはとても好ましく思っています。私が目をかけていた子供が、いつの間にか遠くで死んでいたなんて洒落になりません。そうなるのは私としても嫌ですので、これからも全力で君を鍛えます。よろしいですか?」

「……覚悟しておきます」

 

 ︎︎俺が口にした言葉はかなり静かなものだったが、その重みは嫌でも感じる。

 

 ︎︎桜庭にこうまで言われて頷かない者など居ない。彼女がかつての推しであるか否かなど、もはや欠片の関係はなかった。ただ単に現在進行形でお世話になっている人に、目の前で頭を下げられて否と答えられるのか。そういう次元の話だった。

 

 俺の返答を聞いた桜庭は小さく頷き、話題を先へ進める。だが、頭の中では未だに釈然としない感覚が渦巻いている。

 

 

 彩葉の立場、組織の思惑、そして学園に渦巻く見えない火種──原作をプレイし、ファンブックを読み、すべてを理解したつもりでいても、どこか腑に落ちないものがあった。

 

 ︎︎まるで大きな歯車が静かに噛み合い、ゆっくりとだが確実に動き出しているような、そんな感覚だ。

 

 

 気づけば、顎を伝って滴り落ちた汗がノートに滲んでいた。

 

 

 

 





もうさっさと中学時代まで突入させたいんですが、まだ描きたいシーンがいくつかあるので先になりそうです……。

次話は名前だけ出して放置だったあの子が出てきます()
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