乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話 作:ヤナギ
内容としては繋ぎなので前話より短めとなります。
早めに更新するつもりですが、何とか失踪はしないよう頑張ります。
──将吾が去った執務室で、公威はひとり唸った。
それは困惑や苛立ちといった直情的なものではなかった。どちらかといえば、適当に買った馬券が当たってしまったような──嬉しいには違いないが、喜ぶほどの儲けにはならない──そんな別種の感情が、無意識のうちに洩れ出た結果だった。
眼精疲労か、それとも他の要因か。今はとにかく頭が重い。公威はポケットから目薬を取り出し、ひとたび点してから眉間をぎゅっと摘まんだ。
老眼も進んできたし、以前の彩葉襲撃事件に始まり、派閥間の統制、新部隊創設に関わる諸手続き……ここしばらくは、まともな休息もとれていない。肉体も精神も、ひたひたとすり減っていくのを、彼自身、薄々ながらも感じていた。
だが、偶然の産物が思わぬ実りをもたらしたのならば──すぐに動かねばならない。
少なくとも、彩葉が成人するまでは現役を退くわけにはいかぬ身だ。ならば将来の孫娘に背負わせる負担は、今のうちに一つでも多く潰しておきたかった。
今回の、将吾からの報告もその一つである。
鳴宮と名乗る一家の夫妻が、妖怪の存在を知覚し、さらには幼い息子にそれを口外していたという。
神祇瑞光院の機密を、組織とは無縁の民間人が知っている──それだけでも眉を顰めるには足る話だが、無垢な子供まで巻き込むとは、いよいよ看過できぬ。
とはいえ、公威はこの手の事態を完全に想定外としていたわけではなかった。
情報漏洩の際に取るべき必要な対処は、かねてより御三家の間で共通認識とされており、ましてや近年の情勢──“学園”を取り巻く不穏な空気──を思えば、彩葉襲撃事件を機に、彼が水面下で独自の対策も進めておくのは当然のことだった。
それが、今、現実の形となって迫ってきただけのこと。予め買っておいた馬券の払い戻しをした結果、その民間人の裏に潜むターゲットを炙り出す手前までは持っていけそうではあった。
「(花洛インターナショナルホテル……まさか外国人が絡んでるとは思えんが、調べる必要があるな)」
︎︎鳴宮という姓に公威は自らの記憶を手繰った。
︎︎その名は、幸いにも彼の耳に馴染みのあるものだった。というのも、西ノ宮家のフロント企業のひとつ──表立った経済活動を嫌う西ノ宮に代わり、財政基盤を支える企業群の中に、不動産を主とする一社があったからだ。
その企業から、京都駅前という極めて好立地の土地を法外な金額で買い上げ、さらにそこに巨大なホテルを建設した──鳴宮夫妻が経営するそのホテルの存在は、彼の記憶にもはっきりと刻まれている。
神祇瑞光院は、国内の妖怪案件を主眼とする組織だ。そのため外国と深く関わる必要は本来ほとんどなく、多くの者が「国外に脅威なし」と考える傾向にあったし、護國衆に外国にルーツを持つ者が入隊しても比較的温和な歓迎ムードが広がっている。
だが、公威の考えは彼らとは少し異なる次元にあった。
︎︎組織の妖怪退治活動とは切り離したところで、西ノ宮の影響を滲ませられる拠点や企業が一つでも増えるのなら、それに越したことはない──そういった程度の淡い期待を抱き、必要に応じて関係者をホテルに滞在させるなど、彼は水面下での関係構築に努めてきていたのだ。外国への興味も関心もないこの組織においては、珍しい立ち位置にあった。
︎︎自ら具体的な指示を下したわけではないが、フロント企業の関係者がそのホテルを何度となく利用していたのは事実だ。もっとも、経営陣クラスならばいざ知らず、そういった下の人間たちは妖怪や瑞光院の実態には一切関知しておらず、情報が洩れたとは考えにくかった。
︎︎では外国人か?
そう考えかけて、公威はすぐに否定した。
そもそも西ノ宮に関する情報を暴いたところで、相手方にとって得られる利益が明確でない。鳴宮夫妻を脅すにしても他にもっと効果的な手段はあるし、西ノ宮側はフロント企業の経営に深く関与しているわけでもない。
もっとも、その相手が単なる外国人の投資家やジャーナリストなどではなく、日本に悪意を持つ外勢力であれば話は別だが。
神祇瑞光院の妖怪退治活動。その中には、法的には完全にアウトとされる任務も多分に含まれている。更には日本政府との見えない金の繋がりや、多数の選挙協力、賄賂や暗殺……これらの確たる証拠を握り、外交カードとして用いようとする動きが過去に皆無だった訳では無いのだ。
どうせアメリカのCIAや中国の国家安全部あたりであれば、とうの昔に神祇瑞光院を“日本中枢に深く関与する秘密結社”としてリストアップしているだろう。加えて、外国人の利用が極めて多いあのホテルの性質を踏まえれば、完全にその可能性を排除するのは難しい。
とはいえ、鳴宮夫妻が自力で西ノ宮や組織の情報に辿り着いたとは考えにくかった。その意思も動機も見当たらない。
とすれば、現実的な見立てとして、鳴宮夫妻に情報をもたらした何者かが存在し──そいつは明確に、我々に対し敵対的な立場を取っている。
「……護國衆を使わせるか? いや、ただでさえ一番隊はうち関係で桜庭隊長の負担が大きい。そこに情報統制や民間人の確保まで加われば、さすがに錦戸と霧島から突っ込まれるな……」
公威の中では既に、鳴宮夫妻の確保はほぼ決定事項となっていた。明らかな機密情報を無自覚に子どもへ漏らすような意識の低い者を、このまま放置しておくわけにはいかない。
問題は、その手段と手続きの精査にある。
護国衆國を動かすのは、やはり得策ではない。
“歩く戦略兵器”とまで称される桜庭は、彩葉襲撃事件以降、西ノ宮家の実質的な専属戦力と化している。その現状がさほど問題視されていないのは、桜庭本人の強い申し出があり、かつ敬天総会においても彼女への信頼が極めて厚いためだ。
とはいえ、それもあくまで「自発的協力」という建前に則った、極めて限定的な枠内においての話である。
例えば将吾への稽古、彩葉たちの護送──そうした私的な関わりも、形式上は桜庭の“厚意”として処理されているに過ぎない。
だからこそ今回のように、西ノ宮家が直接関与しているわけではないとはいえ、その影響下にあるフロント企業と関係を持つ民間人が、神祇瑞光院の内部情報を把握しているとなれば──それだけで、西ノ宮派に対する格好の攻撃材料となる。
仮に、ここで桜庭を動かしたならば、またしても「桜庭を西ノ宮が私物化している」との批判が噴き出すのは目に見えている。
ただでさえ、桜庭が多くの時間を西ノ宮家の関係者に費やしていることから、一番隊の他の隊員たちには確実に皺寄せがいっている。
それでもなお、京都府内で妖怪絡みの事件が一切発生していないという事実こそ、限られた時間の中で桜庭が確実に実力を発揮している何よりの証左であった。
だからこそ、そうした状況下において桜庭をさらに動かすことは──昭和の戦後政治の時代から脈々と続く、西ノ宮批判の常套句──「独善的」というラベルを、再び強く印象づけてしまう恐れがある。公威にとって、その負の歴史の延長線上に立たされることはあまりに都合が悪すぎた。
「……一番隊では無理、か」
そこまで考えを巡らせたところで、公威はふと煙草を取り出した。気分が冴えぬ時には喫煙一択──そう己に言い聞かせながら、慣れた手つきで火を点ける。
一本を吸い終えると、机の上に置かれた湯呑みに口をつけてから、無言のまま携帯電話を手に取った。
指先が滑らかに画面をなぞり、一人の名前を選び出す。
迷いはなかった。ボタンを押すと、すぐに軽快な呼び出し音が耳をくすぐる。
プルルルル──。
数秒も経たぬうちに、相手が応答した。
『どうされましたか、閣下』
「おう、忙しいところ悪い。ちょっと、妖怪絡みで厄介な問題があってな……お前に詳しい話をしたい。至急、うちに来れるか?」
『……確認を取ります』
電話越しから、微かに他人の話し声が漏れ聞こえる。
公威は、多少待たされるくらいでは機嫌を損ねない。そもそも、頼み事をしているのは自分の方だ。
二本目の煙草に火を点けたその時、再び名前を呼ぶ声が届く。
「来れそうか?」
『班長に確認したところ、構わないとの事でしたので……今から京都へ戻ります。到着は夜になりますが、宜しいですか』
「ああ、起きとるで構わんよ」
『分かりました。では、屋敷に到着次第ご連絡させていただきます』
「勝手に入ってきてもええんやで?」
『そのような無礼は出来ません』
「……ふっ」
予想通りの返答に、公威はわずかに笑みを浮かべた。
歳こそ離れているが、彼は自らが信を置く友であり、腹心の一人でもある。
︎︎問題を最も手早く処理する手段は、護國衆による実力行使に他ならない。だが、現在の組織の情勢を考えれば、そこには多くの配慮と政治的判断が伴う。
︎︎であるが故に──そうした局面を覆すには、今は“彼”こそが最適な人材だった。
「とにかく、急ぎで頼む。お前にしか頼れん、東吾」
『了解致しました。閣下の頼みとあらば、何でもお任せ下さい』
──彼の名は、陸浦東吾。
将吾の実の父にして、西ノ宮公威の懐刀。
そして、神祇瑞光院本部が誇る諜報部隊〈潜影部〉を支える、優秀なエージェントである。
■■■■
︎︎神祇瑞光院”潜影部”。
その実態を正確に知る者は、組織内にも僅かしか存在しない。
表向きには、敵対的妖怪勢力──特に東日本を拠点とする最大の妖怪組織〈血盟共妖会〉の動向調査が主な任務とされている。しかしその実、彼らが担っている役割はそれだけに留まらない。
国内主要メディアへの浸透と情報操作。
妖怪に同調的な政治家や財界人の監視。
時には、社会的信用を剥奪し、表舞台から永久に退場させる。
神祇瑞光院が日本の裏において存在し続ける限り──その“裏の裏の仕事”を引き受ける潜影部の存在は絶対不可欠であった。
ましてや、SNSを筆頭とする情報空間が加速度的に拡大しつつある昨今。かつては旧態依然とした武力組織である護國衆にばかり予算が集中していたが、今や潜影部には次いで多くの資金が投じられている。
保守的な思考の者が多数を占める敬天総会においてすら、潜影部の有用性は高く評価されており、将来的な規模拡大も既に決定事項とされている。
──陸浦東吾は、そんな潜影部において長年任務に当たってきたエージェントだ。若き日から全国各地を転戦し、数多の“汚れ仕事”に身を投じてきた。
週刊誌が不用意に組織の背後を嗅ぎ回れば、速やかに圧力をかけ、記者の家族ごと何日も軟禁したこともある。
“例の学園”に対する神祇瑞光院の介入を妨げようとした政治家には、裏献金の証拠を突きつけ、その政治生命を断ち切った。
決して褒められた行いではない。
︎︎しかしいずれも、妖怪という人類の天敵から社会を守るため。その信念に一切の迷いはなかった。
任務に必要とあらば、家族も友も過去さえも本気で捨て去る。
︎︎そういう人間だったからこそ、西ノ宮公威は彼を選び、今もなお自らの懐に置き続けている。
︎︎冷徹にして忠実。そして、確実に任務を果たす存在。
陸浦東吾は、正しく神祇瑞光院の影を背負って動く者であり、それと同時に西ノ宮公威の刀でもあるのだ。
「──民間人の保護、ですか」
「ああ。お前の倅……将吾クンと彩葉の同級生がな、妖怪や組織に関わることを、それとなく訊ねてきたらしい。詳しい事情までは掴めていないが……親子揃って、うちで“見る”必要がある」
深夜。
︎︎遠路はるばる西ノ宮邸に到着した東吾は、出迎えの使用人に案内され、そのまま公威の待つ執務室へと通された。
夜半にもかかわらず、そこで彼が耳にしたのは予想外の指示であった。
──民間人の保護。
その語が意味する含意を、東吾は即座に咀嚼する。
全く無関係の民間人が神祇瑞光院に関する情報へ偶然辿り着く例は、稀とはいえ皆無ではない。そうした者たちに対しては、潤沢な資金力と“確かな手段”を用いて距離を取らせるのが常だ。
当人、あるいはその家族に対し、「いつでも手が届く」と示す。それだけで、多くは黙る。恐怖が理性を支配するからだ。
蛮勇を奮い、日本という国に深く根を張る巨大な組織を敵に回した者たちがどうなるのか。その末路を“直接”理解させれば、必ず後ずさる。それが東吾の、幾度となく実証されてきた経験則。
そして、そういった手段すら効かない者については、潜影部が“内々”で処理してきた。
︎︎痕跡を残さず、事後を知られることもなく、静かに葬る。
︎︎それが影の任務である彼らの、本来の仕事だった。
だからこそ──公威の口から出た「保護」という言葉には、流石の東吾とて違和感を覚えざるを得なかった。しかも今回は、子ども一人ではない。夫婦共々、一家全体を“抱える”という。
これまでの東吾の任務を顧みても、そのような事例は片手で数えるほどしか存在しなかった。
「確認ですが。……今回の一件。処理ではなく、保護でお間違いないのですね?」
「ああ、そうや」
即答だった。その声色に、冗談や逡巡は一切ない。
故に東吾はそれ以上、無駄な確認を重ねることをしなかった。
「……民間家族の保護任務、拝命致します」
「”金剛金丹”の件で忙しいだろうに、おおきにな」
「いえ、閣下のご命令とあらば」
「ああ、そうだ、丁度いい。金剛金丹について現状の調査はどうなっている? 報告書や電話は錦戸に見られとるかも分からへんし、詳しい話が入ってこなくてな。今この場で教えてくれ」
︎︎東吾は頭を切り替え、脳内に保管された情報を整理しながら、姿勢を正し、静かに口を開いた。
「はい。金剛金丹と呼称されるあの妖力増強薬について分かったことですが、閣下の以前からの見立て通り、流通元は──例の、扶桑学園であることは間違いありません。学園内部で妖怪が製造し、ブローカーを通じて外部の過激派に卸しているのでしょう。まだ特定には至っておりませんが、先日捕らえた妖怪から、ブローカーとのやり取りを記録した証拠を発見しましたので、現在はそちらの調査に入っている段階です」
「ふん……だから潰せと言ってやったのに。連中が余計な真似さえしなければな」
「ええ。先の総会で閣下のご提案が通れば、今よりも調査が進展していたことは確かでしょう」
︎︎長年の実績から部内でも中心的人物にある東吾の言葉に、誇張や誤魔化しはない。忠誠心ゆえに事実を捻じ曲げるようなことは、この男に限って起こり得ないのだ。
︎︎良いことも悪いことも──全てを客観的に、恐れなく口にする。単なる主従関係というより、公威と東吾の間にあるのは、もっと深く、信義に裏打ちされた“友情”に近かった。
︎︎公威は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、昨年半ばの総会で暴れ回った自派閥と錦戸派を内心で嘲う。
︎︎ヤクの流通元を少数の精鋭武力によって制するという自らの強硬策がすんなり通るとは微塵も思っていなかったが、それにしても、もう少し建設的な修正案や妥協の余地はあったはずだ。例えば、”院生”──神祇瑞光院が派遣している学園生徒を活用するなど、選択肢はいくつもあった。
︎︎だというのに、会議の場が西ノ宮と錦戸総会員の過激な舌戦と幼稚な殴り合いによってぶち壊され、全てが滞ったのだ。その結果総会は中断となり、あの風見鶏の霧島に全てを持っていかれた。あの審議の様子を思い出すだけで公威は胃が痛くなる。
「はぁ……それで、他にはどうなんや?」
「金剛金丹を妖力を持たない人間が摂取した場合、麻薬と同様の作用があることが判明しています。法務省から融通してもらった死刑囚三名に、注射・経口投与・吸煙の三通りを試しましたが……いずれも完全に廃人となりました」
︎︎総会の連中が、あの薬の危険性を真剣に理解しているとは到底思えない。そんな公威の見立てに従い、東吾は与えられた裁量権の範囲で、いくつかの“証明”を実施していた。
︎︎そのひとつが、人間への投与試験である。
︎︎明らかな人体実験だったが、選定された死刑囚はいずれも極刑相当の凶悪犯罪者であり、冤罪の可能性は限りなくゼロ。そして健康状態にも問題がなかったことから、政府は黙認を決め込んだ。試験後、三名は予定通りに刑を執行されたが、遺体の火葬と納骨は責任をもって潜影部が手配した。
︎︎とにかく、この結果として分かったのは──金剛金丹は、明らかにこの社会に流通させてはならない代物であるという事実だ。
︎︎そもそも妖怪でさえ凶悪な性格を現すという代物を、人間が摂取すればどうなるかなど火を見るより明らかではあったのだが、しかしそれでも正確なデータを取ることに意味はあった。
︎︎今後、より強く組織内で問題提起していくためには、必要な過程だったと藤吾は語る。
「具体的な作用は?」
「いずれも異常な興奮と幻覚を呈していました。麻薬の分類で言えば、所謂アッパー系でしょう。投与量は三通りとも可能な限り統一していましたが──もっとも症状が酷かったのは、静脈への注射でした。各県警とも連携し、妖怪以外に出回る前に撲滅する必要があると具申致します」
︎︎東吾は淡々と告げていたが、その声の奥底には、言外に“断じて許してはならない”という意思が滲んでいた。公威もまた、強い眼差しで頷く。目の前の男が見据えている先と、自分の見据える未来が同じであると理解しているからこそ、無言のままに意志を重ねることができる。
︎︎これは仮定の話だが──もしも、妖怪勢力が金剛金丹を本格的に資金源とするのであれば、公威は迷わず、全力を尽くして戦う覚悟がある。
︎︎必要とあらば、錦戸や霧島を謀殺し、西ノ宮による独裁体制を敷くことさえ、もはや選択肢のひとつとして内心に据えている。
︎︎警察や神祇瑞光院さえも満足に手出しできない巨大な麻薬カルテルが、この日本に根を張るなど──悪夢以外の何物でもない。
︎︎ましてや、国内外の組織犯罪集団、あるいは妖怪の共鳴勢力と手を結び始めたならば、事態は制御不能の泥沼へと沈んでいく。
︎︎そうなる前に叩く。徹底的に、容赦なく。
︎︎公威のその決意に、東吾が異を唱える道理はなかった。
「となると、やっぱり問題は扶桑学園やな」
「はい。先の寮間紛争の結果、理事会は我が院に対して、構成員の受け入れ枠数の削減を正式に申し入れてきました。やはり、前理事長が特捜に検挙された影響は非常に大きいかと」
「ほんで、こっち側の生徒は動きを完全に制限されとる訳かい。随分と人外に肩入れするもんやな……人事権に介入は無理か?」
「短期間では非常に困難ですが、数年単位ならば可能かと」
「ほんなら、そっちも並行して頼む。無論、他家には悟られぬように。西ノ宮派の人間だけで密かに工作の用意を進めろ」
「はっ」
︎︎一先ずの要件は済んだ。そう判断した公威は、ふぅと長く息を吐き、背凭れに身を預けた。
「そういや、将吾クンには会ってかんのか? まァ今の時間、寝とるかもしらんが」
「毎度の如く言っているでしょう。どうか、詮索は良して下さい」
普段は仏頂面なくせして、息子の話題となるとこれだ──。
本気で彼ら親子の仲を改善させようなどと、公威は欠片も思っていない。ただ、藤吾の反応が面白いからという、それだけの理由でわざわざ将吾の存在を出しているにすぎない。
だが、当の本人にとってはそれは何より厄介な話だった。
「それに──積もる話がある訳でもありません。向こうから話しかけてくるならともかく、私から出向く理由はないでしょう。時間の無駄でしかない」
「ふむ、まぁせやろなあ。冷たいこっちゃ」
「……」
公威の苦言にも似たその言葉を、東吾は静かに受け流した。
別に怒っているわけでも、傷ついたわけでもない。ただ、これ以上この話題が長引くのを避けたい──それだけだった。
軽く一礼すると、彼は踵を返す。
「では、私はこれで。……夜分遅くまで失礼致しました」
「おおきに。鳴宮家の件、よろしく頼むわ」
「承知しております」
扉が静かに閉まり、再び執務室に深い静寂が落ちた。
わずかに残った煙草の香りが、まだ部屋の片隅に漂っている。
公威は背凭れに深く身を預け、ゆるりと目を閉じた。
机の上、湯気の消えた茶に口をつけると、舌先にかすかに渋みが残る。
「……さて、こっからやな」
その声音は、誰に向けられたものでもない。
ただ、己に言い聞かせるように、低く呟かれた。
部屋の外では、虫の音すら聞こえぬほどの静けさがあたりを包んでいた。山間の夜は深く、そして静かだ。だがその静寂の裏では、目に見えぬ思惑と火種が、いくつも蠢いている。
公威は背筋を伸ばし、机の上に両肘を置いた。
その脳裏には、優先すべき懸案が次々と並べられていく。
︎︎まずは鳴宮家の保護。
もちろん、それは単なる保護ではない。詳細な調査を兼ねた囲い込みであり、状況次第では軟禁に近い措置となる。
だが仕方のないことだ。仮に西ノ宮を害する意図を持った勢力が背後にいるのならば、あの家族に危険が及ぶ可能性は極めて高い。加えて、錦戸や他派閥に情報が漏洩すれば、余計な政治的問題にも発展しかねない。
︎︎次に、金剛金丹。
これはもはや、撲滅すべき害悪そのものだ。薬の流通ルートを辿り、ブローカーと製造元を断つ。
︎︎きっと妖怪連中は単なる増強薬としか見ていないのだろう、多少野性的になろうが強くなるなら構わないといった単純な考えで購入している可能性は高い。
︎︎……ああ、そうだ。場合によっては顧客リストも押収し、擬態型妖怪による被害を未然に防ぐことも視野に入れねばならない。
︎︎そしてそのためには、扶桑学園への更なる浸透が必要不可欠だった。
︎︎神祇瑞光院が学園理事会と合意のうえで送り込んでいる若い組織構成員──“院生”。
︎︎一昨年に学園で発生した火災事故……否、実際には妖怪生徒と院生のあいだで発生した大規模な武力衝突をきっかけに、理事会は神祇瑞光院を介入過剰と見なし、以降、それら院生の受け入れ数を削減するようになった。
その影響で、学園内の監視網は明らかに手薄になり、金剛金丹の製造者へと手を伸ばすには人手が足りない。調査・介入・排除の全てにおいて、障壁は想像以上に高かった。
︎︎そして、彩葉の襲撃事件。数ヶ月が経過した今も、実行犯の背後関係は未だ闇の中にある。もし血盟共妖会の関与が明白になれば、それを口実に学園の実質的制圧も可能となるのだが──現状、見込みは薄い。糸口さえ掴めていない。
公威は静かに立ち上がり、窓の外を見やった。
漆黒の闇が広がる庭に、灯りはひとつとしてない。
だが彼には確かに見えていた。
夜の帳に紛れ、こちらを窺う幾多の目と牙が、静かに息を潜めているのを。それは現実のものではなく、自身が考えうる困難の数々の幻影──されど、焦る必要はないだろう。
手を緩めるつもりもない。
この国の内側に巣食う“異形”を根絶やしにするその日まで、西ノ宮公威は歩みを止めることはないのだから。