乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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EP2〈固定〉

 

 

──西ノ宮 彩葉。

 

 

 ︎︎眼前に座る少女の存在は俺にとって、西ノ宮公威以上にインパクトがあった。

 

 ︎︎原作主人公は半妖半人となったあと、妖怪と人間が共存するとある学園に通うことになるのだが、その学園において主人公たちに執拗な嫌がらせを仕掛けていたのが、何を隠そう西ノ宮彩葉である。

 

 ︎︎物を隠す、陰口を叩くなんてレベルでは無い。古くから妖怪退治をしていた組織の一員である彼女は、人間でも妖怪でもない主人公のことをえらく気持ち悪がっていた。

 ︎︎その嫌悪感の強さは凄まじく、あるときは自分の部下を使って白昼堂々主人公を拉致しようとしたり、事故に見せ掛けて殺害しようと工作していたほどだ。

 

 ︎気持ち悪いなら関わらなければ良い。

 ︎︎きっとそう思った人間もいるだろうが、ゲーム内の彼女には主人公を蛇蝎のごとく嫌う理由が一応はあった。

 

 ︎︎半妖半人であることはそれに比べたら些細な理由で、彼女にとって何よりも許せなかったのは──妖怪という世間に隠された裏の事情を知っており、尚且つ純粋な人間であるはずの自分の婚約者が主人公に心を開いたことである。

 

 

 ︎︎昔から婚約者に強く当たっていた彼女だったが、少なくとも婚約者に対する恋心はあったらしい。

 ︎︎そんな相手が、いきなり現れた人間かどうかも定かではない田舎の芋女に取られてしまった。そう感じた彼女は、単なる嫌がらせの範疇を超えたことを仕掛けるようになったのである。

 

 ︎︎妖怪退治組織の重鎮でもあった祖父・公威の命令という”錦の御旗”があったことも、彼女の行動に拍車をかけていた。

 

 

 ︎︎結局、婚約者本人から婚約の破棄と、主人公に対する様々な悪行を公の場で暴露されたことで学園を停学処分に。

 

 ︎︎主人公たちが黒幕の公威を倒した後までは、学園に復帰することも無く実家でひっそりと暮らしていたが、彼女や公威に恨みを持つ他グループの妖怪に襲撃されたことでその命を落とした。

 

 

 ︎︎それが、西ノ宮彩葉の物語である。

 ︎︎ファンからは嫌われていたし、妹も嫌っていた。なんなら俺もプレイ中は「なんだこいつは」と何度も思っていた。

 

 ︎︎しかしいざ実際に、生身の人間として相対すると、単なる良家の子供以外の印象は受けなかった。

 ︎︎艶のある黒く長い髪、高そうな着物、白い肌──日本人形のような、あるいは雛人形のようなその姿は、ある種の古き良き高貴ささえも感じる。

 

 ︎︎少なくとも、「あの化け物に寝盗られた」などと主人公への嫌悪感と殺意を滲ませていた、原作ゲームにおける苛烈な彼女とは似ても似つかない。

 

──それはともかく、だ。

 

「……”付き人”、ですか?」

 

 ︎︎耳馴染みのない単語に、無礼を承知で思わず聞き返した。

 ︎︎使用人や部下とかならばまだ分かるが、付き人というのは一体なんだろう。ゲームではそのような設定はなかったはずだが……と疑問に思っていると、意外なことに隣の父親が説明をしてくれた。

 

「……俺たち陸浦家は、先祖代々この西ノ宮家にお仕えしている。西ノ宮に子供が出来たら、その子供を御守りするのが俺たちの役目だ」

「……」

 

 ︎︎目を見開く。

 ︎︎ゲームでは単なる敵でしかなかった西ノ宮家に、そのような設定があったとは知らなかった。今世の俺が生まれた陸浦家が、そういう立場なのも初耳である。そもそもゲームに陸浦なんて名前は登場していなかったので余計に。

 

 ︎︎きっとゲームの大ファンだった前世の妹が知れば喜ぶだろうな、とふと思った。

 

 ︎家族の顔を思い出して、途端に湧いてくる寂しさ。それを振り払うように俺は「父さんもそうだったの?」と聞こうとしたが、父が答えるよりも先に公威が口を挟んできた。

 

「うん、せやね。他にもうちに仕えている家はあるんやけど、残念なことにそちらは子宝に恵まれなかった。まあ、そもそも子供を作れるような若い者が居らんから話にならへんわ」

「……あの、付き人については分かりましたけど、なぜ俺……じゃなくて僕なんでしょうか?」

「歳の近い者が付き人になる。そういう”しきたり”故──うちの孫を護衛するといっても、数年先の話やからまだ今は気にせんでええ。それまでは、身の回りの世話や学校への付き添い程度やね。悪い虫が付かないよう、見張ってくれるだけでもうちは助かるわ」

「……」

 

 ︎︎それはつまり、俺に転校しろと言っているのだろうか。

 ︎︎俺には病院で目覚める以前の記憶がないので、現在在籍しているらしい学校やクラスに愛着は皆無だ。なのでそれ自体は別に構わなかったが、それにしても急すぎる。

 ︎︎そもそも母親はこのことを知っているのだろうか。いや、知らないだろう。父親に拉致されたときの母親の慌てっぷりからそう判断する。あるいは知っていたからこそ焦っていたのだろうか。

 

 ︎︎ともかく、俺に拒否権などあろうはずが無い。公威は既に確定した事のように話しているし、父親もそれに対して何の反応も示さない。それが当たり前のことだと認識しているからだろう。

 

 ︎︎親どころか血の繋がりのない他人に、自分の人生を決められるのはこんなにも不快感があるのか。きっとこの父親にそう言われても同じ感情を抱いたに違いないが──。

 

「わかり、ました」

 

 ︎︎こうなってしまった以上、原作主人公との敵対はどうやら避けられないらしい。

 

 

 

■■■

 

 

 

「……」

「……」

 

 ︎︎無言。とにかく無言であった。

 

 ︎︎付き人になれという公威の言葉に頷く他なかった俺は、その後彼から「孫と話でもして待っていて欲しい」と頼まれた。今から父親と俺の扱いについて話し合うらしく、使用人に案内されて客間から別の部屋にて待機している次第である。

 

「……」

「……(なんか言えやぁ)」

 

 ︎︎西ノ宮彩葉は、顔を合わせてから一切口を開いていない。時おりこちらを見ては、黙ってお茶を飲んでいる。その所作があまりに整っていたものだから素直に感心するも、針のむしろのような空気には耐えれそうになかった。

 

 

 ︎︎もはやここまで来たら逃れられない。

 ︎︎原作でのあの暴れっぷりを見れば、この西ノ宮彩葉という少女が主人公と仲良く話している姿など想像もできない。婚約者云々を抜きにしても彼女は主人公のことを嫌っていたし、きっとこの世界でもそうなるだろう。

 

 ︎︎そんな西ノ宮彩葉に俺が付き人として従うのならば、この俺も主人公と敵対することになる。それはつまり、俺も最終的に死んでしまう可能性が高いということだ。

 

 

 ︎︎その未来を強く認識した俺は、非常に不愉快だった。

 ︎︎別に西ノ宮彩葉というキャラクター個人に俺は特別な感情は抱いていない。この状況そのものが不愉快なのだ。なぜ勝手に自分の人生を他人に決められなくてはならないのか。

 

 ︎︎そもそも二度も死ぬなんてのは御免だ。前世では信号無視の大型トラックに激突されて死んだ。だから今世では確実に老衰で死んでやると決めていたのに、前世の年齢を超える前に死んでしまうかもしれない、なんて甚だ不愉快である。

 

 ︎︎しかし小学4年生という立場は確実に俺の足枷となっていた。何も出来ない、何も知らない子供と見られる屈辱は凄まじい。

 ︎︎俺はとっくに成人しているんだぞと言いたくなるが、この世界ではバリバリの未成年である。

 

 ︎︎募る苛立ち。しかして目の前の彼女には悟られぬよう、心を落ち着かせる。

 

 

 ︎︎大丈夫だ。まだ西ノ宮彩葉が妖怪に対して敵愾心を抱いているとは決まった訳では無い。そもそもこの世界が本当にアンブロークン・リネージュの世界だとは言いきれない。なぜなら俺は妖怪など見たことも聞いたこともないからだ。

 

 ︎︎妖怪は人間に扮して社会に紛れ込んでいるが、妖怪退治を生業とする組織と俺の家が関わりがあるのならば、多少なりとも父親か母親が口にしても変では無い。しかし母親も父親も妖怪について話すことは無かったし、先ほど会った公威ですら妖怪について言及することは無かった。

 

 ︎︎だから、ここがゲームの世界と限りなく似た別世界という可能性だってある。

 ︎︎そうざわつく心を落ち着かせて、俺は大きく息を吸った。

 

「……西ノ宮さん。初めまして、陸浦将吾です。これからよろしくお願いします」

 

 ︎︎何はともあれ挨拶だ。西ノ宮彩葉の為人は前世のゲームでしか知らない。いつからあの苛烈な性格になったのかは不明だが、俺と同じ歳頃ならば多少は緩和されているだろう。

 ︎

「……そう」

 

 ︎︎素っ気ない返事。こちらには目も向けない。まるでそこに居ないものかのように扱っているようだった。

 ︎︎ガキ相手に本気でキレるほど短気では無いが、それでももう少し温和な態度を取ってくれてもいいのではないか、と俺は思った。

 

 

 ︎別に話題なんて大してなかったので、俺はそのまま黙った。あちらに会話の意思がないのだから、話しかけても時間の無駄である。こういう他人に心を開いていない幼い子供に無理やり近付いても、逆に嫌われるだけだと俺は知っている。

 ︎︎前世──かつて中学校の職場体験で訪れた保育園でも似たような経験があったからだ。こういう性質の子供の他者との心理的な距離は、こちらが思っているよりも遥かに遠い。

 

 ︎

──それにしても、”付き人”……か。

 

 

 ︎︎正直言えば、よく分からない。

 ︎︎仮にこの世界が本当にあのゲームと同じ世界だとしても、明らかにおかしな存在が混じることになる。西ノ宮彩葉に付き人なんて原作ではいなかった。

 

 ︎︎周りにいたのはそれこそ彼女の婚約者か、取り巻きや部下くらいであり、彼女を護衛する付き人という立ち位置のキャラクターは登場しなかったはずである。

 

 ︎︎原作でも重要な立場にある西ノ宮彩葉にそのような存在がいるのであれば、出さない方がおかしい。けど出てこなかったということは、原作には存在しないか、あるいは設定だけ残されて本編には登場しなかったかのどちらかである。

 

 ︎︎個人的には後者の方が微妙に引っかかるが──と思考に耽っていると、ふと視線を感じた。

 

 ︎︎西ノ宮彩葉がこちらを見ている。

 ︎︎相変わらずの仏頂面に、けれど思わずゾッとするような鋭い目。その矛盾している表情が、先ほど客間で顔を合わせたときからどうも苦手だった。

 

「……なんですか?」

「はじめて」

「は?」

「うちを見て、なんも言わへん人」

 

 ︎︎口を開いたかと思えば、俺の耳に届いたのは要領を得ない言葉。思わずポカンと見つめ返すと、彼女の凛とした声色が部屋に響いた。

 

 ︎︎彼女を見て、何か言うべきだったのだろうか。整った顔とか綺麗な所作とか、そういうのを褒めるべきだったのだろうか。何か選択を誤ったのかと一抹の不安を抱いたが、どうやらそういう事ではないらしい。

 

「それは、どういう意味で?」

「ここに来る人、みんなうちに”大人になったら結婚しようね”とか言ってくるから……あんたはそうじゃないんやなって」

「えぇ……」

 

 ︎彼女の言葉は予想外にも程があった。

 ︎︎確かに将来有望だなと感じるほどの顔面偏差値だが、流石に小学生相手にそんな気持ちを抱くような性癖は持ち合わせていない。彼女の僅かに変わった疎ましそうな表情を見る限り、それを言った連中はよほど下心満載の笑みを浮かべていたのだろう。

 

 ︎︎俺はロリコンではない。

 ︎︎仮に今目の前にいたのが原作に登場していた年頃の彼女であったならば分からないが、まだ小学生でしかない彼女にそんな気持ちを抱くのは倫理的にというか、常識的に考えて頭がおかしいとしか思えない。

 

 ︎︎こんな齢から醜い欲を向けられて、よくもまあ平然としていられるものだ。普通なら男性恐怖症になってもおかしくは無い。

 

「……俺は、どうやら西ノ宮さんの”付き人”になるらしいですから。婚約した訳でもありませんし、そんな事言いません」

 

 ︎︎西ノ宮彩葉の婚約者は、きっと近い将来彼女の前に現れることになるだろう。そして現れるのならその相手はまず間違いなく俺ではなく、原作に登場した”彼”に違いない。

 

 ︎︎この世界がゲームと限りなく似た世界であるならば、そして妖怪が存在していないのであれば、彼女はきっとあの婚約者とそのまま結婚する。一方的な恋愛感情となるのか、それとも相互に想いあっての結婚になるのかは知らないし、そこまで興味はないが、俺は俺で人生を全うするだけだ。

 

 ︎︎西ノ宮彩葉が将来どうなろうと、知ったことでは無い。俺は俺の為に生きる──病院で転生を自覚したあの日から、俺はそう決めているのだ。

 

「……そう。ならええよ、普通にしてても」

「何がです?」

「その取り繕ったような敬語もなしでええ。付き人っていうからにはうちの世話をしてくれるんやろ? けど同い年の子に下手にこられても鬱陶しいだけやからな。普通にしてや」

 

 ︎︎意外や意外、彼女は俺にその気がないと知るや否や、普通に喋りだす。京言葉特有のはんなりとした訛りは、前世でも耳馴染みがあった。

 

 ︎︎なぜ彼女があんなにも無愛想だったのか漸く理由がわかった。警戒されていたのだろう。いくら同い年とはいえ、俺が幼い少女に婚約を持ちかけるような下衆な連中と一緒にされていたことは甚だ不快であったが、彼女の気持ちを思えば仕方ないことかもしれない。

 

 ︎︎それにしても言葉遣いといい、そのナチュラルな上から目線といい、とてもじゃないが小学生には思えない。西ノ宮の令嬢として育てられてきた影響だろうか──いや、あの闇将軍・西ノ宮公威が間近に居ればこうなるのも当然か。

 

 ︎︎とりあえず、口調を崩していいのはとても助かる。父親や公威の前では丁寧に接するべきだろうが、少なくとも第三者が居ないときは普通に話したい。精神的にはかなりの年下相手に敬語を使うというのは、どうもむず痒くて仕方がなかった。

 

「……そうか? それならそれでよろしく頼む」

「うん、よろしく」

 

 

──それからの時間はとても早く感じた。

 

 ︎︎彼女とのごく普通の会話を経て、西ノ宮彩葉がキャラクターではなく一人の人間であることを俺は改めて認識させられた。

 ︎

 ︎︎原作の面影は顔立ち以外になく、普通に接している分には普通の子供……というには賢すぎるが、良家のお嬢として見れば印象も随分と変わる。

 

 ︎︎苛烈な性格、主人公の敵、哀れな悪役令嬢。

 ︎︎そういったレッテルは徐々に剥がされていき、等身大の彼女が俺の視界の中央に座している。

 ︎

 ︎︎この部屋に通されて一時間ほど経過した頃だろうか。そろそろこちらの話題がなくなってきたが、学校へ行く以外はさほど外出したことがないらしい彼女はかなりの好奇心旺盛で、いきなり県外からやって来た俺について事細かに訊ねてきた。

 

 ︎︎名古屋がどんな街かと聞かれても、入院以前の記憶がない俺にとっては目覚めてからたった数週間居ただけの所だし、前世の記憶にあるあの地域の知識から話すことしか出来ない。

 

 ︎︎けれど彼女は俺の話す言葉に頷いて、時には羨ましそうに耳を傾けていた。

 ︎︎世に聞く箱入り娘とはこの事だろう。彼女いわく、同級生とすらもまともに話したことがないという。何故かと聞けば、お爺様にそう言われているからだと。

 

 ︎︎現代でもこんな家があるのかと思うと不思議な感覚だった。

 ︎︎華族であった頃の名残りというべきか、それとも当主の西ノ宮公威が孫に対して過保護なのかはどうでもいいが、いずれにせよ彼女に自由はないようだ。

 

 ︎︎そもそも当の本人は不自由だとは思っていないようだが──。

 

 

 ︎︎彼女が投げかけくる様々な質問に答えながら、西ノ宮彩葉という人間のパーソナリティを脳内で推察していたが、不意にあまり聞きたくはなかった言葉が彼女の口から飛び出してきて、驚きで俺の眉がピクッと上がった。

 

「──陸浦、あんたは人ならざるモノについてどう思う?」

「人ならざるもの?」

「妖怪」

「…………」

 

──ああ、西ノ宮家の表札を見てから嫌な予感はしていたが、遂にその単語を聞いてしまった。しかも他ならぬ彼女の口から。

 

 ︎︎これでこの世界がゲームと限りなく近い世界という可能性が消え失せてしまった。西ノ宮彩葉にトイレの花子さんや動く人体模型といった都市伝説を語っているような素振りはない。

 ︎︎ソレが本当に存在しているかのようにその単語を彼女は口にしたのだから、俺のショックは多少なりとも伝わるだろう。

 

「……さあ、俺は見たこともないから何とも」

「そう」

「西ノ宮さんはどう思ってるんだ?」

「虫けら以下」

「……」

 

 ︎︎原作とは似て非なる別人という彼女への印象が、その強烈な視線と共に塗り替えられる。ああ、やはり彼女はあの西ノ宮彩葉らしかった。

 

 ︎︎先ほどまで俺に向けていた視線とは別種の、本当に妖怪を忌み嫌っていると分かる感情の発露。何がそこまで彼女に嫌悪感を抱かせるのか、妖怪という存在を見た事がない俺には分からない。

 ︎

 ︎︎しかし、仲良くなれたとまではいかないにしろ、せっかく友好的な状況になっているのだから、彼女に話を合わせるべきだろう。ここで仮に俺が妖怪について日和見的な、あるいは友好的な発言をしたら最後、西ノ宮彩葉は俺を敵とみなすだろう。

 

 ︎︎彼女の敵になるということは、公威の敵になるということ。西ノ宮彩葉はともかく、あの外道には何をされるかわかったものでは無い。

 

「そうか。見たことないけど、そんなに酷いのか」

「せやで。アイツらが今のこの瞬間にも息してると思うと、ウチは耐えられん。あんたも夜道には気をつけなよ」

 

 ︎︎これは彼女なりの気遣いだろう。妖怪に対する認識の差はともかくして、俺は大人しく頷いた。

 

 ︎︎人ならざるものながら、人として社会に溶け込み生活する。

 ︎︎原作アンブロークン・リネージュにおいて、妖怪はそういう設定だった。主人公の周りにいたイケメン連中も妖怪だったし、普通に生活していたらきっと気付かないレベルの擬態能力──確かゲームではふざけて”変身!”などと遊んでいたか。

 

 ︎︎西ノ宮家の人間に密接に関わるなら、近い将来俺も妖怪を目にする機会があるかもしれない。その時に俺が西ノ宮彩葉と同じ感情を覚えるのか、それとも人妖の共存を目指した原作主人公と同じ感情を覚えるのか。

 

 ︎︎いずれにせよ、その瞬間が今世の俺の人生のターニングポイントのような気がした。

 

「……なあ、西ノ宮さん」

「……彩葉」

「え?」

「彩葉でええよ。もうあんたが”あの人たち”みたいな子じゃないって分かったし、呼び捨てでかまへん。そもそも同い年やんか」

「お、おう、わかった……」

 

 ︎︎凛とした表情はそのままに、あっけらかんとそう告げる。彼女に婚約を持ちかけてきた連中がどれだけ気持ち悪かったのか逆に気になるところではあったが、俺はそれどころでは無かった。

 

 ︎︎そろそろ我慢の限界が近い。足が小刻みに揺れ始めた。

 

「……ていうかどうしたん? そんな青ざめて」

「──お、お手洗いはどちらでしょうか……?」

 

 ︎︎俺を先ほどから襲っていたのは、暴発寸前の尿意だった。

 ︎︎そもそもトイレに行く暇もなく父親に連れてこられたので、もう半日以上我慢している。それでも西ノ宮家やら他のことに気を取られていたので我慢できたが、西ノ宮彩葉の落ち着いた雰囲気にやられてしまった。

 

 ︎顔面蒼白になりながらトイレの場所を訊ねると、彼女は呆けた顔をして──その後、小さく吹き出した。

 

「ぷっ、くくく……なんや、やけにあんたと視線が合わないなって思っとったら、トイレ我慢してたんかい」

 

 ︎︎初めて彼女の表情が崩れた。屈託のない笑みは年相応で、原作では一切お目にかかれなかった類のもの。しかし俺はそんなことよりもトイレに行きたかった。初対面の少女の前で、というか人がいるところで漏らすなんて黒歴史どころの話ではない。

 

 ︎︎笑われていることに若干の恥ずかしさを感じつつも、必死に漏らさないよう股間に力を込める。

 ︎︎

 

 ︎︎笑いながら彼女が軽く手を叩くと、すぐさま襖が開かれた。

 ︎︎そこに居たのはこの部屋に案内してくれた使用人らしい男だった。ずっと部屋の前で待機していたらしい。居たことに俺は全く気付かなかった。

 

 ︎︎「案内してあげて」という彼女の言葉に頷いた男は俺に対しても丁寧に接し、退出を促してくれた。西ノ宮──いや彩葉に会釈しつつ、俺は立ち上がって男の傍に向かう。

 

 

 ︎︎足早に進み、漸くたどり着いた綺麗な便所での半日ぶりの放尿は、凄く気分が良かった。

 

 

 ︎︎

 

 





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