乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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忙しくて中々投稿できませんでした、久々ですので短いです。


EP21〈正常×異常〉

 

 

 ︎︎鳴宮少年が学校に姿を見せたのは、翌週の火曜日──ちょうど彼が休み始めてから七日目のことだった。

 

 ︎︎朝の会が始まる数分前、俺と彩葉が教室へ入ると、中はいつになくざわついていた。視線をやると、その中心にいるのは他ならぬ鳴宮少年である。特に怪我を負った様子もなく、普段通りの調子で友人たちと談笑していた。

 

 ︎︎思わず「生きていたのか」と心の中で呟き、驚きとわずかな安堵が胸をよぎる。だが、隣の彩葉は気にも留めないといった風で、何事もなかったかのように席へ腰を下ろした。俺もその後ろに従い、重たい鞄を机に置く。

 

「……あいつ、来てたんだな」

 

 ︎︎誰に向けるでもなく声が漏れる。公威が逐一状況を報せてくれるわけもなく、桜庭の口ぶりからも詳細は掴めていなかったから、鳴宮少年の安否は内心で気にかけていたのだ。

 

 ︎︎桜庭の話では、西ノ宮家の庇護下に置かれていたらしい鳴宮少年がこうして登校してきたということは、少なくとも登校が許される程度には事態が落ち着いたのだろう。

 ︎︎だが本当の問題はそこではない。鳴宮が妖怪や西ノ宮家について口にしたのは、両親から耳にした話がきっかけだった。ならば、その両親はいったいどこから情報を得たのか。

 

 ︎︎改めて思い返せば、やはり原作の物語に「鳴宮」という名前は登場していなかった。敵対勢力である神祇瑞光院についても、本筋では深掘りされず、ファンブックや外伝的な漫画・アニメで断片的に補足されていただけである。ゆえに俺は彩葉の襲撃事件についても知らず、今回の件も公威に報告するのが精一杯だった。

 

 ︎︎見かけ上は事態が収まっているように思える。だが原作知識をどこまで頼りにできるのか──その根本的な不安は消えない。今回の出来事が将来にどう影響するかも分からず、結局のところ俺は公威の言葉に従うしかなかった。余計なことは言わず、命じられるまでは動かない。ただそれだけだ。

 

「ふぁ……」

「眠そうだな」

 

 ︎︎思考を巡らせていたところ、隣からか細い欠伸が漏れた。机に教科書を押し込む俺に、彩葉は眠たげに瞼を擦りながら答える。

 

「ん、……なんか怖い夢見て夜中起きたもんで、あんま眠れへんかったんよ」

「やけに準備早いと思ったらそういう事か」

 

 ︎︎普段なら七時ごろにようやく布団から這い出してくる彼女が、今日は六時前に起きていた。完全な夜型である彩葉にとって朝は弱点で、遅刻しかけたことなど数え切れない。そのたびに佐々木に叩き起こされ、しぶしぶ支度を整えるのが常だった。

 

「将吾くんとこ行こうかと思ったんやけど、廊下暗くて怖かったからやめたわ」

「来るんじゃねえ。俺は誰かいると寝れねぇんだよ。つーか佐々木さんに寝かしつけてもらえば良かっただろ」

「赤ちゃんやあるまいし、んな事頼めへんわ」

「じゃあなんで俺のとこ来るんだ」

「眠くなるまで遊び相手になってもらおうかと」

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 ︎︎彩葉のいう「遊び」とは、俺にとってはただの迷惑でしかない。ゲームを一緒にやる程度なら付き合えなくもないが、稽古で疲れ切った夜に布団をめくられたり、頬を突かれたりすれば怒り以外の感情は湧きようがない。

 

 ︎︎以前などは屋敷に置かれた不気味な日本人形を顔の真横に置かれ、情けない悲鳴をあげてしまったこともある。あのときほど本気で殴ってやろうと思った瞬間はなかった。

 

「で、怖い夢って何を見たんだ」

「ないしょ。あんた馬鹿にしてきそうやし言いたないわ」

「はー、かの西ノ宮彩葉サマはお化けが怖いと。今度の誕生日、心霊スポットに連れてってやろうか」

「お断りします」

 

 ︎︎軽口を叩けば、彼女は笑顔を崩さぬまま俺の足を踏んできた。

 

「いってぇなあ」

「ふん。……まあともかく、一安心やね」

「? なにが」

「鳴宮のこと。もう余計なことに気回さんで良くなったやん」

 

 ︎︎意外な言葉に、思わず瞬きを繰り返す。彼女が鳴宮を気にかけていたのかと一瞬考えたが、俺の顔から思惑を読み取ったのか、彩葉は眉を潜めて首を振った。

 

「違う、あんたの話や。なんでうちが鳴宮のこと心配せんとあかんねん。あない出来星の倅なんぞどうでもええわ」

「口悪っ。……まあ、あいつがどうなってんのか気になってはいたけどさ」

「将吾くんはうちの事だけ考えてればええ」

「そこで自分じゃなくて西ノ宮家って含ませるの、ほんと可愛げないよなお前」

「よくお分かりで。というか、うちみたいなこんな可愛い女の子、他のどこにおんねん」

「あっそ」

 

 ︎︎ドヤ顔で胸を張る彩葉から、思わず視線を逸らす。初めて出会った頃に比べれば、彼女の感情表現はずいぶん豊かになった。

 ︎︎俺の頭ではそれを良い変化として理解しているつもりでも、無意識に頬杖をつきながら「なんだこいつは」と呆れを含んだ視線を向けずにはいられない。

 

 ︎︎ちょうどその時、教室の扉が開き、担任が出席簿を抱えて入ってきた。チャイムの音に呼応するかのように、教室内のざわめきは徐々に収まり、生徒たちはそれぞれの席に腰を下ろす。担任は教壇に立ち、全員を見渡してから、いつもの挨拶をした。

 

「おはようございます。さて、鳴宮くんも無事登校できたということで、出欠の確認を取ります。体調不良等がありましたら、ちゃんと伝えるように」

 

 ︎︎次々と名前が呼ばれ、それぞれの生徒が返事を返す。元気よく声を張り上げる者もいれば、気の抜けた声で応じる者もいる。その中にはもちろん、鳴宮少年の名前もある。

 

 ︎︎彼と特別深い関わりがあるわけではない。それでも、公威に報告した翌日から学校に来なくなった時には、「あ、やべ」の一言しか思い浮かばなかった。だから今こうして顔を確認できることに、心の片隅でほっとするものを覚える。

 

 ︎︎出欠確認を終えた担任は、そのまま今日の予定を伝える。特に行事もなく、昨日と大差のない内容である。

 

「はい、もうすぐ夏休みですね。終業式まであと少しですので、今日も一日頑張っていきましょう」

「「「はーい」」」

 

 ︎︎生徒たちの間延びした返事を合図に朝の会は終わり、俺は欠伸を噛み殺しながら大きく腕を伸ばした。起床時間は普段通りだったが、昨日の稽古の疲労がまだ抜けきっていない。

 

 ︎︎昨日は屋敷に併設された西ノ宮家の道場で、ひたすら座禅を組まされていた。なぜ自分がこんなことを強いられているのか、疑問と不満ばかりが頭に浮かぶ。

 ︎︎少しでも身じろぎすれば、桜庭が手にした警策で容赦なく打たれる。山道を駆け上がり木刀を交える方が、よほど気楽に思えるほどだった。

 

 ︎︎神祇瑞光院は神道系の組織ではなかったか、そもそも座禅は禅宗の修行だろう──そんな突っ込みを口にする余裕もなく、俺は桜庭の警策に怯えながら正座を続けた。

 ︎︎聞くところによれば、世の中には座禅を真剣にやり遂げられる人間もいるらしい。初めてその事実に敬意を抱いた。

 

「ねぇねぇ、陸浦くん」

「んあ……?」

 

 ︎︎帰宅後も同じ稽古があるのかもしれない、と考えるだけで憂鬱になる。ぼんやりと天井を見上げていたところに、突然声をかけられた。顔を上げると、立っていたのは沙耶香だった。ここ最近はあまり接点がなかっただけに、少し意外に思う。

 

「なんか用か」

「あのね、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど……」 「うん」

「二時間目の放課が終わったら、一緒に職員室についてきてくれない?」

「あー……」

 

 ︎︎チラリと彩葉を窺う。別に俺としては構わないが、最終的な返答は彼女次第である。不機嫌には見えないが、彩葉と仲の良くない沙耶香に対して、俺個人で判断できることは限られていた。そんな俺を見て、沙耶香も彼女の方を確認する。

 

 ︎︎ざわついた教室の中、なぜかこの一角だけが張り詰めた空気に包まれているように思えた。普段ならそう感じることもないのだが、今日は不思議と二人の間に険悪さはない。

 

「なんや沙耶香、職員室でやる事あるん?」

「うん、代わりに今日の帰りに渡す予定のプリントを配って欲しいんだって。あと昨日の小テストの返し。なんか先生、三時間目から出張があるらしいの」

「アイツが自分でやりゃいいだろ」

「こら、先生にアイツとか言わないの!……あ、それでね。今日は私と同じ学級委員の中田くんが体調不良でお休みでしょ? 結構な量があるみたいだから、他の子に手を借りたいなーって」

「なるほど。まあ、それなら別にええよ」

「やった、ありがとう」

 

 ︎︎沙耶香はぱあっと表情を明るくし、花が開くような笑顔を見せた。その無邪気な笑みに、雰囲気がふっと和らぐ。

 

「……うちもソレ、やったるわ」

「え? 西ノ宮さんも手伝ってくれるの?」

 

 ︎︎しかし──唐突に彩葉が放った一言に、俺は目を見開いた。机に頬杖をついていた腕がずるりと滑り落ちそうになるほどだ。

 

 ︎︎この女が、誰かの手伝いをする? ただそれだけのことなのに、俺にとっては信じがたい出来事だった。

 ︎︎西ノ宮の屋敷に暮らしてからそれなりの時間が経つが、彩葉が自ら進んで誰かを助けようとしたことは一度もなかった。食事や掃除などの身の回りのことも、すべて使用人が担ってきた。

 

 ︎︎そんな彼女が、自分からこの沙耶香の頼みを受けようとしている。どう考えても風向きが変だ。

 ︎︎当の沙耶香も同じく驚いているようで、ぽかんと口を開けた。

 

「二人してなんやの、その顔」

 

 ︎︎彩葉がむっとした表情で言う。

 

「胸に手を当てて我が身を振り返ってみろよ」

「あ、あはは……」

 

 ︎︎俺の言葉に沙耶香は苦笑いを浮かべ、取り繕うように笑った。

 

 ︎︎やはり今日の彩葉は少しおかしい。そもそも、沙耶香に対してここまで柔らかい態度を見せるのも珍しい。気まぐれか、あるいは別の理由か──そう考えながら彼女をじっと見ていると、逆に不審そうな視線を返される。

 

「今日は本持ってきとらんさかいに、休み時間あんたが居らんかったら、うちメッチャ暇やんか」

「んだよ、そんな理由かよ。ビックリして損したわ」

「何がやねん」

 

 ︎︎肩の力が抜けるような理由に、思わずため息がこぼれる。この女に人助けなんて殊勝な心掛けは、やはり最初から期待すべきじゃなかったのだろう。

 

「じ、じゃあ、二時間目が終わったら声かけるね!」

「うい」

 

 ︎︎そう言って、沙耶香は自分の席へ駆け足で戻って行く。その顔には隠しきれない複雑な感情が残っていた。

 ︎︎気持ちは分かる。あの彩葉が手伝ってくれるというから少しは期待したのに、蓋を開ければ単なる暇つぶし──落胆と、手伝い自体への感謝が混じっているのだろうと察する。

 

 ︎︎どうせそんな沙耶香への態度も、単純に今の自分の機嫌が良かったからだろう。眠そうにしている時は大抵機嫌が悪くなりがちだというのに、沙耶香のような大して仲良くない相手を邪険にしないのは、彼女が”錦戸”だからなのだろうか。これが仮に鳴宮少年だったら、彩葉はそもそも視界にすら入れないに違いない。

 

「? どしたん、将吾くん」

「いや別に」

 

 ︎︎それなりに長い付き合いになってきたが、未だに心の底では何を考えているのか分からない。まったくマイペースなやつだと呆れながら、俺は次の授業の準備を始めた。

 ︎︎今日は朝から算数だ。

 ︎︎数学と比べれば簡単だが、前世から染み付く数字そのものへの忌避感は、否応なく俺の些細なやる気を削いでいった。

 

 

 

■■■■

 

 

 

──ガララ、と小綺麗な扉を閉める。多くの生徒や教員が行き交う職員室前の廊下を、俺たちは誰かとぶつからないよう気を配りながら、ゆっくりと進む。

 

 ︎︎両手には大量のプリントだ。

 ︎︎昨日行われた漢字や社会の小テスト、夏休み中に予定されているボランティア活動の応募用紙、保護者向けの連絡文書や保健だよりまである。

 ︎︎これらをまとめて渡す役目を担任が放棄し、学級委員に丸投げして出張に行ったらしい。ため息を噛み殺しながら、落ちかけたプリントの端を慌てて直す。

 

「ごめんね〜、手伝って貰っちゃって。一人だと絶対、途中でバラバラに落としちゃいそうな量だったからさ」

「先公に良い様に使われてるだけじゃんこれ」

「かもね? まあでも私は、こういう誰かの助けになれるような事にはやり甲斐を感じる人間だもの。というか、そもそも学級委員なんてそんなものでしょう? 」

「将来苦労するぞぉ〜」

 

 ︎︎彩葉ほどではないにせよ、極力面倒は避けたい俺からすれば沙耶香の性格は理解の範疇外だ。だが、そういう彼女だからこそ人に頼られやすく、周りに好かれているのだろう。前世の記憶を踏まえても、錦戸が「お人好し」であることは変わらない。

 

 ︎︎俺自身は毎日をやり過ごすのに精一杯で、将来なんて細かく考えられる余裕はまだない。だからこそ、明確に「誰かの役に立ちたい」と動ける沙耶香を、ほんの少しだけ羨ましく思う。

 

「沙耶香」

「な、なに? 西ノ宮さん……」

 

 ︎︎ふと、これまでろくに会話もせず俺の横を歩いていた彩葉が、唐突に彼女の名を呼んだ。驚いたようにビクリと肩を揺らした錦沙耶香は、間に挟まれている俺の体越しに顔をのぞかせる。

 

「あんた、何かあったん?」

「! ……よ、よく分かったね」

「じゃなきゃ、うちがコレ手伝うってなったとき、普段ならもっと嫌な顔してたやろあんた」

「お前な、もっと言葉を選べよ」

 

 ︎︎なんでそんなにズバリ言いにくいことを突くのか。この女の遠慮のなさには呆れるしかない。

 

 ︎︎確かに、彩葉と沙耶香の間の雰囲気がいつもより柔らかいのは気になっていたが──いくら西ノ宮家を快く思っていない沙耶香であっても、当の彩葉本人に「嫌いだ」なんて直球を投げられる性格ではない。 今年に入ってからは露骨な無視も減っている。特に彩葉の襲撃事件以降は、程々の距離感を保っていた。錦戸の心境にどんな変化があったのか、俺にはまだ掴み切れないが。

 

「んー……別にそんな事はないんだけどなあ」

「せやろか」

「まあ、何かあったっていうのはそうなんだけどね? 単にお祖母様と言い合いになったから、愚痴聞いてーってだけだよ。二人とも、家は違うけど事情は伝わるし」

「怒られたあ?」

 

 ︎︎沙耶香の祖母というと、錦戸紗代子のことだろう。

 ︎︎現在の錦戸家当主にして、敬天総会錦戸派を率いる領袖だ。原作でもさほど登場しなかったせいで顔は思い出せないが、公威に並ぶ権威を持つ人物で、この組織内では間違いなく大物だ。祖母とはいえ、そんな相手と口論になったというのだから、彼女の発言はかなり意外だった。

 

「うん。……大きい声じゃ言えないんだけどね。お祖母様、最近体が悪いんだ」

「錦戸閣下が?」

 

 ︎︎彩葉がわずかに目を見開く。

 ︎︎錦戸紗代子といえば、年齢だけでは公威よりさらに上になる。激動の昭和を生き抜いた傑物で、総会の場には欠かさず出席し、西ノ宮派との主導権争いを牽引してきた。病とは無縁に思えるが、年齢を考えれば不思議ではない。

 

「待て、そんな事俺らに話していいのか」

「別に大丈夫だよ。西ノ宮と霧島の方にも通達するらしいし」

「なら、大丈夫か……。つか、閣下の容態はどうなんだ」

「癒静院の先生が言うには心臓が悪いんだって。数値的に、いつ止まってもおかしくないとか。……それで私たち、しばらく休んでってお願いしたんだけど、お祖母様は“自分は大丈夫”の一点張りでさー。あんまり強く言うと逆に興奮しちゃうし、こっちも困っちゃって」

「……それは、大変だな」

 

 ︎︎よくある話だ。医者や家族の言うことを聞かない頑固な老人なんて、世の中に掃いて捨てるほどいる。前世でも俺の祖父がまさにそうだったから、彼女の苦労は少し分かる気がした。

 

「ニトロでも貰ったか」

「あ、そう! そんな名前の薬渡されてた。やばかったらすぐ飲ませてって。でもお祖母様、“こんなもの要らへん!”ってゴミ箱に投げ捨てちゃうんだよ。信じられなくない?」

「閣下はこれからどうしはるん?」

「一応、派閥の偉い人達が説得して、しばらく休養することにはなったんだけど……もうほんと、機嫌が悪くて仕方がないの。みんな、お祖母様のこと心配してるだけなのにね」

 

 ︎︎そう言ってこぼれたため息には、いつもの明るさがなかった。疲労の色を隠し切れない表情に、普段のお人好しな笑顔は影を潜めている。

 

 ︎︎錦戸沙耶香──彼女の生い立ちは、彩葉とよく似ている。

 

 ︎︎彼女が錦戸家の次期当主として大事に育てられているのは、本来ならば家を継ぐはずだった父親が亡くなっているためで、母親の方も病気で早くに亡くなっている。

 ︎︎彩葉との共通点は多く、違うのは性格と妖怪に対する思想くらいだろう──故に、祖母を心配する沙耶香に、彩葉もどこか思うところがあったのかもしれない。どう反応すべきか迷っていた俺よりも先に、彩葉は微かに唇を動かした。

 

「沙耶香。閣下には、ご自愛なさるようにお伝えしてくれる?」

「西ノ宮さん……」

「まあ、西ノ宮の童の戯言と捨てられるかもしれへんけど」

「しないよそんなこと!?……でも、うん、ありがとう。ちゃんと伝えるね」

 

 ︎︎意外な言葉ではあったが、嬉しそうにはにかむ沙耶香を横に突っ込むほど空気が読めない人間ではない。俺は歩きながら、ただ黙って二人の会話に耳を傾け、ある種の不安を抱いた。

 

 ︎︎そもそも、原作開始前であることを抜きにしても──彩葉と沙耶香の仲は良くない方が、設定としては自然な流れである。だが、今の二人はどうだろう。友人とはいかないまでも、クラスメイトとして良好な関係を築きつつあるように見える。

 

 ︎︎俺が転校してきた当初──それこそ去年までは、二人の仲は自然なまでに嫌悪感が丸出しだった。どちらかというと沙耶香の方が彼女を含む西ノ宮家を蔑んでいたが、彩葉もまた、鳴宮少年に対するような冷たい態度を沙耶香に向けていた。

 

 ︎︎しかし今となっては、この様子である。

 ︎︎俺が不安なのは、二人の仲が良くなることではない。何故か仲良くなりつつある二人が、以前のような冷戦状態を再燃させるきっかけとなるイベントが、今後訪れる可能性に対してだ。

 ︎︎彩葉の襲撃事件と同様に、それは俺の中の知識にはない。原作主人公が高校生になってからの流れは把握しているが、それ以前の経過は未知のことばかりだ。

 

 ︎︎願わくば、俺が大きく巻き込まれることなく平和に終わって欲しい──だが、いわゆる”修正力”のようなものが仮にこの世界に存在するとするなら、それも難しいかもしれない。

 ︎︎何が要因なのかは分からないものの、彩葉と沙耶香の関係が改善されつつある。この事実は明らかに原作とはそぐわない。さらに、原作には存在しなかった俺という存在もある。

 

 ︎︎何か、原作のストーリーラインへ無理やり戻させるような、大きな事件が待ち構えているのではないか──かねてより抱いているその不安は、温和な雰囲気で会話をする二人の姿を見ているうちに増してゆく。

 

「? 陸浦くん?」

「……! な、なんだよ」

「いや、なんか顔色が悪そうだったから……あ、もしかして体調良くなかった!?」

「……いや、ちょっと考え事してただけ」

「気にせんでええよ」

「お前が答えるな」

 

 ︎︎ともかく、かの錦戸紗代子が心臓病で休養とは一大事である。早いうちに、その報せは院内を駆け巡るであろう。原作でもチラッと登場していたことから、まさかこの時期に死ぬとは思わないが、当主が死んだ場合に備えて、錦戸派内部での権力闘争が起きる可能性もある。いや、水面下ではすでに起きているだろう。

 

 ︎︎例えば、次期当主である沙耶香に婿入りして──とか。

 ︎︎それならば錦戸家の当主になることはなくとも、誰かが派閥の領袖になることは可能かもしれない。まだ小学生の彼女たちに縁談など年の差婚どころの話ではないが、しかし彩葉も俺が京都に来る前に何度か持ちかけられたことがあるというのだから、ありえない訳でない。

 ︎︎社会一般的な感覚を持っていると自負している身からすれば、全く好ましいことではないが──神祇瑞光院は、今の時代とは異なる常識の中で動いている。

 

 ︎︎そいえば、この御三家を揺るがす一大事に際して、公威はどのように動くのだろう。

 ︎︎彩葉襲撃事件や鳴宮少年の件についてもまだ解決していないのに、盟友ともライバルともいえる錦戸紗代子が病にかかった。院内政治面でのフリーハンド獲得とまではいかないしにろ、派閥内部でごたつく錦戸連中をさほど気にせず動けるのは、彼にとって好機のように見える。

 

「(まあ俺に直接関係あることじゃないけどなぁ)」

 

 ︎︎彩葉に聞いても分からないだろう。

 ︎︎佐々木を通じて次期当主としての教育はされているが、あくまでそれは公の場での立ち振る舞いに集中している。年齢的に、まだ執務方面──院内の政治について学んではいない。

 

 ︎︎せめて俺に不幸や困難が降りかからないことを祈る他あるまい。彩葉の傍で何事もなく過ごせられたら、それで良い。

 ︎︎教室にたどり着いて、抱えていたプリントの山を教卓に置いた二人の背中を眺めながら、俺はそう思った。

 

 

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