乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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皆さま明けましておめでとうございます
本年一発目の投稿となります。今年は投稿頻度上げることを目標にがんばります。


EP23〈畏れよ〉

 

 

 

──将吾からの電話を受けた桜庭は、そのまま足を止めることなく、日課としている哨戒に戻った。

 ︎︎鞍馬街道を離れ、西ノ宮の屋敷とは反対方向の市街地へと踵を返す。面倒だと感じる瞬間がないわけではないが、人離れした底なしの体力を持つ彼女に疲労という概念は希薄だった。

 

 三月に高校を卒業して余暇が生まれたことで、日中はほぼ常に府内を巡回している。彩葉の送迎を終えれば今度は将吾の稽古に付き合う──自らの任務を最優先とするよう、公威や本部から念を押されている関係で常にそうとは限らないが、大体はそのサイクルが継続していた。

 

 しかし夕暮れ時に「何もやることがない」と暇を持て余す将吾とは対照的に、桜庭にはこなすべき仕事が多い。

 

 ︎︎交代制とはいえ、夜間哨戒は欠かせない。というのも、人間の生活に合わせている擬態型はともかく、動物型は夜行性が多いからだ。三方を山地に囲まれた京都では、野生の習性に従って動くそれらの脅威が、常に境界のすぐ向こうに潜んでいる。

 

 ︎︎市街地に入る前に駆除する。

 ︎︎それが護国衆の務めであり、桜庭もその一端を担っていた。

 

 

 神祇瑞光院は歴史的経緯から、京都全域を“絶対守護領域”と定めている。神祇瑞光院本部、護國衆本部、そして御三家をはじめとした有力家が点在する土地であり、その重要性は言うまでもない。東京奠都以降は千代田も同様の扱いになったが、いずれも妖怪が踏み入れた瞬間、理由の如何を問わず討伐を免れない。

 

 ゆえに、大阪・滋賀・兵庫・奈良での哨戒は京都防衛の最前線として大きな意味を持つ。畿内担当とは名ばかりで、実情として一番隊には「京都に火の粉を寄せつけるな」という総会の無言の意図が常につきまとっていた。無論、隊員たちは担当地域の生活圏を守る気概を欠いているわけではないが、総会の思惑を察している者は少なくない。桜庭が一番隊の隊長に抜擢されたことも、その象徴といえた。

 

 本来ならば、擬態型の多い関東や九州の方が彼女の力量は活きる。それでも京都に据え置いた理由を考えれば、総会の姿勢は明白だった。

 

 もっとも、桜庭本人はどちらでも構わなかった。養護施設の職員達への恩に報いるために選んだ道であり、そもそも京都の重要度を思えばこの人員配置にも納得はできる。他部隊からのやっかみが鬱陶しい程度で、それも“長老を守ることが社会秩序の維持に繋がる”と割り切れば些事に過ぎなかった。

 

 

 巡回の途中、桜庭は小さなコンビニに寄って飲み物を買った。好物のいちごミルクだった。店を出てペットボトルの蓋を開けたその瞬間、耳元のインカムが震える。

 

『桜庭隊長。こちら戦略調整局』

「……何用だ」

『報告します。三十六分前、大阪・梅田駅近郊のビルにて不審な妖怪集団を確認し、近接監視に入っていた大阪一班との位置情報・通信が共に途絶しました。緊急性ありと判断。桜庭隊長は至急、現場へ向かってください』

「梅田? あの辺りの妖怪はこの前、私がほとんど掃討したはずだが」

『詳細は不明。G事案の可能性もあるため、大阪各班には第二種警戒を発令中です。構成数は推定十三体、いずれも擬態型。梅田駅への現着をもって現場指揮権は桜庭隊長に一任されますが、それまではこちらで配置を行います。よろしいですか?』

「認める。京都並びに畿内他県の各班には、引き続き現行任務の継続を通達しろ。チャンネルを大阪へ合わせる」

『了解。では、よろしくお願いいたします』

 

 桜庭は、決して「どうせ大したことはない」と慢心するタイプではなかった。常在戦場の意識で一日を紡ぐ彼女にとって、こうした連絡は即応すべきもの。インカムからの通信が途切れるより早く、桜庭の姿はすでに闇の奥へと消えていた。

 

 屋根を駆け、風を裂き、梅田駅へ一直線に向かう。すでに陽は落ち、夜気が街を覆っている。彼女の疾走は外灯の光を一瞬揺らすだけで、人々の視界にはただの風の乱れとしてしか映らなかった。

 

「状況を報告せよ」

『こちら大阪二班。対象のビルに到達しました。しかし通行人が多く、屋外での戦闘は不可能と判断します』

「三班は?」

『大阪三班は四班と合流し、警邏隊ヘリの移動支援を受け梅田へ向かっています。降下予定ポイントは現場近くのヘリポートです』

「了解。およそ三十分後には私も到着する。それまで調整局の命令に従え」

『承知しました』

 

 短く要点だけを返し、桜庭は脚へ力を込めて速度をさらに上げた。

 妖怪退治の秘密組織に属しながら、「人間離れしている」と評される彼女の能力が最も発揮される場面は、対妖戦闘だけに限らない。こうした長距離の強行移動こそ、桜庭が“桜庭”たる所以だった。

 

 車にもバイクにも頼らないその脚力で予想どおりの時刻に現場に到着した彼女は、まず周辺を警戒していた部下たちと合流した。一番隊は大阪府に四つの班を置いているが、日本有数の人口密集地ということもあって各々の構成人数も相応に多い。

 

 すでに戦略調整局の指示に従い、各班はビルを包囲するように散開していた。周辺には本部からの連絡を受けて来たらしい大阪府警の姿もちらほら見えるが、規制線は張られていなかった。

 ︎︎市民の巻き込みを避けたい一方、これほどの繁華街で規制線を設置すれば、かえって余計な騒ぎを招くだけだ。ビル内の一般人は別の理由をでっち上げて退避させているようだが、それを差し引いても夜の梅田エリアでの戦闘は厄介だった。

 

「隊長、お疲れ様です」

「一班との連絡は?」

「まだです。監視中に戦闘した形跡もありません。恐らくはビル内部で拘束されたか……最悪、すでに殺害されている可能性も」

「こちら桜庭。十七時五十六分、現着」

『了解。戦略調整局より大阪各班へ。これより指揮権を桜庭隊長へ返還します。現在、二班が北、三班が南、四班が東に配置。桜庭隊長は西側より侵入をお願いします』

「わかった。誘導、感謝する──警邏隊はどこだ?」

『こちら警邏隊近畿管区。大阪三班・四班の輸送後、別機が上空で監視任務を継続中です。監視機のコールサインは“ヨダカ”』

「そのまま続行しろ」

 

 ふと空を仰ぐと、暗いビル群の隙間を縫うように一機の小型ヘリが旋回していた。サーモグラフィーや高感度カメラを積んだ、警邏隊の機体だ。隊員の移動支援のみならず、こうした情報収集も彼らの重要な任務である。

 

 

 とりあえず、まずは状況を整理する──。

 

 一時間ほど前、大阪一班が梅田駅周辺で擬態型妖怪の集団を発見。反人間テロの兆候を疑い、本部に報告したのち、複数方向から尾行に入った。そして桜庭の目の前にあるビルに侵入した直後、位置情報と通信が同時に途絶えた。

 端的に言えば、その流れである。

 

 ただ、大阪各班は十五から二十名で構成されている。本部の推定では敵は十三体。擬態型とはいえ、鍛え抜かれた隊員が通信を発する余裕すらなく壊滅するというのは、やや不自然だった。たとえ人目のある場所で派手に動けなかったとしても、だ。

 

 もし一班が壊滅したのだとすれば、敵は相当に手練れということになる。すでに彼らは殺されているかもしれないし、こちらに新たな犠牲が出る可能性も高い。かつて、桜庭が一番隊隊長就任早々に大暴れして以降は、関西の妖怪もすっかり大人しくしていたはずだが──どうやら例外がいたらしい。

 

 だとしても、桜庭の敵ではない。

 

 桜庭は無線を全班と繋ぎ、淡々と手順を示した。

 四方向から同時に侵入し、一階を制圧する。ここで妖怪が出た場合は、倒さず足止めのみ。桜庭が到着し次第、迅速に殺害する。上階は桜庭が先行し、その後を各班が追う。

 雑だと言われればそれまでだが、余計なリスクを排しながら最短で片を付けるなら、この形が最適だった。

 

 独りで突っ込めば討伐自体は早い。桜庭もそれを理解している。しかし通行人の多い梅田エリアでそれをやれば、世間に対して説明のしようがないし、情報統制も不可能だ。

 だからこそ、この場では慎重を選んだ。

 

 

 ︎︎午後十八時十分──秒針がぴたりと揃った瞬間、包囲していた部隊が一斉に動き出した。

 

『北側一階、異常なし』

『こちらも変化ありません』

 

 一階は簡素な造りの雑居ビルで、間取りは少なく、死角も把握しやすい。桜庭は二階へ続く内階段へ隊員たちを手際よく誘導しつつ、四班には外部非常階段からの突入を指示した。この広さなら、屋内に人数を割きすぎる必要はない。三班はそのまま一階での警戒へ回し、残る二班のみを内部へ残した。

 

 桜庭は階段に足をかけ、淡々と上り始めた。

 ︎︎その所作は、まるで終業後に帰宅する会社員のように自然である。ただ一つ違うのは、その腰の刀が、いつでも無造作に抜ける角度で静かに構えられていることだった。

 

「……」

 

 ス、と手を上げ、後続を停止させる。階段の途中に立ち止まった桜庭は、耳に集中し、わずかな妖気を探った。

 

「──瑞光──…来──、ヘリ」

「─────間……」

 

 二階廊下の南側、窓際付近。妖怪が二体。距離は近い。

 侵入を気取られなかったとはいえ、この人数の足音を察知できないとは、随分と間の抜けた連中である。桜庭はさらに感覚を研ぎ澄まし、二階フロアに他の妖怪の気配がないことを確認すると、止めていた足を静かに踏み出した。

 

「どうも」

 

 階段から影のように現れた桜庭を見て、廊下の奥にいた妖怪たちは一瞬、ぽかんと目を見張った。スーツ姿の若い女──状況が平常であれば、軽く会釈してやり過ごしたかもしれない。しかし今日、このビルの人間は大阪府警の勧告で全て退避している。それを知る妖怪たちは、桜庭を見た途端に表情を強張らせ、胸元へと手を差し入れた。拳銃を抜こうとしたのだろう。

 

 だが桜庭の刀が抜けた方が、明らかに早かった。

 

 凪いだ空気を裂き、二つの首が滑らかに跳ね上がる。隣同士で立っていたせいか、反応する間も与えられなかったようだ。壁と床に血が派手に散るが、桜庭は薄く目を細めただけで、振り返りもせずに後続へ軽く合図を送る。

 

 三階へ進む。

 任務の手順は、まだ半分も終わっていない。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

──同時刻。

 最上階の六階フロアに集まった妖怪たちは、それぞれ険しい表情を浮かべていた。

 

 このフロアだけは現在改装中で、床はところどころ剥がされ、壁も配線がむき出しのまま。資材の山が通路を狭くし、まるで工事が途中で止まってしまった現場のようだった。蛍光灯は外され、照明らしい照明はない。窓の外から漏れ込む街灯の光だけが、薄く彼らの輪郭を照らしている。

 

 数は五体。見た目や服装はどれも二十歳前後の青年、そこらに居る大学生にしか見えないが、身に宿る気迫は明らかに人間のそれではなかった。

 

 窓のそばに立っていた一体の妖怪が、上空のヘリを睨みつけたまま低く言った。

 

「……リーダー、どうする」

「…………」

「護國衆が動いてるぞ。さっきの奴らに手を出したの、やっぱり拙かったんじゃないのか。数も多い。救援が入ったのは間違いない」

「怖気づいたなら好きに言えよ。……んなもん、あの程度の連中ならどうとでもなるだろ」

「馬鹿にしてくれて結構だが、悠長にしてる余裕はない。あのヘリが上空に来てどれだけ経ったと思ってんだ。いつ突入してきてもおかしくない」

「うっせぇ。んなこと俺も分かっとるわ」

 

 苛立ちを隠しきれず、リーダー格の青年は短く吐き捨てた。

 

 状況がまずいのは理解している。

 明日の計画実行のため、万全に整えてここへ集まった。本来なら今夜は細かな確認を行い、明け方にはそれぞれの持ち場へ散る手筈だった。しかし、たった一つの粗相で護国衆に目を付けられ、さらに尾行までされてしまった。

 

 ︎︎このビルには、計画を裏付ける証拠など一切置いていない。単に“集合に都合が良かった”という理由だけで選んだ場所だ。故に本来は──尾行してきた護國衆をあえてこのビルに誘い込み、無力化して時間を稼ぎ、自分たちはその間に姿を消す。そういう算段だった。

 

 ︎︎しかし、誘い込んだ瞬間に一部の者が早まって手を出してしまった。なし崩しに始まった交戦を制したのは良かったが、その混乱を収めているうちに、逃げる機会は完全に失われた。

 

 悪態のひとつも出る。

 

「……非常階段から跳んで逃げるぞ。この高さなら、お前らなら骨の一本も折れん。とにかくバラけろ。集合場所は尼崎だ。計画は……延期だな、クソ」

 

 舌打ちを噛み殺しながら、そう告げる。どれほどの時間と金を注ぎ込んだか考えれば、やりきれなかった。よりによって決行前夜の破綻。最悪のケースとして想定はしていたものの、いざ現実になると腹の底から苛立ちが込み上げてくる。

 

「延期ねぇ……仕方ねぇけど………で、なんで尼崎?」

「今、スポンサーから連絡が来た。そっちに安全な場所を用意したから逃げろってよ」

「……そのスポンサーってやつ、本当に信用できんのか? オマエ、前から何も話さねぇし」

 

 不満交じりの声に、リーダーはしゃがみ込み、結び直していた靴紐を引き締めると、口の端だけで笑った。

 

「信用はできるさ。計画を話すたびに、相応の金を出してくれるし、俺たちの理念にも理解がある。……それに、あの西ノ宮のガキを殺す一歩手前まで追い詰めたのも、そのスポンサーらしい」

 

 淡々と語りながら、青年は立ち上がる。

 

「”ヤツ”が俺たちにとって忌々しいニンゲンなのは変わらんが、少なくとも神祇瑞光院を疎ましく思ってるってのは本当だ。……まあ、スポンサーの話は後回しだ。とにかく逃げるぞ」

「待ってリーダー、下の階の子達は?」

「こんな状況を招いた馬鹿たちなんぞ知るか」

 

 ︎︎心底、怒りのこもった声だった。

 そもそも彼にとって“仲間”と呼べるのは、この場に残った他の五体だけである。下層で護國衆の人間を押さえつけていた連中は、言ってしまえば使い捨て。

 妖怪としての同族意識は多少あれど、計画の足を引っぱったという一点で、彼の中ではもう切り捨てが完了していた。元からさほど頼りになる連中ではない──その程度の認識だった。

 

 仲間たちはそれを分かっているのか、あるいは諦めているのか、短く肩を竦めて廊下へ出る。

 ︎︎剝き出しの配管の下をくぐりながら、非常階段へ通じる扉へ向かった。扉の銀色のノブが、わずかな外光を反射している。

 

 リーダーがそのノブへ手を伸ばした瞬間、全員の呼吸が自然と整っていった。逃走のための緊張が、筋肉へと行き渡る。

 

「俺が開けた瞬間、一斉に跳べ。集合はJR尼崎駅」

「わかった」

「落ち着いたら連絡する」

 

 それぞれが息を吸い、わずかに膝を沈めた。意識が外へ向かう。目の前の扉の向こう側。敵の包囲はどの程度か、そんなことを共に考えながら集中力を高める。

 

 

──故に、気づかなかった。

 自分たちのすぐ背後に、“最強”が立っていることを。

 

 

「どこへ行くつもりだ、妖怪共」

 

 

 その声は氷を割るように冷たく、しかし確実に耳へ突き刺さってきた。

 

 次の瞬間、凄まじい殺意が五体を襲う。

 皮膚が強制的に総毛立ち、身体中の穴という穴から冷汗と熱が噴き出す。硬直──逃げるどころか、振り返ることすらできない。蛇に睨まれた蛙。そんな言葉が、冗談ではなく現実として脳裏に浮かび上がる。

 

「……ひ……ッ」

 

 誰かの呼吸が乱れた。過呼吸を起こし、胸を押さえてしゃがみ込む影もある。

 一歩でも動けば、この場で身体が両断される──そんな確信が、脳の奥深くへ杭のように打ち込まれていた。

 

 恐怖から逃げたい。そんな原始的な衝動が彼らの全身を内側から叩きつけてくる。だが、その衝動に従えば即座に死ぬ。この場にいる全員が、生まれて初めて“生存本能に逆らう”という体験を強いられていた。

 

「妖怪が一、二、三、四、五匹……下の連中と合わせて十七。推定より多いが──まあ、一も二も変わらないな。動くなよ、動けば殺す」

 

 低く、しかし妙に澄んだ声音だった。淡々と数を数えるだけの調子でありながら、そこに宿る圧は常識を逸脱している。その場にいる全員の肺を、外側から握りつぶすような圧力だ。言葉を返す余裕など、誰にも残されていなかった。

 

 震え、足をすくませる妖怪たちの中で、ただ一人、リーダーの男だけはかろうじて思考を保っていた。

 ︎︎まともな判断力は恐怖で半ば吹き飛んでいたものの、それでも、この殺意を含んだ気配の主が誰か──それだけは理解してしまう。

 

「ま、さか……桜庭、朱里……か……!」

 

 口にした瞬間、さらに絶望が胸の内に広がった。

 ︎︎神祇瑞光院が誇る最強で、妖怪にとっては悪夢そのものを指す。彼女の名は、それだけで妖怪勢力の企図を瓦解させる威力を持っていた。実際、この大阪に巣食っていた有力な妖怪集団はいくつも彼女一人によって潰されている。仲間内でその名を知らぬ者などいない。

 

「さて妖怪共、貴様らが今回の主犯格なのは分かっている。どの道、無様に死ぬことには変わりないが……二つの選択肢をやろう。我らに帰順し、情報提供するか。この場で首を晒すかだ」

 

 桜庭の声音は、先程から微塵も揺れていなかった。敵を嘲るでも、怒るでもなく、ただ結果だけを淡々と述べるだけ。だからこそ、その言葉は彼らの鼓膜ではなく、臓腑に直接沈んでいく。

 

「ふざけるな……ニンゲンなんぞに協力しろと……っ!?」

 

 反射的に吐き捨てた叫びは、恐怖に震えて掠れた。それでも抵抗を示さなければ、己が妖怪であることすら否定してしまう気がしたのか、リーダーは鋭い牙を剥き出しにした。しかし彼女は、その睨みを意にも介さない。

 

「ならば拷問されて無理やり吐かされるのと、自白して我らに益をもたらすかのどちらが良い? 情報を吐くならば、死に方と死に場所くらいは選ばせてやってもいいぞ」

 

 まるで、つまらぬ事務処理を順に片づけているかのような声音だ。対してリーダーは喉を鳴らすことすらできなかった。呼吸をしようとするたび、胸の奥に鉛を流し込まれるような感覚がある。自分たちがどれほど策を巡らせ、力を蓄えようと、この女の前では塵芥に等しい──その確固たる事実が、理解という形を取って否応なく胸に沈んでいく。

 

「っ、うわぁぁぁぁ!!」

 

 全身を縛りつける殺気に耐えきれなかったのだろう。一体の小柄な妖怪が、理性を失ったかのように情けない叫び声を上げた。恐慌状態のまま、彼が駆け出した先は、先ほど跳んで逃げようとしていた非常口だった。

 

 だが、僅かに錆びついた扉のノブに指先が触れた途端。彼の身体は、糸で吊られた操り人形のように、ぴたりと静止した。

 異変を察したリーダーが、反射的に振り返る。仲間を制止しようと、喉を引き裂く勢いで声を張り上げた。

 

「ば、馬鹿野郎、動くな──!」

 

 だが、その言葉は最後まで届かなかった。

 

「────」

 

 次の瞬間だった。

 立ちすくむ妖怪たちの隙間を縫うように、桜庭の身体が駆け抜けた。踏み込みは一歩。無駄のない体捌きで、刀を構えたまま距離を詰める。

 

 そして、縦に一閃。

 

 それだけだった。

 その妖怪の身体は股から脳天にかけて、まるで最初から二つに分かれていたかのように、綺麗に裂けた。抵抗も悲鳴も、そこにはなかった。遅れて噴き出した血と体液が、床や壁、そして彼らの足元に降り注ぐ。

 ビシャリと生々しい音を立てて、その二つの肉塊は呆気なく崩れ落ちた。

 

「まずは、一」

 

 刀を振り抜いたまま、桜庭は淡々とそう告げた。

 

「────!!!!!」

 

 誰かが叫ぼうとした。

 だが、それは声にならなかった。喉が引き攣り、肺が空気を拒む。恐怖は音よりも先に身体の機能を奪っていた。

 

「選べ──降るか、死ぬか」

「……っ、」

 

 思考が必死に巡る。神祇瑞光院は、自分たち妖怪の生存を脅かす存在だ。だからこそ殺す。排除する。そう信じてきた。

 それなのに志半ばで、この女の前に立たされ、無様に命乞いを迫られるとは。

 

 青年は、自らの悪運を呪った。

 

 膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。震えは止まらず、指先が勝手に痙攣する。周囲の妖怪たちも、それに倣うように次々と膝をついた。恐怖に満ちた表情。

 

 ︎︎だが、リーダーだけは違っていた。彼の目には、恐怖と同じ濃さで屈辱と怒りが宿っている。その視線がまっすぐ桜庭へ向けられている。

 

 

 しかし、当の本人は意に介さない。その背後、階段側から足音が近づく。下のフロアで拘束されていた大阪一班の生存者を発見したらしい二班の隊員たちだ。彼らは半数を現場に残し、残りが六階へ上がってきていた。

 

 部下の姿を見た桜庭は軽く手を上げ、妖怪から間合いを取る。

 

「両手を上げて地面に伏せろ。変な気を起こせば、そこの肉と同じ目に遭うと思え」

 

 床に転がる肉塊を一瞥し、妖怪たちは言葉もなく従った。

 

「隊長、彼らは……」

「主犯格だ。ここで何をしていたのか、何を企んでいたのか、全て吐かせる必要がある。全員拘束し眠らせろ。本部に移送する」

「はっ、了解しました」

 

 数名の隊員が懐から手錠を取り出す。

 ︎︎妖怪討滅を是とする護國衆であっても常に殺すとは限らない。事情聴取、情報収集のため、生け捕りは時に必要となる。

 研究部が開発した対妖特殊手錠。三重構造のリングが、地に伏せた妖怪たちの両手を確実に拘束していく。全隊員が携行を義務付けられている、基本装備の一つだった。

 

「こちら桜庭。主犯格と思しき妖怪群を発見、拘束に成功。消息不明だった大阪一班は五階で発見。二名死亡、三名重傷、他は軽傷。現場処理のため、応援を要請する」

『了解。戦略調整局より警邏隊近畿管区へ追加出動命令を出します。負傷者は現場で救急要請を。後ほど癒静院へ移送します』

「大阪府警はどうしている?」

『現場周辺にて待機中。事前に退避させた民間人への説明と情報統制を行っております』

「わかった。……三班、六階に上がれ。妖怪を移送する」

 

 淡々と指示を出し、桜庭は短く頷いた。

 一つ下のフロア、外の非常階段で待機していた三班の気配が無線越しに一斉に動く。数拍遅れて階段を駆け上がる足音が重なった。

 

「隊長、三号麻酔の使用許可を」

 

 状況を確認しながら、傍に居た部下が手短に申請する。桜庭は拘束され、床に伏せた妖怪たちへ無感情の一瞥を投げた。

 

「認める」

「はっ」

 

 許可を求められたそれは、チレタミン系獣医用麻酔を基礎に改修された、妖怪専用の注射剤である。代謝や神経構造の人間との違いを考慮して濃度と作用時間が調整されており、危険性が高いが故に厳格な運用規定が敷かれている。桜庭のような現場指揮官の許可なくして使用できないのも、そのためだ。

 

 手錠と同様、これも護國衆における基本装備の一つ。

 ︎︎目的は妖怪の安全な不働化。討伐は容易だが、それでは情報が残らない。引き出すには生かしたまま確保する必要がある訳で、この薬液は意識を瞬時に刈り取り、平均的な妖怪ならば一時間は動けなくなる代物だ。

 

 頑丈な鉄製ケースから取り出されたその小型注射器は、簡素ながら無骨な造りをしていた。無駄な装飾は一切ない。荒事ばかりの現場で確実に機能することだけを求められた、実用一点張りの道具である。

 

 妖怪たちは、その注射器の中身が何なのかまでは理解していなかった。だが、ただ殺されるよりも、別の何か──より厄介な工程が待っていることだけは察しがついたらしく、更に顔色を失っていく。

 

「護國衆本部のどちらへ?」

「地下収容所の……そうだな、北側の監房に空きがあったはずだ。先に行け。私は警察と話してくる」

「はっ」

 

 ︎︎そう部下に指示を出し、桜庭は駆け上がってきた三班と入れ替わるように非常口を抜けた。外に出た瞬間、夜気を含んだ風が前髪を揺らし、彼女はわずかに目を細める。

 

 ︎︎大阪の夜は、まだ終わる気配を見せていない。

 ︎︎通りの向こうからは人のざわめきが途切れなく流れ、車の走行音とクラクションが重なり合っている。ネオンと街灯に照らされた街並みは、昼と大差ないほどの明るさを保っていた。

 

 ︎︎それでも、それらの音は桜庭の耳にはどこか遠かった。

 ︎︎厚い膜を一枚隔てた向こう側で鳴っているかのように、現実感を伴わずに流れていく。

 

 

 ︎︎護國衆隊員の死──それ自体は決して珍しいことではない。

 ︎︎とりわけ、人間と同等の知能を持つ擬態型を相手取る都市部の部隊では、殉職率は昔から高かった。桜庭自身も、同僚や部下を失う経験を、これまで幾度となく重ねてきている。

 

 ︎︎だが、見知った人間の死に慣れていることと、そこに悲哀を覚えなくなることとは、別の話だ。桜庭は感情を表に出さないだけで、その起伏が乏しいわけではない。

 

 ︎︎胸の奥に残る鈍い痛みを、忘れぬように心に刻む。黙祷のつもりで目を閉じ、静かに胸に手を添えた。

 

「さて、と」

 

 ︎︎立ち止まっている時間はない。

 ︎︎ビル周辺で市民の立ち入りを制限している警察を速やかに撤収させ、屋内の後処理を行うために、大阪府警察本部長へ連絡を入れねばならなかった。各都道府県の警察幹部は神祇瑞光院の存在と活動を把握しているため、話自体は通りやすい。

 

 ︎︎それでも、電話という行為そのものが苦手な桜庭にとって、それは気の重い仕事だった。

 ︎︎短く息を吐き、携帯電話を取り出す。登録済みの番号──大阪府警察本部長直通へと、指先で発信を押した。

 

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