乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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まだ公開していない読者向け設定資料集を整えたり増やしたりに時間費やしていたら、結局前回から一ヶ月が経ってしまった件……資料集だけで既に二万字書いてるし、いつか公開できるといいなあ。


EP24〈仄暗い底のウォーデン〉

 

 

 

 

──京都府中京区、護國衆本部地下二階。

 

 ︎︎ここは、地上の時間帯や天候と切り離された区画である。この階層に降りると、まず空気の質が変わる。乾燥しているわけではないが、湿り気が皮膚に残る。換気は機能しているはずなのに、循環しきらない古い臭いが染みのように残留していた。

 

 ︎︎消毒液、金属、埃、そして長年閉ざされた場所特有の澱んだ冷気。既に真夏だというのに寒気を覚えるこの空間には、それらが混じり合った、形容しづらい匂いが常に漂っている。

 

 ︎︎ここはかつて〈初音監獄〉と呼ばれていた地下収容施設だ。

 ︎︎耐震工事などの改修は重ねられているが、構造の骨格は昭和初期のものが残っている。通路幅は現在の規格よりわずかに狭く、天井も低かった。

 

 ︎︎照明は何度も更新されているが、配線の経路は古いままで、ところどころに金属製の配管がむき出しになっている。塗装の下に幾層も重なった補修跡があり、この場所が長い年月にわたって使い続けられてきたことを否応なく示していた。

 

 ︎︎収容区画前の詰所──監視モニター、金属製の机、書類棚。必要最低限の設備しか置かれていない。背もたれの高い椅子に深く体を預け、白衣姿の男が顎を引いたまま口を開いた。

 

「……で、梅田で捕まえたっちゅう、件の妖怪たちは?」

 

 ︎︎声は低く、喉の奥で引っかかるように出る。長時間起き続けている人間特有の、粘りのある発声だった。

 

「25番監房から続けて連番で収容済みです。取り調べは恙無く。現場で使用した3号麻酔の後遺症で呆然としておりますが、現在は意識はハッキリしています。いずれも暴れる様子はなし」

 

 ︎︎報告する部下は端末画面に視線を落としたまま話す。顔を上げないのは不遜さではなく、この区画に長くいる者同士の習慣に近い。視線を交わす必要がない環境では、自然とそうなる。

 

「ほーん……そういや、桜庭隊長はどうしたん?」

 

 ︎︎椅子の脚がわずかに床を擦った。金属音が短く鳴る。

 

「巡回に戻る、とだけ」

 

 ︎︎返答は簡潔だった。

 

「あん女、うちらに押し付けよってからに……」

 

 ︎︎独り言に近い声音は、室内の機械音に吸われる。モニター裏の冷却ファン、遠くの自動扉の作動音、換気ダクトの低い唸り。それらが絶えず部屋を埋めている。

 

「所長、こちら主犯の妖怪から手に入れた携帯電話のデータなのですが」

 

 ︎︎部下が端末の画面を操作する。モニターの一つにログが表示された。

 

「桜庭隊長及び大阪班が現場となったビルに突入した頃に、メールの送受信を行っていた履歴があります」

「メール?」

 

 ︎︎白衣の男──芳田は片眉をわずかに動かした。

 

「“護國衆に囲まれている”、”どうしたらいい?”……対して、”尼崎へ”と端的な返信が残っています」

 

 ︎︎モニターの白い光が、彼の目の下の隈を強調した。

 

「妖怪らの供述によると、その相手は当該グループのスポンサーのようでして。これまで様々な金銭的援助を受けていたようです。本来ならば今日には行われたはずの梅田駅での無差別テロも、そのスポンサーによる影響が大きいと」

「スポンサーねぇ……発信元は割り出せそうか?」

「既に通信に使われた基地局と端末のキャリアログから特定作業を行っています」

「ならええ」

 

 ︎︎短い返答の後、芳田は椅子から上体を起こした。背骨がわずかに軋む感覚がある。睡眠不足が続くと、身体のあちこちが自分のものではないような違和感を持つ。

 

 ︎︎芳田寛治。彼の役職は護國衆地下収容所所長。捕縛された妖怪の管理と調査を担う、この特殊な部署の最高責任者である。

 

 ︎︎この“初音監獄”に送られる妖怪は例外的な存在だ。

 ︎︎護國衆は原則として現場処理を優先する。拘束し、収容し、長時間生かしておくのは情報価値があると判断された場合のみ。今回のように背後関係や計画規模が問題視された事案では、現場での即時処理は選ばれない。

 

 ︎︎だが、拘束された妖怪が無力化された存在かといえば、そうではない。薬物と拘束具で行動は制限されているが、敵意そのものは失われない。脱獄が起これば被害は市中に及ぶ。その可能性が限りなく低いとしても、ゼロではない以上、この区画は常時最大警戒が敷かれていた。

 

 ︎︎看守は三交代制。監視は二十四時間途切れない。

 ︎︎それは所長である芳田も例外ではなかった。書類仕事に定期報告に情報整理。机に向かう時間の方が長いが、勤務時間という概念は事実上存在しない。ここ数日は一気に妖怪が収容されたことで特に酷く、三時間眠れれば良い方だった。

 

 ︎︎彼は白衣の内ポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。密閉された地下ということもあり、喫煙は許可区域内のみだ。詰所の隅に設置された換気強化スペースへ芳田は移動した。

 

「そういや、小耳に挟んだんやけど……裏で潜影部の連中がコソコソ動いとるらしいなあ、知っとる?」

 

 ︎︎煙を吐き出しながら、視線を部下に向けないまま言う。

 

「スパイモドキがスパイごっこしてるのは当然じゃないですか?」

「いんや、最近は京都でウロウロしとるらしいんねん。アイツらの主戦場は霞ヶ関や港区やろ? なんでわざわざここで動く必要がある?」

 

 ︎︎部下は肩を竦め、溜息をつく。

 

「そんなこと私に聞かれても困ります」

「かぁーっ、ただの雑談やがな、つまらん奴やの」

 

 ︎︎芳田は大袈裟な身振りはするが、声にいつもの張りはない。疲労が抜けていなかった。エナジードリンクとタバコで、何とか保っている。悲しいかな、神祇瑞光院に労働基準法はない。

 

「……まあ、あそこは御三家の影響が大き過ぎますからね。どうせまた派閥争いに巻き込まれてるんじゃないですか?」

「せやんな? 俺もそう思って、この前錦戸閣下のお見舞いであちらの屋敷に参じた時にな、それとなく錦戸派の総会員に聞いてみたんよ。全然何もわからへんかったわ」

「あんた暇なんですか?」

 

 ︎︎淡々とした返しに、芳田は鼻を鳴らす。

 

「……ああ、潜影部といえば。あそこの陸浦副長が芳田所長との面会を求めておられましたよ」

 

 ︎︎缶コーヒーを飲む手が止まった。

 

「任務に係わる内容ということで、私に詳細は教えて貰えませんでしたが」

「……陸浦ぁ?」

 

 ︎︎その名を聞いた瞬間、顔の筋肉がわずかに歪む。

 ︎︎潜影部の敏腕エージェント、陸浦東吾。組織内でも詳細を知る者が限られる部署の人間だが、芳田は立場上、顔と名前は一致している。実際に会ったことも、これまでに何度かあった。

 

 ︎︎その上で芳田は、彼の能力を認めているし、組織や御三家への帰属意識が強いことにも一定の評価をしている。だが、組織人としてのフィルターを無くせば、個人的な相性は最悪だ。それは芳田も、そして東吾も互いに思っていることだった。

 

「アイツ無愛想やし、目つき悪いし、根暗やし、あんま喋りたないなぁ」

「断るわけにはいかんでしょうよ。潜影部も一応は上位部署ですよ」

「……ちっ、ええよ。明後日なら空けれるって伝えといてや」

「わかりました」

 

 ︎︎煙草の火が短く揺れる。

 

「……彩葉様の襲撃事件から、どうも色んなところがきな臭くなっとんなぁ」

 

 ︎︎今年、三月に起きた例の事件。御三家の令嬢が狙われたあの一件以降、組織内の空気は変わった。言語化出来ない変化が、確かにある。常に地下に籠もる芳田にもそれは伝わっていた。

 

「あーやだやだ、こっちはジメジメした地下で毎日を過ごしとんのに」

 

 ︎︎煙を吸い込み、ゆっくり吐く。

 

「もっとジメジメした奴らのあれこれに巻き込まれたないわ」

 

 ︎︎部下は答えず、端末に視線を戻す。

 ︎︎タバコの臭いがこびり付いた地下の一室で、芳田は大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

──今日はようやく終業式だ。

 

 ︎︎明日からは遂に夏休みへ突入する。

 ︎︎それなのに、教室に入った瞬間、無意識に出入口と窓の位置を目でなぞっていた自分に気付いて、小さく息を吐いた。

 

 ︎︎教室の空気は朝からどこか緩みきっていて、椅子の脚が床を擦る音や、机を寄せ合う小さな振動までもが普段より軽い。クラスメイト達も例外ではなく、落ち着きなく身を乗り出しながら、思い思いに家族旅行の話や遊びの計画を立てていた。

 ︎︎抑えきれない浮ついた気配が、教室のあちこちで小さな波のように立っている。

 

 

 ︎︎思えば、西ノ宮家に来てからもう少しで一年になる。

 ︎︎時間にすれば短いはずなのに、身体だけが先にここにあって、中身が追いついていないような乖離感が常に付きまとっていた。

 

 ︎︎隣の席からページをめくる音がして、意識が一瞬だけ現実に引き戻される。教室のざわめきは遠く、ここだけが薄い膜に包まれているみたいだった。

 

 ︎︎……あの頃はまだ、自分が何者であるのか、そして自分がどのような状況に置かれていたのか理解が及ばず、心理的に不安定な状態だった。

 ︎︎転生といっても、それまでこの世界で生きていた記憶が今もなお一切ないから、自分というアイデンティティが、”陸浦将吾”という名前とどうしても噛み合わなかった。

 

 ︎︎だが、最近の俺はそういった不可思議な状況をとりあえず一旦飲み込んで、あまり深く考えないようにしている。

 

 ︎︎考えたところで答えが出ないことに思考を費やすほど、俺は賢くも器用でもない。どうせ考えても分からないことの方が多いのだ。今の俺がすべきことは、桜庭に鍛えてもらって自分の命と生活を守る力をつけること。それだけははっきりしている。

 

 ︎︎そしてこの生活を守るということは、巡り巡って彩葉の命を守ることでもある。

 

 ︎︎優先すべきはやはり自分の人生ではあるが、子供の身というのは想像以上に不便で、不自由だ。衣食住学、そのどれひとつとして自力で賄えるものはなく、全てを西ノ宮家に依存している俺は、与えられた付き人という役割を真っ当すること以外に、それを維持する術がない。自由が無いことに不満がないわけではないが、それを口に出せる立場でもなかった。

 

 

 ︎︎まだ、正式にそうなった訳ではないのだが、単に遅いか早いかの違いに過ぎないだろう。

 ︎︎なぜならば陸浦以外の、西ノ宮に仕えているという家も高齢化が問題となっている。かといって分家は戦火で断絶しているし、あるいは西ノ宮派の構成家系から同年代を引き抜こうにも、そちらは派閥全体に与える政治的影響が大きすぎる。

 

 ︎︎人の配置ひとつで均衡が崩れかねない、そんな綱渡りの上にこの家は立っているのだ。

 

 ︎︎このような状況であれば適当な人間は俺しか居ないわけで、中学卒業後に正式な付き人となることは、もはや俺がいくら不満を抱えようとも確定事項であろう。選択肢など最初から存在しない話だ。

 

 ︎︎叶うならばさっさと名古屋に戻り、ここに来てからは電話越しでしか声を聞いていない母の顔を、もう一度ちゃんとこの目で見たいものだが、そうはならないらしい。

 ︎︎全くもって嫌な世の中だ。

 

「ねーねー、将吾くん」

「あん?」

 

 ︎︎ぼんやりと天井のシミを眺めながら世の不条理を内心で嘆いていると、いつもの如く隣の席で読書をしていた彩葉が、不意にこちらへ身体を傾けて話しかけてきた。

 ︎︎机と机の間の距離がわずかに縮まる。

 

「これ、どういう意味やと思う?」

 

 ︎︎珍しくそんなことを聞きながら彼女が見せてきたのは、無教養な俺でも知っているような作品だった。

 

 ︎︎サン・テグジュペリ、だったか。

 ︎︎確かそんな名前のフランス人が書いた、世界的名著〈星の王子さま〉。紙の端は少し擦れていて、何度か読まれた形跡があった。随分とまた、彼女には似合わないものを読んでいる。

 

 ︎︎児童書なんて読む性格ではないだろうに。

 ︎︎何時ものように軽口のひとつでも投げようとしたが、彩葉の表情にありありと疑問が浮かんでいるのが分かって、思わず口を閉じた。からかう空気ではなった。

 

「”いちばん大切なものは、目に見えない”」

「……?」

「これ、意味がよく分からへんのやけど」

「文字通りじゃねぇの」

「……ちょっとくらい考える素振り見せたらどうやの」

 

 ︎︎頬杖をつきながら適当に答えると、彩葉は不満げな視線を向けてくる。その視線は細く鋭いが、怒っているというよりは、答えに届かないもどかしさの方が近い。

 

 ︎︎しかしそうは言っても、文字通りにしか受け取れない内容だ。”いちばん大切なものは、目に見えない”──それ以上でもそれ以下でもないように思えた。言葉は見ての通り簡単なのに、彼女の中では何かが引っかかっているらしかった。

 

 ︎︎難しい顔をしながら、彩葉は唸っていた。視線は文字の上を滑っているが、読んでいるというより考え込んでいる顔である。

 

「……このバラってさ」

「バラぁ?」

「王子さまの星におったやつ。正直めんどない?」

 

 ︎︎開いたページを指で押さえながら、彩葉は眉を寄せた。紙に落ちる睫毛の影がわずかに揺れる。

 

「わがままやし、すぐ拗ねるし、咳して王子さまの気引こうとするし……しかも地球来たら、同じようなバラがいっぱい咲いとったやん?」

「あんま内容覚えてないからわかんね」

 

 ︎︎流石にタイトルは知っているし、あらすじや流れも大体は分かるが、作中の描写なんて細部までは覚えていない。ちゃんと読んだのも随分と前のことである。

 

 ︎︎それも前世の──。

 ︎︎いや、それにしてもこの会話、前にもしたような気がしなくもないな、という妙な既視感が胸の奥をかすめた。

 

 

 ︎︎しかし彩葉の言葉がスイッチとなったのか、段々と朧気ながらストーリーが思い浮かんできた。

 

 ︎︎いつだった、あれは俺が中学生のときだったか。まだ小学生の妹が彩葉と似たような質問を俺にしてきたことがあった。

 ︎︎その時も”星の王子さま”が俺の目の前にあったのを思い出す。夏休みの読書感想文の題材にしたが、結局最終日まで放ったらかし。途中からいきなりの発熱でギブアップしてどうにもならなかったので、代わりにやらされたんだった。

 

 ︎︎変なところで真面目だった当時の俺は適当に書く訳にもいかず、無理やりあの本を読んだ──そんな記憶が、埃を払われたみたいに、ふと蘇った。

 

「王子さま、あれ見てショック受けとったし……なのに結局、あの星の一輪のバラが特別ってなるの、なんでなん? 喋ろうがなんだろうが、花は仰山あった方が綺麗やろ? バラ一輪をなんでそこまで特別に思えるん?」

 

 ︎︎ああ、そこか、と心の中で頷く。

 

「……別に、性格とか綺麗とかって話じゃないんじゃねぇの」

「え?」

「確かキツネだったか、ネコだったかが言ってただろ。費やした時間がどうとか」

 

 ︎︎彩葉がぱちりと瞬きをした。視線がこちらへ向く。

 

「水やったり、風よけ被せたり、文句聞かされたり──めんどくさいこと全部ひっくるめて一緒に居た時間だろ。見た目が同じで、たくさん咲いてても、その時間だけは他のバラにはねぇもんなぁ。だからじゃねぇの、知らんけど」

 

 ︎︎深く考えたわけでも、これといって思うところもない。

 ︎︎星の王子さまは確かに名著だろうが、読書の習慣も無ければ読書自体に思い入れもない俺にとってすれば、ただ、記憶の底から引っ張り出した断片をそのまま並べただけだった。

 

 ︎︎勢いのままに言葉を吐き出して、大きな欠伸をする。

 ︎︎疲れきった体をぐっと伸ばすと、背中の骨が小さく鳴った。……昨日は随分と忙しかった。

 

 ︎︎先日から公威と潜影部にやらされている鳴宮少年の監視。監視といっても、不穏な動きや言動がないか確認するだけなのだが、これがとにかく億劫だ。

 

 一定時間ごとに彼の行動をメモし、帰宅後は大脇にいちいち電話で報告までしなければならない。

 ︎︎大抵は十分ほどで終わるが、昨日は鳴宮少年が友人と校内のあちこちを回っていたせいで記録の量も多く、三十分以上も話し込む羽目になった。おかげで桜庭との稽古時間が削られ、その分、逆に濃密なトレーニングを課せられる始末。そのせいでいつもよりも、疲労が身体に溜まっているのである。

 

 

 キーンコーンカーンコーン、と朝礼のチャイムが校舎に鳴り響く。担任が教室に入ってきた。次々と席につくクラスメイトを視界に収めつつ──鳴宮少年の所在確認も忘れず──机の上の消しカスを払っていると、隣から視線を感じた。

 

 まだ何か聞きたいことでもあるのか。無教養な俺なんかより、先生なり、屋敷で佐々木に聞けばいいだろうに。

 

 そう思って彼女の方を見ると、彩葉は視線を本に落としたまま黙っていた。ページの端をつまむ白い指が、わずかに力を失ったように緩む。

 

「……ああ」

 

 小さく、息のような声がこぼれた。

 

「だから“目に見えない”なんや」

 

 何かに納得したのか、独り言のように彼女は呟いた。よく分からないが、疑問は解消したらしい。変なやつだ、と鼻を鳴らす。

 最近……というかここ数ヶ月、彩葉が何を考えているのかよく分からない。元々分かりにくい奴ではあったが、いま一番引っかかっているのは沙耶香との関係だ。

 ︎︎どうしてあの二人の仲が改善されつつあるのか、俺にはまったく見当がつかない。別にそれ自体は悪いことでは無いのだが、後でどうなるか分からないのが怖かった。

 

「(未来視でもありゃ、楽なんだけど)」

 

 ︎︎無いものねだりをしても仕方がない。

 ︎︎というか、それにしても──本を読みながら意味ありげな呟きをするあたり、あの彩葉といえど、随分と歳頃の子供らしいところがあるものだ。そういう素振りを格好いいと思う時代が、かつての俺にもあった気がする。

 

 だが、からかってはだめだ。

 ︎︎こういうのは周囲に指摘されると余計に拗れる。

 

 ︎︎かつて、中学生になった妹がアニメオタクになった時もそうだった。妙な格好で妙なセリフを部屋で練習しているのを見つけ、爆笑しながら盛大にからかった結果、一ヶ月は口を聞いてもらえなかった苦い経験がある。おまけに祖父からは小一時間説教され、馬鹿にするなと拳骨まで食らった。

 

 ︎︎……そうだ、ここは菩薩のように優しい目で見守ってやろう。そうしよう。彩葉に機嫌を悪くされて無理難題を吹っかけられても、困るのは他でもない俺なのだから。

 

「? なんやねん、そのやけに生暖かい目は」

「……いや、お前にもそういうおセンチな所があるんだなと」

「独り合点はやめぇや、蹴るで?」

「ごめんて、蹴んなよ」

 

 当たり障りのないことを言うつもりだったのに、彩葉の顔を見た途端、結局軽口が先に出る。ほぼノータイムで脚を蹴られ、やり返してやろうかと思ったが、教壇に立った担任が話し始めたので一旦引き下がった。

 

「はい、皆さんおはようございます。明日から夏休みですね〜。今日で今学期は終わりですけど、遊んでばかりではなく、宿題はちゃんとやってくださいね」

 

 えー、と異口同音にクラスメイトたちが声を上げる。同年代と比べても頭の良い方であろう少年少女たちも、とはいえまだ小学五年生。宿題を嫌がる平凡な感覚は当然あった。

 俺は昔から一貫して、限界まで宿題をやらないタイプだったが、佐々木の目がある以上、どのみちやるしかない。

 

「皆さんなら分かってるでしょうけど、うちはエスカレーター式ですが、その分、宿題の提出は大事です。しっかり上がるためにも、毎日コツコツ進めていってください」

「「はーい」」

 

 めんどくせー、と思いながらクラスメイトと担任の様子を眺める。西ノ宮に居なかったら、俺は宿題なんてサボりまくっていただろう。……いや、曲がりなりにも教員である母が、それを許すはずもないか。

 俺は俺としての人格に目覚めて以降、以前の記憶がない。過去の自分がどうしていたのかは知る由もないが、母の性格を考えれば、宿題についてはしっかり監視されていそうではある。

 

 

 ︎︎こんなふうに穏やかな朝でも、いつ何が起きるか分からない世界にいる。それだけは疑いのないことである。

 

──夏休みといえば、もうすぐ彩葉の誕生日でもあった。

 明日からようやく始まるが、それから間もなく予定の日がやってくる。桜庭への頼み事は彼女の厚意によって滞りなく進んでいるものの、その桜庭がいなければ、俺がせっかく組み立てたプランは水の泡だ。

 

 桜庭はまだ大人ではないが、間違いなくこの国の歴代最高戦力。組織や御三家を巡る情勢が不安定な昨今、彼女の庇護がなければ公威が首を縦に振らない。

 

 十分すぎる我儘を聞いてもらっている身だ。桜庭が緊急任務で不在になったなら、むしろそちらを優先してほしいと俺は言うだろう。本命が上手くいかなくなったって、屋敷でささやかな誕生日パーティをするのも悪くはないのだから。

 

「……? 将吾くん、今から体育館行くってー」

「ん、ああ、おけ」

 

 頭の中で誕生日の計画をあれこれ思い描いていると、当の本人が顔を覗き込んできた。

 ︎︎周囲を見れば、廊下に列ができ始めている。

 そういえば、終業式があるのか。椅子から立ち上がり、クラスメイトの列に並ぶ。

 ︎︎早めの成長期なのだろうか、ここ数ヶ月で身長がだいぶ伸び、クラスでは一番高い。最後尾にゆっくりと加わった。

 

 

「…………おい」

「……どうした?」

 

──担任の先導で体育館へ向かう途中。

 ︎︎いつの間にか二、三人を先に抜かして、最後尾の俺の前に来ていた鳴宮少年が声をかけてきた。前方を歩く彼が速度を落としたあたりで、俺に話しかけるつもりなのは何となく察していたが、周りの目もある。

 

 

 ︎︎無駄に長い廊下を進みながら、声を落として耳を傾ける。

 ︎︎周囲の足音の数と距離を無意識に測っている自分に気付き、内心で苦笑する。桜庭に叩き込まれた癖だった。

 

 俺たちは互いに顔を合わせず、視線も交わさないまま進む。ほんの前を歩く鳴宮少年が、俺にだけ届く声量でぼそりと呟いた。

 

「……お前があのとき誤魔化した意味、分かった」

「……」

 

 肯定も否定もしない。ただ、無言で歩を進める。

 

「……俺が何も知らないバカで、お前は知っていた。俺が馬鹿なせいで大事になっちまった」

「……それで? 俺に何が言いたいんだ」

「……いや、ただ、それだけ。そういうことが本当にあるんだなって、落ち着いた今になって考えられるようになったんだ」

 

 俺の視界には、彼の背中と後頭部しかない。だから今どんな顔で話しているのかは分からない。監視の任務もある以上、余計なことは口にできず、ただ静かに彼の言葉を聞く。

 

「……あー、くそ。ずっと、頭ん中がめちゃくちゃなんだよ。アレからずっと、あんな目にあってから」

 

 チッ、と鳴宮少年は頭を掻きながら舌打ちした。

 初めて会った頃の──金を見せびらかし、親の財産を盾に、空虚なプライドで取り繕っていた彼は、もういないのだと今さらながらに気付く。

 表面上の言動は大きく変わっていない。自慢話がなくなったくらいで、クラスメイトたちとは相変わらず騒いでいる。だが、それもある意味では空元気なのだろう。

 

 西ノ宮か、あるいは潜影部か。保護されていた間に彼が何を見て、何を知り、何を思ったのか。俺は何も知らない。

 

 公威に鳴宮少年との会話を報告したことに後悔はないし、立場的にも正しい行動だった。その後、学校に来なくなった彼を心配する俺に、彩葉は何度も「気にするな」と言っていた。

 

 けれど、不安定な彼の背中を見ていると、以前の性格が決定的に変わってしまった気がして──その変化の一端に間接的に関わっている俺としては、心のどこかで多少の罪悪感を覚えていたのかもしれない。

 

 

 鳴宮少年は原作には出てこなかった。

 ︎︎ゲーム上では、名前も容姿も存在も触れられないモブだったのかもしれない。けれど、この世界はゲームじゃない。俺も彼も、データ上の存在ではない。

 呼吸をし、思考をし、言葉を話す、一個の人間だ。

 

「……わかっていると思うが、俺から話せることは何も無いし、“アレ”関係の話に俺には何の権利もない」

「ふん……別に期待しちゃいないさ。もう余計なことには口を突っ込まないって決めたんだ、俺は」

 

 鳴宮少年は、もう普通の人生は歩めない。

 ︎︎神祇瑞光院に、西ノ宮家に、そしてそれを取り巻く日本の裏の事情に触れるとは、そういうことだ。

 

 仮に鳴宮少年の親に妖怪や組織のことを漏らした誰かが捕まり、一件落着となったとしても、事情を知る人間を西ノ宮が放置するはずもない。最悪、一生監視下に置かれても不思議ではない。問題が起きてから間もないとはいえ、俺が彼の監視を任されているのもその一環だろう。

 

 ︎︎鳴宮少年本人にしたって、妖怪や神祇瑞光院の存在を知って平然と過ごせるとは思えないはずだ。

 

「まあ、相談くらいなら聞いてやってもいいぞ」

「……え?」

 

 一連の騒動に関して俺に責任はない。やるべきことをやった上での今の状況だ──かといって、人生が歪んでしまった目の前の少年に何の感傷も抱かないほど、俺は冷酷でもない。

 

 驚いたように振り返った鳴宮少年と、初めて視線が合った。立ち止まることはないが、その目は確かに俺を捉え、呆気に取られたように口を開けている。

 

「……あっそ」

 

 少しして、ぷい、と彼は顔を逸らした。

 ︎︎その様子を見て、俺はあの一件以来、喉の奥に骨が刺さっているようだった感覚が、すっと消えていくのを感じる。

 

 鳴宮少年は俺のことを嫌っているだろうが、俺は別に彼を嫌ってはいない。精神的には年長者である俺にとって、彼のことが不安だったが──もう大丈夫な気が、漠然とした。

 

「なら、西ノ宮さんとの仲取り持ってくれよ」

「相談なら受けるとは言ったが、無理難題は言うな」

「はぁ?」

「ほれ前見ろよ、先生がこっち見てるぜ。また話そう」 「…………ふん」

 

 






GPTで調べたんですが、ガラケー時代の捜査手法って今みたいにIPアドレス云々じゃなくて基地局とかキャリアログから辿っていたらしいですね。
てっきりそこら辺は今も昔も変わりないと思ってたら、実際は違ったようで、作中描写の訂正に時間がかかりましたOrz……。
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