乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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EP28

 

 

 ︎︎こうして、何もせずにゆっくりするのは良いことだ。

 ︎︎スタジアムの最後列、屋根が日差しを遮る席に腰掛けながら、俺はそんなことを思っていた。

 

 ︎︎考えれば屋敷に来てからというもの、毎日何かをしていた。学校へ行くなんてのは当たり前のことだが、屋敷に居る時は、使用人の仕事を手伝ったり、桜庭と稽古したり……襲撃事件の後は、満足に動けぬ佐々木に代わって彩葉の支度の世話もしていた。

 

 ︎︎休みはあったが、基本的に自主練というか。裏山に籠って、走って下りて素振りをする。それの繰り返しで、全く何もせずに過ごすというのは、ほぼ一年近くなかったことだ。

 

「キーンってしてる」

「叩きゃ治る」

「うちは家電か」

 

 ︎︎かき氷をかき込んで頭が冷えたらしい彩葉に、ペシ、と背中を軽く叩かれた。しかし実際のところ、バリバリの平成生まれにして割と昭和脳のこいつなら、多少の異常は叩けば治りそうな気もしている。

 

「にしても、今日は暑っついなぁ……将吾くんは平気なん?」

「いんや、暑いもんは暑いけど……」

 

 ︎︎夏日どころか猛暑日ばかりだった前世の夏を思えば、まだまだ俺にとっては許容範囲内である。というか、この世界の気候は妙に四季がかなりハッキリしていて過ごしやすいのだ。

 ︎︎前世の俺が幼少期に経験していた過ごしやすい夏そのもので、むしろ妙な懐かしさも覚えている。とはいえ、暑いことに変わりはないのだけれども……。

 

「ふーん。暑いなら、かき氷いる?」

「お前の食いかけじゃんか」

「あんたなら別にうちは気にせんけど」

「じゃあ貰うか」

 

 ︎︎赤いシロップのついた、かき氷が載ったプラスチックスプーン。差し出されたそれを遠慮なく口に入れる。彼女が気にしないなら、別に遠慮する必要もあるまい。

 ︎︎元より俺も、間接キスだ何だと騒ぐようなタイプでもないのだ。回し飲みも貰い食いも、気心知れた相手ならば同性だろうが異性だろうが、昔からさほど気にしたことはない。

 

「甘っ……なんだこりゃ、普通のシロップじゃないな」

「どこからどう見ても普通のシロップや」

 

 ︎︎久々に食べたかき氷に、顔をしかめる。口内の冷たさに、科学的な甘さが同居している。シロップってこんな味だったっけ、と思いながらコーヒーの残りを飲んだ。やはりコーヒーはブラックに限る。この冷たさと苦さの共存が俺の肉体を回復するのだ。

 

「そんなもん、よぉ飲むなぁ」

 

 ︎︎空っぽになった容器を横の空席に置いた彩葉は、首を傾けて俺の手元のカップを見て呟いた。

 

「あ? なんだ、飲みたいのか?」

「嫌。うちが苦いの苦手って知っとるやろ」

「お子ちゃまめ」

「大人ぶり」

 

 ︎︎何の生産性もない、他愛もない会話を続ける。

 ︎︎彩葉の誕生日祝いで水族館に来たものの、俺にとっても良いリフレッシュになっているような気もする。なんだかんだ言って、俺も屋敷の敷地から出ることもあまりない方だ。開放感とは少し異なるが、気分転換にはなっている。

 

「……というか、将吾くん?」

「なに」

「うちら、どうやって帰るの?」

「あー……? ああ、たしかにな」

 

 ︎︎俺たちを乗せてきた桜庭は、今頃滋賀県に居るだろう。夏休みシーズンで観光客も多いこの京都、わざわざ車で隣県に行くはずもなく、そも走った方が遥かに早い人だ。きっと駐車場には、あのアメ車が置きっぱなしになっているだろう。

 

「聞いときゃ良かったか」

 

 ︎︎一応、屋敷の使用人たちが業務用に使っている携帯電話を渡されているが、彼女は緊急の任務中だ。電話をかけようがメールを送ろうが、彼女から返事は来なさそうである。桜庭の部下に頼もうか、それとも屋敷から出してもらうか。

 

 ︎︎昼頃には帰る予定だったものの、仕方がない。屋敷から迎えに来てもらおう……というかさっさと自分用の携帯が欲しい。

 ︎︎使い古されたこのガラケーは、どうも未だに操作が慣れない。というか西ノ宮にはたくさん金があるんだから、さっさと全てスマホに入れ替えればいいのに──なんて愚痴を抱きながら、佐々木へメールを送る。

 

 

 ︎︎佐々木は筆頭使用人。襲撃事件の後遺症で以前のような馬鹿げた怪力を振るうことはなくなり、俊敏に動くことも叶わないが、その地位は今でも揺るぎない。

 ︎︎と、言う訳で彼に迎えの手配を頼んだ。

 

 ︎︎しかし、送ったメールが既読されたかどうかすら分からないなんて、ガラケーとはなんとも不便なものである。既に世の中ではスマホの普及がかなり進んでいるというのに。

 ︎︎今度、それとなく佐々木にスマホの導入について聞いてみよう、と心を決めた。

 

「お、しばらくしたら迎えに来るってよ」

「了解。桜庭さんの車はどうすんの?」

「あの人か、あの人の部下が何とかするだろ。まさか俺に運転なんて出来やしないぜ」

「そこは期待しとらんわ」

 

 ︎︎実の所、転生する前は毎日のように旧車を乗り回していたので、今でも運転自体は普通に出来ると思うが、しかしこのちっこい身体ではあのアメ車を運転するのは難しい。桜庭には申し訳ないが、駐車場に放置しておくしかないだろう。

 

「さて、下に降りるか」

「うん」

 

 ︎︎休憩は済んだ。飲み干したカップ類を、購入した店の横に設置されていたゴミ箱に、通りすがりに投げ捨てる。店員のお姉さんに会釈しながら、俺たちはスタジアムを出た。

 

 ︎︎すり鉢状の観覧席と遥か遠き五重塔を背に、通路へ戻る。外に見える梅小路公園の緑を感じながら、二人しかいない館内を歩く。

 

 ︎︎佐々木曰く、水族館の近場にちょうど西ノ宮の使用人が車で外出しているらしい。どうもその人は仕事中のようだったが、「近くなら」と名乗りを上げて俺たちを拾ってくれる事になったとのこと。待たせるのも悪いし、駐車場の方で先に待っていよう、と声をかけた。

 

「それにしても、桜庭さんは不憫やねぇ。お休みなのに」

「そんなもんだろ、隊長だし……あ、ちょうど返信きたな」

「なんて?」

「”かなり大きな案件になったので、しばらく稽古はお休みです。私の車の鍵は君の着物の裾に放り込みました。部下に渡しておいてください”……って、いつの間に?」

 

 ︎︎全く気が付かなかった。書かれている通り、裾に手を突っ込んで中をまさぐると、無骨なレザーのキーケースが入っている。普段は特に何も入れていないせいで、与えられた携帯電話と久方ぶりに持ち出した財布の重さで勘違いしていたらしい。

 

「部下に渡せって言ったって、あの人たちに声掛けていいもんなのか。名前も知らんし、正直怖いんだが」

「んー? 普通に呼べばええやん。おーい、一番隊の人〜!」

「はっ! お呼びでしょうか、彩葉様」

 

 ︎︎うぉ、と情けない声が出る。桜庭の如き瞬速──視界の隅から突然、彩葉の前に傅いた黒服の女性に、俺はビクッ!と肩を跳ねさせた。目を左右に回し、ちらっと外を見た。

 

「ほら、将吾くん」

「お、おう。……これ、桜庭さんの車の鍵です。渡すようにメールが来ました」

 

 ︎︎しかし平然としている彩葉に若干の悔しさも感じながら、気を取り直してキーケースを渡した。

 

 ︎︎そして女性と目を合わせる。見たことがない顔だったが、どこか既視感があるような気もしなくもない。

 ︎︎鍵を渡しながら、じっと眺めていたのが気になったのか。女性は暫し俺の顔を見て、何かを呟いた。

 

「……なるほど」

 

 ︎︎確かに、とはどういう意味か。訳もわからず首を傾げると、横から彩葉が割り込む。

 

「将吾くんがどうかしはった?」

「……いえ、大変失礼致しました。桜庭隊長が気になさっておられる、噂の弟子というのがどのような少年なのか、と。本日初めてご本人とお会いしたので、少し気になりまして」

「ああ、なるほど。そーいや、将吾くんは桜庭さん以外の護國衆の人と話したことないやんね」

 

 ︎︎彩葉の言葉に、俺は頷いた。

 ︎︎そもそも関わる機会がないのだから、当然だ。むしろ、隊長である桜庭が俺の稽古に時間を費やしていることが異常である。悪意はなく、純粋な好奇心だと理解し、彼女の反応に納得する。

 

「やはり良く鍛えられてますね。その重心も、咄嗟に逃走経路を探すその反応も、とても良い。……彩葉様、どうですか。彼を護國衆に?」

「付き人の期間が終わるまでだーめ。その後もだーめ」

「残念です……ああ、隊長からの指示は承りました。車はご心配なく。私が運転して彼女の自宅に停めておきますので」

「あ、はい、お願いします」

 

 ︎︎軽く頭を下げると、次の瞬間には視界から消えていた。まるで先刻の桜庭のようだった。護國衆はこの去り方しか出来ないのか、と心の中で突っ込む。というか、驚いて反射的に逃げようと通路の外に視線を動かしたことに、気付いていたらしい。全く恐ろしい観察力である。

 

「……彩葉」

「うん?」

「今の人、知り合い?」

「いんや、実際に会うのは初めて。でも一番隊京都班の班長さんってことくらいしか知らへんなぁ。お名前なんやったっけ……」

「ほー……」

 

 ︎︎まあ、思い出せないことを無理やりに思い出そうとしても、ほぼ無理なことは分かりきっている。京都班の班長。これが分かってるなら、名前くらいなら今度桜庭に聞けばいいのだ。

 

「てかスタジアムで展示は終わりかと思ったが、まだあと一個あるな」

「もういっこ?」

「うん。このまま行くとー……なんか自然があるらしい」

「あんた何を言うてんの?」

 

 ︎︎どうやら屋外エリアらしいのが、しかしマップを見ても、「自然」としか表現しようがないのだから困る。

 ︎︎とりあえず正面の自動ドアの先を指差すと、彩葉は呆れたような顔でそちらを見やり、それから「ああ、そういうこと」と小さく呟いた。うむ、そういうことだ。謝れ。

 

 ︎︎自動ドアを抜けた瞬間、むわっとした夏の熱気が一気に身体へまとわりついた。直射日光が容赦なく照りつけ、耳には途切れないセミの鳴き声が飛び込んでくる。

 

「おー、ほんまに自然や! てかこれ稲やん」

 

 ︎︎目の前には、青々とした稲が風に揺れる小さな田んぼが広がっていた。人工的に曲がりくねった用水路がその脇を流れ、水面ではナマズやフナがゆったりと泳いでいる。

 

 ︎︎湿った土と草の匂いが濃く漂い、館内の冷えた空気とはまるで違う、生きた里山の気配が辺り一帯を満たしていた。

 

「こんなとこで田んぼ作ってはるんや。おもろいなあ」

 

 ︎︎彩葉が目を細めながら田んぼを覗き込み、扇子で軽く顔を仰ぎつつ歩を進める。舗装路の脇には京野菜の畑も広がっており、九条ねぎの長い葉が勢いよく伸びていた。

 

 ︎︎もし別の人生を歩むのなら農家になりたい──先ほど、彩葉はそう言っていた。単なる観葉植物や花を見るより、こういう“暮らしに繋がる自然”の方が、彼女にとってはずっと興味深いのかもしれない。

 

「おい、彩葉。フナが居るぞ」

「どこどこ?」

「ほら」

 

 ︎︎どうやら田んぼ全体を眺めていたらしい彩葉の肩を軽く小突き、足元の水路へ視線を向けさせる。

 ︎︎太陽光を反射してきらきらと輝く水の中を、フナがゆったり泳いでいた。その近くにはナマズも居る。

 

 ︎︎俺が肩を軽く突くと、彩葉はすぐにしゃがみ込み、水路を覗き込む。俺はその影になるよう背後に立ち、照り返す日差しを受けながら水面を見下ろした。

 

「涼しそうに泳いではるわ」

「あちぃ……」

「あら、こっちは暑そうに立ってはるわね」

「俺もそれで仰いで」

「やだ」

 

 ︎︎用水路のせせらぎとセミの鳴き声が重なり合い、強い夏の日差しが舗装路を白く照らしている。

 ︎︎このエリアは思っていたより広かった。歩道に沿って進むと、田んぼをぐるりと一周できるような造りになっているらしい。

 

 ︎︎もっとゆっくり彩葉と田んぼを眺めていたかったが、迎えが来るまでの時間にはそこまで余裕がない。俺たちだけならまだしも、わざわざ迎えに来る相手を待たせるのも気が引ける。

 

 ︎︎そう思い、少ししてから声をかけた。

 

「そろそろ行くか」

「うん」

 

 ︎︎俺たちは、下りになった小坂をゆっくりと下り始めた。

 ︎︎里山の土の匂いを背中に残したまま、徐々に屋内の涼しい空気が近づいてくる。

 ︎︎首筋を汗が伝い落ちる感覚に、小さく息を吐いた。

 

「あー、涼しぃー……」

「ここは……お土産ショップ?」

 

 ︎︎どうやら里山ゾーンはここへ繋がっていたらしい。

 

 ︎︎新品の可愛らしいぬいぐるみや菓子類が整然と並ぶ棚を見た瞬間、彩葉の目がきらりと輝いた。

 ︎︎疲れなど感じさせない軽快な足取りで棚へ駆け寄り──しかし、不意にぴたりと立ち止まる。

 

「ん、どした?」

「……将吾くん、この辺りにお手洗いはあったっけ?」

「あん? すぐそこにあるだろ」

「手洗ってくるわ。かき氷のシロップが気になってかまへん」

「……あー、了解。じゃあ入り口で待ってる」

 

 ︎︎扇子で口元を隠しながら、近くのトイレへ足早に向かう彩葉の背中を見送る。

 

 ︎︎汚れた手を洗う、とは言っていたが……まあ、あの様子だと違うだろうな、とは思う。とはいえ、それをわざわざ口に出さない程度の良識とデリカシーは俺にもあった。

 

 

 ︎︎しかしさて、どうしようか。

 ︎︎ここは水族館の中。妖気は一切感じられないので、妖怪に襲われる危険性はない。貸切なので他の客も居ないし、仮に不審人物が紛れていたとしても、護國衆の連中が周囲に控えている。

 

 ︎︎少しくらいトイレの方から目を離しても問題は無いだろうが……。

 

「……あの、いらっしゃますかー?」

「はい、何でしょう?」

 

 ︎︎意を決して声をかけると、忍者じみた素早さで、目の前に先ほどの女性が現れた。彩葉曰く、京都班の班長だったか。

 

「少しここで買い物をするので、彩葉……そこのトイレの方、見張って頂けませんか?」

「ええ、もちろん構いませんよ」

 

 ︎︎万が一もある。

 ︎︎目を離した隙に何か起きました、では洒落にならない。

 ︎︎とはいえ、俺より遥かに強いであろう彼女の他にも、桜庭の部下たちは周囲に控えている。トイレ側を注視しておくよう伝えておけば、少しくらいは問題ないはずだ。

 

 ︎︎実を言えば、この水族館へ来る前から、お土産ショップがあれば何か買おうとは思っていた。そして今は、何を買うかも決まっている……まあ、置いてあるかは分からないが。

 

 

 ︎︎彼女へ軽く頭を下げてから、店内を歩き始める。

 ︎︎ぬいぐるみコーナー、キーホルダー、菓子類……棚を順番に見て回っていく。

 

 ︎︎目当てのものは、思ったよりすぐ見つかった。

 ︎︎まあ、あの妙な見た目なら、目立つ場所に置かれているだろうとは思っていたが。

 

 ︎︎棚からそれを手に取ってみると、想像していたよりもしっかりした造りで、触り心地も悪くない。

 ︎︎その値札を確認し、財布を裾から取り出す。事前に佐々木から渡されていたクレジットカード──ではなく、ベリベリ財布の中に入っている自分の数少ない貯金を確認した。

 

 ︎︎……まあ、仕方ない。どうせ普段は飲み物くらいしか買っていない。有効活用というやつだ。

 

 ︎︎さっさと会計を済ませ、店員に袋へ入れてもらった。

 ︎︎小さめの袋を受け取り、目立たないよう着物の裾へぽいっと突っ込んだ。ちょうどそのタイミングで、トイレの方から彩葉が戻ってくる。

 

「ただいまー、将吾くん……ってあれ、なんか買うたん?」

「いや、まだ何も。手は綺麗になったか?」

 

 ︎︎彩葉は特に疑う様子もなく「うん」と頷き、そのまま再び店内を見回し始めた。

 ︎︎俺は裾の中身を少し気にしながら、その後ろをついていく。

 

 

 ︎︎彩葉はすぐにイルカのぬいぐるみコーナーへ食いつき、「かわいい〜!」と小さくはしゃいでいた。

 ︎︎そして次に視線を向けた先で、二人揃って思わず足を止める。

 ︎︎そこには、自分の背丈より遥かに大きなオオサンショウウオの特大ぬいぐるみが鎮座していた。

 

「……うわっ、でかっ。これ持って帰れるんか?」

 

 ︎︎どうやら人気商品らしい。

 ︎︎確かにインパクトは凄まじいが、こんなものを買った客はどうするつもりなのだろう。まさか本当に抱えて帰るのか。

 

 ︎︎……だが、その可愛らしさと奇妙さが同居した独特な造形には、妙に惹かれるものがあった。前世の俺なら、友人との悪ノリで普通に買っていた気がする。きっとそうだ。危なかった。

 

「お、迎えの人着いたって」

「あら、ほなパパパーっと駐車場行かなかんなぁ」

 

 ︎︎胸元で振動した携帯電話をパカッと開く。

 ︎︎佐々木から届いていたのは、“駐車場に着いたようです”という短いテキストだった。

 ︎︎彩葉はケロッとした顔で特大オオサンショウウオから視線を外し、そのまま出口へ向かって歩き出す。俺も裾の袋を気にしつつ、その後を追った。

 

 ︎︎ショップを抜け、短い通路を進むとエントランスが広がる。どうせならあの気の良い館長のオッサンにも挨拶していこうかと思ったが、姿が見当たらなかったので諦めた。

 

 ︎︎代わりに居た数名のスタッフへ軽く会釈しつつ、俺たちは水族館の正面出入口を抜ける。

 

「ぐぅー……!」

 

 ︎︎腕を伸ばし、大きく背伸びをする。

 ︎︎館内の冷気とは打って変わり、蒸し暑い外気が一気に身体へまとわりついた。それでも、館内にあった屋外エリアとは違う開放感があり、梅小路公園を行き交う人影が朝より増えているのが見える。

 

 ︎︎胸の奥に、ほっとした安堵が広がった。

 ︎︎これで、当初の予定通りに彩葉の誕生日祝いを進めることができた。

 ︎︎桜庭が緊急任務で途中離脱するという予想外の事態こそあったものの、館内での彩葉絡みのトラブルは一切無し。妖怪も不審者も現れなかった。

 

 ︎︎これなら公威や佐々木にも気持ちよく報告できるし、向こうも安心してくれるだろう。

 

「うち、ちょっとお腹すいてきたわ」

「ま、もう正午過ぎだしなぁ。さっさと帰ってメシ食うか」

「今日のお昼は?」

「確か刺身定食みたいな献立だったはず」

 

 ︎︎今朝、冷蔵庫に貼られていたメニュー表をちらりと見た記憶を伝えると、彩葉は嫌そうではないが、それに近い何とも言えない微妙な表情を浮かべた。

 

「水族館行った後に海鮮かい……」

「料理長に言え、料理長に」

 

 ︎︎たしかに気持ちは分からんでもないが、俺に言われても困る。

 

 ︎︎そもそも俺は普通に刺身が食いたい。それに昼はともかく、夜はもっと豪華な献立になっているはずだ。なにせ今日は彩葉の誕生日なのだから。

 

 ︎︎加えて、確かケーキも用意されている。

 ︎︎抹茶好きの彼女に合わせ、宇治抹茶を練り込んだスポンジとクリームを使ったケーキを、パティシエ資格まで持っている料理長が朝から仕込んでいた。

 ︎︎……とはいえ、それを今ここでわざわざ口にするほど、俺も無粋な男ではない。

 

「あー、楽しかった。ええもん見れたわ」

「それなら良かった」

 

 ︎︎行きに歩いた道を、今度は逆向きに進んでいく。

 ︎︎彩葉は満足そうに扇子の風を浴びており、その横顔からでも分かるほど機嫌が良さそうだった。

 ︎︎そんな喜色満面の表情を見ていると、自然と俺の口元も緩んでしまう。

 

「……」

「……」

 

 ︎︎人が行き交う。

 ︎︎家族連れ、一人旅らしき観光客、外国人グループ。喧騒に満ちた梅小路公園周辺は、流石は日本有数の観光都市と言うべき賑わいだった。

 

 ︎︎この時代であっても、この世界であっても、京都という街の人気は確かなものだ。

 ︎︎だが、その騒がしい人々の声は、胸の奥に広がっていた妙な気恥ずかしさを誤魔化すのに、ちょうど良かった。

 

「……彩葉」

「んー、どしたん?」

「ほれ」

 

 ︎︎着物の裾から袋を取り出し、そのまま軽く放る。

 ︎︎彩葉は、地面に落ちかけたそれを慌てた様子で受け止めた。

 

「ちょ、なんや。危ないなぁ。いきなり人に物投げたらあかんで? まったく……ん?」

「それ、やるよ。俺からのプレゼント」

「……!」

 

 ︎︎彩葉の目が、ぱちりと見開かれる。

 ︎︎袋を抱えたまま、彼女は数秒ほど固まっていた。まるで、自分が今何を渡されたのか理解するまでに、少し時間が掛かっているみたいだった。

 

「これって……」

「チンアナゴのぬいぐるみ。今の俺の所持金じゃ、その小さいのがギリだったわ」

 

 ︎︎頭を掻きながら、ぶっきらぼうにそう答える。

 ︎︎俺は佐々木から毎月三千円ほど小遣いを貰っている。小学生にしては十分多い額だろうが、何万も貰っている彩葉と比べれば差は歴然。羨ましいったらありゃしない。

 

 ︎︎まあそれはともかく、俺自身も学校以外で屋敷の外へ出る機会がほとんど無いので、使い道そのものが少ないのだ。大半は“西ノ宮家から逃げ出す時の軍資金”として貯金へ回している。

 

 ︎︎そんな中、自由に使える手持ちとなると、せいぜい千円少々程度だった。

 

 

 ︎︎誕生日プレゼントくらいは、自分の金で買いたい。

 ︎︎そんな半ば自己満足みたいな理由で、佐々木から預かっているクレジットカードは使わなかったのだが……当然、予算が少なければ選択肢も限られる。

 

 ︎︎そうして悩んだ末に選んだのが、この手乗りサイズのぬいぐるみだった。しかも、今日の彩葉が水槽の前で妙にテンションを上げていたチンアナゴである。

 ︎︎あの妙に腹立つ間抜け面には正直若干イラッとしたが、彩葉が可愛いと言うのなら、まあこれでいいか──そう思って決めた次第だ。

 

「将吾くん」

「なんだよ、返品は受け付けないぜ」

「そういうことやなくて! ……水族館もプレゼントも、ありがとうって」

「ん」

 

 ︎︎彩葉は袋からそっとチンアナゴのぬいぐるみを取り出した。

 ︎︎小さなそれを両手で抱えるように持ちながら、どこか嬉しそうに目を細めている。

 

 ︎︎その顔を見ていると、わざわざ自腹を切った甲斐くらいはあったのかもしれない──なんて、少しだけ思った。

 

 




今回は短めです。それと、色々と書くのが大変だった水族館回はこれで終わり。

あとコメントいつもありがとうございます、返信はやめてますが全て目を通してます。すごい励みです。
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