乙女ゲー世界に転生したらラスボス系悪役令嬢(ガチ)の付き人になった話   作:ヤナギ

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EP6〈地獄の始まり〉

 

 

 

 

「陸浦くん、荷物を部屋に置いたら離れにある道場に来てください」

「……道場ですか?」

「ええ。彩葉様が普段、日本舞踊や護身術などの稽古に使っている道場です。今回は彩葉様も見学なされるようなので、一緒に来てください」

 

 ︎︎屋敷に着くなり道場に来て欲しいとは何事だろう。

 ︎︎俺は佐々木の意図が掴めず首を傾げたが、彩葉が「ほな」とそそくさと車をおりてしまったので彼に聞くタイミングを逃す。

 

 ︎︎西ノ宮家とは犬猿の仲な錦戸家の娘と話している場面を見られたからには、それなりにお叱りの言葉を貰うかと俺は思っていたのだが、佐々木も彩葉も車内ではそれについて何も言わなかった。学校がどうこうだとか、そんな単なる世間話で終わっていたのだ。

 

 ︎︎なので俺は僅かに安堵していたのだが、その矢先に佐々木の「道場来いや」発言である。

 ︎︎これが恐怖でなくてなんと言うのか。錦戸家と仲良くするなんて何事かと折檻されそうで段々と身体が震えてきたが、外で黙って突っ立っている訳にもいかない。

 

 ︎︎既に屋敷の中に帰っていった彩葉を追い、俺も小走りで自室に向かう。

 

 

 ︎︎彩葉の部屋と俺の部屋は、廊下を挟んで対面にある。

 ︎︎プライバシー的にどうかと思うが、この部屋を区切るのは薄い障子で隔てられているだけの襖であり、部屋の中の音はダダ漏れだ。仮にAVでも見ようものなら一瞬で分かってしまうだろう。低年齢なのもあってか不思議と性欲は湧いてこないし、そもそも今はパソコンもスマホも持っていないので見ようがないが。

 

 

 ︎︎しかし彩葉の部屋はしっかり扉がついている辺り、俺と彩葉の格差を感じる。まあ小学生といえど年頃の女の子にとって中の音丸聞こえという状態は嫌だろうし、それ自体は理解できるが、どうせなら俺もちゃんとした部屋で寝たいものだ。

 

 ︎︎私物も大してない簡素な和室で制服を脱ぎながら、壁にかけられたラックにハンガーでかけた。そして元から置いてあった高そうな桐箪笥の中から着物と袴を取り出す。

 

 

 ︎︎ここに引っ越してきて最初に佐々木に言われたのが、屋敷の中では基本的に着物で過ごすようにという事だった。何故かと聞けば公威の方針らしい。

 

 ︎︎あの爺さんは和風の物が大好きだし、洋室なんて二部屋くらいしかこの屋敷にはないので、雰囲気的にも洋服より和服の方が合ってるのはわかる。

 ︎︎先月初めて来た時など、半袖短パンの俺の場違い感が半端なかった。

 

 ︎︎俺は前世でも今世でも着物を身につけた経験はないが、これが案外動きやすく、佐々木から貰った彼のお古の着物は早くも俺のお気に入りになっていた。彩葉も普段は着物で過ごしているようだから、彼女の付き人予定の俺もそれに倣うべきだろう。

 

 ︎︎着付けや帯の結び方などは佐々木に教えてもらったばかりなので、不慣れではあったものの、それなりの早さで着替えを済ませ、部屋を出た。ちょうど彩葉も出てきたようで、彼女はとても楽しそうな表情で近寄ってきた。

 

「将吾くん、将吾くん、ちょっとええかな?」

「なんだよ」

 

 ︎︎どうせこの後の予定とやらについてからかってくるのだろうと思い、ぞんざいな態度で応対する──しかし、直後彩葉が訊ねてきたその内容に、俺の身体はピキッと硬直した。

 

「──楽しかった? 錦戸の子と話すの」

「──」

 

 ︎︎……さて、なんて言い訳をしようか。

 ︎頭をフル回転させて、彩葉の機嫌を損ねないような言い訳を考える。

 

 ︎︎車内で二人に何も言われなかったからといって安堵するには早かったらしい。道場に呼ばれたことといい、やっぱり何かしらの叱責でもされるのだろうか。

 

 ︎︎佐々木については後回しだ。今は彩葉をどうにかしなければ。

 

 

 ︎︎こちらを見る彼女の顔はとても楽しそうで、雰囲気も普段と変わりない。けれど彼女の凛とした声のトーンやそこに込められた感情を掴み取ると、逆にその矛盾した立ち振る舞いには恐怖しか感じない。

 

 ︎︎小学四年生。俺にとっては遥か歳下の存在であるにも関わらず、彩葉の有無を言わせぬその双眸は、俺の思考回路に少なくないエラーを引き起こすのには十二分な迫力があった。

 

「……別に楽しい訳じゃなかったぞ」

「そう?」

「ああ、二人を待たせてたしな。話の内容もよく分かんなかったし」

「なんて言われたん?」

「俺と西ノ宮家の関係とか、そんな感じ。付き人について言っていいか分からなかったから俺は何も言ってないけど」

 

 ︎︎嘘では無い。

 ︎︎事実、錦戸沙耶香に聞かれたのはそれくらいだけだった。それに関する俺の対応についても嘘や誤魔化しはない。やたら鋭い彼女のことだ。仮に嘘を言おうものならすぐに気付かれるだろうから、本当のことをありのまま答えるのが正しい。

 

 ︎︎まあそれだけではなく、錦戸は西ノ宮家の体制を古いと断じてあからさまに見下してはいたが──そこまでわざわざ伝える必要はないだろう。西ノ宮に批判的な人物に同調したと思われても俺が困るだけだ。

 

 ︎︎あの嘲笑的な言動といい、メガネをかけた外見といい、敵側だが割と善人なキャラだった原作の彼女の面影はなかったが、8歳児なんてそんなものだろう。純粋だから良くも悪くも環境に染まりやすい。錦戸という特殊な家庭環境なら尚のこと。

 

 ︎︎彼女と彩葉個人との関係はよく分からなかったが、別れ際の最後の忠告──あの発言内容的に、彼女の方が彩葉を避けているような印象を受けた。

 

 ︎彩葉はどう思っているのだろう。

 ︎︎反りが合わない、と彼女は一言だけ口にした。そんな彼女が錦戸と俺が話していたことについてどう考えているのだろう。

 

「……」

 

 ︎無機質な視線が貫く。その目には何の感情も乗っていなかったが、俺は逸らさず見つめ返した。ここで逸らせば隠し事があると言っているようなものだ。

 

 ︎︎数秒間の沈黙の後、彩葉はそれまでの表情を崩して大きなため息をついた。張り詰めた雰囲気が一気に霧散し、張り詰めていた俺の身体中の筋肉が緩まった。

 

「はぁ……クラスメイトなんやし別にあの子と話すな、とまでは言わへんけど、あんたはうちの付き人になるんやで? 西ノ宮の人間が”錦戸”と仲良くするっていうことの意味を分かってはる?」

「悪い」

「……まあ、うちも佐々木もお家関係を全然説明してなかったし、何も知らんあんたを責めるのもあれか……。折角や、道場つくまで教えたる。佐々木も多分もう待っとるし歩きながら話そ」

 

 ︎︎そう言って佐々木が待つ道場に向かいながら始まったのは、西ノ宮家、錦戸家、そして両家がお互いに抱く遺恨や確執についての話だった。

 

 ︎︎原作や公式ファンブックでもあまり取り上げられることがなかったその歴史を聞いて、俺は自分の認識の甘さをようやく痛感させられた。

 

 

 ︎︎平安時代中期から始まった西ノ宮家と錦戸家。

 ︎︎当時の平安京は妖怪による被害が今よりも遥かに多く、数多の人命や財産が喪われていた。両家は互いに朝廷と都の安寧秩序を守るために一致団結して退治に当たっていたらしい。現代に繋がる妖怪退治組織を創設したのも彼らによる所が大きい。

 

 ︎︎その盟友ともいえる両家の関係が一変したのはそれから暫く経ってのことで、平安時代末期に勃発した治承・寿永の乱が何よりの契機となった。というのも錦戸家が源氏側、西ノ宮家が平氏側として互いの敵勢力に与しこの合戦に参加したためである。

 

 ︎彼らはそれまで仲良くしていた反動もあり、目的を同じにする同胞から不倶戴天の怨敵になり、また壇ノ浦の戦いで平氏が破れ滅亡したことが決定打となり関係は修復出来ないほど悪化。

 

 ︎︎関ヶ原の戦いが代表的な、豊臣と徳川による天下分け目の大合戦が終わるまで数百年間、西ノ宮家は畿内を離れて尾張に住む事を余儀なくされた。

 

 ︎︎徳川家康による江戸幕府の治世が始まってようやく京へ戻ることが叶った西ノ宮だが、既に尾張に土着して何百年も経っていたから、もはやかつての合戦の恨みはなかったという。

 ︎︎それまで東海道を中心に独自の妖怪退治を行っていた彼らが組織に正式復帰したのはその頃で、彩葉曰く陸浦家が西ノ宮に仕え始めたのもだいたいこの時期らしい。

 

 ︎︎錦戸としても治承・寿永の乱によって西ノ宮を京から追放したことは本意ではなかったので、双方が歩み寄り、それから幕末になるまで両家には融和ムードが続いていた。

 

 ︎︎そして今度は佐幕か倒幕かで意見が割れてしまい、何度目か分からない一触即発状態に逆戻りしたらしい──が、妖怪勢力の方で色々あったらしく、そのときは人間勢力が二分されるような事態にはならなかったようだ。

 

 

 ︎︎そして90年代初めのテロ事件──俺の前世では存在しなかったその事件が発生したことを契機に、両家は互いの関係が修復できないほどに悪化してしまったらしい。

 

 ︎︎このテロ事件。

 ︎︎公には極左暴力集団による反日テロとされていたが、実際は反人間主義を標榜する妖怪の過激派グループによって起こされたものだったようだ。

 ︎︎この事件の対処に際して真っ向から対立した西ノ宮と錦戸により、組織は分裂の危機に陥った。

 

 

──結局、ひと月も経たず実行犯を捕まえることに成功した西ノ宮に軍配が上がり、組織は西ノ宮を筆頭とするタカ派が主流となった。

 

 ︎︎錦戸率いるハト派は「弱腰」「軟弱者」と非難されながら少数派へと転じ、今でも虎視眈々と西ノ宮の弱体化を狙っている、とのことだった。

 

「……」

 

 ︎︎そんな両家の歴史を語った彩葉の横顔からは、俺は何の感情も読み取れなかった。錦戸への嫌悪も、西ノ宮への愛着も抱いていない様に見える。

 

 ︎︎俺にとって、その態度には違和感しかない。

 ︎︎なぜなら原作では、彩葉は錦戸沙耶香に対して非常に当たりが強かった。そして西ノ宮という家へ帰属心やプライドが高く、何かと口喧嘩していたはずだ。

 

 ︎︎だが現実の彼女は──まだ原作の八年前とはいえ──錦戸への敵対心も全然なさそうだし、プライドが高いと感じるような言動はさほどない。

 

 ︎︎西ノ宮を見下していた錦戸沙耶香とは違い、まだ彼女は西ノ宮に染まりきっていない、という事だろうか。何がどうなってあの苛烈な性格の悪役令嬢になるのか俺には全く分からないし、何があれば錦戸沙耶香がああも対照的な善人キャラになるのかも今は全く分からない。

 

 ︎︎原作では彩葉という1人の人間を深堀りすることもなく、妖怪によって呆気なく退場させられていたからだ。錦戸沙耶香についても、西ノ宮家と対立している家の人間というだけでさほど掘り下げはなかった。

 

「まあこんな所やね。他にも色々あったけど、それはまた今度教えてあげる」

「……(いや、というか普通にヤバくないか俺?)」

 ︎︎原作とは互いに真逆ともいえる性格。

 ︎︎彩葉が原作よりも比較的穏やかなこと、そして錦戸沙耶香が若干性格が悪そうなことは気になったが、俺は俺自身の迂闊さに今更ながら戦慄していた。

 

 ︎︎原作の八年前にあたる現在の彩葉が、仮に原作と同じ性格だったらどうだろう。半ば強引に引き止められたことはともかく、俺が西ノ宮と対立する錦戸と話していた事実は間違いない。

 

 ︎︎危なかった。

 ︎︎その一言に尽きる。ブワッと湧き出た冷や汗が背中を伝った。

 

「……あの子、強引やったやろ?」

「錦戸か?」

「うん」

「……強引だったな」

 

 ︎︎錦戸沙耶香──人間に擬態できる知能を持つ一部の高度な妖怪に対しては温和な態度であり、妖怪との共存を目指す原作主人公の主張にも理解を示していたキャラクター。

 

 ︎︎周りに取り巻きばかりしかいなかった彩葉とは違って、友人といえる者が多く居たのを覚えている。清楚な雰囲気や優しい性格から、登場回数の割にはファンからの人気も非常に高かった。

 

 ︎︎けれど今日会った彼女は違う。

 ︎︎確かに真面目そうではあったが、錦戸家の影響を受けているのが丸わかりだ。原作ではあそこまでストレートに西ノ宮を見下すような発言はしなかった。

 

 ︎︎原作のような清楚でお淑やかなご令嬢というよりも、生真面目でお堅い風紀委員タイプに俺には見えた。

 

 ︎︎彩葉も含めて原作の八年前と考えればおかしくは無いが、やはりかつての印象がある故に違和感を覚える。二人に一体なにがあったのだろうか。あれほどの人気作なら敵の掘り下げもしてくれたら良かったのに、と前世の公式へ不満を抱く。

 

「ははっ、うちの時もそうやったわ。入学したてのときあの子とクラスが一緒でな。西ノ宮さんとお友達になりたいって声かけてきたんやけど、錦戸と仲良くするなんて無理や言うたらキレられたわ。そっから事ある毎に突っかかってくるようになってなぁ、もう今じゃ全く話さへん」

「そりゃそうだろ」

「そやろか」

「あぁ」

 

 ︎︎……なるほど、やけに彩葉を嫌っているように見えたのはそれが原因か。俺は今の話を聞いたばかりなので彩葉の返事には理解できるが、仮にも仲良くしたいと歩み寄ってきた相手なのだからもう少し言い方は何とかならなかったのだろうか。

 

 ︎︎錦戸も錦戸で、彩葉に対する陰口紛いの忠告をわざわざ俺に言ってきていたし、無遠慮なこの辺りは二人ともやはりまだ小学生なのだなと思う。

 

「……ここが?」

「うん。うちの道場」

 

 ︎︎そんな話をしているうちに、佐々木が待つ西ノ宮家の道場に辿り着く。一見すると単なる家屋にしか見えなかったが、窓から見える中の様子はかなり広く、確かに道場であった。

 

 ︎︎普段、彩葉はここで日本舞踊や琴の稽古をしているらしい。玄関から靴を脱いで入り、中へと進む。一面に広がる畳の上には、佐々木が壁にかけられた日章旗の前で座禅を組んで目を瞑っていた。

 

「おや、意外と早かったですね」

 

 ︎︎俺たちが入ってきたことに気づいたらしい佐々木が振り返り、笑顔で話しかけてくる。俺は彩葉と共に佐々木の方へ近付いた。

 

 ︎︎佐々木は普段の神職のような格好ではなく、真っ白な柔道着を身につけている。柔道着の上からも分かる筋肉質な身体もあり、黒い帯で締められたその姿には妙な迫力があった。

 

 ︎︎座ってください、と言われたので佐々木の前に正座する。彩葉は壁際の方に置いてあったパイプ椅子に座った。

 ︎︎やはり錦戸の件で怒られるのだろうか、と内心ビクビクしながら佐々木を見つめると、彼は困ったように眉を下げる。

 

「ははっ、別に叱るわけではないので大丈夫ですよ。沙耶香様には話しかけられただけなんでしょう?」

「……まあ、そうですけど」

「今日キミを呼んだのはソレとは別件ですのでご安心を」

 ︎

 ︎︎いくら本人が叱責しないと言っても、わざわざ柔道着で出迎えてきた佐々木に俺が安心などできるはずも無い。けれどそう言われたからには表面上は安心した風を装った方がいい気がして、俺はわざとらしく肩を落とした。

 

「さて、将吾くん。キミは16歳頃になったら正式に彩葉様の付き人になる訳ですが──付き人の役割についてはご存知ですか?」

「彩葉の警護、ですよね」

「はい。今後、キミや彩葉様が妖怪に襲われることがあるかもしれません。それに西ノ宮家は色々と敵が多いので、何処ぞの人間に襲われるという可能性もあります。そのとき彩葉様を身命を持って御守りするのがキミの役目です」

 

 ︎目を逸らしたい事実を改めて突きつけられて、俺はどうしようもなく嫌な気持ちになった。

 

 ︎︎俺の命は俺の為だけに使いたい。誰かのために使うのなんて真っ平御免だ。それが例えそれなりに親しくなった彩葉であってもである。西ノ宮と錦戸の確執は彩葉の説明のお陰で多少は理解したが、俺はまだ錦戸沙耶香に取り入るという可能性を諦めたわけではない。

 

 ︎︎しかしそれがかなり難しいことも同時に分かっていた。

西ノ宮に仕える陸浦に、彩葉と同い歳で生まれているということは目の逸らしようがない現実である。

 

 ︎未来は不確定だが、原作と同じようにこの世界が進んでいくならば西ノ宮家の壊滅は避けがたい。終わることが分かっている家のために死ぬなど御免だ。

 

「──とはいえ、キミもまだ彩葉様と同じ小学四年生。もちろん公威様も私もまだそこまでの事は求めていません。けれど正式に付き人になった際に何も出来ないのでは話にならないので、私が将吾くんのお目付け役になったということです」

「……その、それはつまり?」

「この姿を見れば分かるでしょう? これから週に4回、武道の稽古をキミにはしてもらいます。妖怪には通じませんが、戦える術はあった方がいい。ということで、私の得意な柔道を教えます」

 

 ︎︎まさかな、と思いながらも逃避していた嫌な予感が的中してしまった。猛烈にこの道場から逃げ出したくなったが、有無を言わせぬ佐々木の目線に俺は口を噤むしかない。

 

 ︎︎これから週四で柔道をやれ、といわれても正直嫌でしかなかった。痛いのは嫌だし、そもそも面倒くさいことこの上ない──ただその必要性については俺も重々承知している。

 

 ︎︎妖怪たちはみな常識外の力を持っているし、その中でも人間を敵視するような連中に何の対抗手段も持たずに遭遇してしまえば、原作終盤に西ノ宮家を捨てて逃げ出すどころか、その前に呆気なく殺される可能性だって無きにしも非ずだ。

 ︎︎だから佐々木が稽古を付けてくれるというのは、そういった面では渡りに船ではあるのだが──。

 

「こう見えて私、高校の頃は柔道が結構強かったんです。必ずやキミを、強く立派な男に鍛え上げましょう」

「……何言うてんの? 今も強いやろあんた。つい数ヶ月前に日本代表と試合して平然と勝っとったやないの」

「あれは単に相手側が先輩(わたし)の顔を立ててくれただけですよ、彩葉様」

「あんたら結構ガチな顔してたけどなぁ……」

 

 ︎︎怖い。

 ︎︎何が怖いって平然とこんな会話をしている佐々木と彩葉である。なんだよ日本代表と試合して勝つって。全くもって意味がわからない。そしてそんな強い相手が俺の稽古をこれから始めるというのも、僅かなやる気を更に削いでいた。

 

 ︎︎痛め付けられるのがオチだ、間違いない。

 

「さて、それはともかく──早速始めましょうか、将吾くん」

「……ぇ?」

「こちらにキミ用の道着を用意してあります。着替えて下さい」

 

 ︎︎そう言って手渡された真新しい道着は、ずっしりとした重さがあった。困惑しながら佐々木を見るも、彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままである。

 

 ︎︎縋るように彩葉を見た。彼女も愉しそうに笑っていた。

 

「頑張りや〜」

「──……クソったれ

 

 ︎︎この二人に逆らう術も逃げる術も思いつかなかった俺は、ヒクヒクと口角を震えさせながら大人しく着替え始めた。

 

 ︎

 

 

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