その日、周が買い物から戻ってきて、買ってきたものを受け取った真昼は、あれ、と首を傾げた。
「周くん、これ、春キャベツですね」
その言葉に、今度は周が首を傾げる。
「ああ、ええと……要は春に収穫されたばかりのキャベツです。種をまく時期が違って、普通のキャベツより柔らかくて、生で食べても美味しいのですけど、名前の通りこの時期しか食べられないんですよ」
「そういえば聞いたことがあったような……すまん、キャベツってだけで気にしていなかった。なんかでっかいなぁ、とは思ったんだけど」
春キャベツとキャベツは、もちろんどちらも同じキャベツではあるが、大きく違うのはその見た目だ。
普通のキャベツは身がしまっていて、ほぼ楕円形のような外観だが、春キャベツは葉がふわふわしていて、ともするとレタスのように葉が広がっているものがある。
周が今日買ってきてくれたのも、そういう春キャベツだった。
「なんか産地直送の特売、とかなってたから、手に取ってしまって」
「大丈夫です。キャベツはキャベツですし……でも、折角こんな大きな春キャベツがあるなら……うん、少しメニュー変更します」
やわらかい春キャベツは、普通にキャベツとして使ってもいいが、やはりそれに向いた、より美味しい食べ方がある。
今日の主菜はキャベツと鶏肉の煮込みの予定だったが、変更することにした。
真昼はさっそくキャベツに着いたテープを剥がして捨てると、キャベツをまな板の上に置く。
周が手伝えることがなさそうだ、とソファの方に向かうのを見送って、真昼は包丁を握ってキャベツをとりあえず真っ二つにし――。
何かが、蠢いた。
「きゃああああああああ!!!」
直後、真昼は盛大な悲鳴を上げていた。
「真昼、どうした!?」
ソファに座りかけていた周が、駆けつけてくれたのだろう。
へたりこんだ真昼を心配そうにのぞき込んでいる。
「ご、ごめんなさい。その、虫が……」
「虫?」
真昼が指さす先に、一センチメートルにも及ばないくらいの小さな虫が蠢いている。
「ごくまれに、春キャベツって虫が中にいることがあるって、知ってはいたのですが……すみません、ホントに、びっくりしちゃって」
「いや、まあ突然出てきたらびっくりするよな。大丈夫か?」
「は、はい……」
そう言って立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気が付いた。
情けないことに、腰が抜けてしまっているらしい。全く踏ん張りがきかない。
「真昼?」
まるで生まれたての小鹿のようにプルプルとしている真昼に、周が心配そうに声をかけ、立ち上がるのを手伝ってくれる。
それはいいのだが――
(か、顔が近い、です)
背中から腰に腕を添えて支えてくれているので、顔が至近距離と言っていい。
しかし、彼はおそらく本当に心配してこのようにしてくれているのだから、自分だけが意識してしまっている、と分かってそれがとても悔しく思えた。
「あ、あの、大丈夫です、から」
「いや、なんかまだふらついてるぞ。無理はするなよ、真昼」
今震えてるのは、むしろ近すぎる顔のせいなのだが、周がそれに気づいている様子はない。
いつもであれば、この距離だと照れて顔をそむけるというのに、なぜこういう時は本当に鈍感なのか。
(鈍感っていうか、今は私を助けることに集中してくれているんでしょうね……)
周の女性に対して常に配慮を欠かさない、という性格が、今は照れたりするよりまず真昼を助け上げることを優先してるからこその行動なのだろう。
それはいいが、助けられる方としては――周のことが好きな身としては――この状態で平常心を保つのは困難を極める。
なんとかキッチン台に手を置くと、ふぅ、一息。
さらにもう一度深呼吸。
そうしていると、大丈夫と判断したのか、周が手を放してくれたので、ようやく落ち着いた。
「お騒がせしました。もう、大丈夫です」
「みたいだな。でも、無理しなくていいぞ?」
「だ、大丈夫です」
さすがに足の力は戻っていた。
その様子を見ると、周はティッシュで虫をつかんで丸めて、ゴミ箱に入れる。
「あ、ありがとうございます……」
「ああ、いや。まあしかし、真昼も苦手なモノ、あるんだな」
「そりゃ、突然虫が出てきたら……驚きますよ」
虫が特に苦手ということはないが、かといって好きかと言われたら否だ。
真昼は台所の天敵とも云われるあの黒光りする『アレ』に遭遇したことはないが、もししたら、やはり生理的嫌悪感は感じるだろうし、そもそも虫が平気、という女性はほとんどいないだろう。
「まあ、俺も昔は虫取りとかしてたけど、気づいたら苦手……とまでは言わないけど、あまり触ろうとはしなくなってるしな。そんなもんか」
「むしろ女性で先ほどの状況で平然としてる人は、少ないと思います。私が弱虫ってわけじゃありませんから」
情けないところを見られてしまったのが悔しくて、わざと不機嫌そうに言ってみる。
が、それがわざとである、とどうやら見抜かれているのか、周はただ笑っていた。
「む……なんでそこで笑うんですか」
ぽかぽかと彼の二の腕を叩く。
周は笑いながら、機嫌取りだろうか頭を撫で始めてくれて、それで真昼は手を止めた。
「まあ、真昼に何事もなくてよかったよ」
それは本当に真昼を心配していた、と分かる声音で。
実際、包丁を握っている時のハプニングだったから、心配したのだろう。
「ありがとうございます、周くん」
思わず抱き着きたくなる衝動を抑えて、真昼は頭を撫でられるまま目を閉じていた。