「椎名さん、クリスマスイブ、もしくはクリスマス、予定空いてないですか?!」
廊下を歩いていた真昼は、男子生徒に呼び止められて足を止め、振り返ったとたんに、そんな言葉をかけられた。
あくまで学校用の笑顔をそのまま崩さないようにしつつ、心の中で嘆息する。
(いつからでしたっけ、こういう人がこの時期に来るようになったのって)
子供の頃まではそういうことはなかった。
元々勉強も運動もクラスでもトップクラス――水泳は除くが――だったし、親に気に入られたくて、自分磨きも欠かしたことはない。
結局それは徒労に終わっているが、一度習慣付いてしまったそれを続けるうちに、小学生の頃は主に保護者から陰口をたたかれるようなこともあったからか、同世代からもやや敬遠されていた。
変わったのは小学生の高学年頃。
その頃から、真昼は今の『天使様』のガワを纏い始めたのだ。
その結果、特に男子生徒からはとても人気がある状態となり、声をかけられることが多くなった。
クリスマスなどのイベント毎に男子生徒から誘いを受けるようになったのは、中学に上がった頃だ。
ただ、真昼自身は男性とお付き合いすることなど到底考えられないので、適当な理由をつけて常に断っていた。
家に遊びに来るほどに親しい同性の友人もいなかったため、クリスマスなどのイベントでは、常に一人だった。
そういう人間関係に嫌気がさしたのと、両親がほとんど帰ってこない家にこれ以上いたくなかった、という理由から、真昼は遠方の比較的ランクの高い、今の学校をわざわざ受験し、進学したのである。
水泳が必修ではない、というのも重要なポイントだったが。
家を出るにあたって、当然一人暮らしのために親の同意は必須だったのだが、恐ろしく投げやりに許可された。
ある意味ありがたかったが、それも真昼の心をえぐったのは間違いない。
もっとも、いわゆる『高校デビュー』でこれまで中学生の間に積み上げてきた優等生の椎名真昼、というという外面が変わるはずもなく、前の学校と同様に振る舞っていたら、いつの間にか『天使様』などという恥ずかしい呼び名まで付けられてしまっているのだが。
自分の容姿が優れているのは自覚があるし、こうやっていたらこうなる、ということはわかっていてもやめられないあたり、自分は馬鹿なのだろう、とは思う。
ただ、最近はその『天使様』のガワを纏わなくてもいい場所があることが、真昼にとっては救いになっている。
「どうでしょうか、椎名さん。僕たちと一緒にクリスマスのパーティをする、というのは」
一瞬、過去のことを思い出していた真昼は、目の前にいる男子生徒に声をかけられて、現実に戻ってきた。
人数は五人ほどか。さらに遠巻きに見ている生徒が、男女合わせて十数人。
だが、そもそもの話で、真昼は今目の前にいる男子生徒の名前すら知らない。
それで、もう冬休みに入っているクリスマスイブやクリスマスに、なぜ会おうと思うのか。
先日周と会話した時に教えられたような下心が、確かに見え隠れしているように思う。
真昼にとってはむしろ嫌悪すら感じるものだ。
それに。
「すみません、他の方との約束がありますので、予定は空いてません。無理ですね」
今年は、周と過ごす約束をしている。
イブはいつも通り夕食を、クリスマス当日は昼からゲームを一緒にやる予定だ。
テレビゲームは家になく、今まで一度もやったことがないので、真昼としては実はかなり楽しみにしている。
「えっ……それはいったいどこの誰……」
「では、失礼します」
質問に答える気はない、と言わんばかりに、真昼は踵を返して教室に戻る。
後には、打ちひしがれた様になっている――あるいは本当にがっくりと膝を落としている――生徒がいたが、それはもう真昼の知ったことではなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そういえば、お友達って誰でしょうね」
夕食の仕込みを一通り終えた真昼は、隣の部屋に意識を向けた。
もっとも、防音性能の高いこのマンションでは、隣の部屋の音などは聞こえないが、今頃クリスマスパーティーの最中だろう。
確か『樹達が来る』と言っていたから、少なくとも二人以上は来るのだろう。
周の性格的に、何人も友人がいる、というのはちょっと考えにくい。
樹、というのはおそらく周と同じクラスの赤澤樹だろう。
前に差し入れに行ったときにも来ていたから、多分間違いない。
結構目立つ存在のため、真昼が名前を――成績上位者以外で――知る、数少ない他クラスの生徒だ。
確か別のクラスに付き合っている女性がいて、その熱愛っぷりがよく噂になっている。
どうして学校でまでそんな風に振る舞えるのだろう、と思ってしまうが。
そもそも他クラスにまで噂が広まるほどの樹と周が友人であるのも不思議な気がするが、伝え聞く通りの人物なら、あるいはクラスで孤独にしていた周を放っておけなかった、ということかもしれない。
周がクラスで孤独にしている、というのは大変失礼な真昼の印象だが、そう間違っていない気がする。
だとしても、わざわざクリスマスにお邪魔する、というのは相当に仲がいい、ということだろう。
ただ、そういう友人の数はあまりいないと思う。
周のように高校生で一人暮らしをしている人は少ない。
学校からの距離はそれなりにあるとはいえ、徒歩圏内ではあるから、仲のいい友人が多数いれば、たまり場などに使われそうだが、これまでのところ、数回樹という友人は来ていたようだが、それ以外が訪ねてきた様子はないので、友達が少なそう、という評価は正しいだろう。
けれどその分、信頼できる友人関係を構築できているなら、問題はない。
すっかり準備の終えた台所を、後で楽なようにと片づけていると、わずかに寂しいと感じていることに気付く。
一人の台所など、以前は当たり前だったのに、それが寂しい、と感じるのは、真昼にとっては意外だった。
実際、ここ一ヶ月あまり、自分の家より周の家で料理していることの方が多い。最初は平日の夕食だけだったが、最近は休日でも昼食を一緒に食べることも増えた。
一人分しか作らない、というのは最近かなり少なくなっていて、まして、今日のようにまるまる二人分作るのは、何気にこの台所では――作り置きは別にすると――初めてかもしれない。
それくらい、周と食卓を共にすることが当たり前になっているのは、とても不思議な気がすると同時に、もう、一人だけの食卓には戻りたくない、と思っている自分がいることを自覚する。
元々真昼は、クリスマスや正月が嫌いだった。
真昼にとっての心の支えでもあった小雪だが、彼女はあくまで仕事として来ていたに過ぎない。
真昼を最大限尊重はしてくれていたが、クリスマスや正月ともなれば、当然彼女自身の家族を優先せざるを得ず、クリスマスや正月は、彼女が作り置いてくれたものを食べるのが常だった。
いわゆる『クリスマスパーティー』などというものを経験したことは、一度もない。
そういう一般的には『家族と過ごす』イベントは、真昼にとっては『一人で過ごす』時間にしかならなかったのだ。
だから、周がクリスマスに一緒に過ごそう、と言ってくれたのは、内心すごく嬉しかった。
家族とは言わないが、気心が知れた人とのんびり過ごすことが心地よい、というのは、ここ二ヶ月ほどでよくわかっている。
周は、真昼にとっては数少ない――というか現状唯一の――一緒に過ごしていて、気が休まる相手なのだ。
先日、これまでの経緯を並べてつい赤面してしまったが、実際、友人として周と共に過ごしているのは、真昼としてはとても心地よい時間なのは否めない。
だから、この後の夕食や、明日のゲームをやるのはとても楽しみにしている。
そう思ったところで、わずかに寒気を感じた。
「なんか……いつもより寒いですね」
このマンションは全館空調があるが、普段真昼は自動調節から設定をいじらない。
ただ、想定以上に暑かったり寒かったりすると、設定をいじった方がいいのだが――とふと外を見たら、雪が降っていた。
寒いはずである。
いわゆる『ホワイトクリスマス』だ。
記憶する限り、クリスマスに雪が降るのは、初めてのことかもしれない。
ちょっと雪に触れてみたいと思った。少しくらいなら体が凍えることもないだろう。
真昼はあまり音を立てない様にガラス戸を開けると、ベランダに出て――そこで、すぐ横に人の気配を感じて振り向いた。
見ると、少し癖のある髪の同世代と思われる男子と、その奥に人懐っこそうな印象の女子がいた。
「へ? な、何でここに」
「え、え?」
二人の、素っ頓狂、ともいえる声が続く。
「あっ」
しまった、と思ったが遅かった。
おそらくこの二人が、周の家に来ていた友人だろう。
他人の振りができれば問題ないが、それは無理だ。
この二人は、樹とおそらくその恋人。
つまり、同じ学校の生徒だ。
だとすれば、当然真昼の――『天使様』のことは知っているだろう。
真昼は思わず、天を仰いでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『まあ俺にとっちゃお前のが幸せの味なんだが』
予想外の周との関係の露見の後、食事が終わり、自分の部屋に戻って寝る準備を終えた真昼は、先ほどの周の言葉を思い出していた。
あの言葉は、本当に不意打ちだった。
真昼の食卓での記憶は、正直なところ小雪が職を辞した以降、ほとんど残っていない。
料理の研鑽は怠らなかったし、それを自分では美味しいと思って食べていたが、それが食卓の記憶か、といえば違うと思う。
真昼にとっては、食事は料理が上手くできたかどうかの確認の場であって、極論、台所でそのまま食べたところで――そんなはしたないことはしないが――変わらないものだ。
それが変わったのは二ヶ月弱前。
周の『作りたてが食べたい』という要望に応える形で始まった、周の家での食卓からだ。
最初は料理に対する感想がもらえるから、という理由で始まった食卓だが、気付けば彼との時間そのものを楽しむようになっていた。
別に何をするでもない。
時には一言も――料理への感想と最低限の挨拶以外――会話しないことすらある。
ただ、その時間は、記憶のない食事の時間と比べると、真昼にとってはるかに心地よい時間だった。
周が美味しそうに食べている、それを見ているだけで嬉しくなるのだ。
そんな食卓で、何の気なしに話した――人に話すの自体初めてだった、小雪の話と、あの人に教えられた『幸せの味』のこと。
それに対する、周の言葉は、本当に不意打ちで――嬉しいものだった。
思わず、持って行ったクリスマスプレゼントを渡し忘れてしまったくらいである。
幸せな食卓というものを知らない自分が、幸せになる料理を作れていた、という評価は、これまでの『美味しい』という評価をはるかに上回る、真昼にとって最上級の称賛だったのだ。
「私なんかでも、そういう味が作れているんですね……」
まっすぐな彼の言葉は、それが本心からだと信じられる。
これまでの二ヶ月あまりの交流で、彼の為人《ひととなり》は真昼にもわかってきた。
外見からはとても分かりにくいが、周はとても気配りもでき、紳士的だ。
そして少なくとも真昼に対しての言葉に、嘘はない。
だからこそ、真昼も周を信用してるし、信頼しているのだ。
昼に想定外に遭遇した二人の友人、樹と千歳も、特に千歳はちょっと周りにいない強烈なキャラクターではあったが信頼できる、と思えた。
あのような友人がいるのも納得だ。
類は友を呼ぶ、という言葉があるが、彼らはまさにその好例だろう。
その彼と、明日も会う約束をしていることが、なぜか嬉しい。
もちろん、初めてやるゲームにも期待がある。
ただ多分、周以外と同じ約束をしていたとしても、ここまで心が浮き立つことはない、と、なんとなく真昼は自覚していた。
そしてそれほどに、彼との時間を楽しみにしている自分が不思議ですらあるが、それも心地よく思える。
明日、ゲームの前に昼食を作る。
メニューは彼の好きなオムライスに、今日のビーフシチューをかける。
卵は固焼き。
好みが自分と同じなのが嬉しいやら面白いやらで、なぜか笑みがこぼれた。
「さて、そろそろ寝ないとですね」
ベッドにもぐりこむと、周にもらったくまのぬいぐるみを抱き寄せ、真昼は明日の期待に胸を膨らませつつ、目を閉じる。
雪は、まだ静かに夜の空を彩っていた。
クリスマス・イブの真昼のお話。
ついでにちょっと前に爆死する男子生徒も(ぉ
ゲームの日(クリスマス当日)は含まれてないので、『クリスマス・イブ』としました。