カチャ、という小さな音がして、鍵がフックに引っかかって固定された。
あらためてキーケースを見ると、ほぼ同じ形の鍵が二つ、そこには収まっている。
わずかな形の違い以外は、ほとんど同じ。
周の部屋と真昼の部屋の鍵だ。
一応ひっかけたフックの場所で区別できるが、間違えない様に、ということで自分の部屋の鍵には小さなシールを貼っておいた。
「ホント、センスいいですよね」
ブランドものとかではないのは分かるが、それでも質のいいキーケースだし、何より可愛い。
こういうセンスはあるのに、普段はスウェットにジャージで通すずぼらさが共存しているのだから、ある意味不思議だ。
ただ、周がああだから、真昼も彼が自分に興味がないのだと分かる、というのもある。
もし少しでも興味が――少なくとも恋愛感情に紐づくようなものがあるのなら、普通はもう少し着飾って自分をよく見せようとするだろう、とは思うからだ。
(もっとも、今更、なのかもしれませんが)
最初にあの汚部屋を見てしまっているし、今はだいぶマシになってるとはいえ、自堕落な生活能力無能者、という面を最初に見られている周からすれば、今更真昼の前で体裁を取り繕っても、というところはあるだろう。
ふと、ゲームをやってる最中に、彼の前髪を上げたことを思い出した。
少しだけ、頬が熱を帯びるのを自覚する。
考えてみたら、驚くほど大胆なことをしていた、と今更ながらに思うが、それ以上に驚いたのは、周の、普段前髪に隠れている顔が思った以上に整っていたことだった。
男性の顔をあの距離でまじまじと見たのはおそらく生まれて初めてだが、それでもあの顔は、突出している、とまでは言わずとも、十分に整っている顔だ、と思ったのだ。
普段、前髪に隠れてる上に、いつも彼はやや俯き加減で、さらに前髪によって視界が遮られていることがあるからか、目を細める癖のようなものがある。
しかし、そういったことがなければ、女子が騒ぐ――確か門脇、とかいう男子や樹と並んでも、そう遜色ないくらいの容貌だった気がする。
あの時は『目が生き生きしている』と言ったが、それも嘘ではない。
生活環境の改善のおかげでもあるのだろうが、最初に会話した時――は、真昼がほとんど顔など覚えていないが、次に会った時が風邪で倒れそうになっている状態だったこともあり、その時の不健康そうな印象が強かったのもあって、雲泥の差がある、とすら思えた。
まあ、今のところそれを知るのは、少なくとも女子では自分だけだろう、と思うと、なぜか意味のない優越感のようなものを感じる。
多分明日も周の家で食事を作るだろう。
最近、平日と休日の違いがなくなりつつあった。
無論、お互いのプライベートを考えて、休日に食事を作るかどうかは、前日のうちに決めている。
学校がある時は土日どちらかだけ、となんとなくお互いに線引きをしていたが、冬休みに入った今の時期はそういう線引きをしていなくて、なんとなく平日のような感覚で毎日行く、と漠然と思っていた。
周も同じなのか、少なくとも今日帰りしなに予定を確認した限りでは、明日も来てよい、とのことだったので、真昼としては明日の献立をさっそく考えているところだ。
周は感謝しきりだ、と言っていたし、まあ実際彼がありがたいと思っているのは分かる。
ただ、真昼にとってもこの二カ月――というよりは、周の家で食事するようになってからは、本当に心休まる時間をもらっている、と思っている。
料理への素直な称賛は嬉しいし、一緒にいても余計なことを意識することなく、気が休まるのが彼との時間だ。
かと思えば、ふとしたことで真昼のために様々な気遣いをしてくれていたりする。
買い物を担当する際にも、重量のあるもの――油や液体の調味料、牛乳など――は、必ず事前に残量をチェックしていて、こちらが頼み忘れていた時にそれを指摘して、買ってきてくれる。
本当に、見た目、というよりは本人がずぼらに見えるせいで損をしている人物だ。
もっともそのおかげで真昼自身は周と知り合えて、こうやって時間を共有できているのだから、ありがたいといえばありがたいが――。
(ただ、時々無駄にかっこいい、というか、なんか天然たらしというか……)
今日も、マフラーをあげた際の言葉は、本当に恥ずかしかった。
考えてみたら、似たような言葉は学校でもたまに言われていたはずだが、なぜか彼に言われるととても恥ずかしい。
それは、真昼にとって上辺の『天使様』にかけられた言葉ではなく、真昼本人に対する、嘘のないまっすぐな言葉だからだろう。
ただ、だとしてもあのようなセリフを女性に素直に言える、というのは、結構普通ではない気がする。
周の母親の志保子の薫陶なのか、と思うが、あの、ぐいぐい来る勢いの志保子と、周のあの性格はどうしても結びつかない。
反抗期に反発してあの性格が醸成された、という可能性もあるが、そういうのとは違う気がする。
周は一人っ子の様だから、兄弟の影響、ということはない。
とすると、かつての学校での友人の影響か、あるいは父親か。
考えてみたら、彼が遠方から一人暮らしをしてまで今の高校に通っている理由を、真昼は知らない。
これに関しては、同じ境遇である真昼も当然理由を話していないし、別に踏み込む必要もないが、少し不思議な気がした。
あそこまで生活能力がないのに一人暮らしを始めてまで、遠方の高校に行く理由が、周にあったのか。
無論、何か理由があってあの高校を選んだ、という可能性も十分にある。
周は、成績優秀者の一人であり、本当に高校それ自体が目当てだった可能性もあるだろう。
ただ、以前『成績の維持が一人暮らしの条件』と言っていたから、違う気はするが。
そこまで考えて、さっきから自分が周のことばかり考えていることに気付いた。
その事実に、頬が紅潮するのを自覚する。
「……でも、仕方ないかもですね」
現状周は、真昼の生活に最も密接に関わっている人間になっている。
学校における『天使様』の周りにもそれなりに仲のいい友人は何人かはいるが、それでもプライベートまで関わっている人はほぼいない。
せいぜい放課後に少し遊びに行くくらいで、その頻度も二週間に一回もない。
そもそも、普段会う可能性がある人物では、周以外では彼を通じて知り合った樹や千歳くらいしか、『天使』ではない椎名真昼自身を知っている者は、いないだろう。
高校に進学して九カ月。
もうすぐ、最初の年が終わろうとしているこの時期だが、真昼にとっては最後の二カ月の密度が、それまでの半年余りよりはるかに濃い。
自分を偽らずにいることができている、というのが、こんなに気持ちを前向きにさせてくれる、というのを、真昼は今更ながらに実感している。
そういう場所をくれた周には感謝しかないが、多分彼はそれに気づいていないだろう。
もうすぐ年末。
多分彼は帰省してしまうだろうから、その間はとても寂しくなるだろう、というのが少しだけ憂鬱だ。
去年と同じ一人の年越しだというのに、そう感じてしまうあたり、自分がどれだけ周の存在をありがたく思っているかを痛感する。
まだ予定は確認していないが、早く帰ってきてくれると嬉しいな、と思ってしまう。
願わくば、この穏やかな生活がずっと続いてくれることを。
まだ雪のちらつく夜空に、真昼はそう願わずにはいられなかった。