Interlude: Renegade 《Renxs》Piece of bread
仮定の話だ。ヘンゼルとグレーテルは、帰り道に迷うことが無い様に森にパンくずをまいた。後は簡単。戻るときにまた、そのパンくずを辿るだけだ。しかし、そのパンくずを辿ってくるのは、果たしてヘンゼルとグレーテルだけなのだろうか?悪い魔女や、森の猛獣たちがそれを辿ってこないとは限らないのだ。“痕跡”を残す、つまりはそういうことだ。どんなに巧妙に隠し、どんなに目立たないようにしようが、そこに“存在”するというその事実だけは隠しようがない。
「まぁ、そうでないとこまるんだがな」
建物の上、丁度この街の全貌を見渡すことのできるこの場所にて、かれは 眼前に広がるその光景を俯瞰していた。
――きれいな街だ
何時目にしても、彼の抱く感想は同じ。例え目に映るこの景色が、ゲームエンジンの織り成す偽りの創造物だとしても、ここにいるすべてのプレイヤーにとっては、ゆるぎないもう一つの現実なのだ。
「おっと。
全体を見通すようにしていた瞳が、街のある一点へと向けられ、目深にかぶったフードから覗く口元が、かすかに吊り上がる。
ピィィー
澄み渡る大空を舞うように飛んでいた鳥が。不意にその体を切り返し、軌道を変えて、彼の立つ場所の目の前を横切った。その瞬間、確かにそこにいたはずの彼の姿は、忽然と消えていた――
***
第二十三層マララッカ転移門広場前。
時刻 正午零時十五分前
情報屋“ネズミ”のアルゴ
転移するときに感じられる、体全身を包み込むかのような浮遊感が消え、一歩前に踏み出せば、目の前に広がるのは全くの別世界だった。音という概念が消失していた世界は終わり、代わりに迎えるは、まるで鍋でもひっくり返したかのような喧噪さ。今までにも数多くの街を訪れてきたが、こんなにもにぎやかで――騒がしい街は、多くはないだろう。
「ふゥ…………相変わらず暑いナ、ココハ」
ピィィー
とどこかで鳥が気高く鳴くのを耳にしながら、目深に覆われた黄土色のフードで素顔の隠された小柄なローブの少女――アルゴは、顔に持ってきた片手で首筋のあたりを拭った。格好が恰好なだけに、季節など無視した元から熱いこの場所がより一層暑く感じられる。照り付ける太陽はまるで留まることを……あるいは自重することを知らぬと言わんばかりにさんさんと、肌を吹き抜けるかのように流れる風はからりと乾ききっている。一説によれば、日本の常夏はアフリカなどの砂漠地帯に住む人をして“耐えられない”程に暑いらしいが、そんな常夏とはまた一味違う、気の滅入りそうな気候。それでも、土を塗り固めて作り上げられた建物の間々を抜ける砂利道を行き交う人々の数は、ごった返すまでに多い。
――変わらないな、何もかもが
そんな、彼女の瞳に映るモノすべてが、かつてこの場所が最前線だったころと何も変わらない。そんあ、懐かしさとも感傷ともつかぬ感情を抱きつつ、アルゴは自分を尾行しているプレイヤーがいないかどうかを確認しながら、人であふれるその道へと足を踏み入れた。二十三層主街区“マララッカ”。それが、今アルゴの居る場所に付けられた名前。この層は、このSAOに生きるすべての人々にとって、とても大切な役割――大切な“意味”を持つ。そして当然、ソレは彼女にも同じだ。人だかりの多いバザールを、アルゴはぶつかることなくひょいひょいと軽快に進んでゆく。全ては、この層から始まった。この層がもし存在しなかったとしたら、確実に今とはまた違う道を歩んでいたことだろう。自信を以て、アルゴはそう断言できる。
――私は、大切な光を/彼は、大切な光を
――得て/失った
忘れることなどできはしない。
『ねぇ、アルゴ、アナタは何か知らない?』
『ごめん、アスナ。私もまだ混乱していて、はっきりとしたことは言えない』
なんてひどい嘘だろうか。歩きながら、アルゴは自嘲を浮かべた。実の所を吐露するのならば、あの時すでに、アルゴは残されたメッセージの意味に気が付いていた。全てを知りえながらにして尚、隠したのだ。
“殉教者達の鐘が鳴り響きし時、嘗て勇者と賢者とが交じりし場所にて、穢れた羊は知恵を乞う”
あの本と、底に記されていた記述に、答えは全てあった。だからこそ、アルゴはこのマララッカの土を踏んでいるのだ。ゴーンゴーン。メインストリートを半分ほど行ったところで、丁度正午12時を告げる協会の鐘が鳴り響く。
――殉教者たちの鐘が鳴り響きし時
心の内で、アルゴは記述の一文を反芻する。先ほど、SAOに生きるすべての人にとって、と口にしたが、ソレは何もこの世界を確固たるもう一つの現実として生きるプレイヤーの話をしているのではない。SAOにて生活する、全ての人間NPCにとって、この“マララッカ”の街はまさに“聖地”なのだ。“アインクラッド教”。ソレが、このアインクラッドの知にて厚く信仰されている唯一無二の宗教の名前。その実態は、現実世界にあるキリスト教、イスラム教、そして仏教の三大宗教を共通点に持つ“創世者カーディナル”を祖とする宗教だが、この地に住むすべての人々が生活し信仰し、日々を生活する。各地に点在する教会や社は、プレイヤーにとっては対アンデッドなどのバフを付加してくれる場所という意味合いが強いが、それこそ彼らからすればそれ以上の意味を持つのだ。そして、そんなアインクラッド教の始まりの地とされる――聖地――ここマララッカの北部区画には、“バスティオン大聖堂”という大きな聖堂がある。この層の意向を、多くのプレイヤーは“メソポタミア文明”のような、と言い表すが、本当の意向は、聖地パレスチナの、イスラム文化を色濃く反映しているのだ。
「そろそろ時間が近いナ」
この大聖堂では、毎週日曜日に、プリーストたちによる大巡礼が行われる。それが、“殉教者たちの鐘が鳴り響きし時”という文の表すもの。大聖堂に集まった聖職者たちはアインクラッド教にて殉者の数字――キリスト教で言うところの聖者の数字に近い――とされる零と三――つまり正午の十二時よりその信仰を祖たるカーディナルへとささげ、午後の三時に鳴り響く鐘の音と共に各地へ巡礼へと旅立つ。つまりあの文の指し示すところは、殉教の鐘が鳴る十二時から三時の間の事なのだ。足早に進んできたメインストリートをそれて、アルゴは中央区画から西部区画へと続いてゆくサブストリートへと入った。程なくサブストリートを歩いてゆくと、やがて街全体の“色”が変化していく。立ち並ぶ建物の壁はボロボロになった場所が増え、活気に満ち溢れていた雰囲気がどこか草臥れたものとなり、あれだけ騒がしかった喧騒が遠のいてゆく。突き当りの角を左へと折れ、二ブロックほどを歩いたところで、アルゴはその足を止めた。
「久ぶりだナ、ここに来るのモ」
彼女がそうつぶやいた先にあったものは、一軒のぼろ宿だった。この南部区画――立場的には、スラム街にあたる――にある建物の例にもれず、その壁はひび割れ、長い年月を経て草臥れ、有り体に言い表すなら、廃墟寸前の宿そのものだ。ただ、あえて利点を上げるとするなら、建物自体が高いことと、面している通りの道幅が他と比べ若干広いという位だろうか。
――かつて勇者と賢者の交わりし場所にて
謎のメッセージとして記述された一説のフレーズ。ソレが指し示す場所こそ、いま彼女の目の前にある宿そのものなのだ。そのぼろ宿の名前を、《レ・ミゼア》。この、今にもつぶれてしまいそうな宿は、嘗てまだこの二十三層が最前線だったころにカズとレンの両名が拠点として利用していた場所。と同時に、カズとアルゴが主に情報取引を行うために利用していた場所でもある。つまり、勇者とは攻略組随一のランカーとして活躍していたカズの事を、賢者とは、生き残るうえで絶対に欠かすことのできない情報屋として活動していたアルゴ自身のことを暗示していたのだ。となれば、
「ここニ、レンがいる」
残るフレーズ――“穢れし羊は知恵を乞う”――は、消去法でレン自身の事を指示していると考えるのは自然なことだ。だが一つだけ、どうしても引っかかることが、彼女にはあった。
――穢れし羊
何故レンは、そんな言い回しをしたのだろうか。羊は、西洋宗教――特にユダヤ教において重要な意味合いを持つ。彼があえてそれを選んだのは、ただ文全体としての調子を整えるためなのか。それとも――アルゴの脳裏に、嫌な仮定が浮かぶ。
――もし、その一節に、それ以上の意味を込めていたとするならば
そこまで考えて、アルゴは己の考えを振り払うように首を振った。既に、正午に鐘が鳴り響いてから四十分もの時が経とうとしている。無駄なことを考えている暇などないのだ。そうして、アルゴは開け放たれた宿の入り口をくぐった。くたびれたロビーフロアには、やはり利用者など一人としておらず、主人と思しき中年の男が、フロントにて暇そうに新聞を眺めていた。アルゴが近づこうとすると、男はそんな彼女の存在に気付いたか読んでいた新聞を下げ、不愛想な表情のまま口を開いた。
「三○一号室だ」
「エ?」
「三○一、そこで待っているだと。アンタ宛への伝言だ」
「あ、ああ。ありがとウ」
あまりにも唐突すぎて、しばしあっけに取られていたアルゴであったが、すぐにその意味を理解すると、再び新聞へと目を通し始めた男へとペコリ頭を下げ上へと続く階段を上り始めた。一歩一歩進むたびにひどく軋みを上げる床の感触をどこか懐かしく感じながらも、アルゴは若干緊張した趣のまま上を目指す。やがて、上へと続く階段が終わりをつげ、件の部屋の前へと立つ。記憶と変わることなく、塗装は剥げ堕ち、部屋番号を表記するプレートは片側のピンが外れ傾いていて、今にも倒壊しそうなそれを、アルゴは意を決してゆっくりと叩いた。
「レー坊、オレっちだヨ。開けてくレ」
返事はない。ただ、カチャリとロックの解除される音はした。入れということなのだろうか、その意図が掴めず、しばし逡巡するように迷った挙句
「レー坊?」
アルゴは静かに扉を押した。ギギギィと扉が軋み、内部への視界が開ける。値段相応のボロボロのベッド、古びたテーブルとイス。全てが昔のままに、その配置が換わることすらない部屋。しかしその部屋には目的たるレンはおろか人の気配すらなかった。
「レン?居るのカ?」
そんな、不可解な光景に首をかしげながら、ゆっくりと中へと踏み入っていけば、
「動くな」
空いていた扉が乱暴に閉じられ、ひどく凍てついた久方ぶりの声とともに、背後から伸びてきたナイフが首元へと突き立てられた。
***
同時刻
二十三層マララッカ北部区画。
タークス隊はパッケージ“ラット”の動向を追って行動中
Operation Ajax Code name of the Tango “RAT”, ”Fish”. Objective is to kill ‘em or capture.
「……たった今、デルタチームから報告が入りました。《ラットインケージ、ビッグフィッシュインアスモールポンド》」
「そうですか、ご苦労様です」
ニコニコと、人懐っこく優しい声で彼は頷く。その瞳は、一体何を見据えているのだろうか。はるか遠く、青く何処までも澄み渡る太陽に光を浴びながら、彼はその背後へと待機している隊員へと向き直った。
「では、最終確認です。アルファ、ブラボー、デルタ、フォックストロイト、それぞれの武装確認は?」
「つつがなく」
「抜かりはありません」
「あとは隊長の指示を待つだけです」
「いつでも行けますよ」
彼の問いかけに、四人の部下らしきプレイヤーが、呼応する。それぞれ、装備されている武装の種類はまちまちで、重々しいヘビープレートから軽装なスキンコートまでと統一感すらまるで無に等しいが、ただ一つだけ、共通する点があった。そこにいるプレイヤーの全てのプレイヤーの頬に、何かをモチーフにしたのであろう独特なタトゥーが刻まれている。
――傍から見れば、ソレはまさに異様としか言いようがない光景だった。ただ一つを除いて、何もかもがバラバラな四人のプレイヤーが、まるでおとぎ話に出てくる忠節の騎士のごとく、一人のプレイヤーに仕えているのだから。だが同時に、圧巻でもあった。彼らの行動には一糸乱れぬまでに統一されており、まるで軍隊の行進のように研ぎ澄まされたものだったのだから。何を隠そうか、そんな彼らこそ、このアインクラッドの中でいかなる部隊、勢力にも属さない“監視者”――独立諜報部隊タークス隊なのだ。
――そんな彼ら四人の反応を見て、ほのかに笑みを浮かべた隊長――ベノナ――は、静かに言葉をつづけた。
「時刻、1:00」
「「「「チェック」」」」
「パッケージは二人。本作戦の目的はあくまで“身柄の確保”です。――が、手段は問いません。だたし“ラット”への危害は認めません。“ラット”は未だ一般人ですから。しかし――」
そこで言葉を区切り、ベノナはさらにトーンを押し下げた――まるで背筋がゾクゾクと震え上がるかのような声色で続きを紡いだ
「パッケージ“フィッシュ”の方に関しては、生死は問いません。いいですね?」
「「「「はっ!!」」」」
裂帛の気合とともに、彼ら四人の声が重なる。士気は十分、全てに抜かりはなく、べノアに成功の確信を抱かせるには十分すぎるほどだった。
「では、今から“オペレーションエイジャックス”を開始します。状況開始は四十分後です。当初の作戦通り決行します」
「「「「ラジャー!!」」」」
高々と腕を掲げれば、四人は完ぺきなまでに統率された動きで瞬く間に散開していった。そこで残されたベノナはただ一人、あくまで人懐っこい表情のまま、静かに目をつぶった。
「全ては――」
そんな彼つぶやいた声は、通り抜ける風たちの音に溶け込み、儚くかき消えていった――
やっとこの伏線を回収できた。いやぁ随分とながくなっちゃったなぁ、と書きながらにして思います。漸く、この章にも終わりが見えてきました!!