不幸な小狐は幸せを探す 作:うしさん
「「お疲れ様でしたー!」」
柴関ラーメンでのアルバイトを終え、バイトのユニフォームから着替えを済ませるために更衣室にやって来たセリカとユキ。着替えの最中の話題は当然、お客さんとして突然やって来た先生とアビドスのみんなの事だった。
そこでもやはりセリカの愚痴は止まらず、ユキは未だにニコニコとしている。
「ほんと信じらんない!なんでわざわざ私たちのバイト先に来るかな!?」
「まぁまぁセリカちゃん。みんなも別に悪気があった訳でも、悪いことをした訳でもないんだし…」
「それはそうだけどっ…!なんかイヤなの!ホシノ先輩もホシノ先輩よ!事の発端はホシノ先輩じゃない!」
「うへへ……
うーん、困った……」
これには流石のユキも苦笑いである。これ以上は火に油だと思ったユキは、大人しく着替えることにした。
セリカは一人でぷんすかと怒りながら、エプロンの紐を解きぱさりと音を立て地面に落とす。
そしてユニフォームの裾に手を掛けするすると脱いでいき、アビドスの制服に身を包む。
仕上げに水色のネクタイを締めてブレザーを羽織った。
着替え終わると同時に気持ちも落ち着いたセリカは、服のシワを伸ばしながら、ユキが着替え終わるのを部屋に備え付けられた椅子に腰を掛け、眺めて待っていた。
ユキちゃんも制服に着替えるの慣れてきたなと、ふとそんな感想がセリカの頭を過ぎる。
初めの頃はワイシャツの袖に腕を通すことすら覚束ず、ネクタイもぐちゃぐちゃだった。余談だが、誤ってネクタイで自分の首を絞めてしまい、窒息しかけたこともある。
それが今では普通に着ることが出来る。他の人と比べると少しゆっくりではあるけれど、正しい手順できちんと着れる。
慣れた今でも制服に着られている感じが強く、制服のサイズも少し大きいためだぼっとしているが、間違ってはいない。
そんなこんなでどうやらユキも着替え終わったようだ。
ユキの着替えている姿を眺めていたセリカは、気付いた時にはムカムカとした感情をきれいさっぱりと忘れていた。
「セリカちゃん!着替え終わったよ!」
嬉しそうにそう言うユキの姿を、獣耳のてっぺんから小さな足先までじっと見つめるセリカ。
すると爪先から目線を外し、ユキに目を合わせる。
そして口角をふっと綻ばせながら椅子から立ち上がった。
「ほらほら、ユキちゃん。ネクタイが緩んでるわ。やったげるからこっちおいで」
「えへへ…ありがとう。ネクタイは一人だとまだちょっと難しいかも...」
セリカはユキの正面にしゃがみ込み、丁寧にネクタイを締めてあげる。自分のものを締める時とは違う感覚に少しもたつくが、ユキが見ている手前、焦りを隠しながら無事きれいにできた。
完璧っ!と声を上げるセリカに対して、もう一度ユキはありがとうと、感謝の言葉を述べた。
「それじゃ、帰ろっか!」
そう言ってセリカはスタッフ専用の出入口の扉に手を掛け、ドアノブに力を入れた。するっと扉は開き、手を絡めた二人の姿が路地に現れる。
現在の時刻は夕方の少し手前。日が落ちるにはまだ早い時間帯だ。だけど歩いて帰れば、アビドス高校に到着する頃には空は暁色に染まり始めるだろう。
ユキは学校で寝泊まりしているため、星たちが顔を覗かせる前には学校に着いていなければならない。
『夜は特別な用事が無い限り学校から出ないこと』
ユキがゲヘナから帰ってきたあの夜からまだ破られていない約束だ。
今セリカにはユキを安全に学校へ送り届けるという仕事がまだ残っている。これまでも、幾度となくバイト先からユキを送り届けてきた経験があるから、セリカにとってはこの帰り道も慣れたものだった。
はずだった……
「ねぇ、セリカちゃん。なんだかこの辺りも人が少なくなったね」
「そうね。前はここまでじゃなかったのに…」
日が落ちていないにも拘わらず人通りの少ない大通り。人口が他の自治区よりも少ないアビドスの中でも、今セリカ達が居る場所は少なからずとも人通りはあった筈だ。夜間に人が見えないならまだしも、現在は太陽が燦々と昇っている。それがここ最近でゆっくりと、けれど確実に減少の一途をたどっている。
それに伴い、不良組織が集い始めているという噂もあるとか。ゴーストタウン化の進むアビドスが不良の巣窟となるのも時間の問題か、とセリカの頭を悩ませる。特にバイトの通り道として利用している身。小さな変化も大きな不安の種である。
ユキはまだしも、セリカのストレスの要因となっているのには間違いないだろう。先生に対して反発してしまうのも、こうした現状がセリカの心を荒ませてしまっていたからでもある。
(このままじゃ駄目だ。私達が頑張らないと…学校を立て直さないと…)
自分の心を鼓舞しながらじゃないとやっていけない。そう言わんばかりに心の中で自身を奮い立たせる。
真剣な顔付きで黙りこくってしまったセリカに対し、ユキは相変わらず能天気に空を飛ぶ鳥を眺めている。
すると先程までのセリカと雰囲気が変わったことに気が付いたのか、鳥から目を離しセリカに目を向けた。
「セリカちゃん?どうしたの?」
「ん?あぁ、なんでもない。私も頑張らないとなって思っただけ!」
ユキは納得したのか、ニコニコと「そっか」と言って再び空を見上げ始める。
セリカもセリカで、今悩んでも仕方ないかと思考を切り替えるように視線を上げた。その目に映るのは慣れ親しんだアビドスの街。失いたくない大切な場所。それがセリカにとっての原動力だ。
そんなことを考えながらセリカはユキの歩幅に合わせ、二人は一歩一歩ゆっくりと歩いている。
すると途端に周囲がざわつき始める。二人がいる位置から少し離れたところから聞こえてくる足音。
少しずつ近付いてくる。
ダダダダと音を立てながら何かが接近してくる。
それに気付いたセリカは咄嗟にユキのことを庇うように抱き寄せ、周囲を警戒し始めた。
何が起きてるか分からないといった様子のユキ。先程までの笑顔は消え、不安そうな面持ちでセリカのことを見上げる。
そして遂に足音の正体が姿を現す。
「………っ!何よ、あんた達」
そう言ってセリカは鋭い目線で相手を睨み付ける。その目線の先に居たのは────
「黒見セリカと雪白ユキ……だな」
「カタカタヘルメット団…?あんた達、まだこの辺をうろついてんの?」
セリカとヘルメット団員達の視線が交錯する。緊張した空気がその場を支配する。
セリカは抱き寄せていたユキを即座に自身の背に隠した。ユキはピリピリとした雰囲気を感じ取ったのか、セリカの制服の裾をきゅっと掴み震えている。
まだ何もされていないにも拘らず、ユキは尋常ではないくらいに怯えているようだ。しかし彼女の過去の境遇を考えると、そうなって当然だ。ユキにとってヘルメット団とは恐怖の象徴。自分の命を脅かす存在である。
かつて何度も命の危機まで追い詰められた。直近でも誘拐され、囮にされ、血に塗れた。どれもこれも全てヘルメット団のせいだ。
カタカタだとかガタガタだとか、名前の異なるヘルメット団だとしても、ヘルメット団はヘルメット団。ユキの命を脅かす存在に変わりは無い。
「なんの用?早く帰りたいんだけど、退いてくれない?」
ユキを傷付けさせまいと、余り刺激をしない言葉を選んだ。セリカ一人であれば、現状の遣る瀬無さに腹を立てて自分から喧嘩を仕掛けていただろう。
しかし今はユキがいる。傷つける訳にはいかない大切な仲間が隣に居る。キヴォトスの人間であるのに身体が弱く、銃弾一発一発が命に関わる子だ。
ユキとの初対面は血に塗れた姿。命の灯火は殆ど消え掛けていた。しかし奇跡的に危機を脱した。
数ヶ月後、ユキがゲヘナで命を落としたと聞いた。その話を聞いた時セリカは息が詰まる思いだった。その場に居て助けになれなかった自分が心底恨めしかった。
ゲヘナから帰ってきたのが物言わぬ骸であったら、セリカは自分が許せなかったかもしれない。いくら止めようがなかったとはいえ、自らを責めてしまっていたかもしれない。そんな後悔がしばらく止まなかった。
そして今、この場でユキを護れるのはセリカしか居ない。
(なんとしてでもユキちゃんのことは護らないと…!)
セリカの心の内には、ユキを護る事しか浮かんでいなかった。数ヶ月一緒に過ごしたことで生まれたユキに対する愛情は、セリカ本人が思っている以上に大きかった。
気付いた時には、何をするにしても一生懸命で無邪気に愛嬌を振りまくユキから目が離せなくなっていたのだ。
改めてユキの姿を横目で確認する。自分の背後で震えて涙を流している。恐怖している。
それを見てセリカの心にふつふつと怒りが沸いてくる。今すぐに飛び出して行きたい気持ちに駆られるが、逸る気持ちを抑え込む。そうして再び視線を前に向けた。
「……お前ら、やれ」
その合図と共に街中で響き渡る幾つかの銃声。
その狙いは当然─────
「……痛っ!本当になんなのよ!」
銃弾を数発受けたセリカはそう叫ぶ。
いつも通り普通の銃弾。
喰らってもただ痛いだけ。命の心配など一ミリも無い。
しかし普通の銃弾でも致命傷になる子がセリカの隣には居たはずだ。
そのことに気がついたのか、セリカの胸の鼓動が途端に早くなる。
ドクンドクンと次第に大きくなる鼓動。全身が心臓になってしまったのではないかと思ってしまうほどに震える身体。手の指先から爪先まで急速に血液が巡る。
銃声は既に止んでいる。
前方からも後方からも銃撃音が聞こえてきた。
気がついた時には二人の背後もヘルメット団に包囲されていたようだ。
急な不意打ちであるが、セリカの背中側にはほとんど銃弾が当たらなかった。
───────何故?
その疑問がセリカの脳内を支配する。
前方から飛んできた弾は片腕で幾つか防いだ。
もう片腕は背後のユキを抱き寄せる為に使っていた。
何故、セリカの背中側のダメージが少なかったのか。
その理由はすぐに明らかになった。
「……っぐぅぅ!うぅ、あぁぁ……いたい、いたいよぉ……!」
「……っ!ユキちゃんっ!」
すぐさまセリカはユキを庇うようにしゃがみ込む。全身で包み込むかのように抱き締める。
セリカは恐れていた。ユキを喪ってしまうのではないかという恐怖が一瞬にして頭を支配した。
(どうしようどうしようどうしよう……!!ユキちゃんが、死んじゃうっ……)
ユキは傷口を両手で抑えながら泣きじゃくっている。痛いよ、痛いよ、と悲痛な叫び声を上げながら。
腕や脚、肩口からは真赤な鮮血が流れている。胴体には、脇腹を掠ったような傷。幸いなことに即座に命に関わるような怪我ではないらしい。だがしかし、手当を早い内に行わなければ命を落としてしまう可能性がある。
セリカはこの状況をどうにか出来るほど頭が働いていなかった。あるのはただユキをどう生かすか、どうやって護りきるか。ただそれだけだった。
「うわぁぁぁあん……うぅ、あぁぁぁ」
(ホシノ先輩っ…!ごめん……私じゃ、無理だ……)
しかしユキの悲痛な声を聴いてセリカの心は、傷口が抉られるようにじわじわと少しずつ折れかける。
目の前には地に膝をつけ呻く小さな子。目尻から零れる雫と、身体から滴る赤い雫がポタポタと地面を染めていく。
命が目の前で磨り減っていく。
─────瞬間、頭の中に思い浮かぶのはアビドスのみんなと過ごしたありふれた日常。走馬灯のように思い出が脳内を駆け巡る。
窓際でユキと抱き合い眠るホシノ。セリカの膝の上で、嬉しそうに好物を頬張るユキ。はちゃめちゃな計画を立て実行しようとするシロコ。その肩には幸せそうな笑みを浮かべるユキがしがみついていた。それを止めようと必死に追い掛ける他の面々。
捕まっても、捕まらなくても「楽しかったね」で終われるような、そんな日常。
……世界が暗転する。黒よりも黒い闇の中に呑み込まれる感覚。急激に場面が切り替わる。
目の前に広がるのは広大な砂漠。その場で俯きへたり込むホシノ。持っていたはずの銃は手から離れ、砂の上に落ちている。
その視線の先にあったのは血に塗れた人形。ヒトの形をしたただの肉塊。その光景を呆然と眺める事しか出来なかった。シロコもノノミもアヤネもセリカも、只々立ち尽くすばかり。
その場に漂うのは脳内に直接届くような強烈な鉄の臭い。飛び散る肉片。大量の砂が次第に紅く染まっていく。
セリカはその光景に見覚えがあった。見覚えしかなかった。
生気の失われた深海のように深く青に染まる瞳。開き切った瞳孔。頬を濡らす乾き切っていない涙。ぴくりともしない指先と、呼吸を感じられない胸の動き。
アビドスの生徒とユキとの出会いは思い出したくもない最悪なもの。そう語ったのは何時かのホシノであった。
急激に迫る『死』。それが今、再び目の前で再現されようとしている。
「もう、やめて……この子を傷付けないで……」
気がついた時には、セリカの瞳から一筋の雫が頬を伝っていた。心は完全に折れていた。
どうしてこの世界はこの子に辛い目ばかりみせるのか。どうしてこの子が傷つかないといけないのか。
現実の無情さをただ、嘆いた。
「……捕らえろ」
その言葉と共に何かが射出されるような轟音が響く。
それに気付いたセリカは涙を堪え、叫びながら必死にユキを抱き締める。泣きじゃくりながら痛みに悶えるユキを爆発から護るために。
数秒後、その場は地響きのような爆発音が轟き、土煙で満たされた。
爆発に巻き込まれている最中、セリカの目には爆発に呑まれているユキの姿がくっきりと焼き付いてしまっていた。
更なる痛みに苦痛を漏らし、恐怖に染まる表情。普段の可愛らしい声とは別物の絶望に染まる声。密着した小さな身体は有り得ないほど大きく小刻みに震えていた。
糸が切れたように、一瞬にして全ての機能を停止させる小狐の姿を目にする。猛烈なショックと共にセリカの意識もそこで途絶えた。
土煙が晴れ、破壊された街が次第に見えてくる。爆発の中心地には、意識を失った二つの身体。
一人がもう一人を庇うように覆い被さっている。意識を失った今でも、何としてでも護ってみせるという意志を物語っているようだった。
「続けますか?」
「いや、いい。生かさなければ意味が無い。行くぞ」
ヘルメット団は言葉を交わし、二人の身体を引き摺り歩き出す。
その場に残ったのは破壊された形跡と、僅かな血溜まりだけだった。
一人称視点は別で入れようと思ってます。