不幸な小狐は幸せを探す 作:うしさん
大人は嫌いだ。
狡猾で意地が悪くて、何を考えているのか分からない。
アビドスが今現在こんな状況に陥っているのも半分は大人のせいだ。
大人が私たちに優しかったら、子供のために最善を尽くしてくれるような人達ばかりだったら……
そんな事を望むのはとうの昔に諦めた。
アビドスの先輩達も大人のせいで散々酷い目にあったという。
まぁ、この酷い有様を見れば分かりきったことなんだけど。
九億を越える借金なんて、凡そ学生が背負うものじゃない。根本的な原因は自然現象という人には抗い難いものだけど、そこから復興させるのは努力次第でどうにでもなる。
先輩達は努力の方向性を間違えた訳じゃない。その時は先輩達なりに精一杯出来ることをやっていた筈だ。
だけど失敗した。残ったのは莫大な借金と、人の居なくなった土地だけ。
なんでこうなったの?
アビドスの現状を認識して、誰しもが思う疑問。
当然私も考えた。だけど昔の純粋だった頃は考えが及ばなかった。
まさか大人が子供たちを騙してお金を搾り取ろうとしていただなんて。
衝撃だった。予想外だった。悲しかった。
本来守るべき子供の未来を大人が壊していたんだ。
次第にその感情は怒りへと移り変わっていった。いつからか大人は信用出来ないもの、そして大嫌いなものになった。
もちろん大人の中にはいい人も居るだろう。ただ、私の人生の中では出会えなかったというだけで。
大人のせいで心が疑心暗鬼で苛まれる。信用できるのは自分だけ。
気付いた時には他人から距離を置くようになっていた。ただでさえ人の少ないアビドスを彷徨う一匹狼。未来に希望を見いだせないまま学校に通う日々。
そんな捻くれていた時に出会ったのがユメ先輩だった。
高校に進学してから顔を合わせる度に話し掛けてくる。正直言うと鬱陶しかった。
だけど毎日毎日、アビドスの復興のために動き続ける姿に希望を見い出してしまったのだ。
それからあれよあれよと生徒会に入る事になり、毎日が様々な色で溢れかえるような日々を過ごした。
楽しかった。幸せだった。こんな捻くれた自分を受け容れてくれて嬉しかった。
……だから、そのユメ先輩を喪った時の苦しみは言葉に出来ないほどに辛かった
私が殺したも同然だ……
私のせいで……
私が……私が、私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が
また私は独りになった。
あの日の後悔と共に誰も居ない砂漠を毎日のように彷徨い続ける日々。先輩と過ごした今までの思い出が、涙と共に砂に呑み込まれていく。
日が昇った瞬間から日が落ちるまで、亡霊のように砂漠を歩き回った。
……遂に見つけた先輩は、人としてのカタチを保てていなかった。
辛うじて人だと判る程に酷い損傷。近付くと、つんと漂う腐臭。私も先輩の盾が無ければ気付かなかったと思う。
それもそのはず、先輩を発見した時には行方不明になってから既に一ヶ月以上が経過していた。
それに、こんな砂嵐が絶えない砂漠のど真ん中。夜は冷え込み日中は気温が上がる。
そんな環境で遺体を発見できたのは奇跡だ。
これだけの損傷で済んだのも奇跡だと思う。
うん。奇跡なんだ。
……そう、奇跡なんだよ……!
そう思い込まないと心を保てない。
誰か私を終わらせて欲しい。
それから先輩の遺体は丁重に弔った。形見としての盾は私が肌身離さず持っている。
鮮やかな色で彩られた日々は一瞬にして消え失せた。私の心を占める先輩の大きさを、そこで初めて思い知ったんだ。
「大切な物は失って初めて気付く」なんて、よく言ったものだ。
私が馬鹿だったから、先輩が話し掛けてくれる日々を当たり前のものだと勘違いしていたから……
そんな簡単なことにも気付かなかった。
だから喪った。
私のせいで。
そして生きる目標も大して無いまま、私は学校に通い続けた。
毎日独りでお金を稼ぎ、借金の利子を返す日々。目に映る景色は全て色褪せて見える。
先輩の意志を継ぎたいなどという高尚な志は一切無かった。先輩と過ごした日々を思い出し、ただそれをなぞっているだけ。
先輩はもう帰ってこないというのに、思い出に浸って現実から目を背けていたんだ。
そんな学校生活を送っていると、いつからか一人の女の子に絡まれるようになった。
名前はノノミちゃん。見るからに良いとこの出身だ。そんな子がどうしてアビドスなんかに…
それを疑問に思う暇もなく、私との距離をぐいぐいと詰めてくる。
彼女には複雑な事情も、想いもあった。
だから私は彼女を拒まない。ユメ先輩がそうしていたように。
私たちは二人になった。
当時中学生だったノノミちゃんは毎日のようにアビドスへとやってくる。
何故アビドスに来るのかとちょっとした不信感を抱いていた反面、話し相手がいる事の喜びを密かに噛み締めた。
二人の生活に慣れてきた頃、一人の女の子を拾った。砂漠地帯であるアビドスに珍しく雪が降る日だった。
学校の敷地内でいきなり襲いかかってきたものだからさすがに驚いた。
名前はシロコちゃん。自分の名前しか覚えていることは無いという、明らかに普通ではない子。
だけど地に伏せるその姿はどこか放っておけなかったんだ。私も独りの辛さ、寂しさは理解しているつもりでいる。
だから私たちで面倒を見てあげることにした。寒そうなシロコちゃんにマフラーを巻いてあげる。ボロボロの彼女をシャワーで綺麗にしてから、学校に余った制服を着せてあげる。
シロコちゃんはそのちんまりとした見た目からは想像出来ないほどに好戦的で、少し言い方がアレだけど野蛮だった。
ところ構わず勝負を挑まれ、街の古鉄屋から商品とトラックを盗んでくる。予想の斜め上を超えてくるとんでもない行動ばかり。
そして勝負の結果、シロコちゃんには本格的にアビドスに入学してもらうことになった。ノノミちゃんもアビドスに入学してくれるらしい。
純粋に嬉しかった。こんな私にも後輩ができるなんて、思ってもみなかったんだ。
私たちは三人になった。
独りだった時には考えられない程に騒がしく慌ただしい日々。だけど段々と心の内が温かい何かで満たされていく。
二人のおかげで少しずつ少しずつ、笑えるようになってきた。
そうだ。楽しいという感情はこんな感じだった。
しばらく使っていなかった表情筋がほぐれていく。口角が緩んでいくのを感じる。
それならもういっその事、表情を緩ませておこう。強い自分を演じるのをやめよう。もう私は先輩になったんだから。
ゆっくりと、のんびりと、そうやっていく方が今の私の性に合ってる。
昔の自分が今の私を見たら吃驚するかもしれない。
そんな事を考えると少しだけ可笑く思えてくる。
そして三人になった私たちは、新たに委員会を立ち上げた。
名前は「アビドス廃校対策委員会」
文字通りアビドス高校の廃校を防ぐ為の委員会だ。
そこが私たちを繋ぐ居場所になった。
それから桜が散り、新緑が生い茂る。
青々とした葉っぱ達は次第に紅葉に。
少しずつ葉を落とし、木枯らしが寂しい枝を揺らす。
あっという間に時は過ぎる。
楽しかった。幸せだった。
一人では経験することが出来なかったであろう青春の記憶。
ユメ先輩を喪ってからぽっかりと空いた心の孔が埋められていくような、そんな感覚。
借金の問題は解決の兆しが全くと言っていいほど見えないけど、こんな毎日も悪くないかな。なんて思ったり。
年度が変わり、私は三年生になった。
相変わらず身長は伸びない。髪は腰の下まで伸びたのいうのに。
そんな事は置いといて、アビドス高校に二人の新入生がやってきた。
名前はアヤネちゃんとセリカちゃん。
唐突に二人で学校に駆け込んで来て、入学すると宣言した。
また慌ただしい子が来たな。嬉しいな。
数年前の自分では思い浮かばないような感想が頭を過ぎる。何時からか、私の周りに人が居ることが当たり前になっていた。
私はもう、ひとりじゃない。
私たちは五人になった。
新入生のアヤネちゃんは誰よりもしっかり者で、会議をまとめてくれる。基本的に自由なみんなをまとめてくれる。
本来は最年長である私の役割なんだろうけど、私はそんな柄じゃない。それに何より、なんだかんだアヤネちゃんも楽しそうに見える。
適材適所、その言葉がぴったり。だから私はいつも通りのんびりさせてもらおう。
セリカちゃんは元気で明るい。ポジティブで前向きな子だ。
意味が被ってるとか野暮なことは言わない。
確実にそのポジティブさは、私たちに希望を与えていた。
先輩相手だろうが物怖じしないでぐいぐいとツッコんでくれる。みんなと対等な関係を築きたい私にとって、そのスタンスはすごくありがたかった。
詐欺にちょくちょく引っかかるのだけは不憫かもしれない。
そこがセリカちゃんの可愛らしいとこでもあるんだけどね。
二人が加わった五人で借金を返済する日々。辛いけどみんなが居てくれているおかげで頑張れる。普通の学生らしい青春では無いけど、私たちにとってはこれでよかった。
……そんなある日、過去の記憶が呼び起こされるような、一生心から消え去ることが無いような事件が起きた。
いつからか学校を襲ってくるようになったヘルメット団。人数は多いし、敵のスナイパーはかなり厄介だった。
だけどみんなは強かった。数の不利なんてものともせずに蹴散らしていく。最終的にヘルメット団は撤退していくけれど、時折スナイパーの弾を喰らってしまう。
ダメージ自体はアヤネちゃんが癒してくれるお陰で問題は無い。しかし、その銃弾を喰らった後は妙な疲れが残るという事をみんな揃って口にする。
私は心の内で警戒心をかなり上げていた。今は大丈夫でも、いつか酷い結末を迎えるのではないかと悪い想像が浮かんでしまう。
その想像は、予想外の方向で現実のものとなる……
その日はいつものようにヘルメット団を追い返せる筈だった。
いつものように団員を蹴散らし、スナイパーの弾を私が盾で防ぐ。
いつもと違うのはスナイパーの威力。これは危険だと本能が警鐘を鳴らした。盾を持つ私は大丈夫だけど、みんなは防ぐ手段を持たない。
狙撃手の位置は分かった。しかし狙撃のタイミングは読めない。さっさとケリをつけよう。
敵の戦車に狙いを定め、銃を持つ手に力を込める。距離を詰めるために腰を落とし足を引く。いつでも行ける。
多分私は慢心していたんだと思う……
本気で戦えばこんな奴らは敵じゃない。そう思い込んでいたんだ……
……気付いた時には隣でノノミちゃんが腹部から血を流し倒れていた。
一瞬にして思考が止まる。蘇るあの日の記憶。消えない後悔。目に焼き付いたユメ先輩の死に顔。腐り切った肉体。
夢に見ない日は無かった。眠りにつく度に記憶が掘り起こされる。おかげでまともに眠れる日の方が少なかった。
目の前で倒れているノノミちゃんの姿が、記憶に刻み込まれた先輩の最期の姿と重なってしまう。
心が壊れていく。目の前の光が潰えていく。辛うじて残っていた希望が崩れ去っていく。ぼろぼろと。焼け落ち朽ち果てた炭のように。
私は無意識のうちに駆け出していた。目の前にいた奴らを片っ端から撃ち破っていた。元凶となったスナイパーをノノミちゃんの仇とばかりに討とうとしていた。
やられたらやり返す。戦場では当然の事。走り去る戦車を全力で追い掛ける。
先を走る戦車にはあっという間に追い付いた。どうしてやろうかと思っていると、戦車内から聞こえて来る言い争う声。
仲間内で争うなんて馬鹿らしい。さっさと潰してやろう。
そう思ったのは確かだ。だけどそこから既に罠だったとは、頭に血が昇りきった私に気が付ける訳がなかった……
急にハッチから飛び出してきたのは小さな白い身体。事前に確認していたヘルメット団のボスそのもの。
私はすぐに戦車から飛び降り、そいつに詰め寄った。
思い切り蹴飛ばし、怒鳴りつけ、首を締め上げる。
その小さな身体は簡単に吹き飛び、血反吐を吐き散らす。情けなく涙を流す。ヘルメット団のボスに有るまじき姿。
自分は偽物だと言い張るが、私はそれに耳もくれずに痛め付ける。
殺していた。気がついた時には殺してしまっていた。逃げ出そうとしたところをゼロ距離から撃ち抜いて。
殺すつもりは無かった。キヴォトスの人間なら死なないと思っていた。だけど死んだ。私が殺した。
命の重みを誰よりも知っていた筈の私が誰かの命を奪ったんだ。
悪い夢なら覚めて欲しい。いくらそう願っても変わらない現実。砂の色一色だった地面には、真っ赤な華が咲いていた。
芳しい匂いなどするはずも無い。
漂うのは濃い鉄の臭いだけ。
それが私の赦されざる《罪》
奇跡的な力で生き返ったとしても、私の罪悪感が拭える日は二度と来ない。
治療され、意識が回復し、話をする。
その小さな子はヘルメット団のボスでもなんでもなかった。気付いた時から独りぼっちでキヴォトスを彷徨っていたという。
家も無い。家族も居ない。友達も頼れる人も何もかもが無い。持ち物も無いしまともな食事もとれない。暴力を振るわれ、住処は追い出される。挙句の果てに誘拐されて暴力組織の囮として使われる。
そして私が命を奪った。
アビドスに入学させることに反対しなかったのは、罪滅ぼしがしたかったから。だけど一生この罪は消える事は無いだろう。
私が寝ている間に学校から逃げ出し、襲われていた小狐を助ける事が出来たのは奇跡だ。あれが無ければ和解出来ず、確実に私はずっと恐れられたままだった。近付くことすらままならず、あの子にとってストレスの原因にしかならなかったと思う。
それから私はその子に「雪白ユキ」と名付け、何としてでも守り抜くと決めた。あらゆる脅威から。ヘルメット団から。悪い大人から。
私がこの子を幸せにしてみせるんだ。
私たちは六人になった。
季節外れの新入生。今年入学したばかりのアヤネちゃんとセリカちゃんに出来た小さな後輩。それはもう可愛がらない訳が無かった。
世の中のことを何も知らないユキちゃんにとって、目にするもの全てが新鮮だったらしく、毎度毎度面白いくらいに反応してくれる。
世話焼きなみんなは常に傍で面倒を見てあげていた。
その一方で、何も知らないからこそ行動が危なっかしい。
だから、先生がアビドスにやって来た時はかなり警戒した。
私たちから呼んでおいて警戒するのはおかしな話だとわかってる。でもユキちゃんを守る為なら仕方の無いことなんだ。
大人は総じて狡猾だ。世の中のことを熟知している分、悪い知恵も働く。子供を騙す事も厭わない。
私の知る大人の中には、外見からいかにも怪しいヤツがいる。全身が真っ黒で、顔も黒くひび割れているような見た目だ。その異形に似つかわしくない黒いスーツを着込んでいるため、私はそいつの事を黒服と呼んでいる。
数年前から私に接触してきて、怪しげな取引を持ち掛けてくる。まともに取り合ったことも、これから取り合おうとも思わないけど、何を企んでいるか分からないから呼び出されたら無視はしない。
そんなヤツが身近に居るから、余計に大人に対する不信感は募っていた。話し方から身振り手振りに至るまで、全てが胡散臭い。表情も読めないから、どんな感情で話しているのかなんて分からない。
対する先生はどうか。
最初は貼り付けたような笑顔で話しかけてきた。少しだけ胡散臭い。
あぁ、やっぱりこの大人も同じか。偽物の感情で、偽物の言葉で私たちに取り入ろうとするその姿は今まで出会ってきた大人と同じ。
はっきり言って失望した。しばらく泳がして、尻尾を出したタイミングを見計らって追い出そう。そんなことを考えた。
先生と出会って直ぐに戦闘があったから、挨拶はそれで済ました。
しかし、戦闘の指揮に関しては完璧だった。初対面の筈なのに私たちの連携が完全に把握されている。
敵の動きも何もかもが俯瞰して見えているかのような指揮で、私たちはあっという間に敵を追い払えた。
銃弾などの物資は先生が持ってきてくれたから困らない。久しぶりに満足に戦えて、みんなも嬉しそう。
少しだけ先生の事を見直した。それと同時に油断ならない相手だと思った。これだけの力を持っているからには、他にもなにか隠し持っているのでは無いかと疑うのは当然の事。
だけど、人の悪意に敏感なはずのユキちゃんが先生に懐いている。人懐っこいのは周知の事実だが、あの子がこんな短い時間で大人に懐いてる姿は見た事が無かった。
挙句の果てにちゅーるをあの大人から食べさせてもらう始末。
多分この時点で私は、先生が悪人ではないと気付いていたんだ。
だけど大人が嫌いだから、大人は信用出来ないから。それが脳裏に刻み込まれているせいで先生を疑い続けてしまう。
こうして改めて先生と話していると、最初私が疑った笑顔は先生なりの処世術だということに思い至った。
この人は場の雰囲気を作るのが異常な程に上手だ。話していて心地の良い声音と喋り方。分かりやすい感情表現。話し相手を気遣いながら、こちらが話しやすいように会話を進めていく姿は悪印象を持つ隙も無く、はっきり言って好感しか持てなかった。
けれど頭のどこかでは、それすらも疑わしく思ってしまう。私たちに取り入るための巧みな会話術に呑まれているのではないかと深読みしてしまう。
初めてアビドスの問題に取り合ってくれた先生を信じたい気持ち半分、大人を関わらせることに反対する気持ちが半分。
それが私の素直な気持ち。
アビドスの中でも特に大人に対する警戒が強いセリカちゃんも、先生に少し絆されかけている。
確かに先生の見た目は、一般的に格好良いと手放しで褒められる程だ。そんな人から口説き文句のような言葉を真正面から言われて照れるのは仕方が無いと思う。
だけどそんな事とは関係ない程に、先生の言葉には嘘が無かった。現時点で嘘かどうか判別する方法は無いけど、その言葉の重みが違う。覚悟が違う。今まで出会って話してきた大人とは何もかもが違う。
まっすぐ私たちを見つめてくる先生の瞳は、本気だという気持ちを雄弁に語っていた。
みんなも息を飲んでいる。先生は信用出来る大人だと信じかけている。かくいう私もそうだ。
でもまだ完全には信用し切れていない。呪いのようにこびり付いた大人に対する警戒心は、頭の中で信用するなと警鐘を鳴らしている。
それならば、私は警戒していよう。全員が先生を信じ切っている状況では駄目だ。もしも何かあった際、私がすぐ対処出来るように。
次の日、みんなでセリカちゃんとユキちゃんのバイト先に行く事にした。なんだかんだで二人のバイト先に行くのは、ユキちゃんの初めてのバイト時以来だった気がする。
上手くやっているかな。ミスして怒られたりしてないかな。
そんな心配はもちろんある。セリカちゃんが付いてるなら大丈夫だろうけど一応だ。
それと普通にラーメンが食べたかった。本当にただそれだけ。
この後起きる事件の事なんか知らずに、呑気に麺を啜っていた自分が嫌になる。
日が段々と暮れ始め、空が夕焼け色に染まっていく。いつもであればセリカちゃんとユキちゃんはこのくらいの時間に帰って来ていた。
その筈なんだけどこの日は帰りが遅い。いつまで経っても帰って来ない。心配になって連絡しても返信は無い。
焦燥感に駆られる思いで待っている内に、外は完全に日が暮れていたようだ。
その焦りのままにユキちゃんの位置情報を慌てて確認してみる。
しかし、そこに映し出されたのはエラーの画面だけ。ユキちゃんの端末の情報が消失していたのだ。
背筋を伝う汗が妙に冷たく感じる。悪い想像が脳内を駆け巡り手が震えてくる。
ここで探しに外に出るのは悪手だ。私たちにはなんの情報も無い。今までユキちゃんが失踪した時、走り回って見つける事が出来たのは奇跡のようなものだ。そんな偶然は続かない。ただひたすらに走り回っていては時間を無駄にするだけ。
今回に限ってはユキちゃんだけではなくて、セリカちゃんも一緒だ。戦えるセリカちゃんも連絡が取れないということは、敵はかなり厄介な奴らだという事になる。
そう簡単には見つける事は出来ないだろう。
しかし幸いな事に、今此処には先生が居る。子供である私たちが持たないような知恵がある。
二人の失踪が確実になった時点で、先生と私はみんなと別の部屋で捜索を開始した。捜索と言っても私に出来ることは殆ど無い。
そんな私とは対照的に、先生は普段から手に持っているタブレットの上で忙しなく手を動かしている。
先生に頼りきりになって、縋ることしか出来ない自分が心底嫌になる。あんなに嫌っていた大人を頼りたくない。だけど頼らざるを得ない。
今は私の感情よりも優先しなければいけないものがあるんだ。
「ホシノ、大丈夫?」
そうやって考え込んでいると、先生に話し掛けられた。
唐突に話し掛けられたものだから返事もろくに返す事が出来ない。
「あ…先生。うん、大丈夫……」
口では大丈夫とは言っても、先生から見たら明らかに大丈夫とは言えない無様な姿に見えるだろう。本当に情けない。
先生に手掛かりがあるか聞かれたから、ユキちゃんのスマホにGPSを仕込んでいた事を話した。そしてそれが使えなくなっている事も。
それを聞いて先生は手を止めて考え込むような姿を見せる。私には先生が何を考えているか分からない。これだけのやり取りで何か分かったとでもいうのだろうか。
「…あのさ、ホシノ。ユキちゃんって身体が弱いんだってね」
「……っ!なんで、それを……」
(ようやく口を開いたと思ったらいきなり何を……っ!と言うよりもその情報は誰にも言っていないはず……!それを聞いてどうするというの…?)
やはり先生はアビドスに送り込まれてきた敵だったのかと鋭く睨み付けた。だけど返ってきたのは呆気ない返答。どうやら余計な勘繰りだったらしい。
「昨日セリカが言ってた。ユキちゃんは身体が弱いから私と隠れるようにって」
そして言葉を続ける。
「まぁ、私には詳しい事情は分からないし、君達が話してくれるまでは追及しないよ」
結局何が言いたいのだろうか。確かにユキちゃんは身体が弱い。銃弾一発で命の危機に晒されるほどに。
言い換えれば、ユキちゃんは私達にとっての弱点とも言える。ユキちゃんを狙われたら私たちは意識をユキちゃんに向けて、護りながら動かなければならない。
ユキちゃんが悪い訳じゃない。迷惑だなんてちっとも思ってない。悪いのは全て敵なんだから。
私は先生に疑いの目を向けていた。一言一句聞き逃すまいと耳を澄まし、いつでも動けるように体勢を整える。
──────が、続く言葉は私が想像していたものとは全く異なっていた。
「けどね、私は大人として生徒のことは誰も見捨てない。セリカもユキちゃんも、必ず助ける。だからそんな顔をしないで、前向いて行こう」
衝撃的だった。まさかこんな言葉が大人の口から出てくるなんて。
先程まで張っていた気が一気に緩んで、力んでいた身体が脱力する。
先生に目線を合わせると真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
どこか頼もしさを感じる優しい瞳。
私の心を落ち着かせてくるような温かい声音。
そのどれを取っても心強さを感じてしまう。
駄目だ…駄目だ、駄目だ……
安心してしまう。絆されてしまう。呪いのように染み付いた大人への嫌悪感が、たったのこれだけで浄化されていくように消えていく。
……いや、違う。多分先生だけだ。この目の前の先生だけが特別なんだ。
頭の中がぐるぐると様々な思いで掻き回されている内に、気が付いた時には心の声が漏れ出てしまっていたみたいだ。
「どうして、そこまで……」
先生はそう答えるのがさも当たり前かのように、その疑問とも言える呟きに対する答えを返してきた。
「どうしてって、私は大人であり先生だからだよ。子供を護るのは私達大人の責任なんだ」
顔色ひとつ変えずに言葉を発する。正に真剣そのもの。
そんな姿を見て、言葉を聞いて、心の片隅に残っていた大人への嫌悪感が私へと語り掛けてくる。
(お前はまた騙されている)
……うるさい…
(大人を信用するな)
……黙れ……っ!
(過去の過ちを再び繰り返すのか?)
…………っ!
消え掛けていた黒い靄が、再び存在感を増していく。心の片隅で燻っていた靄は次第に心を侵食してくる。
頭が痛い。もう疑うのは疲れた。再び疑心暗鬼に陥ってしまいそう。
だけど、そんな私の葛藤を気にもせず、先生の声は直接私の心に触れてきた。
「もちろん、セリカ達を助けた後はアビドスの問題にも全力で協力するよ」
─────あぁ、やっぱり。この人は特別な人。
悪意なんて欠片もない。他の大人とは根本から違う。
私に向けられたその笑顔が心地良い。
黒く犯されていた私の心は、少しの燻りも残さずに晴れていった。
……うん。信じよう。
この大人、先生なら何とかしてくれる。
完全に信用したかと言われたら、素直に首を縦に振れないかもしれないけど、この人なら信じる価値はある。
不思議とそう思えたんだ。