不幸な小狐は幸せを探す 作:うしさん
その日はいつも通りの一日になるはずだった。
いつも通りとはいっても、普段よりほんのちょっとだけ希望が持てるようになった、そんな一日の始まり。
その日までは、明日がどうなるのかさえ分からずに、ただひたすらにもがき続ける毎日。みんなが居てくれているおかげで楽しく過ごせていたけど、その気持ちの裏では必ず何処かで不安が顔を覗かせる。
そんな毎日を過ごす私たちの目の前に、先生というよく分からない大人がアビドスへやってきた。
第一印象は信用出来ない変な大人。
シロコ先輩に背負われてやって来て、教室の床にドサリと落とされてた。最初はシロコ先輩が死体を運んで来たのかと勘違いしてしまったけれど、普通に生きていたみたい。
それから起き上がって挨拶を交わした。大人の笑顔を見ると無条件で胡散臭く感じてしまうけれど、その人の笑顔には何故か不快な感情を抱かなかった。なんだか不思議な人。
今まで私たちの前に現れた大人たちは姑息で汚くて、子供のことをカモにしか見ていないような、そんな人達ばかりだった。
表向きは良い顔をして裏では何を考えているのか分からない。だけど私たちはそういう大人をあてにしなければならない状況だったのだ。
そんな汚い大人たちとは打って変わって、先生は本当に変な大人だと思う。いい意味でも悪い意味でも。
だってその日会ったばかりの私たちの問題に思い切り首を突っ込んできたのだから。
当然、アビドスの問題の事も教えた。私がうっかり口を滑らせてしまった成り行きで。それを知った上で手伝うと言うのだ。
あの時は失敗した、と思った。声に出したのは無意識だったんだ。
信用の出来ない大人に借金の事なんて言うつもりじゃ無かった。大人に弱みを見せたら、そこに付け込まれて騙される可能性も無いとは言い切れないし。
失敗した失敗した失敗した……!
実際こんな感じで少し頭の中がパニックに陥っていた。
だけど今では、口を滑らせて良かったとすら思ってしまっている。
こんなのおかしい!私らしくない!初対面の筈である大人をすぐに信用するなんてありえない…!
……でも、あの純粋で悪意ひとつも感じられない笑顔を見たら、疑うことすら馬鹿らしく思えてくる。
人の悪意に敏感なユキちゃんも凄く懐いてるし、悪い人じゃないのは確かなんだと思う。
だからと言って私も絆される訳にはいかないんだ。
たしかに、先生はヘルメット団を追い払うのに協力してくれたし?枯渇してた物資を満足するまで持ってきてくれたし?さらにさらにヘルメット団の拠点を潰すのも手伝ってくれたけど?
……そんなことで絆されたらユキちゃんみたいにチョロいって思われるかもしれないでしょっ…!?
案の定、ホシノ先輩は先生のことをしっかりと警戒している。対する私は見掛けだけ、口先だけで威勢よく突っぱねて、内面では気を許してしまっている。
全てはあの先生のせいだ。
優しい声で話しかけないで。
愛しいものを見つめるような瞳でこっちを見ないで…
アビドスを助けるだなんて、軽々しく言わないでっ……!
でも……だけど……
この先生なら本当に助けてくれるんじゃないかって、心のどこかでそう思ってしまうんだ……
────なんてね。
そんな変な期待はしない。手伝ってくれるのは有難いけど、最終的にコレは私たちだけの問題だ。
大人がひとり手伝ってくれるようになったところで、大して変わらないだろう。いくらシャーレの先生とはいっても、出来ることは限られてくるはず。
先生のおかげで今は物資が困らないほどある。ヘルメット団も追い払って拠点も潰した。これで余計なことを考えずにバイトに打ち込むことが出来る。
認めたくないけど、先生の存在は確かに希望と呼べるものだった。
そしてその日もいつものようにユキちゃんとバイト先に歩いて向かっていた。私はちょっぴりとした希望を胸に、ユキちゃんはいつも以上にウキウキとした足取りと共に。
その行きの道で先生と出会ったのは偶然ではなかったのかもしれない。出会うのは必然だと言わんばかりのタイミングで、ばったりとしてしまった。
そこでも私は変な意地を張って先生を突っぱねてしまう。困った顔をする先生を見て、申し訳ない気持ちが……ってそんな気持ちは一切浮かばなかった。
寧ろ誠実なのかチャラチャラしてるのかよく分からない態度に腹が立ってくる。
生徒にちゃん付けとか今時ありえないし。なんなら女子生徒に「可愛い」とか「大切な子」だとか、そんな口説き文句みたいなことを言うなんて信じらんない!
思い出したらなんだか顔が熱くなる感じがする。
きっとこれは怒りの感情だ。他意は一切ない純粋な怒り。きっとそうだ。絶対にそうに違いない。ないったらない。
それはそれとして、バイト先に来ることだけは許せなかった。
いくらホシノ先輩の発案とはいえ、ふつふつと怒りが沸いてくる。
仕事中も気が気でなかった。普段一緒に過ごしているみんなに仕事姿を見られるのが恥ずかしかったんだ。
柴大将に心配されるくらいには仕事に身が入らなかった。普段はしないミスも何回かやってしまうほど。
ユキちゃんはいつも通りかそれ以上に楽しそうに接客をして、ミスひとつ無かったというのに……
私はユキちゃんにとって頼れる人でありたかった。だけどこんな姿を見せたら失望させてしまうかもしれない。
ユキちゃんがそんな事を思わないというのは分かってる。あの子はいい子だから、ちょっとした失敗ひとつで見限られることは無いと思う。
だからこれは私の問題だ。見限られないからって、情けない姿ばかり見せる訳にはいかない。ユキちゃんの前では強い人でありたい。
何かあった時、すぐ私を頼ってくれる。そして私はすぐに助ける。
そんな関係をユキちゃんと築けるのが一番良いと思うんだ。
……でもこんな事を考えてた後に、あんなことが起こるなんて思ってもみなかった…
いつも通りの帰り道。ユキちゃんと手を繋いで歩いていた。何気ない会話をしながら、みんなが待つアビドス校舎へと向かう。
人が少なくなったアビドスの街は、奇妙なくらいに静かで閑散としていた。日に日に少なくなっていく住人。それに伴い活気も無くなっていく。
あの日は特に人の姿が少なかった。
そこで異変に気付いていれば最悪な事態を避けられたかも……なんて言うのはあまりにも甘い理想。現実はいつだって残酷なんだ。
今までで散々分かりきっている事なのに、こんなことを考えてしまうのはある種の防衛本能なのかな。そんな事を思ったり思わなかったり。
するとゆっくりと歩く私たちの前から後ろから、次々と聞こえてくる足音。元々そこに人が殆ど居なかったせいで、余計にその足音が目立つ。
私はそれを聞いて、すぐに危険な匂いを感じ取った。
これはいけない。ユキちゃんが危ない。頭の中で警鐘が鳴っている。
そう判断して、即座にユキちゃんを抱き寄せた。
目線を前に向けると、そこには前日に壊滅させたはずのカタカタヘルメット団が複数人。敵愾心を剥き出しにしてこちらを睨み付けてくる。
……そうか。ここら一帯で人が目に見えて少ないのはコイツらのせい。人払いをしたのか知らないけど、こんなヤツらがたむろしていたら普通の住人達は近付かないだろう。
「………っ!何よ、あんた達」
私はそう言って睨み返す。出来ればこの場で争いにはなりたくない。ただでさえ人数不利だし、隣にはユキちゃんが居る。
「黒見セリカと雪白ユキ……だな」
ヘルメット団のボスらしき人が確認するかのように聞いてくる。
私たちのことが知られている……
最初はかなり焦ったけど、ずっとアビドスを襲って来ていたのなら知られていてもおかしくない。それに気付いて逸る呼吸を整える。
「カタカタヘルメット団…?あんた達、まだこの辺をうろついてんの?」
あくまで冷静に。努めて冷静に。相手を刺激しないように。絶対に争わない。
そうやって自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる。内心ではかなりイライラしていたけど、表に出さないようにしていた。
そんな私とは異なり、ユキちゃんは表情に全てが出ていた。
感情豊かなこの子の表情が恐怖一色に染まっていく。私の制服の裾を握り締めながら、プルプルと全身を震わせている。
「いや……いやぁ……もう、やだよ…」
私にしか聞こえないような小さくか細い声。さっきまではにこにこと無邪気な愛らしい笑みを零していたというのに、今となっては頬が引き攣り目尻には涙を浮かべている。
きっと今までのトラウマが頭の中を駆け巡っているのだろう。想像するだけで胸糞悪い。彼女が抱える過去は、凡そこんなに小さな子が背負うものでは無いだろう。
ユキちゃん本人からの話でしか聞いた事はないけど、ホームレスだった時は本当に酷い生活をしていたという。
住処を追われ、暴力を振るわれ、早く助け出してあげられていればと何度考え後悔したことか。
だけど今更後悔したところで過去は変えられない。
だから未来を変えるんだ。
もう二度とユキちゃんが辛く苦しい思いをしないで済む毎日を私たちで作るんだ。
正式にユキちゃんをアビドスに迎え入れた日にみんなでそう誓った。
今を変えれば未来も変わる。先の事なんて私には何にも分からないけど、今動かなければ何も変わらない。
だから私は今、ただユキちゃんを護るんだ。
「なんの用?早く帰りたいんだけど、退いてくれない?」
震えるユキちゃんの小さな手を後ろ手で固く握る。
私が護るから安心して。その気持ちを込めて固く強く包み込む。
そんな私の想いに反して、ユキちゃんの身体の震えは治まらない。私の背後に回り込み涙を流し、苦しそうに嘔吐いている。
その姿を横目で見て、私の胸の内には怒りが佛々と湧き上がってきていた。今すぐにでも飛び出して行きたい。だけど傍にはユキちゃんが居る……
そんなモヤモヤとした感情を抱えたままその場で睨み合い、膠着状態に陥っていた。
しかしその一瞬の均衡は、敵の一言で次の瞬間には崩れ去ってしまった。
「……お前ら、やれ」
ひと気の無い街中に響き渡る銃声。飛び交う幾つもの銃弾。避ける隙もなく放たれ、それらは私の身体のあちこちを掠めていく。
(……っ!痛い、痛い……!けど我慢出来ない程じゃない……)
「……痛っ!本当になんなのよ!」
私は感情のままに叫ぶ。しかしここでも私は反撃に移らない。だって護らないといけない子が後ろに居るのだから。
そんな事をうっすらと考えながらさらに強く睨み付ける。そこで私の頭の中では、肝心のユキちゃんの様子が気に掛かった。
……そういえば今の銃弾の雨の中、ユキちゃんは大丈夫だったかな…。私の後ろに居たから前からの弾丸は防げたはず……
だけど、もし背後からも撃たれていたら……?遠くから狙撃されていたら……?
心臓が段々と鼓動の速度を上げていく。
……落ち着け、私。すこし冷静になって考えよう。
現時点で銃声は既に止んでいる。正面からの攻撃は私が受けた。痛みはあるけど無傷と言ってもいいだろう。
一方、背中側には殆ど撃たれた感覚は無い。それならユキちゃんも撃たれたという心配は無い。ちゃんと私は護りきれたんだ。良かった……
いや、違うでしょ……
そんな現実逃避をしている場合じゃないっ…!現実から目を背けるな…!
私の鼓膜に残るのは正面からの銃声に加え、横から、背後から襲い来る幾つもの銃声……
慌てて周囲を見回すと、銃を構えるヘルメット団が背後にも居た。
やられた……っ!正面の奴らに気を取られすぎて、後ろを取られている事に気が付かなかった……!
────ということは背中側からも撃たれているはず…
さっき私の背中側にダメージが少なかったのは、なんで……?
それを考え始めた瞬間、私の背筋は一瞬にして凍り付いた。最悪の可能性が頭の中を埋め尽くす。冷や汗が頬を伝って硬いアスファルトの上に滴り落ちた。
未だに私は現実から目を背けている。ユキちゃんの姿を見れない。少しだけ視線を下に向ければいいだけなのに、最悪の想像を現実にしたくなくて彼女を直視出来ずにいる。
(わたしは、どうすればいいの…?いやだ、いやだいやだ…!私が、護らないといけないのに……)
そんなことをうじうじと考えていると、想像通りの最悪が現実に追いついてきてしまった。
「……っぐぅぅ!うぅ、あぁぁ……いたい、いたいよぉ……!」
その声が聴こえたことで、ようやく私はその方向に視線を向ける。そこに居たのは身体の至る所から血を流し、痛みに悶えるような表情を見せるユキちゃんだった。
「……っ!ユキちゃんっ!」
私は絶叫した。心が壊れそうだった。私が護ると誓った筈なのにこんなことになってしまった。全部私のせいだ……
そんな自己嫌悪の思考に囚われている間、私はユキちゃんの小さな身体をぎゅっと抱き締めていた。
これ以上この子を傷付けさせない。殆ど無意識だった。きっとユキちゃんを喪うかもしれないという恐怖が私の身体を動かしたんだと思う。
兎に角今は傷の状態を見ないと……っ!
そう思いユキちゃんの傷口に目をやる。
目を背けたくなるくらいの出血。キヴォトスでも類を見ない程に柔らかい身体に突き刺さる銃弾は、全て貫通しているようだった。
一通り見終えたところで、今すぐに死に至るような致命傷は無いことが判明した。しかしこの出血だ。早く手当をしないと出血多量で死んでしまうかもしれない……!
どうしよう、どうしようどうしよう……っ!!ユキちゃんをまた喪うなんて、そんなのいやだ!
「うわぁぁぁあん……うぅ、あぁぁぁ」
その泣き声を聞いた瞬間、私の心は折れていた。私にはユキちゃんを助けられない。どう足掻いても救えない。ホシノ先輩ならもっと上手くやってたと思う。
この場にいるのがホシノ先輩だったなら、きっと……
虚しい感情が胸の内から溢れ出る。
それと同時にユキちゃんと過ごした幸福な記憶、そして
それは冷たくなったユキちゃんとの初対面の時……
死は常に私たちの身近に存在しているのだと、その日に思い知った。
「死」という概念が私達にとって希薄に感じるのは、ここに住むほぼ全ての住人の身体が頑丈であるから。
それが当たり前だと思っていたから、それに当てはまらない例外がホシノ先輩の目の前に立ち塞がったのは、本当に最悪で不幸な出来事だったとしか言いようがない。
そして今、私の目の前では同じ悲劇が再び繰り返されようとしている……
「もう、やめて……この子を傷付けないで……」
きつく締め付けられる心が、ようやくの思いで絞り出した言葉がこれだった。私はユキちゃんのことを全身で抱き締め、ヘルメット団の奴らに対して縋るように懇願する。
この状況で大切なものを見失ってはいけない。何を守るべきか見極めなければならない。私のちっぽけなプライドなんか今は要らない。護るべきものは私の腕の中にいる小さく弱々しい命だけ。
気付けば自身の目尻にじわじわと涙が溜まっていた。攻撃を食らって痛い訳じゃない。理由は上手く説明できない。どうしようもないほどに心が苦しい……
そんな中、静まり返った街中で聞こえてくるのは敵のたった一言。
無慈悲な宣告だけだった。
「……捕らえろ」
その言葉が聞こえてからの記憶は思い出したくもない。
ただでさえ銃創の痛みに悶えるユキちゃんの姿が見えていないのか、あいつらは銃とは比べ物にならない程の爆撃を私たちの居る場所へ落としてきた。
私はすぐにユキちゃんをきつく抱き締め、地面に伏せるようにして覆いかぶさった。小さな頭を胸に抱き寄せ、爆発の衝撃から護る為に自然と体が動いていた。
それでも完全に爆破の衝撃を完全に無くすことは出来なかった。私でさえ息ができないほど苦しい思いをしたのに、身体の弱いユキちゃんが無事である訳がなかった。
聞いた事のないような絶叫、明らかに喉が潰れ兼ねない声、痛みと恐怖に歪む表情……
そのどれもが私を絶望へと叩き落とす。まるで底の無い暗闇に落ちていくような感覚を覚えた。
そして次第に私の意識も遠のき、全身の痛覚が鈍っていく。目の前にいるユキちゃんは、遂に何も言わなくなってしまった。ぐったりと身体の力は抜け、至る所から血を流し目を瞑っている。
あぁ……護れなかった。
私は護り切れなかったんだ……
消えゆく意識の中で後悔の渦が私を呑み込む。
段々と視界が狭まる。
最後に目に映ったのは、ユキちゃんの目尻から零れる一筋の涙だった。